それはある意味、象徴的な、儀式だったのかもしれない。
 
 
 
零号機に再接合がかなわぬために、つかいものにならずだた安置しておくしかなかった左足のパーツを八号機に”くれて”やり、詳しい原理はいまひとつ不明ではあるが、それが使徒を討つ力のたしになる、というのであれば、それはまさしく正しい再利用のあり方であり経済的でもあり、乏しい現在戦力を増強する意味合いでも、どこからも異論が出るはずのない、情緒の入る余地などない「作業」のはずであった。
 
 
同じエヴァの機体パーツを我がものにして力を得る、という事実は、たとえつくりものであろうが、人造人間エヴァンゲリオンである、どうも「人食い」の禁忌イメージが付きまとうことはやもうえなかったが、片足を八号機に与えて完全に失うことで、零号機の機動力はがた落ち以上であり、後方からの射撃、援護にしか使えなくなる、という事実は、基本的戦術が「使徒相手のATフィールドでの押し相撲」であるという本質を考えるに、まさしく「新旧交代」、主役機体、というアニメじみた言い方はともかく、メインウエポンは誰か、という問いにはこれまでとは異なる返答が用意されることになるだろう。
 
 
情緒的な意味合いにおいても、技術的な意味合いにおいても、そして秘儀的な意味合いにおいても、零号機の左足には、これまでの戦闘の記録、旧体制のネルフ本部としての、が詰まっている。それを譲り渡す、ということは革命下克上ならぬ、禅譲、新たな加入者の力を認めて頭目の座を譲る、旧体制が新体制に屈して完全に入れ替わる、新陳代謝を終えて新たなボディとして使徒戦を戦っていくことになる・・・・・組織という生き物が変態する、サナギから蝶へ、ヤゴからトンボへ、はたまたウジ虫から蠅へと。蠅が生まれたからにはそれ以前の幼体をどう呼称するべきか・・・・
 
 
そういった自嘲を感じたかどうか、綾波レイはいつものように冷めきった表情で、淡々と自分の愛機の左足を未だ得体の知れぬ八号機に譲り渡すための作業手続きを進めていた。
 
 
そこに同情の余地などなく、赤木博士や日向マコト、事情に通じた者はもちろん、同族喰いのイメージからどうも気がのらぬ、といった者たちもこれでは異論を唱えることもできない。使徒戦に有効であるからこういった手段、いやさ足段をとっているのであろうから。表面はこれで、心の奥で泣いているかも、といった風情は綾波レイからは微塵も感じられないが。気が狂ったように駆け回ってバラバラになった参号機を甦らせた彼女のすることである。他人には理解できずとも、それなりに有効なのであろう・・・・・
 
前評判としては作戦部長連がひとり、シオヒト・セイバールーツが「八号機さえあれば」と何かにつけて言っていたが、その通りの実力を備えているのならば良いが・・・
 
エヴァの実力、というのは本当にスペックではない。チルドレン、パイロット達の腕前、操作技術などではない、その薄い胸に秘められか細い肩に乗せられた、能力というより霊力、といった方がしっくりくる確率の網でようやく掬えるほどの希少な「何か」が導き発動させてくる威、そんなものがモノをいう。絶対領域、ATフィールドだけでどうにかできるなら時田氏のJAが天下をとっていることだろう。
 
 
鈴原トウジの駆った参号機のように・・・・まったくもって「読めない」、それがエヴァ、矮小な人の身では見て聞くしかない福音の名を冠した人造人間、人類最後の決戦兵器。使徒を殲滅するために造られた。
 
そのための・・・・・
 
そのために・・・・・
 
己の左足そのものをくれてやるのと、えらく違わない暴挙を、平気でやらかす。
 
じつをいうと、この時の綾波レイは完全に自暴自棄になっていたのだが、なんせ表面上が万年雪でダイヤモンド製のシャベルでも傷もつかないようなクールフェイスであるので誰も気付かなかった。愚痴も弱音も吐かないで一人で凜と立っているのだから分かるはずもない。心が読める者がいるわけでもない、心を、読んでくれる者は誰も。
 
 
判断自体はそう悪くはない。正しいか間違っているか、分かる者はいないのだから。
恐れることなく、目の前の問題を一刀両断。どちらにせよ、左足はもう戻るまい。
 
 
感情を喪失した分の「落とし穴」にずっぽりとはまってしまっていた。そこから這い上がることはせず、ただひたすら透徹した目で天上を見続けている。その深みを知ろうと己の身がせり上がるわけでもない。
 
 
左足の次は、右足、その次は右腕、左腕、そして下半身、上半身、残りの首と延髄も。
よこせ、と言われたらどうするのか。そんな問いにはすぐさま答えられる。けれど。
 
 
己の福音は、いま、どこに、あるのか。
 
 
こう問われた時、現状の綾波レイは答えをもたない。そして、事態はそのまま進んでいく。
少女の望みのままに。意思のままに。零号機の許しを得ることもなく。単独で突き進む。
 
 
「零号機の左足をもらった後に、三人の治療にはいるけど・・・それでいいのかい?」
 
火織ナギサが八号機に搭乗する前に最後の確認をとってきた。
 
 
「いいわ」即答。何を今更。そうでなければ動くまいに。
 
 
移譲とそれにともなう融合作業は最高機密としてケージではなく、厳重に警戒シールドされた未使用のドグマ「ドリィトグラァ」で行われることになった。あまりに性急すぎる、せめて「煉獄筺」ボクシングゲヘナの製作者たちの立ち会いを待って、という常識論もチルドレンに却下されて。準備が完了した夕刻に儀式は、開始される。
 
 
このタイミングが使徒がやってくればどうなったか。
この儀式の成り行きに興味をひかれたのか、それとも単に眼中にも入っていないのか。
広域レーダーにもその出現は感知されず、作業は緊急作製されたマニュアルの手順通りに
 
 
はじまる。監督は、赤木リツコ博士であった。
臨時に立ち上げたドリィトグラァのコントロールルームで鋭い目でモニターを見ている。
機密厳守のため人数は必要最小限であるが、綾波レイと何より作戦部長連ボールが来ているのでかなり狭く感じる。それをサポートする最上アオイらオペレータ三人娘もいる。
 
 
広大な闇の空間に立つエヴァ八号機。煉獄筺を装備したその姿、制式エヴァとはあまりに異なる影のフォルムはつくづく異形であり、四号機と同じ三眼が妖しく光ってこれから己が喰らう供物を今か今かと舌なめずりを懸命に隠して待ち受けているようにも見える。
 
 
地の底のさらなる闇の底、虚無に届けられるはずの供物、零号機の左足を。
 
 
四号機とは、やはりまとう気配が、違う。高貴なヴェールをおもわす涼やかな神気のようなものがあったが、そこに感じるのは強烈な念の獣皮か殺意に磨かれた甲鎧のそれ。
決して武骨ではないが、その品格は魔界の公子のようであり、しかも本体機能ではなく付加機能を重視させるその姿その有り様は、どうにも工学系としても生物系としても科学者として本能的に落ち着かない。その能力を知らずとも、おそらく一見してなにか違和感を覚えたに違いない。
 
 
使徒の部分コピーを作製しそれを使役することで、使徒の絶対領域を中和ロスなく突破可能・・・・・であるとするならば、本質的に「ATフィールドの押し相撲」であったエヴァを使用した対使徒戦における戦術がガラリと変わるとまではいかずとも、JTフィールドで反転使用された場合の対策としては機能する、その意味は大きい。
 
 
そして、実証された稼働データ。使徒<サハクィエル>のコピーによってエヴァ機体を日数単位で超高度空域、あえていえば宇宙に、待機、第三新東京市周辺地域監視の任にあたりそれを完遂、”霧”の影響を利用したとはいえ本部の監視網をくぐり抜けてのステルス着陸、使徒<ガギエル>のコピーを使用しての芦ノ湖への長時間潜水・・・・・・その間、電力を初めとしたなんの補給もなく、パイロット一人がこの過酷な時間を行動しきった・・・・・食事や排泄等のことを考慮するにパイロットも超人的ともいえる肉体能力と精神力がなければつとまらないが・・・・・それとも、あらかじめそのように、造られているか、だが。こんな子供を捜してくるには、発見の可能性などそれこそ天文学の数値であろう。
 
 
敵のもっている武器、というものはなんせ有効に決まっている。たとえそれが正体不明の謎の敵であろうとも。武器、つまり相手を傷つけようという代物は、どうあっても己を基準に基本にして考えられ生成されるのだから。自分に効かないようなものをわざわざ相手につきつけるバカはいない。殺虫剤を虫にむけるのとはワケが違う。人間の拳が人間を壊せるように、使徒のコピーは使徒を破壊することができるだろう。発想としては間違いない。堅実でさえある。ただ、実現してしまうとこうも異形に見えるのはどうしてだろう。
 
それはエヴァを見慣れてきたせいか、それとも、あのエヴァにはあの子たちが乗っていたからだろうか。
 
 
なんにせよ、あの煉獄筺・ボクシングゲヘナを誕生させた技術は発想からしてもはや。自分でもうかつに手が出せない領域だ。これから何が起こるのか、監督といいながら無責任このうえないが、予想がつかない。結果が絞りきれない、といったほうがよいか。メジュ・ギペールは当然、アバドンからもデータがもらえない状況でどないせよというところだが。火織ナギサ。あの子次第だろう。その不吉な二つ名を実証してもらうしかない。様子を見守る(といったところで国内にすらいない、ボール状態だが)シオヒトも珍しく歯切れが悪く、これが成功するのか完全な自信がないらしい。バクチはやらない性分なのだろう。稼働自体はあの通り証明されて、九号機の両足を用いて実験も繰り返し行われて筺は製造されたはずで、零号機の左足もすんなり喰われてしまうのだろう。悪徳の香りがする実験が報いをうけていつもしくじるのなら科学はここまで進んでいない。まあ、戦闘経験のない、さらの無垢の九号機の素足と死山血河を渡ってきた零号機の斬足と同じに並べるのはあまりに楽観がすぎるであろうが・・・・・・
 
だが、これで立場が大きく変わる。勢力図が塗り替えられることになるだろう。
過去の栄光にすがることなどできはしない。重要なのは現時点での戦力。それも、使用可能な、十分な信頼性を伴った、戦力だ。
 
 
十分な信頼性と経験をもってはいるが、左足が使えず機動力がなくシンクロ率もギリギリまでに下降している、パイロットともどもいわば満身創痍の零号機
 
 
蓄積された稼働データは天下一品ではあるが、バラバラになったのを再組み立てしたあげくにパイロットも新しくなりしかもそれが訓練も異能ももたないのにシンクロ起動可能な確率の奇跡としかいいようのない二人でも一丁前と認めてよいのか不安な半人前が駆る、奥義の巻物を山と継承したはいいが修行をはじめたばかりの入門したての赤ん坊拳士のような参号機
 
 
そして、敵存在を複製してそれを己の手足として使う、これまでとは全く違うコンセプトをもった秘密兵器的立場の八号機
 
 
おそろしいことに、このネルフ本部に制式タイプのエヴァが一体も配備されず、三体ともどこか信用しきれない、ときている。なんせうち二体は未だ使徒撃破数がないのだ。正確にいえば参号機は裏でさんざん星をあげているようだが、パイロットが変わっているのだから意味がない。これまで戦果をあげていた旧型の正統進化というわけではない、寧ろ変異ともいうべき機能をもつ八号機が実戦でどれだけ使えるのか。シオヒトの計算通りに事が運べばいいのだが。そして、レイの限界。今度は彼女がバラバラに砕けてしまいそうだが、そうなったとしても、参号機のように再組み立てするわけにはいかない。
 
 
「いいのね、レイ」
 
「はい、赤木博士」
 
 
思いをこめても八号機を見つめる科学者のその声はあくまで冷たく、それに答える声もまた。一刻も早く。人間としての存在基幹を揺るがされたあの三人を元に戻さねば。硬質の義務感には情の水分の滲む余地はない。八号機の額の義眼を見ている赤い瞳。スタッフたちもこのふたりのやりとりのあまりのそっけなさに幻滅をおぼえる。まあ、ここでグタグタいうくらいならこうまで迅速に手はずを整えたりするわけがないのだが。
 
 
「作業開始。零号機の左足を降下させて」
 
 
「了解しました」赤木博士の指示のとおりにウインチ機材のレバーが引かれて闇の空間に、吊られた巨大な脚部がゆるゆると降りてくる。
 
 
儀式が、開始される。
 
 
おそらく、これより新が旧を圧倒するようになってくるだろう。八号機が零号機の一部を得て、まごつく参号機の頭を抑えて衰える零号機の方膝を挫き、凌駕していく・・・
決して近づいてはならない怪物に、「なんとかこれでかんべんしてください」と餌をおそるおそる与えているような光景に、オペレータたちは「うげ、これは今晩悪夢見そうだ」と内心思ったが・・・・・
 
 
悪夢、というのなら。こんなものでは、すまないことを彼らはまだ、知らない。
 
 
こんな万能科学の砦で、こんな悪徳の香りのする作業の最中にそんなことが起きるなんて
知らなかった。
 
 
 
ほんとうに、こわいということが、どういうことか
 
 
 

 
 
「すんません」
 
「すまない」
 
 
結局は滝場に戻って、滝切りの修行再開、というところで洞木家からここまでずーっと無言であった(バイクに二人乗りであるから、それもあるが)鈴原トウジと洞木コダマが二人して開口一番、口にしたのがそれだった。言ったあとで互いの言葉に思いも寄らずに目を丸くした。「なんで、おねえはんが」「なぜ君が」そのあとの疑問もほぼ同じタイミング。
 
 
笑いあうような状況ではないから、二人して大きく息をはく。そして深呼吸。
はっきりいって二人して元気の出るような状態でもない。が、のんきに落ち込んでいられる贅沢な時間はない。が、いろいろ話しておくべきことは今の内に話しておいた方がいいだろう、という判断は働くので向かい合って滝の音に邪魔されぬところに座り込む。
 
 
「改めて名乗らせてもらう。ネルフ本部諜報三課課長代理、洞木コダマだ。エコーというのはヒカリにばれることを避けるための一時しのぎの偽名だった。出来れば忘れてくれるとありがたい。・・・それであまり時間もなく状況も状況なので可能な限り、確度の高い情報を君に伝えておこうと思う。何ひとつ知らず分からず判断もできぬ心が乱れたままでは修行の効果もあがらぬだろうからな」
 
「は、はあ・・・よろしくたのんます・・・」
あの委員長洞木ヒカリにこんなゴツイ肩書きのお姉さんがいたなどと、自分たちがエヴァのパイロットなどに選ばれなかったら一週間ほどは驚いたであろう大ネタであっただろうが、てめえの身がこうなってしまえば「そういうことも人生あるだろう」とスルーしてしまえる。女子高生諜報員だろうと一発で信じてしまえる。課題そのものは無茶であったが、そのコーチぶりはまともというか、一目おかざるを得ないところであったから、それが知り合いの肉親でありそれに関しての情も見たあととなれば、信用度もあがるというもの。
いろいろとなし崩しにワケ分からぬ三昧でここまできてしまっていたが、このへんでさすがに知恵をつけてもらってもいいだろう。というか、さすがにこのまま滝切りなんぞに戻れる気分ではない。綾波の奴もホンマ無茶しよるな・・・・・誰か止めい!とは思うが
 
 
 
「まず最初に話すべき事は・・・・・そうだな・・・」
 
 
口を開きかけて洞木コダマは己が意外に情報に通じていることに刹那戸惑い、考え込む。
 
大体、面と向かって話すべき事など的確に要約してしまえばそう大した量にはならない。
べらべらと講談をやったとて、相手に伝わるものではないし、身体を動かす、汗と血を流すに足る重要なことさえ伝わればそれでいい。
 
 
「?」
自分で確度が高い、とか言っているからにはとうに頭の中で言うべき事が整理されているようなタイプだと思っていた目の前の相手が迷っていることに不思議がる鈴原トウジ。己をまだ見定めきっていない、のか。どこまで重要な話をしてもいいのか、はたまたそれを受け止めきれるか、器を見切っていないというのなら・・・・・先に己の覚悟を見せたりするべきなのだろうか・・・・
 
 
「あー・・・・すまない。ここまでくれば私もかなり正直に話すつもりだ。いささか職務を離れてもな。君の見定めを迷っていたわけじゃないんだ。そう、だな・・・・話す順序を違えるとそれ以降の話の受け取る印象がかなり異なるだろうが・・・・・・時間を節約するために、いわゆる・・・”ぶっちゃける”ということをしてみようか」
相手の心理状態を読むのは諜報員としても武術者としても必須のスキルであるから当然、洞木ヒカリもよく用いる。鈴原トウジ、彼の顔にも書いてあったし。
 
 
「ぶ、ぶっちゃけて・・・いただけるんでっか・・・」
覚悟は向こうの方が遙かに早かったようだ。どんな心胆に突き刺さるぶっちゃけがくるのか・・・・堪えられるように腹に力を込める鈴原トウジ。
 
 
「ああ。鈴原君、ファーストチルドレン綾波レイの発案のこの滝切りの特訓なのだが・・・・・・はっきり言って、人間には不可能だ。滝なんか切れるものか。何の意味もない」
 
 
「はあっ!?」
あまりといえばあまりのぶっちゃけぶりに脳のどこかがハジけそうになる鈴原トウジ。
そんなこと言われたらそもそもこの「コーチ」と「特訓者」の関係性そのものがオジャンになり、あんたなんでここにいんの?ということになる。信頼性の崩壊である。
 
 
「・・・・と私は思う。実際のところ、私もエヴァに乗って敵と戦ったわけでもそれ用の訓練を受けたわけではないから断言はできないんだが、おそらく綾波レイも君が滝をそのまま切ってしまうことを期待しているわけではないだろう。本人の口から聞いたわけではないから真意は私にも不明なんだが・・・・・・・真剣なのはいいが愚直にすぎると、とんでもない馬鹿をみることになるだろう」
 
「うおっ・・・・」
相手の目は大真面目であり、揶揄する気配など微塵もない。しかも言うてることが、最初自分をここに連れてきた時の赤目のお付きの男連中とそっくりやんけ。三名以上が市場に虎が出たといえばそれはほんとうになる。腰がぬけそうになる鈴原トウジであった。
 
「非常に口べたな人間が・・・いや芸術的センスをもった、といい変えた方がいいか・・・私もあまり口頭での表現が上手い人間ではないからな・・・・・ともかく、そういった物事を婉曲に、直接的に伝えられないが故に、そういった、受け取る側にかなり理解の労苦を払わせるメッセージを出しているのではないかと思う」
 
「そのまんま、禅問答のような・・・・感じでしょか。けど、・・・・お姉・・いやさコダマはんはワイの目の前で滝を・・・」
 
「あれはそう見えただけ、そう見せる技術の一つを使っただけだ。人間の生理を利用するものだから使徒や怪獣に通用するとは思えない。それを教えてもいいが綾波レイならそんなものには騙されはしないだろう」
 
 
「ではなんで綾波はそないなことを・・・・・・」
 
 
「自ずと悟るようなことを期待していたのか・・・・・・ただ一つ言えるのは、人目から避けるためこんなヒマ潰しをさせるような巫山戯た娘ではないことだな・・・・徹頭徹尾、本気しか詰まっていない。一切の遊びがない。あれはあれで人として危ういが」
 
「・・・・・・」
確かに。それに関しては疑いの余地も異議もなし、の鈴原トウジ。
 
「エヴァ参号機に君が乗り敵を倒して生き延びることを彼女は期待している。・・・・だが、滝を切るように使徒を切ることはおそらく望んではいない・・・といったところか。先にこんなことを話してしまえば、私が君の前にいること自体があやふやにあやしくなってしまうが・・・・・・まだ、話を続けていいかな」
 
 
「たのんます・・・・・・」
自ずと悟るようなことなど特に何もなかったが、ここでヤケを起こして逃げることも出来ない。先に進むには道しるべとなる情報が必要だった。真昼の星ほどにうっすらしたものであろうと。滝切り無用論が綾波レイの口から出たものでないことに反発の感情はない。みぞおちのあたりに、すとん、とくる納得さえある。今ここで必要なのは「それでも滝を切る」という頑迷にして強固な意思なのか、それとも「それなら別の道を綾波の真意を見つけるで」という簡単に諦め早く真実を見抜く眼力なのか。たかが二択に即答できない。
はたまた、猶予を欲する甘さがいかんのか・・・・
 
 
「あとは、そうだな・・・・・本部の現状についても教えておこうか。今の有様に面食らうこともあっただろうが・・・・評価の良し悪しはともかく、内部の体制が大きく入れ替わってしまったからな」
 
・・・そないなことを聞かされてもワイには関係なかろうもん、という顔になってしまったのか反応の早い洞木コダマは「弱者は強者に、強者は組織によって潰される。そして組織は弱者によって食い荒らされる・・・・さて、君はこの三すくみのうちのどこにはいるのかな」いささか意地の悪い問いかけによって少年の目を開かせる。
 
 
「かといってあまり構えることもない。流して聞いてくれていい。だが、知っているのと知らぬのとでは君の今後の動き方に差が出てくるだろうからな。なるべく己の希望に添う動き方がとれることを少なくとも、私は願っている。・・・まあ、認証カードを無効にされたからには実地で見ていくわけにもいかないからな。そんな時間もないが・・・」
 
 
現状のネルフ本部についてざざっと旧体制と比較しながら説明する洞木コダマ。
 
 
「うーむ・・・・独裁体制がどうこういうより、なんかみそ汁と闇鍋の違いみたいですな」
 
鈴原トウジの理解はだいたいこんなもので、本質的に間違っていない。ちょいとおたまで掬ってみて味をみてみればだいたい均一に味が分かるみそ汁と誰も全容を把握していないどこまで煮崩れるのかわかったものではない闇鍋と。組織構成図を二つ並べてあれが違うこれが違うといってみてもあまり意味がない。説明している洞木コダマにも現状のネルフ本部はよく分からない、ということが伝わっていれば。それがどのように危険なのか。
あからさまにあの部署がどうの、と言えない洞木コダマの立場からすると天晴れなカンどころといえた。一番危ないのが自分の所属する諜報部なのであるから、なおさらだ。
大人ってドロドロしてるのー、とか女子高生風にいえたらなー、とさぞ楽だろうなあ、と心の隅で思いつつもそんなことは許されないハードボイルド諜報三課課長代理であった。
 
 
まあ、女子高生風だろうと政治家風だろうとコメディアン風であろうとドロドロしてるものはドロドロしているのだが。それでわけのわからん煮ても焼いても食えそうにない具が浮いていると。底の方に沈んでいるのかもしれないが。
 
 
「・・・それに、なんでシンジと惣流が・・・・いや、シンジの行方はよくわからんちゅうことでそっちがおらんのは・・・・まさか源平時代じゃあるまいし跡取りまで責任とらしたわけやないんで・・・・・ああ、すいまへん。これは綾波に直で聞きますわ。・・・・・それでも、惣流は・・・ワイらを起用するよりはそっちを残しとった方がええんやないですか」
取り替えも補充も容易ではない人造人間エヴァンゲリオン。それをこうもあっさり配置転換してしもうてよいのやら。それとも世界の裏側では続々と新型エヴァが製造されてエヴァ軍団がどこぞの地平を埋めて練兵していたりするのか。戦線が移り変わっているのかもしれない。今頃、惣流アスカは使徒の返り血に塗れながら孤軍奮闘しているのかもしれない。
こんなことを問うても、答えはかえってこないだろう。
 
 
「私もそう思うが、いろいろあるのだろう。事実、八号機が本部入りしたようでもあるし・・・・エヴァは貴重だからな。独占するといろいろ厄介なのだろう」
その八号機のパイロットが火織ナギサであることを知っている身としては歯軋りしたくなるが我慢の洞木コダマ。妹たちが復調した連絡はなく、本部ではなにやらエヴァ関連の怪しげな作業にとりかかっているとか。極秘らしく情報がそれ以上漏れてこないのでさらに腹が立つ。・・・・・・自分がもし、エヴァに、参号機に乗れたら、どうしていただろうか・・・・ふと、そんな意味もない妄想がよぎる。
 
 
鈴原トウジも考える。
 
 
大雨がふって泥沼状態であるのは分かった。そこに直立して「滝を切れ」、と。
どうも、かなり焦ってなんらかの答えを出さねばならないのは分かるが、その謎かけ。
 
馬鹿正直に奥義を究めるがごとく、滝切りに血を燃やし精を出すことが正解なのか
それとも、それにかけられた謎を見抜き、解き明かし真の答えをだすことこそが
己に課せられた任務なのか・・・・・・・うーむ・・・・・・・・コーチ役がこの期に及んで「それは意味がないこと」などと言い出したのはこちらの心を挫くためのひっかけなのではなかろうか・・・そうなれば悩む時間は到達時間を削るだけのただの無駄になる。
 
 
うーむ・・・・・・・・・・・・・・
 
 
「よっしゃ!」
両膝に掌底いれて気合い込めてたちあがる鈴原トウジ。
 
 
「・・・・・おい」まだ話はあり、しかもこれはほんとにしてしまっていいのかほんとに悩む話なのだが・・・・・黒羅羅・明暗・・・・あの猫から聞いたことを話してしまうべきか・・・・いやーしかしなー、さすがにこれは信用されるかどうか・・・迷いがある分、洞木コダマの呼びかけは鈴原トウジを止め損ねた。すたすたと滝のほうまで行ってしまう鈴原トウジ。そして
 
 
バッとジャージの上半身を脱ぎ腰に巻いて・・・・・そのまま
仁王立ちで滝に打たれ始める。とくに唱える真言などはない。
 
 
「おー・・・・・・まあ、いいか・・・」その行動が彼の中から生まれたものであるなら一見する価値はあるだろう。どうせ、答えなどこれからつくりあげていくしかないのだ。滝に打たれることと滝を切ることは正反対の行為であるが、そこから何か閃くこと悟ることもあるだろう・・・どうせ現段階でいくら筋力トレーニングをしようと滝など切れない。というか、コーチ役である以上、その謎は実際、自分が解かねばならぬのだろうから。エヴァを動かすことかなわぬ自分に任せた点を考えるに、使徒と戦って勝つに必須といいながら、エヴァを動かす能力とこれとは関係がないのだろう。・・・・まさか
 
 
特撮ドラマと現実の区別がついてないからこんなこと言ってるんじゃなかろうし
 
 
このあまりに一方的で無茶な信用に応えねばならぬのか・・・・・・うう、頭痛が・・・昨夜の大雪山落としのダメージが残っていたのか・・・・それとも単に
 
 
「滝を切る、か・・・・・・・・」
もう一度考えてみねばなるまい。妹たちのことを任せるからにはこちらもそれに応じねばなるまい。だが、諜報部とはいえ武闘派である自分の頭からこれ以上それらしいことが閃くには相当な年月が必要になりそうだ。とっくに引退して老婆になって(それまで生きれる保証もないが)蝉の抜け殻でも見ながらその意味を悟ったとしても遅すぎる。
ヒントが、必要だ。それも経験に基づいたものが。答えそのものが手に入っても全く構わない。根性のないことだが、それはかりそめの指導者に求められるものではなかろう。
 
 
「鈴原君、私は少し出てくる」呼びかけるが返答はない。滝の中であるから聞こえないのだろう。また、せっかくの滝行でその程度の精神集中では困るが。基地局に連絡を入れて交代を頼み伽藍号で滝場から市街に戻る洞木コダマ。
 
 
「・・・・・・・・・」
 
 
滝の中からでも、なんとなく洞木コダマの気配が消えたことが分かる鈴原トウジ。うるさい人間が静かになったから知れるのとは違う。よそものを追い出そうとする山林の敵意を遮断していた壁がなくなった、というのか。あのひと一人いることで人間の領域にしていた滝場が再びそうではなくなってきている・・・・・・音によるものではないざわめき、雑多な感触・・・・存在する力のバランスとでもいうのか・・・・こうしてみると、あのお姉さんの実力というか力のほどがよくわかる。どこで分かるのかは自分でもいまいち不明だが。さて、どうするか・・・・やはり年中夏でもしっかり冷たい水を絶え間なくぶっかぶることで頭はキーンと冴え冷めているはず。考えることに不必要な雑念は洗い流されている。さあ、考えるんや。綾波を納得させる「滝の切り方」を・・・・・・・
 
 
滝・・・
 
 
滝・・・・・
 
 
滝・・・・・・・・
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冷えるのう・・・・・ぶるる・・・
 
 
しかし、なんも思い浮かんでおらんのにやめるのも・・・・・・・・ううっ、冷えるの通り越して寒うなってきた・・・・いやいや、そないな弱音を吐いとる場合やない。ここはビキーンとかぴかーん!とか天啓が閃くまで滝に打たれ続けるところや。おりゃ脳みそこりゃ!!早うナイスなアイデアを考えんといつまでも血管縮んだままやで。位置的に一番冷えるのはオノレやからして・・・・いや待てよ、頭皮にビチビチくるこのショックは普段そんなことやらんから経験しとらん気持ちイイマッサージ効果して受け取られてかえって頭は快楽をむさぼって働いておらんのと違うか!?その証拠にこんな余計なことを考えてしまってエヴァやら参号機やらネルフや使徒のことなんぞまったく思い至っとらんやんけ!!
 
 
・・・・・・・・
 
 
離れた位置で三課の監視はついているものの、洞木コダマが目の前にいないことは鈴原トウジにとって、男のプライドにとって救いであった。まあ、頃合いをみて健康を害しそうなら洞木コダマがうまいこと理由をつけて引き出していただろうが・・・・・
 
 
ぴた・・・・・ぴた・・・・・ぴた・・・・・・・
 
 
水したたらせて滝から抜け出しちょっと休憩することにした鈴原トウジ。唇は紫でどっぷりと水を吸ったジャージのズボンが重みのせいでズリ落ちそうになっている。肉体的にも精神的にもとくに変わりはなく、ただ水気が増した、お肌がジューシーになったぐらいなものか。誰も喜ぶものはいないが。
 
 
「生理的休憩や・・・・・・神聖なる修行場を汚すわけにもいかんからな・・・・」
 
言いつつもしばらくは筋肉の振動によって熱を発生させる鈴原トウジ。早い話がカタカタと震えていた。当然、その間、頭は働いていない。ひたすら思うことは「ああ寒」くらいなものであり、自然と言えば自然と一体化していた。ここでコダマはんが戻ってきたらかっちょ悪いなーなどという余計なことも考えない。しばらく滝も見たくないので背を向けて陽光にあったまった岩に座り込んでその熱を吸収しつつゲージをチャージしつつ・・・・ただのひなたぼっこともいえる・・・・ぽた、ぽた、と己の髪の先から垂れて足先の岩に吸われるかそのまえに蒸発する・・・・水滴たちをぽかーんと見ていた。
 
 
ぼけーっ・・・・・・・・・・
 
 
平和な光景であった。それから、なにか思いついたと思えば、宣言したとおりに修行場を汚さぬように用を足すことであった。用を足しながら思うのは、こないだの参号機の運搬作業のことだった。しくじったと言えばしくじったのであろうが、自分とエヴァ参号機は確かに駆けてみせた。山野を越えて疾風の如く。なぜ、ああいうことができたのか。もともと参号機はそのような機体であったからこそ、綾波はあんな計画をたてたのだろう。
 
しかし、帰路での使徒の襲撃。
 
あの時、自分はATフィールドを発生させることができなかった。心構えができていなかったせいもあるが、エヴァとATフィールドは不可分、絶対領域とされるそれがあるからこそ使徒と戦うことが出来、それゆえの決戦兵器である。エヴァ参号機にその機能、その力がないはずがなく、ATフィールドが張れなかったのは己の力量であろう。
 
エヴァが強い力をもっているから使徒と戦うのではなく、ATフィールドを発生させることができる、使徒と同じリングで戦うことができるのがエヴァであるから、エヴァは戦う・・・・・・速く走れるから戦うわけでもない。この単純な道理。
 
 
「だがのう・・・・・・・・・・」
 
 
もし、ATフィールド、その無敵バリヤーのようなものを自分が発生できたとしても・・・・・・まー、たぶんしょぼしょぼというか、つぶつぶというか、・・・渚や惣流、綾波、いかにもな凄い選ばれた才能をもってますよという感じの奴ら、またはシンジのようなたこにも墨に隠れて実体がよくわからん怪物くんみたいなやつ・・・そういった連中に比べると・・・人間的にどうこう、というのは別にして、特異な才能分野でいえばどうしても劣るのは絶対的事実。おまけにこちらは新人ときている。ドーピング&トレーニング&スタートライン&・・・・まあ、挙げればキリがない。連中も伊達に大人を退けて「パイロット」を名乗っていたわけでもあるまいし。
 
 
その特異領域での力量の差は、それこそ・・・・・このぽたぽた垂れる水滴とざーざー落ちる滝ほどに違う・・・・いわゆる桁外れ、いや横幅はいいとして滝なんてものに縦の長さなんてものはないから・・・・・比べることにそもそも意味がないんか・・・・水滴一粒と流れ続ける滝と。・・・・・・待てよ?・・・・・・だから、それを「切れ」と?
 
 
綾波は、断ち切れと
 
 
たかが水滴とはいえ、滝からうまれたものに違いない。滝の中に確かに存在していた。
間違いなく疑う余地なく、そこに・・・・・・あった。だからこそ・・・・・
点ほどの、粒ほどの、ミニマムサイズの特異才能分であろうとも・・・・・
 
 
ふりかえって滝を見る鈴原トウジ。自分が見てようがその中で寒い思いをしてようが、全くおかまいなしに、落ち流れ動き続けていた一連の水の流れ、止まることなく休むことなく、止まってしまえばそれを滝とは言うまい。もともと水量の違う連中のことは考えまい。それなら綾波はべつのたとえを持ち出してきただろう。
 
 
滝の中の水滴のイメージ。それを見る。見ようとすれば不思議に呼吸が整ってくる。
滝の中の水滴、それはあるといえばあるし、ないといえば、ない。
ただ、漠然とした頭の中に一つの思考ラインが形作られる。
水滴が滝のように働かねばならないとすれば・・・・・・どうする?どうすればいい?
 
 
どうする?答えはただ一つ。イメージはもう出来上がっている。
あとは、それを己一つのものにせず、他人に焼き付けるほどに明確に脳裏に刻み鍛錬していく。点で面をつくるには・・・・点の行き来で線をつくり、線を並べて面をつくる。
遡上する、重力に逆らう、ちっこいが強く負けず逆らい続ける一つの点。
鯉の滝のぼり鮭の里帰りとかいう話があるが、そんなん鯉も鮭も立派なモンで、こっちの泳力なんぞハナから場違いのメダカくらいかもしれんが・・・・
 
ちっさな才能でも高速で使い回すことができれば・・・・・・膨大な埋蔵量を誇る連中の、まねごとぐらいは出来るか・・・・才能の垂れ流しなんぞできる贅沢な身分やない、セコセコと何度も使いまわす・・・・・・ATフィールド、無敵バリヤーの発動にどれくらいの特異才能コストがかかるんかしらんが、始末倹約してどうにかならん額でもなかろう・・・・たぶん。とりあえず、実際に動かし走らすことはできるのであるからして。
 
 
特異な才能をコントロールして高速で使い回す・・・・・・・
 
 
そっちの方がよほど難しいかもしれないが、鈴原トウジは結論を出した。
 
 
強大な特異能力によって最初は調子こいてても、仕舞いにはそれを制御できなくなって自滅したりするのは世の習い。悪役ボスはそれで滅んで、正義の味方も命まではなくならんがそれで降板リタイヤしたりするのも世の常である。
 
 
ちょっぴいぶんだけ、コントロールもその分容易い・・・・(危険性も少ない)と鈴原トウジが考えたのも理に適っており、よくもまあ非力に落ち込みもせずそんな発想ができたもんだと周囲の者たちを唖然とさせるのだが。なんにせよ、彼の身体は彼の味方であり、この間体験した、エヴァ、なる人間に似て非なる人造人間との神経シンクロに対する対応策を開発していた真っ最中でのこの新規アイデアも「じゃー、そうすっかー」さっそく採用して生命の安全のためにニューロンとグリアあたりをウネウネと展開させた。
もともと今まで思いも寄らなかったアイデア、というやつは脳みその大好物であるのだから。もちろん、てめえの頭の中でそんな咀嚼劇が行われているなどと鈴原トウジは思いも寄らない。
 
とりあえずは用を完全に済ませてしまうことを、彼の日常意識は考えていたりするわけであった。ニュートンはリンゴが木から落ちたところで万有引力を感じたという伝説があるが・・・・とりあえず、鈴原トウジも感じてはいた。「はぁ・・・・・かなりたまっとたなー・・・・・・」これもまた滝に打たれた成果であった。
 
 

 
 
これは避けたかったが・・・・・・ほんとうに避けたかったが・・・・この手段だけは使いたくなかったが・・・・・・やもうえない。洞木コダマが愛車伽藍号で向かった先は小学校。そこで現在授業中であるはずの末妹、ノゾミの力を借りに行くために。
正確には・・・・・その、動物と話せる、と自称する、その翻訳度が馬鹿にならぬので認めないわけにもいかない、小学生までならなんとか夢がある、ですまされるかもしれない、その能力を頼るために。
 
 
通訳として・・・・あの猫・・・・黒羅羅・明暗と名乗る猫から・・・・・情報を引き出す・・・知恵を借りるために・・・・・・「滝を切る」・・・・その意味効用、どうすれば綾波レイが納得するのかそのヒントを。ヘタな考え休むに似たり。滝場で頭をひねっていても時間の無駄だと判断して行動に出た洞木コダマ。問題は二つある。末妹を巻き込むことと・・・あの猫の居場所である。どちらも難問であったが他の手を借りるわけにもいかぬし、片方の問題はあっさりと片付いた。
 
 
 
あーん・・・・・・
 
 
到着した末妹のいる小学校の校門にいたのである。あの猫が。自分を待っていたような目で見下ろして一声、鳴いて。おまけに早退の準備をきっちりしている末妹までそこにいた。
 
 
「なんで・・」
いろいろとノゾミを連れ出す言い訳を考えてその準備を整えたのがムダになった。
山彦あたりの仕業だとしたら・・・・一瞬、考えてそれはない、と断じる。
妹の顔を見れば、確かに自分を待っていたことくらいはわかる。それに猫だ。
 
 
「遅かったな、って黒羅くんがいってるよ」
 
「あなたが・・・・・・」
ここに自分が来ることを知っていた・・・そして、人間と猫、この立場で互いに会話しようと思ったら当然のことながら仲介する通訳が必要なわけで・・・・そのお膳立ては確かに的を射ているが・・・・「姉貴の迎えがきたから・・・・・って、ダメだよ、黒羅くん、おねえちゃんだよ、コダマおねえちゃんっていわないとダメなんだよ。・・・・あ、それはともかく、ここで長く話しているのはおかしいから、行こうって」「あ・・・そうだね」
 
 
諜報三課課長代理が猫と小学生に機先を制された。悔しくないが納得しかねる洞木コダマ。
 
こっちはノゾミの通訳なければ猫と話せないが、ノゾミと猫は話し放題なのだ。割合に配慮する奴だと思っていたが、この分だとどこまで話したのか・・・・・・ヒカリが容体も不明なコトになっているのにそんなことを気にする段ではないかもしれないが・・・・
 
 
「わたし、風邪ひいちゃった」ノゾミがそんなことを言う。猫の言葉ではあるまい。
 
ああ、そういう名目で学校を早引けすることにしたのか・・・・用のできた自分の接近を猫が感知して先回りのお膳立て、と。さて、このふたり(で、いいだろう。こっちはこれから知恵を借りる立場なのだ)は休み時間にでもしゃべっていたりするのか・・・さすがにクラスメイトの前で堂々はまずいだろう・・・早熟で口の達者なのもいるだろうし、そんな心配をよそに、続く末妹の言葉は洞木コダマを固まらせる。
 
 
「ヒカリおねえちゃんも・・・・・・病気になったんだって。眠ったままでそのまま目がずっと覚めない病気」
 
家が動物病院なだけに生死の区別がつかない子ではない。そのような誤魔化しは通じない。
そのノゾミがこういうからには、・・・・・・正確なところを、知っている・・・・・・
 
 
「なんでそんなこと・・・・」
 
「黒羅くんがおしえてくれたから。でも、もうすぐ治るって。だよね、黒羅くん?」
 
 
あーん、と猫が鳴いた。何も知らない子供によくもそんなことを・・・・鋭い視線を向けられてもまったくおかまいなし。この目で見られると土佐犬でも逃げ出すというのに。
それにしても聞き捨てならない。「もうすぐ治る」などと・・・・それは綾波レイがやはり・・・・
 
 
「俺のスキンブルシャンクスもまっさおの祈祷が功を奏した・・・お祈りしたから治ったってことだよね?ありがとう、黒羅くん!」
 
嘘つけ
 
末妹の純情を壊さぬように腹の底で抗議する洞木コダマ。しかし、ノゾミがいうにはどうぶつはうそをつかない、ということらしいので相手がそう言えば信じて感謝するのも無理はない。無理はない、が・・・・・・やはりこの手段は用いるべきではなかったか・・・
自分の中のハードボイル度がギュンギュン低下するのをつくづく自覚する洞木コダマ。
 
だが、それはいいとして、ヒカリを心配していてもたってもいられないから早退、というシナリオではないようだが・・・・・
 
 
「だから、おんがえしするためにわたしも黒羅くんに何かしてあげられることない?って聞いたら、これからコダマおねえちゃんが黒羅くんと話がしたくて特急でくるから、わたしに通訳してほしいっていうから・・・・これは、しょうがないよね?」
ノゾミ自身は早退するため風邪ひいたという嘘、というか方便を用いているわけだ。
長姉として認めてしまってよいものか・・・・しかし、自分も身体弱くて授業中、というはずなのにここまでバイクで来ているのだから、これはもう、人生を左右するものすごい重要用件なの!としか言いようがない。
 
 
「そ、そうね・・・・・」
猫と妹に押しまくられてまんがな!・・・・・っっと、いかんいかん、鈴原君の近くにいたせいかすこし関西がうつってしまったようだ。まあ、ここはのせられておこう・・・・時間の節約はなにより有り難い・・・・「じゃあ、家に・・・・」あまり人目についても人に聞かれても困る話しと風景だ。それが一番良かろうとヘルメットをノゾミに渡したところ
 
 
「滝に行け・・・・って黒羅くんが言ってる・・・・・滝・・・ってあの水がじゃーじゃー落ちる滝のこと?猫は水がきらいなんじゃないの・・・修行のアドバイスもしてやる・・・・とか大サービス?二度目はない?・・・・ちょっかいかける奴もいるかもしれない?・・・うーん・・・分かる?コダマおねえちゃん」
 
「滝はない・・・わよ。そんなところにいかなくても、お家で十分お話できるじゃないの、猫さん」
 
直接言えるならもう少しハードでソリッドな感じの口調になるが、面と向かうのは通訳の末妹なのであるからやわらかにならざえるをえない。猫、さん、だのワン、ちゃん、だの・・・銀紙を噛んでしまったより唇がギリギリする。だが、鈴原トウジをどこぞの組織が狙ったとしたら・・・・自分を欠いた三課でいけるか・・・山の学校気分の学生課員も入れて・・・・使徒撃破はなくともエヴァを駆けさせた鈴原トウジを守りきれるか・・・修行に専念させるために距離をおいた護衛が裏目に出る可能性もある・・・・・
 
逆に言えばそんなところにノゾミを連れて行けるわけもない。自分の正体がばれるし。
しかし、この猫・・・黒羅羅・明暗を名乗っているこの猫、確かに伊達ではない。こっちの事情を承知の上で動いているしモノも言う。・・・・ただ、ノゾミという通訳が必要だが。
 
「現場で言わなけりゃ伝わらない言葉もある・・・・・・だって。なんかいいことっぽいこと言うよね黒羅くん。しんぱいするな、ノゾミは俺が・・・・・うわー・・・守ってやる!だって!・・・・・でも、何から守ってくれるの?水跳ねから?黒羅くんが濡れるよ」
 
「く・・・・・・」
出来れば、この身一つの問題であれば、早々に諦めて滝場に戻って座禅でも組んでいる。師匠兄妹は「おおとりゲンだ、レオか、あれは。懐かしい」とか言ってあてにならんし。
実際てめえらが”出来る”もんだから意味論など真面目に取り合う気がないのだろう。
 
 
だが、この猫のアドバイスを得る得ないが鈴原トウジの死命を分けるかも知れない・・・・そうなれば・・・・
 

 
 
ぴた
 
 
ゆるゆると一定のペースで下がっていた供物の載せられたカゴが、ふいに停止した。
 
まだ八号機の手を伸ばしても届かないほどの中空。なんとなくバナナを吊り下げたおさるさんの知能テストのような絵面になってしまった。カゴは当然、最後まで床面に到着するまで下ろされることになっていた。
 
 
「どうしたのかな?まさか、急に気が変わったとでも・・・・・・」
 
 
八号機の火織ナギサの声はコントロールルームの綾波レイに向けられている。おあづけをくらったカタチであるが、焦りはない。あるのは含み笑い。あるのは軽い揶揄。ここまできて「やっぱイヤ」などと騒ぎ出すのは、それもあの、ファーストチルドレン綾波レイが、ともなれば滑稽であった。今まで耐えに耐えてきたが、とうとう堪えられなくなったのか。
 
 
しかし、据え膳喰わぬはなんとやら。ここまでくれば、いただくほかないけれど・・・・
 
 
停止した理由が単に機材の故障であったとしたら、あまり言うのもこちらの恥となる。
 
 
だが、愛機の片足が永遠に無くなることに黙っていられるパイロットがいるのか・・・
 
零号機の一部を得ればどれほど八号機の戦闘力が跳ね上がるか・・・・・ピアノ、渚カヲルが殲滅した分の使徒データはあのサハクィエルのように高い複製率、実物と遜色ない能力を発揮できるが、その他のチルドレンが殲滅した分の血肉の通っていないデータではあくまで外面を真似た、不出来な出来損ないしか造れない。あのレベルの複製率で造ったガギエルではせいぜい湖程度、深海などとても・・・バッテリーの代わりにしかならない。複製容量の限界枠が増大するのは確かに歓迎すべきことだけれど、なにより大事なのは高い複製率。使徒の返り血を多量に浴びてきた零号機の肉体ならば申し分ない。片足のみならず全てを明け渡して引退してもらってもいいのだけれどね。まあ、そうもいかないか・・・・。
 
 
ぴくり
 
 
ともしない。零号機の足は停止したところから降りてこようとしない。監督役の赤木博士からもなんの説明もない。事故なのか故意なのか・・・モニターの向こうに見える関係者は綾波レイを除いて全員、何やら苦しげな・・それも痛みではなく、不快、悪臭に堪えているような顔をしているが・・・どうしたというのか。苛立ったりはしないけれど、あまり楽しい眺めではない。「Y、どうなっているの。作業はここで中断なのかい」直通回線でシオヒト・Y・セイバールーツを呼び説明を求める火織ナギサ。
 
 
まさか本当に心変わりした綾波レイがその能力でコントロールルームを制圧して・・・という筋書きも考えられないわけでもない。が、それにしても実体は遠隔地にいるシオヒトから指示がないというのはおかしい。目的の物体を目の前にしてムダな余裕を味わう愚か者ではないはずだが。煉獄筺ボクシングゲヘナに取り込んでしまえば、もう・・・・・取り返しはつかない。
この絶好の機会を逃す手はない。零号機も参号機もこの筺の内に・・・・最終的にいずれそうなるとはいえ・・・可能な限り早い方がいい。いっそ、自分で手を伸ばして
 
 
掴み取ってしまおうか、というところで
 
 
「中止だ、ナギサ」
 
 
シオヒトから思いも寄らぬ返答が。「どういう・・・・・こと」すぐ目の前にあるというのに。あれは自分の供物。何者が中止を命じられるか・・・・やはり、変心した綾波レイかそうなのか。そうくるのならこちらも・・・・・あの三人のことなど・・・・いやさ、これは明らかな違約であり、私情よりさらに小さな個情によって、組織を愚弄するなら
 
零号機などこの場で四肢バラバラに・・・・・・
 
 
「司令の命令だ。従うほかない・・・・・ケージに八号機を戻してお前は・・・」
 
「な・・・・・・」
その権限を持つ者は確かにそれしかいないが、あまりと言えばあまりに意外なその名に虚をつかれる。なんでこんなことに口を出してくるのか・・・・・しかもこのタイミングで。
零号機のパーツに呪術的な意味を見いだしているのなら初めから禁じているはず。そもそもあの蠅司令はネルフそのものに興味がない、ただ槍、かつて槍であったもの、それだけにしか動かないものだと思っていたが。ただ、下界の現状に全く興味のない古代の神官めいたその振る舞い、部長連のひとり孫毛明をあっさり首にしたあたり、己の勅令に従わなかった者にどうあたるか・・・・・・パイロット、チルドレンなどおかまいなしに首を斬って平然としているような不気味さがある・・・・コントロールルームの赤木博士らの何とも言えぬ表情はこのせいか・・・彼女らにしてもこの突然の強制介入は理解不能だったに違いない。蠅の羽音とともに伝えてきたのだろう・・・・・「作業を中止せよ」と。
命じるだけ命じて驚いた下々の意見など出てくる前に去っていったに違いない。
 
 
ずずずず・・・・・・
 
 
ウインチが巻き上げられて遠くなる、零号機の左足、供物が載せられたカゴのように。
 
 
「・・・ここでいいよ。八号機には修理も整備も必要が無いのだから・・・・・誰にも触ってもらいたくない・・・Y、それでいいかい・・・」
これ以上のコケにされ方もない・・・・気紛れで動くような蠅ではないむしろ突発的な事態を嫌悪する己の規定にこそ固執するタイプ・・・、誰かその蠅司令を動かした者がいる
「八号機を調律できる者など確かにそこにはいないが・・・・ナギサ」
 
 
「しばらく、一人にしてほしいんです。煉獄筺を・・・・少し、落ち着かせる時間を頂けますか」
ネルフ外のテクノロジーである煉獄筺の制御を持ち出されると赤木博士たちも嫌とは言えない。
 
「ええ、こんなことになってしまって・・・・・監督役としては残念だけど・・・・サポートは必要かしら・・・火織君」
「いえ、あくまで僕の精神と八号機のことですから、外部のサポートは必要としません。自然解凍を待つような状態で時間が要り用なだけです。ありがとうございます、この作業も急な話でしたしこれ以上、皆さんのお世話になるわけにもいきませんしね・・」
穏やかに応対しながらも腹の底では思考をすすめる。
 
 
それが可能な人間は・・・・・あの蠅司令と本部の人間とはほとんど接触がない・・・・取引をしようにも、そもそもネルフに関係していたくもないらしいあの蠅が好む代償など・・・・・・だが、やれるとしたら・・・・・副司令冬月コウゾウ・・・・綾波レイ・・・しかし、この二者であるならこの状況になる前に手を打つだろう。こんなのはあまりに不様すぎる。なりふり構わぬという感じだが・・・・・子供のような強引さ・・・・それに綾波レイならば二重取引になるし、三人の治療という目的も果たせぬままだ。ひとたび決断したことを投げ出すほど愛機に執着があったということか・・・・いや、やはり冬月副司令・・・こちらとしては予定せぬ幸運が転がり込んだだけで、それを逃したところでさほどの影響はない。取り込む順序が代わっただけで、パイロットの片割れが停滞存在となった参号機はもう使えない。使えないものを煉獄筺に取り込み戦力とするのは正統。
容量を考えれば、零号機の片足一本よりも参号機まるまるのほうがいい。
 
だが、あの蠅司令がこの作業を停止させるメリットがどうしても思いつかない・・・・・
 
 
思考をすすめるうちに腹立ちも収まっていくが・・・・・消化しきれぬ謎は残る。
 
どこの誰がこんな横車を押してきたのか・・・・・正面切って綾波レイに問いただせればいいが、こんなところではそうもいくまい。すでにコントロールルームには彼女の姿はなく、スタッフたちの撤収よりもよっぽど速く去っていってしまっている。
 
 
「一体、どういうつもりなのかな・・・・・・」
 
 
ただでさえ腐食しグタグタになっているこのネルフという組織、その中で黙って支え続けている柱がこういういい加減なことをやらかすようでは・・・・・この次襲来するのが最下級の使徒であっても対抗できまい。まあ、その弱使徒に敗北し解体されてしまえばこちらの手間が省けるというものだが・・・・
 
 
ふと、こちらを見下ろす赤木博士と目があった。正確には、作業の手を止めて八号機を見下ろしている彼女の姿を八号機の義眼が映してこちらの視神経に情報をよこしてきた、という案配だが。「・・・・!」さすがにそれが分かるのか、赤木博士はあわてて目をそらした。こちらの精神集中を乱してしまった、と思ったのか。やはり煉獄筺に興味があるのだろうね、エヴァに長年関わってきた科学者としては。
 
 
「・・・・・・・・」
それでいて、その目は、魂の在処をさがすような、非科学者的ではあったけれど。
 
 
まあ、綾波レイ、彼女にのちほど問いただすとしよう・・・・スジからいえば監督であった赤木博士、煉獄筺開封の精神的体力的負荷をタネに彼女を問いつめるべきではあるが・・・・それを考えると、綾波レイの手下にあやうく溺死させられたことが思い浮かんで・・・・
 
 
「乱れているね・・・・・・いろいろと」
 
ため息をつく火織ナギサであった。
 
 

 
 
「いやにカエルが多い通路だな・・・・・いや、なんでこんなところに」
「幻です。そう見えるだけですよ・・・・ほら若様、しっかりしてください。催眠解錠!」
「あそこで蛇に丸呑みさせて下半身バタバタさせてるのもそうか?」
「そうです・・・ってキリがないですからもう解除しませんよ。無視してください助けてるヒマなんかないですから・・・・あ、ツムリさん、左前方の法印壊してください、あれは機械仕掛けのほんとものです。ひっかかると厄介ですから・・・治療のメンツがいないですし。いくら工鉄さんがいるとはいえ・・・あの・・・レイ様、もう少しゆっくり行くわけには・・・・いきませんよね?」
「凸ぶふー凸」
 
 
ロンギヌシュ封印区画に全速で向かう綾波レイ、とそれに付き従う綾波者。
 
 
あの槍の保管のこと以外こちらにいかなる興味も向けないはずの新司令、ル・ベルゼ・バビデブゥルが作業中のコントロールルーム全モニタにいきなり緊急の司令権限で割り込んできたのは多少驚いたが、それが「作業中止」命令であるのはさすがに目をむいた。
眉をひそめる程度ではすまない。むちゃくちゃに怪しい。理由の説明などなく「とにかく中止せよ」で、いつものとおりに蠅の羽音が混じった聞き取りにくい音声であったが、どうも普段とは違う色の混じった・・・わずかに、慌てていたような・・・「直ちに、この瞬間に止めよ・・・従わねば・・」など脅し文句まで混じるのはあの蠅司令らしくない。積極的に介入認可などせぬ代わりいったん見過ごしたなら、あとは勝手にせよこっちは知らん、というのが基本スタンスでありおそらく自他共に認めるお飾りの神聖倉庫番であるあの蠅(チョール)が。
 
 
蠅とはいえ司令は司令である。それがここまでやるからにはここが本部施設内である以上、従わねばならぬ。たとえそれが綾波レイでろうとも。誰一人納得してはいなくとも。
その作業の危険性に気付いた蠅司令が、子供たちの身を案じて、中止にさせた、などということは誰一人考えていなかった。てめえの一身上の都合であるのは間違いないだろうが、具体的にどうなのか、よくわからぬ。もともとこの作業に渋々の赤木博士でさえもそれは。
困惑するほかない。
 
 
だが中止は中止であり、理由の説明もないとなると、それは単なる延期ではなく、禁止という意味であるのかもしれない。とにかくやるな小娘小童ども、と。理不尽に。
直訴や反論など受ける前に蠅は早々に消えてしまった。どうせ当人は遙か異国にいるわけでその言に従わず無視して強行してしまう手も、ないではない。綾波レイは少し、それも考えたが、結局こうしてドリィトグラァを去り、例の封印区画に向かった。
 
 
いまやなんの神威も魔力もない、ただの抜け殻、使徒に抗す使徒殺しの槍などととんでもない枯れ枝。本部に残された・・・・・・初号機。その左腕であったもの。
すがることなどできるはずもないほど、みみっちくせせこましい、最後の、絆。
 
 
そこに駆け向かったのは、カン、だとしかいいようがない。
 
蠅司令がそこまでやるのは、そこに、それに、なにか異変がおきたせいだと。
推理ではない、唐突に閃いた、女のカン。そこになにかがある、と。
 
 
「誰か」が、やってきている・・・・・・・・
 
 
あの蠅司令にそんなことを、やらせた「何者か」が、そこにいる・・・・
 
 
そんな、カンがひたすら駆けさせる。行く手を阻む小癪な仕掛けはもう遠慮容赦なくツムリ、虎兵太、工鉄らに破壊させ鍵奈に解除させる。後のことは考えずに力まかせなのでなかなかいいペースだが、ル氏の術士や衛士たちがまるで出てこないのは自信の現れかそれとも・・・それどころではない何かが奥の方で起きているのか・・・・・ここまでやられて黙っているほど大人しい連中であるなら・・・・・・
 
 
JHS
 
 
と、でかく刻まれた錆びついた青銅門でその足が止められた。ツムリの槍や虎兵太の斧、工鉄の張り手の一撃で十分どころかお釣りがくるくらいにたやすく破壊されそうなものであったが閉ざされた門の表面に「いかなる手段にても通ろうとすればこの門より400ケペルケペルに存在する 月 日に生まれし者全て心臓麻痺を起こして死亡する」などと刻まれており、月 日 の部分だけ数字の入る部分がカウンタになっており、その気になればクルクル手でまわせるようになっている。
 
 
現在の設定は・・・・12月25日 になっている。
 
 
「ずいぶんと・・・イヤミな足止め・・・・ですね・・・・」鍵奈が呟く。この扉の年季具合、漲る不気味な魔力具合を考えるに・・・おそらくモノホン。わざわざ本拠地から運んできたに違いない。その400ケペルケペルという単位がどれほどのものか知らないが、あるいは範囲と形状両方を指定する古の神殿単位かもしれない・・・おそらく門の向こうの少数が攻め寄せる絶対多数を相手にするのに具合のよいようになっているに違いあるまい。暦カウンタの部分だけはしっかり現代部品に付け替えてあるあたり、このル氏とやらの抜け目無さが知れる。単なる脅しにしてはあまりに条件が緩すぎるし。他の奴らのことなんかしらんもんね、と門の前にいる者たちの誕生日だけを除外して適当な日時をセットしてもいい、というのなら。侵入者を阻むという目的を果たせない。
 
 
ただ通るだけならば、どうということもない。今まで突破してきたように、面倒そうな謎々のあるパズルやトラップなども解かずに腕力でゴリッとやってきた、そのようにすればよい。
後継者はどうも急いでいるようであるし。ツムリと工鉄が自分たちの主を見る。
 
 
「鍵奈、解除できるだろう、お前なら」
その二名の先走りを抑えるようにして虎兵太が言うが、実は虎の若大将も分かってはいる。
まともにこの手の妨害に相手をしていれば膨大な時間がかかることを。敵陣のまっただ中の進軍停止の危険性を。そして、ハッタリにしては門から放射される妖気はただごとではない。たとえ同じ施設内であろうとも、門の向こうとこちら側とでは、敵と味方、侵入者と撃退者に区分けされることを。
 
 
「できますが・・・私では時間が、かなり。専門の銀橋様なら・・・」
 
機械的にならばどのように複雑な鍵だろうと施錠解錠自在の綾波鍵奈であるが、こういったおどろおどろの呪術系扉の扱いはどうしても綾波銀橋に劣る。これが単なるハッタリであるかどうかさえ自分には見破れない・・・しかし、綾波ツムリをのぞいた逃亡幇助のためのチームであったあの三名はとっくにしんこうべに帰還してしまっていまさら呼び戻すわけにいかない。主が駆けるからここまでついてきたが、・・・・・・見も知らぬ者たちの命を天秤にかけてまで向かわねばならないのか・・・・その判断は当然、主たる後継者綾波レイにしか出来ないのだが・・・・・いくらなんでもその呪殺の効果範囲にしんこうべがはいることはないだろうから、(だとしてもトアをはじめとした防護策があるが)心配するのはこのネルフ施設内で活動する者たち、ということになるか・・・・・
 
 
 
門を前にしてしばし考える様子の綾波レイのグループをかなり離れたところから音声にて感知している三人の男たちがいた。
 
 
 
「・・・・・おい銀橋さんよ、今がちょうどいいチャンスじゃねえか?打ち合わせたみてえに鍵子があんたのことを言ってるし。ここで、お困りですか?銀橋参上ってことになりゃよー後継者さまもグッジョブ!てことでオヨロコビになるんじゃねえか?つうか、このまま大人の別行動もいいけど、あのザマじゃあこっちの胃がもたねえ・・・・・」
「そうっすよ。復帰のタイミングとしてはちょうどよいっすよ。どーも、あれはやっぱ尊敬できる年長者が一人ついていたほうがいいっすよ」
盗聴の仕掛けをしていたツムリの携帯から耳を離さず、あまり尊敬も頼りにもなりそうもない名前の綾波者、チンとピラである。
 
「・・・そうは言うが・・・」
渋っているのは綾波銀橋である。あれからいろいろと調査しようと本部に入り込んでいたのはいいのだが、まさか昨日の今日でこういうことをしでかすとは思ってもみなかったので心配になってこそこそ隠れて見守って、というか、聴き守っていたのである。
 
 
後継者が何を求めているのかは知らないが、こういった踏み込みのタイミングを違えると致命傷になることくらいは分かる。なんらかの情報を求めているなら隠匿の時間を与えることなく到着せねば。ここまでやらかした意味がない。槍に貫かれた角の生えた豹と斧で潰された三メートルほどある蜘蛛、真っ二つにされた木製の戦車を見ながら、自分たちではこのフロアに踏み込む以前に死んでいたと分析する。
 
ここは本当に科学の砦で日本国内か疑いながら。どこぞ怪しげな本の中にでも転移させられたのではあるまいか、と。
 
「行くしかねーだろー。無辜の民を犠牲にできるような後継者サマじゃねえことはよく分かっているじゃねえか。かといってここで引き返したらけっこうバカだしな?」
「そうそう、この苦境を救えるのは銀橋さんだけっすよ。チンの兄貴に飛ばしてもらえばすぐ目の前っすよ。黄金バットもびっくりのスピードっす」
 
「・・・それが嫌なんだが・・・やむを得ない・・・か」
自分の美意識とはかけ離れすぎた行為であるが、仕方がない。この先も若者たちの神経を釜茹でにするような狡猾にして老練な罠が待ち受けているに違いない。
 
「ツムリの奴はあいかわらずバカみてえに突撃しか主張しねえし。デンデン虫ってのはこう好戦的な生き物だったのか?・・・・急いだ方がいいんじゃねえかー」
 
「分かった・・・・頼む」
 
「あいよ・・・・・で、なんでピラの腕をつかんでんだ?」
「当然、同行してもらうためだ。治療の能力が必要になるだろうからな」
「そ、そうっすか・・・そうっすかねえ・・・」
 
「はあ!?そうなるとオレが一人ここで取り残されるじゃねえか!ナニいい歳こいた実年が茶目っ気出してんだ。ははーん、恥ずかしいもんだからピラを風よけに使うつもりだな」
「急いだ方がいいのだろう、早くしてくれ」
 
「冗談じゃねえ!ピラをおいてけ!!それに、ここでこのヒョウだのクモだの戦車だのがゾンビみてえに甦ってオレに襲いかかってきたらどうすんだ!」
「戦闘力で考えれば君一人でも君たち二人でも変わりなくやられるだろう。犠牲は少ない方がいい。それに、戦車が甦ることはないだろう。他は保証できないが」
 
「いっ・・・!?て、ことはホントにこいつら甦ってくる可能性があるのかよ!!マジか!?あー、ダメだダメだ、ピラと二人でいかせねえ!ぜってえだ!!」
と、そのように主張する小心者のためにかなり時間を食われた。結局、三人で走っていくことになった。えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ、こばやし、いっさ、ほいさ、えっさ
 
 
ぎい
 
 
男三人の到着と同時に若者たちは”答え”を出して門を開いてしまった。そして特に問題なかったので、その出現は、非常に「間」の悪いものとなった。「えーと、あのー・・・」
若い綾波者たちの向ける視線に答える言葉がない。迎える方が取りなした方がこういう場合は早いが、それには人生経験やその他のものがそろって足りなかったり。
 
 
「・・先に」
 
結局は綾波レイのその一言で片付いた。ここで追い返すわけにもいかないから同行を許可します、という意味である、そうであろう、と綾波者なら察しがつく。それに、先頭の主がなにしにいくのか他の者は誰も分かっていないのだから。数は増えても戦力が増加したわけでもない、足手まといが増えたという方が正しかったが速度を落とすこともなく綾波パーティは奥まで突き進んだ。ロンギヌシュ、元槍が保管されている区域に脱落者なしで。
 
 
 
そして、綾波レイは、その光景をみた。
 
 
 
豚チョキ
 
 
 
かつてロンギヌスの槍であり、昔、エヴァ初号機の左腕であったものが、今はただのマジックハンドになり果てている手のカタチをした物体が、小指と薬指と、中指と人差し指とそろえてその間を開いている・・・・いわば「豚チョキ」といわれる「全日本豚肉共闘評議会」の敬礼ポーズにも似ている、形をとっていた。そこに漲る大いなる”抗議と不平”のオーラパワーは圧倒されんばかりであった。もはや神聖さもヘチマもないが、パワフルさだけはとんでもない。ブヒブヒとしたなんともふてぶてしい、毒蛇が百匹噛んでも死なない脂肪の厚さを誇ってでもいるような、存在感。ちょっと指の形がかわっただけでなぜここまで雰囲気がかわってくるのか・・・・抜け殻などともはや誰も言うない。
 
 
「あれは・・・」
形状に肝をぬかれていたが、落ち着いて観察してみると人差し指の先から体液が滲んでいた・・・それでナニをしたかは容易に察しがつく・・・・壁面じゅうに書かれた「血文字」というか「体液文字」・・・・何語か分からないが、あきらかに意を込めた単語の連なり、文章が記されており・・・・ル氏の術士たちが大急ぎでそれを消そうとしている・・・・
 
数人が床面にタコのように呻きながらグネグネになっているのは、遊んでいるのではなく何か罰を受けているようだった・・・大規模な儀式などではない、これはただの「後始末」。
 
毒を逆に吸い取られた毒蛇のようにそこいらに無力に散らばる巨大な鎖の破片、とろけて印が崩れた塩のオブジェ、黒蝶の死骸のように大量に焦げた札が床面を埋めており、術士の格好をした人形たちは残らず口がパックリと裂けている・・・・・
 
なればこそ、ここまでやってきた自分たちを防ぐでも妨害するでもなく退出を求めるでもなく、ただひたすらに壁面の文字を消すことだけに血眼になっている・・・。
 
 
こんなことになっているなどと予想していなかった。だが、異変がここで起き、作業中止の命令がでる原因はここにあった。これがため蠅司令は自分たちに強制介入してきた。
 
 
 
「禍々しい・・・・空気だ・・」
銀橋が鼻白む。疫病神と貧乏神の戦の後を見ているようで非常に気分が悪くなる。
単なる怪奇、とはこれはもうケタが違う。しかも、美しくない。浪漫もない。
こんなところに長くいれば確かに後継者の調子もおかしくなろうというものだ。
特異な能力をもつがゆえに、忠誠度はそれぞれ異なれど綾波者一同、そう思った。
それにしても・・・・じっと奇怪ビッグハンドを見上げる主を横目で見ながらもう一つ。
 
 
「なぜ・・・・」
ぶわぶわと伝わってくる、全身をソーセージのヌンチャクで叩かれるような不気味な責めと抗議の意思。壁面にあるのはまさか単純に「零号機の片足譲渡絶対反対!」「豚血夜貴喪悪怒世露死固!」とかいう文句ではあるまい。蠅司令が急いで動かざるを得ないほどの”何か”・・・・・それが記されており・・・・・記したのは・・・・あの豚チョキをしているロンギヌ手・・・・・
 
 
後継者はこんなものを見にわざわざ大急ぎで駆けてきたのか・・・・・・
もちろん、納得も説得も自分たちには必要ないが、それにしても・・・・不思議だ。
ふ、不思議に思うくらいは許されるだろう、と顔を見合わせる虎兵太と鍵奈。
 
 
「全部消される前に、カメラで撮影して、記録とかしたら・・・・やっぱ、だめっすかね。空気を読まない発言で申し訳ないっすけど・・・・この文字を見にきたんじゃないんですか」
ピラの言葉にしばし次の行動に迷っていたツムリと工鉄以外の者たちが気付く。
 
「そ、そうだな。よくわからんけど・・・・汚職とか脱税の記録かなにかか?内部告発されたもんでここの連中はいそいで消そうとしてるんじゃねえか?外国語なのは間違いないが・・・スプレーでも使ったのかでけえ字だけどなー」
ほんとに空気を読んでいない観察眼もない兄貴分はともかく。
 
 
「・・・・・・」
綾波レイとしては単にカンに従ってここにきただけで、作業中止の原因さえ知れればそれでいいのだが、あの蠅司令の弱み?を握っておくのも今後何かと有利かもしれない、という計算くらいは働く。が、別に蠅司令など問題にしていないので、そこまでするのも面倒だし、むしろあの豚チョキはこの先ずっとあのままなのだろうか・・・・という考えを優先していたので特にそうしろとも言わなかった。
 
 
 
「それは、困ります」
先ほどから唯1人、壁面の文字消去作業に加わっていない、それでいて特に監督役でもなさそうな、それどころか一番下っ端で歳の若そうな、少女がこちらにやってきて言う。
 
 
山岸マユミにそっくりな顔をした・・・・この前も退去の指示を出したあのル氏の少女。
 
 
「それから、すぐにここから退去してください。この前と同じことを言いますが、ファーストチルドレン、あなたでも、です。ここはあなたのいるべきところではありません。長の・・・ベルゼの許可も出ていないはずです」
 
この前と違うのは、ずいぶんと自信たっぷりというか・・・この前はこわごわ、ようやく義務感でなんとか勇気を振り絞って注意した、という感じだったが、ヤングとアダルト合流で頭数が増えた赤い瞳の者たち相手に傲然と胸を張って。自分たちの陣地であるのは確かだが、実力で最奥まで到達されてこんな現場を見られた相手に言うには逆に、不自然なほどの強気であった。
先の印象とは180度異なる、まるで別人のような・・・・
 
 
「速やかに出て行かなければ・・・・・そうですね、十数えるうちにです・・・・・あなたたちに雷が落ちるでしょう。そう、天使ですらも焼き殺す、葡萄色の雷です・・・」
 
 
地獄の底も見通すような黄色く輝く瞳でこんなことを言われた日には、おそらく確定。
 
 
「よく、ご存じでしょう?」
 
 
ふるっ・・・・
 
 
ここまで無人の野を行くがごとしの無敵暴走してきた綾波レイの身体が、
 
 
震えた。