「シンジ殿、よくやってくれました。お礼をいいます」
 
 
復活してきた水上左眼が大林寺にやってくると連絡があり、何をいわれたものか・・・予想がつかないといえば嘘になるが、言われるだけですまない可能性を考慮すると・・・かなり落ち着かない心境にもなる碇シンジであった。父親は当然のごとくなんのフォローもケアもしてくれない。時間が昼食時でここにそうめんが用意されてなければ同席もしたかどうか怪しい。
 
自分のやったことはかなり”微妙”だ。少なくとも、無条件で誉められる立派なことなどではない。明らかに配役違いであろうとも、誰もいないからやるハメになった。やりたい仕事、向いた仕事だけしていればいいというものではないのだろうが・・・・ともあれ、第三新東京市にいた頃と明らかに要求されることが違う。
 
 
違うことを要求する人が自分にいる。
 
 
その感覚はいいとも悪いともいえない。痛みともこそばゆさとも違う、軽い痺れのような
 
 
それがこう、折り目正しいスーツ姿できちんと正座で含むところのないハッキリとした声で言われたなら、ずいぶんと救われる気持ちにもなる。これがまた裏を含むような小さな声で、よく、と、やって、の間に「も」などが混入されていたりするとだいぶ話が違ってくる。よくもやってくれましたね、となれば・・・・つまり、かなり不安な気持ちに。
 
 
「あ、いえ・・・・」
 
 
ここで笑顔をみせればいいのか、畏まっていればいいのか、それもよく分からない。
無意識に左腕をさすっていた。ねじ式。いしゃはどこだのポーズ。蒸発した義腕は状況終了の連絡後、すぐに替えが届けられた。これだけでもけっこうな大金が溶けていったわけだが、実際てめえがどれほどの大金をどんぐりころころさせたのか、分からない。その点はやはりかなり不安であった。どう転んでも一個人中学生にどうこうできる額ではありえない。が、お金でどうにもできないことも多々あるはずで。前半だけをゆるーいカーブで告げると、水上左眼のヒメさんは簡単にこう言った。
 
 
「人を雇えば金がかかるのは当然のこと。それが適正でないならその差額を返還してもらうまでのこと。・・・・それゆえ、銀磨に頼んだのでは?」
 
 
うわ。なんという税金で動いていない人間の考え方・・・にしてもすごい。そこまでは考えていなかったが肝心のヒメさんが気にしていない気にするな、というのだから有り難い。
 
 
「元はと言えば、私がシンジ殿たちに相談せずに相手を攻めようとした油断と驕りがあった。勉強代でもあり、シンジ殿の才覚を見せてもらったという点では高くはない」
 
 
・・・かなりお金にはこだわっているようだ。やはりお金が大切で愛しているのだろう。いらんことを言わなくてよかった。「今後は、シンジ殿に相談してから事にあたることにしよう・・・やはり、経験者の意見は貴重だ・・・それが正解だったと思う・・・よろしいだろうか」
 
 
よくない、と言えるはずもない。「僕でよければ」何の役に立つのか分からないですが。責任転嫁の的が欲しいわけでもないでしょうに。そして、再戦に怯えているわけでもない。
 
 
「あのJAというのもなかなか大したものですね。まさか一撃で勝ってしまうとは」
 
 
その口調に暗い影はない。どころか、艶さえある。己が負けた使徒を破ったロボット相手になぜ基本陰性のこの女が何も思うところがないのか・・・・・おそらく、再戦すれば必ず勝つ、と確信しているゆえだろう。何重も塗り重ねられた漆のように。輝きはしない、だから艶なのだ。魂の沈底から淀むように反射する。
そこまで明確には息子の方には分からないが、父子して似たようなことを感じている。
 
 
「それも、予想の内だったのですか?」
一応、銀磨の手配で戦闘記録はそれなりのものが撮れてはいる。が、ことが絶対領域のこととなると・・あの刹那の「歪み」のやりとり・・・・機械の目ではしょせん限界がある。矛盾するが、生の現場をこの目で見たかった。まあ、伊達にこの業界にいるわけではない、ということか。先の来訪ではそのような機能のことはおくびにも出さなかったが・・・・時田シロウ、あの男も執念の人間か。そして、それをこの場で呼んだ碇シンジのセンスは・・・・・
 
 
「もう少し苦戦するかと思っていました。正直にいって・・・」
 
正直に言わない方がいいこともある。父親の視線があろうとなかろうとそのくらいのことは承知している碇シンジ。苦戦具合でいえば、福音丸をおびき寄せた自分の方がよほどひどい。まあ、これは二兎を追った結果であるからやむなしともいえる。しかし、あんなに殺意が高いとは思っていなかった。刀剣まで持ち出してくるとは・・・手を焼かれたのがよほど頭に来たのか。ともあれ、福音丸のことはないしょないしょ、だ。
 
 
「使徒の目をここからどこか違うところにそらせる、気を向かせる、というのがメインの目的でしたし・・・」
 
あんなにザックリ勝ってしまうとはほんとに予想外だったのだ。自分で呼んでおいてあれだが。実力なのか、出会い頭のラッキーパンチ的勝利なのか、それもよく分からない。
ほんとに軍師どころではない。まともな軍師は主戦力が起きてくるまでじっと待つだろう。なんと言われようと、それが正解だ。こう、状況が終わって過ぎて、ヒメさんを目の前にすると、どうも自分は単に姉上のウメねえさまにハメられただけ、という気がする。
人に出来そうもない困難な頼み事をするような夢甘いタイプじゃないよなあ、と。
 
 
「・・・・・勝ってくれて良かった、という感じです。ところで、もう体の方は大丈夫なんですか」
 
「?どこかおかしな所を感じるのでしょうか。まあ、もともとまともな体でもなし、仕事には支障はないように自覚しているのですが・・・・何か気づくところがあるなら」
 
その言葉は自分だけではなく父親の方にも向けられている。だが、碇ゲンドウは気づかぬふり。
 
「あ、いえ、単にお疲れが残っていないのか、とか不思議に思っただけで。機能的にとか実力的にとかはとても僕には・・・」
 
単なる話題転換にそこまで深く反応されてもかえす言葉などない碇シンジである。
くそ、父さんめ、なんか口出ししてよ。黙って自分だけそうめんなんかすすっちゃってさ、しかも彩りの缶詰みかんがもうほとんどなくなってるし。髭のおじさんがミカンなんか食べなくていいじゃん!念じるが通じることなどない。
 
「なにはともあれ、そうめんがぬるくなっちゃいますから、よかったらヒメさんもどうぞ。・・・・・ミカンがもうほとんどないですけど」
言いながら汁椀につゆを注いでいく。この流れで行けば、水上左眼は絶対に断らないであろうことを読んでいる。飯時の出現率といいよく考えてみると、アスカやミサトさん以上の補給亭主ぶりだなあ、と思う。
 
「では、お言葉に甘えまして、頂くとしましょう。ああ、すいませんシンジ殿。箸は結構、ほらここに。持参しています」
まったく遠慮も躊躇もない。ほら見たことかと天に向かって快哉をあげたくなるが我慢。
しかしマイ箸って。腹ぺこキャラでもないくせに。つゆ椀に適当を絵に描いたようにごまと葱を散らす。・・・なんでそんなつまんないことがそんなに嬉しそうなのだろうか。
 
 
「それでは」
礼を言いに来たのか、食事をたかりにきたのか、そのどちらでもないのかもしれないが、事実として水上左眼は碇の父子とちゃぶ台を囲む。専門家からみても素人目にしても、絶妙なパワーバランスではある。華やかさには欠けるきらいがあるが、パワーは十分すぎるテーブルであった。ここから世を存分に乱す風雲が生まれるといっても過言はない。
父と子と、若い女。しかしながらこの集まりを形容する言葉がない。
 
 
そして、そうめんは消費されていく。特に特筆すべきこともなく。
 
するすると。
 
しばらく会話もなく。
 
 
 
「そういえば」
 
と相の手なのか、ほんとに忘れていたのか、今ひとつ判別しにくい碇ゲンドウの一言。
 
 
「式にはどちらが出ることになったのだ」
 
 
人の台詞を解読するには、やはりその時その折の感情の波というか揺れというか揺らぎというか、それらを当てはめて堅く絞られた言葉の意義を読み広げていく作業も一端にはあろう。碇ゲンドウの台詞にはそれらが全くないので、えらく分かりにくい。
なんせ、父の意図を当然知っているはずの碇シンジでさえ一瞬、親父が何を言っているのか分からなかったくらいだ。水上左眼が面食らっても仕方のないところだが、そこはさすがに一つの里の長として、動揺を押さえ込んだ。「式、といわれると・・・・」
いかにも理解の上に確認していますよ、という風を装って、説明させる。そのくらいの芸は当然できる。
 
 
「指輪の披露式だ」
 
 
「うぱっ」
「るぱっ」
 
碇シンジと水上左眼、どっちが上でどっちが下かというのはどうでもいい。重要なのはふいをつかれて碇シンジが鼻からそうめんを出してしまい、大昔にお茶の間の人気者になったUFOからやってきた両生類のごとくのたうちまわることだ。ゴホゴホと水上左眼も悲運の画家のように咳き込んでいる。
 
 
「どちらだ」
 
 
どうした、とは問わず、二人の異常には一切かまわず事務的に聞いてくる碇ゲンドウ。
 
 
「いや、あの・・・・・ゲンドウ殿・・・・・」
まさかこのタイミングで出てくるとは思わず、完全に調子を狂わされた。乱れた息はなかなか戻らない。碇シンジが「ああ、あのこと、指輪のことだね父さん!」とかそれらしいことを言ってくれればいいものを・・・・・なにを戦争する山椒魚みたいなポーズをとっているのだこやつは。知っているはずの息子も分かっていないものだから釣られて構えが遅れてしまった・・・。意図してやったなら恐ろしいコンボだが・・・親子のコンボでオヤコンボ、とでもいうべきか・・・・・
 
 
「麦茶をのめ」
 
強圧的に麦茶をすすめる碇ゲンドウ。ほぼ命令であった。でなければ帰れ、とつい続けてしまいそうであった。ともあれ、麦茶はコンボの内に入らないのでそれに従いて飲む。
 
そして一息。
 
 
「まだ・・・開催する・・・・おつもりだったの・・・・ですか」
 
そのような茶番、と思わず言いそうになってあやうく封じる。
碇ゲンドウの目の光は強く堅く、それを言わせぬ気合いに満ちている。
 
 
「なにか、問題でもあるのか」
 
綾波の介入をちらつかせることでその話は潰したつもりでいたのだが・・・・・あくまでやるつもりなのか。こんな茶番は無視してしまえば済む・・・・それが分からぬ碇ゲンドウではあるまいし・・・・あの指輪には何かあるのか・・・・いや指輪自体に何かあるならとっくに状況が変化しているはず・・・・この一幕を行うことが・・・必要なのだろう。そんなことで自分たちの目的が果たされるとでも・・・本気で思っているのか。
 
かの異能の一族にそんなシャレが通用するとも思えない。こと血脈関連の話ならば。綾波党の内部では後継者・綾波レイの最有力婿養子候補として碇シンジの名があがっている。あらゆる意味で危険性の高すぎる配合だとは思うが、それだけに固い話だ。ほとんど意識なんぞしていないだろう当人達をほっておいて周囲が決定して覚悟を決めて真面目に動いているということだからだ。しかも種ではなく、家格が欲しい、とくれば・・・・・
浮沈の激しい一族だけに、他者の浮沈にはあまりこだわりはなく、真価はその眼で。
ああいう血族組織がそうなってしまえば、一戦やらかす気合いがなければはね除けられる道理はない。のだが・・・・碇の血筋はその気合いが十分すぎるほどにあるときている・・・・・・もしかせずとも・・・・本気かもしれない。綾波が妨害しよう気分を害そうと面子を潰されたと感じてもなにしようと。
 
 
「いえ・・・」
 
 
しかし、一番の衝撃だったのは・・・・・
 
 
こちらの「読みが外れた」、ということだ。綾波を介入させればそんな茶番はあわてて引っ込められる・・・という読みが通用しなかった。あくまでこの茶番を行う、と碇ゲンドウは告げた。これは・・・・
 
 
「それで、どちらだ。」
 
 
このような茶番が実行されようと、痛くも痒くもないはずで、その費用も当然碇ゲンドウが負担するのだろうからこちらの懐も痛まない。派手でも地味でも勝手にしろといいたい。
 
 
普通に考えるのなら、そのはずだが・・・・・・・・
 
 
ただ、行うからにはそれをおおっぴらに宣伝するはずだ。この竜尾道の隅々まで。ぬかりなく浸透させるはず。首長たる水上左眼の「たとえ嘘でも」婚約披露発表会、など・・・・嘘である方がよほどにタチが悪いが・・・これが姉でもえらく変わらない。反応が読めない分、まだ自分でこなした方がましであろうが・・・・・つくづくとんでもない話だ。
 
 
しかもこの話のいやらしいところは、「絶対に断れない」ことだ。
 
 
碇ゲンドウが「普通の、父親としての、心情」という、ありえないポーズをとっているだけに。その三拍子の全てが実は異なっていても、それは嘘だ、と指摘できない。
他人には、それが出来ない。断じて。やれば、己を含めたこの街全てがただですまない。
恥をかくのも悪評が立つのもどうということはない。この街の終わりに比べれば。
 
 
それを断ることが出来るのは・・・・・・・
 
 
「シンジ殿は、どうなのでしょう。この件は。当人として」
ここで逃げてしまうこともできる。が、話自体を潰せない以上、いつかは追いついてくる。
とりあえず時間稼ぎの煙幕をはることにする。タコ墨なりイカ墨なり好きによぶがいい・・・・・・が、いつの間にか碇シンジの姿がない。宇宙両生類のポーズのままちゃぶ台の下に潜り込んだ・・・のかと思いきやそうでもない。
 
 
「・・・シンジなら、蜜柑の補充に行った」
 
人類補完計画の最奥の秘儀を告げるような口調で碇ゲンドウが、教えた。
 
ほんのすこし意識と視線を外している隙にそこまで避難しているとは・・・・・
すさまじいほどの交渉術だ。「シンジもすでに納得済みの話だ・・・・・あとは」
お前の選択次第だぞ、と。自分が意思決定機関であると、「いやー、ここは上司に判断を仰ぎたいので」持ち帰り、という手も使えない。まともに考えれば、こんな茶番に付き合うことなど痛くも痒くもないし、それで碇父子の気が済むなら結構な話だ。一度こんな無理を聞けば、その後の無理を無視することも出来る。
 
 
「ほんとうに・・・・・・こんな・・このようなことでいいのですか・・・?」
 
 
碇ゲンドウとても人間である。ネルフ総司令の座を失い、ひそかに精神の平衡を失ってしめやかに狂気の世界の住人になっていた、という可能性もないわけでもなかろう。
 
 
「確かに。家族の・・・戯れ事、ではあるな・・・・・このようなことは。実質などないが、うつろいゆく記憶に輝きを留めることもできるだろう」
 
照れ笑いのひとつも浮かべるなら、完全におかしくなっているのだろうが、その表情はいつものように陰鬱な灰雲のようで、その言にある輝きなどどこ探してもありはしない。
その目も・・・身の程を忘れ神獣を罠にはめようと決めた掟破りの狩人のそれだ。
 
闇の男。
 
言うなれば。
 
影の男。
 
言うなれば。
 
日蝕人間。
 
言うなれば。
 
 
星ほどの輝きもなく
 
 
だが、
 
 
この人物はこの人物として正常だ。いさかかの迷いも狂いもなく。その姿は。
何を秘めているのか何を考えているのかさっぱり分からないが、その輪郭だけは。
切り絵のように、滲みなく。百戦錬磨の掏摸の指先のように。
 
 
「・・・分かりました。私、水上左眼が式には出席しましょう。ゲンドウ殿、シンジ殿、・・・それからユイ様が望まれるのでしたら」
 
「そうか」
出席表に参加者チェックでもするような簡潔の返事。たいていの人間はウルトラヒマしてても急遽予定変更したくなるような口調であるが、こちらはそうもいかない。
 
「ところで、」
まだ話は続くらしい。用件がすめばさっさと切り上げて行動に移るのかと思ったが
 
「はい」
碇シンジはまだ戻らぬし、付き合うほかない水上左眼。
 
 
 
「シンジが戻らぬ内に聞いておくのだが・・・・・・・どうだ」
 
 
これでまともに内容を理解して返答できるのは、綾波レイに赤木リツコ博士くらいなものだろう。ここがネルフでないことを忘れているわけでもあるまいが、どうにもポンコツな問いである。本人がおらぬ時に聞くのだから、悪口でも遠慮無く言え、ということか。
 
 
「蛇蝎に近いか、それとも蜈蚣か溝鼠に近いか、それとも毒蜘蛛か蛙か」
 
 
なんの謎かけか、と思う。いちおう、てめえの息子の形容表現にしては羅列キツすぎやせんだろうか、と。しかし、これがなんかの誤解でハズしていたらダメージ重たいなあ。
動物占いとか、そういうことではない・・・のだろう。多分。
 
 
「・・・まあ、先ほどの様子をみると・・・・亀系か・・・と」
もしくはUFOからやってきた両生類か。取り扱いに要注意なのは間違いない。そもそも飼育ができるかどうかすらも。
 
 
「そうか・・・・」
己の眼鏡に指先をやり、そのままの姿で動かなくなる碇ゲンドウ。人の気配が消えてまるで青銅のそれになる。予想だにしない衝撃を受けたようなリアクション、といえなくもないが・・・・「あの、ゲンドウ殿・・・・・どうか・・・」されましたか、と続ける前に
 
 
「・・・そこまで忌避されているとは・・・・・」
 
 
「はい?」
 
 
「まあ・・・無理もない・・・」
 
なぜか知らないが、人の世の絶望を一身に背負ったような虚空の息を吐いている。
そんなものを吸ったらこっちまで鬱になって身動きもとれなくなりそうなので微妙に顔を背ける水上左眼。
 
 
「いくら政略とはいえ、そこまで忌避する者と式をあげることなど・・・・おそらくあれも望むまい。所詮は自己満足のまねごとのようなものだ・・・・・それを無理強いして巻き込むのは・・・さすがに気が引ける」
 
 
何を今さら言ってやがんだこの髭オヤジ、と思わず言いそうになったがこらえる水上左眼。
 
式にかけこつけて誰かを外部から呼ぶつもりなのか。姉がいいなら名指しすれば済む話。
なんだこの酔っぱらいの言いがかりに近い物言いは。
 
 
「必要ならば、大蛸でも鰐鮫でもリュウグウノツカイとでも床をともにしますよ、私は」
別にこなさねばならぬイベントだからやるだけの話だ。ここまでくるのにたいていのことはやってきた。面倒と引き替えに代価を受け取ってきた。だが、今回のコレは・・・・
 
 
誰の利得にもなりそうもない、なんのために行われるのか知れぬ、見せかけの愚式。
 
 
こんな・・・・
 
 
誰の目にも明らかな「罠」にはまる愚か者がいてたまるか・・・・・・
 
 
腹の中で冷笑しておけばすむことなのだが・・・・・・なぜかそれが出来ない。
こんな見え見えの罠にはまる手続きのひとつを自分が担っている・・・・予感。
どう考えても、こんな虚式になんの力もないはず・・・・事態を都合良く回転させる剛力など。
 
 
「事実、シンジはお前の手の内にあるのだから、このまま表に出さぬのも一興だ。わざわざ衆目を集めることもない・・・・・この里の女なら、誰でもいいぞ」
 
 
が、その言霊に揺さぶられる。声を張るわけでも態度に現すわけでもない。ただ声と目で。
迷わされる惑わされる。何が目的なのか・・・・分かりきっているものが、分からなくなる。「ただ、こちらは式をやるだけでいい。その後、どうしようがその女とシンジの自由だ」
 
 
先に剛毅に踏み込んできてその後の大幅譲歩。碇ゲンドウの求めるものはこちらが潰しようのないひとつだけ。それにしても、無視してしまえばそれで終わりの茶番でしかない。
 
 
「それは・・・私が出席すると申し上げたはず。女に二言はありません」
 
何かありそうに構えて、こちらが乱れ迷い、下手を打つのを待っているのだ。そうに違いない・・・それくらいしか最早打つ手がないのだろう・・・・なにせ、こちらは碇ゲンドウの行動予測を・・・完璧に・・・”ほぼ完璧に”・・・行えるのだから・・・・・
 
 
恐れることはない・・・
 
 
が、ふいに襲いくる邪悪な寒気に眼帯が湿り震える。身に収めている刀たちも血を洗う露を刀身にドッと流し込んだのを感じる。恐怖せぬため、斬ってしまえと自分だけに聞こえる声が、目の前の黒い人影を、斬ってしまいたいのですどうか、と懇願する。
 
 
「それはそうだろう・・・・・お前が出席できない場合のことを言っている」
 
 
言葉に妖気が満ちている。王の首を後ろから切り取った道化師のような。妖気だ。
日差しが突如翳り、ちゃぶ台に闇が這いまわる。空気は晶として固体化する。
 
 
「当然、その場合は延期を・・・・」
 
「日取りを決めれば式は行う・・・・・何があろうとな」
 
 
妖光満る眼鏡と百獣を睨み殺す竜眼が対峙する。生命力の弱い者が近くによればあっという間に昏倒するほどの調和もへちまもなく己の都合最優先相手の立場を根こそぎ略奪せんとする荒魂がごうごうと渦を巻いている・・・沈黙する父親を非難していた碇シンジもまだ戻ってこない。
 
 
神話的接触、ないし意地の張り合いにどれほどの時間が経っていたのか・・・
 
 
ふいに碇ゲンドウが口元を緩めた。
 
退いたか、と思ったが、
 
 
「お前が出席できない場合は、代理をよこしてくれればいい・・・・・ただ、それだけの話だ。首長として、仕事の予定を変更してまで付き合う必要はない。こちらもそこまでは要求できない」
 
 
そのやり方が水上左眼の予想と異なっていた。
 
 
「代理など簡単に用意できるものではありません。・・・姉も時間を守る性分ではありませんし、いくらなんでも事情も知らぬ者にそのようなことは」
 
茶番とはいえ他の者を出せるわけがない。碇シンジに丸かじりにされでもしたらコトだ。
あくまで指輪を披露するのが目的で、生け贄を捧げて怪物を大人しくさせる儀式ではない。
冥婚でもあるまいし、式にはあくまで相手が必要・・・・どうするつもりなのだと思いきや
 
 
「ならば、こちらで用意しよう」
 
碇ゲンドウはこれまたあっさりと言い切った。
 
 
「な・・・!?いや、そのような急な代理人に札を用意することはできかねます」
 
もとが苦難しい顔なので変化しようがないのだろうが、あまり考えたふうでもない。その顔でなければ即興の思いつきにしか。ゆえにこちらもその程度のことしか返答できない。
 
 
「無論、予定通りにいけば必要のない話だ。そこまでそちらが気にすることはない・・・こちらで手配する。ともあれ、式の出席には可能な限り努力してもらえるのだろうな」
 
 
「それは・・・申し上げた通りです」
目的が不明なことをのぞけば、碇ゲンドウの申し出には何の無理もない。
 
「ただ、日取りはもう決めておられるのでしょうか」
一つ無理を押したとすれば、これだけのことだが・・・・
 
「吉い日を占って決める。迷惑をかけるが、六分儀のやり方でな」
そう言われたなら反論のしようもない。京都六分儀守銭道。儀式だのしきたりだの言い出されてはきかぬわけにもいかない。いかに奇怪に聞こえようと、そういうものだと受け入れるほか無い。少なくとも竜尾道、この住人の首長たる己が言える義理ではない。
こちらの不在を狙うつもりでいるのか・・・・にしても、あからさまにすぎる。
 
 
「早い内には、と思っている・・・・が、日が吉くなければ、どうしようもない」
そういう話は日が決まってからしてほしい、というか、しろ、と言いたいが言えない。
 
「まさかと思いますが・・・・夜中に託宣して朝の四時にはもう式をあげる、などという浅はかな真似にはならぬのでしょうね」
たとえ、そうであっても自分と竜号機ならば地球の裏側からでも戻ってこれる。
 
 
「それでは誰も列席できまい。あれは派手に騒ぐのが好きだからな・・・・ここの人間なら誰でも参加可能にする予定だ。告知もいくら遅くとも七日前には出す・・・誤解があるようだが・・・これは、討ち入りではないのだ」
 
碇ゲンドウが笑った。極めつきの悪事を為す者にしか浮かべられない悪い笑いだ。
つまり、討ち入りだ、とこう言っているわけだ。たった二人しかいないのに。
 
 
「まあ・・・そうですね」
 
おそらく、その日は何も起きない。この父子は相手にもされまい。
何か策を用意しているのだろうが、わざわざその場にいかなければ、罠は発動しない。
 
いきはよいよい、かえりはこわい
 
子供でも分かる道理だ。危ない場所にわざわざ踏み込む馬鹿がいるものか。
 
 
「ただ・・・・」
 
言っておいた方がいいのか、言うまでもないのか。
 
しかし、この男がこんな策を弄したとなると・・・・このままの静観が続くとも思えない。
 
”ユイ様がのぞむのならば”
 
動きが、ある、と見た方がいい。でなければ自分が碇シンジを連れてきた理由が無くなる。
 
”ユイ様がのぞむのならば”
 
あまり時間は残されていない。もう一度、あの業を・・・成してもらう必要がある。
 
 
今のような・・・・
 
この寺での生活は、終わりになるだろう。父と子は離れることになる。ガラスの手錠のような・・・関係性、絆を破砕されて。あらゆる意味で、父と子ではなくなる。
 
 
「その日が来ても・・・」
 
 
「ゲンドウ殿の隣は埋まらないと思いますよ。本当に来ると・・・・お思いですか」
 
 
意味のない問いかけだ。確認にもならない。返答もあるまい・・・言ってしまってから後悔した。が、意外なことにそれがあった。
 
 
「ユイはあれの母親だ。それが来ないということがあるのか?」
 
その声に怒りはない。父親であれば激高するに違いない問いかけに碇ゲンドウはそれを顕さなかった。動物の習性か物理の公式でも語るように、無味無臭なその声。人が同じ人に対して使う声色ではなかった。
 
「ですが・・・」
逗留の場を隠す己にそれを言う資格はないが、その、まるで無価値なようなものの言い方、あっけにとられるほどの無反応に、胸中に滝がおちるのを覚える水上左眼。
 
「ユイのことを知っているなら・・・あり得ぬ問いかけだ。箱庭いじりも構わないが・・・・そろそろ理解しろ・・・・あれがどういう女なのかを」
 
箱庭いじり?
胸の瀑布が一瞬で逆巻き蒸発し、刀に手を疾しらせ・・・到達する寸前
 
 
「おまたせしました。みかんの追加です」
 
絶妙のタイミングで碇シンジが戻ってきた。
おかげで、髭の首も飛ばずこの場を血の海にせず・・・未遂で済んだ。
 
「ああ・・・・ありがとうございます、シンジ殿・・・」
 
その深々と頭をさげる様子は、使徒撃退の時とほぼ変わらず、どちらかというとこちらの方が感謝深いよーな気が碇シンジにはした。男は火星人で女は金星人でたまたま地球で一緒にくらしているだけで、考え方や物の評価方法が全然違う、という説をえらい学者さんが唱えていた。男は評価を高低でつけるけど、女性は評価を数でつける、とか。野球のような一発逆転大量得点さよならホームランというのはありえず、どっちかというと少しづつバーディーを重ねるゴルフに近い。しかしながらもこの態度は、ちと不審。ヒメさんはそれほど缶詰みかんが・・・もしかして、裏で密かに人類蜜柑計画を練っているみかん星人だったとか・・・
 
そういうことを元オペレータ三羽ガラスの日向マコトのように口に出してしまわない回避スキルは葛城ミサトや惣流アスカに鍛えられたせいであろうか。それとも、血か。
 
一歩間違えば、首と胴とが永遠に離ればなれになっていた元ネルフの総司令は
「父さんはもうみかんは禁止。そうめんだけ食べてください」と息子に注意されても
「ふ・・・」
薄笑いをするのみでまともな返答は避けていた。
 
まったくもって・・・扱いに困る父子だが・・・・・それでも、離しておくよりはひとつのところにまとめておく方がまだ扱いやすいのか・・・・判断もつかぬまま、水上左眼は碇シンジによそってもらった缶詰みかんを、ちゅるんと呑んだ。