なにかご大層な呪文でも唱えるのかと思ったが、黒犬仮面の瀬越に窓をのぞくと直に映像がきた。脳裏に直接、眼球を介さずにやられるそれは、自分の身体が溶けるほどの強烈なリアリティがある。それが、とうの昔、とうに過ぎた過去の幻にすぎぬ、と知ってはいても、そんな知識の方を疑いたくなるほど。
 
 
自分は”その場”にいる
 
 
”その日”の天主堂の内部に
 
 
そんなバカな、と言いたくなる自分こそ、そんなバナナ、である。視覚なのか記憶なのか判別がつかなくなる。混在してしまえばどうなるか・・・・それを考えるとこれはかなり危険な術だ。たいした術理も弁えずおそらく客観的には十分には足りぬ資格で無理に臨席した未熟な身にはかなり辛い。潰されることが前提の試練である。
それが代価というなら支払わねばなるまいが・・・・
 
 
”ほう、来世の言葉を知るかのごとく耐えるのであるか、ソウリュー。なまなかの者では目玉を献上してでも逃れたいと願うほどの苦痛に苛まれるのである”
 
Z・O・E二世の声がどこからか聞こえてくる。
 
”時間が惜しいため安全装置代わりの儀式を省略したが、問題なかったのである。では我輩は調査に取りかからせてもらうのである。もう泣こうがわめこうが面倒はみないからそのつもりでいるのである”
 
 
それは無上の親切なのだろうが、返答する余裕はない。視覚と記憶、二つ首の暴れ馬を制御するのに手一杯であった。振り落とされたが最後、身体感覚も精神の座にも二度と戻れまい。早々にギブアップした方がいいのだろうが、見逃せるはずもない。ここまできて。
 
 
天主堂の内部は、奇怪奇妙な生き物でいっぱいであった。陸上生物のみならず、誰が運んだのか巨大な水槽まで持ち込んでまでの水棲生物たちがおおぜい座をしめていた。
 
見た目もバリエーション豊かだが、それらが好き放題に鳴いているというか音波を発しているのでカオティック、といった方がいいか。判別や分類を諦めさせるような空気だ。これらを喜々として眺めていられるのはよほどの学者であろう。大物だ。ネットワークの発達で絶滅寸前に追いやられた希少生物・歩く辞書というやつかもしれない。
 
 
それでも
 
 
これらのモノたちにふさわしいのは、新種、未発見、という高音の星響きではなく、
 
 
融合、または奇形、という低音の実験室の雑囁き。
 
 
どれもこれも、まともに書店で販売されている図鑑でお目にかかるようなモノたちではなかった。
 
 
尤も、あくまでそれは自分の感覚だけの話で、広い世の中、そのようなモノたちもどこかにいたのだろう。ただ生物学者でもない己が知らなかっただけの話で。身体からノコギリが生えている犬やら操縦桿の生えている巨大なムカデやらパラシュートのような翼をもった鳥がまだ誰にも発見されてなかったりしたのかもしれない。それはいい、としよう。
 
 
要は、なぜ、動物、というか生物たちが、こんなところにいるのか?という点だ。
 
明らかに自分たちで集まってきたわけではない。水棲生物たちの水槽にしても。
まあ、全般的に、腹は満たされた状態なのだろう・・・・・。おそらく。
 
不自由な人間の列席とくらべて三次元的に、空間を有効に活用して場を埋めている。
 
少し目軸をずらせば、全天型のステンドグラスに見えるほどだ。しかも最上傑作の。
 
この一見、無秩序な生き物すし詰め状態は、どこかで聞いたというか読んだ覚えがある。
 
 
ものすごく有名な本の中に、共通するイメージがある。
 
 
”ノアの箱船”・・・・・
 
 
まあ、あれはつがいでそろえて、もっと整然としていたのだろうが。でなければ童話か。
なんで天主堂なのだろう。彼らも神を感じたり信じたりするのだろうか・・・イヤならこんなところに連れられても、逃げ出すだろう。入り口の扉は開けられたままだ。
 
 
りーん
ごーん
 
突然、鐘が鳴った。
驚いてもいい唐突さであったが、なぜか納得があった。その鐘が鳴るだろう、と分かっていた。その鐘が、この無秩序に整列を与え、ここになぜ混沌とした生物群が存在するのか、知らしめるヒントにもなっていたから。急かすことなくあくまで荘厳。集まるものたちに準備のための時間を与えるための重音。それぞれ形は異なるが想いを一つ重ねるためのその鐘は。
 
 
でぃーん
どぅーん
 
また鳴った。
少し先ほどと違うが、あれだけそれぞれ(可聴域にあるだけでも)やかましかった生き物たちの鳴き声が、止んだ。そういうことが、あるのか。可能なのか?と疑問に思うがそうなったのだから仕方がない。
 
 
くるくるくるくるーーーーーーーーーー
 
 
入り口扉から、桃銀色のカーペットが突き当たりの説教台まで伸びてきた。
レッドじゃないから、これから現れるのは映画スターとかではない!たぶん!
 
 
きーん
どーん
 
もういっちょう鐘が鳴った。同時に、雨が降ってきた。
H2Oのそれではなく、八十八の徳があるという尊い物質・・・その名も「ライス」!つまりは米シャワーである。どこに隠し持っていたのか、どうやって蒔いているのかよく分からないが、とにかく降っている。
なんと水槽の方からもライス放物線が見えるから、「え?なんでアタシだけ?」これはもう非常な疎外感があった。それにしても、なんか降らせすぎじゃないのコレ。お百姓さんからクレームがくるかもよ?入り口扉から人影がふたつ・・・・米雨の中をしずしずと説教台の方に向かって歩いていくが・・・おかげさんで顔がよく見えない。いや、この雨量ってちょっと嫌がらせじゃないの?いくら祝福だからっつっても、モノには限度ってものが。や、自分がやってないからってひがんでるわけじゃないけどさ・・・というか、これは式の後でやるもんじゃなかったっけ。後片付け大変そうだし。最近の流行はシャボン玉らしいけど。
 
 
服装くらいは見える。男ものと女もの。どっちも白なもんだからよけい紛れるっての。
だいたいのフォルムからすると、男の方はロングのタキシードかモーニングか・・・正直、どうでもよかろう。
 
 
女の方が・・・・・まごうことなき完全無欠のウェディングドレスであることを考えると。完全無敵の少女の夢をカタチにしたかのような純白。近かろうと遠かろうと、一度捕らえられたら、もう逃れようもない。その輝く無色を汚すのは、十の人類大罪にランクインもしくはカテゴリー増やして十一大罪にしてもいいのではないかと思う。間違いなく魔物の仕事であろう。
 
 
なんでわたし米もってないのよ?
お米、くださいっっ
 
そう叫びたくなる己を必死にこらえる。気持ちは伝わるかも知れないが、万が一にも誤解された日には。だが、米の雨も本日の主役二人がゴール地点の説教台に辿り着けば当然止む。それはそうだ。これから誓いだの契りだの約束だの嬉し恥ずかしいことを大真面目にやってくれちゃったりするのだろうから。それを聞かねばなるまい。見届けねばなるまい。・・・間違いなく、この奇怪生物たちがこんなところで待っていたのは、このふたりのためだ。来てくれる友人や親戚などがいなかったのか・・・・・こればかりはサクラを用意しても仕方がない・・・いや・・・・
 
 
”来られるわけが、ない”
 
 
ここがどこかを思い出す。光馬天主堂。新型の銀鉄にしてようやく到達できた、「 」のケガレを知らぬ・・・”天使も瞳を閉じるほかない禁域・・・黄泉の律から外法の密園である”・・・・今の解説は誰?まあいい。
 
 
米の雨さえやめば、主役の二人の顔はすぐに知れる。説教台の前で向かい合って立っているのだから。しゃらくさいのことに新婦の方は無欠というか無敵すぎるほど角でも隠しているのかとおもえる厳重なヴェールで顔を隠しているが・・・・男の方は素顔をさらしているわけであるから・・・・・。
 
 
「え・・・?」
 
処女の道、バージンロードというか、さよならありがとうおとうさんロードのあたりは省略したのだろう、男は「新郎」だった。
間違いない。その男が新婦の付き添いなんぞやるわけがない。年齢的に。いや、歳をいうなら新郎であるということも・・・・まあ、昔の武士は十五で元服であったから、そのあたりのサムライ条例を適用しているのか、いや。問題はそこではなく。なにゆえ。
 
 
こやつが嫁をむかえる仕儀になっているのでござるのか?ということだ。
 
ここまできて、単なるバイトでした、というオチもない。第三の野郎型人影もない。
念のため、入り口の扉の方も見てみるが、そこにも卒業男が見参したりしてない。
 
 
 
渚カヲル
 
 
 
ここまできて、単なるそっくりさんでした、という恐竜生きてた頃のオチもない。
その指先が。誰かと生活を共にするイメージというのがどうも湧かないのだが、その服の白は似合いすぎていた。馴染みすぎていた。年齢体格は差し置く。元来、そんなやつではなかったはず、などと無謀な予想などはしていない。ただ、暁にも似た悟りがあった。カンかもしれないが。目の前に立っている相手のために、変化ヘンゲしやがったのだと・・・・・・・
 
 
それは、何色なのだと問われれば、たやすく返答できるほどにハッキリとした
 
 
新生の白。
 
 
ゆっくりと
ヴェールを剥がしていくその指先が。どんだけ厳重なんだそのヴェール、重傷者の包帯かい!というつっこみとなんでそんなことで淫靡さを感じてるの自分、というセルフつっこみの冷静情熱のあいだで。
 
 
 
ずきん、と心臓に一撃がきた。
 
 
腰に来るのは魔女のそれだが、心臓に来るのは。
 
 
「ふぁーすと・・・・」
 
 
新婦の厳重ヴェールをほどいてみれば、そこにも同じ知った顔が。
 
 
 
綾波レイ
 
 
 
もう一撃来た。
ヒウ
思わず、自分の目に指を突き刺しそうになる。直前で、止められた。
 
 
”うお!!なにをしているのであるか!せっかく我輩が感心してやったというのにそれを台無しにしてどうするのであるか!!”
 
面倒をみないはずであったZ・O・E二世の急制止の声がなければ・・・・
 
「うるさいわね・・・・・・目のゴミをとろうとしただけよ・・・・・泣いてもほっといてくれるんじゃなかったの?」
 
”そんな地獄みたいな涙拭きがあってたまるかなのである。どんな寒冷地仕様の悪魔レンジャーなのか”
 
 
「うるさい・・・・・秘技、冬の燕返しよ。ひゅるりひゅるりらで目には傷がつかないの」
 
だけれど、それ以外のところにはざっくりと。切れ味が誤解のしようがないほどに鮮やかで鋭かろうと、痛みは存在する。根深いところにまで痛みが走っていくことが・・・・やばい、もろい自分をなんとかつなげている部分にまで届いて・・・このままだと自砕する。
 
からからからから からから からから からから からから
 
己が干魃して割れていく。呼吸が荒く熱くなり、水気はことごとく己の外に流れゆく。
魔法の文字を削られた泥人形のように。命の時間は終わったと。見るべきではない。
もうこれ以上見るべきではない。許容範囲外。器に入りきらぬ真実は流れの力を得てこちらを掲げて叩き落として砕こうとする。
 
 
 
新郎の渚カヲルが、傍らに進み出た鋼鉄の身体をしたロボットが捧げる「何か」を受け取った。これ以上、予想の外の事象など観測したりしたくない。
 
 
そこに、「指輪」を見たいのだと、せめて、己の視覚は訴えた。
が、あっさり裏切られる。
 
 
刀だった。三つの枝をもった実用品らしくはない、儀式刀。それを、さきほどヴェールを剥いでいったその白くやさしい指が、握った。ゆっくりと、たおやかに、それでいて、白銀の蜘蛛が獲物を抱くような。それでもって、なにをしようというのか・・・・・
 
 
新婦は、微笑んだ。
 
 
これ以上ない、幸福な笑顔である、と思った。
 
 
新郎も、微笑んだ。
 
 
幸福と狂気は両立するのか、そんな命題を、見るものの首元に深く突き刺すような・・・・彼は分裂しているわけではなく、純正単一の意思として、そこにあるのだと知らしめる。この混沌の場にあって揺るぐことなく正確な中心となるべき白の極点。裏も表もなく。
 
 
カチリ。己の内部で、止め金の外れた音を聞くのと。
 
 
ざしん
 
新郎が新婦の胸に三枝刀を貫いたのがほぼ同時。赤い光が辺りに飛び散り、白いふたりを染め上げる。それから、なんの躊躇もなく、ねじるようにして、三枝刀を引き抜く。
引き抜いた時には、貫く前と違い、紅の球体のようなものが・・・心臓があのように光るものとは思えない・・・・刀にのっけられている。つまり、新婦の胸の中から、えぐり出した、ということになる。にしては、新婦は倒れもせず、苦痛の声をあげることなく。
 
 
真昼の月、泣き笑いのような顔をして・・・・・あれは軋む音の混じる痛みの涙ではなく、ぬくやかな嬉し泣きの類であると直感的にわかった・・・・新郎からごく自然に、刀を受け取ると・・・・・
 
 
最終確認を求めたようだった。
 
 
新郎は頷いた。どのような覚悟があるのか本人にしか分かるまいが、迷いはなかった。
 
あまりに返答が早いので、「!?」新婦の方が焦ったような顔をして、もう一度、最終確認。
 
 
それでも、返答は変わらない。
目の前の君と道を同じくする、と。
 
 
選択は、なされた。
 
 
 
紅の球体がバランスよくのっけられた三枝刀を、渚カヲルは迎え入れた。
しかも、「いらっしゃい」のポーズ付き。
 
 
ぐさ