待ってればいいの、目玉姉妹の下の」
 
 
顔のない鎧武者どもに御簾張りの御輿担がせてようやく、自ら指定した時間から二時間半ほど遅れて現れた女の影は水上左眼の問いかけを、冬のど真ん中にわざわざ這い出てきた蛇でも見たかのように、踏みつけた。
 
 
「・・・しかし・・・それは、いつまで・・・・」
 
 
己の名すら呼ばれず、踏みつけられたまま忍の声色で問いを続ける水上左眼。
草木も住職も眠る西郷寺本堂でのことである。
 
 
「もしもし、そこのおバカさん」
 
「銀紙程度の才能しか持たないのは仕方がないにしても、その程度の国語も分からないの」
 
「いつまでも知れぬが待つのが、待つ、ということ。ゴドーのように。終わる時間が分かっていればそれは待機、というのよ・・・やれやれだわ」
 
 
貴人めかして御簾の影にいるくせに、声には女王の鞭どころか巨神の腕ほどの豪圧があった。
 
 
「HAHAHAHAHAHAHA」
 
顔のない鎧武者どもがアメリカンな感じで笑った。国産でないのでしょうがないが。美しさの欠片もない追従。武者らしくもない。いやさ、この紙でつくった縄ほどにも説得力のないこの屁理屈に反抗できぬ無力を笑ったのだとしたら、それはまさに武者。
 
 
「しかし、」
 
 
「しかし、しかし、と。かかしのように立っていればいいの」
 
「しかし、お言葉ですが、ゲンドウ殿もなんらかの手札を配している様子・・・綾波の名を出しても引く様子も見せず、あれは・・・・早急になんらかの手を打たれた方がよろしいかと・・・つきましてはご指示を賜りたいと・・・」
 
「六分儀のハッタリよ。そんなもの。惑わされるくらいなら、いっそ、その目を閉じていなさい」
 
「はい・・・・」
 
「まさか、とは思ったけれど、様子を見に来て正解だった・・・脂焼きがまわっているんじゃないかしら・・・もしくは、錆か刃こぼれか」
 
「はい・・・・」
 
 
 
「研いで、あげましょう」
 
合図もせぬのに、顔のない武者どもが動いた。
将棋の駒のように。棋士の打つそれのように。それぞれの得物を構えて。
顔のないその頭部の奥から人魂めいた光を浮かばせて。
 
御簾御輿を最奥に囲む様子は、詰め将棋を連想させた。が、それを迎える己は単騎。
修練というより私刑に近い。手指を何本いかれるか・・・・ああ、「詰め」将棋だ。
 
 
最後に、どうなるか、分かり切ってはいるが・・・・
 
 
「有り難き幸せ・・・・」
 
鎧武者どもが、せめて国産でないのが唯一の救いか。左眼が疼く。正確には、左の奥に埋まっている欠片が、重層に限界まで宿る、というかギュウギュウに詰め込まれた大昔の剣術使いや鍛冶師の魂紋様が、ざわめく。あのような、外国製品に負けるな、と。使用された金属の質といい効率的な技術といい、すでにして八割方勝負はついているのですが、と現代人である己には分かっているが・・・・納得して切り刻まれるわけにもいかない。
某ミスリル社のナイフなんか大根みたいに日本刀を切り分けたりしているしなあ・・・
 
配置を完了した武者どもの兜というよりはヘルメットに近いそれもどうせ、チタンだのMD横文字合金だの材料も宇宙まで飛べるような代物をおごっているのだろう。いざケンカになった火星人と殴り合っても負けないように。星が五十もある飾り立てを見てそんなことを思う。勿体ないが、トータルで損耗計算して、抜くのは・・・・・頑丈一番、「銅狸」。もちろん、同田貫の間違いではない。
 
 
2八のただの兜割、で一手詰み
中身はない。
 
 
2五の坂田流の桂馬斬り、同噛落ち、3四の銀月流の突き、2二の避け、1三の馬場流の格手、同組み討ち、2三の欽一流の金的破壊、で七手詰み
中身はない。
 
 
1三の林崎流コンクリ斬り、同伯耆流睨み合い、伝統無視の二手詰み
中身は、機械。
 
 
3三の鹿島正義流、同鹿島舞踏流、2二の鹿島真実流、同鹿島真実流、1二の鹿島舞踏流舞踏の太刀で五手詰み
 
中身は女の死体。
 
 
ここで「銅狸」が折れる。鎧よりも女の死体の方が硬かった。仕方がない、と次の「鉄虎」を抜く。今宵の鉄虎は血に飢えているのでございます・・・・・飢えられても困るが。
 
 
1三の武藤流、3三亀忍流、2三の結城流、1五亀忍流、2六武藤流、同亀忍流、2四結城流、2五亀忍流、3五の二刀武藤結城流の九手詰み・・・使った脇差しは「円背琉」
中身はカラフルな亀がたくさん。
 
 
1五の関流、同冬素流、1三の関流、同夏輪流、2三の関流、2四秋単流、2五の関流、1三春素流、2二の関流の九手詰み
中身は大量の赤い粉と木の根。
 
 
フェアリーが入ることもあるが、そんなのはもともと、まともなルールを期待していない。
相手のルールが変わらず、こちらを王手殺害することにあるのだと、弁えてさえいれば。
 
 
2四の中野流、同戸山流、2五の中野流、1三戸山流、3一中野流、1二戸山流、2二の成りで安永流にて詰み。
 
中身は得体の知れないもの。
 
 
斬り続ける。「鉄虎」に続き、「金夜叉」、「鉢黒」も折れた。鉢黒はかなりの気に入りの品だったが、やもうえない。詰め将棋などといっても、親指か小指かどちらかでもやられればその時点でこちらが膾切りにされる。研がれる、どころではない。なにせ硬い。それを、断ち割ってやらねばならないのだ。勝ち負けでいうなら、すでに敗北していようが。
いっそスプリング刀を使いたくもなるが・・・・・
 
 
斬り続ける。中身は人の骨。中身は病みきった猿。中身はない。中身は機械。中身は人の骨。中身はミイラ。中身は包帯で巻かれた人形。中身は男の死体。中身は・・・・
 
 
生きた子供
 
 
頭頂から髪の毛一条ぶんで、刀を止められた。活人と殺人の境界。剣技の存在理由。兜鎧が両断されて、その身体があらわになっても子供は泣くことも出来ない。口を数本の針で縫い止められている。位置から見て痛覚麻痺の効用があったとしても、その目は、こちらを見上げるその目は、確かに自分をみている。うっすらとした血の涙。刀を、凶器をもって、無言のままに、自分にそれを振り下ろしてきた、片眼の女を。自分を救ったのだ、などとは夢にも思うまい。わずかに外した視線の先に、手があった。何か、紙片、質感から見て写真のようなものを握りしめている。強く、強く。己が掌に写しこもうとするように。その行為は・・・
 
 
御簾御輿から声がかかる。
 
 
「目は悪くとも、鼻はいいのかもね」
 
 
まだ鎧武者は残っていたが、それでゲームは、「研ぎ」は、終了だった。六本の刀が逝った。焼き直しても穢れが凄まじすぎる。左眼が疼く。灼熱の怒りで。斬れ、と命じる。
形式としては姉が昔、鍛錬に命じられたものとさほど違わず、苛烈さでいえばそちらの方が上であった覚えがあるが、どうしてこう、殻と中身が違うだけでこうも・・・・・・・
腸が、煮えてくるのか。
 
斬れ斬れ斬れ斬れ斬れと。あの、まごうことない邪悪を。剣の活人と殺人の狭間を嗤う。
あの、御簾御輿に鎮座する女の影を。疾駆して、一刀両斬せよ、と。いっそ
 
 
ここの上空に待機させてある竜の力で、叩き潰してやれ、と。竜吼をもって焼いてやれと。
くず刀のごとく、鋳潰してやれと。左眼が騒ぐ。その非道を断ってこその・・・・・
 
 
「錬磨の儀、有り難うございました・・・・」
 
だが、座して頭を下げる。そうしなければならない。そうする理由がある。
 
 
「もし、よろしければ、その子供は・・・・」
せめて、と思ったのだ。道の傍らにいる者を見捨てて駆けることは。正義であろうが。
 
 
「子供は嫌い。だけど、あげない。あなたと違ってこの子は有望だから・・・・おいで」
 
 
そっちにいったが最後、二度と戻ってくることはない。子供でも本能的にそれが分かるはずだが、それでもこちらの方には、刀を振り下ろした自分の方には寄ってこない。
 
わずかな迷いもなく、子供はよろよろと御簾御輿の中へ入っていった。
 
 
止めるべきだ、と本能が警告する。底なしの井戸に落ちた子供を目撃したように。
が、止めてどうする?と生活記憶が異を唱える。井戸は底なしなのだ。誰に対しても。
公平に呑み込まれるだけのこと。それに、これは・・・・名誉なことではないのか。
望みがあると、選ばれたのだから。望みがないと切り捨てられた自分より。あの懐は、拒むことをしらぬ底無し。根の国への通行手形。隠れ里を産んだ深腹。
 
 
鎧武者どもが御簾御輿を担ぎ上げる。
 
 
「おばかさんのために、繰り返しになるけど、言っておくわ。あのひとのやることは、ほうっておけばいい。気にすれば術中にはまるだけのこと。何を仕掛けてきても・・・・・無視して離れておけばいい。風雲問題児のあの子も・・いくら強力でも、知るだけで効く毒はない。知恵の勝負ならわたしが負けるわけがない・・・そういうふうになっている」
 
 
「・・・では、例の式とやらにも・・・ご出席は・・・・」
 
「行くわけがないでしょ・・・・・そんな茶番。眺めることさえしたくない。あのひとにわたしをつかまえることはできない。逆はあってもね・・・・・昔からそうだった。・・・・・あなたは行きたかった?」
 
 
「いえ・・・」
伏せたまま、首輪、足枷をつけられていることを再確認させられる。
あの子供はこれからどうなるか。同情の資格はなかろうから同病の相哀というやつだ。
おそらくは、札無しの子供。ここではない、年齢を考えるとよそから連れてこられた、いやそれでも、おそらくは己の願いでやってきた子供。死んで花実が咲くものか、とはいう。花を散らすことだけはしなかった。ただ、それだけのこと。止めてください、連れて行かないでください、ということすら出来ない。管理者権限を使用することできぬ愚か者。
己の願いだけを、藁のようなそれを、掴んで離さず。溺れ死ぬのだろう。
いずれ。こういう人間は。
 
 
御簾御輿が運ばれていってしまうが、震えるだけで何も出来なかった。
怖かった。
恐ろしかった。
 
 
あの、影の女が。心底、おそろしくてしょうがなかった。使徒にも物怖じしなかった心が、底の方から冷え切ってくる。さむくてさむくて。つめたくてどうしていいかわからない。
起こるはずのない皆既日食に辻褄合わせの説明も出来ない不信心な神なき子のように。
 
 
竜を駆る身が、おびえていた。その気になりさえすれば、この堂ごと吹き飛ばしてしまうほどの力を操る手が、もう一度刀を握ることすら出来ずに、かたかたと震えていた。
それこそ茶番かなんの冗談か、というところだが・・・・・上空にて主を待っている竜は
 
 
 
 
竜は、鬼の影を見ていた。
 
 
天に三日月はあったが、それとはまるで関係なく、鎧武者どもに担がれる御簾御輿から伸びる影が、伸びて、伸びて、伸びて、伸びて、伸びて、伸びて、ぐんぐん、ぐんぐん、と鬼のカタチを成しながら、ぐんぐんと、ぐんぐんと、ぐんぐんと、天を衝くことはないが、家々を、町を、地を、それから海を、強抱きするように、異形に、広がっていくのを・・・・見ていた。一つ角をもった巨大な、旧尾道の町を一呑みにできるほどの、鬼の影。そこから先は、認識が阻害される。主ならぬ主によって、上階層の解釈権を行使されたかのように、機能に一時停止がかけられる。
見えぬ令呪で強引にねじ伏せられ、目で行方を追うことすら許されぬような有様は竜というより轢かれたトカゲの干物であった。
 
 
 
「ユイ様・・・・」
 
 
だが、従うほかない。いかにおそろしかろうが、ここは、あの力で切り取られたもの。
己はそこを管理しているだけのこと。どう足掻いても、あの境地に至れなかった。刀技も鍛造も。己に出来るのはこの左眼にある技や術をそのまま映し出すことだけ。もともと至るも何も歩き出してすらいなかったのかもしれない。そこから離れたアプローチが必要だったのだろうが、あまりにも己は、袋小路としての、水上左眼になってしまっている。
もはや後戻りはできない。この機会を逃すわけにはいかない。多少の犠牲には目を瞑る。
 
 
そのくらいなら、いっそ、散らしてやればよかったではないか。
 
左眼が響く。目から響く声というものは、狂気ではなく凶器。意思の刀だ。それを遠慮なく突き刺す。目の奥のモノども。先祖でもないくせに時代がかるな、と言いたいが。
 
 
あの子供、どんな目にあうのやら。おそらく、ろくなことではあるまい。
年の頃は、まだ七つにも届いていたか。なんぞ、握っておった。似た気魂の匂いは縁者のそれか。母者か父者か兄姉弟妹か、知らぬがそれと会いたいと。願っておった気もするが。
 
 
それらが亡くなっているのなら、願う方が間違っているのだ。だから・・・・
 
街が死んだのは、願ってもいいのかえ。ひょほほほほほほほほほ。目の嘲笑というのは体感でいえば、悪霊や悪魔に近い。それよりもタチが悪い。情け容赦なく己の心の柔い部分をざくざく削り取っていく。だが、その源を断ち切ることはできない。幻想ではない責め苦。悪霊や悪魔が寄ってきている方がよほどましだった。怪老めいていようが、それは正義の声であると理性は判決するのだが。
 
 
 
「・・・う」
 
のろのろと立ち上がる。身体はまだ服従の姿勢を欲していたが、そうもいかなかった。
 
己は、あまりにも水上左眼である。たとえ間違った進化をした袋小路一直線の女であろうとも。すでに詰んでいようとも。先に進む。海町でもやるべきことは山積する。
麻痺しながら傷をなめてる時間もない。弱者でいることを許せたらどれほど楽か。
 
 
代わりにひとつ、手を叩き、天井に鳴いてもらった。