「今日は、このくらいにしておきましょう」
 
 
「ありがとうございます!」
 
待ち望んだ水上左眼の一言に、思わず合掌して礼を返す碇シンジ。
 
すでに夕刻。水上金属加工、つまりはエヴァ用の刀剣製造に関する最重要機密・四神観音炉のある岩屋山から見える橙孔雀と鶴黄金に舞染まる竜尾道水道はなかなか美しかったが、見入っている余力はなかった。もうヘトヘトのヘロヘロであった。使徒戦の経験等で培われて持久力は年頃の平均以上にあるだろうが、それが。どうも使う体力が違っていて参った。
 
 
今日は早朝、朝の三時からやってきた水上左眼に四時出発で、竜尾道のあちらこちらを連れ回されたのだ。ちなみに移動手段は駕篭。何を考えているのか分からない・・・・が、逆らえるはずもなく、言われるままについていくほかない碇シンジとしては、竜尾道のあちらこちら・・・日常生活を送る上ではそれなりに歩き回りはしてきたが、ここの主である水上左眼が自分で引き連れるのだから当然、そんな通り一遍の観光名所めぐり、のようなことにはならず・・・・この竜尾道を稼働させている関係各所、そこを司る役職もちの重鎮らに引き合わされて挨拶させられ・・・・船にたとえると客室と甲板だけの移動領域だったのが、機関部分まで立ち入ることを許された、というか、無理矢理連れてこられたというか・・・・未成年なのにカジノや賭博場の責任者にまで会わされたのには参ったが・・・・しかもそのハードスケジュールには昼食の時間も設定されておらず、選挙中の政治家のように目まぐるしかった。せいぜい分かったのが、前にもらった水上左眼の名刺が嘘でも伊達でもなんでもないことくらいか・・・・・こうも突風のようにやられても身になっているかどうか・・・珍獣が見えない檻に入ったままで自分から人様に見られに参りました、出張ご観覧くださいというか。・・・・とにかく、ひたすら疲れた。特に後半最後三つの刀剣鍛錬関係の見学は疲れた。元パイロットとして男子としてそれなりに興味がなかったわけではないが・・・迸る熱気といい巨大武具が本質的に宿す殺気妖気といいあまりにその作業がキツイので常人にはとても務まらず、そこで働く人間は修行落命の覚悟を決めたほとんど僧籍なり神職なりというのだから、とてもただの中学生が社会科見学気分でいっていい場ではない。貴重な経験、普通に考えれば大いに勉強になる一日、のはずだが・・・脳と心に流し込まれて感性で咀嚼する間もなく総量があまりに膨大で・・・・腹を下しそうだった。リアルに。人生的に。
 
しかし、リアルに、昼食をとっていないので、腹が減っていたのも事実だった。
碇シンジの真実だった。この挨拶回りにどういう意味があるのかも、分からず・・・
 
けどまあ、とても疲れているので晩はもう栄養ゼリーみたいなもんでいいや、とも思う。
・・・こんなことしか考えられない己を、少しは恥じないわけではない。けどなあ・・・
 
おおまかに理解できたのは、水上左眼が自分の考えているイメージしているよりもずっと手広く金儲けをしているということだった。のんきそうな名称の割には訪問中も「マグロの卵はメダカよりも小さいんじゃそんなことも知らんのかボケー!!」「ICCA?TIATTC?IOTC?なにゆんとんじゃい!こっちはシャチもごめんと泣きじゃくる瀬戸内まぐろ類保存委員会じゃ!これ以上ゴダぬかすとただじゃおかんぞ!」漏れ聞こえてくる怒号と単語がはんぱない瀬戸内まぐろ類保存委員会とか、名前はSFっぽいが中身はココにしか残っていない熟練職人を貸し出すとかロストテクノロジーレンタルサービスとか、最高の音響設備を持ち込み音源で楽しめる名音喫茶「はつね」とか、一部気象操作ドラゴンウェザー(株)とかこれまで聞いたこともないような商売をやる会社がいくつもあった。
 
よそから財を奪ってぶんどって来るという海賊皇帝商売だけかと思っていたが。もちろんそんな感想口には出さない断じて。咀嚼できてないなあ・・・
 
 
にしても・・・・なにをいきなり張り切っているのか・・・・・ヒメさんは。
 
やってこられた機関部分の皆さんも、なんでいきなり連れてきたのかさっぱりな顔してたしなあ・・・・例外は地元新聞社の人だけだったかな。「ようやく解禁か」なんて言ってニヤニヤしてたっけ。「水上左眼は嘘をつかなかった!、というわけだ。凄腕ピースメーカー殿にインタビューしてもいいんだろうな?」とかも。邪魔者扱いされることはなかったけど。とにかく、ワケが分からない。なるべく寺から出るな、みたいなスタンスだったくせに。向こうは多分、こっちの顔なんか知ってるんだろうし・・・向こうがこっちに顔を覚えられることを歓迎しているようには・・・・見える人もいたし見えない人もいた。
なぜかカジノ賭け事関連のお偉いさんたちはものすごくいい笑顔だったけど。
 
たぶん、誰もヒメさんの意図が分かっていないのだろう。まあ、いい。終わったんだ。
今日の自分はよくがんばった、と思う。
 
 
これで解散して家に帰らしてもらえるのかと喜んだのもつかの間。次があった。
 
 
「今晩は私がご馳走しましょう。いつもご相伴にあずかっていますしね」
 
やはり自覚はきちんとあるらしい。その分のリターンがある分もさすがにざます師匠とは違う。もちろん、手料理などではない。ホテルのレストランに連れて行かれた。
 
民宿ではない、カジノ目的の札持ちの客を宿泊させるクラスのリッチな最上階。
比較対象の経験が少ないのでよく分からないが、エントランスの空気を吸うだけでお金をとられてもしかたがないよーなエレガンスさに満ちている。雰囲気も文化財モノというか。
 
ちなみに貸し切りで他に客はいない。ちょうどのディナーの稼ぎ時であろうに・・・ずいぶんと小市民が落ち着かない真似をしてくれるなあ・・・こっちが女の子だったりしたら喜ぶところなんだろうか・・・・?うーむ、ヒメさんは商売優先だと思ったけどなあ。
着替えもしない通学通勤帰りのファミレス使いみたいな雰囲気度外視なのはいいのか。
 
もっとドリーム見なきゃいけないのか?貸し切りホテルレストランディナー素敵!すぎ!きゃー!みたいな!!ああっ、左眼さまっ、みたいな!・・・・・だめだ、映画なんかだとマシンガンもった敵対ギャングが束になって襲いかかってくるようなアングルで、めちゃくちゃ落ち着かない・・・・この間のお寿司の出前みたいな方がいいなあ・・・・言えませんけど、そんなこと。
 
 
あー、早く帰りたい。父さんが待ってても待ってなくても。・・・そういった心の煩悶、碇シンジの落ち着かない様子を見て取ったのか、水上左眼は
 
「ああ、食事の前に一風呂浴びて、服を着替えたいのですね」
 
見て取ってくれるのは良かったが、かなり外れている。
「では、そのように頼む。烏帽子岩のごとく磨き上げてくれ」誰に命じた、というわけでもないのに即座に実行された。風呂に入れられマッサージされてエステされて顔どころか足の爪先まで磨き抜かれて途中、明らかに二十才未満は受けてはまずいような桃色系のサービスも乱入しかけたので必死で断ったりもしたが、おおむね非常にいい風呂夢気分であった。うそのように疲労が消えた。
 
その後も、用意されていたサイズ完璧のスーツ一式をスタッフ達によってかたって着せ替えられた。髪のセットや香水噴霧靴磨きはいうまでもなく、トドメに花束までもたせてくれる。
 
いやちょっと待て。お伽話の舞踏会におよばれしとんじゃないのだから、ここまでされる義理はないんではなかろうか・・・・・・とも思ったが、空腹もあり異議を唱える気力がいまいち湧いてこない。お姫様じゃあるまいし、勝手にこんなことされた日には・・・
 
しかしながら、鏡をみてみると、・・・・・
 
「ま、まあ・・・・あちこち連れ回されて・・・・・汗くさかったかも・・・・」
鏡の顔にはまんざらでもないと。「身だしなみは、大事だよね・・・・うん」
 
自分で買ったわけでもない花束を抱えてうきうきと席にもどってみると
 
 
「ああ、シンジ殿。やはり父譲りか、背筋の伸びる洋装は似合いますね」
 
 
水上左眼がすでに自分だけ食事を開始していた。どういうペースなのかすでに皿が十枚ほど重ねられていた。まあ、一風呂とはいえ実際あれこれと結構な時間が経っていたのだろうから・・・・とはいえ、こういうことをするなら席を同じにすることもなかろうに。
こちらがつきあえない食前酒でもやっていればいいのになあ、とも思う。食べるとは。
十皿もあればデザートまで終わっているんじゃあるまいか。花を花瓶にいれてもらい。
グラスにはミネラルウォーター、だと思う。たぶん。にしても食べるとは・・・
 
 
「では、始めましょうか・・・・・・・今日はお疲れ様でした、シンジ殿」
 
なるべく顔には出ぬように。またどのように誤解されるかわかったものではない。
付き合いも仕えもやりにくい人だなーと。思っていたら
 
「こちらの分は、仕事のようなもので・・・あと、三皿あるようですが、気になさらず」
 
返答に困るようなことを言い出す。見透かされてはいるようだが、にしてもなんの仕事か。
グルメリポーターじゃあるまいし、ここの首長が。そして、ウェイターにしては貫禄のありすぎる黒服の男性が揃えの料理を持ってくる。運んだ後に水上左眼に何やら耳打ちしていたが「・・・・構わない。急な頼みをしたのはこちらであるし、己の任を果たさずしてなんの城か。それに、今日のお相手は若いが些事にこだわる小器ではないよ」仕事分の三皿を持ってこさせた。奇妙なことに、中華風魚蒸しと和風の刺身と得体の知れぬ酢の物、と揃えできた洋風料理とは趣が違いすぎた。気になさらず、といっても・・・・美味しそうだし。
 
 
仕事、というだけあってどうも味わっているようではない、胃の腑におさめるのがそうである、というような速度だった。魚蒸しと刺身がすぐに片付いた。ロマンがない。
 
 
「シンジ殿も試してみますか?」
目は口ほどにものをいう。どちらかといえば、そんな酢の物より魚蒸しと刺身の方に興味があったが・・・まあ、遠慮しとくところだろうここは。「いえ・・僕はいいです」
 
「そうですか、まあ、その方がいいでしょうね・・・・・・・さて」水上左眼は最後の酢の物をぱくりとやった。
 
「これは・・・」
 
目の色が変わった。どうもよほど美味なものだったらしい・・・・・試させてもらっておけばよかった・・・・!と内心で無念がる碇シンジは特別いやしいわけではあるまい。
 
その後、食事は淡々と進んでいった。空腹なのとやはり次々運ばれてくる食事が美味しいからだった。こういうものを毎日食べて舌が肥えるというのは幸福なのか不幸なのか・・・真面目に考えてしまうほど、うまい。自分たちとこでのヒメさんの言い草も納得できる。もう自分でつくってみようなどとおこがましいことを考えられぬほどにうまい。これなら事前に十三皿食べていてもいける、いけてもおかしくないなあ、と、あのお腹のどこにはいっているのか分からないけど、そう思える。昼食抜き、ということも当然あるだろうけれど。
 
会話などほとんどないが、朝の四時からずっといっしょにいたのだからいまさら気まずさもない。「これ、おいしいです」「そうですか」「これ、すごくおいしいです」「そうですか」「こんなのはじめてたべましたよ」「・・なるほど」・・・・こんな程度でも。
 
「いかがでしたか?左眼様」
食後のお茶を楽しんでいるところに先の貫禄黒服が現れた。ここの支配人なのかもしれない。料理は申し分ない、こんな料理を自分たちだけ楽しんでしまってかなり罪悪感がある碇シンジであった。自分のためなのかもしれないが、ヒメさんも罪作りなことをするなあ・・・・・こういう美味しい物は皆さんで分かち合わないと。
 
 
「そうだな・・・・四番と八番と十三番は提供禁止とする。各店に通達を」
 
 
「え?」
一瞬、水上左眼が何言ってんのか分からなかった碇シンジ。が、命じられた方は恭しく・・・・それも尋常でない恭しさで深々と一礼して去っていった。よほど頭に来たのだろうか。それを一切表に出さず、ああ振る舞えるというのは・・・・プロだ。というか。
 
 
「て、提供禁止・・・って、なんか悪いところでもあったんですか・・・?」
いくら支配者とはいえ、美味しい料理を独り占めしようというのはやりすぎだ。
それが楽しみで支配しているのだ、と言い返されたらもうどうしようもないが。
 
「悪いというか・・・・・毒を食らうのはなるべく避けた方がよいでしょう。観光客相手ならばなおさらです」
 
水上左眼はあっさり言った。何かの隠喩なのかと思ったが・・・・・「毒、ですか」
自分が戻る前にたいらげていた十の皿、それからあとの三の皿。仕事で食べたというあれ。
 
 
「ここにはさまざまな海産物が集まり、それを料理して人の胃の腑におさめて糧とするわけですが・・・・第二次天災の影響か、分かりやすく変異したものも多いですが・・・これまでと同じ調理をしても思わぬ毒素を生じたりするのですよ。まあ、用心のための毒味ですね」
 
 
「毒味・・・・って、普通は・・・・」
城に住むという水上左眼は普通、殿様の役であろうし、お毒味は誰か他の・・・ものが引き受けることに普通は、なるだろう。目の前の片眼の女に下半身も凍りつく碇シンジ。
 
「私は普通と違いますから、大丈夫ですよ。人の手の介在せぬ毒は効きません」
これは仕事の内のひとつで、とくだん誇ることでもないらしい。義務ですら。
 
「じゃあ・・・・人の手が加えられた・・・・ものだったら・・・・」
ヒメさんはカバじゃないですか、と思わず言いそうになったがこらえる。
 
「なおさら効きませんね。私には竜号機がついていますので」
おそらくそれは答え半分なのだろうが、残りを問いただす度胸は碇シンジにはない。
そういえば、このヒメさんは十三番の酢の物をこっちにすすめてなかったか?
 
「まあ、それほど驚かずとも。私の芸など大したことはありませんよ。大三の一族に比べれば」
「大三・・・ダイサンさんの?」
「そう。同じクラスでしたね。私のをロシアンルーレットとすれば、あれらは大砲を喰らいこんでいるようなもので。観光客は知りませんしその必要もありませんが、基幹を支える縁の下の・・・いやさ、この街の、船底ですね。黙って忍んで下支えする者がいなければ人は墜ちていく。天国ばかり見る者が地獄に落ちるように」
 
 
「・・・・・・」
非常に居心地が悪くなってきた。先ほどのうきうき気分がどこへやら。そういえば、この服をどうすればいいのか。まさか脱いで走って逃げるわけにもいくまい。
毒を吐く者ならいくらもいようが、毒を喰らって平然となると・・・・・・
貫禄黒服のおじさんの礼の恭しさの意味がわかった。
 
なんだろうこの箱に入れられたような感覚は・・・・・・・逃走経路が見つからない。
しかし、こちらは未成年。そろそろお家に帰らねばならぬ時間だ。
このまま時間切れを
 
 
「今晩は部屋をとってあります。いろいろとお聞きしたいことがありますので」
 
 
拘留期限延長、というべきかこういう場合は。
 
 
「まだお伝えしたいこともあります。明日も早く、今晩は寝る間もないでしょう」
 
 
誤解を招く気もないようで、きっちりと必要なことを述べてくる。
心臓がドキドキどころかキリキリしてくる碇シンジ。うう、さきほどの美味料理が胃に。
なんかの実験というか仕返しに、こっちの食事にも毒を混ぜた、とか・・・混ぜたなら混ぜた、っていうわな、このヒメさんなら・・・・このハードペースで夜もですか。
もたない。っていうか、明日もか。冗談じゃない、どこの財閥の入り婿修行ですか。
 
 
「ででも、父さんが一人で今頃、餓死してたりしてたら・・・・・大変・・・だと」
「そう思ってケータリングを手配しておきました。今夜のディナーと同じものを」
 
自分でも、そんな奴いねえ!!的言い訳だと思ったが、案の定通じるわけもない。
 
 
「シンジ殿にはさらに詳細にこの街を知っておいてもらった方がいいでしょう・・・・・我が身の半身・・・そう、軍師としての、仕事ですね」
 
 
どこまで本気で真剣なのかよく分からない。
全てがそうなので、それ以外、というのがもしかしたらないのかもしれない・・・
鞘をどこかに置き忘れた、剥き出しの刃。しかも錆びることもない。斬りまくり。
 
 
そのようなやばい人間を碇シンジはもう一人、知っている。
刃物には刃物。しかしながら、助けて、などと言えた義理ではない。
 
 
なぜかテーブルに飾られた花瓶の花が、ばっさり落ちた。椿でもなし。