私怨で人の息の根を止めに行ったことが、一度だけある。
 
 
しかも、明らかな逆恨みで。
 
 
息子に送る指輪を見ながら考えることではないのだろうが・・・・過去の想念は浮かぶ。
 
 
「なんで、あんな女がええんや!!この裏切りもん・・・あんたなんか・・・あんたなんかな、・・・・鬼に喰われて死んでまえ!!」
 
自分の、というより六分儀の、といった方が正しいのだろう、許嫁がいた。
 
血を絶やさぬため、古い碁盤の京の流れを乱さぬ為の、古狐狸が考え出した組み合わせにすぎぬとしても、さしたる文句も疑問もなかった。闇の中にあることが当然かつ自然の人生であったのだ。日の光を浴びることだけが、命の仕事ではない。興味もなかった。
夜闇と街の影の中、歴史の手入れをしながら日々を暮らす、それが己の器だと。
世間は知らぬが、己の内に流れる血の重さと濃さと値打ちを正確に知り行使できる女に沿うことも、また。
 
 
が、実際に、その陽光が、ひとのかたちをして、己の目の前に降りたってみると・・・・・そのような古館の穏やかさとは縁を切るしかなかった。ふりそそぐ幸福の花畑、などでは全くなく。波風が、立ちまくった。嵐が始まり、雷が鳴り響き、ところどころ血まみれの槍も降った。まさしく、風雲は急を告げた、というやつだ。碁盤の奥で金を数えていればそれでよかったのだが、そうもいかなくなった。己の器に不相応な相手、ではあったのだろう。
 
 
が、それしか見えなかった。・・・・・向こうは、割合に冷静に見えたのが、男として少々悔しくもあるが。
 
 
その結果、いろいろあった。結論だけいえば、己の姓が、六分儀から、碇に変わった。
 
生まれ育った、それからそこで生きて死ぬはずであった碁盤の京を離れることになった。
予想もせぬ形で。連れ合いが地球のあちこちを高速で動き回るのだからそれにつきあえば自然、そうなるわけだが。変転ではある。天動から地動ほどの。六分儀である己など、蝉の皮のようなものだとさえ。目が、眩んでいたのかもしれない。
 
 
隣に、日の光を体現したような女がいるのだ。己の器では、それも南無三であろう。
 
 
時が過ぎ、
 
 
己の息子が、ああいうことになるまでは、闇に潜む己の血筋のことなど、思い出しもしなかった。それほど、己は舞い上がっていたということか。今はもうない春の花のごとく。沈思黙考どころか、完全に思考停止していた。蘇るのは、昔日の呪い。己が喰われるのは自業自得というものだろうが。
科学では、説明のつかない、納得のいくはずもない、現象の前に。我を、忘れた。
 
 
契りせぬ女の呪いなど、信じていたわけでもなかろうに・・・・・
 
 
久々に戻った故京には、あっけない結末が待っていた。
 
 
 
この、指輪、というものも・・・・互いにかける呪いのようなものでは、ある。
 
 
息子に送る指輪を見ながら考えるには、あまりに不吉な・・・・・ことばかり。
 
 
長らく馴染んでいた着流しから、ようやくの洋装の碇ゲンドウであるが、表情もその色も暗い。暗黒であった。黒兜を介した怪しい呼吸音が聞こえてきそうなほどに。
 
 
まあ、これから始まることも単なるひとつの修羅場であり。思い返して幸福になるイベントなどでは断じてない。誰一人幸福になる者はいないが・・・・やらねばならない。
 
 
「父さーん、そろそろ準備できたー?」
 
 
寂神房の外から息子の呼び声。緊張も気負いもなさそうなそのマイペースさは、頼もしさを感じていいのか、かわいげがない、と味気なく思うべきか・・・・実際に大変なのはこいつではないから、ということもあるが。ともあれ。
 
 
息子はこんな調子だが、ここにおり。
 
 
妻のやらかしたことは、夫が責任をとるしかあるまい・・・・・・
 
 
そこに、巻き込んだり、いやおうなくサポート役にかり出された者に対する感謝の心は実のところ、あまりない。器、というより、やはり碇ゲンドウも人間であり、緊張しているのであろう。
こういう時、ふだん口数の少ない人間は、多少、得をする。
 
 
「今、行く」
その、重みのある声だけ聞けば、なにか深い真理を考えてそうな感じであった。
真理など遠く。ただの、古びた雑念。無駄無用にして、捨てることができない。
 
房が開き、碇父子が出陣する。たった二人で。父は黒の、息子は白の洋装で。
 
鬼がでるか、蛇がでるか。しくじれば、二度とここから出られまい。
 
携える名刀もなく、その身を鎧うこともなく。
 
父は指輪を、息子は看板、手と背にし。
 
 
ふたり、てくてく歩いてく。
 
 
今回だけは、今日だけは、必ずのこのこやってくる「敵」を待ち受け捕らえると。
決意を秘めて。
 
 
「看板の文字、書き直したんだけど、変じゃない?」
「あからさまに稚拙な素人仕事だが・・・・今は、かまわん」
「かまわないなら、前半部分は脳内削除しようよ!なにそのツンツンの毒舌!分かりやすいけど傷つくよ!・・・・でも、そこまで変なら書き直そうかな・・・・」
「そんな時間はない・・・」
「いやでも、その部分が変だと・・・怒るんじゃない・・・?アスカ、たち」
「漢字は、間違っていない・・・・筆順もだ。問題は、ない」
 
 
雑談しながら、てくてくと。
 
ちなみに、看板は漢字の間違いや筆順がどうと言う前に、「水」の消し残しがあった。
 
 

 
 
 
だまされた
ダマサレタ
だまされた
ダマサレタ
だまされた
 
 
黒い花嫁衣装というとんでもないシロモノ、というか、クロモノに身を包んだラングレーはえんえんと同じ事を呟いていた。その様子はまさに怨念のみを吹き込んだ音飛びレコードであり、怪奇ホラー以外のなにものでもなかった。女性よりかえって男の方が近寄りがたいものがある。その有様を目撃しただけで、ピュアなドリームがクラッシュすることうけあい。悪夢と添い寝する日が余裕で100日は続くであろう。
 
 
だまされた
ダマサレタ
だまされた
ダマサレタ
だまされた
 
 
ここは控え室になっている多聞商店なるお土産屋であった。本日貸し切りにしてある。
お土産屋なのはとくに意味はなく、ただ目の前の広場が本日の会場になっているためだ。くじの景品にでもなった気分に浸れる。しかも、当たるはずのない、子供たちの目には眩しく輝かしいが届くはずのない<特賞>・・・・引き当たるはずがないのに当たってしまった伝説的な、それ・・・・もちろん、そんな自分の周りには贈答用の花とかおめでとうのフラワーとかしあわせになれますように、のブーケとかその他もろもろ祝福のアイテムなどは微塵もない。会場に最短で人の目を気にせず着替えられるように、というか、この格好でウロウロ外を歩き回れるはずもないので、それだけの配慮で作られた準備空間であるからそもそも、そんなことを考えの内にいれるほうがおかしいのだが・・・・・実際、碇シンジの方は寺の方からすでに着替えて荷物をもってここまで歩いてくるのだ。
 
 
いや、まあ、わかってはいるのだ。
 
じぶんは、騙されて「ない」のだ。だまされるわけがない。
 
もともと、そんなことはありえないのだ。指輪なんぞ見せられてときめくか。
 
あえていうなら、だまされたのは、ドラの奴だ。・・・・いや、ダマサレタ、というか、今のドラなら碇ゲンドウが命じれば、それが受動的なことであればたいていのことはやるだろう。きれいなべべに着替えて、すわっていろ、と頼まれてもさして疑問も疑念ももたずに従うしかない。それでも、その隣に碇シンジが座る、ということになれば耐えきれないだろうから、実際のところは、自分がその任にあたるしかない。いまのドライが碇シンジに覚える恐怖感は尋常のものではない。逃げ出すくらいならまだしも。それすらできず固まったまま人前で失禁なんぞされたらこっちも立ち直れない・・・・・
 
 
あー・・・・・まさか、こんな役目が自分にまわってくるとは・・・・・
まー、指輪の存在を一番始めに知ったのは、わたしなんだけどさ・・・・・
 
 
だまされた
ダマサレタ
だまされた
 
 
そんなわけで、ラングレーがこれを繰り返すのは無意識であるのだろう。
 
 
「・・・すいません、失礼します。蘭暮アスカさん、ご準備、よろしいでしょうか・・・」
 
 
ノックではなく、ふすま越しの声なのだから雰囲気も何もない。もう時間か。
 
呼び出しの声は、まさに腫れ物にさわるようなそれであり、それだけでもう、なんかここら一帯燃やしてやりたくなるが・・・・・なんとか堪える。逆の立場なら(そんな役目なんぞそもそも引き受けないだろうが)自分もこんな衣装をまとった女の扱いにはそりゃー困るだろうからだ。実際、下手に触れられると、いろいろ噴き出しそうだし。正解だ。
 
 
「どーぞ・・・」
 
 
好きにせい、とか、煮るなり焼くなり炒めるなりいかような火力にてもお相手つかまつる、としかいいようがない。ここまで来たからには腹を括るしかない。もう戦陣の中にあり。
 
祝宴と見せかけてそれが騙し討ち流血の惨事になるなんてことは、太古からのお約束だ。
 
どちらかといえば、血が騒いでこないとおかしいくらいなのだ。一応、ここまできた目的も果たされるのであるし。碇ゲンドウは、約束した。今日、この場所に、碇ユイが、必ず、現れる、と。ドライがこんなことになって幼児退行というか弱体化してしまった現状態では順序が逆になってしまったが。こうなれば、アスカが戻らなくても・・・・と思わないでもないが、そんなことを悟られるほど愚かでもない。特に、碇シンジなどに。
 
なんにせよ、一区切り、ケジメはつけられる。この茶番に付き合うのもサービスだ。
 
この父子がどうなるのかどうするつもりなのか、正直、知ったことではない。クスブリに近づくとそれが伝染する。風向きの悪いやつとは付き合わないのが業界で長くやっていく秘訣である。返り咲きもまずなかろうし。
 
とりあえずは、弐号機をこの手に取り戻さねばならない。それは、必須だ。
 
早く、試してみたいのだ。火の理、炎の法、暴廻ではなく循環、緻密に構成された火焔の技、ひと味もふた味もさん味もちがった秘回路が開かれた己の力を・・・。
楽しみだ楽しみだ。ダウナーになる要素などなにひとつない。・・・・はずだ。
 
 
ふすまが開いて呼び出しの、城の事務員だとかいうにはえらく若い若すぎる、少女が現れて。
 
 
(・・・うわー)
 
と、声にはださないものの、口をOにして顔に書いてしまっている。端的な内心を。
 
 
「こりゃ、ひでえ」
 
と、実際声にしてしもうとるのは、この良き日だろうがテキ屋の格好をした眼帯隻眼の女。
岡山弁でいうところの「おえりゃあせんのう」というやつだろうか。
 
 
「・・・・・・」
 
普通、ココは相手がどんなオカメでも「まあ!なんて綺麗な!」とかいう場面だろう。血も涙も人の心というものがないのかこいつらは・・・・・いや、まー、逆の立場なら自分も同じような反応をしただろう。まだ、気を遣ってもらってる方か・・・・血も涙も人の心もないのはあの父子だ。こんなのは単なる仮装だ。仕方なしに、やってやってるのだ。
 
 
「あ・・・、まあ、とはいえあれだ、なあミカリちゃんよ」
「そ、そうですね・・・・・状況とマッチしていないだけで。本番以外にそういうのを着ると、婚期が遅れるとかいう話もありますし・・その逆、リバースしたといいますか・・・・わたしたちも実際、驚いていますので・・・・あまり、お気にされない方が」
 
こちらの沈黙をどうとったものやら。べ、べつに泣きそうになどなっていないというのに。
そういうフォローは逆に惨めになってくるのだが。
 
 
「あんま見るんじゃない・・・・あんたたちはそろそろ配置についておくれ」
後ろについてきていたらしい子分たちにそう告げて後ろ手にふすまを閉じる水上右眼。
 
 
・・・・・そんなにひどいのであろうか、いまのこの格好は。
 
この格好でいまから人の目の前に出なければならないのだが・・・・・
 
こんな役目は別にどうしても自分ではなくても構わないのだろうが・・・・それだけ引き受ける者がいない、ということでもある・・・・だまされたダマサレタだまされた・・・・墨がたっぷり詰まった蛸壺プールにはまりこむ己をイメージして凹むラングレー。
 
 
「実際、やることは葬式に近いんだろうから、それでいいんだろうさ。ある意味、唯一人、正式に招かれた客、だと思った方がいい」
 
が、水上右眼にそう言われると、ふっと浮き上がる。「息子の方はよくわからんけど、親父の方はふざけてこんな真似するような人じゃあないよ」
 
 
目的達成のためには手段を選ばず奇行も避けず、といったところ・・・・確かに、それは父子だ。息子の方も同じようなことをやってくれた。やりやがってくれましたよ確か昔、最近!くそ、思い出してきた・・・・・健康には悪いが思いだし怒りで凹みが戻るラングレー。逆に膨張凸ってくる。
 
 
「・・・空気がキナ臭い感じでシリアスに戻ったところでおたずねしますけど・・・・・・・あの、左眼さまを、ほんとに助けてくれるんでしょうか、あの人たち・・・・・ふざけてはいないんでしょうけど、なんだか、必要とあればいくらでも嘘つきそうな感じなんですけど」
 
 
「「あー、それは間違いない」」
 
水上左眼とラングレーがハモった。「「その通り」」続くセリフまでも。
 
 
「ええっ・・・・・そんな・・・・」
今回この式の手配で一番働いたに違いない縁の下の事務少女が愕然ノ事実を告げられて。
いまさらいまさらいまさら。先ほどからのラングレーの呟きにこれこそ同調してもいい。
 
 
「だがなー、ミカリちゃんよ。そりゃうちの妹の方が悪いんだ。よその都の大将を幽閉してその子供までゴタゴタに乗じてさらってきてんだからなー、そんなところにノコノコ戻ってんだから捕まってもしょうがねえ。てめえでケンカ売るようなマネしといて都合が悪くなれば助けてなんて、そんなブザマ、口が裂けてもいわねえだろう」
 
子供に言ってきかす口調ではあるが、声は重い。直接言われたわけでもないラングレーにまでずしり、と重心に効いた。事務方の少女にはひとたまりもなかろう。が、
 
「格好つけて死んだら、どうしようもないじゃないですか!!ブザマのどこが悪いんですか!今まで左眼さまはずっとがんばってらしたんです!!ここでちょっとくらい誰かに助けを求めて何が悪いんですか!」
 
黙らず、言い返しさえした。「直接の原因はわたしです、わたしがあんな手にひっかからなければ左眼さまもあんなところに行くことはなかった・・・・・それを承知でいいますが、右眼さま!!なんで!左眼さまを助けにいかれないですか!あなたも左眼さまと同様、それ以上の力をお持ちなんでしょう!このままじゃ・・・」
 
 
別に本物の花嫁ってわけじゃないから、ハッピー会話のみをせい、とはいわないが、目の前でこう関係ない人間の重たげな話をされてもラングレーとしてもかなわんものがある。
 
 
右眼のエヴァ・ヘルタースケルターがどうあっても、動かせないことを承知している以上。
 
 
それをこの事務少女は知らぬ・・・・・こともあるまいから、承知でそれをやれ、と言っているのか・・・・地元全域より水上左眼、雇用主ひとりが大事、というのも。
 
 
「ケンカ慣れはしてるけど、野蛮人の村ってわけじゃないから、すぐにブチ殺されることはないと思うけどね・・・・・ある意味、貴重な戦力には違いないから、人質か、最悪でも、洗脳されて忠実な兵隊として生きては・・・・・・・」
 
それのどこか野蛮人の村ではないのだろうか・・・・・と、言ってしまったあとで気づいた。てめえの発言もまた花嫁らしくない、いや逆に、黒衣の花嫁として、それらしいのか。
気分はネクスト・ザナドゥ。
 
「あ、いや、いつも金欠のネルフだから、体制変わってよけいに台所は苦しいだろうから、天文学的賠償金くらいでかんべんしてもらえる可能性もあるし。その場合、金勘定ができないと向こうも困るから・・・・・・」
 
別に主の帰りを待ついたいけな子を絶望の淵から叩き落とすつもりはないのだが・・・・
顔色が青をとおり越して白くなってしまっている。
やはり事務方に、天文学的賠償金、などというワードは地獄すぎたか・・・・・
 
 
「容赦ないねえ・・・・・・・」
水上左眼がため息ついて
 
「ミカリちゃんよ、あんたも、あまり思い詰めなさんなよ。妙な話を聞かされても、うかつに心に入れちゃ、いけねえよ」
 
「お金でカタがつくなら、上々、ということですか・・・?」
 
「妹がどうなろうと、自業自得の報いが来たってだけのことだが、あんたはそうじゃない・・・・・・・できないことは、できないんだ。諦めが肝心なことだってある」
 
「わたしは諦めませんよ。左眼さまが助かるなら、こんな街が潰れようとなくなろうと」
 
白くなった顔色にその眼光はあまりに昏く映える。
 
「段取りはすべて、調えましたから。あとは、どうぞご自由に・・・・城に戻ります」
そして、事務少女は出て行った。
 
「意志が強いのと強情は違うんだがなあ・・・・・と、天風さんも仰ってるんだけど」
「いらないことを言っちゃったかしら」
期せず、この地に到着直後の面子になってしまった。素性と事情を知る者同士、物言いにちっとは遠慮がなくなる。
 
「良薬は苦いもんだからね・・・・・根のない甘言よりはよほどいいよ」
「で、実際のところ、あの父子は動くの?」
「・・・ここで返り討ちにあえば、動くも何もない、ただの屍だよ。死人に頼みを背負わすにはいかないさね」
 
そんなことをすっぱりいうこの女が、皿山とかいう子分に特殊能力で心臓止められて気絶するまで土下座し続けたことを、隠れ見ていたドラの目を通じてラングレーは知っている。
 
「だいたい何割の見立て?」
「・・・・どうするのかさっぱり分からないから見立てようもない。けど、ただのケンカなら・・・・家庭争議というか家族戦争というのかね、この場合・・・・戦闘力のケタが違う、かないっこないねえ・・・なにひとつ揺るぎも揺らぎもなく返り討ち率100%・・・ほんとにここが葬式になるよ・・・・・そもそもホントに出てくるかどうかが・・・」
 
「・・・・・出てきた?」
右眼の言葉が止まったのは、子分からの無線連絡を受けたからだろう。
これほど剛毅な女が息を呑む音。連絡事項はそれしかあるまい。
 
 
 
碇ユイ現出。
 
 
 
水戸黄門やシリーズものにありがちな、単純なニセモノであれば、話は早く、あの碇の父子がこうも手をこまねいたりはしなかった。水上左眼を従えるほどの力をもちながら、表には絶対に出てこないせこさをも持ち合わせる、という、イヤーンの中のイヤーン、イヤーン・クイーン、それもG級、そのくらいの超イヤーンな相手が。なぜか。とうとう。
RPGに喩えれば、ラスボスより強い隠しダンジョンのシークレット最奥ボスが。
 
 
衆人環視の、モロバレに罠でござーいござーるな状況に、のこのこと。
 
 
「バカじゃないの・・・・?・・・・・・いや、ここで現れてくれなかったらこっちがそうなってるんだけど」
 
絶対服従の支配者、水上左眼の不在時に。まさかの、登場。
 
喩えのついでにさらにいうなら、べつに古式にのっとって花嫁をさらいにきたわけでも、あるまい。かわゆい花嫁のコレクション趣味があって持ち帰りするために現れた、とかいうカバなオチでもあるまい。
 
 
「この天気に赤い唐傘さして、黒火を灯した提灯さげて、駕篭にも車にも乗らず、国道の境界から歩いてきてる・・・ゆるゆると接近中・・・・こちらは旦那息子に揃えず、名人の作に違いない和装だと・・・・・本気で、まともに、ここに出席するつもり・・・・なのかね」
 
「さあ。こっちに聞かれても。なんにせよ、この格好も無駄にはならなかったわけ」
 
特に何をしろ、とは言われていない。碇シンジの隣でちんまり座っていればいいらしい。
やばくなれば、当然のこと逃げる。こんな茶番でケガもらってもつまらない。
碇ゲンドウ、碇シンジ、碇の男どもがどういう目に会おうと、知ったこっちゃない。
 
 
が、興味は、ある。
 
 
ゆるゆると、近づいてきているという「碇ユイ」の顔を拝むのも、悪くはない。
 
ずいぶんと信服しているようであるアスカは残念がるだろうが。見たければ早いとこ戻ってくればいいのだ。どこまで飛んでいったのか知らないが・・・・。
 
ドラの奴もこの邂逅によって調子を取り戻したら・・・・とも思うが、パワーアップした現在の自分なら力負けすることはないだろう。今のまんまだと日常生活にも問題あるしなー・・・。いっそ、碇シンジは殺ってこの無法隠れ里に埋めておこうか・・・・・
 
 
そんなことを考えながら、”出陣”するラングレーであった。
 
ミカリが城に帰ってしまったので、付き添いは右眼が務めることになった。
「威勢がいいのはいいんだが・・・・あ、そこ気をつけないと引っかけるからな・・・破れたら最悪だ」
付き添いが、こんなテキ屋ふうの格好で、となればどこの古き良き任侠いやさ人情映画かと思うが。
 
「へいへい、分かったわよ・・・」
表面上はしずしずと。内心の物騒さを覆い隠しつつ。貞淑な感じで。
目を合わすとばれる恐れがあるので、ヴェールは目深に・・・・なんか悲しみに暮れた未亡人のようだが、実際、悲しいことは悲しいので心情マッチの実質本意だ。
 
 
建前上は、というか、設定上、といった方がいいのか・・・・「ちかい未来のダンナさま」となる碇シンジの隣に、しゅくしゅくと。あー、すごい設定だ。超☆設定だ。あー、やだやだ。偽装婚約発表会の席上に向かう一分前なう。だまされたダマサレタだまされた。
 
 
白馬に乗った王子とかが助けにきてくんないかなー・・・・・これってかなりの不埒な、悪行三昧じゃない?こういう時、日本じゃ仮面かぶったサムライとかが来るんだっけ?
 
 
「・・・頭が重いかもしれんが、もう少し前を見ねえ、すっ転ぶぞ」
「うるさいわね、大丈夫よ」
 
仮装にして偽装であるのを承知であるから怒るのは筋違いであろうし、かといって喜ぶ義理もありはしない。そこまで演技するのもサービスしすぎであろうし、それ見て誰が喜ぶわけでもなかろうし・・・・。葛城ミサトたちがこれを見てたら、ちょっと微妙だが。
からかうにも、からかえない、といったところかもしれない。この黒衣にまぎれるように、シブシブ〜・・・・といった立ち位置がちょうどいいか。
 
うわきゃ〜〜!!
控え室の土産物屋から出てすでに集まっていたギャラリーどもの視線と、声が、「痛い」。
 
なるべく、耳から心に通じさせないように。痛い、というより「カユい」に近いが。
 
この格好で顔が緩む、などとはプライドが許さない。事情を知らぬ者からすれば、路上芝居のような受け取りなのかもしれない。色はともかく、生地の素材といい、モノはかなりの高級品なのだよなあ、この衣装も。要所要所の装飾品の類も、イミテーションではない。
今の自分にとって「うわー」とか「きゃー」とか「ほお」とか面識もない者たちの声は雑音にすぎないが、おおまかに九割は賞賛の色があるような気もするが。そういえば、撮影は禁止だったっけ。残る一割は、こちらの値踏み。
 
・・・顔など、あげられない・・・。
 
 
とはいえ、水上右眼に指摘されたように、ほんまに素人カメラマンによる衝撃映像、みたいなハメになってはたまらんので、ちょっとは視線上げて到着予定位置を確かめる。
 
 
碇シンジの隣
 
 
鯨幕と墨絵の屏風、黒毛氈で区切られた、ちいさな陣地。
黒布を垂らした台と、黒塗りの椅子。
自分の椅子は、長く座って疲れないものにするように注文だしといたがその通りのもの。
旦那のは座る気もないのか事実、立ったままであるが、武将のまねでもしたいのか床几。
 
 
碇ゲンドウはそこにはおらず。少し離れた「ご両親の席」におられる。自分はパイプ椅子にすわって平然としているが、隣の・・・おそらくは妻の席、母の席、碇ユイの席となるのだろう、椅子だけはこの場にあって異様の赤。巨きな卵を割ったようなソファに近い安楽背椅子・・・・妊婦でもゆったり座れるだろうサイズだ・・・・・目を引くが、そこがこの式の<中心>だから、当然といえば当然か。
 
 
碇シンジのとなり
 
 
視線上げて元に戻す動作が、碇ゲンドウに一礼したように見えたかもしれない。
 
まったく面識もない関係もない見物人たちの何人かがそれだけで感極まったような音を出すから不思議なものだ。場の雰囲気も締まったというか。それだけで感情移入させるほど芝居の才能があるとは思えないのだが・・・・・ちなみに、碇ゲンドウはこっちの親でもないし。それから、自分の両親は、絶対に、ここにはこれない。とはいえ。
 
ここまでくれば空気を読み、観客の期待に応えるのも仕事の内であろう。
 
 
「それじゃ、ここまでだ。長旅、おつかれさん」水上右眼が、支えの手を離した。
見た目によらず、その手つきは見事というか鮮やかで、ふわり、ぴたり、と一発で一条のよれもなく完璧に黒花のドレスは収まり、咲き決まった。もはや一つの芸であった。
「あ、ありがと・・う」
 
神に誓うための神父や牧師がきてるわけでもない。来てても怖いわけでもないが。
 
その感謝は本当ということにしても、いい。あー、それから。お決まりの定型パターンとしては、だ。ここで、新郎役からこうリアクションがあるはずなのだが。この場合は、嘘でいいのだ。嘘でいい。それでいい。それから、今日の新郎役はよーく口がまわってそれが得意ときている。期待は、して、いいだろう。待つ。しばし、間をおいて。
 
 
 
・・え?放送事故ですかもしてかして?というほどの時間が流れたが、言の葉はなく。
 
 
かたかた・・・
 
 
かたかたかた
 
 
なんの音?
 
 
かたかたかた
 
 
自分の心音でもなかろうし、地震で台などが揺れている、わけでもない。
 
 
碇シンジの隣に立ったとたんに、そんな音が。した。
聞こえる。
 
 
がたがたがたがた
 
 
気持ち、三分の一歩ほど近寄ってみると、音は確かに。碇シンジの方から。
 
 
震えている。
ぶるっている。
振動している。
 
 
また、ちら、とヴェールから目線を上げて覗き見るに・・・・どうも、武者震いとかいった類ではない。ようだ。顔色といい、そもそもこちらを見ていない遠い目線といい。マジでびびっている。そんな震え方だ。ニセモノを相手にするのに碇シンジともあろう化け物がなにをそんなに・・・・アンタがそんなにびびっていたらドラの立場がないだろうよ。
緊張のしすぎで生態マナーモードってタマでもなかろうし。
 
 
それに、こんなあほうな茶番につきあうこっちの立場もない。
 
だいたい、水上左眼がいなくなった途端に、こんなこと強行するんだからなー、卑劣というまでもないが卑怯というか、普通、主人公のやることじゃないなー。正面切って説得するとかいう方法が一般的だろうに、鳴くまで待とうホトトギス待てば海路の日和あり、みたいな。まあ、結局最後はそれが最強だったりするわけだけど。
 
 
しかし、もし、なんかの手違いで「本物」が降りてくるんだったら、電撃退散する。
 
文字通りの山の神が、この海街に、境界越えてやってくる、などと。
巻き添えなんかまっぴらごめんこうむる。下手に関わってるところを見られて目をつけられてもかなわない。あたしにゃあ、かかわりのねえことでござんす、だ。
 
 
とはいえ、手が動いた。握った手は左手だったが、しかたがない。
 
 
「未来のだんなさま」が立ったままなのに、その隣で自分だけ座り込む、というのも絵的にまずかろう。冗談じゃねえ、と思うが、しかたがない。こんなバカ式、非公開にしとけばよかったのだ。そうなら碇シンジなどガタつこうがどじょうすくいをしようと好きにさせとくのだが。
 
 
「すわろ」
 
ツバメのこっちゃない。「え?」碇シンジはようやくこっちの登場に気づいたようだが、史上最低最悪レベルの大根新郎ぶりだ、なんとか内部のドライも抑えられる、二者ともびっくりあっけにとられている、世話が焼けるぜなう。終了予定時刻も見えていない。いらん体力も使えない。座っていれば、多少、震えもごまかせる。だろう。
 
 
・・・・その震えは、根深い。自分が握ったところでおいそれと安定して消えはしない。
 
自分にも伝わるそれは、心を脅かす。ほんとにニセモノ呼び出した「だけ」ですんだんだろうな、これ・・・・・とはいえ、二人ならんで座って衆人環視の中、ふるえていれば世話はない。いろんな人間が見ているのだ。もしかしたら、高いところからアスカとか。
 
 
荒事になるのはもう決まったこと。穏当になど終わりはしない。誰も喜ぶものはいない。
形は歓喜と祝福の場にして、その色を反転した。鎮座する中身も、やはり同じく。
 
 
それは、このラングレーが望むもの。
 
単なる客寄せ珍獣パンダ扱いで終わり、というのもあまり面白いものでもない。