かわいい七つの子のために
 
 
鳴くからすはいないけれど
 
 
夕方に、なった。
 
 
きりり、ぎりりり、と歯車軋む音を幻聴させながら、「碇ユイ」であるはずの和服の女は坂をあがってくる。その、遅滞ぶりは人間離れしている。寿命の切れた茶運び人形を無理矢理使役しているかのような、不自然な遅さ。そこだけ時間の流れが遅くなっているとでもいうようなスローモーション。その態勢姿勢は凜として。体調の悪さが理由ではない。
何十とある目に見えぬ壁のようなものを、くぐり抜ける手間をかけているようでもあるし、
これまで破壊した鎧武者どもがまとめて怨霊になり綱引きのように後ろ髪をひいているようでもある。
 
 
解決策は容易。来る者がのんしゃらんとやりすぎならば、迎えをやって運べばよいだけのこと。その程度のことは誰でも考えるであろうし、実行もたやすい。だが。
 
 
夫であるところの碇ゲンドウも
息子であるところの碇シンジも
 
 
それをやらずに。ばかのように、その到着を、待っている。
実際のところ、来て欲しくないのか?のんきに昼飯なども食べても動かない。
 
 
間の抜けすぎたこの見せ物に付き合うのは関係者のみ。人の流れは閑散を終えて途切れてしまっている。坂をあがってくる奇妙な、パントマイムのようでもあるが狂行でもありそうな、坂をあがってくる傘と提灯の女とすれ違うことがどうも憚れる。下る流れはない。警察と地元ボランティアによる誘導がされている以上に、その、ゆったり女は、気味が悪かったのだ。這い寄る混沌めいて。誰にとっても「敵」であるような。敵の敵は味方であるようななまゆるい比喩を許さない異質。じっくりと包囲されていくような、圧迫感。真綿で首を、という比喩表現が体感で納得できる。溶解した山が熱もなく流れ出しているような。戦闘力の高さに畏怖するのとは異なる。
そもそも儀式というものは無関係な者に見せるものでもないが。
 
 
これは、逃げた方が、いいのではないか。
 
 
水上右眼に命じられて今回のこの看板に偽りありすぎの縁起悪イベントの実働部隊リーダー、というとなんかかっこいいが実質パシリのパシリ、パシリ長としていろいろ動いてきたサーラ皿山が心中に湧いてくるイヤーな予感を抑えきれなかった。物騒な連中がやって来る非日常事態には慣れている。力が及ぶかは別として対処法はそれなりに弁えている。これは本能で感じる警告、ひらたくいえばビビリ入ってきた、と言い換えてもいい。小賢しく逃げるタイミングなど計っていたらえらいことになる。気づいた時にはもう遅い。ハナから関わるべきではないのだ。遠く離れているのが一番いい。もとより、こんなことに絡む義理など全くない。あんな髭オヤジやコゾーが何しようと勝手だが、巻き込んでもらっても大いに困る。
 
 
自分たちのアタマである水上右眼が、土下座などしなければ・・・・・・
 
それを自分が能力使って無理に止めさせたりしなければ・・・・・・・
 
あのままほうっておく、という選択肢がない以上、仕方がないわけだが・・・
 
まさか途中でやめになったから、ノーカンなどという判定じゃあるまいなあの父子。
 
 
・・・・・・・・・・・だとしたらタダじゃおかねえ、心臓止めてやる。
 
 
 
「おいサラ」
「なんだマジ川」
ふいに年中特攻服女の真剣川に呼ばれた。副長に対するというより限りなく下っ端に対する近い口調をどうにかしろ。思考が危険水域にあったせいか応じる目つきの方もついガン入れてしまったが怯む様子もなく「ボケてんじゃねー、しッかりしろよ。呼ばれてる、いけよ」場所柄を考慮してか普段よりだいぶ声量を落としてはいるが鋭さはそのままで自分たちのアタマの元へダッシュで駆けつけ命令ときた。・・・口調はアレだが、従うしかあるまい。
 
「ああ」
手招きするそちらへ向かってみると、
 
「おつかれさん!」
といきなり両肩をつかまれて、それからモミモミされた。この程度の仕事で疲れるほどヤワな体ではないが、まあ気分はいい。叩かれるなら深読みもするが。モミモミならば。状況的にリラックスしとる場合でもないが。いや、集中とリラックスは似たようなものだったっけ。高校野球マンガでなんかそんな話を読んだ気もするが。「あー、まだ一段落もついてないですから。これからでしょ?本番は」つい一分前は逃げた方がいいんじゃないか、とか考えていたわけだが。
 
 
「あんたたち、もう帰っていいよ。いろいろ面倒かけたね」
 
 
ここで退陣命令。「ここまでおびき出せればもう十分だ。あとは、あそこの髭社長に任せておけばいい」
 
「え?」
確かにそのような空気だ。カラスは鳴かないが、黄昏が始まる時刻。やばいことが起きる時間。やばいことが起きても、覆い隠されて誰の目にもつかないこと。こわいのは。
 
 
「じゃ、じゃあキング・カブをまわしてきます」
気を回すふりをする。ここで自分たちと一緒に帰ってしまうようなアタマではないことをよく知っているのに。そんな中途半端な目ではない。自分を、自分たちを見ているのは。
 
 
「いや、いいんだ。皿山、あんたにゆずるよ。よくがんばってくれたからね」
「ちょっっ!?」
予想外の急展開だった。追いつけない。追いつき追い越すどころではない。副長であるのにまるで追いつけない。
 
「もう、ふらふら走ることもなくなった。あんたたちが一緒に走ってくれたおかげでずいぶんと気が紛れたよ。符令みたいに年寄りに命じられて義務でついてきたのもいるけど、まあ・・・楽しかったよ」
 
 
「ま!!、待って下さい、そんないきなり!」
キング・カブは世界に一台しかない、王様だからあたりまえだが、カブの中のカブでありながら、至上の二輪として君臨するQ極名機。バイクメーカーの社長室に永久保存用に飾られていてもおかしくないというか、それが当然の。どんないきさつで水上右眼が手に入れたのか聞いても「それをいっちゃあおしめえよ」と教えてくれなかったが。盗んだわけでもなかろうが、ただ冗談として僭称するには、高機能すぎた。竜尾道の坂を風より早くすり抜けるその機動を見れば本職のレーサーでも黙ったくらいだ。そりゃ、欲しくないといえば嘘になるが。
 
「符令のやつも、最初は確かにいかにも命令されてしぶしぶって感じでしたけど、近頃はあんな愛想無し面でも、けっこうノリノリで!最初は集合時間一秒前きっかり、てのが、二分前くらいに来るようになってたじゃないすか!」
 
「そうだねえ、テクニックでいえばあんたやマジ川より上だったしねえ、いきなり塀乗りもやれるし。練習したわけでもないのに」
 
「いや!特訓してましたよ、涼しい顔して。・・・・・・・いや、そんなことはいいんです。もう走らないって。どういうことです?」
 
「そのまんまの意味だよ。分かりやすくいえば、引退かね。幸いなことに、いちいち有望そうな器を探さなくてもすぐそばに後釜にはいいのがいたからね・・・・・ま、引退ってのもへんかね。走りたいから走ってただけのことだから」
 
走る必要があったから、といわないのがこの人のいいところだ。
 
自分たちは基本的に、この人を追いかけていた集まりであるから、その人が走らなくなれば、解散するしかあるまい。キング・カブゆえの最速だったわけではない。速いものが見たければ、目を見開いて光でも見ていればいい。魅了されたのは、心の重さを追い抜く・・・・歯ぎしりする疾さ。黒雲めいた暗さを吹き払う風の気持ち。近くと遠く、右と左、小と大、相反する二つ見れる、見ることを忘れない矛盾を組み合わせる隻眼。
 
 
走らなければ、ならない。
 
一カ所に留まることを、許されない。
 
バランスを、保つために。
 
異常の平衡を保つために、固定する支点であることを、
 
許されない。
 
走ることに疲れたり飽き足りすれば、家に帰って眠る自分たちには
最後の一線で理解できぬ領域。
 
代わりの者が誰もいないという重圧から逃げられもせず。
 
 
ひとつの街、という舞台を下支えする、神話のような巨大な何かが、いるとする。
その巨大な何か自体はなにを望むわけでも考えるわけでもない、どのような安定を角度するかなど。ただ、下支えするだけだ。ひたすらに。細かい調整は人の手が。その、
 
 
巨大の骨を、糸操りするもの。
 
 
365日24時間、絶え間ない手繰りによって、ようやく幻想を保たれる隠れ里。
 
 
それが竜尾道。この街の正体。ひとりの女のコケの一念で続いている砂の城。
いつまでも続くわけもないが、続く限りは続くのはどんなものでも所詮は同じ。
 
 
それを・・・・・
 
 
続けるわけにいかなくなった、と。えらいなことを聞いてしまった。とも思うが、とうとうその日が来たのか、とも思う。このある意味都合のよい隠れ里は、厄介な病気に冒されている。もっと端的に言うと、「改造」され始めている。別にこの手の話はいまさら嘆くほどのことでもないかもしれないが、問題なのは、自分たち地元民に「理解できないモノ」を生産する工場にするつもりらしい、ということだ。基本、ここは技術のために赤字を垂れ流しても海賊行為で補填するという凶悪無法な街だ。造っても赤字になるものでも平気で造る。金銭潮流経済常識を嘲笑うような工房都市であるから極秘の何かを造ろうというのは当然の流れであろうが、少なからず常軌を逸したここの住民でも理解できない「シロモノ」というのは・・・・・便利な隠れ里で造るのは、人目から隠したいほどとてつもなく便利な何かか、それとも、隠さざるを得ないほど、一般常識からかけ離れたものか。
 
 
その生産プラントの名が「福音丸」
 
 
この隠れ里地域がその生産に特化するようなことになれば、住人は、その生産物についての理解を強要されるか、もしくはそれすら求められずに一方的に放逐されるか・・・・
 
 
それだけは水上左眼が絶対に許さないだろうが、それが竜ごと捕まってしまっている、とうのが現在状況のやばさであり。今、この瞬間にも「住民移動命令」が出されて自分たちが知るかたちの竜尾道は崩壊してもおかしくない。土台はまだきっちりしても、大黒柱が抜けてしまって戻る様子もなく、そして今、土台が、縁の下の力持ちが、それをやめる宣言をした。止め慣れている皿山でない他の者が聞いたら、心臓止まるかもしれない。
 
 
「えーと・・・・・」
それでも皿山にしてもすぐさま言葉が出てこない。
 
 
「ここから先はもう完全にバクチだ。それも、あたしの手の届かないバクチだよ」
 
 
竜尾道のカジノが飛び抜けてスリリングで盛り上がるとよその有名観光地から客を奪うほど評判がよかったのは、あまりそれで儲ける気がなかったためと、絶対にイカサマなしで確率をコントロールできていたからだ。エヴァ・ヘルタースケルター、つまりは水上右眼のさじ加減だった。地元民以外には気づきようがないからどんなギャンブルスレた客でも熱中する。
 
 
その「さじ加減」はそういった非生産的な賭け事のみならず、その他の生産的事象にも及ぶ。竜尾道の一品ものがやたら高速で高品質なのはそこらに秘密があった。改善とかいうレベルでないので真似されようがないときている。
 
 
「てめえの実力が反映しないところは、競馬、いや、クイズダービーに近いかな」
 
「すごい例えですね・・・・かろうじて、分かりますけど。で、あの父子は・・・・・はらたいらさんなんですか、それとも、収録途中でトイレに行ってしまったという伝説をもつかのジャイアント・・・」
 
「それも分からない。ここでバッサリやられちまうかもしれないし。かなり不利な勝負ではあるからね・・・・というか、勝ち目が想像も出来ない。人間に勝てる相手じゃないんだ。パワーのケタが違いすぎる・・・トラックが突っこむどころじゃない、計測してみたらロケットが宇宙にあがるほどの力の鬩ぎ合いだよ。バカじゃなかろうか。もう笑うしかないよ。期待できるとすると、息子の方だけど・・・・さっきのあんたより心ここにあらず、ってもんでどうにもダメそうだありゃ」
 
 
「じゃあ、あっちがダメなら・・・・」
 
誰がどうにかするのか、という問いは呑み込んだ。いうまでもない。そのために、動くために、走ることを、やめるというのだ。内から、外へ。循環することをやめる、やめられた方はどうなるか。姉は骨と血を担当し、妹は好き放題に肉付けしていった。
 
 
「というわけさ。期待どおりにいけば見物だろうけど、外れれば単なる巻き添えくらうだけさ。あっちの赤い目のお嬢ちゃんも逃げる気になってたら一緒に連れていっとくれ」
 
さらり、右眼がいうものだから、さらっとそのまま引き受けてしまうそうになる。
 
「いや、でもあの、花嫁役のお嬢さんはどうなるんです?彼女も巻き添えじゃ・・・」
 
「あの子は心配ない。いざとなれば、本性出すだろうさ。・・・・ん?どうしたマジ川」
 
いつの間にかいつも以上に凶悪な光を目に灯した特攻服女が来ていた。耳以上にカンがいいので様子からして内容を察したのだろう。こういうのを七津見カンという。甘みのつぶもなくもうひたすらに酸い。
 
「いや、なにモメてんのかと。サラがアタマの水でもなくなってしおしおのぱーみたいな面してるんで、こいつに荷が重い話ならあたしがやりますよ」
「だれがしおしおのぱーだ!!人を陸に上がったカッパみたいに言ってんじゃねえ!!」「るせーよ。一応、連絡しときますが、あたしら全員、何起ころうと最後までつきあいますんで」
「おいマジ川!お前勝手に」
「ああ!?ここで逃げるんか、サラ公。やばい話なのはハナから承知だったろーが、ハラくくれよバーカ」
「いやあのなあ、マジ川さん。お前のせまい視野じゃわからん世界もあるわけだよ」
「け。ご立派な広い視野なんか知るかよ。セカイのことも知ったことか。それで身内見捨ててりゃ世話ねーっての。てめーのは単に薄味にしか物事見れてねえだけじゃねえか」
「あんだとこのアマ・・・・・」
「図星つかれてなに興奮してんだこの陸カッパ」
 
どちらも一歩も引かないので密着状態になる。完全に互いに殺れる距離である。髭オヤジが”空気読め場所柄わきまえろ”みたいな顔をしているが、目がついてないのか。ボランティアの裏方なめんな!といいたい。まさに一触即発。
 
 
 
「あんたたちは仲がいいね。もう結婚しちまえばいいのに。そうしなよ」
 
 
なんでこう、うまいこと火を消してしまえるのだろう。抑えられたわけでもなく、相手が相手だけに照れたわけでもない。それだけで、続ける気が失せる。陸カッパでいい、一歩さがって仕事に戻る。そう、おいらは皿山、副リーダー。女一匹の挑発に乗るようなチョロさはない。
 
「い、いやー、いくらリーダーの言うことでもこればっかりは・・・・、なあ?皿山」
「そうそう、広い視野をもってすれば、この女でももらい手はあると思います」
 
「な、なにいってんだこのやろー!!なに内角ギリギリに変化球決めてんだっったくよー!!」
「げふっっ」
 
なにをどう脳内でキャッチングして理解したのか、顔を赤くしながらどてッ腹にコークスクリューぎみな一撃をマジ川にくらった。こんな陰湿な仕返しを企むような知能がこの女にあったのが意外だったが、早々にスキップ踏んで逃走しやがったので反撃不能。
 
 
「ほんとに仲がいいねえ。というか、普通の男だったら今ので口から内臓飛び出てるね」
「でしょうかね・・・他にもマッチョキャラはいるでしょ・・・・・うげげ・・・」
「あー、誉めてんだから吐かないように吐かないように。ほれ、あの髭社長の目つきがなんかうらやましそうな感じじゃーないか」
「・・・・・今にも銃で撃ってきそうな目つきだと思いますけど・・・・」
 
 
「ともあれ、皿山くんたちは引き上げの準備を。マジ川ちゃんは危険度比率でせいぜいチャンバラ妹がマックスくらいで考えてるけど、これは、あんなもんじゃないからね・・・牛歩しながらも、まんまと来た時点で術中にあるとはいえ・・・・・と、花嫁さんが用事があるみたいだ。行くけど、あとはよろしく。カブのこと頼むよ」
 
 
テキ屋そのものの格好でありながら、水上右眼という人の立ち居振る舞いは舞手のように美しい、と思うことがある。見とれてしまうその去り際に、何も言葉がかけられなかった。
 
 

 
 
 
「・・・そろそろ、到着かしら」
 
 
機嫌がいいはずがない黒衣の花嫁は、もはやブチ切れる寸前であるようだった。
 
八つ当たりならば隣にいる花婿役の小僧さんに言えばいいのだが、それをしないだけの理性はキープしている、というところか。それを保たせているのは右眼の存在だった。
適度な火消しメンテナンス。男はこういう点、なんの役にも立たない。立つ気もない。
 
 
「ペースがこれ以上遅くならなければ、あと十二分、といったところかな」
 
傍目からすると皿山たちとの会話は、一部除いて、現状把握のことだろうと思われても仕方がない。野球のマウンドでピッチャーとキャッチャーが相談してれば帰りに行く焼き肉屋の相談とは思われないのが人情だ。なにせ、待ちくたびれている。
 
 
「帰ってもいいんじゃないかな・・・・・・・・・・・こんな持久戦だと思わなかった・・・・・・・・・」
 
「裏を返せば、そのくらいしか向こうには出来ない、ってことだからねえ・・・・さっさと坂をのぼって、ここにいる全員を八つ裂きにだって簡単にできるんだろうに」
 
それから適度な挑発。緊張を緩和しすぎてもいけない。この程度の調整ならばどうということはなく、むしろ得意技の水上右眼であった。絶妙な舌先口先のさじ加減で、相手の目の奥の炎調節まで可能。こちらから攻め入ってもいいか、と喉元まで出かかっているのを呑み込ませる。口に出したが最後、飛び出していくだろう、この炎娘は。
 
 
「でも、十二分か・・・・・・あと・・・・・・それなら・・・・・」
「これまで耐えた分が無駄になるかもしれないしね。もう少しの辛抱」
 
まあ、実際の式典の類もここまで不案内に極端ではないが、こんなものだ。リハーサルがない分だけまだマシかも知れない。何が起きるか分からない緊張感の上乗せがあるから負担はこちらが強いだろうが。しかしながら、これがまたてめえが興味のない式であると精神負担は別枠ボーナスがついたりするのだ。
 
 
「花婿さんは大丈夫かい」
 
事の当事者はその分が確実にないわけであるから、その分、楽だ。
あくまで、その分、だが。
 
 
「え?ああ・・・・・えっと、大丈夫です。元気です。ありがとうございます」
 
 
初級英語の教科書のごとく受け答え。その目もどこをみているか判然としない。
 
 
「いらん世話かもしれないけど、もう少し、花嫁さんに気をつかってやったらどうかね」
 
芝居であろうと。芝居であるから。葬式であるのか婚式であるのかなんとも不明なこの場所で。なんでこのような舞台仕立てなのか。別にたいそうな謎解きがあるわけでもないだろう。謎を解かれて恐れ入るほど、かわいげな相手では、ない。
 
 
「そうですね。アスカ、大丈夫?疲れてない?」
 
大丈夫でもないし、疲れていないはずもない。うーむ、最悪だ。確実にいらん世話だった。
 
収まった火に油をドボドボ注ぐような発言。これはやばい、と思ったが、黒い花嫁はその表情をもっと暗くして薄笑いするだけだった。空が落ちてきそうなので愛を取り戻せ、と言いたくなったが、もともとそんなものはどこ探してもないのかもしれない。
溢した油、踏んだ地雷は幸い、不発。この幸運に感謝して、あとは放置といこう。
 
 
あれは完全に別世界と交信中の目つきだ。
 
父親の方も完全に過去の方に精神がいってしまってる目だしなあ・・・・・
 
 
つまりは、当人たちはまったく疲れを感じていないらしい、ということで。
 
頼もしい、と思うべきか。ちとイラつくと感じるべきか。タフではあるのだろう。
付き合わされる方はたまらんが。
 
 
「あなたの手下はもう、下がらせた方がいいわ」
 
暗い表情の花嫁が意外なことを言い出した。「巻き添えは、あたしたちで十分でしょう」
目障りだから消えろ、という顔色ではあるのだが、声の張りはまっとうで。
 
 
「ありがとう。でも、そのへんは言い含めてあるから、大丈夫」
 
か、どうかは分かったものではないけれど、保証を誰に求めるべきかも分からない。
 
 
今回のコレが、魔術なのかどうなのかも実際のところ、よく分からない。
 
 
召還には成功したようだが・・・・・・ほんとうに、これでいいのかすら。
 
場を導くべき碇ゲンドウは黙して語らない。これで騙りでなければいいが。
 
立会人というか審神者として自分ではかなり役違いであると思う。あの押しかけ鬼ババ、アチョー夫人というか、鬼夫人というか、に仕込まれたのはあくまでフィジカルなもので、マジカルとはまったく毛色が違う。
 
魔術の怖さは、どこまで誘導されるのか分からないことだ。順を追う科学とそこが違う。
しくじれば、底の底まで落ちていく。そも、落としどころが素人には理解できない。始末をしくじれば、魂も尻子玉も抜かれる。当然、自他を観測するための目の玉も。
まあ、こんなことを周囲に漏らすわけにもいかない。
実力差が天地ほどにあれば、どんなに非難されようが、相手の弱点を狙うしかない。
それを突けるかどうかはまた別問題だが。そんなことは百も承知であろうから。
 
 
 
相手は、碇ユイ。
 
 
目的にもせずただその余力だけで、この地を文字通り「切り取った」天下無双の剣女。
岩を真っ二つにしただけで聖の称号がつくのならば、まさに、どんだけーであろう。
エヴァと孫六殲滅刀あってこその話であるから単純比較もできまいが。にしても、だ。
 
 
「あれほど待ち望んでいたはずのドラも奥に引っ込んで出てこない。アスカも・・・・」
 
 
花嫁役の寂しい独り言。はーもー、抱きしめてやれよ花婿役!と言ってやりてえところではあるが、やめておく。別にデンパじゃないことは知っている。ちと厄介な多重人格なだけだ。福音丸のロケットハンドをはね除ける力をもつ花婿の方がよほど怪物くんである。そうなら、抱けもできんかそれは。
 
 
碇シンジ。
 
その、左腕を見る。
 
話に聞くに、それは義椀であるという。高性能ではあっても、ただの機械だ。
 
竜尾道ならば、同クラスかそれ以上の代物を装着する人間を捜すのは難しくない。
それらが福音丸の招きを断れるかというと、さにあらず。抵抗どころか反応すら。
だから、注目すべきは・・・・・なんか微妙に震えてるし、ほんとに大丈夫か。
あのチャンバラ妹にも好き放題に振る舞ったとかいう度胸はどこにいったのか。
 
・・・・まあ、相手が悪すぎるか。
 
いかに目つきの決まった女が刃物を振り回そうと、最終的には、てめえの母ちゃんの方が怖いに決まっている。
 
 
 
「これが終わったら」
 
 
ふいに、碇シンジが言い出した。誰に言ってるのかと一瞬、迷ったが、目が合った。
どうも、自分、水上右眼あてらしい。
 
 
「ヒメさんを助けにいきます。・・・・・あのときは、すみませんでした」
 
 
碇シンジの目の色が変わっていた。何の色か、と問われても返答しにくい、夜の雲の色に。
 
 
「・・・・それは・・・・・ありがたい」
 
我ながら鈍い反応になってしまったが。ここで言う台詞か?ここまで返答引き延ばしたらもう目の前のことを片付けてからにしてくれてもいい、というか、その方がこっちも気が楽でいい。それを約することでモチベーションがあがるわけでもあるまいに。男がこういうことを勝負の前に言い出すのはあまりよくない傾向や兆候だったりする。こういうことを言い出すと、たいてい大負けすると決まっている。大負けの予感がするからせめて言うのかもしれないが。
 
 
こいつは先ほどまで、何を考えていたのやら・・・・・・・
 
父親は完全に回想モードだったが。それくらい生きていないせいもあろうが。
 
 
「”海賊品”なんかつくられちゃ困りますから・・・いろいろと・・・・助けたら、ヒメさんにはもう、海賊からは足を洗ってもらいますけど」
 
 
その言葉で見当がついた。ぼけてたように見えたのも、おそらく今の今まで事実を咀嚼していたのだろう。そこから真実をひりだすのは当人次第だが。
 
 
「?」
花嫁は首をひねっている。いきなり秘密秘め事炸裂か、まあ、それもいい。死が二人をわかつまでに知ることもあれば知らぬままのこともあろうだろう。誰だって同じだ。
 
 
「どちらかといえば、本人は海が嫌いなんだけどね。山に登るような選択をするかもしれないけど・・・今まで通りの生活はできないよ。・・・させないしね」
「ああ、性格的にそれはあるかもしれないですね。海じゃなくて山に寄るかもっていうのは、ヒメさんらしい。まあ、海賊でなくなれば、山賊でもいいや」
「それはあたしらがごめんこうむるよ・・・・山賊ってなんだい」
 
 
「?」
また謎の話だろうけど、かんべんしとくれ花嫁さん。へルターのことは教えても、ぴー助のことまで全てオープンしたわけじゃない。あくまで地元民の問題だから。来訪者のあんたは知らなくてもいいことだ。この街のひりひりするような願いの話なんぞ。
 
 
「来るぞ」
 
 
いつの間にか、十二分経ったらしい。遅れもせずに。からくり牛歩を終えたらしい。
この、カラスも鳴かぬ夕暮れ時に。碇ゲンドウの声とほぼ同時に。
 
 
 
ガリーンガリーンガリーンガリーン
ガリーンガリーンガリーンガリーン
ガリーンガリーンガリーンガガリーン
 
 
 
音が響いた。
 
天蓋が砕けるときにはこんな音がするのではあるまいか、というような聞くだけで身が竦む不安感を掻きたてる音。地球を丸ごと噛めるサイズの超巨大な口をした宇宙人が今やってきて食事を始めたかのような問答無用に心を細切りする怪音。使徒戦でたいていのことには慣れてしまっている碇シンジや惣流アスカもこれには露骨に顔をしかめた。己の感性すら操作可能な碇ゲンドウや水上右眼はまだ保っていられたが、そんな人生技能をもたぬ皿山や綾波コナミたちはたまらず耳を両手でおさえてカメの体勢になる。自分たちが喰われてしまっているのではないか、と聴覚イメージ直感から来る凄まじい恐怖感にぴくりとも動けなくなる。とても目などあけていられるものではない。音だけでもこれだけ恐ろしいのに。おのが目で、見てしまえば。正気も保っていられないのでは、という自意識根底を揺るがす強烈な直下型不信。代わりに投影されるのは神々の黄昏幻想ラグニチュード8・0。
 
 
それでも、碇の父子はしっかりと見ている。目を見開いて。ありのままを。
 
何が起こったか。自分たちが呼び込んだものがなにをやらかしたのかを。
 
 
夕暮れが、壊れていた。
 
叩いて、壊したのだろう。
 
さきほどの音は、その破砕音。
 
辺り一帯、夜になっていた。
 
星も、月もない、闇の夜に。
 
あたりまえだが、太陽もない。
 
 
 
「呼ばれたから、来てみたけど」
 
 
会場の入り口看板の横に、唐傘をさして提灯提げた、顔のない母親が立っていた。
 
 
「なんなの?この茶番」
 
 
顔が見えないが、声はまちがいなく。
 
 
「ユイ」
 
碇ゲンドウが古代神話の男神のような深い声で、妻を呼んだ。