この目で、見た。
 
 
影と闇とは似て、非なるものであると
 
 
この目で、見た。
 
 
互いに溶けて混じり合い同化するようなものではないと。
 
 
見たと思う。見る権利があり、見る義務がある自分が。それを、見届けなかったなどと。
怯えて目をそらしたり精神にフィルターをかけたり、都合のいい解釈を頭の中にでっち上げてそれを一人ぼっちの映画館で勝手に上映して一人で観て納得してそれで終わらせた、ということは、断じて、ない、はずだ。
 
 
この、惣流アスカラングレーは。
 
 
影と闇をどうやって見たのか、という質問には答えかねるが・・・・闇の中では影が見られることはなく、闇の中で闇を見ることもかなわない・・・・はず。心の目とかいう精神論は棚上げするとして、眼球の構造上。やはり、事が済んだ後の光景から後付で事象を構築しているにすぎないのか・・・・この手のことを考え始めると崩壊始めた螺旋階段で緊急避難しているようで。正解に辿り着く頃にはタイムアップに追い抜かれる。
 
 
となると、あれは、目以外のなにか、で見た、というか、感じた、というしかない。
 
目よりは耳に近く、耳よりは鼻に近く、鼻よりは舌に近く、舌よりは、肌に近い。
 
そして、肌よりは・・・・第六感、という名称はなるたけ使いたくない。
 
そんなものよりは己の嗅覚の方が遙かに優秀である自信がある。こと戦の場を嗅ぎつける感覚などは。幸い、人間には言葉がある。
 
言葉を用いて、対象物に名を付けることが、できる。
 
それが、正解であろうと本質を突こうと、単なる誤解であろうとまたは恐怖をあえて縮小するための枠組みにするためであろうと。感覚はたった一人の他人にも正確に伝達できない、共有どころかもコピーすら不可能の・・・・・という考えもまた崩壊螺旋階段か。
ただ単に、そのものの本質を包めるほど自分たちの感覚が成熟も完成もしきっていないだけの話かもしれない。その点を踏まえて、闇を名の光で、とりあえず照らしてみよう。
まあ、正解不正解を言う前に、角度や光量その他があまりに的はずれでないことを祈るだけだ。別にクイズじゃないから外れたからといってどうということはないのだけれど。
闇の全体図を捉えられる聖人である、などと、そこまで背負っているつもりもない。
それはもう、宗教家の仕事であろうし。これはだから、自己満足だ。単なる。
自分を、納得させたいだけなのだ。だから、間違っていようが、その闇に名を付けた。
 
 
荒黒
 
 
いかなるものとも調和せず、いかなるものとも調律されず、いかなるものにも調停されない。それでいて、最後の最後の最後まで、生き延びようとあがきもがきうごめくV運動。
 
影は対象物と数学のように調和する。マイナスや反比例、実際にはこの世に存在しそうもないが概念として確かに人間の頭の中で作動するあたり。よく、似ている。結局は人間と寄り添うことで存在するあたりも。
 
だが、その闇は
 
もしそれが人間の内部にあったなら、非調和のそれは一秒ももたずに抱える骨を壊して足下に落ちてしまうのではないか。荒魂とかいうレベルではない。月から目撃できないサイズの生命などひとたまりもない、全てがおおざっぱだった、細かいものなどなにひとつない惑星原初の有様を凝縮したような代物だ。スケール、というのもばからしい、当然、数値も数字も役に立たない所か存在すらも許されない・・・・それは勘定の外・”ドンブリー・ヘヴン”。
 
 
こんなものに関係してまともな日常生活が送れるとは思えない。
 
 
まあ、日常がどのような色合いか、その者によってずいぶんと差があるだろうけど。
ある者にとっては一生で一度みればもう十分すぎるほどの極彩色の非日常がある者にとっては一日に一度はかかせないほど日常の色であるかもしれない。
 
 
それを思えば、黒と白を反転したようなこの式場の有様も、納得できる。できた。
 
 
感知領域的な話になるから、他の者はどうか知らぬが、少なくとも黒衣の花嫁であった自分には。この黒衣が、黒色が、闇と黒を理解してそれを離れた位置に固定する、同化してしまえばそれが黒なのか闇なのか分からなくなる・・・・・アンカー、よすがになっていた。下手に対色の白など纏っていれば、かえって呑み込まれていた。”それがなんであれ”、己の黒とは異なる、という単純明快さで心を繋ぎ止めていなければ、簡単に吹き飛ばされてる。
 
 
 
「いる?」
 
夜雲色した目で、こんなことを言ってくるバカがいた。
一瞬、なんのことかと思ったが、こっちの目の前に指輪を差し出してきた。
 
 
碇シンジ
 
 
影はその中に吸い込まれたか・・・・・・それとも・・・・父子が最後に唱えていたように「北へ」逃げることを許されたか・・・・・・・この地の北になにがあるのか、アスカの記憶が知っている。
 
 
に、したところで・・・・・・
 
 
「いらないわよ!!あっちいけ!!」
 
 
距離が近すぎた。自分が返答する前に、ドラが恐怖と嫌悪をないまぜにして・・・影と闇とは違う見事なブレンドで・・・・叫んだ。絶対の拒絶。もう茶番も終わったのだからなんの問題もなかろうが・・・・
 
 
「まあ、そうだよね・・・」
 
困ったような、それでいて、悲しそうな。こちらは闇と影のように。混ざらない感情を口元にほんのり漂わせて。碇シンジは。指輪をひっこめて三歩下がった。ずきん、と、いつぞやのように、心臓が痛んだ。アスカが、反応した、と考えるのが妥当だろう・・・・・この場合。しかし、指輪に影が入っているのなら、それこそドラの奴が求めるものであっただろうに・・・あれには偶像が入っている。もしくは、入っていたのだ。
 
 
「じゃ、父さん、行ってくるから」
 
ここまでが、予定通りであったらしい。この父子にとっては。
母の名と姿を、妻の名と姿をしたものを消し去っておいて、余韻はなにもない。
親父の方は変化が認められないが、息子の方は多少、頬が青白いか
 
 
今から、どこへ行こうというのか・・・・・別にドラに言われたからでもないだろう。
 
 
「ああ」
 
親父の方も淡々としたもので。行き先を尋ねたりもしない。こちらも息子に背を向けてザッザと移動を開始する。参加者、というかスタッフたちには事情説明もなにもなし、の凄まじいおいてけぼり。せめて労いの言葉ひとつあってもいいんではなかろうか・・・まあ、ここで日本文化的に一本締めをせい、とは言わないが。
 
 
「ちょっと待つざます!」
 
なんでこの怪しい男が皆の気持ちを代弁するのか・・・・・まあ、空気を読んでないのだろう、読めないというかそもそも事情を知らないというか。当然、碇ゲンドウの足が止まることはなかったし、碇シンジの方も、「このまま無視しようか・・・」という迷いが確か見られたが、それもアレかな、と思い返すことがあったのか、その歩みを止めて。
 
 
「なんでしょう、師匠」
 
 
「なんでしょうじゃ、ないざます!」
知らぬ者の強みというか、なんであの技の冴えでここまで物事を察する能力に欠けているのか、水上右眼にしても少し不思議なSFな、ちと見抜けない居闇カネタの発言に
 
 
「なんでしょうじゃないざます、とはなんでしょう、師匠」
 
 
基本であるところの繰り返しで返す碇シンジ。まったく面白くも何ともないが。
ざぶとん、とりてえ・・・・・・と言われた当人を除く皆が思った。それから、
まさか、やるはずがないよな・・・・・・と言われた当人を除く皆が考えた。
やらないでほしい、むしろ、やるな!、と願った。いくらなんでも21世紀なのだ。
 
 
「なんでしょうじゃないざます、とはなんでしょう、師匠、じゃ、な・い・ざますっっ!!」
 
 
・・・・・やりやがった。やってやりやがったかよ、こいつら・・・・と当人たちを除いた全員が思った。現場を離れながらもこの距離なら碇ゲンドウだって聞こえてはいる。
芸風的に、パチキやシバキやハリセンなどは飛ばないらしい。やればいいのに。
 
 
信じられないことに、このラリーを五回ほど繰り返しくさった。やっている方はどうもほんのり楽しいらしかったが、聞かされる方がたまったものではなかった。
 
 
ええかげんにせえよ、と。ここら一帯の空気は明らかに、元に戻って、”いない”。
 
まだ、危険域。ボルテージはじりじり戻ってきてさえいるのが、肌で分かる。
逃げるなら逃げるで、さっさとせねば、手遅れになるぞ、と。
 
ラングレーはもちろん、水上右眼がさすがにたまらず介入しようとしたところで
 
 
 
「地元の風習なんです」
 
碇シンジが引き取った。
 
 
「なんとも説明しにくいんですが・・・・そう、あえて言うなれば・・・・・フランスは、ロレーヌ風なまはげ、とでもいいますか。ああ、ご存じですよね、ロレーヌ。ドンレミ村のある」
 
「あ?・・ああ、もちのろんざます!もちろん知ってるざます、ロレーヌざますね」
 
「ああ、ブルゴーニュ風だったかもしれません・・・・・もしかして、シャルルマーニュ風だったかも・・・・・とにかく、少し奇異に見られるかもしれませんが、そんなわけでいきなり人が消えてしまっても、おかしくはないんです。トリックに見せかけた殺人事件とかでもありませんので、ご心配には及びません。物理学の先生や美人手品師がまるっと解決に現れたりすることもありません。・・・ここに戻ってくることはありませんけど」
 
 
「あー、なるほど。そ、それにしても殺気マンマンざましたが・・・・・・・」
 
「儀式ですから。基本クレイジーといいますか・・・・フランス風味もありますから、マンマでないとダメなのです。こう、全力で殺りにくる人間から花嫁を守りきる覚悟を示す試練といいますか」
 
 
よくもまあ、そんな大嘘がつけるものだ。内容はともかく、真顔の演技力がすごい。
そんな風習があるか!というつっこみをストップかけてしまう。
その二枚舌ぶりに、聞いている周りの者は舌を巻くほかない。もちろん、ときめいたりするわけがない。目をつぶって声だけ聞けば、男でも黄色い悲鳴をあげたくなるくらいだが。
 
 
「・・・・・そうなると、ミーは、ユーの大事な晴れ舞台を、邪魔してしまったことに・・・・・なったりするのざますか?こう、訓練の銀行強盗を本当だと思ってしまったような・・・・うっかり八兵衛でもやらないようなうっかりを・・・・・」
あまりの衝撃に、仰天をあらわすポーズすらもとれないらしい・・・・どうも本気で。
 
「それと近いかも知れませんが、父も母も、師匠が僕をこんなに大事に真剣に思ってくださったことを、喜んでおりましたのでご心配ならさずに」
 
 
感謝の気持ち自体は本物だ。ゼルエルは機能しなかったし、反応だけで終わってたし。
このざます師匠が勘違いでもしゃしゃり出てこなければ、昆虫のように標本にされていた・・・・・・・なので、
 
 
「でも、水戸黄門の時代に銀行があれば、おそらくやっていただろうと思いますよ」
 
そんな、心温まるフォローをいれてしまう碇シンジであった。なまぬるい、とも言う。
 
「そ、そうざますか」
 
「もちろん、やってましたよ!!間違いありません!!助さん格さんと一緒になって!」
 
「そ、そうざますか・・・・ミーはなんて幸せな師匠ざます!こんな心が広い最高の弟子をもって!」
これは果たしてなんの会話なのだろうか、という周囲の視線を気にしていないらしい弟子と師匠は、はた、と抱き合い、はしなかったが、あっさり関係修復したようだ。
 
 
 
 
「茶番は終わったでござるか・・・・・とと、終わりましたか」
 
そこに、声がかかった。初登場で、かなりすべった。
少し救いであったのは、それが上空からのものであったことか。
 
 
凧であった。
 
 
忍者が四つ足突っ張って空を飛ぶような大凧であった。
物言いからして忍者が搭載されていてもおかしくはなかったが、そんなことはなく。
その代わりに、浮世絵ふうの落ち武者が描かれている。四隅には火景清の落款。
 
 
そのミスマッチに笑ってもよかったのだが、凧がつながる糸を握っている「手」を見たとたんに口元は凍りつく。
 
 
「・・・・・福音丸」
 
水上右眼がその速すぎる反撃に内心で舌打ちする。影武者がああも簡単に消し去られたことに大いに驚愕してしばらくは思考停止状態になり、その間に碇ゲンドウが処分する、という手はずになっていた。一時撤退なり逃走する可能性はあったが、まだ福音丸を動かせるタマがいたとは・・・・・・その点、読み違えていた。影ユイさえいなくなれば実行戦力的には無力化するだろうと。にしても早い。早すぎる。この茶番偽装を見破ったよほど強気上司の指示でもあったのか。影が消えたこの段階でぴー助と妹がいれば・・・
 
 
「いえ、もしかしたらまだ、続くかも、しれません」
 
不思議の森にすむきみょうないきものがまだどこかに生き残っているかも知れません、とでもいうような口調で、碇シンジが。森の中の獅子のように。大蛇に似た手と凧に応じる。
 
 
「それはなんという祇園精舎の鐘の声、ただ春の夜の夢のごとし。拙者を一意専心一心不乱に殺害すべく近づくそなたの父の足音よ、ひねもすのたりのたり松太郎かな・・・・・・・・遺憾ながら見届ける時間はなくなってしまったのでござ・・・ございます」
 
 
なにか縛りがあるらしい、語尾が怪しい。凧だからざますか・・・と居闇カネタは考えた。
 
 
「ところで、あなたは?」
 
しらじらと尋ねる碇シンジ。てめえの父親がこれからブチ殺そうとしている相手にいうセリフでは、ない。しかも凧だ。
 
 
「そなたの辞世の句を記録したり、場合によっては代作したりする者である」
 
 
こいつは、影の人間だ。ラングレーは直感し、理解する。徹頭徹尾、影の人間であり、影で出来ているかも知れないし、入れ替わって気づいてさえいない人間かも知れない。
こんな隠れ里でも隠れるほかない、モンスターやエイリアンよりよほどぞっとくる。
 
こんな人間を碇ゲンドウはどうやって探し出して始末するのか・・・・・興味があるが、
 
 
今は、碇シンジだ。
 
 
父親の方ではなく、息子の方を、こっちは始末するぞ、と言ってきているのだ。
 
まあ、今は凧糸を握っているあの巨大ハンドがゲンコツ化して降ってくれば、通常人体などひとたまりもない。ヨーヨー風船のようなものだ。赤色の。
 
 
・・・・・・もちろん、それはこの場にいる・・・水上右眼の奴はどうか知らないが、人間全員に言える。自分もそうだ。あんなもの、かわしようがない。少々屋内に隠れたところで建物ごとやられて終わりだろう。ロケットパンチを空中に一時停止させられる、というのはどれだけのパワーを必要とするのか・・・・戦闘的には無駄な運用ではあろうが・・・・玄人向けの脅しとしては十分だ。この福音丸とかいうのは・・・・スタミナパワー自体は超弩級だ。汎用性は低そうだが、パイロットの安全性としても評価できないこともない。
しかもその接近を感知させなかった隠潜性能といい、渚カヲルの四号機に似た「戦闘本職ではないくせにそれ以上」的なズルさを感じてしまう・・・・・・戦闘職の立場ないじゃん・・・ああー・・・弐号機があればなー・・・・・・・
 
 
ここにいる誰かを標的にして・・・・・さすがにサイズがでかすぎてあの怪しいデッパにもどうしようもなかろう・・・・・・それを恫喝の種にされて反撃対応を封じられれば碇シンジは、どうするか・・・・・・このタイミングで使徒が襲来してくれば・・・・してもこいつは自分の仕事をするだけで無視を決め込むだろうから意味はない、か
 
 
交渉の余地もあろうはずもない。双方の関係性は決まり切っている。
 
始末するものされるもの。最悪の関係性のひとつだろう。そこから抜け出すには。
 
一方的なジェノサイドが始まるか・・・・・・用が済んだらさっさとおさらばしておくべきだったか・・・・・こんなバカに付き合ったせいで
 
 
導力ワイヤー部分をピンポイントで焼き切れるか・・・・・・・青瞳の圧を高め念を込めていく・・・・・しくじれば、即座に反撃が自分に来る・・・・・が、このまま大人しく、というのは性に合わない。というか、密かに興奮する部分が己にはある。破滅願望に擦れるような。いやもういっそ、拳自体を溶解させられないものか・・・そんな無茶を考えるのはなんともいえぬ幸福感が
 
 
 
「あすか」
 
 
碇シンジが呼びかけた、と。思わずそちらに念炎をぶちまけてしまいそうになって、たたらを踏んでしまう。おっとっと。よったった。「な、何を」
 
 
「きのうか」
目が合えば、笑んでいる。いつもの、夜雲色ではない、水の色、それもしーんと冷えてそれよりも冷たく暗いものを包み込める水の色だ。こんな色は、見たことがない。
 
 
「このいまか さらばおさらば つげるのは ・・・・・こんなものですか」
 
なんだそれは。それは本当に独白なのか。自分に告げたものではないのか。
 
 
「サムライの情けでOK牧場としよう・・・・・それでは」
 
 
「第一部は」
 
 
「なに?」
 
 
「もちろん、第二部もありますよ。おさむらい様ならおわかりでしょう、刀で言えば、真打ち登場というやつですよ」
 
 
「・・・・・そうでござるか?」
 
いや、わたしらに確認されてもなあ、と水上右眼以下全員が目をそらす。オールジャパンというわけでもないラングレーもそれに習った。説明しにくいのもあるが、相手したくない。一番露骨なのがなぜか居闇カネタだった。口笛まで吹いている。
 
 
「そうなんです。そんなわけで、きっちりと記録の方をお願いします。碇シンジ作・「永訣の宵闇の3本ツメ」です・・・・あめゆきを あめゆじゅで ゆきゆきて とてちて てんじょうの あいすくりーむ (中略)とおくへいってしまった わたくしの ・・・あ、えーと・・・・」
 
 
ながい!!
 
緊張感が失せてくるので(中略)してやった。
しかも、途中でてめえで勝手に照れて言い淀んでいるありさま。非常に見苦しい。辞世の句でもなんでもないのだろうが、言え、といった手前、いまさらやめろ、ともいえず。凧の落ち武者ももともとの苦悶に満ちた顔をさらに歪めた。しかもあの世に行っているのは本人ではないらしい。こんなものが時間稼ぎになるはずもないが。あげくのはてに。
 
 
「かじさんと みさとさん とうとうと きまったよう なのでおいわい なににしようか いまならあえる かもしれぬ  あすかえれ じゃなくて すぐかえれ 」
 
合掌したところで電報調にしたところでごまかされるものではない。
 
・・・バカが瞬殺されるぞ、と皆思った。が。
 
 
「・・・・・異常性を装って、周囲の者は人質にもならぬ、と知らしめたつもりだろうが、そんな手には焼きハマグリだ。これ以上、戦闘用でもない備品を傷つけられても困るので、先にこちらが大いに本気であることを証明するとしよう」
 
 
それは深読みしすぎなのではあるまいか、と思う間もなく、凧は放たれ、福音丸のロケットパンチが飛んだ。いったんアッパーカットのように上昇したかと思うと夜空でループを描き・・・・・
 
 
主不在の水上城を、一撃で破壊した。
 
 
「おい!!」
水上右眼が吼えた。ラングレーでさえ青ざめるほどの迫力で、ビリビリと空気が震えた。
 
「弟子も感性少しおかしいざますが、こっちのほうはケタ違いざます・・・・・」
居闇カネタも鼻白む。よそ者であるからまだその程度ですむが、地元民の衝撃は大きい。
なんのかんのいってもここの象徴である城であり、主は不在でもその中には・・・・
「・・・・・・・あの子が戻っていたんじゃないか」「だとしたら・・・・」
 
助かりようもない。
 
あの一撃にはそれくらいのパワーがあった。直撃であろうがなかろうが。人間など。
ラングレーは諦めた。そして、あの柔軟な動きと速度では導線溶解まで焦点を合わしきれぬことも。面、壁でなければ、あれは捉えきれない・・・・・
 
 
「主の戻ることのない城だ。ちょうどよい。こちらも無駄な殺生はしたくはない」
 
 
「・・・・・いたかもしれない。人が、いたかもしれない」
碇シンジが異議を唱えた。
 
「・・・・・それは運が悪かったのだ。だが、分かってもらえただろう。これから、君には正体を明かすまで、いや婉曲な言い回しは時間の無駄だな、”人間をやめるまで”、この福音ゲンコツで叩かせてもらう。ATフィールドその他による反撃抵抗は禁止とする。
 
”タイマー”、君が丸くなるまで何百回でも撫でてもらうからそのつもりでいたまえ」
 
 
まさしく、温度もない影の声。冷えてすらおらず。中途で故障する機械のかわいげもない。
凧糸は舞い戻った福音丸の手が掴んでいる。交渉の余地などあろうはずもない。
 
 
「先は不運な犠牲が出たようだが、こちらも無益な殺生は好まない。地元民は貴重な労働力であるからなおさらだ。死なぬ程度に絞らせてもらい、外来者はその性質が合えば心魂捧げてもらうことになる・・・・・この危険な作業場から立ち去る時間を十分与えよう。それを過ぎても退去せぬ者は福音丸まで強制連行する」
 
 
いくら碇ゲンドウでも、十分ではそこに至ることもできまい。おそらくは福音丸のすぐそばにいるこいつを。この期に及んで名乗ることすらしない用心深い影物を。
 
 
「行って。行ってください」
 
何歩か歩いて距離をとるが、広さはたかが知れている。碇シンジ以外がここから去らなければ、無駄な犠牲がでるばかり。が、
 
 
「・・・・冗談じゃない、おい、てめぇ・・・・・いままで堪忍してきたが、こっちにも限界ってもんが、堪忍袋の緒が切れることだってあるんだぞ・・・・・」
 
自明の理に逆らうのは水上右眼。ラン、と凧を睨みつける。凧だろうと十トン岩でも眼力だけで吹き飛ぶような貫禄だが
 
 
「・・・・ヘルタースケルターは動かせまい。動かせるものなら動かしてみるがいい・・・・という不要な挑発はすべきではないでござるね・・・・・ではない、短気は損気、妹のことを考えてみるといい・・・それだけ言えば十分だそうで・・・・・十分だ」
 
 
「・・・・・・・・・てめえ・・・・・・・・・」
 
その底知れぬ隻眼の色。帰る場所があろうとなかろうとおかまいなしの、風を食べても生活できる強生物の目だ。巣穴にこだわる竜なんぞよりよほどしぶとい。早いところなだめないと何するか分からない。情報筋は怪しいが、ヒメさんもまだ生きてはいるらしい。
状況的に自分もキレてしまいたいところではあるが、ここは耐えての忍びところ、と碇シンジ。
 
 
「大丈夫、行ってください。ウメさん。父さんがすぐなんとかしてくれますよ」
 
一応、説得を試みる。もはや人目を憚る状況でもないが、被害者は少ない方がよかった。
「子分の方たちも危険ですし、腰が抜けてる綾波コナミさん、と師匠、も、一緒に連れて行ってくれるとありがたいんですが・・・・」
 
 
「・・・・・行けないねえ。皿山、真剣川!あんたたちはお嬢ちゃんたちを連れて離れておきな」
ものすごい貫禄で断られた。「「はい!!」」命じられた子分たちも直立不動でその言に従うほかない。やはり、この人はここの首長の水上左眼の姉なのだ。悪い例えだが、上位種エルダーというか・・・・・その決定を覆せない。お飾り神輿ではない基礎土台が本気だしてきた。ものを言わぬはずのものが言い出せば、それは怒濤、止められるはずもない。
 
 
「ウメさん・・・・・」
 
 
「まるで寿司屋のあんちゃんみたいだけどね、その呼び名。ま、いたところで手助けにはならないだろうけど、見届けることはできる。あたしには、そうする義理があるんだ・・・・・・・・向こうもあたしには手を出せない。だけど、もし・・・・」
 
 
あんたが、バカ正直に、潰されるだけ
 
 
なら
 
 
こっちにも、覚悟がある、ぞ
 
 
と、その竜よりも巨大な生物の目をした女が。
 
そうやって無言の重圧をかけることで、なんとか判断の狂いを狙ったのだろうが。
 
 
「あと、五分、と言いなさいと、いや、五分だ五分なのだそう言ってる間に五分過ぎた!」
 
 
あまり期待できそうもない。強い風が吹けばしょせん影は揺らぐが、盤石の土台が支えているらしい。相当に性根の座った司令塔が、近隣にいるのだろう。
 
碇ゲンドウの包囲網もとっくに完成しておりみすみすその中に飛び込んでいるだけかもしれない。いくら沈黙が売りの元司令でもちょっと荷が重いかも知れない。現役バリバリの葛城ミサトや加持リョウジも不覚をとったくらいその手の人材がそろってもいるのだ。
 
 
「じゃ、じゃあ、ウメさんは見届け人として・・・・」
 
こんなものは一身上の碇の家の私闘であって、世界や地域の平和などまったく関係ない、別に付き合う義理などないのだが、てこでも動きそうにない。天然記念人物だよなあ。
こうなると水上左眼の救出など口にするべきではなかった。と思っても後の祭り。
 
 
「あたしが残る」
 
と思ったら、終わった祭りにまだ付き合うなどというアタマの悪い女がいた。
 
 
「!!ばっっ」
 
か、じゃないかと反射的に言いかけて慌てて口を閉じる。少し舌噛んだ。BADだ。
思わずその場でムーンウォークしてしまう。
 
「あたしが残るから、水上右眼、あんたは行って・・・・・やってもらいたいことがあるから」
 
そうして、何やら耳打ちする。
 
なんとかの使いじゃあるまいし、そんじょそこらの用事を言いつかって動くような状況ではない、根性注入びんたの十や二十喰らわされてもおかしくない。ビビビと人生学ぶにしてももうちょっと局面というものがある!。このド修羅場で。ここはあえて
 
 
このバカ娘、とっとと去ね!!
 
 
言ってやろうかと思ったが、どうしても口から先に出ていかない。ノドにつかえて。
残りの時間でかつての同居人のバカぶりを拝むことになるとは思いも寄らなかった。
のだが
 
 
「・・・・なんだと?」
小娘の戯れ言に怒号するかと思った水上右眼が酢を二リットル飲んだような顔をする。
 
 
「・・・・なんで今まで・・・いや、思い込みの裏か・・・予想自体はしていたからな・・・・だが、そうなると・・・・」
 
まじまじと黒ドレスの少女を見る。タチの悪い取引を持ちかけられているような気もする。
尖った尻尾は黒い羽は・・・・・生えているのか、隠していたのか。
 
 
「それが目的だったからよ。何があろうとも、ね」
初めて会ったときは、そんなことはおくびにも出していなかったが。詐欺師の人格もオプションでついてきているのかもしれない。
 
「知ったら、チャンバラ妹は怒り狂うだろうな」
 
 
「これもギルの仕事の内。あんたたちと会うことはどちらかといえば、私用だからね」
 
 
「そういうことなら、納得できるか・・・・・そういうわけでないなら、どふざけた話じゃあるが、言ってる場合でもなし・・・・・・・・・ああ、わかった」
 
 
その後の行動は早かった。子分とその他の綾波コナミや師匠も引き連れてさっさと退去した。ちょっとあっけにとられる速さだ。こっちにあいさつもなにもなしで。
 
 
 
「・・・なんて言ったの?」
 
はたしてどんな魔法の呪文か。知りたいような少し恐ろしいような。
ともあれ、バカ呼ばわりしなくてよかったのは確かだ。
 
 
「知りたい?」
「うん」
 
 
思わず、近寄ろうとしたけれど、向こうは下がる。優雅なバックステップ。口元には微笑。
 
その構成成分がどのようなものなのか・・・・確かめる間もなく。
自分が知る中では、そんな笑い方は、記憶に、ない。惣流アスカは。
 
 
「けど、時間切れ」
「時間になった」
 
 
声が重なった。同時に、衝撃が来た。建物だろうとやすやすと一撃で破壊する巨大拳が、己めがけて降ってきた。それに押されて瀑布する空気圧だけで膝が折れる。
 
 
絶対領域の自動展開を、強制キャンセル。”どうしてゼル!?”己の左腕から異議があがるが封じ込む。
 
 
 
ひとのかたちなど、とても保っていられるものではなかった。