「新しい借り手が住んでたらどーしようかと思ってたけど」
「恐れおおくて、普通の人間は住めないだろ、ここは」
「あによー、人のうちを怪奇現象があって家賃ガタ安みたいな・・・まあ、そうかな」
「・・・今や、ほとんど倉庫だな。あと三十年・・・いや、五十年くらいすれば、記念館みたいになるかもしれないぞ」
 
 
 
第三新東京市
 
コンフォート17マンション 旧・葛城ミサト宅
 
 
ドアの前には二人の男女が立っていた。年中夏の蝉の声を聞きながらの冬の旅装は二人が急ぎでここに現れ、また大急ぎでここを立ち去らねばならぬことを意味している。
元の住人でありながら。いやさ、だからこそ。
 
 
葛城ミサトと加持リョウジ。
 
 
作戦部長の座から引きずり下ろされたあげくに放逐された女と、もはやどこの組織に所属しているのか自分でもよく分からなくなっている男。世間的抹殺カポーであった。
これでベビーが生まれれば、これがほんとの風来坊、と。それはいいとして。
 
 
年齢的にはともかく、纏う雰囲気は明らかに堅気のそれではなく、昼間からこうしてマンションのドアの前に並んで立っていても、新居の見学に来たようには見えない。
日焼けもあるが、ネルフの職員が道ですれ違っても、すぐにはそうと分かるまい。
組織に属する人間の耳には聞こえる金鳴、しんぎ、しんよう、鎖の音がしないから。
 
 
「なるべく、ささっとすませないとね。忙しいんだろうしほっといてくれりゃいいんだけど」
「それ専門のセクションはそれがお仕事だからなー。そうもいくまいよ・・・とはいえ、存外、穴が広がってるかもしれないなあ。空港から顔くらい見てもおかしくないんだが」
「別に涙の歓迎を受けたいわけじゃないから、それでいいんだけどさ・・・・開いた」
 
 
自分の立場は非常に微妙な、綱渡りどころか刃渡りのそれであることを、葛城ミサトはよーく承知している。が、戻ってくる理由があった。しかも、きわめて私的な理由で。
 
というか、もはやそれしかない。けれど、大事なこと。何をさておいても駆けつけねば。
そこに加持リョウジが同行することももはや疑問にすら思わない。
 
 
「ただいま、でも、ないか・・・・・・」
 
 
人が住まない家はどうしても荒れる、というが・・・・・
 
 
自分の部屋とリビングなどの共用部分はほぼ完全に無人のものとして片付けてある。
家、としての機能はもう停止している。子供たち・・・・碇シンジと惣流アスカの部屋はそのままにしてあるが・・・片付けようがないので、というのがその理由。まあ、唐突だがそういう巣立ちもあるだろう。それが巣立ちであるなら、認めない保護者はいない。
別れの日時がいつも決まっているわけではない。笑顔と握手で別れられるのは、たぶん最上の幸せなのだろう。これは、自分にはふさわしい因果なのだろう。けれど・・・・・
 
 
あの子たちのさいわいを願ってもいいだろう。こわい帰り道が待っていようとも。
祈りの札をもらいにいっても、悪くはないだろう。この行く道がいかに調子こいたものであっても、そのくらいの報いは受けてやる。
 
 
ギルでラングレーからの手紙を受け取った。
 
 
内容は簡潔そのもの、CQD。Come Quick Danger・・・・手紙でそれなんだから因果な業界であると思う。まあ、こっちも世界各地を転々としすぎて誰にも掴まらなかっただろう自覚もある。岩人間に睨まれたがギルに居場所を掴まれるようじゃこちらも生きていない。
 
 
徹頭徹尾、異常な環境にいるに違いない碇シンジと違って、地元であるし多少は穏当な・・・癒しの日々を送っているだろうと思っていた惣流アスカが自滅というか自壊というかメルトダウン寸前というかかなりやばいことになっているという。しかも、独逸ではなく何をどうしたことか、日本国内でありながら地図に載っていない隠れ里、切断海賊都市の異名も高い竜尾道にいるという。なんか悪い冗談のようにそこには碇ゲンドウ、シンジの父子までそろっている・・・ときている。一体何を考えているのかこの父子は。あの岩も。
 
 
「にしても・・・・・なにがスーパードライよ・・・・・」
「かの御人以外が言ったならなんの冗談かと思うがな・・・・」
 
やばい状態にありながらギルに戻されない、というのが、やばさの度合いの証拠になる。
下手に動かせない状態にあるのだろう。身元を偽装して入国したはいいがそれを見破られて拘束されている・・・程度ならまだよかったが。ラングレーのような戦闘人格が救難信号を出してきた、ということは荒事では片付かない、それだけに、単純一筋縄ではいかんということだ。実際の所、そうなれば自分に何が出来るのか、葛城ミサトには分からない。
そして、作戦部長の肩書きを過信するようなラングレーでもない。
 
手紙の裏にはヒントがあった。
 
 
”家の中で絶対に見つからないところに隠した忘れ物を探しなさい。
 ヒント・ふゆ こわせ”
 
 
 ”第二ヒント・・・・・つめたくないけどつめたくすずしいもののなか”
 
 
てめえの顔を過信して体一つで行っていたらえらいことになっていたわけだ。何か、ここで探さなくてはならず、それをアスカのとこへ届けなくてはならない。いわゆるおつかいクエストだが、自分は不調を癒す僧侶でも神官でもない。冒険者というのに近い。ずいぶん遅くなったが、やりましょう。・・・・やるしかない。
 
 
「なかなか難しいな・・・・・・オレが、解いてやろうか」
「どこが。もう解いたわよ、こんな、なぞなぞ・・・・簡単じゃない・・」
 
 
家の中、といってももう探すような所は子供たちの部屋しかない。
”あの話”は連れ合いにもよくしていたから、知っていた。
 
 
つめたくないけどつめたくすずしいもののなか
 
 
「・・・・そうか。あの子もなかなか・・・・・性格、いや性質的なものか・・・」
 
 
まあ、あんな生活はままごとのようなものだったかもしれない。けれど。
 
 
ふたりの視線の先には、いつか、
 
 
碇シンジが、慣れぬ日本の暑さにへとへとになっている惣流アスカをせめて、気持ちだけ涼しくするために、日本の文化は察しと思いやり、贈った・・・・・
 
 
独逸家屋のミニチュア・・・・・明礬析出で、そこに冬が宿っているようにした、ホームシックも多少あったに違いない家族の疲労をわずかでもやわらげようとする・・・・
 
 
あの子の心遣い・・・・・今も、ここに残っている。
 
 
停止し荒れた空間の中に。静かに。あの時の、おままごとの残り物かもしれないが。
家の中で絶対に見つからないところ・・・・・確かに、そうだろう。考えもしない。
 
 
ふゆ こわせ ・・・・・・ヒントには、そうある。魔女のように親切な。
 
 
それを破壊して、内部を検める、なんて真似は
 
 
一見しただけではどこをどういじって中身に「アスカを救えるなにか」を入れ込んだのか分からない。そして、「アスカを救えるなにか」がどういった代物なのかも分からない。
それとも、碇シンジがもともと何か細工していたのをラングレーが気づいたのか・・・・忘れ物というのだからそれもちと違う気もするが。アスカ当人でも絶対にない。
ミニチュア家屋の壁内部にでも塗り込んだ、となるとコナゴナにしてみないと、何がなんだか分からない・・・・・。
 
 
なんでこんな所に・・・・・・・とは思わない。それがラングレーだからだろう。
 
仮面でも演技でもないアスカとは完全に別の人格。求めるものが完全に異なる。
自分たちには見られたくなかった代物。けれど、始末はしなかった・・・もの。
それが何か必要になる未来を予測していたのか、そんなものに頼らざるを得ないほど追いつめられているのか・・・・・その、三番目に。この家の、記憶もないだろう三番目。
 
 
こわさねば、見つからない何か。
 
 
けれど、
 
 
こわせば、どうなるか。加持リョウジは連れ合いの苦痛が分かる。近似値で想像できる。
 
これは、あの三人のつながりの象徴。使徒戦のために、縁作られたはずのあの三人の。
 
迷う時間もなく、事態はとうに終わっているかもしれない。徒労かもしれぬし、後に残る傷になるかもしれない。しかし、自分が代わりに破壊することを、逃げを、この女は許さぬだろう。もう少し利口になってもよかろうに。人生苦労多く・・ってもう真っ最中か。
 
 
「・・・・シンジくん、ごめん」
 
 
葛城ミサトが「冬の家」を持ち上げた。見た目より遙かに重い、重いに決まっている、その重さにくじけそうになるが、こらえる。
 
 
「男の子だから、我慢して。堪忍」
 
 
まるでそのミニチュアが碇シンジ本人であるかのように、もしそうなったら単なるプロレス技であるが、堅い声で詫びる葛城ミサト。我慢するのは、そこにいない人間ではない。
 
 
「・・・・これで、なんかのフェイクだったら、ラングレーの奴、ゆるさない。アスカがなんていったって、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・丸刈りにしてあげる」
 
 
牧歌的な文句がかえってこわい。直視して石になってもたまらんので、加持リョウジは視線を連れ合いからそらした。
 
 
 
 
そして、破砕音がきた。