麻痺するほどに驚いた。
 
すぐに復調はしたけれど。
 
水上左眼が見えていないのが救いだった。
 
 
こんなにビビビらせてもらったお礼を・・・・・と、他の者だったら考えてしまったかもしれない。少し、スピーと鼻息の強くなる綾波レイであった。
 
 
しかしながら
 
 
やって来たのは、そうもいかないふたりだった。
 
 
鈴原トウジと、洞木ヒカリ
 
 
クラスメートにして、エヴァ参号機の二人三脚的パイロット・・・・・・ひとくくりして仲間である、という便利な洒落っ気は綾波レイにはない・・・・・同僚。最近は後者の重量がアンバランスに増加している。させたのは、自分。自分に近しい道連れを、造ってしまったのではないかと当初は思っていたが、どうもそれではすまなくなってきている世の流れの凄まじさである。油断すれば、自分でもあっという間に置いていかれる。
 
 
ある意味、業界における最先端、もっとも尖った位置にいるふたり。
 
 
正確に言えば、洞木ヒカリがそうなのだが、相方がいればこその話なので鈴原トウジも必須条項といえる。しかも、角度を変えれば鈴原トウジもピンで評価できる・・・どころではない登攀ルートに手をかけている。登り切れるかどうかは不明だが、それはまさしく。
 
 
それが、こんな時間にいきなりどうしたのか・・・・・。
 
確かに、鈴原トウジには、適当に薄めたり調整したりした事柄を相談しようとは思っていたが、それにしてもこんな時間にではない。しかも洞木ヒカリ連れとは。
 
 
「シンジがおるんか!?」
 
 
開口一番それであった。こんな時間にどうしたの?などと綾波レイが問う間もない。
一応、セキュリティからの先触れはあったけれど到着とほぼ同時なのだから意味がない。
結界口を通ってからおそらくふたりとも走ってきたのだろう、息が荒い。洞木ヒカリなど息が乱れてまだ言葉にならないようだ。
 
 
しかし・・・・・このふたりから、その名を聞くとは・・・・・
 
 
ぞくり。鳥肌がたってきた綾波レイである。
 
 
それから
 
 
ぞくり。もう一度、揺り戻しのような震えがくる。
 
 
これは、この部屋にいる女の存在を思い返したからだ。水上左眼。
 
 
こちらが麻痺していた間に「不意の来客か・・・・先の少年といい、なかなかお盛んだな・・・・では」と気を利かして段ボールの中に隠れはしたものの、この場に「自分を捕獲してくれた元の原因」がのこのこやって来たと知れば・・・・こちらに介錯を頼んでくるあたり、すっかりこの世に未練はなさそうだが、なにが切っ掛けで蘇ってくるか、片道切符を破棄するか分かったものではない。とはいえ、ここで露骨に「信用できない」行動をとれば、向こうもその気になってくる可能性もある。何より・・・、とりたくもない。
 
 
思いきり、ふたりを危険にさらすことに、なるが・・・・まさしく剣が峰に乗せるような
 
が、今に始まったことでもない・・・・・・この程度、まだ甘いといえる。
 
 
相当にひどいことを考えているが、別に誰かさんと違って邪悪なのではなく、素なのである。自分自身にも容赦なく厳しいので、他人は納得するしかない。
 
 
「・・・こんな、時間に、ごめんね・・・・綾波さん・・・・でも、ほんとに・・・」
息も切れ切れであっても洞木ヒカリの目の光。求めるのは鈴原トウジと同じようだ。
それにどう応えればよいのか・・・・
 
 
「あがって」
 
向こうの話を聞き、こうなれば、こちらの話も聞いてもらわねばなるまい。
こんな時間に走ってここまで来たのだ。来てくれたのだ。
 
 
「どうぞ」
 
さきまで水上左眼がいたあたりにふたりが座る。一息ついてもらうために出すものは、みそ汁・・・・ではなく、鈴原トウジにはスポーツドリンク、洞木ヒカリにはアイスティー。
火織ナギサが心配するようなことはないのである。
 
 
「ああ、こりゃ・・・ごちになります」
「いただきます、綾波さん・・・・おいしい・・・」
走った熱のせいか、ごくごくと飲み干すふたり。ここで今度はもう少し熱めの茶をもってくるような石田三成な綾波レイではない。適当に同じものを出しておく。
 
 
段ボールの中の水上左眼は完璧な隠行で、気配を微塵も感じさせない。大丈夫なようでもあり、それは危険なようでもある。・・・・とにかく、話を聞こう。聞いてもらおう。
 
 
「ここには・・・・・おらんようやな・・・・・」
 
飲みながらでも気配をさぐっていたらしい・・・・・・話し始めた鈴原トウジの声はトーンが落ちていた。視線をめぐらすわけでもないが、深い呼吸をもって人気を吸着するような、その佇まいの断片には黒羅羅・明暗を感じさせるものが確かにあって、内心、ひやっとする。むろん、表には出さないが。参号機とシンクロすることで明暗成分が少しづつでも供給されているのだろうか・・・・。
 
 
「綾波さん・・・・・私たち、碇くんから電話をもらったの」
 
それがどのように綾波レイに反応するか、かなり考えてからの切り出しだったのだろう。
言葉自体は端的ではあるが、こちらを気遣うその声色が、なんとも心地よかった。むろん、表に出すことはない、損な気性の綾波レイである。
 
 
雨降る夕方のこと。正確に計ったわけではないが、ほぼ同時刻に、ふたりの家に碇シンジから電話がかかってきた。携帯電話ではなく家付き電話で。そう名乗ったわけではない。
かけた当人は間違いなく自分が碇シンジだと確信しており、向こうが自分を疑うこともなくその言葉を受け入れることを信じ切っているような口調であったという。
 
 
”綾波さんがテンパ・・・・いや、困っているみたいだから、相談にのってあげて”
 
 
などと。説明らしきものはいっさいなく、てめえの頼みたいこと言いたいことだけいってさっさと切れてしまった。らしいといえば、らしい。碇シンジは物凄い重要事重大事になればそんな感じなのだ。誠意というものが感じられない。甘ったれているといえば甘ったれているのだが、そこでてめえはてめえで無計測バンジーのような無茶をやらかしているから始末が悪い。その言だけ聞いたものはあわてて火消し後始末に走らねばならなくなる。
こういった一方的な友情モデルを古来からなんといったか・・・・。
 
 
サギか騙しの手にしては、あまりに短すぎる。100%の説明をしろとはいわないが、もうちょっとあってもよさそうなものだが、最近自分たちの置かれた立場を考慮すると、そういったこともあるのかもしれない、と思わざるを得ないこともある。
 
 
その短さが、嘘のようでもあり、破綻していようと現実のようでもあり。
 
自分たちがパイロットをやっているこの事実も、考えてみれば冗談のようでもある。
そんな冗談のような自分たちに、運命のさいころのようなのが、もうひと転がりして、
こんなことが起きても、悪いことは、ない。だろう。絶対起きないと言うことなど。
 
 
碇シンジの生存については、大人連中、それも世間一般的にも強力有能であるはずの大人集団、特務機関ネルフが「よくわかりまへん」みたいなことを真面目な顔して言っているくらいだ。確かに、あんな列車など呼び出す相手に対抗できる大人もそうはおるまい。
ああいうやつを捉えておけるのはそうはいない。ふたりの知り合いでも、唯一人。その
 
 
当の綾波レイに相談するよりまず、鈴原トウジと洞木ヒカリ、ふたりは互いに相談した。
 
まずは、というところでこれ以上の相手はいなかった。大人と子供、社会と個人、他人と仲間、ちょうど境界の重なる相手同士。これが、嘘か真実か、話し合うにこれ以上の相手はいない。が、まあ、結論は出るわけもなく。確信などあるはずがない知らせを他の者、相田ケンスケたちに教えるわけにもいかず。
互いの情報と認識の共有くらいしか出来ることはなかった。・・・・・・綾波レイに連絡がつかなかったせいもあるが。
 
 
ふたりからの連絡は最優先で繋がるようにはしてあったのだが、さすがに来訪者が来訪者であるから一時カットしてあったのが裏目に出た。こうして直接、やってくる手間をかけることになってしまった。諜報三課、彼女の姉はかなり驚いただろうけれど。
 
 
にしても・・・・・・これで、三人か。
 
 
市場に虎が出た、と三人がいえば、それは本当、とかいう例え話もあるが。
 
三人ともこの場合、その姿を見ているわけではない、という点が。いや・・・・
 
 
四人目がいた可能性もある。しかも、その四人目は確実に正視目撃できる機会があった。
 
みすみすその機会を逃してしまったカバっぽいその四人目とは・・・・・
 
 
 
自分なのだが。
 
 
 
そのことを、ちょっと、引き気味に、魔法使いではないが、おずおずと、鈴原トウジと洞木ヒカリに告げてみると
 
 
「自分、あほちゃう?」
 
「・・・・・・・・・・それは・・・・ためにはアメもあげないと男は・・・・・いや、ちょっと違うか・・・・・」
 
 
言われてしまった。反論のしようがなく。
 
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だって」
 
 
男であれば、世間のせいにすることもなく、他人のせいにすることもなく、親のせいにすることもなく、ぜんぶ自分のせいにして生きるしかないわけだが。
綾波レイとて少女である。こんな日もある。自分でもさっさとあの時確認しておけばよかった、そうすれば世話はなかったのだと、今になって思い知るのだけど。
 
 
鈴原トウジたちがここに入ってくる際、碇シンジの在を尋ねた、ということは、部屋の前、ふたりの目に入るところに彼はいなかった、ということだ。思わず、段ボールの方を睨みたくなるが、ぎっと耐える。今の鈴原トウジには悟られる恐れがある。
 
 
「なんでさっさと呼ばへんのや?ニセモノやったらしばいてやれば済む話やないか!」
 
鈴原トウジの脳裏には、碇シンジがドアの前に立って「僕は碇シンジです!」と何度も名乗ってもそれを信じず「なぜ、ここにいるの」とか「あなたはだれ」とか絶対に中に入れようとしなかった悲惨な光景が映っているのだろう。それで、泣きべそかきながらここを去る、という・・・・かわいそう極まるシーンが。
 
ここはそんなニセモノが簡単に入ってこられる場所ではないから、という言い訳はしない。
確かに失策だ。失策すぎる。水上左眼を外に置いて彼を内にあげてもよかったのに。
 
 
「ま、まあ・・・・・綾波さんも疲れてたり、いろいろあったりして、ちょっと混乱してたんだよ・・・・・そりゃいきなりは驚くよ。驚かす方はいいんだろうけど」
「いや、そうはいうてもなあ・・・・・・」
 
ふたりで来てくれて助かったなあ、と思う綾波レイ。鈴原トウジだけだとこのまま小一時間は説教喰らうハメになったかもしれない。さすがにそうなると、段ボールの中身が痺れを切らすかもしれない。
 
 
「たぶん、この時間なら自分の部屋に戻ってるんだろうから、呼びに行こうか」
「・・・・そうやなー、ミサトさんもおらんし、そうやろな。一人さびしくカップラーメンでもすすっとんのとちゃうか」
 
 
「・・・・自分の、部屋?」
 
ちょっと頭がついていかなかった。前面の若虎、後方の独眼竜、ともなればやはり神経が・・・というのも言い訳か。認めよう、自分は今、気もそぞろ状態で、千尋に乱れている。
 
 
「は?この幽霊・・・いやさ、建て替え中の、団地内にシンジの奴も自分の部屋、もっとんのやろ。いくらなんでも男がいつまでも、こんな時間まで女の部屋の前に未練たらしく座り込むかい。自分の部屋に戻っとるに決まっとるわ」
「あのね、カップラーメンがどうとかいうから綾波さんも混乱するのよ・・・・まあ、碇くんがどこに行ってたとしても、そんな故郷の味が恋しくなってるかもってこと。・・・こんな時間に職場あいさつってこともないでしょうし、ね」
 
 
なるほど。自分より遙かに頭がまわっている。言い回しにいくらかオブラードに包んではあるが。現状の碇シンジなら、体制変化のネルフより、閉鎖された葛城ミサトの部屋より、この幽霊マンモス団地内の自分名義棟に戻ってベッドで横になって涙で枕をぬらし・・・・そうにもないが、「綾波さんのバカ・・・」とかいって、いじけている可能性は、ある。
 
 
「そいじゃ、行ってくるわ。おったら連れてくるけど、ええな?」
「・・・・・・・・・・・・とにかく、よく、話し合って。ね?」
 
 
話し合うも何もそういう痴話げんかレベルの話ではないのだけれど。まあ、ここをふたりが離脱してくれるというのは、息抜きにはちょうどいい。段ボールは沈黙したままで不気味だ。中で息絶えてたりしたら非常に後味が悪い。段ボールであるから息はできると思うが・・・・一応、確認してみよう・・・・・
 
 
「あ、そいでな。綾波」
 
行ったはずの鈴原トウジがドア開けて呼びかけてきた。「な、なに?」
ここで大阪名物か知らないがしょうもない一発ネタなどをかましてきたら、ちょっと反撃してしまうかもしれない・・・
 
 
「まさかと思うけど、そこの段ボールにシンジが隠れとった、とかいうのはかんべんしてや。・・・・ケンカならなんぼしてくれてもええんやから、な。これ以上調子にのらんようにちょいギタギタにのしてもろうてもええくらいや・・・・・どや?」
 
 
どや?と言われても・・・・・返す言葉などない。ぶんぶん、と単純に頭を振るしかない。
 
そういうことなら、自分たちはこのまま帰るし、てめえらで勝手に徹底的にやれ、ということなのだろうが・・・・・ふたりにかかってきた電話は、それほどまでに疑う余地もなく「碇シンジ」だったのだろう・・・・自分の立場からすると奇妙と言えば奇妙な物言いだが、悪くはない。むしろ、良いくらいだった。ケンカをけしかけられて良、というのも変かもしれないが。
 
 
それにしても・・・・・・これは、あてずっぽうなのか・・・・・・
 
 
ドアが閉まったあと、ふたたび段ボールに向かいながら、ちと呆然とする。
これでまた大阪名物かもしれないが繰り返しネタなどをやらかしてきたら、怒るよりちょっと哀しくなるだろう・・・・
 
 
「綾波さん」
 
と思ったら洞木ヒカリだった。なにこの悪影響。こんなところで意表をつかなくても。
べつに俯瞰して眺める観客がいるわけじゃないんだから、と綾波レイはつっこめない。
刑事コロンボのおよめさん、じゃないか。にしても、心臓に悪い。
 
 
「その段ボール箱」
 
ぎょ
 
「何が、入ってるの?」
 
 
ふたり結託しているのであるまいか。というか、隠行が完璧でもさすがに引っ越し前でもないのに段ボールが客の前に置いてあれば、気を惹くわなあ・・・・・常識の盲点だった。
 
 
なにより哀しいのは、ここで嘘がつけない綾波レイの性格だった。
 
 
「だ、段ボール戦車・・・・・」
 
 
嘘がつけないから、思いついたことを適当に、口にしてしまう。
 
 
「き、危険だから・・・・・・」
 
 
危険なのはあなたのお脳、みたいな顔を一瞬、洞木ヒカリは浮かべたがすぐにひっこめる。
 
「そ、そう。じゃ、いってきます」
 
 
 
玄関ドアが閉じた。二度と開かれることのなさそうな静寂が、もどってきた・・・
 
 
途端。
 
 
ゴタゴタゴタっっ
 
 
当の段ボール箱がものすごい勢いで右往左往揺れた。隠行ゆえに笑うのをなんとかこらえているらしいが、意味はなかった。
 
 
(注)「段ボール戦車」・・・・・一般の都市生活者にはなんの意味も面白みもない単語であったが、密林での潜入作戦を行った者には非常にヒットする面白ワードであった。