「そう、ユイ君が何より右眼を見込んだのは、そのバランス感覚ゆえだった。黄金律、肉体的な特性もあったことはあったが、それでもあの大きさの代物を容易に・・・舞わせてさえみせるその超絶の平衡感覚は、あれだけの武術の才における無双を誇ったユイ君にも持ち得ないものだった。武術的な才能だけで言えば、修行に特異な時間をかけられた点を差し引いても、左眼の方が上回っていたのではないかと思う。これはとくだん腕に覚えのあるわけもない学者である己の私見であるから、なんの意味もないかもしれないが。また、誤算であるという観点からすれば、右眼と骨号機との同調深化についてもそれはいえる。
あれには全くしてやられた。解析どころか気づくことさえ遅きに失した。バランス感覚。たかが、平衡を保つだけの、生物として基本基礎的な能力であると、何かを産み出すわけでも広大に破壊を及ぼすわけでもない、と、規模が違うだけで綱渡り平均台の芸となにも変わるわけがない、などと愚かしい楽観しか出来なかった過去の己を恥じる。何が形而上生物学者だ。碇がたまに揶揄するように発想の飛躍をすることのない後追いの予言しかできぬ経済学者だ。巨人、巨大なものを動かす者たちには、やはり、何かがあるのだ。当然のように、それを動かす者たちには、その次が見える。その次の視界がある。彼ら彼女たちの領域。正直、理解に至れるとは思っていない。無花果の葉の蔭で沈黙し、その真似事をするだけだ。生態の埋設。右眼と骨号機に成せる唯一の業。それ以外は無能にして無力の骸よ。次界の視線を瞑りながらかのアトラスの真似事を続ける愚かなる人形使い・・・・」
 
 
第三新東京市内ではあるが、ある意味、秘境よりも人が入ってくる可能性が極小であるところの箱根細工式隠れ家・・・・手順を知らぬ者以外には絶対に入ってこられない・・・・万が一、この部屋の正当使用者であろうとも、突然の腹痛やぎっくり腰なぞに襲われでもしたら、そこで人生ゲームオーバーするしかないような、レベル7空間である。
所在番地的には住民が知れば驚くような目立つ場所にあるが、誰にも気づかれない。
 
 
そんなところに椅子にくくりつけられて後ろ手錠にガッチリと監禁された、現役ネルフ副司令、冬月コウゾウ氏がさきほどからブツブツ何か言っていた。相手も脈絡もない限りなく電波な台詞に誰かが抗議の電話をしたわけではなかろうが、待ったがかかった。
 
 
 
「独白というより、念仏を唱えているようですよ・・・・・冬月先生」
 
 
しかしながら、息も切れ切れの、力のないそれで止まるウインタームーンではなかった。
 
老悪魔のごとき冷酷冷徹な目で相手を見下ろし・・・・くくられた椅子よりも下の位置、相手は床に倒れ転がっていた。下半身を朱に染めたシオヒト・Y・セイバールーツであった。病院で治療もせずにこんなところで碇を脅迫など、まことにいい根性だが、あの出血では助かるまい。事実、もう立てもしないのだ。手持ちの駒を呼ぶにしろ、手遅れだ。
左眼の積年の恨みの斬撃だ。かすられた、程度でも胴を両断されなかったのは運があるのだろうが・・・・・
 
 
「なぜ私が念仏など唱えなければならないんだね・・・・・冥土のみやげに先生呼ばわりくらいは許可するが、早々にくたばりたまえ」
 
まさに、冬の月。常人ならば、通常のネルフ副司令のしての顔しか知らぬ者が聞けば、今日び、定番の悪役でも言えそうにない、心臓凍りそうな冷血の送詞であった。
 
 
「医者とも思えないことを仰いますね・・・・・」
 
もともと凍るべき血も涙もなければ、どうということもない。らしく、さほど応えた様子もない刃源のシオヒト。嘲笑であった。多少の躓きはあったもの、目的は果たした。
 
碇ユイ、あの女傑の影を消去しさえすれば、霧の山街との”ライン”が通る。
 
そうなれば、調調官でも手が出せなくなる。それはゼーレの与える正当なる権限ゆえに。
 
その行使、その手続き、その実行を止めねばならない。正当以外の手段によって。
 
碇ゲンドウは停止した。現状身分からして何を代価にしようが止まりはしなかっただろうが、それでもあの無敵の核家族にもアキレス腱はあった。
 
 
「私は医者ではないよ。多少の手術のテクニックを知っているだけだよ」
 
「いえ、あなたはひそかに医師を自任していらっしゃるはず。あの家族のお付きのね」
 
「なんにせよ、君を助けるつもりもない。手はこのとおりの不自由でもあるしね・・・・・痛みはあるかね」
 
「勿論ありますよ」
 
「それは良かった」
 
「フフ・・・ずいぶんな言われようで」
 
「意味のない仮定ではあるが・・・・両手が、今、自由であれば、と思うよ」
 
 
すぐそこで大鎌をもって待機している黒い影の代わりを務められるのに、とその目が。
 
 
「遺言として聞いておこう」
 
 
会話ではありえない響きで大深度監禁、このまま誰にも発見救助されることなく後ろ手錠でミイラになっていく可能性がきわめて高い・・・都市の内部で遭難餓死などとしゃれにもならないが、現状のネルフではそれも十分ありうる・・・・そんな状態でありながら、強気というのも生ぬるい硬質の言葉を発する冬月コウゾウ。目の前の男の死亡前提で勝手に話を進める。進められた方の鼻白さは流血のせいか、それとも。
 
 
「・・・・あの場所で、霧島マナには会ったのかね」
 
 
左眼への尋問はまだ途中で、休憩で席をあけていた彼女は何が起こったのか分かるまい。
危惧するに、自分を眠らせる前に既に彼女もこの男に、という可能性があったが。
 
 
「いえ・・・いずれ、手に入れるつもりではいますが。今は」
 
 
正直に語る義理も保証もはずもない。いずれ、だ。が、ここでコンマ単位で見抜かれる嘘をつく理由もない。死に損ないの体で自分を引きずってでも優先する事柄があったのだ。虻蜂の二兎とらず、時を待ち確実性を好む気性だ。彼女は後回しにした、と見るのが妥当か。その余力もないだけかもしれないが。彼女の制御も、容易に触れ得ぬまた難しい問題ではあるのだ。予備知識がなければ、左眼の脱走、それにともなう破壊、誘拐あるいは殺害、と予想、事態を受け入れるであろう。事前に情報操作されていれば、本部内の混乱も推して知るべし。
 
 
それにしても、この状況。
 
 
シュレディンガーの猫レース、とでもいうか。内部からは脱出不能、外部から助けを待つだけ、しかも、その外部の助けが、自分の敵側であれば、当然のこと、こちらの命はない。
明言してもいいが、逆の立場であれば、もちろんこちらは容赦しない。ネルフ副司令を作戦部長の肩書きを持つ者が「意味もなく」拉致監禁してくれたのだ。あらゆる意味でジ・エンドだ。ゆえに、生かして帰すわけもない。犯人の体調を考慮すれば、下手をすればこのまま共倒れの可能性もある。それにしても、分が悪い勝負だ。これまで積み重なってきた激務の疲労の代償がこれか。仕事の褒美にまた仕事、といったのは本田宗一郎だったか
 
 
・・・・・ああ、なんともやりがいのある人生だ。
 
 
大鎌をもった黒い影が時計を気にしている・・・・・幻視であるのは分かっているが。
外では季節外れの雪が、降っていたりするのだろうか・・・・
 
 
「・・・・そういえば、これは独り言だが・・・・・なぜ、軍師気取りの男は、自分の夢を見続けているだけの小娘を、裏切ったのだろうな・・・・それだけの頭があれば、最初から器のほどは知れたであろうに、砂上の楼閣いやさ、蜃気の城町を飾る手助けまでしておいて・・・」
 
 
返答はなかった。独り言だとしたせいだろうか。それとも
 
 
「死んだか・・・・・・」
 
 
あっさりとしたものだ。左眼の秘めた斬撃でずんばらりとあそこで両断されていてもおかしくはなかったのだから、この時間がもうけもの、といったところか。碇と自分への絡みといい鼬の最後っ屁というか壱から十まで、あたまからしっぽまで迷惑な奴だった。来世はせめてたっぷりとアンコのつまった鯛焼きとして生まれ変わって欲しいものだ・・・・・毎日毎日鉄板の上で焼かれて暮らすがいい・・・・しかし、よく考えると表示偽装はともかく、買われもせずひたすら焼かれ続ける小麦粉食品とは、どんな感じなのか・・・・
 
・・・碇など来世にはそんなひどすぎるたい焼き屋のオヤジに生まれ変わりそうだが。
 
 
 
「・・・・・死んでませんが」
 
 
冬月コウゾウ氏が真剣な顔でそんなことを考察していると、異議が。あるらしい。
あったらしい。もはや死人とさほど変わらぬ顔色のシオヒトから
 
 
「それは残念だ。では黙っていたまえ・・・・私は私の思索に戻る」
 
 
「・・・・私から情報を引き出そうとは思われないのですか?冬月先生」
 
黒い影が時計を見ている・・・・・幻視だと分かっているが、こんな空間では、彼か彼女かは知れないが、その存在が最もリアルだった。逃れられないものを認知してしまった。
向こうもこちらを見ている、という単純な事実の、重さ。人の声がそれを減らすはずもないが。
 
 
「思わんね。ただでさえ激務が続いていたのだ・・・・・これ以上、仕事の種を増やして欲しくないな」
 
まさに解脱、悟りの境地を越えた、超本音であった。
 
本音は人を動かす。それはこの状態のシオヒトも例外ではなかった・・・。
一瞬なにかいい話のようではあったが・・・そうではなく。
 
 
「ぐっ・・・・」
 
明らかに危険かつ不要な肉体の動かしであったので、そのぶんシオヒトの死期が早まった。
 
そんな、ひどい話であった。冬月コウゾウ氏の来世がだいたい想像できる。
 
 
「その上、すでにサイは振られている。天才が造り上げたあの海の盤上で。良目悪目どちらに転がるか、はたまたただ沈んで終わりになるか・・・・・勝手な期待はするが、希望ですらない。おそらく、左眼は勝負のルールにさえ気づかず、負けるだろうな・・・なにもかも失う・・・・・そこが不憫ではあるが」
 
そして一端、言葉を切り・・・・・・微妙な間。砥石で刃物を研ぐような
 
 
「頭脳労働を任じておきながら分からぬ者がここにもいる以上、・・・・・・
 
 
それは世界最重量級の嘆息。クワウジョウシンノナイモノハ、バカダ、というような。
 
 
仕方がないのかもしれん」
 
 
ドギュ
 
「今さら・・・・・・・・・負け惜しみを・・・・見苦しいですよ」
 
脳天を、斧でたたき割られたようなショックを吸収し切れなかったように、血色の呻きが。
これがブラフでもなんでもない確信によって伝導された衝撃が、声にザラと苦しい響きを。
脳裏で必死に事態の見落としがなかったか再計算を行うが・・・・・検算は合致、対応項目はない。二重天領狙いの悪足掻きしかあるまいが、それに関連する碇ゲンドウの動きはない。停止したままだ。それは間違いない。
 
 
今さら、逆転の目などない。現実は双六桃鉄ではない。強靭な計画表を所有する者が勝利する。天領となった竜尾道、ヘルタースケルター、そして福音丸を手に入れる。・・・・・これらの名称もいいかげん愚かしいので自分がその任につけばすぐさま変更するつもりでいる・・・とりわけ福音丸というのは最悪だ・・・・・これは、確定の未来図。
 
 
「後ろ手錠をかけられて美しく見えるほど容姿には自信はないな」
 
確信があれば、そのようなものは減らず口にしか聞こえないが。しかも、解放された状態でも美しく見える局面などあなたにあるのか、と指摘しそうになる。時間の無駄だが。
そんな不要な行動で残された体力を使い切ってしまえば・・・・・まさに愚か者だ。
 
 
だが、計算には自信がある。体力が尽きる前には、こちらの手駒が来る。まだ到着しないのは、その時間になっていないからだ。向こうより早く。そうなれば、この老人ともおさらばだ。この状況状態であの態度とは、正直に感心するが。生かしておけるはずもない。
あらゆる意味で。・・・・ネルフの弱体化混乱は望むところだ。
 
大陸でのコネクションもなく、ほぼ単独でその地位まで昇ったあれだけの組織を造り上げた能力には敬意を表するが・・・・・そこに、問いが来た。本音に反しているという意味では装飾的な。
 
 
「君はあの海園を手に入れて、何をするつもりだ?」
 
 
意外にも、冬月コウゾウ氏の声には明るさが含まれていた。純然たる興味、というものなのだろうが。さきほどから死ね死ね団かと思うほど死ね死ね言っていた氏の問いであるから気をいれて答えるつもりもない。
 
 
「この業界で、目のある者ならば、欲するでしょう。自陣としておさえておきたい、と思うのはほぼ本能に近い。生産業が不動産を欲するのと似ているかもしれませんが」
 
味も素っ気もない、白紙解答にも近い返答。そして、それはある意味、十全な解答でもある。問い自体に欠陥があるのだからやもうえまい。新たな神になるつもりだ、とでも答えてやれば良かったのかも知れないが。
 
 
あそこでやるべきことなど、決まっている。あそこでしか出来ない誕生を。
文字通りの、”奇跡の”空間。生態の埋設。アンバランスを固定できる反逆の時計。
 
 
けれど氏は深く肯首した。暗雲を透過する一条の光のように
 
 
「主は懐かしい花園が欲しいといっているのに、部下は便利な陣地を欲する。一所懸命と拡充征服、とでは袂を分かつしかないかな、それは・・・・・・軍師など必要ではなかったのに。求められて、憎悪したか・・・・まあ、それも正当だ。あれも困った娘だな」
 
目を瞑りながら、半分、眠るように。諦観したようにも、全く興味が失せたようでもある。
または己の思索に戻ったか。
 
 
「・・・・・・・・・」
 
シオヒトにも反論はない。必要と体力、双方がなかった、だけなのか
 
 
「・・・・・・・・・」
 
 
沈黙がおりた。あとは時を待つだけ。老人は時をかけられない。
 
 
あてにもなりそうにない救助を待つのみである。相手の圧倒的優勢の中で。もとより相手の計画した段取りの中で、現在、公平に自分が見下ろす立場であるのは単なる偶然であり。指が二本ほど切断された状態であろうとその掌中に己がいることは間違いなく。己が体、生命と仕事の完遂を秤にかけられるあたりは、その執念は認めてもいい。
・・・・・直属の部下にはしたくないが。
 
 
実際問題、碇の手助けは期待できない。ここで碇が救助にやってきたら、私はあの陰気なひげ面に帰依して永遠の奴隷になってもいい。その程度に、あり得ない。なんらかの手配をしても間に合うまいし、現状、自分以上に手駒のいない男がそこまでやれるはずもない。ここで切り札をきるような単純な男であれば、とっくの昔に謀殺されている。
 
 
では、他に誰かがいるか?・・・・・・・これがいないのだ。
 
人情基幹の希望的観測はともかく、目の前に死にかけているこの男がその程度の煙幕もはらず、とは考えにくい。出来うる限りの捜索捜査の妨害策を仕掛けた上で、今回のことを実行した、と考えるべきであろう。安易に手駒を使わず、肝心な部分を己の手で行う確実性からしても。単に、使える部下があまりいない・・・・・のかもしれぬが。
 
 
この場合、最も働くべき諜報部門からして、最もアテになりそうもない。重点的に妨害策を施してあるだろうし、「冬月?ああ、そろそろ死ぬと思ってたんだよなー」「葬式出せるように死体くらいは探してやるか」程度ならばまだかわいいが。あの蠅モノリスとル課なる異形部門が己の目のない今、組織内で何をしでかしているか・・・・・警務というより白血球のような仕事もせねばならない、となれば、シオヒトの手と競争してそれに勝つことは期待できない。同様の理由から、日向君たち通常系スタッフもまともに動けまい。
 
左眼の一件があればなおさらだ。左眼が再び捕まっても、この首がまずいことになる。
まあ、その心配は後でやればいい。
 
 
とあれ、作戦部長連の一人が、実体でここまでやる、というのはかなり常識外れで意表をついている。時がたてば真実は明らかになるだろうが、それでは遅すぎる。葛城君と違って作戦以外のことにわざわざ時間を割くこともあるまいし、我富市由ナンゴクあたりは兼任で後釜を狙うことくらいはやるだろう。こちらの身を案じねばならぬ義理もない。
自発的失踪のように偽装などされていたらなおさらだ。逃げてもおかしくない激務の日々ではあったし。
 
 
そうなると、残ってくるのは・・・・・・赤木博士・・・・・なのだが、これも現在急ぎの研究に没頭しているので、使い物にならない。研究室に籠もってこの一件に気づいてさえない可能性が高い。まあ、科学者に探偵のマネをしろ、というのが無茶な注文なのでしょうがないが。おそらく、使う頭脳が違うのだ。別に科学的トリックを用いて拉致しとるわけでもないし。
 
 
・・・・・・組織で生きるのは孤独なことだな・・・・・と悲観はしない。こんな状況で日頃の町内会活動がプラスになるとも思えない。思えたとしたら少し頭が異常だ。
向こうの救援はそろそろやってくるだろう・・・・それがタイムリミットだ。
 
 
最後に残るのは・・・・・・・・レイ、ということになるが・・・・・・・
 
 
まあ、それもあるまい。それを期待するようでは、もう終わりだ。
 
あまりに恥ずかしい展開に悶え死にするかもしれない。町内会の人間に救われた方がまだいい。もしくは、たまたまこのあたりに住んでカラクリも知っていた市会議員あたりに。運命の神にいざなわれた新人の熱血警官がパトロール中、たまたま・・・・とか。
 
 
 
そうなると、全くもって絶望するしかない。
 
 
それでも、誰かいないものだろうか・・・・・執拗に妨害が仕掛けられたとすると、第一条件としては、能力はともかく、全くノーマークであることがあげられる。しかしながら、ともかく、といってはみたものの、あまりにノーマークすぎる一般市民などだと能力面からして危険が高すぎる。巡査レベルの警官でも同じだ。軍人、それに準ずるような・・・
 
 
しかも、ヒマである、というか。自由に動ける身柄であることが重要だ。まともに仕事をするような立場であれば、足止めされているはず。容易に、根深く。本部は現状、一級の警戒態勢に似た、思考停止の混乱状態にあるはずだ。司令がアレで副司令の自分がコレであるので。実際、まともに機能しておるまい・・・そのフォローを経験のあるまともな人間がやっているならなおさらだ。有能であればあるほどがんじがらめに忙しいはずだ。
いっそ、使徒が来襲してしまえば、割り切った駆動切り替えが出来るのだろうが・・・・
 
 
”シオヒト様、ザトー隊(黒)到着しました。室内を開封してもよろしいですか”
 
 
スピーカー音声が、向こうの手駒の到着を告げた。しかも集団でやって来たらしい。声は精悍な軍人を思わせる・・・が、隊名の後の(黒)とはなんの意味か・・・・あ、いやそんなことを考えている場合ではない。響きの中にある確固たる忠誠は、さきほどまでその主に向けて「くたばれ」などと言い続けてきた自分には厄介な展開にしか繋がるまい。
 
 
「ああ・・・急げ・・・・・・」
救援が到着したことで、今まで張ってきた気が抜けて、ポックリ、ということもなさそうだ。まあ、このタイミングで死亡されても、何が変わるわけでもないのだが。
 
 
「おさらばの時間が近づいてきたようですね・・・・・・先生」
 
 
勝ち誇りおって・・・・・・若造め・・・・・・・うーむ・・・
 
たまたま休暇中のネルフ職員などが救助にあたってくれたなら、副司令の全権をかけて特別ボーナスを出した上に、月イチで二泊三日のハワイ旅行をつけるとか可能な限りの無茶な要望を聞こうじゃないか・・・・
 
 
誰かいないものか・・・・・
 
 
ヒマでヒマで若いから体力が余っていて、敬愛する有能な上司から切り離されてどこぞの遠隔地に飛ばされて毎日悲嘆の涙にくれていて、自分探しの旅に出る前に休暇をとって帰国していたところ、たまたま元上司のピンチを聞いて居ても立ってもいられず、ダイナマイトでも腹に巻き付けて矢の如くこの場に突入してくる骨のある・・・そんな
 
 
”なんだ貴様は・・・・・酔っぱらいの一般人か・・・・?・・・・作業の邪魔だ、適当に排除しておけ・・・・・、と、そんなわけがないな。本部の諜報の者か・・・・”
 
 
ドドドン!!連続する発砲音。
 
説明も確認もなしの攻撃に、諜報の人間であろうとたまったものではあるまい。本物の一般人であるならなおさらだ。こっちを救いにきた人間ならさらにまずいわけだが。
 
 
「街中でやるのか・・・・・」
「乱麻の如くのこの都市とも完全におさらばですからね・・・・・・後始末は本部に願いますよ・・・あの蠅司令の氏族どもが行っている縄張り儀式の犠牲者にでも計上しておけばいい」
 
立つ鳥後を濁さず、などというても仕方がない。従うはずもない。全く・・・・
加持兄弟のどちらか、葛城君でもひょっこり戻ってたりしないだろうか。
 
 
「悪党に憎悪されるのが正義だ、などとは言わないがね・・・・」
この男と左眼が長く添わなかった、というのはこちらの精神衛生上はよいことだった。
油断のないことを責めるような職業ではないが、余計な言葉が、多すぎた。
 
 
”もうしばらくお待ち下さい。あと三パターン収束にてそちらに届きます”
体感でこの空間が上下左右に動く気配がわずかにある。酔うほどではないが。
 
 
とりあえず、勝者は己の正義を語ることだろう。いつでも、事が終わったあとで。
 
 
ごん!ごん!ごごん!ごごごん!!
 
音響的には正義っぽくない音が、突如、スピーカー越しに炸裂した。
こっちの心臓にも効いたくらいであるから、シオヒトの奴は相当であっただろう。
 
 
”なっ・・・・・・!?なんだ貴様は・・・・・・!!捨てに行った部下たちは・・・!!あの距離で・・・即死のはず・・・・着ぐるみだとっ!?ジャパニーズ・酔っぱらいサラリーマンの防弾着ぐるみだとおおおっっ!?・・・・と、なると銃は効かないから格闘だな、と!いいつつナイフだ!!”
 
 
ザトーとやらはまともなのかどうかは分からないが、声は真剣そのもの。驚きながらも射撃から肉弾戦に切り替えられるのは優秀な軍人なのか、感性が故障しているのか。ラジオのように様子を聞くしかないのでありがたい仕様といえば仕様だが。
 
 
ザクっ
 
と布状のものが切り裂かれる音が。防弾着ぐるみとやらがザトーのナイフでやられたのだろうか。実際、この成り行きに命かかっているだけに、下手なラジオドラマより手に汗握る。着ぐるみの人物が敵か味方か、分かったものではないが、ザトーを応援する義理も必要も全くないので、そちらを心配することにする。しかしながらそんな奇妙なアイテムを装備した知り合いに覚えがない・・・・点が、不安でもあるが。
 
 
”死人のフリで隙をついたのは誉めてやろう・・・・・・が、結局は、強い者が勝つのだ。・・・・・・と、のんびり会話をしている場合ではなかった。正体の追求は死亡後に行うとしよう。心臓を一刺しだ!!・・・・・と、いいつつ眉間だ”
 
 
ぼぐっ!
 
 
凶悪としかいいようがない、まったく知性の片鱗も正義の爪の垢もなさそうな潰音。
 
 
”き・・・・・貴様・・・・・・・・このフェイントをかわすとは・・・・・その天に逆立つロン毛・・・・・さぞかし、名のある格闘家なのだろう・・・・・・な・・・”
 
 
十秒ほどは、「・・・・と、思っただろうが、実はこっちもやられたフリだったのだ!」とか言い出さないか心配で、落ち着かなかった。それはその逆立つロン毛の人物も同じだったのか、ザトーが倒れた後も、徹底的にボコボコに足腰立たないような念の入った攻撃音が聞こえた。この用心深さ・・・いくら強くても、まあ、格闘家の類ではあるまい。もっと、こう・・・余裕のない、人間以外の敵をも相手にせねばならない立場の人間だろう。
 
 
 
”副司令、ご無事っすか?”
 
 
ザトーのマイクを奪ったかどうかしたのだろう、ロン毛の彼の声が。条件想定はしてみたものの、実のところ、全く期待もなにもしていなかったので、応じる声色をどうつくるべきか、少し悩んだ。
 
 
まあ、贅沢な悩みであるだろうが・・・・・・・