ぱちん、と将棋の駒「仲人」が動いた。
 
 
「やはり、二重天領、従属天領化を狙っているのだろうなあ」
 
「いろいろと調べてみたが、この状況で打てる手はそれくらいしかないだろう・・・これまで待っていたことも併せて考えれば」
 
 
それに応じてほぼノータイムで反撃の駒が動かされる。数万手ほど先を読んでの動きはほぼよそ見をしての気紛れのようでもあった。しかしながら指しているのは大局将棋よりさらにでかい仙人将棋である。
 
それを暇つぶしにやっているのは調節調整官エイリ・アンハンド直属のエリート部隊の者であった。
 
 
「そのためにユダロンまで封鎖してのける・・・・エリーさまの仕事ぶりの表も裏もない微に入り細にいることといったら・・・」
 
「あ!なんだよ、そのエリー様呼ばわりは!そんなことしていいと思っているのか!」
 
「なんだよ!呼びたかったらお前も呼べばいいじゃないか!」
 
「そ、そんなこと出来るわけがないだろう!・・・こ、こうなったらニコニコル様にこのことを報告してやる!なんだそのマイラブな感じは!許されるはずもない!」
 
 
ぱちぱちぱちぱち・・・・・その間、高速で駒がやり取りされる。なまなかの頭脳ではとてもやれたことではないが、言うとることは有能生徒会長に憧れる生徒会一年生メンバーのようであった。エリートであることは間違いないのだが、こうなると”エリーの徒”であった。徒はべつに「ともがら」とか読んだりしない。べつにうまいこと言いたかったわけではない。彼らが優秀であることは間違いなく、事前指示された仕事はきっちりと・・・・途中、強制的に十時間の中断とそれに伴う人員の減少があったがそれにもかかわらず・・・完遂、こなしていた。
 
 
「・・・に、しても碇ゲンドウ、あの人物も哀れなものだな・・・・あの仕事ぶりには学ぶべきところが多々あったのだが・・・・」
「そうだな・・・・日本人にしては頑張っていたな・・・・しかし、それがかの人物の限界でもあったのだろう・・・・小さな土地に固執する者は、敗北する。それが世界の掟だ」
 
 
調調官の指示の下、その碇ゲンドウの最後の逆転秘策であろうところの二重天領化をその手で潰しておきながら、尊敬の念は忘れないエリーの徒ふたり。勝手に過去の人物にしているあたりもまたエリート的であろうか。
 
 
「にしても、理解できない点が多々あるな・・・・今回のケースは」
 
「いつものことだろう、理解出来ぬことが多いのは・・・・・広いのだ、世界は。我らはたまたま調調官のお導きのまま、転戦することでその多面性を味わうことが常人より多いだけのこと・・・・・我らもいまだ、ただの人なのだ・・・」
 
 
ぱちぱちぱちぱち・・・・・・・高速の駒のやり取りはただ目で追うことも難しい。
知のボクシングといった方が近いやりとり。
 
 
「あ!今の台詞、ちょっと造ってねえ?造っただろ!造った造った!絶対造った!なにこんなところでイメージ戦略してるんだよ!?お前だけなんか謙虚でいいひとっぽいじゃないの今の!!」
 
「そ、そんなことはない。造ってなどいない!これは同位たる君様だけに告げる、未熟ではあるが素のままの我が心だ・・・・心なのだ・・・なぜ、届かないのか・・・・」
 
「うわ!さらに造りやがって!二重構造ですよ!偽造ならぬ偽善建築ですよ!普段のお前は、そんな時は高笑いしながら、”グハハハハ!しょせんは島国出身の愚髭どものことなど知らぬわ!!”とか言うクセにー!!しかも君様ってなんだよ!君なのか貴様なのか、はっきりしろ!なんだその中央東公園みたいな怪奇二人称!造るな!」
 
「・・・それを言うなら言わせてもらうが、君様よ。先に碇ゲンドウへの同情を表したのは何故だ?理解できぬケース、などといいながら、同情するとは矛盾ではないのか!」
 
「う!?そ、それは・・・・」
 
「理解できてもおらぬうちから直感情動するのは日本人だけだ!もしや君様・・・・」
 
「いやいや!それはない!というか。生まれた時から隣の城に住んでいたお前が言うなよ!それに、哀れ、というのは末路を端的に表現しただけで別に同情したわけでもないぞ。打つ手も絶えて二進も三進もいかぬ状況に栄光もなにもなかろう!」
 
「まあ、それもそうか。あの七つめの・・・碇ユイの座す山街に飛び地としてこの海街を属領としてそこに含む・・・・そうなれば二重天領となり、今回の仕儀と意義が半ば失われる・・・・天領とは、純化した封印地域、ゆえにゼーレであろうとも容易に口は出せなくなる・・・・・そこに常人を住まわせるなど・・・許されるはずもない・・・・それは支配者の我欲であり傲慢だ。人界に外れたあの女の退屈しのぎの慰み物にでもするつもりなのか・・・・常人は、その人生は、作り物の駒ではないのだ」
 
「まあ、それをいうなら、この地域自体もとより・・・・・このタイミングで、というのもなんだが・・・・それゆえの、最後の悪足掻きなのだろうけれど・・・それも潰した」
 
「にしても、ここはやはり視線を感じるな・・・・・」
 
「つい普段とは異なりすぎるやり取りなどをしてしまったが、仕方があるまい。なにせ視線が強すぎる・・・・ここは・・」
 
 
 
ハタハタ
 
 
 
と、しょっつるの似合う魚ではなく、目の文様が入った古い旗が風もなくはためいた。
 
そのはためき方で、主、ではなく主の兄であるところのニコニコル・アンハンドが用事を済ませて陣に戻ったことを理解するエリートふたり。0,7秒で将棋を片付けて出迎えの体勢をとる。
 
 
「元気でさぼって将棋などしていたようで、喜ばしいな〜」
 
これを嫌味でなく本心から喜ばしく言うから、このピースマーク鼻は侮れない。
 
 
「お帰りなさいませ、ニコニコル様」
 
屁理屈言い訳はエリートの得意とするところではあるが、無駄な言い訳などしてもしょうがない相手であるので、時間の無駄よりはまだ有益としていかなる罰をも受け入れるサクラメントポーズをとる。つまりは秘蹟なのだが、常人からみるとちょっとアレだった。
 
 
「あー、いやいやそんなことせんでも。君たちの従うべき主はあくまで妹のエイリであって、僕ではないのだから。悲しむかもしれないからあとで報告することもしないよ・・・・・・ただし」
 
 
「ただし・・・・?」
調調官に報告などされたら、あらゆる意味でそれで人生終わる。緊迫するエリーの徒。
 
 
「あとで僕とも指してくれたらね。あ、その難しいやつじゃなくて普通のやつね」
 
ウインクされる。鼻がピースマークであろうとも、むしろそれがアクセントになっておそろしくハッピーな感じであった。妹のそれが(実際やりはしないが)世界終焉の最後の涙、のような暗い悲しさに満ちているのと正逆。ともかく両極の兄妹であった。
 
 
 
「・・・・に、しても、どう思う?」
 
 
普通将棋を指しながら(二枚落ちなのに、ニコニコルはかなり弱くすでに接待でも負けは変えられそうもない)ピースーマーク鼻の男が問うた。アニメのように鼻だけがこの苦境を悩む、ということもなく。
 
 
「水上・左眼のことですか」
テレパシー能力ではなく、この察し具合がエリートのエリートたる底力なのであった。
その察しが外れていた場合のリカバリーも含めて。
 
 
「そう。彼女は碇ユイの元で眠ることを願っているように見えるんだけど。僕の目には。それも、永いやつを。それで、街に直接入って工作もやってきた君たちの目からはどうかな、っと思ってね」
 
 
一応、当たっていた。が、
 
聞かれたところで、水上左眼はネルフに捕獲されたまま、この街に戻ることはなかろう。
 
二度と。精神分析関連の事前資料によれば、八割の確率で竜を失った彼女は自死する。
残り二割は他殺だ。それを受け入れるような行動をとる。現体制のネルフにおけるパワーバランスから推察するに、生存は五割。それも冬月コウゾウが居ての話だ。
そこは紛れもなく敵の中であり、生還は楽観に過ぎた。あまりにも。
 
無駄な、と一瞬思いはしたが、この局面で調調官の兄ともあろう人物が、これほど将棋は弱くとも、無駄な問いはすまい、と思い返し、返答する。
 
 
「私も同じように感じました。・・・・彼女は十分に生きた。竜とともに十分な時間、寄り添った。現状維持に固執するだけの、自らモチベーションを生成することのできない、基本的に無我無欲な人間であり、竜を失えばこれ以上時間を望むことはない、と」
 
 
詩的な表現ではあるが、事実、彼女は竜号機の体内時間を同調し、それを体感時間とするならば、聖書初期の人間よりも生きていることになる。トカゲが竜に進化するほどの時間だ。十分に飽きてもおかしくはない。まだ欲するというのなら彼女は世界一欲の深い人間だろう。時こそはこの世で最も高価な、値もつけられぬが、宝物なのだから。
 
 
「また、それを支えた肉体、もはや駆体といってもさしつかえないボディも保たないでしょう。メジュ・ギペール方式による強制同調・・・マルドゥックから引き上げた過去のデータからの逆算からすると、とうに崩壊しているはずなのですが、なんらかの保存処置を自ら施したのか、もしくは、とうに水上左眼なる人格は消滅しており、左眼に残った生体金属に残った人格データが体を操っているだけ・・・・・という可能性もありますが。とにかくこれまで収集されたデータからいえば、イレギュラーな行動はとれない、発想の生成すらない、確実に予想可能な、私たちからいえば有り難いとしかいいようのない水晶の龍ですね」
 
 
要するに、水上左眼は、あらゆる意味で、死に体である、ということだ。
 
 
どうしようもないほど、どっちにしろ、というやつで。念には念をいれてみたところで結論は変わりなく。どんな怪物、化け物であろうと、いつかはくたばる。ただ・・・
 
 
長生き競争を皆でやっているから、途中経過を確認する必要が出てくるだけのことで。
 
 
墓を踏まれて痛いと感じるかどうか・・・・・・・それを喜ばしいとはあえてニコニコルのような人物も口にはしない。
 
 
 
「・・・・ところで、調調官はどちらへ?ニコニコル様を伴っておきながらお一人で残られるのは・・・・いえ、とは・・・といいますか」
 
 
そこらの組織の首領より遙かに偉い地位にあり、もはや指示だけして人目につかぬところで座っておけば、座っていてさえいてくれた方が仕事はやりやすい。これだけ愛して、いやさ敬愛している自分たちでもその姿を長いこと見ていると悲しくてやりきれなくなってつい職場放棄してしまうほどなのだ。暗殺も襲撃も、通用しない。その点の心配は無用なのだが。兄ニコニコルの中和もなく単独で長時間居座れば、そこは悲嘆に汚染されきって人間が暮らしていけなくなる可能性もある・・・・行方を聞いたところで祈るくらいしか出来まいが、何もせぬよりマシかと思い、聞いてみる純粋エリーの徒。
 
 
「僕は教えてもいいんだけど、君たちが悲しむといけないから、教えるなと自分は悲しくても他人は悲しませたくない妹エイリに口止めされているから、やはり教えない〜」
 
 
それだけでも十分すぎるヒントであった。エリーの徒であり、エリートであるからそのくらいはすぐに分かった。その用心深さ、隙の無さは全く・・・・地獄の管理者も容易く務まるだろう。常人に悲しい思いをさせていないらしいことはやはり心が軽くなる。
 
 
 

 
 
 
「今、なんと言った?」
 
 
目が使用可能であれば、おそらく射殺せるような・・・・・目の奥で灼熱溶岩が渦を巻いているような問いかけであった。水上どころか、炎上といった方がふさわしい。
 
 
「うわっっ!!なんか超すんまへん!!」
 
ガマガエルのポーズで平謝りの鈴原トウジ。思いきり地雷を踏んでしまったことは分かる。
 
それが何かは分からぬが。という理屈は後回しでもう反射的に謝っていた。ものごっつく怖かったのだ。驚きもした。喩えるなら、昭和新山の爆発というか。もしくは川上りツアーに参加していたところ、饒舌に昔話していた船頭がいきなり火を吹いてきた、といったような。その唐突さはほとんどイリュージョンの域であった。
 
 
しかしながら
 
 
「なに謝ってるの?べつに水上さんは怒ってないよ」
 
不思議そうな顔でそういうことを洞木ヒカリが言う、ということは、綾波レイが無表情で無反応であるのはいつものことであるから微妙なところであるが、これは男だけが分からないような会話における特殊手順だったりするのだろうか・・・・。そう諭されて考えてみれば、べつだん怒らすようなことを言った覚えはない。一見、分からぬから地雷は地雷なのだろうが・・・。しかし、ちょうドス効きすぎちゃうん?
 
 
「ああ・・・・いや、洞木嬢の言うとおり。少し、意表をつかれただけだ。こちらこそ驚かせてしまってすまない。鈴原君」
アクション的には釣り合うまいが、軽く頭をさげる水上左眼。
 
 
「あ、いえいえ・・・」
非常に格好のつかないカタチであるが、しょうがない。まさかアンタもガマになれ、とはいえない。しかしながら、そんな意表をつくようなおかしげなことを言った覚えもない。
よもや・・・この局面で無意識にウケを狙いにいってしまったのあれば、病院に行った方がいいかもしれん。ほんとに自爆せんうちに。
 
 
「それで、確認させてもらいたいのだが・・・・・・今、君は・・・・骨号機、とか・・・・言わなかったか・・・・・・・?」
 
 
さげた頭が戻った時の口調は重厚にして真剣なもので。下手な返答などすればそのままズンバラリンとやられそうな力感に満ちている。ある意味、突発的な怒りよりも怖い。
 
しかも、確かに自分はそんなことを言った。それが地雷だったのか・・・・というか、そうなれば自爆に近い。どういう過去の重みも知らず、適当な略称で呼ぶなどと、安易にして馴れ過ぎであった。
 
 
「は、はい、確かに・・・・・・・」
 
ここは詫びるところであろうが、その前に、それをさせぬような燕を返すような速度で
 
「すまない。少し考えることが出来た。私は考え事をすると異常な知恵熱が出る体質なのでな、風呂場を借りる」
 
 
さっさと一人立ち上がって、バスタオルの用意もせずに浴室に籠もってしまった水上左眼。
 
部屋の主である綾波レイの許可もとらずに、この・・・・上は洪水下は大火事それは何?というのは謎々であるが、不思議ちゃんというわけでもなく世間も世界も知っているのだろうから、なんとも浮世離れした突発行動にあっけにとられるほかない。その言葉が真実確かであるなら、緊急避難的に的確なのだろうが・・・・にしても。そんな言い訳を人生で初めて聞かされた中学生三人は・・・・
 
 
「「「はあ・・・・」」」
 
 
としか言いようがなく互いの顔を見合わせる。鈴原トウジにしても「そんな知恵熱あるか!」と突っこむ余地もなかった。男が守れなかった女たちがシャワーを浴びながら泣いたりするのはよくあるパターンだが。それともジャンルが違いそうで。つくならもっとマシなウソをつけ、と言いたいところだが、そのような体質であるから竜に乗り火焔を吐けるのだ、と説明されれば、信じるか疑うか迷うところのエヴァパイロット三名。自分たちが先ほどから話を聞いていた女が、真面目な顔してこういうことを言い出す人間だ、と理解は増えたが。それが役に立つかどうかは別の話。
 
 
「着替えとかは・・・・・・・どうするんだろう・・・・・」
 
洞木ヒカリがぽつん、と。別にここは綾波温泉旅館でもないのだから、そんなことは心配せんでもいいのだが。
 
 
しかしながら、先ほどまで介錯介錯で死ぬ死ぬとか言っていた相手が、考え事を始めた、というのは・・・・・綾波レイは顔には出さないが、かなり驚いていた。
 
それほどあっさり意思を覆すような人間には見えなかったし、終わるつもりでいた人間が早急に考えるようなことは、考えねばならぬことはそうはない。三途の川の渡し賃の算段でもあるまいに。「碇シンジ」に案内され、ここまでやってきた惰性で口がある程度まわる、というのはあるにしても知恵熱が出るほど、というのは・・・・・鈴原トウジの思いつきはそれほどの触媒であったのか・・・・。
 
 
 
骨号機・・・・・・・
 
 
 
略としては普通だと思うが・・・・・ヘルタースケルターとかいうよりはよほど分かりやすくて本質を表している。骨組みのフレームだから骨号機。おかしくはない、と思うが。数字で一貫させて、零の前のマイナスを持ち出されるのもまた混乱するだろうし・・・・・・いずれ、使徒戦に出てくるわけでもない、過去の話だ。
 
名称などにそこまで拘らなくとも、とも思うが。 確かに、強そうな名では、ないが・・・竜のそれに比べて・・・・
 
 
それが謎かけなのだと、そもそも知らねば、謎は解けることはない・・・・
 
にしても、こうあからさまだと、綾波レイにもすぐ解ける・・・・はずだった
 
 
「なんか、またしてもえらいことになってきたのう・・・・・・綾波がテンパるのも、そりゃ無理ないわな・・・・・・・・」
 
鈴原トウジが紫煙を吐けるような歳であるなら、一服したような声で。
 
気をそらしたりしなければ。ふたりはそもそも問題にすら思っていない。
 
距離というより立ち位置の。領域と結界の内と外。
 
 
「そこに相談に乗るどころか、輪をかけてしもうたなー。スマン」
「なんにせよ、手伝うよ。綾波さん」
 
言葉や言い回し、表現こそ異なるが、その心が重なっているのが分かるふたりの言葉。
それは、ひとつの意志。量より質、とはいわない。が、互いの欠落未熟を補完しながら支え合い、その強さもてこちらを支える、という意思表示。エヴァ参号機の適格者たち。
 
 
どくん
 
 
心臓以外のところで高鳴る。暖かな波。それを呼び起こしたのは・・・・認めたくないので認めない。無視とする。ゆらゆらと受け流しながら。満ち潮の夜の砂浜での戯れに似た。
 
円舞曲を踊っている場合でも、踊る相手を探している場合でもない。
そう、こんな高鳴りのままに運動してはならない。自分は彼らを守らなければならない。
巻き込んではならない。その代わり、彼に負わせるべきなのだ。
 
 
出来ることなら
 
 
その答えをもった目の見えぬ竜の女は、水浴びなどをしている・・・・勝手に。
 
 
 
「まさか・・・・」
「まさか・・・・」
「まさか・・・・」
「まさか・・・・」
「まさか・・・・」
 
 
そして、奇妙な呟きを漏らし始めた。こちらに聞かせるつもりもないのだろうが、なにせ声がよく通る。
 
 
「いくらなんでも」
「それは・・・・」
「しかし・・・・」
「それは・・・・」
「しかし・・・・」
 
 
べつだん世界がひっくり返るほどの古の大組織の最高機密を知ったわけでもない、たかの知れた略称が水上左眼の頭脳のどこを突いたものか、苦しげな声を絞り出させている。
 
知恵熱うんぬんはともかく、本気で何やら悩んでいるらしいことは確かだった。
 
やばいんちゃうんか?しかし様子を見るわけにもいかぬ鈴原トウジが綾波レイに内部確認を促すが、スルーであった。たいそう薄情に思っただろうが、全くその通りだった。
 
 
「竜というのは・・・・」
「竜というのは・・・・」
「骨というのは・・・・」
「骨というのは・・・・」
 
 
もしかして、「碇シンジ」がふたりをここに呼びつけたのは、このためではなかったのか・・・・・話を聞いてもらっても、実のところ問題解決に繋がるわけではない。
 
 
「骨ではなく・・・・」
「竜ではなく・・・・」
「骨ではなく・・・・」
「竜ではない・・・・」
 
 
やらせておくほかなく、いかに不気味であろうが、それを聞くほか無い。
電波系童歌っぽいが、我慢だ。
 
 
「煮詰まっているのは、綾波さんというより・・・水上さんの方みたい」
 
特に強がりでもなく、よそんちの鍋の焦げつきを心配するような顔で洞木ヒカリ。
 
人の心の中には、いつも火のかかったお鍋があるのよっ!とかしたり顔をするでもない。
瞬間湯沸かし器、とアダ名される人間がたいていトラブルメーカーであるのと同様に、水を差す、というのはあまりいいイメージで使用されない。ならば、水はどこから引いてくればよいのやら。てめえの田んぼにするのは自分勝手の代名詞だが。
重要なことであろうに・・・・介錯うんぬんに責任がある、と思っている責任感の強い綾波レイなどは落ち着いた話ではない。つきあって右往左往することはないが、心情的には。
 
 
「まだ時間かかるかもしれない・・・・・・・・綾波さん、お台所、借りてもいい?」
 
それでなんで夜食の算段など出来るのか。男である鈴原トウジがハラハラと落ち着かないのと対照的に。そのあたり、洞木ヒカリは水の女なのかもしれない。どんな時でもまともに生きていくことにする。
 
 
「寒い」
「眠い」
「寒い・・・・」
「眠い・・・・」
「さむい・・・・・」
「ねむい・・・・・」
 
 
しかし、水上左眼の独り言が理性の領域を振り切り、明らかに風呂の中ではまずい感じのものに変化してきた途端、すぐさま「鈴原はいいから、綾波さんだけ!」突入するあたり、その気骨はなまなかの野郎などは凌駕している。
 
 
 
 
けれど、ここで帰るか、帰してしまうべきではあったのだ。ふたりを。
 
 
もともと来るべきではない領域に、迷い入りそのまま留まることになってしまった
ふたりを。
 
 
だが、綾波レイはずるずると、ここで、決断が出来なかった。またしても。
心凍てつく絶対零度の恐怖を味わうのは自分一人で十分だと、覚悟はあったのに。
甘さ、というべきであろう。いつぞや云われた冷凍みかんのごとくのあまさ。
 
 
だからここで、
 
 
三人そろって
 
 
こわいはなしを、
 
 
聞くはめになるのだ・・・・・・・
 
 
 
碇シンジのことだけで、十分だというのに
 
 
夜の道は、まだ続く。
 
 

 
 
 
腕っ節だけではダメなのだ。
 
 
なんとか副司令の座を生命とともに続行できそうな案配の冬月コウゾウ氏は知っていた。
 
 
いくら武術に長けていようと、頭が悪ければ・・・・いかに頭突きが強かろうがこの場合は関係がない。とにかく、自分がこの半死人と閉じこめられている箱根細工式隠し部屋を解除してもらわねば・・・・・
 
 
その点、彼は問題なかった。むしろ、そちらの方が本業であろうから、先ほどの行動の方が意外に過ぎた。音楽をなかなかやるのは知っていたが、こうも腕が立つとは・・・いやはや、腕が立つとかいうレベルではない。諜報部に放り込んでも十二分に務まるのではないか・・・・・うーむ、これだから若い者は。三日会わざれば刮目して見よ、とはいうが。
 
 
「ああ・・・なんとか、な」
我ながら驚くような嗄れぶりだ。自分で聞いていても悪役の声だ。腹に一物も二物もありそうでここで助けず見捨てた方が世界平和のためになりそうな・・・・・・これはまずい声だったなー・・・・・・しかしながらもはや声色をつくる余力など無い。体力も限界に来ていた・・・・・・・、と、このままあまり気を緩めすぎると、自分がぽっくりいきそうだった。危ない危ない、まだ死ぬわけには・・・・・・・
 
 
「君なのか・・・・・青葉君」
 
 
”はい、お久しぶりです。副司令、もう少し待っててくださいね・・・・あー、あったあった解析パターン表。いちいちこんなパズル解いてられるかよ・・・・持ってると思ったけどビンゴでよかった”
 
 
・・・・・それは、自力で解けない、ということだろうか。・・・・まさかな。ま、まあ、解く時間が惜しい、ということだろう。なるたけ早くしてもらった方がこちらも助かる。ザトーとやらが自分の頭で覚えていて作業をしていたらどうなったのか・・・という不吉な予想はあえて無し。こんな危機を救出されて小言も文句もあるはずもない。
 
 
「・・・・生きているかね」
 
青葉シゲルではなく、シオヒトに確認する。形勢逆転に勝ち誇るでもなく、これが当たり前だという顔をするのがポイントだ。全てお見通しだったよ、勝ったな・・・といった自然さが。内心はウサギのごとくはね回って喜びを表現したいところだが、その光景をのぞむ奇特な地球人類もおるまい。
 
 
返答はない。ふてくされたわけではなく、単に体力が限界値の底を這いだしたのだろう。
 
ここで適正な手当をせねば、医療機関に運ぶまでもなく、彼は死ぬ。
 
ザトー(黒)とあるならザトー(白)部隊などもありそうだが、到着は間に合うまい。
青葉君は奪ったパターン表で効率よく開封にとりかかってくれている。
 
 
ガコン
 
 
もう開いた。早い。有能な部下でほんとうに助かった。
 
 
「いやー、大変でしたっすね。副司令」
 
 
直属で使っていた頃も確かにオペレータとして優秀だったが・・・・かわいい子には旅をさせよ、とは云うが・・・・どう考えても無茶な飛ばし人事であったが、オーロラが輝く遠い北の地で、第三新東京市、ネルフでは出来ない味わえないいろいろなさまざまな経験をしてきたのだろう、こうして一回りも二回りも大きくなって戻ってきてくれた。
 
 
「実を云うと俺もですね・・・」
 
 
・・・・もちろん、大きくなった、というのは、いわゆる”ハート様体型”になっていた、というわけではない。人間的に、という意味でだ。腕っ節だけではない、中身も。いやさ瞠目するのは中身にこそ、というべきだろう。見た目こそ変わらぬロングヘアーであるが、着ているものも黒のライダースーツ状の・・・その割りには胸が大きく開いていて・・・・銃器を携帯していませんよ、という自己アピールなのだろうか・・・・・戦う男の、しかしオフィスでは戦えなさそうな、装いであった。だが、見れば分かる。分かるのだ。彼の成長具合が。
 
 
「いろいろ、あったのだな・・・君も」
 
 
それで十分だった。
 
 
彼の成長ぶり鍛錬具合は、彼の口からわざわざ長々と聞かずとも、私には分かる。
 
分かるのだ。
 
分かるから。
 
 
分かり合おう。男として、いや、漢として・・・・・いや!あえて云わせてもらおう。
 
 
強上司(と、書いて、”とも”とは、もちろん読まない)として!君の道程を理解した。
 
理解したのだ・・・・・理解した、といっていいだろう。その、微妙に漂う犯罪者臭なども含めて。普通のオペレータは防弾機能付きの変装セットなど所有していないわけだ・・・・
 
 
「え?あー・・・そ、そうですね。そ、それで・・・」
 
 
その目を見ると、どうもいろいろと身の上話やらここにいる事情の説明やら連中を倒した武勇伝やら聖剣伝説を語りたいらしいが・・・・すごく自分の口で語りたげであり、ちょっとショックを受けた感じでもあり、いや別に自慢話がしたいわけじゃないけど、ここでこの青葉の過去モノローグ入らないなんてウソだろ!?人間狩りのアリエネッティじゃねえ、もはやナイエッティだよ!!むしろ聞けよ!!的な眼光になってきたが・・・
 
 
そんなものは無用。
 
 
理解したのだから。
 
 
部下のいいたいところをすぐに汲み取れる・・・上司の基礎条件の一つだろう。こうして戻ってきたからにはもう手放すものか。どんな手を使おうが、ヒマでヒマでしょうがない北欧支部などでこの彼を遊ばせている余裕などない、本部に引き戻す。これは決定事項だ。たとえ本人がすっかりあちらに馴染んでいようが。現地でいい女性が出来ているなら庭付き一戸建てを手配してもいい。・・・・・まあ、なにはともあれ、それより先には、この後ろ手錠だな。
 
 
なんとかしてくれたまえ
 
 
いい加減、私の体力もかなりデッドゾーンでもある。精神力でなんとか補っているだけで。
 
彼の伝説は、老後の楽しみにとっておくとしよう・・・・伝説とは聞いた人間が次の人間に伝達するのが発動条件なわけであるが。早いのがいいなら日向君にでも。
 
 
それにしても。このタイミングでのダークホースもいいところの登場・・・・・
 
 
まさか、北欧でなんかやらかして超法規駆け込み寺的に本部に逃げ込んできたわけじゃあるまいな・・・・理解と信用はまた別のことであるしなー・・・・・・まあいい・・・
 
 
短い礼とそこに転がる男に関しての指示を出すと、さすがに、老いたりの体力が尽きた。