「・・・無茶をしていい人間ってのは、どんなのだと思う?皿山君よ」
 
 
体力は限界、右手は異形にミイラ状になっている水上右眼が問うた。海に向かって胡座をかいているその姿は、悟りの一字。人間というより宗教的オブジェに近かった。
 
 
臨終、終わりに臨みて。悟りすら時の流れに消えてゆく
 
 
エヴァ・ヘルタースケルター、こと、エヴァ骨号機(コードネームは、がしゃどくろからとって”ガシャ”)の操り手・・・・滝夜叉ならぬ水上右眼
 
 
竜尾道造船。蒼い巨人を海門あけて送ってから、水上右眼は動いていない。
 
 
何かを、誰かを、待っている。皿山をはじめとする子分たちは力づくでも病院に連れていきたいところ(ヘドバ伊藤はいつの間にかこの場から消えていた)であったが、その横顔を見るだけで、その後ろ姿を見るだけで、もう動けない、言葉も出ない。かすれた声のそんな問いも、子分どもの心情をせめて慰めるためにやったのだろう。いまさらどのような答えも情報も知識も、必要とはしていない。諭すように、自問するように、独り言をつぶやくように。
 
 
「・・・・・・・・・」
それが分かるゆえに、答えなど分からない。返答しようもなく沈黙の皿山サーラ。
 
 
「・・・・お、お答えしろよっっ!バカ皿!・・・・え・・・えぐっ・・・」
ほぼボロ泣きしながらも真剣川の肘鉄砲の強烈さは、違う意味で皿山を泣かす。
 
 
「・・・真剣川あとで泣かす・・・・・必要もない、か・・・・・・む、無茶をしていい人間ですか・・・・えーと、なんというか、カリスマ性があっても、目下の面倒をよくみて、それでいて周囲の迷惑があまり気にならない人間っていうか・・・・」
 
我ながらしょっぱい返答である。他のメンバーたちの、特に符令あたりの視線が痛いが、しょうがない。文句があるなら自分で返答してみろ!と泣きたくなる皿山。
 
そんなの知るかと云いたい。無茶をするかしないかなどと本人のやる気の問題で周囲の許可制というわけでもない。ただまあ、自分の好きな人間が真っ暗な崖から飛び墜ちようとしているなら、条件反射で止めるかもしれない。自分の心臓止める技も真剣川あたりからは、たまにふたりきりになった時など、ぼそっと小さな声で「あんまりやるなよ・・・」とか云われたりすることがあるが、全く従う気になれなかったりするのだが。少なくとも、多くの人間に、いや少なくても、か、大事に大切に思われている人間は、無茶を軽はずみにすべきではない。
 
ああ、真っ当すぎて面白くもなにもない。
せめて空気を和ませてその痛みの軽減も出来ないとは
 
 
 
「無茶をしていい人間は、そのための準備をしてきた人間だよ。・・・・・どうなんだろ?うちのチャンバラ妹はその準備を終えられただろうか・・・・・」
 
意識はほぼこちらと、向こう側を相半ばしているのだろう。単なる寝言のようでもあるが、遺言のようでもある。しかも、またしても答えにくい。単純な真剣川などは「はい!」などと簡単に答えたいのだろうが涙としゃくりあげる嗚咽のせいでやれず、他のメンバーはもう少し複雑に出来ているからその問いの重さを思うに、いい加減な返答はできず黙っている。まあ、この仕事はサブリーダーのお前だろ、的視線が刺さって痛い。
 
 
バランスをとる、ということが、どういうことか
 
 
”自分のための力が使えない”、ということだ。その一点に全てを注ぎ込んできた。
 
リーダーの徳目として、己のことは一番最後に考える、ということがあるが。
それすらもない、孤独。自分たちではそこに追いつくことも出来ず、
 
 
歪な平衡を保つ、ということが、どういうことか。自分程度の想像でしかないが。
 
 
隠れ里などという現代においてお伽話にしか存在しないものと橋渡しする沈黙の土台。
 
砂時計のイメージがある。その内部を上下に流れ続ける砂は「存在確率」。それが流れきり「零」になるまえに、容器を反転させてしまう。その繰り返し。それを行うものはどうやって時間を確かめるのか・・・・・神様視点の話は興味がないのでそれ以上考えない。
 
のみならず、空洞の伽藍にならぬよう、妹が望んだ、というかかなり無節操にかき集めてきたものたちをそれぞれに生かすために確率の平衡をいじってそれも支え続けた。
 
いかにも家で素人が作りました的ケーキ、のイメージがある。ベースとなるスポンジは絶妙にうまく出来ているのに、それをかざる担当が素人丸出しに好き放題好き勝手にいろんなものを乗せていこうとして、のせていく。幼い姉妹がご家庭でやる分にはほほえましい光景なんだろうが・・・・・誰の誕生日を祝うつもりなのか、なんてことは関係なかろう。
 
 
本来ありえない、極小的奇跡的確率を打ち出してきた。成功率のほぼない行為であろうが、その成功と失敗のバランスを操作して、”成功側に傾けて”そのまま「固定」する・・・
 
 
外ではありえないものを安定的に造り出す生産工房、異様に手術成功率の高い病院、異常に人心を熱狂させるカジノ・・エトセトラ・・・それらあるようで外にはない施設を回転しながら増えていく富が住人の生活を潤いもさせたし、何より・・・・竜を強化していった。
 
 
それは単純に平衡して大地を支えたギリシアだかイタリアだかのたぶんヨーロッパあたりの神話の巨人、インドっぽい大地の円盆を支える象のやることに比べてはるかに高度で面倒で世話焼きな、業。たかが地方の町ひとつの規模であろうが。自分たちや警察やら限られてはいるが住人の異能の開発発現率までいじってこの里を守る兵隊に仕立て上げた手腕。領地を広げる気は全くないクセに、ひたすら外に攻め続ける支配者・・・そのへんが開拓者なぬら海賊なのだろうが・・・・それを内でまとめる苦労は、面倒を片付けるのは
 
 
神の力などではない。その小賢しさはやはり人のものだ。小賢しい、というか甘い?
妹に甘すぎる?そこまで気合いいれて管理せんでも適当にやっておけばよかったのに。
 
 
とはいえ、そんなハンパなことをする人間に自分たちがこうまで魅かれることもなかっただろうが。
 
 
自然に逆らい続けること。つまり、当人の安定は全くなく、安心など刹那もなかっただろう。無茶と言えばその行為が無茶苦茶の滅茶苦茶であった。対価として妹の願いを叶え続けた。
 
 
当の本人はそんなことを知らないが。というより、”見えて”いないらしい。
 
 
左眼の名の源となったそこには金属の破片が埋まったままで。
 
もう片方の目も、あの竜に”くれて”やっているらしい。
 
ゆえに、竜の見えるモノは見えるが、
 
 
自分の目で物事を見ているわけではない。視力の明瞭、視野の範囲でいうなら天体望遠鏡か軍事用人工衛星レベルなのだろうが・・・・・こと、物事の真偽を見抜く力は・・・・
 
 
竜の方になにか細工されていれば、その目に真実は映らない。
 
 
本人が不在だから言うが、銀紙だと言っていい。まるきりそんなことはおかまいなし。
 
 
姉がこれくらい全てを擲って支えようと、気づくことがない。
 
 
なぜ、こんな隠れ里が続いていけるのか、考えたことがないのか。考えようとしないのか。
 
 
いつまでも、こんなことは続かない。支える者の体も心も、いつかは朽ち果てる。
 
 
時が来る。
 
”へルタースケルター”。家のない連中の一時避難場所であることは、皆が、覚悟している。
 
 
本質的にコケの一念、チャンチャンバラ斬っておしまいの猪突猛進キャラのくせに妙なところで智将気取りであるから、皆、始末に困るのだ。水戸黄門が推理パートで終わってしまうようなものだ。とはいえ、ニセ黄門様に従うくらいなら・・・暴れん坊でいてもらった方がいい。
 
こうなると、必要なのは軍師などではなく、代わりに者を見る目玉か、視点を変えさせる道化だろう。目玉ピエロ・・・・・生きていれば、あの碇シンジとかいう不気味小僧がその役に合っていたのかもしれない。あの耐久力は中ボスどころではなかったが。
 
 
・・・・・・・いや、合わせる方が戻ってこなければ意味のない溜息だ。
 
いわゆる、貝殻が合わないような、だ。
 
 
姉はもう一つ妹に、無茶をしてほしい、と願っている。
 
 
そこに込められた内心を知るゆえに、子分たちは涙を流す。無茶をしていいのは、あんただ、と云いたいのを我慢して。もう、こんな無理は止めていいのだ、と云いたいのを。
 
ここで、「いや、妹さんが帰ってくることはもうないんじゃないすか?」などという空気も吸えない半魚人はここにはいなかった。
 
 
こうして、帰りを、戻るのを、待っているのだから。
 
最後の力を振り絞りながら。その姉が。己の花を咲かすわけでもなく、ひたすらに甘い実を大きく生らせてそれを囓らせ続けた。鬼子母神用の人参果栽培係のように。
 
 
つらくないわけがない。
つらくないわけがないのだ。
 
 
 
「・・・・・・・皿山、頼みがあるんだけど、いいかな?」
 
 
「三秒でカールとドクターペッパー買ってこい、と云われても今ならその通りにしますよ。代金込みで・・・・・・そのかわり、三秒で戻れるような用事にしてください」
 
この人のためならばキング・オブ・パシリでもいい。なんでも聞いてやりたい気分でも、出来ないことは出来ない。それは心が芯からイヤだと。心で考えてイヤだと思うことはしなくてもいい、と富士鷹ジュピロ先生もいっていた。
 
 
「はは・・・・こんな時にこんなこざかしいことを云うやつに育てた覚えはないんだけど・・・・まあ、うちの背中を見てこんなこと云われるなら、器なんだろうね・・・・じゃ、真剣川」
 
「条件は撤廃しました。無条件で、なんでも云ってください」
 
「ははは・・・・やっぱり皿山君はいい奴だよ。真剣川は愛されてるねえ・・・・・」
 
 
完全に見通されている。単純粋の真剣川では受け止めきれないことをやらせる気だ。
 
 
「・・・・ヘッド。その頼み事は皿山さん限定なのでしょうね。私たちはここを移動するつもりはありませんけど」
符令が先手を打った。これが小賢しいというのだろうが。その真っ赤な目を見ると怒鳴りつけようとした苛立ちもしょぼんでしまう。他の連中も全力の気合いを込めて同意する。
 
真剣川など云うまでもない。ここで最後まで付き合うつもりでいる。そうなると、副長の自分だけがここを離れることになる・・・・えー?なんだそりゃなにそれ!そんなのありか!!・・・くそ、やはり真剣川に投げられたままにしとけばよかったか・・・・・・・
 
 
「・・・・もちろん、あんたたちにもやってもらいたいことがあるよ。とりあえず、皿山くんの頼みは特殊でね・・・・・云ったとおり、三秒で出来るようなことだけどねえ」
 
 
「え?」
ちょっと言ってみただけど、実は三秒でコーラとドクターペッパーはムリです。
タイムマシンがあれば、そんなスカイクラッドな調子吹いた自分を殴りたい!
 
 
「あの、チャンバラ妹が戻るって・・・・・信じてくれないかい・・・?」
 
 
しかしながら、告げられたことはそれ以上に不可能チックなことで。
 
調子こくくらいならばまだしも、そんな慰めのウソなど優しかろうがなにかろうが、とても言えたものではない。確かに、真剣川にはこれはムリだ。熱バーストする。
 
 
「どこかで居眠りこいてんのか知らないけど・・・・・きっちり、目え覚まして戻ってくる、と。信じてやって、くれないかい?」
 
 
それはもう、単なる願望なのだろう。夢は自分の手で掴むもので、他人の手でどうにかしてもらうものではない。これはもう、本当に自分に向けて言った言葉なのか、それすらも怪しいが・・・・・
 
 
「「信じますよ」」
 
反射的に、答えてしまった。しかも、真剣川とハモりで。神前での誓いの言葉のようでかなり恥ずかしい。
 
 
「そうかね、ありがとう・・・・・」枯淡の後ろ姿に、笑みを刷いたような。
 
少し、自分たちの大好きだった後ろ姿に戻った気がする。が、それも一瞬のこと。
 
 
「じゃ、それを前提に頼み事をしようかね・・・・・皿山、真剣川、他の連中を連れて碇の父子を探してくれ。父親を最優先だ。息子さんの方は・・・・もう脱け出したかもしれない。重さがないな・・・たぶんいないな・・・息子の方はいいや。親父さんだけ集中してやっとくれ。で、捕まえたら、観光組合の方へ運んでくれ・・・・・説明は要らない、それで全部分かる。分かってくれる。妹は、左眼は、目を覚まして戻る、と言えば、あとは勝手に采配してくれるだろ。なんせ、それが仕事だからねえ・・・・・ただ、ウソはすぐに見抜かれるから心底、信じて行動してくれよ・・・・じゃ、頼んだ」
 
 
両眼が、開かれた。右眼はそのままの右眼で。
そこに宿るは、碇ユイも絶賛した天秤の才。
 
 
言って、立ち上がった。それから、自分の足で、海道に向かう。堂々と、ゆったりとしてくるくらいだが、止める間もない。走ろうと自分たちでは追いつけない。せめて出来るのは憧れの落とし前をつけるくらいのことだ。
 
 
夜海に、飛ぶ。
 
 
落ちて沈まず。歩みのまま、海面に。神の子ではないが、これが水上右眼。
ついていけるはずがない。待つことは託し、自らは会いに行ったのだろう。
 
 
おそらくは、直接、福音丸に。
 
 
妹が、戻る前に。最後の話をつけるために。
 
 
 

 
 
 
 
見ることを禁じられていたわけではない。温泉イベントではあるまいに、あえて見てみようとも思わなかった。水上左眼の隙であるといえばそうなのだろうが・・・・
 
 
「え・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
 
 
知恵熱がどうとかほざいていたが、とんでもなかった。異常から異状、意識保持から無意識状態に切り替わったとしか思えない水上左眼が籠もる浴室に緊急突入した洞木ヒカリと綾波レイが見たものは・・・・・
 
 
浴槽の中、半ば「氷漬け」にされた裸身の女・・・・・・・どんな猟奇不可能犯罪かと、それだけでも十分に心臓直撃にショッキングな出来事であったが・・・・・
 
 
女の裸身のところどころ・・・・・「鱗」、刺青などではありえない質感と硬質の輝きをもて存在する哺乳類にはあまりなさそうなそれ、に鎧われているとなると・・・・
 
 
蛇口から水は流れ続け・・・・溢れないところからすると底の栓は抜いてあるのだろう。
 
「流れる水」と「浴室」と「意識のない裸の女」・・・・・・・これで連想されるものなどテレビドラマに侵されていない発想であっても、そうはない。
 
 
綾波レイならばとにかく、洞木ヒカリなどスクランブルまわれ右するかその場で仰向けに卒倒してもおかしくない。
 
 
が、
 
 
きゅ、と蛇口を綾波レイより先に洞木ヒカリが閉めたのは、いっそダブルショッキングの相殺になっていたのかもしれない。「綾波さん、毛布とかない!?」それでも声はさすがに平常の度はない。寒いと言っているのだから暖めようという自然の反応なのだろう。
冷静ではあるが、冷凍化の原因について考えようとしていた綾波レイも「あるわ・・」それに従う。生活用品は綾波者たちが一揃え以上にそろえていてくれてあったから、こんな場合は助かる。
 
 
「どないしたんや!?まさか湯あたりとかゆーんやないやろな?」
絶対領域の向こう側の出来事にヤキモキ落ち着かなさが頂点に達しようとしていた鈴原トウジ。ここで救急車を呼んでいいかどうか呼ぶべきか、迷ったがゆえネタが寒い。
 
「鈴原君も手伝って・・・・こっちに運ばないと・・・・・」
寒かろうと熱かろうと相手にするはずもない綾波レイである。協力は要請するが。
 
「なぬ!?ちょっ、ちょう待ってくれや・・・!!ホンマにあかんのかいな!?風呂っちゅうことは、水上はんは今・・・・」
 
「裸だけど・・・・気にしないで」
 
 
「するわ!!ワイもするけど、あちらさんが百倍するわ!!アッホゥーか綾波!!」
 
鈴原トウジ全身全力、男の魂も込めた、いろいろ掛かった心の叫びであった。
 
綾波レイの言いたいことは鱗のことなど別のことだったのだが、言葉はいつも想いに足りないのであった。ゆえに
 
 
「早くして!!」
 
洞木ヒカリの一喝で物事は進むことになる。
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なあ?」
 
母親に叱られた姉弟のように顔を見合わせるふたり。
 
 
しかし、仕事はちゃんとしました。すでに意識のない水上左眼を布団に移動する。
 
 
仕事は人を否応なく大人にするが。それ以上の重さに。
鈴原トウジの表情が研ぎ澄まされていく。
 
 
「・・・・・・人の身体のことをグチグチ言うのは最低の奴のやるこっちゃ・・・・が」
 
言うべき事は言わねばなるまい。その手でその身体を運んだ感触に鈴原トウジの表情は堅い。見た目の美醜ではない。そこに宿る機能の話だ・・・・というのも逃げかもしれない。
 
明らかに、人間の身体ではない。こうも変温して生きていられるというのは・・・・
 
 
つめたいのだ・・・・・・しかも、身体の右半身だけ
 
 
鱗がどうの、というのはまだ理解として誤魔化せるが、伝わってしまった温度だけは。
低温の穢れ・・・・温血動物が本質的にもつ感覚の隔絶だけは、どうしようもない。
個体差、個人の道程の違いという一線を画してしまっている。
 
 
そして、鈴原トウジには個人的に響く恐れがある。背骨に氷柱を突き入れられるような。
 
 
竜の名をもつエヴァ、エヴァの形をした竜、アレを動かすには、こうまでせねばならないのか・・・・だとしたら己は・・・・
 
 
「どう?綾波さん・・・・」
 
体調不良などという生やさしいレベルではない。生命にかかわる状態にあるのは素人にも分かる。かといって、ここに単純に人を呼べばどうにかなる、と信じるほどの素人でもなくなった洞木ヒカリが綾波レイに問いかける。先ほどからやけに手慣れた調子で水上左眼の全身を触診していた。難しい顔なのはいつものことだが・・・・・・
 
 
「たぶん、竜の方が凍らされている・・・・・文字通りの凍結状態」
 
エヴァとの同調どころか欠片を与えることで同一のものとするメジュ・ギペール方式ならば、こういうこともあり得るか。体調不良や内部変調にしてはあまりに唐突すぎる。
赤木博士の元に持っていけば喜んで・・・忙しいから喜ばないかも知れないが、診てくれるだろうが・・・・
 
低温は水上左眼の右眼から・・・ややこしいが、全身に広がっている。体表より口内の方が遙かに冷たい。脳が凍りつかないのは水上左眼の左眼・・・これまたややこしいが、発熱抵抗でもしているのだろう。その変温を受け入れられるのは左眼の肉体の特殊性ゆえ。戦闘機械より柔軟にして強靭。いいとこどりの改造人間。果たして何を代償にしてそれを達成したのか。あまり意味のない仮定だが、常人の身体ならとうに雪だるまになってしまっているだろう。もしくは、アイスクリームの皇帝か、だ。
 
 
「そういうことって・・・・・あるの?常に、つながってる、なんて・・・」
 
相田ケンスケがこの場にいれば常時接続じゃあるまいし、などと言ったかもしれないが。
 
ありえない、とは、言わなかった。洞木ヒカリも、鈴原トウジも。
 
エヴァ参号機の操縦者ふたりは。あるとしても、おかしくはないと。
 
 
「・・・・・・・・」
 
エヴァ零号機専属操縦者、綾波レイは答えない。
 
別のことを、考えていたからだ。今、目の前でふいに起きた出来事。正直、あまりに展開が急すぎて、ついていけない感じだが、そうもいかない。思考し、ついていくほかない。
 
体温は下がり続けている。このまま左半身まで凍りつけば・・・・健康には良くないだろう・・・・それどころじゃないかもしれないが。この低温化は・・・・唐突な・・・
 
 
怪奇現象といっていい。が、この超自然的なやり口には、覚えが、ある。
 
 
気配、といっていい。
 
 
エヴァを使う者たちをもあっさりと凌駕する・・・・・・それでいて、使徒でも、なく。
 
人でありながら、神の御業の使用許可でも得たような・・・・
 
人間の服を着て、その目方に合わせながら・・・・
 
自らの都合を、推し進めるような・・・・
 
 
そう、
 
 
いつぞやの、霧のような
 
 
霧・・・・・
 
 
イメージの閃きは、電話の呼び鈴によって破られた。
 
 
狙ったかのような、と。三人が思わなかったはずはない。
 
 
今度こそ、綾波レイが躊躇いも恐れもない、鈴原トウジも洞木ヒカリも及びもつかない電光の速度で受話器を取った。
 
 
「碇君?」
 
 
ここに、こんなタイミングでかけてこられる人間を、綾波レイは他に知らない。
 
 
だが、違った。
 
 
「こんばんは、綾波さん」
 
 
自分と似ている、とよく言われた声。ただ、トーンがあまりに違いすぎたので区別は誰にもすぐについた。明るさと元気さ、向日葵と爽やかな白風のイメージ。それが。
 
記憶との齟齬で一瞬、その名が出てこなかった。そして、疑念。なぜ、この番号を、知っているのか。そもそも資格のない者との回線が繋がるはずがない。父親のコネクションを使うなりすればまるで無関係というわけでもないが・・・・その余裕のあいさつからするに急を要する話でもないようで、こんな時間に旧交を温めるとういうのはあまりに意外で、
 
 
そして、声の温度が以前とは
 
 
「霧島・・・・・さん?」
 
 
自分のものかと思うくらいに
 
 
霧島マナ・・・・受話器越しの耳に、冷気を感じ寒気を覚える
 
 
「霧島?霧島ってあの霧島かいな?」
「え?碇くんじゃないの?霧島さん?」
 
 
冷えている
 
 
後ろで鈴原トウジと洞木ヒカリも驚いているが、この声を聞けばさらに驚くだろう。
 
 
「こんな時間にごめんなさい。電話をとってくれた早さからすると眠ってはなかったみたいだけど、用件だけ手短に話すね。ちょっと確認したいことがあって」
 
声の温度が以前のものなら、宿題の範囲やら、プリントなど連絡の不具合がなかったか、など学生らしいものが続くのだろうと予想がつくのだが・・・・・そんなことではない、と温度は誤魔化しようもなく悟らせる。
 
 
「・・・なに?」
 
 
ゆえに、無駄な問いかけはやらない。声だけで真偽は判断つかぬが、温度は嘘をつかない。
これは、立ち合い。そういった類のものだ。まさか彼女とやるハメになるとは思っても
 
 
「そこに、水上左眼が来ていない?」
 
 
「・・・・・・・・」
 
嘘をかえすべきか、真実で応じるべきか、判断がつきかねた、というのは嘘だ。
 
まるきりガードしていないどてっ腹をいきなり、どかん!、とやられて息もできずにへたりダウンしたようなものだ。その沈黙こそ真実。気性を折り込み済みであることも考慮すればもう勝負はついたも同然だった。挽回のしようもない。そのまま座り込んで十点鐘を聞くしかないが、その点を了解すると綾波レイはさっさと勝負を捨てて、土俵を変えた。
 
 
「竜を凍らせたのは、誰?」
 
 
いきなり日本刀を持ちだして斬りかかったようなものだったが、それでこそ綾波レイであった。自爆も玉砕も、恐ろしくなどない。二の太刀知らず、回避されることなど夢にも。
 
 
「彼女は冬月副司令を重傷を負わせた上、誘拐した犯人よ」
 
 
するり、と。見事なまでに、かわされた。そもそも勝負を捨てることを許してなかった。
 
 
「どういった事情で関わりあっているのか・・・・・・分からないけど。偶然に、ただ拾っただけなら、すぐに・・・捨てた方がいい」
 
 
「・・・・・・・」
 
 
沈黙したのは、さらなる自爆と玉砕を恐れたわけではない。彼女の居場所を思ったのだ。
 
一体どこで、そんなことを知ったのやら。こんな時間に警告までする確信とともに。
 
霧島マナ、彼女はどこから電話をかけてきているのか・・・・・この奈落、地の底から、としかいいようのない声色はなんなのだろうか・・・・。いや、あんさんもつい先頃までそうだったでんがな、と突っこまれるかもしれない、などとは考えない綾波レイである。
 
 
危険人物だから、逃げろ、とは言われなかった。捨てろ、と。
犬猫じゃあるまいし。・・・竜だが。法律も道徳もカバーされていない。
無力化していることは知っているわけだ。何故か。
 
 
そして、知らぬ事もある。
 
 
「案内人」の存在だ。しょうがないから「碇シンジ」のルビをふってもいいが。
 
 
「・・・・副司令を襲ったのも誘拐したのも、あの人じゃない。副司令の方があの人を尋問していたみたいだけど・・・・」
 
この目でそれを見たわけでもなく、心も読まず100%水上左眼を信用できるかどうか知れたものでもないが、自分がこの目で見てこの耳で聞いた範囲で言うなら、副司令誘拐に関してはシロだ。重傷を負わしたうんぬんも、竜を駆る腕を逆算して左眼の武力を計上するなら重傷程度で済まず、絶対必殺にやられているだろう。やる気ならば。それに、誘拐して何か要求するほど先の展望がありそうでもなかったが・・・・・。こんなところ、自分のところに、やってきた、という事実は、どんな事情カオスの渦を巻こうが、疑いようもない。
 
 
まあ、別にその通りに、重傷負わして誘拐した犯罪者(・・・という定義をするのも今さら少々白々しくもあるが)であったとしても、本人がその罪を償うべくか、どうかは知らぬが、介錯この首を取れ、とまで言っているのだから、「はいそうですか」とスルーしてもまったく構わない状況でもある。が、ここでシオヒトの名を出すのも話が面倒になりそうでやめておいた綾波レイである。後ろで聞き耳をたてている洞木ヒカリと鈴原トウジがとても話に加わりそうな顔をしているが、ここは我慢してもらう。自分には司会的才能はない。断言してもいいが。それよりも、急ぎ先にやっておかねばならぬことがある。
 
 
「・・・だから、この人をこれ以上冷たくしないで」
 
どういう手段であの竜を凍らせているのか知らないが、そんじょそこらの冷凍庫ではムリであろう。表現はどこかのんきであったが、・・・・いじめるどころではない・・・、まさしく水上左眼の命がかかっていた。後ろでふたりが首をかしげているが、説明している余裕などない。
 
 
ここに水上左眼がいる、と突き止めた、なんらかの能力・・・・・・それを霧島マナは行使する、行使できる立場にいる、ということだ。まともな手段ならばその専門家である諜報部の黒服がここに急行しているはず。それを先んじて、このような真似・・・・こんな超常現象、そこに望みをかけるしかない。捨てる、という表現がただ人格を認めていない程度ならまだいいが。単純に、生態が停止したことを示しているのなら、猶予はない。単純に温めてよいものか、それすら分からないのだ。
 
 
「・・・・他に誘拐犯人がいる・・・・・?いえ、でもダメ。あなたたちに余計なことを話されても困るから・・・・・ああっ!なんで、そんなところにいるのよ・・・・・!目も見えていないはずなのに、どうやってそこまで・・・・」
 
冷たかった声に、摩擦のような苛立ちが。しかしながら声の底に硬くある意思は大きく方針変更せぬだろうことを容易に感じさせた。介錯を願った相手のために奇妙なことだが、綾波レイは迅速に切り札を出した。秘密を守るための口封じなど珍しくもないが、ただ今はまずい。まずいと思った。
 
 
「碇君が案内したから・・・・・・彼女は、そう言ってる」
 
 
途端に、太陽を閉ざしていた霧が払われたような声がかえってきた。
 
 
「シンジくんが・・・・・・・・・帰ってきてるの・・・・?」
 
 
狙いが当たっても、あまり嬉しくもないのはなぜだろうか。碇シンジの名を出しただけでこの反応、ということは単に自分が嫌われていただけのことだったのか。いや・・・
そういうことでもないような・・・・長く続く旱の時に雨を乞うような・・・・
深く強い望みが
 
 
「それは、分からない・・・・・」
 
確認しなかったから。もし、霧島マナが自分と同じ立場でこの部屋にいたら、即座に飛び出て行って抱きしめて、くちづけのひとつくらい、するかもしれない・・・・そのくらい
強く、欲している・・・・・その強烈な感情ゆえに、冷気が一気に霧消したような
 
 
「でも、シンジくんなら。・・・・・・それくらいの力はあるかな。うん、納得」
 
よくそれで納得できるものだ。強引すぎる気もするが、文句を言うところでもない。
胸の内に湧く疑問と疑念の雲はとりあえず放っておく綾波レイ。
 
 
「シンジくんが案内したのなら・・・・・なにか、意味があるのかもしれない・・・・・・・このまま氷漬けにしちゃったらまずいかな・・・・・・」
 
 
電話中であることを忘れているわけではあるまいが、そのあからさまな独り言は。
霧島マナが、やったのか。どこかで竜の氷漬けを。正義のためか己の都合のためか知らないが。
 
 
「綾波さん、シンジくんはそこにいるの?」
 
 
「いないわ・・・」
 
本当はいてもおかしくないはずなの、ということはもちろん全神経をもっておくびにも出さない。この状況の長話にそろそろシビレを切らしているふたりも勘付かないほど完璧に。
やればできる。やろうと思えばできるのだ。ここで、霧島マナに「そんなことだから」などと言われた日には・・・・その後の反応が読めない自分が怖い。
 
 
「そう。らしいなあ」
 
 
なにが、”らしい”のか、さっぱり分からない。自分と同じような声だというのに。
分かりたくもないが。この期に及んで分かってたまるものか。
 
 
「水上さんに伝えておいてくれるかな?これ以上、冷たくするのはやめておくけど、いらないことを話したら、その限りじゃないことを」
 
 
ぞくり、というよりザクリ、と来た。氷の蛮刀でも振り下ろしたような。切れ味よりも相手の心をへし折るのを目的とした脅し文句。何が不要なことなのか、伝言するこちらには判断のつかないことではあるから、その点では有効といえるか。
 
 
「でも、本当に真犯人じゃないの?・・・・・こっちもちょっと姿をくらませないといけなくなったから大変だけど、ね。副司令さんがいなくなると、やっぱりね。それから、一筋縄じゃいかない感じだよ、あの水上さんは。目的のためならどんなことでもやる。口も達者だし、それに何より、竜だから蛇よりも執念深い・・・・絶対にそっちに仕返しにいくかと思って・・・せめても助太刀しようかと思ったんだけど、余計だったかな」
 
 
メリメリメリ・・・・
 
 
「・・・・霧島、さん・・・?」
金属が折り曲げられるような奇妙な音が、通話先でした。どこぞの工事現場にでもいるのか、素材の悲鳴が聞こえそうな・・・・普通一般の生活空間でないのは確かで。
 
 
メリメリメリ・・・・
ベギベギベギ・・・・
 
「あれ、予想より早かった・・・か。思いかけず長話になったけど綾波さん、それじゃーね。ちなみに、地球防衛バンドの演目では「ウルトラマンメドレー」が実は一番きゅん、ときた霧島マナでした。ばいばいっ!」
 
 
電話が切られたため、向こうでどんなことになってどんな音が響いたのかは知る術もない。
 
どんな修羅場が始まったのか、それとも単に廃屋の取り壊し作業にでも立ち会っていたのか。逆探知などをしてもらっても、おそらくは無駄に終わるだろう。それよりもまずやることもある・・・・。
 
 
「ああ、それには及ばない」
 
容態を確認しようと、寝床の水上左眼を振り向いた、振り向こうとしたところで、毛布を巻き付けた水上左眼が立っていた。さきほどの明らかに生命やばそうな半身冷凍状態が嘘のようにケロリと。洞木ヒカリと鈴原トウジもあっけにとられている。たとえ紅天女を演じられる演技力であってもあんなマネは出来まいが・・・・
 
 
「心配と面倒をかけてしまって重ねて申し訳ない。・・・感謝する。おかげさまで体調は元に戻った・・・・・・というより、竜号機からの信号が強すぎてな・・・・・肉体の方まで同期してしまった。霧島マナ、あの娘にはやられたな・・・・あれだけ語ったというのに、一切の情け容赦手加減なしだ。さすがに、見事なものだ。離席のタイミングが良かったのか悪かったのか・・・・・・普通、誘拐するならあの娘の方だろうに」
 
 
口も良くまわる。完全に復調しているようだ。それから右の片眼が復活していた。
 
無眼竜であったのが、独眼竜に。千里眼ならぬ竜里眼とでもいうような力と機能ある輝き。
こんなものの首などとれるはずがない。なまなかの刀などで、その首は刎ねられない。
首どころか舌もちょん切れまい。もしかして、早まったのではないか・・・・死なない程度によわよわにしておいてもらえばよかったのか・・・・まあ、いまさら遅いが。
さらに厄介そうな問題が転がってきたのは確かだ。どう考えても自分の器を越えた話で。
しかし、放置できたものでもなさそうで・・・・・・顔には出さず苦悩する綾波レイ。
 
復調の水上左眼はそんなことおかまいなしに続ける。
 
止める間も先ほどの脅し念押しを伝える間もなかった。
 
 
「竜号機を凍らせて、状況的に犯人としか思えない私を足止めするとは・・・・
さすがは、世界に唯一人のショーア、使徒使い」
 
 
目の前が真っ白になったのは、その声が吹雪だったからではなく。