互いの姿が霧で霞む中での、糸電話の対話だった。
 
 
「こっちに来る、と貴女は踏んだわけね・・・・・・まあ、その可能性の方が高いか」
 
 
「・・・・・・・・・・」
 
 
「ゲンドウさんはすっかり出し抜いたつもりで忍び笑いを堪えきれずにグフフ、とかやってたんでしょうけど・・・・基本、女の子の気持ちが分かるような人じゃないからねえ」
 
 
「・・・・・・・・・・」
 
 
対話といいつつ、一方的に片方がしゃべっているだけだった。片方は沈黙のまま。
 
 
「・・・・良かったらもう少ししゃべって欲しいなー。ここまで来られる人間はそうはいかないから。もー、対話に飢えちゃって飢えちゃって・・・。タクタクは筆談しかできないし。悩み事でもあったら聞きましょうか?いろいろあるんじゃないの?調調官ともなるとありすぎるくらいあるんでしょうけど、ここで話す分には世界情勢にも影響がないと思うし・・・・・どう?」
 
 
「明るいですね・・・・・・・私たちには遠すぎる明るさ・・・・・・・悲しい・・・」
 
 
陰気な声は霧の中にあるせいか、多少は和らぎ、周囲一体を悲観地獄に叩き起こすことはなかった。全てが曖昧模糊なまま、霧散してしまう・・・そんな効果があるような。
 
 
「人の声ってのは面白いわねえ。あなたのは、横笛と胡弓を足して三で割って残りを風で吹き流したような・・・・・なんで、人の声ってのはこう、いろいろで面白いんでしょう・・・・あ!ごめんなさい、こんな時、声優さんとか俳優さんとかで喩えてみればよかったのに!あんまり詳しくなくて!アクション格闘モノしか観なかったから!」
 
 
「・・・・・・・・・・」
 
 
姿の輪郭も滲んでいるから、表情など分かるはずもない。ただ、紙コップを介した交感は正確なものだった。万に一つの誤解もなく。赤子なみの裏の無さ。コミュニケーションの一つの極地がここにあった。
 
 
「サタナウェイクを配備しています・・・・・・」
 
 
悲しい声が告げた。「可能であれば、バエルノートも揃えたかったのですが」
 
 
「ああ、終時計式エヴァかー。わたし、あれがだいっきらいなんだけど。特にあの文字盤フェイス?どういうセンスなの?チクタクマンなの?・・・・むー、やっぱりいろいろあったけど、初号機が一番かっこいいわ。レイちゃんやアスカちゃんには悪いけど」
 
 
「第壱話における侵略側の敵のような顔だと思いますが・・・・・つまり、問答無用の悪役・・・・・」
 
 
「言ったわね?」
 
「いいました・・・・」
 
 
片方の悲声に片方の明声。この霧の中、それだけが確として。
 
 
「終時計式・・・”昔昔昔”・・・・・・貴女の子供もそこに配属される予定であったのに・・・・・使徒などと戦うこともなく・・・・」
 
 
「汚れ役を他の家の子供に任せるのもね・・・・なんてのも負け惜しみのきれい事か。
うちの子は落選しちゃったわけだし」
 
 
「その代わりに、貴女が”ななつめ”として、其所にいる。計画的な事故であったのか、偶然の作意であったのか・・・・・」
 
 
「それ日本語になってないんだけど・・・・せめて主語プリーズ」
 
 
「おわかりのはず・・・・・貴女には。いや、”貴女”では、そこまで分からないのかもしれない・・・・・悲しい・・・・・・・影」
 
 
 
「・・・・・・・・・・・」
 
 
 
明るい声での返答はなかった。ぷつん、と糸が途切れたように。
 
 
”ははははは”
”ははははは”
 
”はははは・はははは”
 
”ははは。ばれたか”
 
 
しばし続いた沈黙を破ったのは、上方から降ってきた天狗のような大怪笑。
 
 
”せっかく夫と息子からの贈り物だから、ちょっと使ってみたんだけど、相手が悪かったかしら。ごめんなさい”
 
 
一応、詫びてはいるが全く反省した様子はない。まさに天狗の女王だ。いるとすれば。
 
 
「悪いのは、根性だと思います・・・・・・・・・こんな根性の悪い妖怪のもとへ訪問しなければならないこの役目が・・・・・悲しい・・・・戻ったらルルドで八十日は沐浴しないと・・・・・」
 
 
”妖怪とは、ごあいさつねえ。調調官エイリ・アンハンド。・・・・・ところで”
 
 
「はい」
 
 
”こんなところで、なにをしてるの?ヒマなの?調調官って基本、絶望的仕事中毒患者で、それを感染させて歩くとかいう都市伝説があるくらいなのに・・・・・もしかして恋のバカンス?あんまりイーストエイジアに幻想もちすぎてもあとで困るわよ?”
 
 
「ミユキ・ナカジマの悪口を言う者は誰であろうが、全財産を販売実績に貢献させたあと、
誅戮します」
 
 
”・・・・言ってないのに。久しぶりにゾクッときたなあ・・・・・”
 
 
「それならばいいのですが。私にも今の貴女は滅ぼせない。せめて夫と子供の貯金を操作して百万回ダウンロードさせるくらい・・・・・・悲しい・・・・」
 
 
”中島みゆきはいいから、話を戻しましょうよ”
 
 
「・・・・ミユキ・ナカジマは”いい”・・・・貴女とは理解しあえそうです。こんな極限界集落でしか会えないことが、悲しいですが・・・・・・」
 
 
”ゾクッときてイラッときて、それでもひさしぶりの他者との会話が楽しい自分がかわいい・・・・・・で、話を戻すけど、ほんとうにここで何をやってるの?”
 
 
「・・・・受話器の役目も果たしていないようですね・・・・あの影は」
 
 
”映画っぽくいうなら、アバター?かな。合ってるかな”
 
 
「聞かれても・・・・・。しかも映画で喩える理由も。あえてお答えするなら、もう少し役に立つ技術だったような。・・・・・ここにいるのは、無粋な表現を用いれば、待ち伏せ・・・・・でしょうか。水上左眼、悲しいあの娘は最終的には、ここに出現する」
 
 
”ああ、それであの時計戦隊みたいなのが控えてるわけね。ちょっと忘念のザムドっぽい”
 
 
「突然、ピンポイントですね・・・・・・悲しいくらいに」
 
調調官ともなれば、なんでも知っているが、あえてコメントはその程度に抑えておく。
 
 
”だいたい分かったけど・・・・・・・無駄だと思うわ。ここには、こない”
 
 
先ほど影はそうは言わなかった。今は、来ず、と断言された。その根拠を問うと
 
 
 
”だいたい、そんなものだから”
 
 
 
答えにもなっていないことを、太陽のような声で言われた。一瞬、霧が光の雲に変わったかと思ったが、それも錯覚だ。予言ではない。そんな神様任せ人任せのゆらゆらしたものではなく、強力な願いと強烈な確信とが核融合している凄まじい「そんなもの」だ。
 
 
道が見えているのだ。まだ、人の往来もなくまだ誰も通ったことのない、道にもなっていない、これから道になるかもしれない、「道」が。その目に、映っている。七色の輝きが。
 
 
しかしながら、世の中、虹が嫌いな人間も、いるのだ。
 
 
”賭けてみる?”
 
 
あっさりと、誘われた。そんな道からの転落原因ベストテンから外れたことがないどころかベストスリーも間違いない、定番を。見えない霧の向こうから。人を賽子に。
 
 
アバターどころか、アバタールであるところの調律調整官がそんな誘いにのるはずもない。
 
 
「いいえ」
 
返答と同時に緊急連絡が入った。しばらくのやり取りの後、踵をかえす。
 
 
”逃げるの?”
 
 
霧からの誘う声は間違いなく人外魔性のそれ。つまりは、妖怪だ。
竜が眠るにふさわしい膝元。
 
 
「次の役目が滑り込みました。天京にて地震兵器の誤作動・・・とか・・・こちらの完遂を見届けずに継ぎに移行するのは望ましくありませんが、多くの人命がかかっているとなれば・・・・・致し方ありません・・・・・・悲しいことですが」
 
 
”感謝も報酬もなく世界を駆けめぐる行者・・・・・浮遊する森みたい・・・それは、修行の一環なのかしら。あの子たちの宝船を欲しがらない人はいないと思うけど”
 
 
答えはない。調調官はもう霧の山街をあとにしている。
 
 
”やれやれ・・・・ほんとに仕事中毒だわ。ああいうのが世界を急ぎ足で駆けているから・・・・”
 
 
続く言葉は呑み込まれ、霧がさらに濃くなり・・・・・命の気配ひとつ音ひとつなくなった。
 
 
 
 

 
 
「こんな時間に、すまない!
 
他に安全な場所を思いつかなくて・・・・・ちょっと北欧支部から戻ってくればどこもかしこも怪しくなって・・・・本部が一番怪しいときてるんだから、どうなってんだかな・・・・・うおっ!?なぜここに鈴原君と洞木さんが?もしかしてお泊まり会とかだったのか?次のライブの打ち合わせとか?すまん!思いきり邪魔者になってしまったが、緊急事態なんだ!かんべん・・・・と、うわっ!!なぜここに体に毛布巻き付けただけの女の子が!!?コ、コ、コレハ・・・まさか・・・・ら・ら・ら・サンシャイン・・・じゃない、ラララ・ラブソング、じゃない、らん、らん、シェイプアップ乱、じゃない、まさか・・・・鈴原君みたいなジャージ系硬派野郎がいつの間にか、こんな・・・・ぐわっっ!!あまりの驚きのあまり、足の小指をっっ!!」
 
 
元・ネルフ本部付きオペレータ、青葉シゲルであった。
 
 
日向マコト、伊吹マヤとともにオペレータ三羽ガラスとして一時代を築いたこともあった。
 
それがいきなり、冬月副司令を背負って玄関ドアの前に現れたのだから。綾波レイたちも驚くしかない。が、目の前でこうして自分たちよりも遙かにテンション高く驚愕されると、そのタイミングを失う。
大の大人が物凄い驚きようで、足の小指を打ったショックで背中の副司令を落としそうになったが、なんとかこらえた。ギリギリセーフ、そこでコケたら完全に老人虐待だ。かなりイタい感じの立体ツイスターゲーム、のような有様は。
 
 
・・・もう少し・・・、・・・落ち着こうよ・・・、青葉さん、のような気持ちになってしまうのだ。
 
 
閑話休題
 
 
急ぎではあるが、これはさすがに情報交換が必要だった。一番いいのは冬月副司令から全てを説明してもらうことであったが、体力を消耗し尽くしたようで目を覚まさない。
 
 
「冬月を起こせ」・・・・
 
とかいって、電気ショックでもかませばいいのではないか・・・・・という綾波レイの危険な目つきはともかく。鈴原トウジと洞木ヒカリの同席のおかげで、そんな非人道な扱いは受けずに済んだ冬月副司令であった。
 
 
当然、その代理として青葉シゲルが語ることになるのだが・・・・・
 
 
「急ぎ向かうところがあるので、手短に」などと水上左眼に釘を刺されると、
 
これまでの己の伝説を語るわけにもいかなかった。そうなると、話はぐっと短縮されて、
 
「シオヒトとかいう作戦部長に監禁されていた副司令を救助したが、現状の第三新東京市は新体制のネルフ本部を筆頭に、ほとんど魔都と化しているので副司令が全快し体勢を整え終えるまでは下手な病院などにも預けられないし、最後の望みとしてここに運んできた」と。
 
まあ、青葉シゲル活躍の部分はほぼカットで。なんで戻ってきたのかあたりも。全部。
 
マンモス団地の幽霊セキュリティが作動しなかったのは、副司令のパスを使用したせいか。
 
 
シオヒト、の名が出たところで綾波レイたちはギョッとして、水上左眼の方を見た。
 
が、ほぼ無反応。その静けさが逆に異様で不気味だった。
 
 
「ほお・・・・で、その男は。そのままくたばりましたか」
 
などと特に興味もなさげに。機密の部類に入る事柄であろうが、この場にいる以上、無視も出来ない青葉シゲルは視線をびみょーに逸らせながらも返答する。
 
 
まさか、この女がその男を自爆まがいの一刀両断にしてやった、と凶暴な確信をほぼ抱いていたことなど知るはずもない。碇シンジのあのひと声さえなければ・・・。
 
 
「そうしたいところですが、そうもいかないんで。仮死状態になるツボを突いて借りた台車で運んできました。まあー、途中で死ぬ可能性もありましたが、副司令がいろいろ情報を吐かせたあとで葛城さんたちを呼び戻す取引材料に使うから、なるべく殺すな、とか言って・・・・あ!いまのなし!ナるべく死んでしまわないように努力するヨウに、とね、命令していたんダ!副司令がネ!」
 
途中で三下口調から腹話術人形口調に切り替わったりするのは、洞木ヒカリたちに配慮したせい。
いまさら遅いといえば遅いが。しかも、副司令の健康が心配であまり聞いてなかった。
 
 
 
「ふむ・・・・」
 
水上左眼としては、この筋肉モリモリとはいえない男が、冬月コウゾウを背負って、どんな台車か知らないが、(そこらで盗んできたっぽい)大人一人乗せて押して運んでその妖しさ満点の状態で見つかりもせず(力づくで撃破しただけかもしれないが)ここまで来た破軍益荒男ぶりを賞賛してもよかった。・・・・・が、そんなのんきな時間もない。
 
 
手応えはあったが・・・・・・し損じたか・・・・・・・
 
 
が、いかなる因果か、いつでもとどめをさせる状態でデリバリーされてきた。わけだ。
 
 
「あ。そーだそーだ。忘れてた。そんなわけで、玄関横の台車男もここでかくまってもらえないか?死なない程・・・・あ、いや、後遺症が残らない程度に保管してもらえればいいから。すぐに信頼できるスジの医者を送ってもらうから」
 
この物言い。言い直してもさらにひどい。明らかにもうカタギではない。
 
本部から北欧支部に転勤になって以来、どういう人生を送ってきたのか・・・・・
もう、あのギターや音楽を愛するナイス・ロンゲガイはいないのか・・・・・・
どんなロングバケーションだったのか・・・・・ロンゲが化けちゃったのか・・・・
とられてたまるかのとらたま族か、一子相伝のはずの殺人暗殺拳法の伝承者とかに。
 
しかし、カミはそんな彼を見捨てない。「死んだらあかん!あかんで!副司令はん!」「疲労困憊してるだけなのか・・・出血とかはないみたい・・・」鈴原トウジも洞木ヒカリも息絶え絶えの副司令の面倒をみるので手一杯のため、さらに話を聞いていなかった。
 
 
「・・・・る?」
 
しかし、綾波レイはきっちり話を聞いている。小さな声で「斬る?」と問うた。
水上左眼にはそれで十分だろう。副司令の差配はその通りなのだが、タイミングが最悪だった。まさかここに水上左眼がいるなどと思ってもみなかったのだろうが・・・・・
 
 
冬月副司令と作戦部長シオヒト、この二名をぶった斬る、とか言い出してもまったくおかしくない。なんせ何が目的なのか、密かに尋問していたというのだから。公開なら問題ない(特務機関的には)が、それを誰も知らぬ場所で隠れてやって、となると・・・・・
 
 
が、たいそう意外なことに、水上左眼は頭を振った。
 
 
「急ぐからね。そんな台車男、どうでもいいよ」
 
 
ずいぶんと、あっさりとしている。そんなものだろうか・・・・・
 
 
「冬月先生に、解剖されるなり人体実験に使われるなり改造人間にでもされるがいい・・
 
 
・・・・・いや、冗談だからね。
 
え?四人とも何その顔・・・もしや・・・これが冗談にならないような生活をドクターはこっちでも・・・・・・少年少女の未来のため、禍根を断っておいた方がいいのか・・・・・」
 
水上左眼が手刀をつくる。たったそれだけで血煙閻魔の凶悪オーラが立ち上る。
 
 
「・・・・・急ぎましょう」
 
無用の流血事件を防ぐためにも、綾波レイは立ち上がった。もはや客はいらぬ。
鈴原トウジと洞木ヒカリをここの留守番に。副司令の看病とシオヒトの監視に。
否とは言わせない。言わないだろうけど。
 
 
「え?オレも?いくの?どこに?」
 
当然のこと、青葉シゲルには同行してもらう。説明は道々していけばいい。出来れば。
今の彼でもおそらく、水上左眼の抑えにはなるまいが。こういった殴り込み案件になると、ツムリたちがいれば、とは思うが、それは唾棄すべき弱気というものだろう。
 
 
霧島マナの救助に向かう。
 
 
明確にSOSを出されたわけでもなく、本当に危険が迫っているのかすら分からない。わざわざ安全な結界から自分からノコノコと。推理小説なら序盤でやられるタイプであった。
 
しかも、副司令がいちおう取り戻された現状、その回復を待つのが最上にして最良の、というか、まともな知能の持ち主ならばそれしか取りようがない選択を放り出して。端からすれば、水上左眼の口車に乗せられているとしか。
 
 
お人好しというか、愚の骨頂というか・・・・・・
 
 
だが、それでも、
 
 
安楽椅子にはおさまっていられない綾波レイであった。
 
探偵タイプでいえば、一見、降りてくる系だと思われるが、実は足で稼ぐ系かもしれない。
 
 
居ても立ってもいられない。好き放題に自分たちの本陣が、荒らされていることもある。
このグダグダな状況は、いっそ元の体制に戻る好機でもある。全体崩壊の恐れもあるが。
 
 
何よりも、自分の零号機が・・・・・・融合、ひとつにとけた、ロンギヌスの槍が引き剥がされようとしている・・・・今の自分に水上左眼のような伝導される痛みや影響はないが・・・・・それを想うだけで、生木を裂くような、いやな感触が胸の底にあるのだ。
 
異物を切除されるだけ、という明確な割り切りが、なぜか出来ない。それを聞いた時。
 
 
それから・・・・
 
 
碇シンジのことも、聞いておかねばならない。
 
こうなると、最後まで全部聞かねば、落ち着かないからだ。
鈴原トウジたちにも教えなければならないだろうし。
 
 
 
・・・・あの時、さっさとドアをあけないから。
 
 
 
こうして自分で出向くハメになるのだ。しかし、それも似合っている・・・。
対碇シンジ限定ではあるが。捕まえてもらいたい、というより捕まえたい、というか。
 
 
基本、無口な綾波レイはこんなことをいちいち口に出したりしないので、いらん誤解を招くこともないのであった。
 
 
「頼むで、綾波」
 
青葉シゲルとの応援医師の見分け方など業務(!)引き継ぎを終えた鈴原トウジに言われた。本人はむちゃくちゃ同行したそうな顔であったが、まさか連れて行けるはずもない。
副司令はこのまま一人にしておけぬし、シオヒト元(でいいだろう、もう)部長がなにかの拍子にムクリと蘇ってくれば対処は洞木ヒカリ一人にはできない。彼女の姉が所属する諜報三課を呼びたいところだが、目下本部施設内にて激戦中のようで。彼はここに残るしかない。便利使いしてまことに申し訳ないのだが・・・・これに応えるためには、彼が頼んだことをやり切ることだ。
 
 
「あ、綾波さん」
 
洞木ヒカリにも呼び止められた。水上左眼が台車に積まれていた男をなんかやばそうな目で見下ろしているから急いだ方がいいと思うのだけれど。
 
「出先で、碇くんに会えたら・・・・・おと」
 
「おと?」
 
「あ、やっぱりこれはむつかしいなあ・・・・・むつかしいか・・・・・むずかしいね、綾波さんには」
 
なら初めからいいなさんな、というところだが、気になる・・・・・・別にこれからの苦難に対しての重要ヒント、これを聞かねばデットエンド直行、ということでもなかろうが、それだけにこの微妙さは・・・・・なんとも気になる・・・・小骨ひっかかったような。
 
 
しかし、青葉シゲルと鈴原トウジが桜色のホホをして「G☆J」(ぐっど・じょぶ!)的サムズアップをかわし合っているあたり、ふたりは分かっているのだろう・・・・・
 
果たしてなんの暗号か・・・・・それとも、空気を読んで知ったフリをするべきか
 
 
「とにかく、がんばって!綾波さん」
 
元気が出る笑顔で応援されたが・・・・・・気になるものは、気になる・・・・・
 
”おと”・・・・・なんだろう・・・・?とはいえ、ここで時間をとられるわけにも。
実際的ではない、たぶん少女趣味的なことだ。そうに違いない。だとすると野郎ふたりの納得ぶりが気味悪いのだが。後ろ髪ひかれるが、やもーえず出発する綾波レイであった。
 
 
 
「・・・・・・気になる」
 
が、いきなり足を止めた者が一名。というか、水上左眼であった。
 
 
「気になるな、洞木嬢。これから危地にいく人間に、そういう思わせぶりな発言はよくないな。それが心残りで成仏出来なかったらどうしてくれる?」
 
本気なのか冗談なのか、いまひとつ分からない。鯛の骨でもカメの甲羅でもバリバリかみ砕くような顔をして。
 
「え?でも、大したことじゃありませんし・・・・大変な時に、むつかしいことを頼むのも悪いですし・・・・・でも、そこまで仰るなら・・・・水上さんも手伝ってあげてくださいね?」
 
「前向きに善処しよう・・・・・で、なにをするのだろうか」
「やってもらうのは綾波さんなんですけど・・・・ごにょごにょ」
 
やってもらうのは自分に、といいつつなぜ耳打ちして水上左眼のみに教えるのか。
それっておかしくはないだろうか。・・・大したことではないらしいが。
 
 
「ははは!それはいい。状況が状況であれば、代わりに私がやっておこう」
 
何が面白いのか、笑っているし。しかも代行までしてくれるという。好きにすればいい。
 
 
「・・・と思ったが、やはり乙女でなければな。こんな役目は。さて、・・・は短い、急ぐとしよう」
 
こちらを横目で見て、なにか楽しむように含み笑いをすると、やめておく、という。
 
ええかげんにせえよ、と言いかけたところで、動き出した。早い。早すぎて飛んだ言葉がある。いちいちそんなものを確認し合う仲でもない。この判断がどう転ぶか。死を求めた人間は信頼に値するか。価はせぬだろうが、騙される心配が少なくなる、というだけだ。
 
 
信用する材料は、使徒相手に共に戦った、という、敵の敵は一時味方であった、ということもあるが、その一点のみ。その戦いぶり。飛べるのだから逃げても良かったのだ。
その介入がなければ、自分たちは、自分は、ここにはいない。のは、間違いない。
 
恩義には感じていないが。それは、絶対の事実。いくらでも解釈しようはあるが。
 
 
あの、桜吹雪のような使徒の猛攻に恐れ入りも黙りもせずに反撃した、
 
あの、交響曲のような無限変異の抜刀術は
 
あの、折れた刀をひとつに溶かし治してよこした剣心は
 
 
真鉄のような行動は、信じるしかない。仕返す場合は、まっつぐにこちらに向かってくると。見境のないことはせぬと。しかと見定めて後に、その刃を振るってくると。
明らかに無関係の、一連の出来事に関与しようもない市民にまで及ぶような復讐行為に出ないことを。人質にするなら、時価値といい手間の少なさといい洞木さんだろうけど。
 
 
・・・・・とはいえ、賭けになる。この竜を解放するのは。
 
同じ手は二度通じまいし、零号機では取り押さえられない。
 
 
綾波レイでなければ、諸悪の根源責任者の一人である冬月副司令を恨みがまがましい目で見たあげくに、ニードロップでもかまして無理矢理叩き起こして判断をゆだねていたかもしれない・・・・やってしまってあとで苦悩するのは少年の特権かも知れないが。
 
 
綾波レイもいろいろと考えているのだ。ストレスで頭髪が空色勾玉になりそうだった。
 
 
 
本部までは、団地内の地下通路を使う。もちろん、隠してあり高速であったりする。
 
 
青葉シゲルもこんなものがあるとは初めて知った。秘密戦隊基地にしかないようなシュート式であり、追っ手を防ぐために一度使うと半年は使用できなくなる安全トラップ付き。見かけは幽霊マンモスであるが、碇ゲンドウからいかに綾波レイが箱入りに大事にされていたか分かる、ボロは着てても心は錦的ちょっとイイ話であった。
 
 
高速であり狭く、横並び出来る代物ではないから、ここで思わせぶりな会話をしたりフラグを立てたりはできない。おまけに、イの一番手でシュートされる者は出口の安全が保証されていなければどう考えても鉄砲玉状態であり、危険が危なかった。と、なると。
 
 
五十音に従って、順番は、青葉シゲル、綾波レイ、水上左眼、となる。なった。
 
 
女性ふたりは「自分が先頭でいい」などと平気な顔して言うが、「じゃあ、ボクは真ん中で」と言える青葉シゲルではなかった。存在自体初めて知ったため、本部施設のどこに出るのか、綾波レイの要領を得ない説明ではいまいちよく分からず、不安でしょうがなかったが志願するしかなかった・・・。本当に本部に着くんだろうな・・・・
 
 
「こんな便利なものがあるなら、あとは案内は必要ないな・・・・・」
ずばっ!!
 
ということもなく、大人しく水上左眼も乗り込んだ。そこらで車をかっぱらって「竜の隠し場」まで「氷の煙突」からショートカットする方法もないではないが、騒ぎを起こさぬ一般人に迷惑をかけぬ点を考慮すれば、本部を経由した方が早い。そのついでに一連の騒動を鎮定する腹づもりらしいが・・・。まあ、これも綾波レイの判断だ。
 
 
間に合うかどうか・・・・力ある者が沈黙し続けることがどれだけ困難か・・・・・
 
 
 
はくしゅん!!
 
ここでくしゃみする水上左眼。一応、もう着替え直してはいる。竜との連動が確かなら風邪などひくかわいげのある体ではない。・・・どうも、竜号機をいじっている輩がいるらしい。それも高度の専門知識をもって。侵入者への対抗機能がスタンバイ出来ていない。ずいぶんと丁寧な手腕で眠らされている。そこいらの盗賊技術者に出来る芸当ではない。
 
 
はくしゅん!!
 
 
また。ずいぶんと鼻とのどのあたりがむずかゆい。なんだこれは・・・・・?
 
早いところ辿り着かないとこちらもまずいことになるかもしれない。他人に動かせるような代物ではない・・・・その点はまず安心なのだが・・・・こんな感触は初めてだった。
 
 
「つめたい?」
綾波レイが聞いてくる。幼児のような端的さであるが、一応、言いたいことは分かる。
竜をまた凍らせ始めたのか、ということを聞きたいのだろう。
 
 
「いや、それとは違う。ただのくしゃみだ。問題ない・・・・行ってくれ」
 
呼びかけたのは青葉シゲルに対して。本部で策動蠢動している連中にとっては副司令生還の情報を持った綾波レイなど邪魔でしかない。ほんとうに出先で待ちかまえられたらこのロンゲは死んでしまうけどなあ、とは思うが、本人志願であるから仕方がない。
 
 
「では・・・行きますよ」
こっちの体調を気遣うような顔をして、男が先陣を切った。優しい男だがなあ・・・惜しいなあ、遠慮せずともこっちが枝払いくらいしてやるのに。内心で合掌する水上左眼。
 
 
そして、伝説へ・・・・ではなく、
 
 
彼は、どうなったか・・・・・・
 
 
実は、市内某所から幽霊マンモス団地に至るまでのロンゲ男の活躍で思いきり本部内は警戒されていた。専門的に言うと「ロンゲYABAI警報」が発令されていたのである。
 
こそこそ回り道していたら時間がかかってしょうがないので、無人の野を行くが如く突っ切って来たのだろう。脳が筋肉になってしまったわけではないと信じたい。しかし逆に、その無双な行為はそのロンゲを北欧支部でがんばっているはずの青葉シゲルだと誰にも気づかせなかった。
「まさか青葉先輩だとは・・・夢にも気づきませんでした」(発令所オペレータ・阿賀野カエデ談)
 
 
結果、もし、本部施設の重要区画に世紀末ルックのロンゲがいきなり無断で出現すれば、怪しまれてハチの巣にされても仕方のないようなナーバス火薬臭い状況に陥っていた。
 
 
まさにそのど真ん中にシュートアウトされた彼が、どんな目に会うか・・・・・
 
 
想像に難くない。しかし!、もし!!、怪しいロンゲ男を目撃したネルフ職員が撃ってきたとしても、それは同僚なのだ。仕事仲間なのだ。反射的に反撃しようものなら、職場復帰はかなり気まずいものになるのは間違いなかった・・・・。彼の良心的にも。
 
仕事ではないから戻ってもいいはずだが、進めば地獄!!しかし、己の背には女性、その盾となれば戻れもせぬ!!結局、地獄!!つまり、魔界であった。
 
 
彼に続いた綾波レイと水上左眼が、まさに地獄の歌、絶望のシャウト、彼の善なる心が引き裂かれたデビルのソングを聞くことになったのもやむをえないだろう・・・・彼が訪問する直前に聞こえていた幻聴は、この悲劇を知らせるためのものだったのだ・・・・・と、綾波レイは今さらながらに、知った。