なにか、かなりの誤解があるようだが、と前置きして
 
 
水上左眼は答えた。
 
 
「シンジ殿は、ひとりだよ」
 
 
それから、と続けて
 
 
「まごうことなく、人間だ」
 
 
と。”それ”を硬化テクタイトでガッツリ満たしたトランクに入れて運んだ女が。
 
 
「それなら・・・・・あなたを案内した碇君は・・・・・・あなたが連れ去った碇君と・・・・・・同一人物・・・・なの」
 
その言葉に嘘を感じないのだが、自分の知っている事柄と明らかに矛盾する。
昔の忍者、草の者は一日五十里を走っても平気、とか池波正太郎先生は著作の中でおっしゃっていたりするけれど。そういうことでは、あるまい。カボチャマン的トリックを使わねばどうにもならない距離と時間と条件というものがある。
 
 
「まあ、そうだな。その点を突くだろうな、それは・・・・・この理解度であれば、どう説明すべきか・・・・その点、霧島マナの方が察しと呑み込みがいいだけ到達が早いだろうな・・・・これはハンデにすべきか・・・・・・」
 
目の前でこうも露骨に言われると、「じゃあ、教えてもらわなくてもいい」と、つい意地を張ってしまうのが少女のサガというものだが。
 
 
「・・・・・・・・」
 
だまって次の言葉を待っている綾波レイ。器がでかいのか、少女でないのか。
優等生的態度式処世術といえなくもない。甲女。来る者は拒まず来た者は逃さない。
そんな昔話のお宿の入り口に吊ってあるぼんぼんと燃ゆ赤提灯のような目をして。
 
 
能書きはいいから、早く正解をいえい・・・・
 
 
無言の脅しを、かけてきた。ものすごい迫力であった。この場に碇シンジが100人いたとしても、一斉に小便チビって漏らしたであろうほどの。・・・・あまり怖さスケールの尺度になっていないかもしれないが。もし、ティラノサウルスがこの場にいたとしても、ごめんと泣きじゃくって出来もせぬ土下座をしようとしただろう・・・・それほどまでの。ド眼力。
 
 
それに対して隻眼の女は、怯えもせず
 
 
 
「人間は、どこまでが、人間なのだと思う?綾波レイ」
 
 
鈴原トウジと洞木ヒカリに巨人のサイズを問うたように、また。
 
 
禅問答・・・・・・・・・?
 
 
深遠な思考を好みそうであるが、実際的な性格の綾波レイはそんなものが苦手であった。
問うてくる者の心を読んでしまえば、そも答えはそこにあるのだから。得意になりようもない。だが、今回ばかりはそうも言っていられない。どういうことなのか・・・・・
 
 
多人数チームをひとつの組織として、その組織をひとつの人体になぞらえて、それが
ひとりの人間だ、などということなら。
 
 
たとえば、碇シンジが仮に49人いたとして、折々の都合都合で出てきたり、明らかにくたばったりした場合その欠番を埋めたりとかで、このサードチルドレン・エヴァ初号機パイロット・碇シンジという人生を維持しているということなら・・・・・その49人分の構成の絆もまた、人間の一部である、とか考え出すと・・・・・
 
 
「碇くん49・・・・・・・?」
 
 
なんかすごい答えが出てきた。
 
 
「はい?」
 
水上左眼も流石にこれには完全に意表を突かれたらしく、基本剣呑なこの女が珍しくあっけにとられた顔をした。
「な、なに?なんなんだ?その・・・・・49,フォーティーナインとかいうのは」
 
 
「え・・・?いや・・・・・なんでもないの・・・・・」
 
赤面して今のを取り消す綾波レイ。いくらなんでもそれはないだろう。クイズ番組のアイドル枠回答者じゃないのだから、それでいいはずもない。というか、ダメな子すぎた。
 
 
しかし、ダメな子ほどかわいい、ということは、確かに、ある。
 
青少年教育に人の三十倍くらい関心がある水上左眼であればなおさらだった。
その白皙の外面から、たいそう小賢しいお利口な返答を予想していただけに!
これはもう、なまはんかなヒントを出しても真相に辿り着くことは一生あるまいと思わせた。下手に考えさせたらその分だけ、まるで違ったところにいく雪山遭難タイプだ。が。
そこで一生暮らしていけるだけの情念の強さがありそうなところも反省の機会がないから逆に厄介。
 
 
まあ、いいだろう。聞きたいといったのは本人だし。聞いてそれで苦労しようと。
中途半端なヒントしか手に入れていない霧島マナも、自前の頭で解決するだろう。
 
 
「覚悟はあるのか・・・」
 
 
「ええ」
 
野牛をもぶった斬る大豪刀の気合いを込めて、覚悟を問うても即答。
 
この期に及んでなんの覚悟か、と問うも愚かな。
受け止める覚悟。真実はいつも過酷。知らねば済んだことであるのに。
受け止めすぎて脳天にサクッと入ってしまったような凜とした壮烈爽快さ。
思考能力零の空と紙一重のこの態度、綾波レイの真骨頂といえた。
 
 
「では、もう途中の過程を飛ばして、むき身、いやさ抜け身の真実を告げるとしよう・・・・・いいかな、綾波レイ」
 
「ええ・・・」
くどい。しかしながら、鞘の重要を誰よりも知るはずのこの女がそのように言うからには、おそらくこれは不十分な理解しか得られない、鞘のない刀だけを売るような真似、なのだろう。陰と陽、ひとそろえセットになっていないと結局、ものの役には立たない事柄というものはあろう。店員さんの注意を聞かずに買って使った後で泣きをみる、みたいな。
 
 
しかし、相手はもう口を、鯉口ならぬ自分の口を、開いてしまっている。
 
時間もないし、いまごろ「ちょっとタイム!」もなかろう。
 
 
「シンジ殿は・・・・ユイ様と、エヴァ初号機に・・・・は・は・は」
 
 
「は・は・は?」
なんだそれは。葉葉葉?トラトラトラみたいなものか?
この期に及んで暗号など、と思ったが。
 
 
「はくしょん!!」
 
大魔王を召還する呪文とかではないらしい。ただのくしゃみだ。しかし・・・・
 
「はくしょん!はくしょん!!はっ・・・くしょん!くしょん!・・・・くく・・・なんだこれは・・・・・だめだ・・・・・はくしょん!・・・・奥の方までいじられている・・・・・・・くしょん!はくしょん・・・・・す、すまない・・・・・くしょん!」
 
突然花粉症になった、とかいうわけでもなく、おそらくリンクしている竜号機の方を相当おかしげにいじられているのだろう。たぶん、鼻のあたりとか口の周りとか。誰がやっているのか知らないが・・・・・・タイムアップだった。いますぐ現場にいかないと、竜をまた使い物にならなくされる恐れがある。
 
 
・・・・答えを恐れたわけでは、たぶんない。
 
 
「どうした!?」
さすがに男ふたりもこの異変に駆けつけてくる。クシャミがおさまらない水上左眼に代わって説明すると、そこらへんは修羅場に慣れているだけあって野郎ふたりはすぐ了解した。
 
 
肉体の感覚までも同期するほどの深い繋がりをもつ、ということは、竜の現在地を知るにはこの上ない手がかりにはなるが・・・・・「くしょん!くしょん!」・・・・けっして冗談でやっているわけではないようだが、この調子では水上左眼は戦力にはなるまい。
その分はクァビカが埋めるとして・・・・・戦闘力という面では文句の出ようもないパーティではあった。が、油断は出来ない。この混乱の中、隠された竜の元へ辿り着き、それをいじくりまわす、というのは、勇者にも出来はすまい。邪悪な、奸佞の塊のような、齢八百は超えている、魔法使いのばあさんの仕業であろう。違いない。それが、待ちかまえているとなれば・・・・
 
 
 

 
 
 
気まずい・・・・・
 
 
それも、生なんかな気まずさではない。こんな気まずさはちょっとないだろう、くらいの。
 
 
超きまずい出会いであった。
 
 
なにせ・・・・己の立場のゆえにいろいろと我慢していたが、ようやくなんとか外面的な言い訳も立ち、個人で身軽に、苦境に陥っている孫娘の様子を見に行ける、場合によっては面倒をみることになるやも、しれない・・・と「こんなことで党の者を動かせないからねえ」とかなんとか言いながら内心は。いろいろと準備もしていたところで腹心どもに勘付かれてなんやかや言われて結局、ついてこられて・・・立場上「お前たちは邪魔だからお帰り」とは言えない、言ったが最後「自分たちが責任もって残りますから党首こそご帰還を」と返されるのは目に見えているので言えない、孫にデレているところなど死んでも見られたくない、せっかく水入らずで会えると思っていたのに機嫌がいいのか悪いのか、てめえでも分からなくなってきたしんこうべは綾波党、党首の綾波ナダ・・・・・綾波レイの祖母なのである。
 
 
孫娘のアパートを取り囲んでいた、いかにもたこにも怪しい不審者どもを、どこのどいつか知らないが、グレートなタイフーンで吹き飛ばした。背後関係も何も知ったことではない。ただの祖母が、孫娘に、”ちょっと”、会いに来ただけなのだ。神だろうが仏だろうが悪魔だろうが鬼だろうがどこぞの国の抹殺部隊だろうが犯罪組織だろうが、邪魔されるいわれはこれっぱかりも、ない。何を狙ったのか察しがつかないこともないが、その点、あのロンゲの若いのには感謝しよう・・・・・。
 
 
まあ、孫娘に会いさえするなら、多少のことは、どうでもいい。
 
同行する腹心たち、つまり綾波党の幹部がこんなところに来ているのも、まあ、多少だ。
こうなると、ツムリのやつを連れてこなかったのは、不公平だったかもしれないねえ・・
まあ、ジジババは先が短いわけだから。若いのはまた次があるから。
 
綾波ナダは長い長い苦闘の人生の中でついぞしたことのない自分への言い訳を内心でしながら、まさかここで”孫娘に会えない”、なんてことは予想もしていなかっただけに。
 
 
孫娘の部屋にいる、目も赤くない子供ふたりを、見たときには。
 
 
この地上から全てのロンゲを殲滅しようか、とさえ思った。
 
 
 
しかしながら、ファースト・コンタクトの十五分後くらいには、もう。
 
 
 
「あ、お茶のお代わり、いかがですか」
 
「ああ、いただこうかねえ・・・・・どうにも年寄り連れの長旅でのどがかわいたよ」
 
 
馴染んでいた。
 
 
この特大の気まずさに最初から腰が退けていた鈴原トウジはとにかく、やはり洞木ヒカリの実力であった。懐に入れば猟師もこれを射ない、ということを即座に実行できるのは並みの度胸ではなかった。しかも相手は綾波党の党首と大幹部。普通の子供なら三十分は固まってしまい、会話どころか単語も出ないだろう。洞木ヒカリが花のように柔らかくも、スーパーエクスプレスで相手に対応するなら鈴原トウジがそれに合わせないはずもなく。
 
「え?このお土産、開けていいんでっか?綾波、いやさ、お孫さん江、ちゅうことで買うてきたものやないんですか?」
「ああ、構わないよ。こっちの方は私たちが勝手に購入してきたものだからね。そんなに食わせたら虫歯になるだろ、などと党首にお叱りを受けてしまったこともあるし」
「お嬢チャン、使ッテ悪いけドこの牛肉焼いてくれないカー。お近づきのシルシにみんなで食べようじゃないカー」
 
 
さらに馴染んでいた。
 
 
ちなみに、信頼できる医者である、というのはまさにその通りで、なにせ地元でいちばん大きな病院の病院長たちだというのだから、もう間違いはないだろう。人の命という、なんともいえぬ重さを請け負ってもらったその安心もあった。
 
両人とも年寄りと一緒に暮らしている慣れ、というものがあるのだろうが。それから
 
 
どう考えても友達なんぞ一人もいそうにない(だからあの怪物小僧にうまうまひよひよとひっかかるのだ)孫娘に、こうして、(状況を聞くに察しのつく)尋常でない強さの繋がりの者たちがいる、ということは・・・・・祖母にしてみれば、涙が出るほど(みせんけど)有り難いことだった。だから、それなりに気を遣ってもいたのだ。
子供ふたりの気持ちを、包むようにして。
 
 
ここに孫娘がいないなら、ここに留まる理由もない。
 
修羅場のど真ん中、死地に向かった孫娘とのすれ違いも、らしいといえば、らしい。
 
そのあたり、なんともいいようがなく、己の血筋を、感じる。その嵐を恐れぬ突撃ぶり。
そうして嵐の中心に居座って最終的には支配してしまうあたり。赤光は闇も雨も射抜き。
それに関して無自覚なあたりは、ノイ・・・に似たんだろうねえ・・・・幸か不幸か。
 
・・・・ロンゲにはあとでケジメをつけて丸坊主にでもなってもらうとして、だ。
 
ネルフ副司令、冬月コウゾウに恩を売れる貴重な機会ではあるが、党首直々にやることでもない。そんなもの孫娘の身に換えられたものではない。けれど・・・・・
 
 
孫娘の数少ない(というか人生最後かも知れない)友人、となると・・・・
 
 
これを守るのは、当然、綾波党とはなんの関係もない。目も赤くないし。
何より孫娘当人の身に換えられるものでは、まったくない。いつの間にやらいっしょに焼き肉まで食べてしまうほど確かに好感度は高いが・・・あの徹頭徹尾、完全にデタラメな造りの碇の小僧と違って、普通の人間である、というあたりも。
 
際者に、慣れてしまってもらっても困るのだから。
 
 
この子供ふたりになにかあれば、たいそう悲しむ孫娘であることは、分かっている。
 
 
 
「じゃあ。鈴原くん、いこうか」
「そうやな・・・・そろそろ、いこか」
 
焼き肉を食べ終えて、後片付けもざっとしてしまい、それから。ちらっ、と冬月コウゾウともうひとりの容態を見て。自分たちがほんとうにアテになるのかどうか、見極め終えて。
 
これから
 
いかにも。家に帰るような顔をして・・・・・孫娘の後を追おうなどと考えている小癪なガキどもを、引き留めるべきか、どうか。綾波ナダはさして悩まなかった。
 
 
「・・・まあ、お待ちよ。そんなに急ぐこともないじゃないか・・・・かわいそうな年寄りをおいていく気かい?」
 
「!?」
引き留められるとは思っていなかったのだろう、融通の利かない演技ダメダメな孫娘の友人とは思えないほどなかなかうまいことやっていた娘っ子の表情がひきつった。その点、大阪少年は見抜かれたことさえ分かっていないのだから。まあ、男は得というか損というか。
 
「それに、外はまだ”ドラマの撮影”をやっていますカー。邪魔をしたら悪いカー」
「そうだな、映画かもしれないし、バラエティかもしれない。そこを横切るのはどうかな」
 
「まあ・・・」
「それは、な」
この婉曲表現の意味が分かるのだろう。承知の上でやる、ということは
 
 
ただの子供では、ありえない。ただの友人では、ありえない。孫娘の判断はそこまで甘くはない。孫娘なりに大局を見て、ここにこのふたりがいることが正解だと、答えを出した上でここに残したのだろう。ここにロンゲがいればもう少し詳しく事情が聞けたのだが。
 
 
オセロの四隅であり、アタック25のアタックチャンスというか・・・
 
ボロゾーキン状態の本部副司令と半ハンザキ状態の謎の男・・・・病院でもない孫娘の部屋などに匿われているあたり、キーパーソンにしてキープレイスということになるか。
ここを取られると、当然、面白くないことになるわけだ。誰にとって、というのは愚問だ。
 
 
いらん世話になるのだろうが・・・・ここは、孫娘とロンゲの判断を信じるとする。
 
 
「・・・・・あー、でも、行かんといけんのですわ。自分ら」
「ほんとは、・・・・こんな、お肉を焼いている途中に、連絡があると、思ってました」
 
時間の大切さをよく知っているらしい。あくまで・おうちに・かえるのだ、などという白けた嘘をついてこない。それは助かる。その分だけこちらも正直にやってやる。
 
 
「副司令はんが目え覚めたら、うまいことやってくれるんやとは思いますが・・・・」
「その前に、何かあったら、どうにもならない。取り返しのつかない何かが・・・・・」
 
子供がそろって立ち上がる。凜、と音がするほどに。重さはないが、熱さがある。
若さの辞書には、不可能はない。たとえしくじることがあるとしても、とはいえ。
冒険者と火達磨は違う。挑戦者と暴走特急は違う。友情火酒の飲酒運転となれば。
 
 
その、若い炎めがけて
 
 
「年寄りの看病や見張りもあったんだろうけど、第一に、お前たちが、足手まといだったから置いていかれたんだろうに」
 
小さな嵐を吹きつけてやる。小さくとも嵐は嵐で、たいていの人間の決意などこれで吹き転ぶ。こしゃくな知恵も、けなげな覚悟も、奇特な経験が拓く度胸も。
 
マルコムの奴が、青少年相手にそこまでせんでも・・・という顔をするが、遠慮はなし。
 
修羅嵐に突撃して痛い目みるのは孫娘一人で十分だった。
 
 
だが・・・・
 
 
バササっ 
 
子供ふたりの前に、一瞬、強い音をたて翻る黒の大旗を幻視した。
叩頭を強制するはずの豪風を巻き呑み利用して、鋭く弾け、さらに昇っていく・・・・
 
そんな、幻視だ。
 
 
「心配してくださって、ありがとうございます。でも、行かないと」
「副司令はんたちのこと、よろしゅうお願いします。自分らも大丈夫ですから」
 
はて?本当に普通の子供ではないのか、これに臆した様子がない。目の色を見るとさらに燃えだしたような。油を注ぐつもりはなかったのだが・・・・・それとも、これが噂の。
 
 
ふーむ・・・・・・
 
どんなにつっぱって調子こいたところで、腕づくで止めるのは、たやすい。
幻視は幻視。子供は子供。マルコムたちが指示を待っている。まともに考えるのなら、そこの副司令の復活と同時に目覚めるように眠らせておくところだ。が・・・・・
 
 
「けど、その必要もないだろうさ」
 
 
対話を続ける意外さにマルコムたちが無言で視線を送ってくる。まあ、自分でもそんなつもりはなかったし、意外なのだが・・・・これもなにかの縁というやつかね・・・・
 
 
「あのー・・・その根拠は・・・・?一族だけに分かるカンとか言われたら・・・ねえ?」
「はあ、まあ・・・・・亀の甲より年の功、とはいいますけど、・・・・なあ?」
「そうねえ・・・・・鶴は千年、亀は万年、ともいいますけど・・・・・」
 
大金だけとって適当なことを言うしか能のない占いババアじゃあるまいし。
にしても、見た目の割りには油断がないというか、疑り深いガキどもだ。
・・・・・面白い。
 
 
「根拠は、この都市に来た、孫娘の様子を見るため以外のね、もう一つの理由だよ」
 
 
「?」「?」
綾波レイを追うはずだった足は止まり、表情は怪訝。何を言い出すのかが分からない子供ふたり。単純に後を追うには時間が経ちすぎ、自分たちのやるべきことの区別もついた。
 
何が出来るかは分からないが、この状況で参号機をキープしておかないのはまずい、いかにもまずい、不味すぎる、と閃くものがあった。機体への愛着や、それさえあればなんとかかんとか、という過度の幻想信頼というものではない。計算を越えた不吉の予感。これこそカンの領域で、人のことなどいえた義理ではないのだが、今、本部に行かねば”どうにもやばいことになる”ぞ、と共通の認識としてそう思ったのだ。思ったのだが、綾波レイの祖母である女性の次の言葉を待つ。待ってしまう。口調はさりげないのだが、なにか、とんでもない重要事を告げられるような
 
 
 
「まあ、お座り。面白い話をしてあげるから」
 
 
素直にそれに従ってしまう鈴原トウジと洞木ヒカリ。貫禄のせいだけではない、真から芯から必要な、聞くべき事を語られる気配を敏感に感じ取ったせいだ。大切なことは、大切だと目に見えるように書いてあったりしない。もっとも、書きようもないわけだが。
 
 
「おもろい・・・・」
「はなし・・・・・」
 
聞いて笑えるような話でも、あるまい。それとも、文字通り、
 
聞けば
 
面が白くなる、ような。血の気が逆引くテール・オブ・テラー。
 
 
「碇シンジの正体だよ。正確には、見極めきっていないから、化けの皮を剥ぐ、くらいの話になるかね。・・・・そのために、来たんだよ。地元と竜尾道、ふたつは、知れた。
そして最後に、この都市での、あの小僧の有様を」
 
 
その真っ赤な目。焦点は、近く、遠く、遠く。
 
 
同類を、語る目では、なかった。
 
 
自分たちよりなお遠く、と。
 
 
 
綾波ナダが、境界線の話をする。
 
 

 
 
 
ゼルエルの匂いが、消えた。
 
 
匂いを最小にした上で、その痕跡を隠すのが上手い。人のやり方とは思えぬほど。
もう、ここにはいない。あの竜も、戻ってこない。核製の事案も決着する。
 
 
大使徒(VΛV)リエルは移動することにした。
 
 
「・・・・・・・・・」
 
 
獲物は少なかったが、興味のある一幕では、あった。
ウ&ェ&にならって、代価というものを、払うところだろうと、思ったのだ。
 
 
刀を抜いた。銘は東方剣主。それを海に向けて一薙ぎした。それだけ。
 
 
それから東へ。再進撃した。
 
 

 
 
 
”左眼さまは、戻られない・・・・・戻られない・・・・・わたしのせいだ・・・・
わたしのせいで・・・・”
 
福音丸がむせび泣いていた。しかし、水上右眼を掴んだまま離さない。
 
 
「いや、こう考えてみようミカリちゃんよ。チャンバラ妹が、もし、ほんとうのほんとうに誰ぞに討ち取られてくたばったんであれば、連絡があるはずだ。必ず。一応、ここの首長だからね、今後の動き方の指示とかあるだろうよ・・・・・・・それは、ないんだろ?」
 
 
絶妙な力加減はほぼ拷問であったが、それでも笑顔を絶やさずに水上右眼は。
離さない、というより、不安と混乱のあまりに、離せないのだということが分かるゆえ。
・・・・とはいえ、さすがにちょっとやばい。
 
 
”・・・・・・・・・それは、まだ・・・・・・・・でも・・・・・”
 
 
「どんな計画になっていたのか、知らないけど、時間が、かかりすぎてる。言っちゃあなんだけど、捕らえたら即ノー裁判で殺されても文句の言えないような身分だからね、交渉に応じるようなタマでもなし、生かしておいても危なくて使えるようなアレでもなし、・・・・・たぶん、捕獲は失敗、か。そこから逃走・・・ケガくらいは負わされてぴー助から離されてもいるのかもしれないけど、くたばっては、いない。どこぞに身を隠して傷を癒しているかぴー助を取り返す算段でもしてんじゃないのかい?その後の仕返し計画とかも練ってるだろうね・・・・・執念深さは筋金入り、蛇どころじゃないからねえ」
 
 
少し、掴む力が弛んだ。ふう、命がつながった。顔には出さず右眼は続ける。
 
 
「今回の段取りを整えた・・・・・シオヒ・・いや、そいつに連絡をとってごらん。
連絡が、とれなくなってるんじゃないのかい?倒産した会社みたいにね。ミカリちゃん、そんな船に乗ってるってことは、望むことは察しがつく。妹を、そんなに慕ってくれてありがとうよ・・・・姉として、礼を言うよ」
 
 
今回のこのことに対する報酬は、竜尾道の生活圏全てを沈没させてこの娘が得る代価は、妹、水上左眼唯一人。そこに口には出せぬ無形の苛立ちや憤懣やその他の何とも言い難い感情をぶつけてくる住民たちは、この娘にとって悪、以外の何者でもなかったのだろう。
 
なぜ、「それ以上」を望むのか、と。現状維持で十分ではないか、と。
すでにそこを理想郷と定めた者には許せない所業なのだろう。楽園を、乱す悪蛇。
それは期待ではなく圧力であり、攻撃だ、と。隠れ里に変革などありえまい、と。
 
敵であるよりタチの悪い。純粋と言えば純粋だが、単純と言えば単純。そんなものを操作するのは容易いことだっただろう。あの頭の切れる男にとっては。なんでもかんでもスパスパと。
 
 
てめえに必要なもの、最低限使うモノだけ、福音丸って趣味の悪い船にのせてあとは洪水沈没、ノアの箱船でも気取ろうって魂胆なんだろうが・・・・・・・その手は桑名の焼きハマグリ、だ。
 
 
「悪いことは言わない、ミカリちゃん。今ならまだ間に合う。そこから下りなよ。チャンバラ妹はこのことを知らない。ここには他の誰も立ち入れない。戻る前に、そこから下りないと、間に合わなくなる・・・・・あと何人そこに乗っているのか、出来るならその連中も説得して下ろしておくれ」
 
 
”・・・・・・・・・”
 
 
モチーフは七人御崎。乗り込んでいるのは、おそらく六人か七人。ミカリが単独で動かしている、ということはない。チルドレン、エヴァを動かす才を、それも特上の才をもつ者が最低二名はいるはずだ。生産担当と戦闘担当、最低でも、二名。どこから連れてきたのか知らないが、こんなところに囲い込んでいるのだから、贅沢な話だ。業界は人手不足じゃないのか?よく我慢もする。・・・・そんな意識もないのかもしれないが。機能に特化された人格・・・・・あまり想像もしたくないが。そんな、夢でも見たまま漂っているのだと、思いたい。
 
 
”そんな・・・・・そんなこと、ことをいわれても・・・・そんなそんなそうはそうは・・・・・・”
 
 
揺り返し、逆凪がきたか、と。落胆はしないが、この体勢では体力がもちそうもない。
 
 
”そうはいくか!!!”
 
掴む力が元に戻った。いったん弛んだところに再圧がきて、ぶく、口から血を吹く水上右眼。
 
 
”そんなこと言って、さが、さがん、さがさが左眼、左眼さまが戻ったら、告げ口する気だ!!そうなんだ!!そうに決まってる!!こいつはお前を裏切っていた、と教えるつもりだ!!そうとしか考えられない!!お前らなんかきらいだ!おまえなんか嫌いだ!!
お前らなんかみんな海の底に沈んだらいい!!おれわたしぼくわしわたくしとおんなじ目にあわせてやる!!!!あわあわあわあわせて!!あわせてえええええええええ!!”
 
当人の分も相当に強烈なのだろうが、ミカリ以外のそれらも凄まじいものがある。
 
死者との再会、など儚いが底無しに強力な望みをもってこの街を訪れた、そんなものはいくら事象のバランスを調整しようができるわけもない、いいように福音丸に呑み込まれたマレビトたち。それは、恨むだろうな、と。事の発端であり、それを止められなかった自分たちを。こっちを恨むのはいいが、下りようとする小娘を引き留めるのは止めて欲しい。
が、そこのあたりが七人御崎のシステムであるからやもうえないのかもしれない。
 
祟り殺した人数分だけ、自らが救われる、とした奇怪な負計算式。
札をもたずに勝手に侵入して捕まった者たちも自業自得だが恨むは恨み。
因果応報、因果はめぐる。あの鬼ババの剣技の正体も。
 
周辺海域の魚たちがせめて念仏を唱えてくれるが、あまり効かない。
 
 
が・・・・・このままだと、ほんとにこっちがくたばるなあ・・・・・確実に。
 
 
福音丸の製造能力も、ヘルタースケルター・骨号機の平衡あってのもの。
それを考えると、こっちを殺すのはうまくない。というか、ありえない。
机上で計算するのなら、それは鉄壁で厳守するはず。でなければ設問自体が崩壊する。
 
人間同士のやり取りは、その点がむつかしい。答えが出せない、ということがある。
 
あり得る。
 
 
竜が最後の答えを携えて戻る前に、この骨が砕け滅びたなら。
全てが台無しになり、この国の地図と海図はまた正確なものに戻る。
国土地理院やその他のマッパー業界のことなど知ったことではないが。
 
 
”ああああわあああああわああああああ!”
 
なれど、後先勘定考えぬ、その激興は。
 
 
水上右眼を、ミンチにする。
 
 
はずだった。
 
 
その、計算紙そのものを突き破るような、無限ヴェクタの斬撃が、こなければ。