「お客様、終点ですよ」
 
 
声をかけられるまで気づかなかった、ということは、たぶん自分は眠っていたのだろう。
 
 
「・・え、ああ・・・・・」
 
生返事をする。もとより身体に伝わるガタコトの揺れなどはない列車であるが、前に進んでいるかどうかは分かる。もう、どれくらいこの列車に乗っているのだろう・・・・それが、終点だと告げられたということは、乗っていた、という過去形になるわけだが。
 
 
「お望みの終点、光馬天使駅です。長い間のご利用ありがとうございました。お客様のご都合に反して遅延しての到着になりましたこと、乗員を代表して、お詫び申し上げます」
 
 
「・・・あ、いや、それはいいわ・・・・それは、いいから・・・」
 
どうも頭がはっきりしない。
黒犬の仮面を被った監督官に丁寧に頭を下げられても・・・・・なんて名前だったのか思い出せない・・・・
 
・・・はて・・・・この列車に監督官が乗り込んできた経緯は覚えている・・・・
 
・・確か、なまえもない、処女走行ですらない時の最終テスト前の、超無理矢理な客による超強引な駆け込み乗車による、超無茶苦茶な縦横無尽傍若無人な走りっぷりにより、銀鉄本社から監督官の同乗が決定された・・・・・・
 
・・・・・かなり不名誉なことらしいが、運転手たちは平然としていた・・・
 
それで、この監督官の名前は・・・・・そう、Z・O・E2世・・・かなりの名家の出らしいがそれはまあ、どうでもいい・・・
 
 
光馬天使駅・・・・・それは、なんだったか・・・・
 
 
そこにいくために、自分はこの列車に乗っているのだから、その場所をよく知っているはずなのに・・・・聞いてもぴんとこないし、終点だというのにどうも感慨がない。
 
とうとう辿り着いた、という喜びとか。それとひきかえにした一抹の欠落感とか・・・
 
よほど深く眠りこけていたのだろう・・・・
 
 
 
車窓の外を見ると・・・・翡翠のかけらと琥珀のかけらが空を舞っている・・・・・雲海に浮かぶ島・・・・・寂しい島だ、と思った。きれいでは、あるが。名残雪のように。
 
 
誰かの出迎えがあるわけではない。「ようこそ!・・・・・様!光馬天使駅へ!」などという幟旗もない。・・・・・・はて?今、なにか重要なことを忘れていたような取りこぼしていたような。
 
 
「お客様・・・お降りの際は左手の乗降口をご利用下さい」
 
 
席から立ち上がろうともしない自分に急いたわけでもないようだが、あくまで丁寧に監督官Z・O・E2世は促してきた。どうせ他に客もいないせいもあろうが。
 
 
そうだ、終点に到着したからには、目的地に着いたからには、列車から降りねばならない。
 
当然の理だ。なにを自分はのんびりしているのだろう。ここに着いて小さいけれど大きな一歩を印すのが目的ではない。ここにいるはずの誰かと・・・・・誰かを・・・・・誰か・・・・・
 
 
「お忘れ物のございませんように・・・・・・お降りの際にはお足元に気をつけて・・・」
 
 
誰か・・・・・・・?
 
 
忘れているのは、名前。・・・・・・などと、いえるわけはない。探しようもない。
 
 
思い出せないが、席は立つ。この終点の地で見えることだけは、確かなのだから。
 
そのうち、思い出すだろう・・・・・たぶん。どうも居眠りしすぎたようだ。緊張感が足りなすぎる。
 
 
列車から、降りる。
これも、ずいぶんと長い付き合いであったような・・・・・ここでようやく、胸に疼くような感触があった。眠気がようやく覚めてきたのか・・・・・苦味が先に立つそれはけっして心地よいばかりのものではないが。
それでも、この銀鉄「・・・・・」とは・・・・
 
・・・あれ?
 
まただ。この列車の名も、ど忘れしてしまっている。ここまでくれば眠気の残りだけではなく何かほかの原因を考えてみなくてはなるまい。若年性健忘症か。忘れるはずがない。忘れるはずがないのだ。
なにせ、この列車の名は・・・・・・自分の”一部分”からつけられている
 
・・・・・はず。
 
そのはずだからだ。
 
 
それなのに。・・・・・・・・思い出せない。自分でつけた名前まで思い出せないというのは・・・・これは、かなり深刻だ。誰かに相談した方がいいかもしれない。
でも誰に?
 
 
 
どかっ
 
考え立ち止まっていたところを後ろから突き飛ばされた!!。
 
完全に予想外の衝撃であったので受け身もとれずにデコから着地するはめになった。柔らかい草地であったからいいものの。
「なにすんのよ!!」怒鳴りながら振り返るが、ここに降りる乗客など自分一人であることに気づきもする。ここに生息するいたずら好きなサルっぽい生き物かなにかか?と自問したところで
 
 
「我輩の直進の邪魔なのである。小娘」
 
答えがかえってきた。なぜか列車から降りてきたZ・O・E二世であった。サルではなく黒犬だった。降りたとたんにいきなり傲岸不遜な口調になっていた。病気でなければこれが本性なのだろう。
 
「しっし、なのである」
黒い手を振り、自分からよける気は全くないらしいてめえの歩行コースから”のけ”というジェスチャー意思表示。お客どころかそこいらの野良ザルあつかい。
 
「なによそれ!?どこのリハビリ中のおじいちゃんよアンタ!!」
降りたあとも慇懃に接してくれ、たあ言わないが、突き倒してそれはないだろう。しかも一人称が我輩ってどこの御歳二十万才以上の悪魔元帥閣下なのだ。
 
 
「そこをどくのである。不必要な迂回はこれから向う調査時間の無駄なのである。列車から降りればただの小娘。どかぬなら、そこまま除いていくのである・・・・・これは、宇宙の選択なのである」
 
上から目線もたいがいにせーよ、と言いたくなるが、これが宇宙となると、上も下も右も左もなくなるわけで。こんなのにまともに相手して怒り出すのも大人げない気もする・・・・・
 
 
「イヤよ」
 
が、自分はまだ子供だからいいのだ。年齢的に。気概的にもこれは放り捨ててはならない問題だと血と魂が言っている。
 
「これは宇宙の選択なのである。ここで選択を間違えれば、それはバッドエンド突入、心臓をえぐられてその罪科を計られて無明の闇底に横たわるはめになるのである。我輩はZ・O・E二世・・・・・小娘にも老人にもなんの遠慮もしないのである。銀鉄監督官たる我輩の時間を削るということは、天の砂時計を逆さにするほどの大罪なのである」
 
 
「イヤなもんはイヤなの。アンタこそ迂回しなさいよ」
 
別に人がひとりとおるだけで精一杯の裏町の裏通りというわけではない。島とはいえ、争うのがあほらしくなるほどに土地はひろがっている。草地に風は渡っている。見せない線路があってそこを通らなければ「負け」というルールを勝手に今作っているだけのこと。
 
愚かと言えば、愚か極まるが。小学生かといえば、小学生極まるが。頂点の究極小学生の座を争ってみても仕方がない・・・・はず。
 
 
ほんのわずか、譲り合いさえすれば。
 
 
我慢すれば。人の世に和と友愛を。
 
さすれば、
人はついに小学生を卒業するであろう。分かち合う心、という無限のパンを手にすることになる。弥勒の留年救済措置を待つことなく。
 
 
しかし、
 
そんなささいなぶつかり合いから生まれる理解もある。
 
 
 
 
 
「・・・はぁはぁ・・・・・・なかなか、小娘のくせに・・・やるものなのである」
 
「・・・はぁはぁ・・・・・・あ、アンタも・・・・・仮面なんかかぶってるくせに」
 
 
環境的には、真っ赤な夕日が仰向けに倒れる二人を照らしてその相互理解を祝福するようなことはなかったが、確かに、二人の間には無形のキズナが結ばれていた。このまましばらく黙って真っ赤な夕日を見ていたい気分であったが・・・・イメージ上ではとにかく、実際にはそんなものはないので、口をひらいて会話することになる。
 
まずは気づいたことを。
 
 
「・・・・なんか、列車がこっちにあいさつもなく、いっちゃってるんだけど・・・・いや、なんかあったかもしれないけど・・・・ぜんぜん意識いってなかったから」
 
 
「ほっとけばいいのである。久々にいい気分なのである・・・・我輩に挑む輩など久々」
 
 
「・・・・そう・・・・・ほっといて解決する問題だったら・・・・・いいんだけど」
 
 
「・・・・・・そういえば、今の時間は・・・・・・・・・・・・・・・・うーむ・・・またしても・・・これはちと楽しさのあまり没頭しすぎたやもしれぬ・・・・・調査時間と次の迎えの到着時間を考えると・・・・・」
 
 
「はぁ・・・・・・ばっかじゃないの・・・・・・あたしたち」
「まあ、そうであるな・・・・」
 
二人そろって跳ね起きた。「どつかれたおかげで、目もようやく覚めてきた・・・」
「・・・・あれで力が十全ではなかったであると?デタラメな小娘なのである」
 
「デタラメで悪かったわね・・・でも上には上がいるから。アタシなんかそれに比べればかわいいもんだと思うけどね。それから、小娘ってのやめてくれる?こっちが小娘ならそっちは古犬ってことになるけど」
 
 
「・・・そうであるが、やめておこう。我輩が名を唱えるにはまだ若すぎるのである」
 
 
「?・・・まあいいや。なんか頑黒アタマ修正するのに時間かかりそうだしそんなヒマないし・・・・目的地は一緒なんでしょ?どうせ調査っても地質調査やらの学術調査じゃない」
 
「硬いだけではなく回転も速い頭で助かるのである。そう、このような奇しの地であるが我輩が調査すべき場所はひとつしかない。かつて光馬天主堂と呼ばれていた場所である」
 
 
「光馬天主堂・・・・・・・・」
 
 
「すでに廃墟ともいえぬほどに破壊しつくされているのであるが・・・・乗るがいいのである」
そう言ってオンブの受け入れ体勢になるZ・O・E二世。
 
「・・・・・なんで?」
体力の回復速度は確かに段違いのようだが・・・・さっさと先にいけばよかろうに。
 
 
「名を呼べぬ代償とでも思うのである。・・・ふっ、時間と書いて、”とき”と読む」
 
 
「それって・・・・強敵と書いて、”とも”と読む、とかいうアレ・・・・?もしか」
 
「断じて否!!である!ただ、それが惜しい、というだけの話である!言い間違えなどでは断じてないのである!!」
 
 
「それだと順接になってないような気もするけど・・・・・まあ、乗れっていうなら」
目的地を知っているのなら話も早いし、ここでてめえからオンブしといて歩くより遅かった、とかいう醜態もないだろう。こういう時は、飛ぶように早い、というのが定番なのだ。
 
 
 
早いことは早かった。
 
向かう風を感じなかったから疾走したわけでもないようで、周囲の景色を感じるひまもなく、いつの間にか足下に開通していた地底リニア貨物でシュート運送されていました、という感じであった。ピラミッドのある国のジャッカル頭の番人がやたらに足が速かったという神話を思い出したりする。
 
 
 
 
雲海を望む岬に、それはあった。
 
 
光馬天主堂・・・・・看板が出ているわけでもなく、天主堂、という言葉が与える神聖な宗教施設の建築イメージを頼りに想像を働かせてみるが・・・・・それらしいものは影もない。
 
 
あるのは・・・・・
 
 
内部を囲う機能を無くした、ギザ山なりの尖った形をとっている面のみの壁、壁というよりもはや残骸といった方が正しい。ガラス窓をかろうじて残しているだけの。
 
 
ありし時の、内部と外部を教えるためだけに、それが役目であろうはずもないが、二つの長椅子が破壊現場にしがみつくようにして、残っていた。それ以外は。花の一輪もない。
 
 
その惨状に目を背け、振り返っても・・・・・
 
 
周囲一帯も破壊されきっている。
 
 
どういうことをすればこういうことになるのか・・・・
 
隕石ゲリラ泥沼もしくは、流星百日豪雨とでもいうのか、クレーターの上にまたクレーターができて、そのまたクレーターの繰り返し、のようなうまいことそれがいったところはかえって、ツルンっとしているが、うまくいかなったところは人面のようになっており、苦痛であるならまだしもうれしそうな顔に見えるのが非常に不気味であった。祈りの場において額ずくのみならず自分の全身をフライング気味に投げ出してボディープレスしてその心を顕す、という荒行があるが、それを信心深くなおかつ凝り性の鉄甲巨人がやったような。冗談抜きで草の一本も生えていない。顕微鏡でのぞいても微生物も生き残っていないのではあるまいか・・・・・黙示録の洗濯板というか、地獄の祈祷場所というか、苦行の果地というか、とてもこんなところを踏破できる自信はない。このエジプト風黒犬仮面に連れてきてもらって正解だった。
 
 
周囲のこの有様からすると、一面だけとはいえ、壁が残って所在が知れた天主堂は幸運な部類なのかもしれない。しかしながら・・・・そこに、人の影はない。己がここまで来た理由になる者たちはいない。いるわけがない。
 
 
 
ここで、足下もふらつかない、貧血もおこしたりしない自分は、冷静だろうか。
 
 
何しにきたのだ?自分はここに。
 
 
とっくにカタがついてしまっている。見れば分かるだろう。
 
 
間に合わなかった。遅すぎたのだ。何をいまさらのこのこと。
 
 
”遅延証明に意味など無かった”。
 
 
それを思い知るために、ここまで来た。
 
 
「ああ・・・・・・」
 
 
”そんなことに意味はないのだと、確信を得るために。”
 
 
 
残骸の窓をのぞき込んでも、そこに見えるのは己の瞳。
 
 
夜の雲のようだと、何色とも言い難いあえて言うならそうなのだ、と言われた
 
 
双眸が。己自身を観測する。