この淀み具合は、蓮の花さえ咲かないな、と洞木コダマは思った。
 
 
何も変わらないし何も動かない。綾波レイの言いつけを破って鈴原トウジを連れて本部の前まで戻ってきたわけだが、今度は立ち塞がる赤い目たちもいなければ一変した状況に忙しく出入りする職員たちもいない。普段通りの特務機関ネルフ。濁った闇が吹きだまっているようなゲートは、好奇心などではとても、近寄る気すら起こさせない。再びお天道様を拝めぬ覚悟を決めた者だけがようやく足を動かせるほど。濃密な悪意、殺気がゲートの向こうに立ちこめているのを素人でも感じる。
 
 
ル課の連中が戻ってきているのかも知れない・・・・・しばらく西の方に派遣されていたヘルメ部長子飼いの不気味な連中・・・公平に表現すれば、攻性の部隊ということになるのだろうが・・・・足跡が匂うな・・・・虚ろな目でそんなことを考える洞木コダマ。
 
 
事前に調べはついていたが、やはり綾波レイによる制止はなかった。
 
それどころではないのだろう。八号機が到着し、それと関連した何かの作業が行われていたが司令からの急な中止命令・・・・・・雲の上というか闇の底というか・・・どういうやり取りの結果、そういうことになったのか諜報三課では追い切れなかった。どうでもえーじゃんと、と手を抜いたわけでもなく、本部内の何者もその意図が分からなかった。強引にその作業を推し進めようとしていた綾波レイですら、おそらく。その後、三課ではファーストチルドレンをロスト。少なくとも本部内にはいないようだが、どこに行ったのか不明、ときている。パイロットの警護専門の三課の面子からするとまあ、きついものがあるが、護衛は自前で強力なのをつけているのだから心配することもないだろう。
それより重要なのは、綾波レイの一団が本部におらず、実力でこちらが本部に戻ることを阻止される心配がないことと・・・・・
 
妹のヒカリたちの意識が未だ目覚めず、まったくの変化無し、ということだろう。
 
時間制限を設けたわけではないが、こういうことは即座にやってもらわないと意味がない。
向こうが契約執行できなかったのだから、こちらが自由に動いても文句のいわれようはない。信用はしているので破棄までには至らないが・・・・・事実、どうにかできるとしたらそれは綾波レイ唯1人だろう。この状況でヒカリを眠らせておくメリットは何一つ無い。それとも、この事象発生の現場にいた、怪しさ400%突破のフィフス、火織ナギサを締め上げてやればいいのか。・・・・こいつは今、本部内の一室にいるのが確認されている。
 
 
それにしても・・・・・・
 
 
エヴァ八号機とその正統なるパイロット、フィフスチルドレン、火織ナギサが本部入りしたというのに・・・・・どうしてこう、空気が変わらないのだろうか・・・・・
活気のようなものが全く感じられない。ネルフはエヴァの揺りかごのようなところがある。そこにはいるべき者がやってきたのだ。もう少しこう、元気出しても罰はあたらないのではあるまいか。これがデフォルトだと思っている者には違和感の感じようがなかろうが。
 
 
「あの、コダマはん。早う中に入ってしまわんと、また追い返されると違いますか」
 
 
入場ゲートの前まですいすい来ておきながらそこで立ち止まって向こうの闇を睨みつけているような洞木コダマに鈴原トウジが袖引くように声をかける。ゲートにこびりついた死臭の残り香が分からぬはずもなかろうが、ここでビビって出戻ろうと言わない意気やよし、綾波アタックを警戒するその用心深さもよし、としながらも洞木コダマは首をふる。
 
「ただ中に入るだけでは意味がない。参号機のケージまでいくのが目的なのだから」
綾波レイの手の者に認証カードをオジャンにされはしたが、鈴原トウジはともかく、自分は別に昨日今日勤め始めたわけではない。抜け道も知っているし課長あたりにゲスト認証してもらえば当座の用は済む。が、本部の食堂でメシを食うわけではない、現在、厳重に封鎖されている参号機のケージまで行き、彼の機体に対面させてやるのが目的なのだ。
「もうしばらく待ってくれ。段取りは整えてある」
 
とりあえず、山吹、つまりヒカリ一色になってしまった参号機に白黒、いやさ黄黒つけさせる。今後も鈴原トウジが参号機に乗って動かせるのか、それを参号機は認めるのかどうか・・・・・技術部の人間が聞けば笑うか怒り出すかするところだろうが、やらねばならぬ。あの猫の言うことを信じるならば。ノゾミの通訳を信じるならば。
 
 
それで、鈴原君が参号機に拒絶、だめ出しをくらったなら・・・・・・
 
 
滝切りが出来ても参号機は特に彼を認めるわけではないらしいし・・・・・
 
 
もとよりそこまで課長代理の権限でいける空間ではない。おまけにそんなことは技術部の領分であり、課長代理ごときが立ち入る領域ではない。それは百も承知だがやらねばならない。このままでは彼は生け贄の英雄にすらなれない。それはあまりに酷すぎる。
 
参号機が騙されていたことに気付き拒絶するなら、はっきりとしたシルシをつけるはず。
武人というならそうしたものだ。いかなる存在にも従属せぬ武人なら、いうまでもない。
 
まずはそれを決着させねば。これから動きようがない。これから彼がゆくのはムダな仕込みは一切せぬ必殺コース。道ですらないただの崖である。枝葉を育てる時間はない。そこから技の根を掴み取っていってもらう。要するに、もはや他人と競争できない身体になってもらう。手を出すときは常に必殺。その手には槍、その足には剣を生やしてもらう。唾すらも手裏剣な身体に。
目に入るもの手にとれるもの、全てを己の武装とする心を宿してもらう。
 
それだけに彼が参号機に必要とされなければ、教えることもできない。
知らなければこんな技など知らない方がよい。どんなに禊ごうと消えることのない闇の技術。
 
 
なにはともあれ、ケージに行き参号機に対面することだ。認められない可能性の方がかなり大きいが。八号機も到着したのだし、無理して戦う力のない資格のない素人二人を使うこともないだろう・・・
 
それでも使うというのなら・・・・・・誰かが諫めねばならぬのなら・・・・・・
 
自分は、秘術を尽くして、あの赤い瞳の者たちを、斃そう。
 
 
それを考えると、このゲートは、彼にとっても、自分にとっても、分岐点なのだ。
運命などと、いいたくはないが。形容詞をつけるとしたら、あまり思い浮かばない。
 
 
「お待たせした、だーるね」
 
 
そして、ゲートの向こうから南国の風のような、天国に3番目くらいに近い島の唄のような大らかな気持ちのする声が、吹いた。待ち人、来たれり。
不思議なことに、それだけでその一声で、吹き溜まっていた闇の残滓がどっかいった。
 
 

 
 
 
後継者でなければ、さすがについていけないところだ・・・・・・
 
 
ツムリと工鉄をのぞく綾波者たちは異常なセンスで彩られた廃工場内部でそろってそんなことを思った。五十をくだらぬ熊手が朽ちた星座のように配置されて、錆びたパイプから吊される自殺体のような剣玉の群れ、足の踏み場くらいは残されているが床面を斑にそめた転がる大量オレンジ・・・・・あり合わせの魔法陣でもなく異常心理の殺人者の根城でもなく、彼らの後継者をこんなところに呼んだのは、ネルフの発令所勤務のオペレータ職種にある若い女・・・・・「大井サツキ」・・・・・通常の制服ではなく艶消しの黒で覆った工作鎧着の格好で疲れた表情で片手でノート端末を開いている。こういった演出を望んでしたわけではない、と顔に書いてあるが、実行したのは彼女だろう。本来業務を放置して、こんな誰に知られるわけでもない、フリーダムもまたぎそうなところでなにをしているのか、これからなにをしようというのか・・・・・
 
 
さすがに、綾波者にしてハードワークであった。赤い瞳の長い一日。
 
鍛え抜かれた虎平太や鍵奈でさえ疲労を感じる。チンやピラはいますぐに休憩入りたそうな顔を隠さない。
その中で、後継者のそばにいれさえすれば機嫌のいいツムリと頭が工場な工鉄を左右に従えて綾波レイは冷然として呼び出した女を見つめている。内心は煮えたぎっているのだが、それを氷の表情で完璧にコーティングして表に出さない。強さというのか意固地というのか・・・ともあれ、あの異形のロンギヌシュを仕舞っていた、秘匿保管庫から撤退したものの「眼(ガン)の飛ばし合いで後継者サンが負けるとはなー」などと不用意に言ったチンがあとでツムリにボコボコにされたりした・・・予定が強制的に変更され、多大な犠牲を払っていささか望まぬかたちであったがこの地にて守護していた、とすくなからず内心自負していたであろう「槍」にあのような態度をされてブチ切れても不思議ではなかった。
 
実際のところ、長い休眠を破って火山がいまにも噴火するような不気味な沈黙があった。
 
綾波の血脈の主流の中の大主流、その血筋に宿り数々の献能を受けた十四のセイフティしか配置されていない異能の暴発・・・・・それがどれほどの影響被害を、周囲にもむろん当人にも、与えるのか見当もつかない。まずそれが向けられるとしたらお守り役の自分たちであろうから・・・・銀橋などはかなり戦慄したのだが、なんとか抑え込めたのは、当人の精神力もあろうが、天のタイミングで届いた一通の電子メール。いろいろと小細工されたそれは
 
 
題名*この次の使徒戦の作戦について相談
 
 
とあり、送信者は「エッカ・チャチャボール(中継者・大井サツキ)」とあった。
 
 
次の作戦指揮を部長連がひとり、現在進行形でどこかの戦場で作戦指揮をとり無敗の負け知らず、エッカ・チャチャボールが執り、もし勝てば座目楽シュノがそのトップ、首脳の座に就任し混迷を極める多数指揮官体制に終わりを告げる、ということになっとるのだが・・・・・勝ちを収めたエッカ自身がトップにおさまるわけではない、というのが現在の体制の混迷ぶりがよく分かる。逆に言えば、なんでこんな風になるのかさっぱり分からない。これがこの都市の組織の流儀であるのか・・・・そういうわけではないようだが。
 
 
ともあれ、このように次の作戦の指揮者に銘打たれて呼ばれれば向かわぬわけにもいかない。しかも内々の話であるのは指定された場所が本部の外の、土地勘のある者でも探しにくいであろう無人エリアの廃工場ということで知れる。作戦部長連はあのナリであるから行動がえらく不自由で、本部内であれば他の者たちまで強制的に連れてくる、ということになる。こうやって中継者を介してまで話すべきこと・・・・・それは題名はそれでも、その実、次の使徒戦の作戦行動の話では”ない”、ということになろう・・・・
 
 
肉体労働をした後に、こういった脳をひねらねばならぬよーな事態にヤング綾波者たちは慣れておらず、後継者綾波レイのサポート、助言などは銀橋の専任とならざるを得ない。
内心、まだ煮えたぎるハートが静まってはいないのが分かるだけに苦労な仕事であった。
 
 
自分たちも疲れているが、待っていた女もまた疲れている・・・・・
 
怒りのパワーで元気なのは綾波レイ唯1人、ということになる・・・・
 
 
「こんなところに呼んでしまってごめんなさい・・・・・・でも、エッカがどうしても他の部長さんたちに気付かれずに話をしたいっていうから・・・・あ、でも、リアルタイムにできるわけじゃなくて、言伝を預かっているだけなんだけど・・・・・」
 
口調がオペレータのわりには散漫な感じがするのは疲労のゆえか、不安のためか。
 
役割面についての話はついているのだから作戦指示についてならば堂々と本部でやればいいことであるし、双方向のやり取りならば部長連の機能制限からしてそうするしかない。密談とはいうのはありえない。綾波レイもそれは承知でここにきた。
 
次の作戦指揮が誰でどういう指揮をとろうとあまり興味はない。やれることはあまりにも限られている。参号機があの調子で八号機も事前待機事後処理にしか使われない、というのなら、零号機での魔弾、左足からの激痛逆流で頭がカチ割られようと、引き金を引くくらいの起動時間なら耐えられる、耐えてみせる・・・・・・それしかない。
 
あまり詳細な作戦プランを頑張ってつくってこられても困るだけ。こなす体力などもうないのだから。シンクロ率もどれくらい稼げるのか・・・・万が一、肉弾戦に持ち込まれたら・・・押し相撲などとてもやれたものではない・・・絶対領域を切り裂ける零鳳も初凰もない今・・・少々の小細工でどうにもならない。犯され噛み砕かれるしかあるまい。
ヘタに作戦がどうこう、という話ならすぐに帰ろう、と思っていた。
共の者たちにも今日はかなり無理を、それもムダな無理をさせてしまったから・・・・
 
 
あの・・・・・・・・・・・・・・・豚チョキ
 
 
ビキ。怒りがこみあげる。視界が一瞬真紅に染まり、喉元まで怒号がせりあがってくるが、かろうじて抑える。悲しくなるかとおもったが、そんなことはない。全然ない。
 
あそこで何が起こったのか・・・・・・想像がついてしまう自分に腹が立つ。
 
あの壁面に血文字、体液文字で記された落書き・・・・・・何語なのかまでは分からないが、彼らル氏の用いる言語に関連することは間違いない。そして、その内容・・・・・・おそらく、ル氏の長にして現体制のネルフ司令・ル・ベルゼにとって何か都合の悪いこと・・過去に犯した犯罪の告発なんぞというなまやさしいものではない・・・・ああいう術師にとって知識や秘密は生命に等しい。弱点、といいかえた方がよいか。
そうでなければああも慌てて消すことはない。
 
 
つまりは、脅迫。
 
 
ル・ベルゼを脅して、こちらの作業を強制中止させた。そこまでしてこちらの妨害を、邪魔をされた・・・・・他のなにものにでもない、ロンギヌスの槍に。初号機の左手に。
歴とした抗議。決意への嘲笑。この屈辱は筆舌に尽くしがたい。許されるなら両肩を自分の爪で裂いて悶えながら転がっていたい。自分一人の情念に溺れていて、いいのなら、共の者たちを置き捨て幽霊マンモス団地に戻り、自分の一室でそうしていた。果てるまで。・・・・もはや
 
 
逃げ出したくなった。
 
 
が、洞木ヒカリたち三人が目覚めていない。約束を果たさず、逃げるわけにはいかなかった。共の者の赤い瞳の前で、そんな不様をさらすわけにもいかなかった。
ここに来たのも、腹の底で渦巻く溶岩蛇のような情念を冷ますため、というのが理由の大半で、ほんとうに内密の作戦指示を受け取る気など、髪の毛一本分くらいしかなかった。少なくとも、本部にいたくなかったのだ。頭と心が完全に冷え切るまで。
そんなことに付き合わされる彼らこそいい迷惑であろうけど。
彼らの同行がなければ、たぶん、ここへはこれなかった。これは見栄かこれが勇気か。
 
ともあれ、大井サツキに向かい立つ。
 
 
「ことづて・・・・・・」
 
作戦指示書のことだろう、と思いながらノート端末を受け取った綾波レイは
 
 
「!?」
そこに書かれた内容に愕然とする。こんなことを言われるとは思ってもいなかった。
これを中継し運んできた大井サツキに目をやる。魔法など信じていないのに借金のカタに魔女の弟子入りさせられてコキ使われている狭間の女のような表情をして肩をすくめる。信じる信じないはご自由に、アズ・ユー・ライク。信じすぎにご注意しましょう。
そのように投げやりな皮肉顔になっても似合いそうな露西亜系であるのに、目には真剣な光がある。なんとかこの無理を信じてやってくれないか、と。信じられないだろうけど。
 
 
 
:もうすこしハイビスカス色を増した方がいいと思うほんまもんの蒼いルビーの綾波レイへ
 
 
八号機とフィフスの餌付け失敗ごくろうさん。あんなもん、やめといて正解だったと思うち。たまにはあの司令もまともなことをするもんやち。さて、こっちも発電所を落とす手前で忙しいんで手短に用件だけいうとくけど、次の使徒との戦闘で聞いときたいことがあるち。というか、ひとつ選んでほしいことがあるんち。
 
 
1,次に戦う使徒の”作動不良”を起こしてほしいか、それとも
 
2,エフェソスの廻乱動作を塗り戻し、つまりリセットやち、洞木ヒカリ、相田ケンスケ、山岸マユミ、あの三人の子を”起こして”ほしいか、
 
 
どっちか、ふたつにひとつ、えらんでほしいち。
 
 
これを見たら出来るだけ早く決めてサツキはんに伝えてほしいち。使徒の動作不良の方だったらこのままの”色合い(パランス)”でいけるけど、子供起こす方やと、またサツキはんにやり直して並びかえてもらわんといけんから早い方がいいち。それから、うちが今夜の突撃で流れ弾に当たって死んでもうたらどっちもかなえてあげられんけど、それはかんべんしてくれち。ほれじゃ。
 
 
:碇ゲンドウとあんたが一時期いっしょうけんめい探しても見つけられんかった色の境界・ペルガモのメジュ・ギペールより
 
 

 
 
 
何でこの時期にこういう人間がいるのか、洞木コダマにもよく分からない。
 
 
以前よりも遙かにあちこちの行き来がしにくくなった現ネルフ本部内にて、副司令よりも(もとより本体が来日すらしていない蠅司令は除外)自在に施設内をうろつき回れるという不可思議な噂の主、赤野明ナカノ。所属は整備でありながら新体制以降の、たいした位階ももたぬ新人であるはずなのだが、しかも赤ん坊背負ってあちこち平気で、噂によると副司令の執務室にまで入り込んで子供連れの許可をもらったとかなんとか・・・・。
 
 
滅茶苦茶あやしい。普通に考えるとしたら、蠅司令の直属の手の者、ということになろうが、まとうオーラがあまりにも違いすぎる。上司部下の関係にはまあ、なれまい。
 
それに、仕事としては大層なことをしているわけではない。整備の基礎といおうか・・・機密を造り出すサイドに属するわけでもなく、ただあちこち掃除してまわっているような・・・泥沼に新鮮な空気を送ろうとする働くパイプ役というか、赤ん坊連れに賛否両論あるが、不潔が清潔になるのは皆が歓迎するところであるし息が詰まりそうなのはどのセクションも同じなので、VIPというとそうではないが、癒し系、でもない(その腕っぷしの強さは鳴り響いている)、かといってガラガラ声で小難しいことをわめくいてアジる維新系、でもない、新命系、とでもいうのか、腐食していく組織の中、独自独特な立場を保っていた。赤野明ナカノ。
 
 
話には聞いていたが、直接、口をきいたことはない。好ましい存在であろうと正体不明なのは確かで、本部内で諜報課員として会えば、双方気疲れするだけで利益はないだろう。
 
 
だが、頼るとしたら彼女しかいない。これは諜報員としての読みではない、危機と対峙した時に閃く武術者のカンである。こうするほか、生き延びる道はない、という。
閃いて迷うことをしたことはない洞木コダマである。そんなことをすれば敗れ死ぬ。
長らくそんな世界に身を置き、染まりきっている。閃いた途端、すぐに身体が動いて気付けば彼女の前に立ち、頭を下げていたのだから我ながらすごいと思う。
 
 
「鈴原君を、エヴァ参号機に会わせてください。お願いします」
 
 
しかし、当然、整備関連には綾波レイによるお達しがいっているはずで、参号機と鈴原トウジを対面させよ、という要求に応じてくれるか、勝算は低かった。どっちの言い分をとるか、選べといわれればそりゃ綾波レイをとるだろう。実績も当然、こちらは作戦部ですらない。でしゃばるな、と一蹴されても文句はいえない。が、機会は今しかない。
死命を分ける選択とはそうしたもので、時間制限がつきものである。過ぎれば破れる。
 
しかし、口でもってだまくらせるほど自分も弁のたつ方じゃないしな・・・・・
 
何かと困ると腕力で解決する、というのは誤ったハードボイルド観であろうとは思うが
 
現在、自分のもっているカードはかなり強力だと、認識している。
子供に通訳猫に教わり使徒殺し・・・・どこのローカル花札コンボだと突っ込まれても。
自分のもっているカードの有効性をそもそも相手が理解してくれなければ意味がない。
オープンし交換する値打ちを認めてくれなければ・・・・・・
 
拳を出すか、カードを出すか、迷ってはいけないのだが子供を背負ったその母親の笑顔を見るに迷った自分に
 
 
「案内する、だーるね」
 
 
差しだされたのは、あっけないほどの簡潔な承諾。まるで、待っていた、といわんばかり。
いや、まだ用件しか切り出していないんですが。その切実性とか説明まだだけどいいんですか、と危うく言いそうになった。
 
 
「準備するから、すぐ、連れてくる、だーるね」
「あ、はい」
ここまでくると、ちょろいちょろい、と内心で快哉が出てもおかしくないのだが、そんなことは全くなく、ひたすら掌で転がされているような・・・そのまま懲罰房に叩き込まれるんじゃないかと暗い予感がもたげてくるのだが、それも赤野明ナカノの穏やかな笑みをみるとあっさり霧散する。子供扱いだな・・・と苦笑する女子高生課長代理であった。
 
 
 
迎えに来て自分たちを参号機ケージに先頭に立って案内する背中(さすがに赤ん坊はどこか置いてきたらしい)を見ながら洞木コダマはそんなことを考えていた。
 
 
隣にいる鈴原トウジはかなり緊張しているようだ・・・。まあ、虎の穴どころか虎の口に頭つっこむようなものだから無理もないが。
出来れば、ヒカリたちの様子もこの目で確認させてもらいたかったが、あまり無理もいえない。これだけでも過分なことなのだ。綾波レイもいつ戻ってくるか知れたものではない。
 
 
すいすいといくつもの認証ゲートを抜けて参号機ケージへ進む。
 
問答無用で器機を黙らせる赤野明ナカノの所有するIDの強力さがよく分かる。
連れの者、つまり自分たちの認証もおかまいなし通過記録禁止、とするレベル・・・・部長権限でもそこまでやれるか・・・司令、副司令レベル・・・ある種のセキュリティホールならとっくに修正されているはずであるし、あの三角三体のホログラムの浮いた真紅のカード・・・確かに彼女に橋渡しを頼んだのはビンゴ中のビンゴであったわけだが・・・あれは・・・・
 
 
「ほんとにいい、だーるね?」
ケージの作業者専用通路口まで辿り着き、そこで初めて赤野明ナカノは振り向き、鈴原トウジを見て問うた。その視線はうってかわって鋭い。何を今更、という内心をトドメさす銛のごとく突き刺す。
 
 
「入って、出てこれる保証はない、だーるね。そっちのねーねーも手出し無用、だーるね」
 
分かっている。当然、そんなことは。しかし、ほんとうにそうだっただろうか。
波の数を数えながら、ふとその数が分からなくなるように、覚悟が、揺れた。
自分の危機回避の天閃に従ってここにきたが、それは自分の危機であり鈴原トウジの危機ではない。己の立場からすれば正解でも、彼の力量を計りきって彼の立場を知り尽くして考えるにそれは否、ということになりはしないか。これから、何が起きるか自分には予想すら出来ないのだ。そういえば、猫明暗もずいぶんと物騒な口をきいていたが・・・・ノゾミの通訳を通してあれがハッタリなどではないとしたら・・・・・鈴原君、君は
 
 
「ええです。ワシは退けんのです」
 
鈴原トウジは一歩前に出て、はっきり答えた。これが彼の意思表示であり決断。
ここからは己一人の器量でなんとかしますで、と黒いジャージが語っている。
この地の底では保護されるどころか、いいように小突かれ振り回されるしかない、発言力も一ケタくらい、鉄砲玉以下の小僧であっても、胸を張って見せるべき色がある。
 
「若人のその度胸や、よし、だーるね。甘えが抜けないミサトに聞かせてやりたい、だーるね。さて」
 
 
赤野明ナカノはカードを通し扉を開いた。入って、出てこれる保証がない・・・その文句になんの誇張も脅しもなかったことを思い知らせることになる、扉を。