真夜中に起きて 
誰もいなくて
叫びだしたとき
あるでしょう
 
 
闇の中揺れる
影が誰でも
見えない振りして
過ごした
 
 
朝がきて 夢の続きなら
夢じゃなく それが ほんとうなら
 
 
もう 私を
 
呼ぶ 声は消えて
 
 
もう 私から
 
呼ぶこともない これから
 
 
 
「劇団ひまわりミュージカル・秘密の花園」Moorより
 
 
 
 
 
「知らない天井・・・・・・・」
 
 
洞木ヒカリが眼を開けると、そこは見慣れた自分の部屋ではなく、実用性は向上しているのだろうが装飾性に大いにとぼしい、単一目的を果たすだけの非生活者のための空間。
 
 
いわゆる「病室」というやつだった。しかも個室、のわりにはずいぶんとがらんとして広い。・・・ナツミちゃんのところが参個分くらいはいるかしら・・・・ふと、そんな勘定をしてしまうのが主婦センスか。さて、なんで自分はこんなところにいるのか。こんなところにいる、というのは体調が悪かったからに違いなく・・・・・推理というよりは連想に近い流れはクリアで乱れもない、けれど、そこまで行き着いて思考はストップする。
 
 
はて。なんで、自分はこんなところにいるのか
 
 
時刻は夕方。広めの窓のカーテンのスキマから橙の光線が差してきている。冷房は適度に効いている。寝ていたベッドは検査機械を融合させた特殊で高そうでごついタイプ。周りには誰もいない。昼寝から目覚めるにも微妙な時間帯だ。ああ、夕ご飯を作らないといけないのか、それとも・・・・あの山吹色の機体に乗る訓練もしないといけない、か。ひとまず、誰かを呼ぶべきなのか。服装は入院患者用の寝間着であるが、腕に点滴注入、ということもなく、体調は悪くない。それどころか、かなり快調の部類に入る。すう・・・・呼吸をしてみると、以前よりももっと奥まで酸素が届いていくような。
 
 
その明瞭な頭脳をもってしても、なんで、自分はこんなところにいるのか、その問いには答えられない。いや、べつにそんな哲学的な意味ではないので。自分がまともならすぐに答えられる・・・・・つまり、自分はこれからどこにゆけばいいのか、ということだ。
まだそこで寝ていろ、と言われたとしても、自分はもう目覚めてしまった。
 
そうそう、はいそうですか、と眠れるわけもない。
 
自分が入院なんかすれば心配する人たちもいる・・・・・とりあえず、そのことを伝えなければ。自分の目が覚めたことを。ここは森でもなければ、自分も王女さまでも、まー、美女でもないけど、王子様はジャージなんか一般的に着てないだろう・・から、でもまあ。
 
 
夕焼け光線の反射のせいか、それとも乙女の羞恥の故か、ほんのりと頬を染めて洞木ヒカリはそこらにあったナースコールらしいスイッチをぽちっとな、と押してみた。
 
その白いスイッチにはべつになんの注意書きもなかった。
 
危険だとも自爆だとも。ただ白くのっぺりと。作動、オンにするかどうかだけ。
やっぱりやめて、オフ、停止にする機能はなく。押してしまえばもうそれで。
 
 
電気の速さで、命運が走り出す。そんなことは知らず、ただ誰かに来て欲しくて
 
 
洞木ヒカリはそれを押したのだが
 
 
もたらされた現実は、それとは真逆。しばらくして開いた自動扉から現れたのは家族でもなく看護師でもなく友人でもなく黒ジャージの少年でもなく。
 
 
金髪の、白衣姿の妙齢の女性。ネルフの赤木博士。挙措は落ち着いているけれど、その目には溺れる者が藁をも掴むような必死さがある。まるで世界に生き残ったのがこの人と自分だけ、といったような狂気ライン越え一歩手前の菊一文字をぶらさげる瀬戸際の花嫁。抑制はしてくれているのだろうが、なんせものすごいハクリキであり、いきなりそんなものを心の準備もなく浴びせられた洞木ヒカリとしてはたまったものではない。
 
 
だが、なにか一大事であるのは一目瞭然。見栄などはっていられないほどの惨事にあることは分かる。自然、おとしてしまう視線がとらえるのは、迷いを何度も何度も何十も切り裂き続けてようやくここにきたヒールの爪先。どう演技しようと誤魔化しきれない素人。
天才の科学者でも、演技者としてはそうではない。頭の中で数多くのシュミュレーションをこなしても、結局、真実を伝えるしかない己の不器用に怒り震えているような気がした。
 
 
これは直球でくるなあ・・・・・・・・洞木ヒカリの女のカンである。少女ならでは。
 
 
怯えて弱いからこそ感覚器は鋭く冴えて澄まされる。
他を圧倒し省みぬ闇雲な強さは他の人のものでいい。
それが的中することまで予感してしまう自分は確かにコンディションがいいのだろう。
キャッチャーが女房役とはよくいったものだ。どうぞ、素直な直球で。受け止めて震え出すに違いない真実を。目が覚めてしまったからには、聞かねばならない。
 
 
夜の雲が紡ぎ出す残酷の物語を。夜にこそ正体を現すこの都市のお伽話を。
 
 
ページを、めくる。ページを、めくる。ページを、めくる。送り続けてきた。
 
止まることなく、ページをめくり、送り続けてきた。
 
異形の来訪者の名簿を。ここでは、ずっと。いかなる代償を払おうと。
 
この都市が一冊の本であるならば。でも自分のような凡人にはそんなものは見えない。
 
 
だから、口伝のようにして目で問いかける。
 
 
来た、んですか
 
 
そして、金髪の科学者はよけいな挨拶一切無しで、少女に疑問を投げかえす。
 
 
 
「あなた、戦える?」
 
 
と。
 
 
 

 
 
 
使徒が現れたのは鈴原トウジが参号機の頭頂から転げ落ちたのとほぼ同時刻。
 
 
「ここなら、いいわよん。オッケー♪サ・イ・ン」といった来て欲しいタイミングなど使徒相手にあるわけがないが、なんとも微妙なタイミングであった。敵というものは来て欲しくない時に来るものであろう。招かれざる客というものは。顔には出さないが知らせを受けた綾波レイは臍を噛んだ。鈴原トウジが勝手に参号機に接触したことに関していいたいことはあったが、それどころではない。よく喰い殺されなかったものだと、思うしかない。
 
 
ちなみに、今回の使徒は
 
 
牙の風車
 
 
というか、風車羽に牙が生えている、といった簡素なフォルムであり、コアは羽を統べるこれみよがしの中央にある。ちなみに風車は「ふうしゃ」ではなく「かざぐるま」といった方が分かりやすい。オランダあたりで粉ひきや水をくみ上げる煉瓦つくりのあれやだだっぴろい荒野で発電しているあれやらセイルウィング型、パドル型、サポニウス型、S型、ジャイロミル型、ダリウス型、プロペラ型、いろいろあるが、幼稚園の子供が喜んで折り紙で折って棒を差し込んだようなアレである。その子供の夢を裏切るように牙が生えているわけだが。
 
 
それが東の方から風に任したように、ゆるゆるとやってくる。
 
 
来襲した使徒は例の金狼の牙剣をもった人型・(VΛV)リエルではなく、こう言うのもアレだが、使徒名鑑に載っていないタイプの単発使徒、というか、これまで殲滅してきたのと同レベルっぽいのが救いではあった。というか、(VΛV)リエルがケタ違いなのだ。あれクラスでなければ、零号機だけでなんとかできるだろう・・・・綾波レイにはそういう計算がある。裏を返すとあれクラスがほいほい来襲してくるようだともはやどうしようもない。
 
 
もちろん、これは希望であり、いわゆる「捕らぬ狸の皮算用計算」であった。
 
 
いくら百戦錬磨の綾波レイとはいえ一目見ただけで使徒の戦闘レベルが数値化されて分かるわけもない。マギあたりにはぜひ欲しい機能であるが、実現しそうにないし、するとしたら全てが終わったあとであろう。
 
 
かといって「あれじゃないなら勝てるわ。楽勝」などと綾波レイに油断があったわけではない。油断のしようもなく現在の状況はジリ貧であり、零号機も満足に動くか動かせるか、といった調子で、敵が一昔前を思い起こさせるザコレベルであったとしても、こちらが弱体化していれば相対的に強敵となる。向こうがこちらの以前の姿を承知してるのならさぞ疑心暗鬼に陥っていることだろう。その陣容のあまりの変わり具合に。
 
 
なんにせよ、使徒が現れた以上、やることはただ一つ。出来ることは限られておりかえって迷う必要がない。
 
 
いかほどの効果があったのかは洞木ヒカリたちの回復を選択した今となっては分からないが、エッカ・チャチャボールの「動作不良」を起こさせる能力のサポートもなく、手持ちの装備でなんとかやっていくほかなく。鈴原トウジと参号機といちおうまともな生体活動を取り戻した洞木ヒカリたちの様子を見る時間すらなく、ネルフ本部に戻るなりすぐに零号機に搭乗して発進準備。選択武装は「零手観音」とそれに装填される「魔弾」。
 
 
今回の作戦指揮を執るはずのエッカ・チャチャボールもなぜかえらく疲労した声でそれを追認するだけであった。それを伝達する大井サツキも市街を”特殊任務”で駆けずりまわっておりかなり息が荒い。この二人の余裕の無さが綾波レイとの契約と関連することなど知らん発令所スタッフにとっては「あれだけ大口かましておいて、いざとなればこのザマか」と見られるのも仕方がない。
 
使徒殲滅のための特務機関、戦闘機動組織たるネルフ本部にしては、たかがそれだけの準備にかかる時間が、任務としてそれこそ本分、そのための機能集団であるはずなのだが、やはり足並みが揃わない、乱れる、狼狽える。人員が足りないわけでも能力が低くなったわけでもないが、それと整然と連携がとれるかどうかは別問題であり、実際、場数を踏むしかない。先の長距離運搬作業とその後の修復作業でこなしていたせいか、皮肉なことに乗り手のいない参号機の方が整備の動きがいいし、まとまりがある。
 
 
もとよりネルフの制式兵装ではない、「零手観音」なるパレットガンより遙かに弱いはずの異形拳銃と、これまた物理的破壊力になんの説明もされない「魔弾」なる、どう考えても計算しても敵のATフィールドが貫けるわけがない、”てっぽーのたま”で出撃する、という制式マニュアルにない出撃パターンに不慣れな者たちが対応しきれていない。
 
 
これではせっかく造ってもらったエヴァ用松葉杖ではあるが、この状況でそれまで対応させれば出撃がますます遅くなる。どうせ片足では格闘戦はできない。魔弾を一発撃てば終わりなのだから片膝立ちでも十分だ・・・・・そう判断した綾波レイと零号機は、どう見てもこれから使徒を征伐にいく、という感じではなく、死に損ないの負傷兵が病院まで攻め込まれてもはやどうしようもないのでベッドからよろよろと立ち上がり拳銃だけを手にして・・・という悲壮感満点返り討ち率高そうな姿で出陣することになった。
 
 
日向マコトがまとめる発令所のオペレータはなんとか許容範囲内の速度で出撃対応してはくれたが、肝心の己自身のシンクロ度が起動指数ギリギリ。こればかりは誰の責任でもなく誰にもどうしようもないが、非常にやばい。魔弾一発でケリをつける、事情を知らねばこれは使徒相手にハンデつけてやる余裕に映るだろうが、これはシンクロ度との戦いでもありそれゆえの時間制限。選択肢が、これしかないだけ。ポジトロンライフルなどの重武装を扱ったり綾波の特異能力を拡大する体力はない。舞台裏をあばいてみればこんなもので、まあひどい話であるがやるしかない。
 
 
実力未知数ではあるが、専属の操縦者とまっさらの機体、フィフスチルドレンとエヴァ八号機が控えているというのに、それをいの一番に使わない、と言うのがさらにひどい。
これでひどさのケタが繰り上がるが、願いましても、やるほかない。
 
 
これは執念であろう。視野狭窄、狭量といわれようと。あまり冴えた方法でもなかろうと。
綾波レイはたったひとりで。
 
 
出撃し、そして
 
 
 
自滅する。
 
 
 

 
 
 
 
「雪だよ、父さん」
 
庫裏で夕飯につかう大根を洗っていた碇シンジが外にちらつく白いものを見て言った。
 
 
「そうか」
隣で今日釣った魚をさばいていた父親の碇ゲンドウが一言。
 
 
「では、そろそろ来るな」
 
「だろうね。じゃ、スピードアップしようか」
 
「これが止む頃には、着くか」
まな板の魚から視線をあげて色のない素の眼鏡越しに外の白い斑点を数えるように言うが、動きが早まることはなく。着流しのその姿は以前の職を連想させにくい。その視線の奥にあるものは昔から全く変わらないのだとしても。
そして。残しておく予定だったもう一尾を板に置き、捌く。
 
 
しゃしゃしゃしゃしゃ・・・・・・包丁でのよい仕事、かつらむきなどではなくテレホンショッピングのおまけについていた便利な野菜シュレッダーで手早く大根をサラダ化ツマ化していく碇シンジ。さながら、まだまだ蜜の残っている新妻のように。
 
 
泣く子も黙る東の武装要塞都市で天使殺しの稲妻小僧と鳴らした面影は、あまりない。
そんなものはもとからなかったぞ、と言われればそれまでの話だが。
 
 
竜尾道・大林寺(おおばやしでら)
 
 
父親は超法規的権力を失い、息子は超絶無敵決戦兵器を失った。世間的には抜け殻的に終わって私小説的アイデンティティに悩むはずの親子がここにいる。
まあ、てめえの命のほかはもとより外から与えられた借り物で、とナチュラル解脱オーラに考えれば、こうしてぬけぬけとこんなところで料理して食事して命を繋いでいるのも納得がいくなんまいだ。
 
かといって頭を親子して丸めているわけでもなく、大根と魚の命を思い切り奪ってそのご遺体を切り刻んでいるいることでもわかるように、寺に住んでいるからといって別に仏道修行に励もうとかいうわけではなく。日本文化の再確認と勉強し直しというわけでもない。
 
 
 
「逃げちゃ、だめ、なんだよね・・・・・・」
 
ぽつり、と碇シンジが呟いた。大根を刻む手を止めて。
 
 
「そうだ、な・・・・」
 
 
碇ゲンドウが答える。「私と・・・ユイと・・・母さんと・・お前の・・・・・問題だ」
他の何者の手助けも無用である、と見えざる壁があるように髭の横顔は暗い。
 
父と子と母親と。
 
そこに、その他の者が立ち入る余地は、ない。ネルフとエヴァと聖霊ならぬ使徒。それらにまつわる人々と浅からぬ縁を結び、その中には道を惑わせてしまった者すらいるが。
 
それでも、
 
最後の決断は、己一人の心で決めねばならぬと。
 
あらゆる理念も大義も切り離して。陸地から切り離された大海の中で寄る辺なく。
碇ゲンドウは決めていた。父として夫として男として。この坂の多い港はそれに相応しい。
そのためにここにこうして留まっている。碇、とはよくいったものだ。
 
 
ここに、幽閉されている。
己の心で己の身を、閉じこめている。出て行けぬように逃げ出さぬように。
 
 
沈めている。
 
 
かつて蒼い光の中に沈められた二つの時計。それを引き上げて針を動かす、その時まで。
人の新たな歴史・・・・・昔、そんな夢を見たこともあったが・・・・・・今は・・・・。
 
 
 
「ム・・・・・匂いがしない・・・・ちと早かったか・・・、ごほん、ゲンドウ殿!、シンジ殿!、申し訳ないがまたお知恵を拝借したいことがありまして!あがらせてもらってもよろしいか」
 
 
ちらつき雪が止む前に思いの外早く、この幽閉寺にこの雪を降らせた当人がやって来た。
 
降らせた理由は、と問えば、出張土産つまりは地域住民のサービスのため、と何の気なしに答える人物。この竜尾道にて政治を司り外つ国に泣き寝入りさせる絶対戦力を所有する首長。この雪はどこぞの雪のある国にでも用事があったなり寄るなりした際に、ここまで運んで持ってきただけの話。それを上空からパラパラとふりまいて雪が降る。
はじめは、翼についてた雪を振り払っただけなのが、街に降ってそれが意外に好評だったので機会があればこうしてやっているのだと。柔和なサービス精神などからかけ離れた硬派な見た目なのであるが。
 
 
「それではお邪魔いたします。こちらは適当に待たせてもらいますのでどうぞ調理に集中してください。あまりかかるようなら一風呂浴びさせてもらう、というのも・・どうせなら湯上がりの方が食事は美味・・・・あ・・いや・・ごほん、いやいや、さて、本日の株価と国際情勢は、と」
 
 
返事を待たず勝手に上がり込んで居間のテレビを勝手につけて住居不法侵入にもむろん問われないローカル超法規的権力者。大勢の前で話すことに慣れている声は身体能力で増幅されてよく通る。完全に別宅扱いであるが、庫裏の親子はとくに表情を変えない。茶くらい煎れとけ、と文句も言わない。いつからそんな野郎チキン、チキン・ザ・親子になったのか、と問われればさにあらず。
 
 
水上左眼
 
 
幽閉という名目一方でこの親子を守っているこの絶対領域の鍛冶職人にして政治家である眼帯女がその気を変えたなら、この街でこんなぬけぬけと魚を捌いたり大根を刻んだりしていられないだろう。なんせ敵が多い上にその存在は表も裏も、力の世界の興味を惹きすぎる。
竜尾道、という特殊な地理条件を加味しても、それをくぐり抜けてくる襲撃者はいるわけで、こうのびのびと幽閉生活をしていられるのが誰のおかげかとすれば多少の事に目くじらをたてることもない。実際にほとんど水際で叩き潰されているため、寺を抜け出して市街に出て釣りにいったりもできるわけである。見つかれば怒られもするが。そして何より
 
 
竜を駆る。この現実現代世界においてファンタジー抜きで文字通り。
 
 
第二支部を吸収しスケールはアップしたもののその内実は・・・「水ぶくれ」としかいいようのない中身の薄い実戦闘力の伴わない「弱体化」、この碇の親子が去ったあとの現在のネルフ本部なんぞ、おそらく”ひとひねり”であろう。
組織の司令を幽閉しパイロットを拉致する、という錯覚誤解のしようもない敵対行為をやらかしているのであるから、どうみても味方ではない、敵方。戦国乱世敵関係。
近いうちに、一戦やるかもしれない・・・正義はともかく、大義は完全にネルフ側にある。
正義も大義も勝てばいいのだが・・・・・・その前に、使徒にも勝たねばならぬネルフとしては苦しいところだ。
 
 
あまり、些末なことで怒らせていい相手ではない。
 
 
「・・・これこれ、この匂いだ・・・・・このなにげない、いかにも男所帯でつくりましたよといったような肩のこらない夕飯・・・・・・これがいい・・・・・・皆のつくってくれるのはどうも、疲れるからな・・・・選評もせねばならんし・・」
聞き耳をたてているわけでも、聞かせるつもりがあるわけでもなかろうが、風通しのよい寺つくり木造建築はよく声が通る。何より幽閉寺のここでなら、他の者にこの愚痴にも聞こえる声が届くこともない。さすがにここの障子には壁には目も耳もない。住民には気をつかわねばならぬ立場でも、幽閉した相手にも使う気は、なくてもよい。いいらしい。
 
 
少なくとも、碇の親子はそのように相手をする。
 
 
「なんだか、新右衛門さんと将軍さまを混ぜたみたい」
碇シンジが大根サラダを皿に流しながらちょこざいな小坊主のように言う。
 
「わからんでもない・・・・」
碇ゲンドウが小皿の刺身醤油を注ぎ
 
「お前のたとえはわからんが」山葵を盛りたす。
 
 
じりりりん じりりりん
 
 
古風な、第三新東京市ではもう完全に絶滅したであろう、黒ダイヤル電話の呼び出し。
 
 
「イヤな予感がするが、出よう・・おふたりは最後まで調理を・・・・・私だ。・・・よく分かったな、ここにいるのが。まあ、定期的な監視はせねばなるまい。・・・・それで?・・・・”アレ”か・・・まだ仕上げが済んでおらん。金鴨と土鴨しか彫っておらんからな、素人では扱えまいよ・・・だいたい、”卵”も磨いてないだろうあの連中・・・・断って・・・・・・何?もう引き受けた?割り増し料金の代わりに今すぐ配達しろ?だと・・・・どういうことだ・・・・・よく見たら契約書の隅っこにそんな条項がありました?・・・・・呑まない場合は違約金?受け取り拒否?・・・上等だ、そっちがその気なら・・・で、・・何桁だ・・・・・・・ああー・・・もう・・分かったから泣くな・・・・・・」
 
 
が・ちゃ!ん・・
 
 
叩きつけたいところをかろうじて自制したような力加減で受話器を元に戻した音がして。
 
 
「申し訳ないが、急用ができましたのでこれにて。相談事はまた後日に」
 
夕飯の相伴にあずかりにきたのは間違いない相談者が駆けて出て行った。ふたりが庫裏から顔を出すより早く。後ろ髪を大いにひかれていたにちがいないが、もう影の先もなかった。
 
 
「もし、あのままお風呂にはいってて、僕らが代わりに電話に出て”いません”って言ったらどうなってたんだろう」
息子の問いに父親は無言。それを言い出せばきりがなくなる。左眼は飛び出していった。
ただそれだけが真実で、それのみがこれからの展開を切り裂き、次の事実を暴き出す。
 
 
しばらくして、雪の終わりに突然のつむじ風が、境内を舞った。イヤイヤと小刻みにざわめく大樹は風を起こした者の気持ちを代弁するようだった。
 
 

 
 
どん
 
 
魔弾を発射して、侵攻中の使徒に着弾、これでケリがついた、と零号機の身体が弛緩した、巨大な人造人間を操る同調の糸を綾波レイが手放した、もしくは指先が震え緩んだその瞬間。
 
 
コヴァ
 
 
外に広がることもない集束された異様な爆発音とともに、零手観音とそれを握っていた零号機の右手が四散する。四指が爆ぜ、トリガーにかけたままの残りの指はそのまま数秒前まで観音の指先を模し怨念を内包しながら外観だけは使用者に似て蒼く静謐な銃器であった金属物体とともに地に落ちる。さながら地の底に慈悲たれるがごとく。
 
 
「こ・・れ・・」
 
は、と綾波レイが続ける前に、激痛がきた。起動指数ギリギリとはいえ右の手首から千切れ吹き飛び抉られ無くなってしまえば、痛いなどというものではない。 カキベクオデオサラハミラウ カキベクオデオサラハミラウ カキベクオデオサラハミラウ カキベクオデオサラハミラウ カ・キ・ベ・ク・オ・デ・オ・サ・ラ・ハ・ミ・ラ・ウ・・・・!!
 
 
魔弾を使えばいつも聞こえるあの声すらも反転して封じられた古の邪神の呪詛のごとく脳裏に響く。が、それに構っている余裕もなく、痛みを抑えるよりも先に現状把握に努める綾波レイ。痛覚を麻痺させてしまえばそれだけ判断も鈍くなる。”何が起こったのか”右手から先を喪失した、その原因を突き止めねば・・・同時に使徒の二撃目、おそらく遠距離攻撃に備えてATフィールドの展開。こんなことは・・脳をジャギジャギとおろし金にかけるような非常に負荷のかかる、悪影響がある酷使であろうが、やらねばならない。極痛に耐えながら思考しながら絶対領域を展開する無理。
 
 
こういうことをやろうとしてやれてしまい、やってしまうあたり、綾波レイはやはり才能の人ではないのだろう。ありあまる特異能力を備えながらも。痛々しいほどのアンバランスな万能。つまりは、生きるに不器用。日を過ごすに無能に近い。それを補う者もなく。
 
 
全力をかけた先制の奇襲が見事に相手に気付かれて、そのまま力を返された・・・・・
 
 
いわゆる風車の理。
 
 
零手観音から発射された魔弾は確かに使徒に向かっていったのだが、中央のコアに当たるまえに微妙な角度を形成した風羽たちに力に逆らわぬように、それでいて自分たちの都合のいいように流してしまい、クライン領域を造り出すこともなく、いわば順送りにされるようにして魔弾はそのまま極小180度ターンを決めて、自分を撃ち出した銃口にそのままそっくり戻っていった。当然、その速度は肉眼で見えるものではない。ものすごく速い。とくだん動態視力にブーストもかけていなかった、それでいて精神統一しきれていない想念乱れ気味の綾波レイに見えるはずもなく。一度撃たれれば執念深く必ずや対象を撃ち抜く魔弾ではあるが、さすがにこれはたまったものではなく、ブレーキをかける間もなく同じ魔弾の装填部分に逆到達、出戻りしてしまえば・・・・・魔弾で魔弾を次々撃ち抜いてしまえばどうなるか・・・・左足に続いて右手まで失ってしまった零号機の姿が証明する。
 
 
牙風車使徒強し!!
 
 
なのか、それとも単にエヴァ零号機の自滅だよ、こんなの。で終わらせてよい問題なのか。
 
 
それを即座に解いてしまわねばならないネルフ本部発令所の者たち、とくに今作戦で指揮を執る役であるエッカ・チャチャボールはどうしているかというと。
 
 
「・・・・・・・・」
 
 
しーん、と静まりかえって言葉がない。戦闘が始まったか、と思ったらいきなり敗色が濃くなってしまっていることに、ほとんどの者が完全に呑まれてビビってしまっていた。
 
 
「・・・あかんち。こりゃ、もうしばらくかかる・・・・・なんも見えんち・・・・」
指揮役のエッカ・チャチャボールがヘロヘロな口調でこんなことを言うのだからさらに士気は低下。いきなり右手と選んだ武装が吹っ飛んだ零号機になんかかける言葉があるだろうが、それもない。
 
 
「加えられた攻撃をそのまま反射する能力か・・・・・なかなか面白い。これは遠距離兵器に限ったことなのか、反射率は・・・出来ればもう少しデータが欲しい。通常兵器で攻撃した後にATフィールドに対する能力を知りたい、零号機、前進しろ」
何が起きたのか即座に見抜く眼力はとにかく、すでに零号機を八号機のためのデータ蒐集の捨て駒と割り切っているシオヒト・Y・セイバールーツの声が指揮官らしく響く。横柄かつ冷血であるのは間違いないのだが、なんせ自信ありげなその声に一部のオペレータは風吹く葦のように靡きはじめる。そう言われてはじめて今何が起こったのか分かった者も多い。零号機の持ったあの変わった形の拳銃が暴発したように見えた者が大半だった。
 
 
ここで綾波レイが痛みに悲鳴でもあげていれば少しは見方も変わってくるのだろうが、しおらしくそれを表に出さない分、無力化した彼女にやれることは”そのくらい”だという認識が強くなる。片足の零号機に使徒に向かって前進して接近戦をやれなどという無茶な話にもうなづいてしまう。人類が勝利するためには、犠牲も払わずして勝利することは出来ない。
 
シオヒトの声には蛇の知恵で組み上げられた罠が潜んでいる。ケージではなく薄暗い空きドグマ・ドリィトグラァで待機する八号機に専用回線で呼びかける。
 
「・・・ナギサ、よく見ておけ。すぐに八号機の出番がくる・・・・」
「・・・かもね・・」今の能力を再現するのにどれほどのカカシが必要となるのか、計算しながらフィフスチルドレンはうっすらと頷いた。
 
 
「それよりも!」零号機のダメージ解析を他の者に指示しながら日向マコト。眼鏡に高速でスクロールする大量の情報を読み取りながら、指揮権のないシオヒトの今の指示に従うべきかそうでないのか迷い揺れるオペレータたちを制御しきれない。手も口も回らず足らない。大黒柱が白蟻ならぬ蠅まみれで頼りにならぬとなれば、どうしても使徒戦に慣れぬ者は動揺が出る。副司令がいてくれればまだしも、こんな時に不在と来ている。一人二役以上の司令代行業の過酷さにあの人も歯を食いしばって耐えているのだろうけれど・・・・・
 
 
こんな自分たちが
 
 
理解できる、などと口が裂けてもいえたものではないが、今の状態のエヴァが、中にいるパイロットが、どれほどの苦痛を感じるものか・・・・・巨大すぎる命運を背負った孤独な子供が、いきなりあんな目にあってどれほどの・・・恐怖にあるか。あれほどの一点の曇りもない純粋すぎる責任感をもったあの子の感じる恐怖がどれだけ大きいか。想像がつくのはそれくらいだ。何せ自分も今、それを感じているのだから。不安と。八号機の勝利が神様に、いやさ悪魔の王にでも約束されているならともかく、零号機が退いた後に八号機が出撃して100%勝てる保証がどこにあるのか。というより使徒撃破の経験がない機体をなぜそこまで信用できるのか。日向マコトは目を剥くが、睨みつける相手はそもそもそこにいない。立場的にも存在的にも手の出しようがない。そして、何よりこれからどうすればいいのか、代案など自分には考えられない。何をすべきなのか。
分かることは、
 
 
あの使徒は、強い・・・・・・・・
 
 
ということ。さんざん使徒戦を目の前で見ておきながらこの程度のことしか感じられないのは恥じ入るしかないが、”単純な力押しでは、勝てない”のだと見せつけられた。それも、誰もが(説明されたりスローで見たりすれば、まあ)分かる形で。
これがどういうことか・・・・その強さの性質・・・・・・厄介なことに、分かったところで打開策が見いだせなければ心の負担にしかならない・・それでも分かってしまった。
 
 
あの使徒は、強い・・・・・・・・
 
 
こちらの戦闘ステージを一段階上げざるをえないほどに。
 
もはや、使徒戦は「ATフィールドの押し相撲」だとかいう時代は終わったのだ。
認識が遅すぎる、と葛城さんに怒られるかもしれないけれど。たぶん、とっくに。
こんな時に、彼らが、あの人たちが、いてくれれば。応用力というか臨機応変力の塊のような前体制の者たちが。それなのに、もう一度そろってレベル1からやり直さないといけないなんて。そんなのありかよ!とほんとうはそう言いたかった。吼えたかった。
 
 
 
「・・・突出するは貴様で十分だろう、セイバールーツ。こたびの戦闘での我らの約定、忘れたとはいわさんぞ」
しょっぱい空気が充満しかけた発令所に重厚なる冷気の洗礼。作戦部長連の中でも桁違いに巨大な武勲と罪科を持つ男、アレクセイ・シロパトキン。宮殿のような刑務所に唯1人繋がれる人物の声はシオヒトの考えてみると約定破りの独走を許さず、足止めする。
 
 
「・・・・事前の様子と異なり、指揮者の調子がすぐれぬようなので口を挟ませてもらっただけのこと」
それ以上は言わず、シオヒトが大人しく黙ったのは「貴様がその気なら八号機の専任指揮の話も認めぬ」などということになれば面倒だとおもったからだろう。
 
 
「まあ、指揮に間隙をつくるのは望ましいことでもないぢゃろう。これは世界共通、東西南北、変わらぬ真理ぢゃろうからな。・・・ところで、セイバールーツ君よ、シロパトキン氏は北、指揮者殿は南、やめた者は除外して、ワシは西におるから、君は東ぢゃろうか」
我富市由ナンゴクが戦闘と思い切り関係のないことを問うてシオヒトに無視される。
 
「こんなところでこんな時にまだそんな素性探りなんて・・・・・」
阿賀野カエデが恥ずかしさのあまり俯いて、大井サツキと最上アオイに肩を叩かれる。
もちろん、シオヒトとシロパトキンの仲を取り持とういった気はこのオヤジに毛頭なく、阿賀野カエデをさらに傷つけ嘆かせることをやるのだが、タイミングはもう少し先となる。
 
「まあ、なんにせよ、片足片手では戦えんぢゃろうからな。零号機はもうひっこめてやったほうがいいぢゃろう」
 
 
「・・・それも指揮役が判断することだ。指揮役が使えぬのであれば、戦死と見なし、それに次ぐ者が判断すればいい。ザメラク、お前のことだ」
いっそ、己がやろう、というシロパトキンの声を予想していた発令所の者たちが驚く。このまま零号機をいかせるか、それともひかせるのか、それすら即座に指示できないエッカ・チャチャボールにそれでもなお期待できるほど余裕のある状況ではない。危なげなのはやっぱり危なかっただけ、という見切りをしてしまう者も少なからずいる。使徒は以前、侵攻中であり無傷でゆるゆるとこちらに向かっている。その間、なんか打つ手もあろうし手をうたねば。
 
 
「・・・私・・・ですか・・・・・こほっ・・・・でも・・」
さきほど我富市由ナンゴクに勘定されてなかった座目楽シュノは思ってもない相手からのご指名に意外を隠せないようだったが、この場におらずとも発令所のゲージ降下「この状況でただでさえ景気の悪いこいつじゃだめだろ」的雰囲気を感じ取ったのか、「エッカ、さんは・・・戦死・・・・されて・・いないわけ・・・・こほ・・・・です、から・・」遠慮とも逃げとも責任転嫁ともつかぬ弱気発言でさらに発令所内評価をさげる。最上アオイなど悔しさに歯軋りするのだが。責任とらされるのは貴女なんだからもっと貪欲にいかなくてどうするの!と言いたいが言えるわけもなく。これでエッカが投げてしまい、八号機とフィフスチルドレンが出て行って使徒をあっさり倒したらどうなるのか。いや、そりゃ使徒を倒してくれれば何も問題ないんだけど。それにしても・・・・ソリッドなお膳立てだけしといて、いざその時がくればこのザマってのはあまりにもお粗末君すぎるんじゃないかしら・・・・・役職上の結びつきがあるわけではないと百も承知であるけれど、つい大井サツキを見てしまう。あんたのところは一体どーなっているのかと。緊急呼び出しでギリギリに発令所に戻ってきて・・・外に出て何をやっていたのか、そんなにヘトヘトになるまで。実戦負け無しというのはやはり人間相手にしか通じない話だったのか。
 
 
「・・・・ああ、それいいち。おおきに、シロパトのパパはん。伊達に名前が鳴り響いとらんち。ちょっとうちが甦るまで、シュノはん、あんたが代わりに指揮をとってくれち。これ、正式な命令やち。指揮権を、一時移譲するち」
 
が、それをエッカ・チャチャボールが本当にイキにしてしまう。
 
 
え?
 
 
零号機はいきなり使徒にダメージを与えることなく自損しているしかなり旗色悪い状況でいきなり指揮役がチェンジなどと・・・・負けそうになったから通信対戦で逃げる腰抜けプレイヤーじゃあるまいしそれはあまりに無責任というものだろう・・・これはゲームじゃないのだ・・・・しかし、結局、責任とるのは座目楽シュノときているのだから、まあ、これが順当になっただけのことか。もとの設定が異常だったのだから。同じ勝敗の定まらぬ賭け事にしても、競馬でいえば馬に賭けるよりも自分で手綱を操った方がまだ納得もできよう。ただの馬主、いやさ馬券買いからいきなり騎手にされた座目楽シュノの心境やいかに。いきなりの発令にざわめく発令所の者たちの十倍も正確に精密に、座目楽シュノは実のところ・・・・不安がっていた。
 
 
まず、これが単独での初使徒戦指揮となること。
 
これがどれだけ無茶なことか・・・・・構想はあるがチーム作りも実際に終えてないどころかそもそも取りかかってすらいないし、主力兵器たるエヴァ零号機とそのパイロットとのコミュニケーションすらまともにとれていない。
 
 
早い話が、素直にこちらの言うことを聞いてくれるかどうか、だ。
 
 
前体制下でのパーソナルデータを見れば、その心配はなさそうであり、従順、いやさ、上の指示が来る前にまるで心を読んだような速度で対応していた・・・と言った方がよいのか、単に過酷な訓練で思考が命令遂行だけに作動するように単純化されているわけでもなさそうで、指示する者の前に立つ生きた鏡のような言動。純粋に指揮する者の器量のみが問われる・・・・メンタルな振幅は望まれる限り極小・・・そんな、理想的な兵士。
 
 
だったはずなのだが、過去のデータ上では。ところが、最近の、新体制になってからのファーストチルドレンは別人。各担当専門の境界線、領域など目に入らぬように。でしゃばってでしゃばってでしゃばりまくる。零号機という絶対的後ろ盾がなければ、早々に叩き潰されるか足を引かれて埋められていたに違いない嫌われ者街道一直線の爆走。ドスコイ播磨灘。維新にふきすさぶ「狂」の風。志をもって自ら判断し奔走する志士。
 
それでいて、彼女は何故か、前体制を取り戻すためには一切、動かなかった。
その方がいくらか容易かっただろう。
 
かといって無論、新体制の走狗などとんでもなく。
 
ただ、使徒と戦うための戦力を構築する・・・・それだけ。考えてみれば恐ろしい話だ。
何がそこまで彼女を、十四の少女をそこまで駆り立てるのか・・・・・生存のための本能と言えばそれまでの話だけれど・・・・・
 
 
そんなファーストチルドレンを誰が、自分が、制御することが出来るのか・・・・
 
 
現に、綾波レイは自分で武装を選択してさっさと出撃して先制攻撃してむざむざ零号機の右手を爆散させてしまっている。・・・杖もつかずに片足で。
彼女の現在のシンクロ率を考えれば、短期決戦のつもりであったのだろう。
非力な他を頼まぬ悲壮な特攻。
 
が、それは裏目に出た。歴戦の身でありながら使徒を侮ったのか、またはそれゆえか。
 
 
使徒というのは・・・・・どういったルールのもとに存在しているのか。
強いだの弱いだのという考えは座目楽シュノにはない。不治の病に冒されて残りの時間を数える身であり、自分以外全て強者、という境地にある。その目は相手の限界を見届けるように遠い。他人には見えない雨がいつもその身に降り続けて止むことはなく濡れそぼり。
 
 
不可視の雨の中で、他者にはそれしか見えぬベッドの上で、座目楽シュノは考える。
自分の身体はとうの昔に溶けてなくなってしまっているのではないか。残るのは。
 
 
フォルムは単純。風羽とコアと棒しかない。機能のひとつは今明かされた。零号機の右手という高い代償を払って。「遠距離攻撃をそのままのルートで送り返す」反射でも跳ね返す、でもない。日向マコトが手配したらしい零手観音の破壊具合のデータを一見してさらに詳しい分析を要請して、リターンが来る前にその間考えてみる・・・・平行して「使徒の機能はそれだけなのか」推理する。およそ生物ならばそれが生きやすいように機能されそれに沿った肉体を構成している。進化論をあげるまでもなく。この使徒の姿を見れば、余分な機能を働かせたり詰め込んだりする余地はないように思える。牙がついている、ということはあれがメインの攻撃方法、ということになるのだろう・・・もしくは支柱にあたる棒で突き刺すか・・・・・、そういうことでいいのか。座目楽シュノの考えるのはそこであり、攻撃手段は二種を想定しきってよいものか、どうか。
 
 
勝利条件は、明確。中央に不気味に輝くあの赤い球体、コアを砕けばいい。
 
 
急所、動力、そのあたりのことは自分の専門ではない。あれを砕いてまだ動くというのなら勝利条件を変更するまでの話だが、まずはあれだ。政治を、伴わないところが、いい。
完勝してしまってもいいのだし、勝利の形はそれしかない。交渉も降伏の余地もなく。
自分が他の作戦指揮者たちに勝るところは、そこに尽きる。半分、死人の国にいる自分ならでは。生者の国を守ることが、それを見上げながら言葉をかけることができる。
 
 
ここが修羅場であり正念場。ここでヘタをうてば、皆が自分が近く向かう国に急行することになる。少なくとも、自分よりは遅くなるべきだろう。ここには、子供もいる。
急がせない。まだ時はある。そのはずであるけれど、迷走する時間はない。
指揮の最中に発作がきて、その時がきてしまったら、かなわないけれど。
どうなのだろう?自分は、人類が、ネルフ本部がこれまで倒してきた使徒と同じところへいくことになるのだろうか・・・・
 
 
ここで、使徒を殲滅すれば。
 
 
「こほほっ・・・」笑いとともに咳がでた。「・・・笑った?シュノが?」そろそろ聞き慣れてきた最上アオイにはそれが聞き取れたが、他の者には不安をあおるしかない弱々しい咳にしか聞こえない。
 
 
「わかり・・・ました。やりましょう・・・・・座目楽、シュノ、ネルフ・・・本部・・及び、作戦・・・部長連の・・・・・指揮権を・・・・・受諾、いたしました・・・・・皆さん、・・・・・よろしく・・・・おねがいします・・・・・・」
 
 
彼等に会って、話をするのは面白いかもしれない。零号機の常識外れの射撃をそのまま送り返してきたことでわかる。おそらく、相手はただの自立型知能兵器などではない。もっと別の、今の自分の脳思考ルールではとられきない何かだ。もとより自分の専門外だったわけだが、興味は惹かれた。
 
 
あ〜〜う〜〜
 
 
発令所内テンションはダダダと激低下。狼が指揮すれば羊でもそれなりに、しかし羊が指揮すれば狼は全く戦わず、逆に羊をジンギスカンにして食べてしまうだろう、と世界史に燦然と輝く大帝国を築いたモンゴル・・・料理屋で店のオヤジがチャーハンをつくりながら言っていたのをなぜかこんな時に思い出した日向マコト。
 
 
他の部長連に否やはなかった。もちろん座目楽シュノの手腕に期待してとか信用している、ということではない。ただ単に、この状況ではどんな作戦家が指揮しようと同じであるからだった。どんなに有能でも、どんなに無能でも。いやさ有能であればあるほどこんな状況の指揮など引き受けまい。八号機という本部に来る前に錬成していたふうの子飼いの戦力、八号機を従えるシオヒト・セイバールーツだけが多少、事情が異なるがこちらにしてもどうせなら満を持して最大限にアドバンテージを増幅してから登場する気でいるのだろう。八号機、火織ナギサに使徒の様子を分析させながら。
 
 
 
「それでは・・・・・零号機、・・・・・そこから左に・・・・・・こほ・・・三歩、前に九歩、進んで・・・ください・・・かほ・・・・・・それから最上さん・・・」
 
いきなり座目楽シュノが指示したのは零号機、綾波レイに対してでありどう見ても戦闘力ほぼ零、移動すらままならない、シンクロ率も今にも底を割りそうな主力兵器に向けて「後退」を命じなかった。それどころか、射撃とも格闘とも指針はなにもなくただ歩けと。
 
 
「・・・?・・・了解」
いきなり指揮者が代わったあげくに、そんな将棋の駒のようなことをやらされてもかなわん綾波レイであったが、ようやく転送されてくる被害情報やら無くなった右手を直視することで今先ほど何があったのか把握して、己の機体の掌握に気をとられて疑問を唱えたり逆らうどころではない。赤い瞳を閃かせ綾波能力を発動させて右腕から登り来る痛覚を麻痺させてシンクロ率をキープする。これより下げるわけにもいかない。
 
 
まあ、後退しろ、などという話でなければ・・・・・・素直に聞いておこう・・・どちらにせよ、少し移動して兵装ビルから長尺武装、ソニックグレイヴだのを出して杖にせねば安定が悪すぎる。もとより作戦指揮者の手際でどうにかなる使徒戦ではない。部長連の名前もあまり覚えていないくらいの綾波レイが、支えとなる得物を取り出すべく片足でケンケン飛んで五歩目のことである。
 
 
ばっくん
 
 
いきなり作動した回収ルートが零号機を呑み込むようにして地下に引き込んだ!。綾波レイにしてみればとんだ不意打ち落とし穴である。両足がそろっていればまだ跳ね飛んで地上に戻れもしたであろうが、いかんせん片足では。
 
「何を・・・・・」咎めるべきか、敵意を覚えるべきか・・・・赤い双眼が危険な輝きを放つ。発令所のスタッフの背筋が凍る。その短い響きには不完全な機体が戦場を離れたことに対する安堵など微塵もなく。
金剛の不退転、その目に焼き付けられる硬質の戦意。凶暴な素振りなど何一つ無いのに、自分たちが小動物になったかのような恐怖を、この赤い瞳の少女におぼえる。
 
 
この少女と自分たちの、どこが繋がるのか・・・・・どう繋がればいいのか、それが分からない。
 
 
「・・・・・・」座目楽シュノの指示を受けてルートを作動開放した最上アオイにしても、この一人で、自分だけで、たとえ自分だけだろうと戦おうとしている、単機で千里を駆ける気迫を漲らせる綾波レイにかける言葉はない。それから、零号機パイロットが自分の指示に素直に従うはずがないと、あんな方法で彼女を退かせたシュノに対しても。これから、どうするつもりなのか・・・ここから先はもう自分がシュノに意見することなど許されないが、それにしても・・・・。
 
 
「んぐ・・・回収した・・・・・零号機は・・・・右手の応急処置を。相手の・・・能力が・・・・距離を挟んで・・・・・見られた、こほっ・・・だけでも・・・戦果・・・です・・よ・・・」
 
何か塊を呑み込んだ音から始まり、座目楽シュノの指示が出される。聞くだけで鼻につくのは血の幻匂。この調子の声をこれからずっと聞かねばならぬ者たちは、げんなりするがまさか耳を塞ぐわけにもいかない。副司令も不在、司令は蠅の羽音をさせているだけ、とくれば、この重病人がとりあえず自分たちの命運を握っているのだ。道連れにされるか・・その連想にぞっとするが。
 
 
「・・・使徒はまだ、殲滅されていません・・・」一応、誉められたらしいが機嫌などもとから良くないがそれでも元に戻るわけもなく、異論を唱える綾波レイ。これは誰でも分かる言外に「戻せ」と言っているわけだが、座目楽シュノはそれを無視。代わりに零号機のシンクロ率より高いパーセンテージで予想しながら、最も聞きたくなかった命令を出してくる。
 
 
「参号機に・・・・・出撃して・・・もらいます・・・・」
 
 
血を吐くように、もともと血を吐いているような声であるから、どんな心理状態でそれを命じたのか、かえって分かりにくい。最上アオイにも読み切れない。淡々と聞こえるそれ。
 
 
「鈴原・・・トウジ君を・・・・・・起こしてください・・・・けはっ・・」