あれは、いいね
 
 
火織ナギサが地の底から戦場を、ゆるゆると侵攻してくる使徒を見上げながら考えるのは、そんなことだった。
 
 
ネルフ本部内空きドグマ・ドリィトグラァにて。エヴァ八号機エントリープラグ内。
エヴァ零号機が強引に一時撤退されられた後も、フィフス・チルドレンに出撃命令は下らずに、突如切り替わった指揮役はなにをトチ狂ったのか、零号機の代わりを参号機に務めさせるという・・・・。それに関して、特に思うことはない。敵の戦力も分析せずに猪武者、いやさ猪ガンマンのごとく、無謀無策の先制射撃をしたあげくにそれをそのまま無減衰反射くらわされた零号機の代務には相応しいだろう。先の左足を切断された戦闘と同じ愚を繰り返す・・・・ファーストチルドレン、綾波レイ、彼女には失望するしかない。
その程度の器、その程度にしか血水は汲めず、盛大にあふれ、こぼれてしまった。
これが、プロトタイプの限界というものだろう。雛形は成長することなく使用にともなう摩耗にてただその影を薄くしていく。兵器は夢を見ず、ただ死の量産の行進をつづける。
 
そして、参号機にはそもそも期待をかけていない。正確には、それを起動させるべきパイロットに、であるが。そろそろどこかで被ってきた化けの皮が剥がれる頃合いだ。
 
 
零号機と参号機(のパイロット)にだめ出しをしておいて何が「いい」のかというと、それは今回の使徒の能力。発射原理が八号機の眼力をもってしてもいまひとつよく分からないあの「魔弾」などという大げさな歌劇めいた名の拳銃弾・・・・・タネが分からぬだけに脅威・・・もし、零号機と立ち会う場面があれば、の話であるが・・・を感じていたのだが、それをああも見事に跳ね返して見せるとは・・・・・・その効果が魔弾に限定されたものであったとしても、八号機と自分にとってはかなりの魅力であった。その他の兵器にも効果があるのなら、その有効性はいうまでもない。
 
 
あの能力は、欲しいな・・・・・・・
 
 
ゾクッとするような艶をみせて心の内で呟く。キツネうどんにコロッケでもいれるかのように。異形の、ケツネの艶。その目には零号機も、参号機も、そのパイロット達も、当然、ネルフ本部の人間たちも入っていない。アウト・オブ・眼中。使徒のコアもあんまり見ていない。脳内でリピートされる無減衰反射能力発現の映像だけを楽しげに。
 
 
 
Ahーーーー・・・・・・・・nnn・・・・・・・・・
 
 
それを妨げる幻聴が聞こえる。眉をひそめる。この都市に来てからずっと続く、猫の声。
 
耳の奥よりむしろ心臓のそばで。なぜか不安をかき立てる。煩わしい。なぜこうも気になるのか・・・・・シオヒトにはこの件は告げていない。自分の中でも答えが出ていない。
ただの猫ではない。ただの猫の声がなぜ、自分の内から聞こえる?しかもこのような地の底、完全密閉のエントリープラグの中まで聞こえるはずのない、猫の鳴き声。
 
どんな猫なのかは分からない。一つ言えるのは自分の精神が造り上げた妄想などではないこと。死んだはずの人間が送り出す天使猫など冗談ではない。猫はこの都市のどこかにいて不敵に鳴き、なぜかそれを自分は聞き取る。これも理由のない感覚上のものでしかないが、猫の方で何か自分に伝えようとして声が届くわけではなく、自分の方でその声に・・・・・脅威・・・・信じたくはないが、イヤな予感、などというより強く、明瞭に、そういったものを感じ取り、なんとか声の元を辿り、その正体を暴こうとして、耳を澄ました結果、その声はいつも聞こえている・・・・・自分は、その猫の声を、恐れている。
 
 
人サイズの使徒がいるのなら、猫サイズの使徒がいてもおかしくはない。
 
 
それゆえに、使徒を恐れるように、猫の声を恐れている・・・・・・という仮定は成り立たない。なぜなら、自分は使徒を恐れないからだ。そのように、つくられていない。むしろ、それに同調するように、自分は、ピッコロは、調整されている。ピアノだのピッコロだの、そのクレセントの分類名は吐き気がするほどイヤなのだが、つけられた以上仕方がない。どうせそんなことまで知るのは今やシオヒトくらいしかいない。それはともかく。
 
 
何故、猫の声がこれほど自分に不安をもたらすのか。
・・・・・・自分はもう知っている
・・・・・・君はもう分かっている
 
 
認めたくないだけだと。これから起こる価値ある奇跡を。起こるはずがないが、そのままなるようになるわけにはいかないので、最も寝起きの悪い獅子のごときの可能性を選んだ。無力でありながら無力であることをやめた一人のバカな人間、それを神輿にかつぐことにした同じくバカな人の群れ。バラバラに乱れる結束もない烏合の衆から立ち上がる・・・・やっぱり、そいつはただの人でしかありないのだけれど。その時のそいつの目の色は。
 
 
ピアノにあった未来視は、自分にはない。未来視を持つのは渚カヲル唯1人。
しかし、その断片たる自分たちにも、そのカケラくらいは引き継がれているのかもしれない。決して己の前に立たせてはならない相手の出現・・・・元来、並び立つはずのない者であるからこそ、それを万が一にでも許せば・・・・・
 
 
あーん
 
 
猫の声。人に飼い慣らされた、あれはそんな飼い慣らされるような代物ではない、黒か白か三毛かも知れぬ魔猫。人の家にそんな化け猫は飼われていないだろうから、街をゆき、人に飼われぬ猫を見れば片端から始末していった。この都市のどこかにはいるはずなのに。結局、見つけることは出来なかった。そもそも実体など、なかったのかもしれないが。
 
その中で、洞木ヒカリ・・・・参号機の見習いパイロット・・・・規格未満チルドレンといったほうがいいか・・・・・彼女と出会い、エフェソスを発動させた・・・・実質一般人とかわらぬ彼女に、なぜそこまでやってしまったのか・・・・・参号機を起動させた、という事実が頭にあったからか・・・・・・いや、そんな程度のことでは、ああも、・・・・・・恐れたように・・・・・自動防衛本能が働いたりはしない、その程度の自己コントロールは出来るはず・・・・・綾波レイとの取引材料に使える、と考えたのは後のことだ。押し潰される、と一瞬、感じたのだ。平手で押し潰し、などと劣化ウラン製の大魔神じゃあるまいし、というインナーツッコミはともかく。洞木ヒカリ、彼女の内にある全く新しい可能性・・・・・自分の領域、立場をあっという間に塗り替えてしまう輝き・・・・力や能力、そんな分かりやすく数値化されるものではない、もっと、みもふたもない、サードもセカンドもナッシングな、感じの恐れ。自分はあくまでオルタナティヴな存在で、こちらこそが正当な次世代ナンバリングである、と明言されたような。
 
ビンタ一発でそこまで考えるとは、お前はどこのひ弱君だとののしられそうであるが、実際、水泳はイケルものの腕っぷしはからきしのその通りなので別にいい火織ナギサである。くやしくなどない。
 
 
 
実際、その予感はあたっている。
 
 
洞木ヒカリの参号機の操縦方法は、まさに次世代型、エヴァの戦略戦術をガラリと変えてしまうほどのものであり、それをビンタ一発で悟った火織ナギサの敏感さを称えるべきであろう。敵か味方か、立ち位置がはっきりしていないせいか、そこで息の根を止めてしまわなかったのが甘いといえば甘いが。
 
洞木ヒカリ自身は、別に特別なことなどなにもない、ふつうの女の子である。
 
これは、間違いない。姉がハードボイルド諜報三課課長代理だったりするが、これ以上の隠し生まれ設定、実はライトニング・モンスター、碇シンジの双子の姉だった、とか、そういうことはない。
 
が、この時期、彼女と彼女を守ろうとするジャージ関西少年には特別な星が巡っており、それをよりによって「エヴァ参号機」が「見ていた」という・・・タイミング。
 
それを幸運の女神の前髪というのか、不幸の男神のモヒカンヘッドというのか知らず。
 
 
エフェソスならそれを、その影響、巡り自体を乱してしまうことができる。芽生え始めた可能性、まだ現実にもなっていないそれを叩きつぶしてしまうわけである。ひらたくいうと、いわゆる縁切り大明神、といったところだが、それをペルガモ持ちのエッカ・チャチャボールが修復繋ぎ直してしまった。所詮、渚カヲルから引き継いだだけの自分とはレベルの違う巧みさであるが、その代償に疲弊しきってヘロヘロなのはこれまた嬉しい誤算か。
 
というより、現体制のネルフ本部のあちこちが綻びジリ貧であるのでこうやって高みの見物を決めている自分に有利に動くだけのことなのだが。どう転ぼうと今の戦力ではどうにもならない。八号機と自分に任せるほかないのだ。どのような小細工を施そうと、どのようなルートを用いてスケジュールを消化しようと、行き着く先は決まっている。
 
 
意固地な綾波レイがただひとり、それを認めていないだけの話。
だから不様に転ぶ。
 
 
それを支える者もなく。担がれることさえ拒否して、一人独走。そして穴の中。
 
 
 
「・・・悲しいね、彼女は」
 
 

 
 
「そ、そろそろ逃げ時だろう、ツムリよー・・・・・な、なんか、後継者様も旗色悪そうだし・・・・・・自分たちで仕掛けた落とし穴にはまった、とかじゃねえんだろう、さっきのあれは」
 
 
使徒の来襲にともない武装要塞都市・第三新東京市も戦闘態勢に入り、そこで暮らす市民も当然、危ないので避難することになっており実際しているのだが、ここ幽霊マンモス団地の屋上に陣取って戦闘の様子を見届けようとする者がいた。ちなみに第三新東京市民ではなく住民票はしんこうべにある綾波ツムリ、綾波チンであった。正確には見届けようと貯水タンクに槍立てかけて座り込んでいるの女がツムリで、男のチンが及び腰で今すぐにでもダッシュで安全なシェルター等に逃げたそうにしている。
 
 
「逃げていいよー。わたしはここに残るけどー」
 
 
答えがすぐに、カタツムリなみの思考速度のこの女にしては稲妻のごときの速度である、かえってきたのは、それだけ前もって考えていたからに違いない。返答にじかんがかかるのにそろそろ慣れてきたチンはかえってビビッてしまったくらいだ。
「は?なんつった?今」
 
 
〜・・のろろ・・・・〜・・・〜・・・・のろのろ・・・・・〜・・・ぬり〜・・・
 
 
「逃げていいよー・・・って言ったの」これだけのリアクションにいつもの時間がかかる。
 
やはりツムリだ。別にあのモノホンの巨人のバトルにビビったわけじゃないらしい。この経過時間はよほど気の長い人間でもちょっとかなわんくらいで、この槍の腕前をもってしてもツムリが他人に避けられる理由がよおくわかる。しかも謎の巨大怪物が・・ってばかでかい風車にしかみえんが、あれが「敵」なのだろう・・・この街に迫って近づいてこようという貴重な時間がむだに消費されたことに小心はチンはもはや怒りをとおりすぎる。それよりもなんとか思考速度超遅のこの女を説得せねばならぬと本能が脳をクールにする。端的に、短い言葉で、ツムリに考えさせずに、即座に納得させる言い訳を考えねばならぬ。・・・・・・しかも、もうこちらの方など見もしないのろろ槍女を。
 
 
「後継者サマも、もういいだろ。あれでお役御免ってことになるんじゃねーか?片足片手じゃもう戦えねーだろう。・・・・・・ツムリよー、今が後継者サマをしんこうべに”連れ帰すチャンス”じゃねえか?本部にもどって、さらっちまおうぜ」
 
 
チンにしては殺し文句のつもりであった。驚きの反応がかえってくるのにしばらく時間がかかるのも多少、楽しくもあった。今の一言がこの武闘カタツムリの頭の中でどうはね回っているのか・・・・・結局、自分たちの目的はそれであったのだから問題ない、といえばないだろう、たぶん。
 
 
いくらなんでもあんなばかでかい怪物を相手に後継者を守るわけにもいかない。
 
それは忠義だのなんだのを越えてただのギャグだ。自分たちはべつにあの蒼い一つ目巨人などはどうでもいい。紅い瞳の一族の長となるべき少女の身の安全を守れればそれで。
 
 
こんなところにいても、邪魔になるだけでなんにもならない。実際、後継者の乗る(確かにこの目で見たわけじゃないが、この期に及んで人違いなんてオチはかんべんだ)巨人は鉄砲をなんか撃っただけで、その拳銃が壊れたかどうかして地下に引っ込んでしまった。・・・・まあ、素人目でよくわからんが、かっこいい立ち回りを期待してなかったといえば嘘になるが・・・・・・なんか、旗色悪そうな。片足、ってのもなんか修理が終わってないのに仕方なく、というジリ貧ぶりがヒシヒシと感じられるんだが。専門家は違うのか。
 
 
銀橋や虎兵太たちはすでにあの秘密基地じみた本部に入り込んでいる。もちろん自分が言ったとおり後継者を連れ出す算段をしているわけではない。どのように状況が動いても最速で動けるように「現実的に」最も近い場所に控えており、後継者に頼まれた通りに同じ子供パイロット達の護衛をやっている。ところが、れい様大事のツムリが何を考えたのかそれには従わず、てめえだけ表を出歩くからこうやって連れ戻しにきたわけだが・・・・
 
 
「おい、ツムリてめえ!どうなんだ、いかねーのか!」
 
 
実際にはさほどの時間は経っておらず、まだ所定のツムリの持ち時間だが待ちきれぬチン。
なんかどんどん風車が大きく見えてきている。・・・他に打つ手はないのか専門家!
眼下でチンごときが吼えようと、変化なく所定の時間を使い切ってから答えがかえってきた。
 
 
「まだー、いたの?逃げればー」
しかもこちらを見もしない。じっと、蒼い巨人が地に消えた方角を、見ている。
 
 
「ツムリてめえ・・・・・・」
力づくでは当然不可能、百人増殖する能力を持っていても無理だろう。自分の持つ飛行衝動の綾波能力では、触れるだけで相手を飛ばす強制テレポートのような便利な真似はできない。あくまで、自分と相手との間に信頼・・・いやさ!そんなこっ恥ずかしいものではなく、承諾というか、納得!するものがなければ発動しない。
 
このアマ・・・・なにをのたのたしてやがんだ・・・・・・しかし、手など出せば一瞬で串刺しにされるのはこっちだ。小心ゆえにそのへんはよくわきまえている綾波チン。
 
 
しかし・・・・・・こいつ・・・・・
 
殺し文句がまったく効果がないのは意外だった。しまったな・・・・今のでレイ様がお怪我をなさったかもしれない、とか言った方が効果があったか・・・・。まあ、・・・・
こいつ、思考速度が遅いだけで・・・・・・バカじゃねえんだよな・・・厄介なことに。
 
 
「・・・ここで、レイさまのー、勝利をお祈りする・・・・・・から、いけないよ」
 
 
バカめ。
 
 
素人がいくら祈ったところで戦況が変わったりするものかよ。そういうのは専門家が知恵を絞ってどうにかするわけだから、任せときゃいいんだ。しかも勝利?いや、あれはもう出番ねえだろ。あれでまだ戦わんとならんほどコマが足りない・・・・・・のか?
黒いのがあっただろう。確か。実戦にびびって出撃拒否・・・ってわけでも、・・・ないんだろう・・・しな。うーむ・・・・そうなると神頼みはけっこう有効?・・・・くそ
 
 
ベタリ
 
 
熱のこもったてろてろコンクリの床面に正座から上半身を投げ出すチン。いわゆる地に伏せる額づきポーズ。そのまま・・・・・・・・・動かず言葉を発しなくなった。
 
 
しばらく。
 
 
「・・・なにやってんの」
ツムリがさすがに片目だけそちらにやって問う。このまごうことなき小心者が逃げもせずに。いや、もしかしたらあまりに小心なので腰がぬけたとか。
 
 
「とりあえず、イスラム方面はオレに任せろ・・・・・・・・・方角も合ってるはずだ」
 
 
「ばかじゃないのー・・・・・・今時、神さまなんか信じてるんだーこのチン公はー」
 
 
「今なんつった!!」
 
ガバリと跳ね起き反論するチンだったが、ツムリは涼しい顔でもう見下ろしてすらいない。乙女としてやばい響きの単語を今、己が放ったことなどまるで意に介していない。
 
 
「わたしがー、祈るのは、レイさまにだよ。・・・・・レイさまをすくうのはー、レイさまだけ・・・・・・だから、ここでー、祈るの」
 
 
「いやそれって人事を尽くして天命を待てとかそういうのか?・・・・・まあ、そりゃ勝手にしてくれればいいんだけどよ・・・・」お。なんか風車に向けて、隠れてたらしい戦車だかが砲撃を始めたぞ。やるな専門家。
おお。特撮みたいにどこからか飛んできた攻撃機がミサイルも連続でぶちこんでいる!
おおお!さらに人型じゃないけど、なんかでかい「影」が風車に立ちはだかった!!
 
やはり専門家は伊達じゃあないわけですよ!餅は餅屋、プロはプロや。ゴルファーは猿や!いや、それはなんか違うが。
 
 
「ところで・・前から聞こうと思ってたんだが・・・なんでお前はそこまで後継者サマを信仰してんだ?とりわけ、能力を治癒してもらった恩があるとか・・・・」
その光景を見て多少勇気づけられて余裕を取り戻したついでに聞いてみるチン。
だが。
 
 
「教えないー秘密ー。それよりも、お祈りのじゃまー、気がちるー」
あっちにいけ、というように槍をかるく振るツムリ。一蹴された。
 
 
「て、てめえ・・・多少、照れでもすればかわいげがあるものを・・・・・・ちっ、勝手にしやがれ。このグルグル殻頭女!け、あばよ!・・・と、いいたいところだが・・・・なんかあの風車、一方的にやられてねえか?あのカニだかクモだかわかんねえ奴、けっこう強いぞ?・・・・これなら後継者サマも出番無し、か。・・・ここで高みの見物してても問題ねえかな。ヘタに道路走ってお巡りに捕まっても困るしな。け、助かったなツムリ」
 
 
「・・・・・・・」
今度はいくらまっても綾波ツムリの返答はなかった。いくら説明してもこの男には戦いのことなど理解できないだろうから。それが、悪いこととはいわないけれど。
 
 
あの風車がシンプルな造形の割りには、けっこう頭を使うやつであることを、しんこうべ1の槍使いである綾波ツムリは感じ取っている。正確には、向こうから、この市街全てを空から地の底の隅まで。見通そうとする「視線」を、感じる。
 
 
じっと、敵がこちらを見ている・・・・。
 
自分たちは観察されている。戦いの基本。相手をよく見ること。その力を見透かすこと。
 
 
あの巨大な風車が、レイさまが言うような敵であるなら、ただ目の前の相手だけを見たりはしない。襲ったりはしない。動物とは違う。あれは、怪物。己に敵する人の力をじっと分析している・・・・人を越える力を持つから怪物、それ以下ならば動物だ。
 
 
都市という巨大な塊に巣くう総体としての人間の力がどれほどのものなのか・・・・・・計ってから戦いに入ろうというのは・・・・・当然の怪物の作法だろう。
 
 
あれは、この歪な都市を、見ている。
 
 
だから、見せてやる。目がどのへんについてるのかまでは知らないけど。とにかく。
 
 
それを理解しないと、レイさまは、あっけなく敗れる。
ツムリはそれを知っている。が、勝とうと敗れようと、それ自体は実はどうでもいい。
ただ、この街で見る、どうにも不幸せそうな顔が、終わればいいと。ただそれだけを。
そんな信仰などあるわけがない。バカなチン公だと思うが面倒なので口に出さない。
 
 
「肌が、ぴりぴりするよー・・・・・」
 
 

 
 
「けっこう、震えがくるもんでんな・・・・・・あれだけ、威勢のエエこといいちらしといて、敵を迎えて本番となると・・・・・・はは、は」
 
プラグスーツに着替える男子用ロッカールームには、鈴原トウジと洞木コダマの二人きり。
 
 
どこか、試合前のボクサーとセコンドのような風情であった。しかもほとんど勝ち目のない試合のそれ。見た目はすでに挑み終えてギタギタにやられた敗残の後始末、といったすでにダメージ度五十パーセントを超えてつまり半殺し状態、みたいなひどい有様である。
 
 
いちおうは、これが半人前チルドレン、鈴原トウジのエヴァ参号機での初陣、となる。もう少し雰囲気的にどうにか華武いたりアゲ↑ていきたいものであるが、ごまかしようもない肉体的ダメージ、緊張も当然あろうが、全身、とくに両拳がギンギンに、ここから小宇宙が爆発しそうな痛みがある・・・ときては、口にする震え、というのも額面通りに受け取れず、今から病院行った方がいいんじゃなかろうかとこの非常時でなければ即そうしていただろう洞木コダマの表情は暗い。果てしなく暗い。励まし元気づけるどころではない。
 
 
まさか、あのタイミングで使徒が現れ、なおかつ、単独で撃退にいった零号機の綾波レイが早々に強制撤退するハメになり、その穴を参号機、しかも今し方参号機とのガチンコの語り合いでボロボロになっている鈴原トウジにお鉢がまわってくるなどと・・・・・・
せめて、あともう少し、彼の身体を詳しく検査して、異常なく痛みがひいた頃合いに来てくれれば・・・・・
 
 
参号機の掌から大急ぎで担架で医務室に運ばれて、応急処置され服脱がされて、さあ、これから本格的に検査だ、というところで発令所からのお呼びがかかった。医療スタッフ、整備スタッフ、ついでにその場にいた自分も揃ってこう叫んでしまった。
 
「無茶言うなこのヤロー!!」と。
 
しかし、その大声がまずかったのか、鈴原トウジが意識が取り戻して聞いてしまった。
自分を呼びに来た最上アオイのその声を。殺気だった皆に怒鳴られようと一歩も退かずに噛んだ唇がきつく結ばれ。それが撤回されることなどない、と知らしめるように。
 
 
組織において命令は実行される。そのための組織、そのための命令系統。
そこに人情など入る余地などない。いくら正当な異論を唱えようが。
 
 
「ああ・・・・・ワイの出番でっか・・・・・・もちろん、いきまっせ・・・・もちろん」
 
 
おまけに、乗る本人がこう言ってしまえばもうどうしようもない。
 
どうしても、彼でなければならない理由はない。八号機があるのを皆、知っている。
それに搭乗するフィフスは戦歴はともかく、正式な訓練を受けたチルドレン。
こちらを使わず、あえて素人に毛が参本生えたような鈴原トウジを使う理由は何か。
どう考えても、作戦部長連のアホみたいなプライドの鍔迫り合いにしか。
 
 
一応、コーチ役として、役職的には護衛として、鈴原トウジに付き添った洞木コダマにしてそう思うのだから。この子に使徒が倒せる、しかも百戦錬磨の綾波レイが一撃で仕留められなかった・・・相手を倒せるのか、どうか、といえば否、の方に手をあげるしかない。
 
 
だが、機体は、エヴァ参号機は、装甲にヒビが入ったかと錯覚するほどの絶妙タイミングで山吹一色から虎模様にカラーチェンジしており、それを維持。彼を待っているかのよう。
 
彼は、乗れる。
 
それだけは、さきほどあの現場にいた者すべてが、理屈を越えて信じていた。
 
参号機は、この少年を、認めた。
 
認めるはずのない、一度はバケの皮を剥いだようにそっぽをむいていたのが、むりやり振り向かされて・・・・シンクロ、という名の虎児を引きずり出された、と思った。
 
 
そう・・・・・
 
少年マンガのように、熱いハートで。
 
 
その不思議については、皆、語らぬし科学的に検討もせぬ方向で団結一致している。
 
 
それでも、もう一度、「そんな奇跡」が起こることを期待するには、洞木コダマを混ぜても、アダルト率が高すぎた。というより、それに関して最も冷厳な目を持っているのが洞木コダマであるのだから。欲をかきすぎる奴は破滅する・・・・・ハードボイル道の常識である。もう一度、参号機に乗れるかも知れない、というだけでも大ボーナスすぎる。
これ以上の奇跡を起こす代価を持ち合わせてはいない。滝切りの特訓もそんなにマジにやらなかったしなあ・・・・・あれがもしかして奇跡の代価だったりしたのか・・・。
 
 
よろよろと立ち上がった鈴原トウジは「これ・・・着替えんと・・・・いけんのでしょうな・・・あのスーツは包帯巻いとっても・・・かまわんのですか」と最上アオイにそんなことを聞き、「え、ええ・・・たぶん・・・」答えも聞こえているのかそうでないのか、やはりよろよろとロッカールームに向かった。誰も止められない。ドクターストップをかけることも出来たかもしれないが、出撃した綾波レイの生体データを知るだけに言葉が出てこない。現状の零号機とシンクロする綾波レイは、それよりもさらに苛烈な激痛を味わっているはずなのだ。理論上は。実際は・・・・そしてまた右手が爆ぜ・・・どれくらいのものなのか知れるはずもなく。西暦2015年、痛みを計測する機械はまだ造られていない。
 
 
洞木コダマは半ば、強引にロッカールームまでついて行って二人きりになった。
妹のヒカリに気を使うことなど全くないシュチュエーションで。
鈴原トウジも照れる余裕も余力もない。だいたい一人で着替える体力すらギリギリ。
正直に一人きりで痛い痛いと鈴原トウジもわめきたかったかもしれないが。
 
 
だとしたら、酷いことをしているな、と思う。それでも、ここまでくれば言わねばならぬことがある。滝切りに関してはぶっちゃけてしまったが、ここでもう一度。
 
 
師匠兄妹から教えられた「怪物退治のセオリー」・・・・・弱い者が怪物相手にいつも勝ち続ける方法・・・・・それを。秘伝を漏らす、などというほど大層なものではない。
 
 
が、何百回と考えてきたが、確かにそれは正しい。方法論的に必要十分。満足解答。
検証する必要もなく、基本的に弱い人間は、そうやって怪物に勝ってきたのを、誰でも、本質的に知っている。どういったこじゃれたオチがつくわけではない。
まだ人の言葉が数字におかされていない大昔から、それは伝えられてきた。
何も珍しいことはなく。基本中の基本。誰でも考えつく、単純の王様。
 
だが、それゆえの盲点。
 
 
そして、それは参号機ならでは・・・・・・ヒカリならでは。残念なことに、たぶん、鈴原君ではこの方法は使えない。だからもし、「君が・・・・・・」
 
 
「・・・・?」自分の弱気な発言に対して叱責のひとつでもくるか、それとも冷静な肉体に対する分析の一つでもしてくれるかと思っていた鈴原トウジは、そのどちらでもない、これまで見たことのない洞木コダマの表情に不思議そうな顔をした。それを理解するにはまだ鈴原トウジには渋みや哀愁、といったハードボイル度が足りなかった。
 
 
「君がもし・・・・・ヒカリと・・・・機体を乗り換えることがあれば、伝えてくれ」
すい、と音のせぬ完璧な体勢移動で鈴原トウジの耳元で囁く。
 
 
「・・・・・へ?」一瞬、なにをされるんかと構えてみたが、この距離で吐息が不思議とかからぬ声で、さらに不思議なことを言われた鈴原トウジは身体の痛みも一時忘れてぽけっとなる。「いやしかし・・・・・・・そないなこと・・・・・」
 
 
「・・・・・・どうやるのかは、ヒカリに任せればいい。たぶん、ヒカリならやれる」
口に出してみると、なぜかそれが確信に変わる。頭の中では海とも山とも知れぬなんとも怪しげな方法なのだが。
 
 
「それでも・・・・・・ワイは・・・・・・乗せとうないです・・・ヒカ・・いいんちょを」
つられて名前で呼びかけて、目の前の相手が相手であることを思い返して言い直す、こころなしか血色も良くなったような、愛戦士・鈴原トウジ。
それを受けてじろじろっと、プラグスーツを着込んだ初陣のパイロットを見やる洞木コダマ。それから、ずばっと。しゃらんと。
 
 
「往生際が悪い!が、それでいい」
 
 
なにか妙な縁であったが、いやここで過去形にしてはいけない、縁であるが、なかなか見所のある面白い奴であり、もう少し鍛えてやりたくもある。・・・・・それだけに。
こんなワケのわからんところで往生するべきではない。少々見苦しかろうが生きあがけ。
君には速度がある。黒羅のやつはああは言ったが、それでも。
 
 
じい・・・・・・鈴原トウジの瞳をのぞき込む。無遠慮で強く近い視線の力にたじろいだようだが、かまわず続ける。
 
 
「相手をよく見ろ。弱点が見つかるまで、見ろ。弱点が見つかるまで戦うな。その時間を惜しむな。耐えろ。それが死命を分ける。そして・・・・・それが見つかったら、どんな無理に思えても、そこを迷わず突くんだ。やり方は、身体が考えてくれる・・・・・。
あとは心一つ」
あまりにも時間がない。しかもこの無茶な用兵を考えるに、戦闘の実際指揮も、鈴原トウジの素人ぶりを考慮したものであると・・・期待できそうもない。参号機の特異性、なんぞと諜報部の己が言うたところで受け入れられるはずもない。
ここまでだ。
 
自分にできるところは。あまりに狭い領域であるが。「死んでくれるな、鈴原君。ヒカリが悲しむ」
そこから、せいぜい勢いをつけて送り出したいんだが・・・・・・嘘のつけない性分だしな。うーむ、なんか固まってしまったぞ。いらんことを言ってしまったか。かといって百歩譲っても「指揮する人間の言うこと聞いときゃ大丈夫」とはいえんしな・・・・女子高生のこっちよりも作戦部長連の方が頭がいいに決まってはいるが・・・・・
 
 
「・・・・それから、心の話のあとでなんだが・・・・・どこの傷が一番痛まないか」
妙な日本語は当然、誘導のためである。
 
「頭の方は・・・すこしマシに・・・もう耳鳴りもおさまって・・・・・あ」
 
素直な弟子は素直にひっかかった。すぐに気付くのはいいが未熟。
 
「ま、拳は当然・・・・・脇腹だの肋骨だのはもしかしたら・・・・・まずいな」
痛みを麻痺させる手段がないわけではない。が、それをこれから神経接続して動く人造人間に乗る人間に施してよいものかどうか。だが、痛みを我慢しながら冷静に判断せい、というのは酷を通り越して無理だろう。
 
 
そんな、即席の師弟二人して勢いもあげられず、沈んでいるとドアが開かれた。
ノックもなしとはあまりに配慮がなさすぎるだろう、と洞木コダマが振り返って睨みつけてやると、そこには
 
 
「パイロット以外は、エヴァ参号機、出撃準備完了、だーるね」
 
いつもの赤ん坊の代わりに、なぜか徳利をさげた赤野明ナカノが立っていた。
 
 
「あ、はい・・・・・今、いきますよって・・・・・」
鈴原トウジが顔をしかめたのは、空気を乱されたためではなく、かなり痛むのだろう。
こっちの話もきちんと聞いていたかどうか不安になってくる洞木コダマ。
 
「これから戦いに行くのにずいぶん元気のない顔つきだーるね。そう思って、用意しただーるね。一杯、景気づけにいく、だーるね」
 
そんなことは当然、予想していたらしいこの女。おおらかな笑顔で徳利を見せてくる。
さすがに自分で呑むためのものではなかったようだが・・・こういうのは配慮とは特に言わないだろう。それとも、中身は牛乳だったり・・・・まさかな。
 
「あー、あの・・・これはおおきに・・・」そう礼をのべるものの、受けて良いものか判断がつかないらしくコーチ役を見る鈴原トウジ。
「含むくらいなら大丈夫だろう・・・お気持ちをいただいておけばいい」
護衛役がパイロットに指図など、と細かい事を言う相手ではないし、いまさら毒味もなかろう。この女の手引きがなければ今も滝場でウダウダ滝切ってたかもしれないのだ。遠慮無く許可する洞木コダマ。
 
「そうでっか・・・・・では、お気持ち、いただきます・・・」
コップはなぜか用意されてなく、栓をぬけば武将のように豪快に鈴原トウジラッパ飲み。まあ、格好だけだ・・・・・・・・・・・・・・・・・と思っていたら
 
 
「お、おい!鈴原君!」
 
ごくごく、と喉仏がなり、逆さになった徳利は重力の理に従い、当然その中身を未成年の体内に注ぎ込むわけで。度数がどれくらいか知らないが、軽いやつでもあの徳利サイズで一気飲みなどやらかせば。出撃前に急性アルコール中毒なんぞと切腹でもすまない、天国に寝返ったヨッパライとして打ち首さらし首ものだ。引き回すための市中がまだ残っていればいいが。
 
 
「ははは。なかなかいい飲みっぷり、だーるね」
笑い事じゃねえ、なんなんだその笑顔の邪気のなさは!あんた乳児のいる母親だろうに。
しかし、その非難を呑み込む。それよりも鈴原トウジのことだ。
いくら洞木コダマでも摂取ずみのアルコールを一瞬で消してしまう忍術などに持ち合わせはない。あたりに漂う馥郁たる芳香は、徳利の中の飲料がまごうことなき酒類だと嗅覚に教える。・・・・それでいて刺激性のない、桃のような梅のような、桃源郷に咲く仙花のような、嗅いでいるだけでなんか、備わっていることすら忘れ去っていた何か大事な機能が身体の奥で目を覚ましていく奇妙にこそばゆい感覚に包まれる・・・・・・
「これは・・・・この酒は・・・・」
 
 
「”朱夕醉提督”・・・・参号機の出陣、新兵の初陣を祝うのにこれほどふさわしい人の酒もない、だーるね」
 
 
「・・・・朱夕醉・・・・・鈴原君、大丈夫か?」
問いながら少年の様子を観察すると、さらに血色が良くなってきている。酒を飲んだからそれは当たり前かもしれないが、痛みにどうしても歪みがちであった姿勢がシャンと伸びてきている。耳を澄ませば若竹が伸びる瑞々しくピキピキと成長する音が聞こえるかのよう。
 
 
「あ・・・ああ・・はい・・・・・なんや・・・・呑むごとに痛みが消えていってもうて・・・・あら、もうないんでっか」
のんきな言いぐさに蹴りをいれたくなった洞木コダマであるが、ここでケガをこさえては元の木阿弥。空中黙阿弥チョップである。・・・・しかし、痛みが消えた?なんかヤバイものが入っているんじゃあるまいな。人の酒、といっていた。果実の酒が果実酒で麦の酒がビールで米の酒が日本酒で梅の酒が梅酒で・・・・人の酒が人酒・・・・・まさかな。
 
「赤野明ナカノ・・・・・・あなたは・・・・・」ほんとに何者だ?諜報部の人間がそんなこと言うていたらいかんのだが。
 
 
「これなら・・・・・・なんとかいけそう・・・・・・いや、いける!ワイ、やってみせまっせ!!参号機で使徒をぶっ飛ばしてきますわ!!師匠ッッ!!」
パンパンに腫れ上がっていた両拳をニギニギしてみながら、えらく気合いが入ってきてかえってちょっと心配なほどの鈴原トウジ。それにしても、どえらい効き目だ。
 
 
「いや、師匠と言うよりコーチだと・・・・・」言って欲しいな、と
こちらがつっこみお願いするよりも速く、駆け足でロッカールームを飛び出していった参号機パイロット。不確定チルドレン、鈴原トウジ。
 
 
「・・・・・がんばれ」
その背を見送りながら、洞木コダマは考える。どうも、要所要所で自分は役に立っていないのではないか・・・・・まあ、修行なんてものはインスタント・コンビニ性から最もかけ離れたもので、即応性というか即効性がないというか・・・・顔には出さぬものの、ちょっといじけてみたり。と。
 
 
ばしん!!
 
 
その背を思い切り赤野明ナカノにどやされた。反射的によけることもできない速度パワー。不覚なことに肺にきて、こんこんと咳き込む。「く。・・・・・何を・・・・・」
 
 
「次の仕事が、待っている、だーるね。・・・・・何が役に立つかなんて、誰にもわからないだーるね。やるべきことを、やる、だーるね。守るべきはほかにもいる、だーるね?」
 
もしかして、同性にはきついタイプですか、この人。笑顔で。その通りなんですけど。
返答するにもまだ肺がきついので、うなづくだけでその場を駆け出す洞木コダマであった。
 
 
「・・・・駆け出し、とはよく言ったもの、だーるね。ふふふ、ミサトがいれば思い切りからかうのに、ざんねん、だーるね」
育児で忙しいところを、かつての教え子兼部下の頼みひとつで武装要塞都市中枢にまではるばるやってきた、おそらく海よりも深い懐をもつ世界お人好しランキングに入賞しそうな女は懐かしそうに目を細めた。
 
 
地上では異形の巨大兵器たちがドンパチやっているのだが、ぜんぜん気にした様子なく。