自分が、やらねばならない。左手を義務感に、右手を責任に、右足を判断に、縛られていて左足は既に無い。綾波レイは拘束されている。自身が乗るエヴァ零号機よりも遙かに多くのものによってきつくがんじがらめにされていた。たいていの者は直視できないその姿。
 
 
自分一人でカタをつける。
 
 
我が我がと炎に飛び込む蛾のごとく。この期に及んで綾波レイは。
 
 
たとえいったん引き戻されたところで参号機にも八号機にも使徒殲滅の役を譲る気はない。応急処理が終わり次第すぐさま再出撃する気は満々であった。が、いったんエントリープラグを降りてシンクロ切断して再スタートの手間を重ねることにしたのは、さすがに同調による激痛が辛抱たまらんかったからである。顔には決して出さないが、感覚の麻痺を通り越して力が抜けていく。内臓もいくつか作動していないのじゃないかと思うほど。
 
じわじわと。死の淵にすべりおちていく背筋を砂が這う感触。そこから生まれる視覚イメージは廃黒の灰。視覚を強化していた能力が焦げついたのか、悪質な飛蚊症めいたごろごろした血管の塊影が不気味に視界を飛行していく。額と側頭部に釘でも埋められたような痛み。零号機からの同調ではなく自分自身もたいそうまずい状況にある。そこまでまずいなら少しでも回復できるようもうちいと落ち着いた場所で控えていればよいものを、少しでも時間短縮にこんな零号機の近くに貼り付いている。その姿を仰ぎ見る整備員たちはけなげさに奮起するより心配のほうが強くなる。いくら隠そうが滲み出るものはある。
 
 
が、喉から毒の燐分を吹くようにして。「・・・・彼には・・・」全てを押しつけることも出来なければ任せることも出来ない。
 
 
もし、ここで自分が全てを放り出して一任してもいい相手がいるとしたら・・・・・
 
 
それは
 
 
ぶんぶん、と頭を振ってその妄念を振り払う。その行為の唐突さに周囲のスタッフたちがギョッとするがかまわない。わずかなインターバル。ここで使徒殲滅の方策を全て決定して身体に命じておかなければならない。もう細かいことをいちいち臨機応変に零号機は対応してくれないだろう。こちらにもその体力はない。なんかもう視界が暗く寒気もする。氷柱にでもなったような気分。しかも極北の夜の中。北欧を旅したこともあったけれど、あの時はこんな寒い思いをしたことはなかった。これは・・・・・・・・こころぼそい・・・のであろうか・・・・・ふと思い浮かんだ恐ろしく弱気な単語に愕然とする。
そのようなことを考えて使徒を倒せるはずもない。己の心を一本の刃と化せ。
自分がそれをやらなければ・・・・・・
 
 
母上、めずらしくきよわなお顔をされている・・・・・・・
 
 
ぎょ。幻聴に赤い瞳が大きく開かれる。こんな場所で聞こえるはずもない子供、いやさ幼女といっていい小さな女の子が自分に、確かに自分に向かって「母親」呼ばわりして、そっちのほうがよほど心細い、心配そうな声で。この時の返答は「だいじょうぶ」以外ありえないほど。その声は。精神集中のため、いつの間にか目を瞑っていたらしい。となると、これはうたた寝の夢、か。視界は稲妻の柱が何本も走り映像が完全に結ぶのを妨害する。どこにいるのか・・・・・声は、どこから聞こえたのか・・・・それは朝や夜がどこから訪れるのかを知るような。一瞬、哲学的考察に入りかけた綾波レイに
 
 
ならば、父上をつれてまいります。この・・・にお任せあれ!母上、しばしお待ちを
 
 
何を言っているのか・・・・・どうも勝手に何かに納得して合点したらしい声はやはり子供のもので、困ったから父親を連れてこようとなどと・・・その発想も・・ほほえましく感じる余裕はないのだが、その愚かさをなぜかにくめない。どんな偉大なるパパ親を連れてこられようと今自分がおかれている状況をどうにかしてくれる者など世界中探してもおりはしない。気配を探ろうとしても、判然としない。どこかに感じることは感じるのだが。
 
 
しかも、この子の名前もよく聞き取れなかったのだが。ぱたぱた・・・と声がどこかに走り去る足音は聞こえた。まさかネルフ本部にざしきわらしがいるとかいうわけもない。
まさか、これが死神・・・・・・いやいや、そんなにとにかく誰にでも未だ母呼ばわりされるほどの年齢ではない。あれは・・・・・・考えていると
 
 
すうっ・・・・・・・・・
 
 
溶けるように頭痛が消えて視界がクリアになった。頭痛薬のCMのようにちゃっかりと。あっけにとられるほど簡単に。そんなことってモハメド・アリ、といいたいくらいに。
痛みに耐えて消耗していた体力はそのまま目減りしたままではあるが、痛覚の利子がつかないだけ大分ましになる。
 
 
「あれは・・・・・」ほう、と気が抜けかけるが、
 
 
 
「綾波、どうしても話しておきたいことがある。今、ええか」
 
出撃寸前の鈴原トウジから直通信がきたので意識はそちらに戻る。
 
参号機の指ではね飛ばされてけっこうなダメージを負っていたはずだが、声には意外、不審に思えるほどの力があった。怯え萎縮してもおかしくない状況であるはずなのに、といってこのようにことわりをいれて話そうというあたり、自暴自棄になっているわけでも、なさそうだ。
ヘタをすると、これが彼の遺言にもなりかねない。何を言い出そうと・・・聞いて受け入れてやらねばなるまい。逃げなさい、とこの口が裂けても言えないのであれば。
 
「少し待って・・・・・・」他人に聞かせていい話とは限らない。声のニュアンスからしてどうも彼は秘密にしておきたいようだ。発令所の日向マコトに連絡してちょいと秘匿をかけてもらう。「いいわ。・・・・それで、どうしたの?・・・」
 
 
「あのな・・・」
 
そして鈴原トウジは師匠である洞木コダマから伝えられた「弱い人間が怪物に勝ち続ける方法」についてそのまま語った。それを
 
 
「いいんちょに伝えてやってくれへんか。なんかワイには無理らしいしな、その方法。・・・・もし、これに乗るようなことになったら」
 
 
洞木ヒカリに伝えろと。・・・・・会話を秘匿にしといてよかった。こんな話を他の者に聞かれでもしたら・・・・・。綾波レイはそこには相手がいない、手首の通信機をまじまじと見る。これはほんとうに鈴原トウジであるのか、確かめるように。
 
 
「分かったわ。洞木さんには確かに伝える・・・・・・鈴原君」
 
 
「なんや」
 
 
「私もすぐにいくから」
 
 
適当な気休めを付け加える事は出来なかった。今回の使徒は手強い。まるでこっちの手を事前に研究してあるかのようなしたたかさ。とても素人、いやさ参号機の認可を得た今、それも無礼か、一人の新人として認めなければならないだろうが、それでも手に負えまい。
 
見た目のシンプルさと強さは関係ない。そして、彼は自分で言うとおり、その「弱い人間が格上に強い存在に勝つ方法」、そんな都合のいい虎の巻を忍ばせているわけでもない。少しでも階段を踏み外していたら、今こうして鈴原トウジは参号機に乗っていない。
悪運が強いというのか、来襲の速度は天まかせで諦めるほかないが、ここまで彼を運んできた流れ、人、組み合わせ、それらは恨めるし、恨めしい・・・。もう少し、自分がうまくやっていれば・・・・
 
 
「へ。そないに重い荷物しょって慌てるなや、綾波。ギックリ腰になってまうで」
 
 
焦り、後悔。隠しに隠して砕かれた原子ほどのそれをどうか読み取ったのか、それともこれがつきあいの時間というものか、鈴原トウジはそんなことを言った。言ってのけた。
 
 
「・・・・・・・」
ここで自分の背中をふりかってみるほど綾波レイも天然ではない。
 
 
「じゃ、行ってきますで。帰ってきたらまた滝切りの続きをせなな」
 
通信は切れた。意外なところにいた理解者は刹那に出現しては消える。もしかして神よりもレアな。感激も感動もすることを許されていない少女は、きゅっと手首を握るくらいしかできない。傍目からすると脈拍を測ってるようにしか見えない。声は聞こえずとも参号機を送り出すなんか感動的なアクションを期待していた周囲の者たちは肩すかし。薄情だと言う者もある。背負う荷物はあまりに巨大でもうそこに埋もれてしまっている。人間と言うよりはもはや偶像であった。
 
 
 
主のその姿を零号機の単眼がじっと見下ろしている。
 
 
何を思うか・・・・人造の巨人を動かす魂の座は今は無人、何を思うはずもないのだが
 
 
亡ッ
 
 
そこに、電力によらぬ光、鬼火が灯るのと左足の切断面に施されたル氏の封印が内部からハジけるのとほぼ同時。肉蛇竜めいた切断面は牙を剥き勝手に動き出すと右手の修理にまわっていた整備員たちに襲いかかった!。なんとか運良く丸かじりは避けられたものの、牙にひっかけられて血がスプラッタに噴き出す。数値と対決する科学の修羅場から一転、逃げまどうしかない原初的阿鼻叫喚の血の池ジュラシック地獄が現出する!!
 
 
「!」この唐突さに対応できるのはここにいる中では綾波レイ唯1人。
 
 
暴走とはひと味もふた味も違う血の味臓物の風味がしまくりの惨状死地に自ら飛び込む。
もちろんこんな場合、大急ぎで逃げるのが正解である。それが唯一解といっていい。
ガクガク震えるか石のように固まって動けない重荷の他者を助けている余裕などない。
これ以上背負えばギックリ腰どころか文字通りに潰されるだろう。それでも。
 
恐怖で麻痺して逃げられない者たちを解放して限界筋力で走らせることは催眠で可能。
さすがにドラゴンの首のように伸びてくるわけではないから、切断面から距離をとればいい。なんとか喰い殺したろかとばかりに暴れ回る左脚であるが、それでも可動範囲は限界がある。スピードが勝負。脱兎飛燕のごとく駆け出した・・・・つもりの綾波レイであるが、実のところ、身体がついていかなかった。よろよろ走って・・・つまづいて、ころんだ。
 
 
 
「再封印・再封印・再封印・再封印!!」「封印再度・封印再度・封印再度・封印再度」
「エンガッチ・エンガッチ・エンガッチ」「バリヤーバスターバリヤーバスターバリヤー」
「封印封印封印封印封印封印封印封印」「再結晶再結晶再結晶再結晶再結晶再結晶再結晶」
 
 
そこにこのことを予想していたのか、ル氏の術士たちが怪しげな呪術道具を担いでゾロゾロまとめて駆け込んでくるが
 
 
「うわー、やられたー」
 
 
三秒でやられた。世界ザコやられ選手権でも堂々と成績が残せるであろうほどのタイム。
 
「かくなるうえは、奴がじゅうぶん腹がくちくなるまで存分に生け贄を食させるしかあるまい。というわけでおまえいけ。肉が多い若い奴からだ」「異論はありませんが、一番若いのはパロウ・ヴォイシスではありませんか。それにあれは脚であって腹ではない」「それはそうだがもはやヴォイシスにはさからえん。いつのまにあれほどの術力を身につけたのか。若いのをいいことにいたずらに呪いの実験台にしたり薬を造らせていたやつは皆くろこげにされた。わたしはやらなかったから助かったが。というわけでやはりおまけいけ」「異論はありませんが、わたしたちは皆痩せておりがりがりです。いつも肉体労働に従事しているこの者たちのほうが食欲を満たすのにむいておりましょう。錬金臓腑をもち卵を産むヴォイシスならばなおさら。満腹ならぬこれぞ満脚」「異論がないといいつつ、思い切り異論しているのはあれだが、確かに正論ではある。しかしながらわたしに逆らう点が難であるのでおまえいけ」「異論はありませんが、衛士の者では・・」
 
そして十分な安全距離をとって円陣結界を組んで不毛な議論にはいるル氏の術士たち。
ある意味、そこは絶対領域。まずそうで食指がうごかぬのか、牙面も無視の方向。
 
 
どうせなら極上の至高の究極の、「白身」がすぐ前にころがっているのだから。
 
 
いくらなんでもこんな最後はなかろう。自分の機体に、しかも左足に「喰われて」しまうなどと。こんなシュール悲劇はない。住民からさんざん搾り取った悪代官とかならともかく。
 
 
「レイ様!!」
文字通りの飛燕のごとく駆けたのはこちら。影のように後継者を護衛していた綾波者。
その中でも戦闘力は若手のいっち、綾波虎兵太。名は虎ではあるが速度は豹。影に潜んでいた分、どうしても距離があるがそれを埋めるに十分なダッシュであった。が、それよりもなお速く、主の危機に動いた者があった。
 
 
ヴン
 
 
エヴァ零号機である。どういったつもりでどういう動力で動き得たのか謎であったがどうせ誰も追求できないのでそれはいいとしても、その左拳が動き、狂ったオロチのごとく暴れ回る左足の切断面めがけてハンマーパンチ!!をぶちかまそうとしたのはまずかった。
 
 
その一撃を牙むく面が受け止めてベンゼン環のごとく食らいだしたらどうなるのか。
その暴虐捕食行為を止めざるを得ないのは間違いなかろうがその行き着く先は・・・
 
 
という疑問はさておき、肝心なのは大人しくそんな一撃を食らうほど牙切断面がマヌケでなかったことである。バランスを崩して左拳のハンマーパンチを避けるなどよゆー。
 
 
その結果、ハンマーの攻撃軌道がずれて・・・・・・・・・
 
 
こけてたおれた綾波レイめがけてふりおろされてしまった。ぐしゃ、どころか、ぷち、という音すらしないノーブレーキタイミングで。
 
 

 
 
「だめです。しつこいです。約束は守ってください」
 
 
この使徒戦が始まってからずっと本部地下に厳重封印されている元・ロンギヌスの槍、現ロンギヌシュは目の前で己をずっと見張っている小娘に申請却下をされていた。
 
 
ちなみに、会話は「手話」。便利なテレパシーなどではない。ロンギヌシュが考案したらしい独特な手話を即時にル氏の小娘、ル・パロウ・ヴォイシスが翻訳して意思疎通している。片手五本指しかないわりにはずいぶんと複雑なことまで分かり合えていたりする。
 
 
                              (そんなこといわずに
                         (ここから出してくださいよ。使
                   (徒と戦ってこなくちゃ。ここがやられたらあ
                        (なただって危ないんですから|
 
 
「だめです。あなたには私との契約を守る義務があるんです。そんな表立った活躍なんてしてもらわれたら秘密がばれてしまいます。あなたはわたしのベアトリスの簪、神罰の手でいてくれればそれでいいのです」
にべもない返答のパロウ・ヴォイシス。ここにいるのは彼女一人。長の弱みを握った今、怖い者はない。弱術若年なのをいいことに今までさんざん呪いの玩具にして遊んでくれた先輩術師どもも仕返し、いやさ粛正できた。まさかこんな極東の島国にきてそんな機会が与えられるとは思ってもみなかった。やはり神は復讐者の味方だ。恩讐の果てにおらず。
 
 
(僕様ちゃんがいけば使徒なんか指先ひとつ(で楽勝で追い返して見せますよ。あなたも(命が助かるしまあ、それでとんとんという(ことで僕様ちゃんを解放しましょうよ・・(っていうかこの一人称訳はそろそろ変更し(てくださいよ|  
 
 
「だめです。しつこいので一人称の変更要請も認めません。もともと契約を申し入れてきたのはそちらなのですから、あくまで死守してもらいます。何が狙いだったのかわたしには分かりませんが、それほどファーストチルドレンの邪魔をしたかったのですか?機械人形の左足など同じ機械人形にくれてやればよかった。今の使徒の攻撃も片付いていたかもしれませんよ」
 
 
(・・・・・・そういうわけにもいきません。そういうわけには、いかないんですよ。片足になるなんて見過ごせませんよ。ねえねえ、いいじゃないですか、ちょっとだけちょっとだけ。使徒を片付けたらすぐに戻ってきますよ。前みたいに封印をゆるめてくださいよ。すぐですすぐ!もう五分くらいで!カールとコーラもつけますよ|
 
 
「嘘です。手話ですからすぐに分かるんです。嘘をついています。ここで解放すればあなたはもう二度とここには戻ってこない。戻ってくる気はない。私の手元にはもう二度と。
あなたは嘘つきの天才・・・・・・
抜け殻だと思っていたのが目くらましだったなんて・・・・・・あなたは力を増大させている・・・さらに底が抜けているから私たちの目には映らなかっただけ・・・・世界中の聖遺物を合わせても敵わない・・・まさに新世紀の神器・・・・・こんな僥倖を逃すくらいなら死んだ方がまし。人の滅亡がこの目で見られるのもまた一興ではないの?・・・・で、カールとコーラって何です?」
 
 
(カールは食べると100メートル十秒で走れる小麦菓子で、コーラはコカインでつくったお酒です。ダイエットには最適ですよ。どうですか|
 
 
「嘘ですね。嘘つきは嫌いですから罰を与えましょう・・・・・あなたがなぜかこだわっていたエヴァ零号機の左足に施された封印がそろそろ解けますよ。ベルゼ長も事前に通達すればいいものを、ほんとうにそんなことはどうでもいいんでしょうね・・・・・ただでさえ弛んでいるどころに戦闘などやって衝撃を与えればどうなるか・・・・・・素人にでも分かることですけれど・・・・それでも専門職として少しは長のことを信頼しているのでしょうか、あの方たちは」
 
 
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・|
 
 
「少しは懲りましたか・・・・・術士たちを向かわせましたけれどあの者たちの手には負えないでしょう。目下を実験台にして術の鍛錬に余念がないような手練れは黒こげですし。世界ザコやられ選手権でも入賞できるようなタイムでやられて終わり。あとはうだうだと議論してただ時間が過ぎゆくだけ・・・・さすがに面子がありますので長もこの点は介入してくるでしょうが・・・・あまり我が儘がすぎると・・・・わたしが止めますよ」
 
 
(ふーん。・・・・・・・そういえば、クァビカさんがいませんね。衛士の。そばにいてくれないんですか。ここの護衛をしなくちゃいけないんじゃないのかなあ|
 
 
「・・・・ここにはわたしがいれば十分ですから。退屈しのぎに再封印の現場にでているのでしょう。それがどうしたんですか」
 
 
(別になにも。封印が解けてオロチのように暴れ出した左足に襲われてパックリ食べられたりしなければいいなあと。そういう場面は、対応できることがアダになったりしますから|
 
 
「・・・そんなことは・・・・嘘です・・・・・・」
嘘と言うよりハッタリである。が、その可能性も確かにないではない。人間相手なら、いやさ血流をもつか体内に塩分を含む生物相手ならばほぼ負けることのないクァビカといえどさすがに勝手が違いすぎる。他の自分至上の術師と違い、気紛れに人を助けたりもする。
ル氏には珍しいアクティヴ危険大好き男ときているし。もしか、すると・・・・・・
 
 
(だと、いいんですが・・・・くくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくく)
悪魔の爪のように己の形態を歪めるロンギヌシュ。それから間をおかずに鉄砲の形に。
 
 
どーん!!
 
 
パロウ・ヴォイシスをねらい撃ち。撃ち抜くは心。やり口はまさに悪魔。
 
 
(あ、先にいうときますが、死んだひとを生き返らせろ、なんて言われてもできませんからあしからず了承のほどをねがいますよ。今、現在この瞬間の判断が未来の運命を決定するのです。生か死か、デッド・おあ・アライブ|
 
 
「・・・・・・・・・」
相手は自分にこう言わせたいだけなのだ。「封印をゆるめるからなんとかしてくれ」と。
 
向こうからではなく、今度はこちらから。
 
みえすいた手だ。原初の昔から続く愚かなる解女の物語。それを自分にも語らそうというのか。この嘘つき魔神は。いやさ楽園の蛇か。その手は喰うか。それに、ここでこの雷眼を失えばどんなえげつない仕返しが待っているか分かったものではない。いくらベルゼ長の秘密を握ったとはいえ。解決策は簡単だ。クァビカを危険極まる現場から引き戻して安全な自分のそばにおいておけばいい。・・・・・けれど、そんなことはできない。安全であっても退屈な自分の傍になど・・・・・・・って
 
 
「え」
 
 
物思いに耽る自分の目の前、封印されるロンギヌシュとの中間地点に、いきなり海色の着物の女の子の後ろ姿が。どこから来たのかいつ現れたのか自分の雷眼に問うがいらえはない。ル氏の術師でさえ今はここに自分の許可無く入ってこれないというのに。
 
 
小さな頭に揺れる空色の髪の束。どこかで見た色合い。答えがすぐに出たからこそ信じられない。綾波レイ。ファーストチルドレン。彼女の髪の色と同じ。けれど背丈は違うし、こんな七海の主から祝福されたような無限の青に染めた着物など着ていない。
 
 
「・・・・・・・・。・・・・・・・・。・・・・・・」
 
 
女の子はロンギヌシュに向けて何か言っている。背をぴんと張り確かに相手に届けようとする想いの声が聞こえぬ距離ではない。手を振り背伸びして何かを訴えているようなのだが・・・・・・しん、として聞こえない。ただ、見えているだけだと気付くパロウ・ヴォイシス。この眼で契約の証の雷眼で。ロ槍の縁者。世界を巡る大血脈のひとつと接続している感覚。身体など動くはずもない。そこに立ちつくして後ろ姿をみてるだけしかできない。
 
 
「・・・・・・・。・・・・・・♪!」
 
 
対話は終わったらしく、手振りも背伸びも止めて一息ついて、ふいに気付いたようにこちらを見た。赤い瞳でにこっと笑った。「・・・・・」一言何かいってふかぶかと一礼して。
消えた。お邪魔した、とかなんとかだったのかもしれない、と消えた数分してから思った。
 
 
                           (なんとかなりませんかね|
 
 
あれだけ邪悪ぶっていたくせに一転して真摯な指使いになった。
 
 
「な、何がですか」
 
 
(なんかかなりまずいところまできているようですよ奥さん|
 
 
「誰が奥さんなんですか。私はそんな単一家庭構成上の役割など・・・・望むべくも・・」
 
 
(いやそうではなくて。もうさすがに限界きているというかそれを自分で認めようとしないというかメルトダウン寸前というかそろそろ買い換え時、じゃなかった、そろそろお助け時にきてますよ。伸びて広がる人の心の唯一の精神活動、それをもってパッチする。つまりは愛の使い時。というわけで僕様ちゃんはもう行っていいですか|
 
 
「だめです。謎な単語の連呼でごまかされるほどル氏の術師は甘くないです。それからせっかくの真摯な指使いはもう少し長く使ってください。訳するこちらもきついです」
 
 
 
            (封印されるんですよ|
 
 
運指は確かにそう言った。間違いなく誤訳無く。「え?」
 
 
 
(今のこんな塩辛い封印なんかよりももっときつい封印にかかりにいくんです。ほんとはそんな野蛮なことしたくないんですが、しょうがない。今来てる使徒をパチンと弾いて終わりかと思ったらそれですまなくなりました。さすがは四大の(VΛV)リエル。通った跡でさえとても人間がどうこうできるものじゃない。弱気になった零号機が抑えておけなくった今、ほっておけば本部内の人間どころかこの都市全ての人間がアレに喰われますよ。無論、あなたも|
 
 
「脅しは通用しません。あのようなもの・・・適当に暴れさせてこちらの有り難みを思い知ってもらった後でも再封印は可能です。伊達にクムランから出てきたと思ってもらっては困ります」
 
 
(あなたにとってもこれは有利なことですよ。深いところに挟み込まれて今やっているこんな意思疎通など出来なくなる。小賢しい僕様ちゃんの言うことなど聞く、というか見なくてもよくなりますけど|
 
 
「あなたとの対話は嫌いではありません。少なくとも他の術師と話すよりは」
 
 
(今まで小出しにしていた雷ももっとまとめて引き出すこともできますよ。このレベルVの意思が休眠、使用不能になれば限度額の制御も甘くなりますから。その代わりオーバーロードにならぬように自分でコントロールしてもらわないといけませんが。ご利用は計画的に、で、どうでありますか|
 
 
「・・・そのようなこと」
 
実のところ
 
 
嘘つきだと告げながらこの目の前の、神の子を貫いた槍の名をもっていた巨大な力の生成器が自分たちよりも遙かにまともな言葉の操り手であることをル・パロウ・ヴォイシスは知っている。そうでなければ、そもそもこのような対話は無意味となる。圧倒的な力の差をもって忘却してしまえばいいのだから。そのような約定など。遙か異国の地にある真の名も知らぬはずの呪い師の弱点をたやすく知る情報収集喝破能力をもってすれば自分の弱点を探し出してきて他の術師にそれを告げて同じような取引をなすこともたやすかろうが、それをこのロンギヌシュは・・・・「僕様ちゃん」はやらなかった。とんちでひねられたあとは頭をペチンとたたいて参ったするチョロい民話悪魔とは懐のケタが違う。
 
 
自分がどれほど人の身で神罰の威を振りかざそうと、勝手にせよと。
 
 
悟りと覚醒が同時に来る。
 
 
人の足では雲は踏めない。それが血の雨ふって歪んでばかりの土を焼き締める罰充ち満ちる雷雲ならばなおさらのこと。己の足の踏むものが雲散霧消する不確定が背後に立ったような不安。呼吸が荒くなり涙があふれて両手を投げ出すようにして額づく。圧倒的な存在感に押し潰されそうになる。これからやるべきことのために今まで空の器を装っていたくせにそれをやめて力の注入を開始したのだ。神々の宴に使う杯を満たすほどの勢いで。そばにいるだけで自分の、自分の裡にある生命が、ふりかえりもせず進化という家出をしてきた原初の海におめおめと押し戻されそうになる。透き通っていく心と体はむしろ望みを。
 
 
「・・・ほんとうは、わたしとの契約などなんの枷にもならぬのでしょうに。なぜ、従った不自由なふりをするのですか。頼みなど、せずとも・・・・・・!」
 
 
(自分がした他の約束たちを無効にするのが忍びないからであるよ・・・で、どうしてもらえるだろうか|
 
 
「分かりました。・・・・・行ってください。封印を、弛めます。再会は期待しません」
 
 
        (それではお言葉に甘えて。ハッシャ・ばいばい|
 
 
キザなヤローがするように、指先二つであばよの挨拶。ほんのすこし、札を一枚ずらしただけでゲドルト鎖やら何十もの封印措置をとられていた巨大なマジックハンドはル・パロウ・ヴォイシスの目の前から消えた。好きなように化けられる彼の存在のこと、極細の赤糸となって空調のスキマから出て行ったかそれとも完全な二次元体にでもなったか、驚きはしない。ただ巨大な生命力が通り去った余波にじりじりと熱く痺れて動けない。自分のような特殊な生体でなければ妊娠させられていたかもしれない。ぎゅっと鎮めておかないと身体が調子づいて新たな生体器官でも発生させそうな、なんともいえぬ温さであった。
 
 
「あの妖怪・・・・っ」悶えながらも負け惜しみは惜しまないパロウ・ヴォイシス。
いまさら妖怪もなかろうが、その有様はさながら妖怪「かたもんでちょ」にやられたようでもあるから気持ちは分かる。「・・・・分かってたまるものですか。うきゅきゅ・・・」
いまさらウキペディアもなかろうが、理解は不能だった。
 
 

 
 
こんな時、少女は危ういところで助け出されるようになっているのだ。
 
 
おばさんはだめとか二十歳以上はダメとか何歳からおばさんなのよとか美はつかなくとも大丈夫なのかとか女ばかりで男はダメなんかいとか、「人生いろいろある!!」が、一言で片付けたところで綾波レイもラッキーなことにギリギリでバランス崩した零号機の予期せぬハンマーパンチを食らうというか下敷きになることはなかった。ころんだ意味がないようなここ一番の火事場の自力脱出ではなかった。
 
 
「・・・・・・危ない危ない。これはちょっと楽しむには生々しすぎるなあ」
危機一髪に助けられた少女こと綾波レイを抱きかかえているのはル氏の衛士、ル・クァビカ・バタロウテイル。ダッシュ力は綾波虎兵太よりに譲ってもスタート位置が良かった。燕を返すようにギリギリに少女を圧殺の危機から救い得た。そして自分の身を含めて牙剥く傷痕・迫り来る二次危機からもついでに救う。早い話が安全圏に退避する。
 
 
「レイ様!!」
「他を」
 
後継者の無事に心臓も凍る冷凍地獄から解凍現世へダウンアップした綾波者たちがそちらに駆け寄ろうとするのを氷柱を砕くような声で制する綾波レイ。「わたしのことはいいから他の人たちを助けて」という意味であるが短すぎる。しかも抱きかかえられたままでは威厳も減少だが炎を噴くようなその目を見れば即了解するのが綾波者の綾波者のゆえん。
 
 
「は!」
綾波者にすれば国連の特務機関などまるで関係ない。なんで危地に飛び込んで赤の他人を助けにゃならんの、と文句が出てもおかしくないが、そこが基本的に傍若無人な異能者の集団を束ねる家の貫禄の萌芽、というものであろうか。虎兵太も工鉄も鍵菜も銀橋もピラもすぐに駆け出す。ゆきみる墓場でクリーチャーに慣れているせいもあろうが。
さすがに零号機も反省したのか次のハンマーパンチ攻撃はなく、肩を震わして片手をついたその姿は全体で見ればまさに深く反省、恥じ入っているようにも見えるのだが皆ほとんどそんな余裕はない。そんなことより大暴れの下半身である。なんか品がないし綾波レイの専用機として見も蓋もない表現ではあるが、実際そうなのであるから仕方がない。腹ぺこエイリアンめいた襲撃に周囲の者は命がかかっているし。なんとか可動範囲を広げようと左足を捩らせて暴れる牙面の苦闘に肩口にロックしてある拘束具があやしい悲鳴をあげている。やはり足部分の筋力パワーはたいしたものであるらしい。だが感心している余裕はない。これ以上自由にケージ内で暴れられた日には使徒殲滅どころではない。
 
 
こればかりは蠅司令ことル・ベルゼ・バビデヴゥルの担当なので座目楽シュノも「司令お願いします」の一言しかない。参号機のほうに集中せねばならぬし。八号機をもって鎮圧させればとんでもないことになりそうだった、というか事実なるだろう。赤木博士はどこにいったのやらいないし、せいぜい整備員を退避させることと、これを暴走とみなして零号機を使うのは諦めてケージごと硬化ベークライトに埋め固めてしまうくらいしか判断余地はない。
 
 
それに・・・・・
 
 
綾波レイが自分の機体に潰されかけ(こっちは事故)喰われかけた(おそらく故意)のを皆が見ている。外見からすると、搭乗もしていない零号機が勝手に動き出し(牙切断面のほうもそうではあるが)あろうことかパイロットに裁判官が判決下すようなハンマーパンチなど。ただでさえシンクロ率の低下が嘆かれていた現状、ここに至ってはこれは零号機からの絶縁の意思表示であると見られても仕方がなかったであろう。
他の解釈が出来る者は・・・・・・いなかった。声に出して「それは否!」という者はいなかった。
 
 
パイロットの、ファーストチルドレン、綾波レイからして、今の零号機のアクションを誤解せずにはいられなかった。いやさ、一番鋭く拒絶の意思を読み取りさえした。
 
 
自分を、恨んでいたのかも、しれない・・・・・・零号機は
 
 
己の身体を貸し生死を託す無二の者として認められず、その座に座るべき資格を満たした完全な者ではないと。感情を引き渡し使徒と戦う能力を残しても、それでもまだ足りなかったというの。
 
 
いやいやそうではないかもしれないよ、という心の余裕は今の綾波レイのどこにもない。
自分の機体のダブル攻撃にさすがに心に亀裂が入り、折れかけていた。ぽきんと。くる。
 
 
「・・・さて、そろそろ下ろそうか」
ル氏の衛士に声をかけられて、ようやく気付く。
今、自分がなにをすべきなのか、それすらも分からない状態であることに。
今、下ろされても自分の足は地につくまい。寄る辺なく立てるかどうか分からない。
 
 
「あ・・・・・」
 
ぽきん
ぽきん
ぽきぽきん
 
 
今は戦場でもないこんな陣地の床ですら固すぎてどんなにそっと下ろされても心が折れて、それから砕けるあっけなく。それはもしかすると天寿の蝋燭だったりするかもしれぬ。
気力が失せれば人は死ぬ。ぽっくりと。やばいくらいにあっさりと。後で人々に「ああ、あれは蝋燭が消える前の最後の燃え上がりだったのだなあ」などと懐古されることになる。
 
そんなことで。たかが、そんなことで。使徒を相手に百戦錬磨したはずの心が。
 
 
折れる。
 
ぽき
ぽき
ぽっきー
 
 
 
ではあるが。
 
 
 
もう一度、題目は唱えられることになる。
もはや、口もついていないその者の手で。