目の奥に、花火をみている。ぱちぱちと。たぶん、線香花火。
 
 
弾けて消えるときそれは、どろりとした蒼い闇を道連れにしていく。
 
 
正気を保つというのは意外に多くのものを必要とするのだと、知った。
 
 
それから、あの時の選択はどうも、間違ったものになりつつある・・・・そんな気がして。
 
 
綾波レイはその赤い瞳でじっと過去を見る。過去にしたあの選択は誤りであり、それを縋って続けていけばやがてかぼそき未来かな、と。忘れることはなく忘れられるはずもなく忘却せず、その一点をしつこく覚えて心に刻んで我が身をここまで動かしてきたからこそ
 
 
感情か、能力か
 
 
なんのために、なにを基準にして、自分はあの時、この選択をしたのか。
 
 
零号機を動かすために。
 
 
誰のためでもなくただ、自分のために。結果はすでに明らかになっている。
能力を持ってして零号機を人形のように、人形遣いのようにして動かそうと。
そうでなければ、動かないと。そうでなければ、自分などが、あのひとのように、ユイおかあさんのように、エヴァなど動かせるはずもないと。小さな自分の心では。
 
 
自分では容量が足りないと。レリエルはそう言っていた。実際、自分の器はそうなのだろう。赤い瞳をもっていようと空色の髪であろうと規格の中におさまるほどのこの姿。
もともと小さなそれが、滲みぼやけて透明近くになってしまっては、さぞ零号機には見にくかった、見つけにくかったことだろう。自分という存在をはっきりと認識できなかったゆえに、そうであればこそ同調は不成立、シンクロ率の低下という事実に嵌り込んだのだと。
エッカ・チャチャボールが自分を称したあの言葉も今ならば多少は分かる。
 
 
それから、自分に目にまだ宿る光のギフトに。今まで見えていたあの子はその副産物のようなものなのだろう。影絵でこさえた絵本のような。
 
 
感情か、能力か
 
 
その選択をもう一度。気付いた時点でやり直せるように仕掛けをしてあった。第二東京で一度やったことだ。あれを・・・あれこそが。事の発端であり、おそらくこれから最後まで己が対峙し続けねばならぬ業のようなもの。神でも人でもない者たちはどうも自分が目障りらしい。おまけに自分の方でもそれが馴染まないときている。忘れてなどやるものか。たとえ水に流しても最後にいきつく先には水がある。忘れぬものは復元できる・・・それが、己を蒼く滅ぼす呪いであろうとも。受け入れる容量がないから選択を迫られることになった。今、自分にそれがあれば。あるというなら。呪いを片付ける器が。基礎的な鍛錬からなにから。継ぐべきはず受け取るはずのものは多く、自分の過去をすり抜けていった。今の自分は、あるべき姿ではないのかもしれない。歪んだ増長であるのかもしれない。
 
 
だけれど・・・・・・・なんだろう、この自信は。
 
 
与えられた選択肢など、必要ない。必要なくなった。
 
それから、認めもしよう。口には永久にしないけれど、千地万天に。
あの時、碇シンジを引き戻してやろう、と思ったのは、感情のゆえであったと。
 
自分の心のため。
 
それを認めぬために、切り捨てた。その能力ゆえに彼が必要だと、己に認めさせた。
うーむ、わかりやすい。分かりやすいものが、ほしかったのか。確実な答えが。
そんなものはない、と分かっているから、自分自身がそうなろうとした。
分かりやすい形を己に与えようとしたのだけれど、結局、うまくいかなかった。
 
 
そう考えると、あの選択肢は卑怯だな、と思う。選ばなければ腐死するか軽くて呪いの操り人形になっていたわけだけれど。いやさ、もしかして違う方を選ばせて、選ぶものだと決めてかかっていて、笑うつもりでいたのかもしれない。頑迷の甲羅を脱がせて素の姿にして・・・・・あのふたりならやりかねない・・・・もはや、この天の上も下も、とらわれるものがないのだから。光の風のように生きればいい。同じ顔でもこちらはたぶん、死ぬまで頑固でいくのだろう。さて・・・・
 
 
なにかと一枚上手をいっていた彼の手はもういらない。自分には、まぶしすぎた。
 
 
”闇よ”
 
 
呪いを再発させて瞬時に瞳は蒼くなる。「これは・・・」モニターで見る発令所やケージの者たちが最後のハードルの異常な高さを思い、息をのむが・・・・・かける言葉などなくただ信じるのみ。
 
 
 
「それでこーそ、レイさま」
幽霊マンモス団地の屋上で戦闘の様子を眺めながらツムリが槍を嬉しげに一振りした。
「ういおっ!!?あ、あぶねーじゃねえか!!殺す気か!ツムリてめえ!」
「あれ・・・まだいたの」わめくチンなど相手にしない。年若の主人がようやく正気を取り戻したのをこの距離で知るのは血が騒ぐから。従者とはそんなものだと。
綾波党の主である第一条件は、子分党員たちの病むなり疲弊した異能を治療し癒し再生する能力治癒にあるわけだが・・・・それでも、特異能力者は嫌いな奴には従わない。
扱いきれぬ能力など放下してしまえばいい。自分たちがここまでついてくるのは・・・
 
 
闇に紛れてしまわぬように、自分たちを捜してくれる、自分たちが探しやすい、混濁した世に透徹して輝く独特の赤・・・・・その色をもつがゆえ。そんなの本能だといわばいえ。
 
 
”闇であろうとも”
”闇であるゆえに”
 
 
それに塗りつぶされ消されはしない。
 
 
そうやって綾波者は生き延びてきたのだから。我らはかりそめの客、流浪の民。
それゆえ、その頭領は・・・・・・
 
 
「わかりやすくならねばならない・・・・・・のですよ、レイさま」
「何言ってるかちっともわからねえよこのカタツムリ女・・・・しかし、今の戦況ってのもちっともわからねえし・・・いきなり三すくみみたいな睨み合いになっちまったな」
 
 
ひとりよがりの神秘性などいらぬとツムリはいい、それとからむようでいて巨人と怪物の戦いの様子が気になってしょうがないくせに避難しないもはや小心なのか剛胆なのかただマヒしただけかわからぬチン。
 
 
 
「あともう少し・・・・・・!」
「あともう少し・・・・・・・!!」
零号機のシンクロ率は起動定数直前まで上がったところでピタリと止まってしまった。
 
「あーん!あんあんあんあん!!じ・れ・っ・た・いー」「どうして・・・・いや、異物を挟んでここまで伸びる方が驚異か・・・でも」大井サツキが奇声をあげ最上アオイが唇を噛む。「もみじまんじゅう三ヶ月断ちますショートケーキ断ちますシュークリーム断ちますあんまん断ちます焼き芋断ちます羊羹断ちますパフェ類も断ちます!・・・だから」
阿賀野カエデが祈ったりもしているが、そこからピクリともしない。
ちょうど綾波レイの瞳が蒼くなったのとほぼ同時。
 
 
「・・・・さすがは、ル・”さかなをくらうひと”の呪い・・・あのような小娘に解呪されるはずがないと思っていたが・・・・この局面で再発するとは見事な呪いぶりよのう」
「異論はありませんが・・・・・ここであの機体が戦えねば我々の生命も危ないのでは。しかもそのようなことをこの場で言えばかなりの顰蹙を買うと思いますが・・・」
いかにもな説明ゼリフであるが、周囲の連中に聞かれるボリュームで話すほどル氏の術師連中はバカではなかった。「それもそうだ。もはやこんな湿気の多い国に用もないのであるしな。無事にクムランに帰るには生きておらねば。しかしなんであるな、使徒というのももう少し荘厳な姿をしているのかと思ったが・・・・・」「異論はありませんが・・・」
てめえらの命がかかっているのは承知の上でも呪いをチャラにする手伝いをするでもなく議論に没頭するル氏の集団。
 
 
「賭けをやらないか?このままあの一つ目のエヴァンゲリオンが動き出すかどうか」
先ほどの槍牽引の肉体労働を通して整備員と馴染んだクァビカが言う。ケージ内の冷たい視線を浴びまくりの身内の姿にはとくに恥じた様子はなく。ぬけぬけと
 
「オレは動く方に。あんたたちは?」
「お決まりのセリフをいわすなよ。・・・オレたちゃそういう役柄じゃないんだ・・・」
たとえ零号機左足高速再接続の激務で疲れ切っていても整備員は同じ事を言っただろう。
整備員だからといって野暮でなければならない理由はない。口をひらけば野暮ではすまないような蟠りが飛び出すかもしれない。当然のことながら、怒りの感情もある。
 
 
だが。久方ぶりに思える両足そろった零号機の姿を見ながら思うことは皆同じ。
 
 
「誰が賭けるんだ?動かない方に。少なくともケージの中にはいないと思うがね・・・ここまできといて動かないはずがないンだよ」
 
 
円谷エンショウのことやら零号機はパイロットの私物ではないとかいろいろと言いたいことはある。まー・・・好き放題傍若無人ベラボーウーマン的に暴れはっちゃけてくれたが・・・・・この少女が逃げの一手だけは打たなかったことを皆が認める。人を率いて導く旗持ちの役を務め続けてきたことは認めざるを得ない。これも若さか。ここでとどのつまりの終着になっていいはずがない。ここで翻って後退などと、先に進めないなどと、天地神明に誓って認められるはずがない!
 
 
「そうだろう?」
零号機に同意を求めた。大人たちはひそかに片目をつぶって頼みもする。どうか、なんとかもう一度、この子を認めてあげてくれないかと。なんとか都合つけてくれと。
 
 
「・・・・・・」
LCLの赤い闇の中で綾波レイはうっすらと微笑む。なんとなく悟ることがあったから。
自分の正気と自分の本性。ファーストチルドレンでもなく綾波党の後継者でもなく、ただひとりの人間として。呪いのことはすでに眼中にない。文字通り、蒼は駆逐されていった。
なぜ、自分は呪いをかけられたのか。それを改めて考える余裕すら出てきている。
自分を害する者たちは何を危ぶみ、自分が何を恐れられているのか。さて・・・・・・
 
 
うっすらとした答えは、あった。ただ、その時は、こんなこと、としか思わなかった。
こんな、ひどく簡単で、自然なことが。べつだん、特異な力でもなんでもない。
それどころか、力を抑えるもの。”あえて、やらない”。さんざん自分の考えでやりまくってきた自分がいまさら悟るのもあれであるが。誰しももつであろう抑制の心。
いたって普通な、常識的な。この業界の尖鋭に無力に射抜かれるしかないような。
 
 
だが・・・・・・・
 
 
エヴァ・・・・、エヴァシリーズ全てかどうかは知らぬ、かえって制式タイプなどはそうではないのかもしれないが、エヴァが増幅拡大する人の力は、人の性というものは、けっこう種類が豊富なのかも、しれない・・・・・・自分の頭でそう考えたその日その時から、
 
 
エヴァはそのとおりのものになる。
 
 
あの碇シンジがいつも、初陣のあの日からやっていたのは”こういうことだったのか”、と今更ながら悟る。こうしてみると思考の繋がりは宇宙サイズの無重力ビリヤードのようでもある。自分の番がきてうまいことショットできたなら・・・・・碇シンジは7番ボールでごっちんと。
 
 
「みつけた」もしくは
 
 
「ぶつけた」と、この時綾波レイは言葉を発した、とマギの記録にはある。ぶつけた、はこの状況ではおかしいから、何か自分の裡に真理を”見つけた”のではないか、と日本語音声解析ソフトは勝手に判断するのだが。「?額でも?」人間のほうがこの場合素直に受け取った。真実はそちらに近い。まあ、どちらでもいいことであるが。
 
 
 
ミン
 
 
零号機の単眼が一瞬、虹が弾けるように光った、かと思ったらシンクロ率もそこから爆発的にハネ上がる!起動最低値?なにそれ?そこがスタートゲートでしょう!というとんでもない天にも登りそうなスピードで。
 
 
エヴァ零号機、リスタート。
 
 
この一大事実に比べれば。ケージや発令所、本部のあちこちで歓声が爆発する。
 
もちろん、まだ勝ったわけでもない。ようやく戦場に再び立てる、というレベル。
この甘ちゃん部下集団に座目楽シュノは一喝して引き締めてやらねばならぬのだが、零号機の装備系の指示を下していてそれどころではないので代わりに「ではワシが・・・うほん」と我富市由ナンゴクが掠おうとしてしたところを「零号機を反撃投入する・・・一同準備せよ」重々しくシロパトキンに渋キメ所を強奪される。眼力が復活してきたエッカ・チャチャボールも「サツキはん、もう少しきばってもらっていいち?」「もちろん!もうこうなりゃ1000人単位のマスゲームでも仕切ってみせるって。死ねば恥も外聞もないからなんでもいって。アオイに看護婦のコスプレをさせろっていったらさせるわよ。日向さんにバレエさせろっていったらやってもらうし!」「あのねえサツキ・・・目が本気だし」「おいおい・・」情熱方向にゲージが振り切れている大井サツキを手先に始動開始。
 
 
「・・・・計算違いだ・・・・・ク・・・」渋柿の塩漬けでも喰らったような声を噛み潰しているのがシオヒト・セイバールーツであり、彼の指揮するエヴァ八号機も今や出撃して使徒との睨み合いに加わっている。あの竜号機の出現だけは完全に想定外で、このタイミングで現れるはずがない・・・・・・どこのどいつが仕組んだのか・・・・立場からして冬月ではない・・・・あの機体がどう動くか分からぬ以上、八号機には使徒と睨み合いをさせておくほかない。ネルフ本部・・・旧体制への明らかな敵対者であり、それでいて使徒への攻撃をなす・・・・三すくみの状態にもっていかれた。使徒の方もこの新たに出現した竜の形をした相手に戸惑っているようでもある。出方と力を窺っているようでもある。通信などの意思表示は全くなく、角張った使徒へぶちこんだ槍だけが唯一、ときては。
さすがに読めない。ナギサ当人は、「風車の反撃能力は、欲しいな・・・」と言いわりあいに喜びながら飛び出していったが。
 
 
そのすきに命ひろったのが鈴原トウジの参号機である。さすがに南方槍主まで回収する力はなく身一つで逃げるのが精一杯であった。が、逃げる途中で電力が尽きてしまい、ガクンと地に伏せもはや一歩も動けない・・・やばいぞこれは!というところで旧第二支部からの「バルタン包帯」が間に合って横たわった参号機をファラオのように包み込むとそのまま回収口まで運び込むのに成功した。「グッジョブ!!だわね!造ってよかったよかった〜〜〜」メモリーア山田がそこらの部下をミラクルハグで悶絶させてまわった。
 
 
 
「メインウエポンは・・・・なにを選択・・・・・しますか」
本部発令所のテンションはヒートアップしてきているが、かわらず淡々と大人しく主にかしづく機械人形のように綾波レイに問う座目楽シュノ。パイロットがどのような武器を選択しようと即座に対応できるように備えておく手管と、それを選択させることのできる思考の容量はやはりただものではない。オペレータたちを驚喜させるほどシンクロ記録を激しく更新中の綾波レイが感心したのは、弐号機惣流アスカのおいていった「マジックソード」・・・エルネルエルネだかネルネルエルネだか本人でも分かってなかったようなATフィールドそのものを武器化する錬成からくり箱のスタンバイまで出来ていたことだ。
装備スタッフも忘れていただろうに、こんなの。こういう人間がたまにいる。短い期間であるのにマニュアルを全て読み込んで十年いた人間よりも隅っこに詳しい隅っこ星人が。ちょっと萌えた。
 
 
「・・・・・あの刀を・・・・”皇卵”を」
しかし、選択はこれ。魔弾は銃があれで使えないし、実際このシンクロ率ではもはや素手かプログナイフ一丁でもいいくらいで、この新生零号機の素直な純な力を試してみたいところであった。そこで、あの竜号機が溶かして放ってよこしてきたあの「なまくら」である。南方槍主を届けにきたついでにあの不良品をつきかえしてやろう。そう思った。
 
 
「・・・・わかりました。人間の・・・連携の、とれていない・・・今の状況では、遠距離砲撃戦は、さけたほうがよいで、しょうね・・・・」
近接で切り込む。実際に戦ってみないと分からぬ乱戦になるだろう。この零号機がどれdけ戦場を支配できるか・・・・・それがポイントになる。おまけに、出先の戦場に使徒を一撃で串刺しにした強力武装が待っているのだ。天を覆う使徒群を撃退した彼女の経験を生かす方法で思考した方が好結果をもたらすだろう。座目楽シュノは判断する。
エッカ・チャチャボールも復活したようなことをいってきている。バトンを渡すタイミングも計っておく。使徒は四体。死に物狂いの全力でかからねば全てが死ぬ・・・「おや?」
”皇卵”が武器保管庫から動いていない。指示は届いているはずであるが。
 
「指定武装の搬送が遅れているようですが・・・・・」最上アオイに確認を求める。
「いえ、それが・・・・刀剣武装の担当スタッフが、拒否しているとかで・・・・」
「?・・・・搬送作業を、ですか。それとも・・・未整備である・・・とか」
ポジトロンライフルだの難易度の高い調整を要するものは即座の使用の危険性に整備担当が異議を唱えるのも分からぬではないが。使徒斬り日本刀零鳳初凰として強武装であったのは昔の話、焼き潰されて今はただの金属の塊になってしまった今では人員の変化もありろくな整備もされていない・・・作業日誌と予算記録をみれば分かる。
 
「それが・・・・」しかし、最上アオイの返答は違った。
「彼らが言うには・・・・・・今はなまくらでも、磨けばまた使徒を切り裂く見事な刃が顔を出すはずだから、棄てるように使うのは許さない、と」
それを当人たちがどれほどの心底から本気で言っているのか、最上アオイのこちらの顔色をうかがうような声でなんとなく、理解する。・・・・どうも、かなり本気らしい。
 
「この戦闘中もずっと刀を磨いていたとか・・・・・数日前から人が変わったようにやっているそうなんですが・・・」
 
「ふー・・・砲狗ダイサク、阿仁丸ヨサク・・計二名です・・・か。勤務評定も、ふー・・・な感じです・・・が」
別に綾波レイもなまくらの刀剣で使徒を切り裂こうというつもりではないのだろう。むしろ、竜号機相手に挑発、そこまでいかずとも多少のコントロールを加える程度の考えでそれを携帯しようというのだから、刃の冴えがどうであろうと関係ない。
 
「命令違反には違いない・・・・憲兵、捕縛せよ」シロパトキンが副官のように言い添えた。日向マコトは、おやっと思った。ただ、本部内には憲兵はいないのだが。
 
 
「それは・・・・・本当?」
 
 
まだシンクロ率が上がり続けてそろそろ「これもちょっと異常なんじゃ・・」オペレータたちを逆の意味でビビらせている零号機、綾波レイから通信が入る。微妙に感情が交じっていることに気付いた者は何人いたか。「あれ?今の」・・・・・・・・けっこういた。
 
 
「物理現象的に真実であるかどうか専門家でなければ判断できないでしょうが、刃を磨く行為が肉体的な重労働であることは・・・・確かです。彼らは機械を用いず自分の手でやっているのです・・・・卵の中から殻をつつくヒナの声がする、とかなんとか」
 
 
それをあらわすえらく難しい漢字を使う漢語がある。のだが、残念なことに誰もそれを知らないし知っていても思い出せなかった。そんなの幻聴ちゃうん?という冷たい意見が大多数であり日頃の行いというものであろう。どちらにせよ、どえらい時間がかかる作業になるだろう。完遂させるとなれば。
 
 
「・・・・・・・・」
 
 
だが、今までその刀をつかってきた綾波レイには想うところがある。あれだけの刀剣がそう簡単に死んだりするだろうか、と。もしかしたら、その名のとおり、もう一度甦ったりしても・・・・・・おかしくはない。一度、死に、再び。都合のよい幻想かもしれない。ただ、あの名。「皇卵」・・・・すでに死んだものに卵、などと名付けるだろうか。
それとも、そんなのは工員ふたりのただの妄想かもしれない。もちろん、そのふたりが赤野明ナカノにぶちのめされてから人生的に目が覚めたことなど知るよしもない。
 
 
駆け引きの道具にするか、それとも再び使徒を斬り人を守護する武具とするか・・・・・
選ぶ。
 
 
とはいえ、実際、そんな年単位の仕事になりそうなものを待っていられない。
あの魔弾をも斬り飛ばした竜号機、こっちを偉そうに使徒も人も同レベルに見下ろしているあの機体を引きずり下ろして使徒戦に混ぜてしまわねば苦戦は必至、参号機はもう使えぬだろうし八号機もどこまでやれるものやら知れたものではない、ときては。
おそらく、この一幕を仕込んだのは孫毛明、と名乗っていた蝦剥王。結局、部長連の中では最もまともな仕事をしていたことになる。参号機を大事にしたいだけなのだろうになんとも皮肉な話だ。
 
 
”皇卵”・・・・・・それがただ一つの竜号機とつながる糸。それは間違いなく、対話など通じる相手ではない。おそらくあの機体の操縦者はさっさと「あっしにはかかわりのないことでござんす」とばかり仕事を終えた今は帰りたいのだろう、なんとなく分かる。
うまいこと使わねば・・・・・
 
・・・・・・・・ならぬのは分かるのだが、実際どうしたものか、綾波レイには思いつかない。もとよりそういった小賢しさとは縁遠い。「レイさまは、それで」とツムリあたりはいうだろうが。「あ・・うー・・」零れる思いは言葉にならない・・・
 
 
どくん
 
 
その時、心に強くブレが起きた。
 
 
どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん・・・・・・
 
心臓ではない、心の部分が早鐘を打つ。そして、やけに身体が軽い。かつて経験したことのない流動性。
 
「うっ!うわああああわわあああっっ!な、なんだこりゃー!」シンクロ率を計測していたオペレータたちがなにかいきなり喚いている。「す、す、す・・・透けてる!透けてる!」
「え・・・」ふと、己の身体を見ると左半身が、プラグスーツの左半分がぺらぺらとLCLの中で泳いでいた。一瞬、なにが起きているのかわからない。脈動はあるが痛みはなく。
「顔半分が、透き通って・・・・・・」「シンクロ率が200を越えてる・・・まだ・・・止まらない・・・・」「いや、そろそろ止まれ!止まらないといくらなんでもやばい!!ストップ!ひばりくん!!」「くっ!この緊急時にネタをかますとは・・・馴染み過ぎだ」
 
 
綾波レイと零号機のシンクロ率上昇がまだ止まらない。今までの不調を取り戻すつもりなのかもしれないが、これはちとやりすぎだ。何事にも限度というものはある。
 
 
シンクロ率を外部から上昇させる手段もなければ、同様に、下降させる手段もない。
パイロット自身を気絶させる方法はいくつかあるが、これから戦闘しようというのにここで気を失ってもらっては困る。
シンクロ率が上がりすぎればどうなるか、などと・・・・・そんなことを考えたこともなかったオペレータたちはまごつくほかない。部長連は当然、場数を踏んだ日向マコトあたりでも答えは出せない。危険だと判断すれば強制切断するほかなかろうが・・・・
「やはり、”槍パッチ”の影響があるのか・・・・・一種の暴走・・・・・?」
推論してもこの場の役にはたたない。
 
 
「ああああああああああああっっっっっん!!」
左足から突き上げてくるとんでもないパワーを抑えかねてあげる声は、不謹慎ではあるが・・・少女の絶対領域を越えていた。パッチなどになってしまっていたが槍は槍、天下無双の使徒主殺しの槍ロンギヌス、それを零号機の中に取り込むには相応の覚悟と危険性があったのだ。悪魔と取引するよりなお危険な利率で。シンクロ率さらに上昇・・・・・
 
 
うかつであった。おそらくこのまま400%を突破すれば全身がLCLに溶けて原初の生命スープとかになってしまうのであろう・・・・・・
 
 
政宗!!、じゃない、綾波レイ、一生の不覚・・・・・!!
 
 
悔しさに歯を食いしばることもできず、なんか意識が朦朧としてくる・・・・悪い気分ではないのだが・・・・偽りの至高体験というものであろうか・・・・それとも単に上位存在に喰われつつあるだけか・・・・・・ああ・・・・・
 
 
「こんな・・・・・・こんなことって・・・・・」
成り行きのあちらこちらのあまりの激しさに唖然とするほかない発令所スタッフ。
強制シンクロ切断すらもすでに受け付けない。零号機か槍はがっちりと綾波レイを掴んで離さない。こういった強固な結びつきもこうなると困ったものである。心臓に悪すぎる。
 
 
こんな状況をどうにかできるのは・・・・・・もう、あのひとしかいない。
 
 
予めこんな事態を予想できて、手を打つ方法もわきまえている賢い人。白衣に金髪の賢者。
 
 
赤木リツコ博士。
 
 
しかし、今までさんざん探していたのに見つからなかったというのに、ここで現れるというのもあまりに都合が良すぎるであろう。どんな変態かと思うがまさかマギの中に隠れて出番を待っていたとかいうならともかく。そんな変態にも頼ろう今はと部下たちにクビにつける縄を持たせてそこも探させたからそれもないわけだが。仕方がない・・・・・・ここは、自分自身の面子とプライドと積み上げたキャリアを全て失うであろうあの”禁じ手”を使うしかないか・・・・日向マコトは悲壮な覚悟を決めた。おそらく、これならばどこにいても赤木博士は登場してくれるだろう、登場せざるを得ないだろう・・・・・・それほどの必殺技だ。さらばネルフ、さらば皆、さらば・・・・・・マイクのスイッチをいれて日向マコトが赤木リツコ召還の魔法を唱えようとした、その時である。
 
 
”どう、どう、どう・・・綾波さん、どうどう”
 
 
どこからか、染みいるような優しい声が。通信でも放送でもない。発令所からではない。視界にない場所から聞こえたそれはかなり大きなボリュームであるのだろうが、耳に苦痛を感じさせない。それどころか、いつまでも聞いていたいほど穏やかな気分になる・・・戦闘態勢の発令所勤務がそれではいかないのだが、周りを見ると皆が今の声に癒されていた。確かに慣れぬ者にはたまらんほど神経張りつめきって限界近くにはあった。それが。
暴れ馬狂い牛でもいさめる、まるで春の豊穣女神か秋の観音菩薩のような・・・・・
 
 
しかし、どうも聞き覚えのある声だと思った日向マコト。そしてすぐに気付く。
 
 
「洞木・・・ヒカリ・・・・・彼女の声じゃないか、これは!」
 
 
”どう、どう・・・・・・綾波さん、落ち着いて・・・・・はい、どう、どう”
 
 
よく聞いたらほんとに馬でも鎮めている感じだ。なんじゃこりゃ、と思ったが・・・・
 
「!!」
シンクロ率が下降はじめてだんだんと透き通っていた綾波レイの身体も元に戻っていくではないか!!洞木ヒカリ、彼女の声とともにぐんぐんと低下するシンクロ率。
シンクロ率がさがって安堵の声、というのも珍しいパターンだが感心するのはそこではない。
 
「声の発生源、判明しました!参号機です!113回収口内部にてパイロットは降りているはずなのですが・・・」
部下オペレータの報告に誰がこれをやったのかすぐに感づく日向マコト。快哉を挙げたい気分ではあるが、あくまで表面は引き締めてシリアスに。「赤木博士だ・・・・あの人しかいない」内心、その凄まじい行動力に舌を巻きながら。さすがに葛城さんの親友だけある・・・類友なんだろなあ。一人のパイロットが疲労しても即座に交代要員が、という参号機の特性が生きた場面でもある。そして、戦闘回線の携帯が鳴る。相手は確認するまでもない。「赤木博士」
 
 
「参号機はここでパイロットを交代して零号機と八号機の援護にまわるわ。特殊な性質の”援護”だから、実質的には零号機専属だけど。調整おねがい」
 
 
それだけで切れた。今まで雲隠れしてごめんなさい、もなし。さすが天才。だけど、それだけの仕事をしてくれている。理解しましょうするしかない。その解答、拝ませてもらいます。ということで今の件をすぐさま座目楽シュノに繋ぎ、動き始める日向マコト。
 
 
参号機が、まだ、使える・・・・・・?
 
 
その事実に目をぱちくりさせる座目楽シュノと綾波レイ。どういうことなのか、どういうつもりなのか、それはすぐに分かった。参号機は、東方賢者・赤木博士が再生させた人造人間は、まだ片鱗しか自分たちに見せていなかったのだと。
 
 
ぷしゅしゅしゅしゅしゅーーー・・・・・・・・・・・・・・
 
 
参号機に乗ったという洞木ヒカリの呼びかけに癒され落ち着いたのはいいが、今度は数字がさがりすぎて、パッとしなくなった。起動限界以下ということはないが、使徒四体プラス竜号機を向こうにまわすには物足りない・・・とちと心配になってきたところ・・・
 
 
”あっと、これじゃいけない。綾波さん、がっつ!!ふれー!ふれー!がんばれ、がんばれ、綾波さんっ!!・・・・・って、こんなんでいいんですか?”
 
 
洞木ヒカリからの応援の声が届いたとたんに、
 
 
ぎゅんぎゅんぎゅーん!ういういーん!・・・・・・・・・・まだシンクロ値が上がり始めた。先ほどの勢いはなく、アクセル全開だったのが違反切符きられて多少は知恵をつけた、といった調子であった。
 
 
ほわー・・・と洞木ヒカリの声に和んでいるオペレータもいるが、実はこれはとんでもないことであった。<シンクロ値の操作>・・・・・・ありえない、とされてきたことが今、目の前でわかりやすくあっさりと実現されていた。玄人になるほど和むどころか顔が青い。
 
 
 
もし、これが零号機以外のエヴァ、綾波レイ以外のパイロットにも応用できるとしたら・・・・・・業界が変わる。
 
 
 
「エヴァ零号機、出ます」
 
 
魂のふるさとに還りかけた綾波レイが、再び自分を取り戻す。この先、業界がどうなろうととりあえず目の前のことをどうにかせねばなるまい。
 
 
「武装は、どうしますか・・・・」それに関しては同感の座目楽シュノ。先が激動しようが今なんか激闘なのだ。勝たねば先すらない。ようやく駒がそろって、戦えるかも知れないレベルなのだ。赤木博士もここで見せたくはなかったはずだ。それほどの総力戦。
 
「・・・皇卵を」武器全部、とか一瞬あぽなことを言ってしまいそうになった綾波レイであるが我慢する。「それから、・・・あの”練り箱”を・・・・」もしかしたらと思うことを試す。今のATフィールドの出力ならいけるかもしれない・・・・気合いさえ入神のそれに至ればあの<鉾>さえ斬ったに違いない、あの刀の再生・・・・・・
「分かりました。・・・・手配のほうをお願いします」最上アオイに命じる座目楽シュノにはたぶん、なにをやるつもりなのか分かったのだろう。
 
 
”すまん綾波!!・・・結局、一匹もワイは倒せンかった・・・・あげくになんか数も増えとるし・・・ワイは・・・・ワイは・・・・・”
そこに鈴原トウジからの通信が入った。もともとボロボロなところを乗ったので疲弊しきっているはずだ。それで死にもせずに時間も稼いだのから大威張りしてもいいくらいだが、虎は威を借りないのだろう、たとえ小虎であろうとも。
 
 
「後は任せて・・・・・・あなたは、よくやってくれた。とても・・」
 
 
自分は師匠役には向かないのだろう、と綾波レイは思った。鍛えるためにここでもう一押し崖から落とすようなことは、自分にはいえない。決して。あとは、征くだけ。
双眼は、真紅の宝剣のごとく研ぎ澄まされる。そこに創成の秘儀が宿ったのか、
 
 
モヒカン不良マッチョ二人からここ数日の生まれ変わった労働の汗の結晶を惣流アスカが駄菓子からヒントを得て考案し造りだされた舌噛みそうなATフィールド武装精製機、通称<マジックソード>に”皇卵”をぶち込む零号機は、がっちょんがっちょんと一分後、一本の刀剣を引き上げた。
 
 
連融刀”火乃十理2015(ひのとり)”・・・・・どういう仕掛けが施してあったのか、刀身にはそのような銘があった。
 
 
時間こそ短いが破殻と鍛えに使用され注ぎ込まれたATフィールドの量は膨大なものでこの作業だけで疲れ果ててへたりこんでもおかしくないのだが、そこはうまいことやった。
槍パッチと洞木ヒカリの参号機応援のツインターボがついているのだ不可能ではない。
 
 
自分で産み出しただけあって、馴染みは最高、これでもう十年もともに戦ってきたような感覚すらある。これと南方槍主があればもう近接戦は望むものはない。
 
 
綾波レイの駆る零号機は、三すくみになっている戦場に無言で斬りかかった。
今更叫ぶことなど無く、やるべきことはただひとつ。
 
 
 
斬っっ!!
 
 
 
気合い百裂、これだけで敵がバラバラになってくれればいいが、世の中それほど甘くはなかった。これでもかこれでもかのドロドロの乱戦になり戦いは夜が明けるまで続くかと思われた。
 
 
この戦いに終止符を打ったのは、赤木博士もこれは予想していなかったのだが・・・
 
 
洞木ヒカリであった。
 
 
 

 
 
「・・・あのなー、笑わんで聞いてほしいんやけどな・・・」
113回収口の地下にひっこんだまま、使徒の目につかぬように応援サポートを続ける参号機の洞木ヒカリに、さっさと病院にいけと皆に言われているのに強情に参号機のそばを離れずにいる鈴原トウジのひみつ通信が届いた。
 
 
戦場では零号機と八号機の苦戦が続いている。角張った使徒とスケルトンな使徒がはんぱなく強い。これで桜大木を生やした使徒が空中の竜号機と睨み合いをやめて地上のエヴァに襲いかかった日にはどうしようもない。さらに風車使徒もダメージを修復中らしい。
長引けばどんどん不利になる状況で、参号機はこうやってサポートしているしかない。
 
 
鈴原トウジもなんか役には立ちたいのだが、展開中の戦闘はハイレベルでひとつ覚えの戦術しかない自分がいけば参号機がやられる。他の足を引っ張ることにもなろう。暴れ馬のようなシンクロ率の上昇下降が激しい零号機のサポートに洞木ヒカリの山吹参号機は地味だが必要だった。目をつけられぬように地下にこもっているのも作戦である。
 
 
とはいえ・・・・・・
 
 
このままいけば、確実に負ける。計算など必要なく皮膚感覚がそれを教える。
皮膚感覚といえば、言葉にしにくい自分のカンではあるが、参号機もなぜか地上の派手な戦闘を欲せず、この地下での地味なサポートを楽しんでいるというか喜んでいる感じであった。自分がどうにかできる局面ではないのは分かっているが、かといって何もしなければ・・・他のことはともかく、参号機、この自分たちを乗せる参号機に関しては、ちょっと言うてもいいのではないか。一家言なんて偉そうなこっちゃなく。
 
 
・・・・・なんのかんの言うて、もう乗ってしもうとるしな・・・・・・
 
 
ちら、と機械の前にいる白衣金髪の科学者のオバハ・・おねえさまを見る鈴原トウジ。
多少、恨めしくはあるが、綾波レイの苦境を救ったことは確かで、正しいのだろう。
 
 
・・・・・参号機も、なんかむちゃくちゃあっさり乗せとるし・・・・・・ええんか?
 
 
虎模様から山吹夏蜜柑色への変色の速さというか鮮やかさというか・・・ちょっと哀しかった。
 
 
「どうしたの?鈴原」
そんなの後にしなさいよ!とか、ハタかれるように言われるかと予想していたのだが
・・・・・・真面目に聞こう、聞きましょう、と言う。声の座りで分かる。
おそろしい腹の据わり方といえるだろう。この落ち着きぶり。えらい女にほれてしもうたな、と一瞬思ったがそれはいい。惣流アスカと実は類友だったのか、とか。いいのだ。
 
 
「・・・けっこう無茶な方法かも、しれんけど・・・・・あの、相手を一気に片付ける・・・・片付けられるかもしれん、方法があるんや・・・・・・ワイらの・・参号機なら・・・もしかして・・・・一応、ワイなんぞでも、参号機に乗ったら無理かと思うたことをやってのけたりもしたからな、ひょっと、ひょっとしたら・・・・」
 
 
ごほんごほん!機械の前にいる赤木博士が突然噎せたりしたのは、当然、二人のひみつ会話を盗み聞きしているからである。東方賢者の名にかけて、他の者には秘密にしてあるが。
 
 
「・・・その、方法って?」
 
 
洞木ヒカリは笑わなかったし怒らなかった。それから、困りもしなかった。
彼が言うなら、やろう、と思った。ただそれだけ。決めた。
こんなところでこんなロボットに乗って誰かの命の手綱のひとつを手にしているなんて実のところ、怖くもあるし身体が震えて仕方がないが、やり遂げた男がそばでそう言うなら。
少々、とんでもないことでも、やりましょう。参号機も、味方してくれる。きっと。
 
 
 
 
 
 
そして、戦場に歌が流れはじめた