七ツ目玉エヴァンゲリオン



第2話 「見知らぬ逆さ吊り天井」






あの日から一週間が経過した。




ジオフロント・ネルフ本部。
技術局第一課E計画担当博士赤木リツコ研究室。
「失礼しま・・・うわ・・けふ、けふ」
入り口が開いた途端、吹き出してくるような煙草の煙にむせる伊吹マヤ。
いくらヘビースモーカーでもチェーンスモーカーでもこれはひどい。
紫煙にけぶって、室内もよく見えないほどだ。
「ああ・・・マヤね。何」
発音にいつものキレがない。皮肉や揶揄でもぞくっとするあのキレが。
カタカタカタカタ・・・・・・・・・。キーを叩く音も僅かにヨレている。
「どうしたの、早く言いなさい」
誰かに似ている。
伊吹マヤは、あの日から一週間のお籠もりにさすがに心配になって見に来たのだ。
研究室は入室禁止。入室には赤木リツコ印の特殊パスワードが必要だった。
葛城ミサトさえ(というか一番の邪魔だが)そんなものは持っていない。
「あの・・先輩・・・あまり根を詰めすぎないほうが・・先輩のお体も大事ですし・・」そんなんで説得可能な相手でないのは承知しているが、ほかに言いようがない。
尊敬はしているが、赤木リツコの頭の中がどうなっているかなど、凡人の自分には分からない。だが、天才すぎて研究に没頭しすぎてポックリ逝ってしまいそうで怖かった。
「そうね・・・気をつけるわ・・」
にゃーお、にゃーお。猫の鳴き声に設定した呼び出しコールが点滅する。
「そう・・分かったわ」
立ち上がろうとして、足下がふらつく。この一週間、コーヒーに栄養剤を混ぜたものだけを糧にしていたからだ。
「先輩」慌てて肩を貸そうとする伊吹マヤだが、それを断る赤木博士。
「第三会議室・・・いくわよ」
自分の思考に没頭することで体を支えられるのだから、赤木博士はやはり科学者としかいいようのない人間であった。


「完全切断面・・」
そんなことを呟きながら会議室にむかうのだった。
「先輩・・・・・」




第三会議室。

冬月副司令、赤木リツコ、日向マコト、青葉シゲル、伊吹マヤ。これで全員揃った。
碇司令と葛城作戦部長はいない。
碇ゲンドウがいないのは、全権代理の冬月がいるならさして意外ではないが。
この場に当然、いるはずの葛城ミサトがいないのはどういうことか。
まさか遅刻ではあるまい。そんな元気もないはずだ。
一週間、籠もっていた自分も来ているのだ。籠もるような仕事もないミサトがこの場に来ていないのはおかしい。赤木リツコ博士は日向マコトの方を見やった。
・・・・死にそうな顔をしている。疲労だけではない。
よく見れば青葉シゲルもマヤも落ち着かぬ。
変わりがないのは副司令だけだ。表に出さぬだけだとしても。

「赤木博士、ご苦労だったな」
「いえ・・それより何か事態の進展でも」
よほどのことがなければ自分を呼び出さぬはず。今は一刻も早く事態の解明をせねばならない。
初号機、そしてシンジ君が何処へいったのかを。


「使徒が太平洋上で見つかった」


使徒・・・第三新東京市まで侵攻し、初号機により撃退、謎の発光現象、そして逃亡したアレだ。テーブルディスプレイにそれが映し出される。
「・・・・・・」
海中に逃げ延びたものの、途中で力尽きたらしい。土左右衛門のように浮かんでいる。
その周りに何隻かの戦自の艦艇。おそらく彼らが処理するのだろう。
「コア部分は残っていなかったらしい。あとは巨大な腐乱死体だ」



「あーー、暑い上に臭い!このガスマスク、ホントに効いてんすかねえ、隊長」
「毒じゃないらしいがな。臭気は凄まじいが」
「この暑さですからね、いくら怪物でも腐っちまいますよ。けっ、ザマミロ」
「うわーー、魚がこんなに集まってますよ。げげ、食ってる。おげげえ」
「無駄口きけばそれだけ帰還が遅くなるぞ」
「分かってますけど・・・暑いっすねえ・・・暑さを感じられるだけましっすか」
ジリジリ・・・・・焦焦・・・・・・ギラギラ・・・・のしかかる臭気。
「まるで俺達は・・・とある女流作家の怪奇小説のようだな・・・」
「・・・なんですか、それ」

「腐乱検死隊・・・・・・」

「・・少し涼しくなったような気もします・・・」




「そのサンプルも明朝届くことになっている」
戦自は喜々として全力あげて研究に勤しむのだろう・・・無駄なことだが。
冬月コウゾウもその件に関しては淡々としている。手を打つ必要もないことだ。
そんなことで呼び出したのではない。そうなると、これは。
会議室の空気は一拍、おかれた。テーブルの画面も消える。
ミサトのことね。
「作戦部長、葛城一尉のことだが・・・」
辞めるのか、辞めさせられるのか、どっちかしら。これが本題なのだろう。
オペレータ達の視線もこちらに集まる。日向君の視線が一番強い。すがるほどに。
「公平に見て、あれは作戦ミスというものでもない。今の我々の力ではどうすることも出来なかった」
人、それを天災というのだが、使徒襲来自体が天災の最たるものであるのに、そんなことを言って見ても仕方ないだろうに。
責任は大いに感じるべきだろう。二度と同じ負けを喫しないために。
だが、その責任は確信犯の責任であることも自覚すべきだ。過失ではあり得ない。
その程度の腹はくくっているのかと思ったけれど。存外だったわね、ミサト。
使徒殲滅は、あなたの最後の願いだと言っていたのに?


「だが、そのままにしておくわけにもいくまい」
冬月コウゾウ。ネルフの副司令。温厚なだけでその地位にいるわけではない。
やはり首か。なんと言ってやるべきか。あの日以来会っていないからどんな顔してたのか知らない。

「そんな!あれは使徒の接近に気づかなかった、我々オペレータの責任です!」
日向マコトが言い出した。
しかし、その論理でいくと一番悪いのは青葉シゲルになる。
「そうっす!初号機の変化に最後まで気づかなかった、自分達の責任です!」
青葉シゲルも言い出す。
しかし、その論理でいくと一番悪いのは伊吹マヤになる。
「そうです!初号機の位置の把握をつかみきれなかった、私たちの責任です!」
伊吹マヤも目に涙をためている。
しかし、その論理でいくと、一番悪いのは日向マコトになる。
ぐるりと一巡してオペレータ三人組全員が悪いことになった。


「すごい剣幕だな・・・」冬月は苦笑する。
「葛城一尉はこれほどに慕われていたのかね」フッと赤木博士の方を見る。
「いいえ」赤木博士の返答はにべもない。
「ただ、皆、骨の髄に染みて知っているだけですわ」
「何をかね」


「これがネルフ全体の大恥であるということを」





何処とも知れぬ暗い会議室。
六人の男達が得体の知れぬ議題について話し合っている。
話し合う、と言っても、一人の男が報告する内容に他の五人がイチャモンを付けるという方が正しい。そのためにこの会議は開かれたのだから当然の流れだった。


「エヴァンゲリオン初号機の損失」
「第三使徒サキエルの逃亡」
「ET計画の予算の大幅な超過」
「サードチルドレンのロスト」
「アダム計画の遅延」
一人ひとつずつ責め立てているわけだ。
そして最後に声が揃う。



「そして何より。人類ポ完計画の崩壊!」



「分かっておるのだろうな、碇。この絶望的状況下における我らの唯一の希望」
「我々には、時間がないのだ」


「分かっております」
いつものポーズで口元が隠れているのをいいことにベロを出している碇ゲンドウ。
「予算の増大は認められないが、パイロットとエヴァの補充については一考しよう」
「当然、スケジュールの遅延は認められんぞ」


「ありがとうございます」
「では、あとは委員会の仕事だ」
「それでは失礼します」消えようとするゲンドウを議長が呼び止める。
「待ちたまえ。碇君」
「なんでしょう」
「ゼーレから召還がかかっている。行きたまえ。北京だ」
「はい・・・」
碇ゲンドウは消えた。会議室には五人の男が残った。

「碇君も可哀想にな・・きききき」
「ゼーレは我らほど甘くないからな」
「同情も楽しんでいる場合でもないぞ。あの男が発狂して使いものにならなくなれば、我らの仕事が増えるのだからな」
「逆さ吊り天井の三六時間」

「ぞっとせんな」

男たちは消え、会議室は闇に包まれた。




「君たちを呼んだのは、他でもない。
明日、ここにもう一人の作戦部長がやってくる。そのための・・・」

「ええっ!!」

副司令の言葉に「ええっ!!」などと無礼な話だが、抑えようとする前に叫んでしまっていた。赤木博士でさえ、そんな予定は聞かされていない。ミサトを首にすると言うなら分からないでもないが、もう一人の作戦部長などと・・・無駄なというより無茶な話だ。
こっちに人手をまわしてくれればいいのに。

「委員会あたりからのお目付ですか?」
日向マコトは、もしそんなことになれば直属の上司が二人で苦労は倍増。いやそれどころか板挟みになって4倍苦労するかも知れない。知恵を絞って必死にもなる。
だが、こういうことも予想されるべき事態だったのだろう。
特務機関の性質上、文人統制など受けつける義理はない。ここは軍隊ではないのだ。
とはいえ、擁している兵器は現時点で世界最強。運用しだいで世界征服もOKだ。
しかも乗っているのは子供だ。周囲が恐れるのも無理はなし。
組織内部から監視をする人間を送り込んでくるのも、この世界の常道である。
そういう者たちからすれば、今回の件など「それみたことか」てなもんだろう。
情報隠匿の神様と言われた碇ゲンドウでも限界がある。
誤魔化そうにも肝心の初号機がないのだから。
残るは試作機の零号機。しかし、、とある事情で現在凍結中。
初戦にして、さっそく弱体化してしまったネルフ。
其処を突かれた、奇妙な人事異動なのだろうか。だが。

「これは、言い方が悪かったな。日向君の言うような外部組織からの派遣ではない。
辞令で言えば正式なものだよ。・・・なにせ旧国連からだからな」


「旧国連・・・っすか」
お化けの名前を聞いたような青葉シゲル。だいたいにおいてその印象はあっている。
旧国連。セカンドインパクト前の国連のことだ。分かりやすい。セカンドインパクト後の民族紛争の波に呑まれて崩壊し、消えたものだ。現在の国連とは別の代物である。
リニア新幹線のレールを急にSLが走ってきたようなものだ。
「それがなぜ、ネルフに?」苦労は倍増で落ち着きそうだ、の日向マコト。

「作戦部長というより、作戦顧問だな。葛城一尉は有能だが、経験にかける。
その点を補完するための人事なのだよ」
副司令の魂胆も見えないわね。赤木博士は思う。使徒との戦闘経験が豊富な人材などいるわけがない。経験一回の葛城ミサトがトップなのだ。
よそから押し切られたってわけでもないようだし、・・・旧国連ね・・。






葛城ミサトはその頃、新箱根湯本駅にいた。
駅前にて人を待つ。12時ちょうどに専用列車が着くはずだ。
11時50分。
待ち人は、渚カヲルという。
写真をもう一度確かめる。14歳の少年。病的に白い肌。銀色の髪。赤い瞳。
エヴァの操縦適格者。フィフス・チルドレン。
葛城ミサトはネルフの制服で来ている。それにあわせたように表情は堅く厳しい。
明るいおねえさんな葛城ミサトは何処にもいなかった。
あの夜以来、葛城ミサトは笑うことも冗談を言うこともない。冷静冷血の軍人の仮面が四六時中張り付いていた。べったりと。

切断された左腕、切れたコード。

それがいつも頭に浮かんで離れない。弁解する気は毛頭ない。碇シンジの恨み言でも頭に響けばどんなに楽かと思う。応えようがあるから。答えようがあるから。
だが、何も言わずに消えてしまった。
死んだのか、苦しんだのか、痛かったのか、何処にいるのか。生きてるのか。

何も分からない。

左腕とコードが転がっていた場所はただの道路だった。落とし穴なんかではない。
連れ去られたのか。それとも縛鎖を嫌って逃げたのか。
何で左腕だけ残っていたの?
完全切断面。
リツコはそう言った。血が一滴もでない、時間が停止したような切断面。
それが何を意味するのか。・・・分かるわけがない。



11時55分。
改札口の前へ。たった一人が歩いてくるはずだ。
渚カヲル。
碇シンジの代理。
いや、帰ってこなければその席は・・・・・・・・・・、やめておこう。



チッチッチ・・・ミサトの時計はアナログ時計。
それにしても静かな駅だ。この街に来ようとする人間はいないから。
切羽詰まった用事がない者は。
去る者もあまりいない。ここから逃げても何処も変わりがないからだ。
駅員はあくびし、売店のおばさんもテレビを見ている。



12時。専用列車到着。
渚カヲル、降り立つ。そして一声。


「駅はいいねえ」





ネルフ本部に向かう青い車。
車内には、少年のリクエストによるクラシック音楽が流れていた。
沈黙の空気がそれによって、多少和らいでいた。
運転する葛城ミサトは、少年を確認し車に乗せた後、一切口を開かない。
後部席の少年、渚カヲルも軽く目を閉じて音楽を楽しんでいるように見える。
口元にうっすら笑みを浮かべている。
奇妙な時間だった。
いくら音楽があるとはいえ、初対面の人間が二人、閉鎖された空間で、殆ど口をきかないとは。柔らかい沈黙に、両者気にもとめず。それとも耐えているのか。


音楽が止まった。一曲目の終了。


「静かな人なんですね。あなたは」



その空白の間の一言。二曲目が始まる。
「サード・チルドレン、碇シンジ君のことは残念でした。
・・・・友達になれたかも知れないのに」
渚カヲルはゆっくりと瞼ををひらく。バックミラーの隅に赤く輝く。
「この曲は・・・聞かないの」
「祝福されながら、天上にむかうような高揚感は嫌いじゃありませんけど、最後に選択を迫られるようで、こんな時には聞きたくありませんね」


ハレルヤ。


「そう」
「どうしてぼくを作戦部長のあなたが出迎えてくれたんです?」
「上からの命令よ」
渚カヲルの口調は、もとより質問の答えを知ってのことのように聞こえる。
葛城ミサトは副司令に命ぜられて、今こうしている。
「ぼく専用の四号機の輸送は二ヶ月も後のこと。その間、ぼくは使徒が来ても何も出来ない役立たずですけどね」
自嘲ではない。エヴァとパイロットが二ヶ月も切り離されることに、滑稽を感じるのだろう。ある種の狂言のような。
しかし、そのまともに受け取ってはいけない。
(渚カヲル・・・専用機以外のエヴァにもシンクロ可能な能力をもつフィフス・チルドレンの一人。この虎の子をよくゼーレが手放したわね)
それだけネルフ本部の状況がやばい、ということだ。
なぜやばいかというと、それは初号機がいないからだ。



「初号機のことが心配ですか。それとも碇シンジ君のことが心配ですか」


ハレルヤ。祝福の叫びが天上目指してぐんぐんと唸りをあげて伸びてゆく。


「そんな選択を迫られたら・・・・・どうしますか」






ネルフ付属総合病院 第一神経脳外科病棟


401号室<綾波 レイ>

機械の寝台の上で未だ目を覚まさない青い髪の少女。点滴と酸素吸入器が彼女の命を繋いでいる。もし、事故でこれらの機械が壊れてしまえば少女は二度とこの世には戻れない。ガラス・・・・というより青い髪の印象から、青磁器を思わせる。
脆い。
少しでも指先を震わせて、誤れば砕け散ってしまいそうな。


綾波レイという少女の意識は戻らない。ここにかつぎ込まれた7ヶ月前より、その瞳は開かれたことはない。もし、精神心電図なんてものがあれば、波を描くこともない、ぴくりともうごかない、無力な直線が表示されることだろう。
魂を抜かれた。最先端の設備を誇る病院のカルテにこんなことが書けるわけもないが、一言で状況を説明するなら、そう言える。
どう巧く状況説明しても、少女の姿を形容しても、それで直る足しになるわけでもない。7ヶ月だ。少女の縁者は、医者と医学の無能に落胆し、怒っていることだろう。
いれば、の話だが。
この7ヶ月。少女の病室に足を踏み入れたのは、定期検診の医師と看護婦だけ。
もし、目を覚ましたとしてもそれを喜ぶ人間はいるのだろうか。



「今日も還ってこないのか」
定期検診。異常なし。医師は少女より機械の具合を調べることが日課になっている。
点滴と酸素吸入器などなど諸々の生命維持装置。これが少女の命を繋いでいる。
それがなければ、少女は死んでしまう。機械がわずかに狂っただけで肉体に莫大な負担がかかる。数分ももつまい。
弱いといえばこれほど弱い命もなかろう。
だが、毎日、機械と少女の様子を調べる医師は思うのだ。
七ヶ月だぞ?
かくも長い間、弱いままに、機械に支えられて生き続けられるのか。
無理矢理生かしているという考えは浮いてこない。細胞が自転するような調子で生命活動を続けているだけにも思えない。
機械の生命維持など、本家肉体の生命維持にどこか無理をやらせているのだ。
無理が積み重なれば、どうなるか。しかし、無理をしなければその場で終わる。
それを命じているのは誰なのか。
少女自身だろう。
何処やらを彷徨っている魂。
医者のくせに何言ってんだ、お前は。そんな声も飽きてしまった。
医学がこの子にしてやれるのは、ここまでなのだ。還る場所の確保。
後は本人の問題だ。今日も異常なし。







夕日が射し込んで赤く染まる電車の中。
誰もいない。自分の他には。
綾波レイ。それがわたし。
向かいに座っているひと。綾波レイ。だけどわたしじゃない。
「なーに暗いカオしてんのよ。こんなに夕日がきれいなのに。オマケに貸し切り状態。
超ラッキーて感じ?ほんとに暗いカオしてるわね、あなた。もしかして逆光のせい?」
「そうじゃないわ」
「じゃ、なんなの?あ、そーかそーか。オナカすいてんのね?育ち盛りだからねー。
小遣いキビシイから買い食いもできなかったのね。気がつかなくてゴメンね。
にゃははー、これこれ」
向かいのひとは、網棚から鞄を下ろした。中を開く。
「あなたも好きでしょ、はい、ポテチ」
「いい、いらない」
「えー、遠慮することないんだよ。ニンニクラーメンチャーシュー抜き味よ。あ、そう。ほーれ、パリパリ。あら、おいし」
一人でポテチを食べる自分と同じカオをした、誰か。パリパリ。


「あなた誰」


ざざーっと袋を傾けて、最後の破片まで残さない。
「ああ、おいしかった。え?それで、なんだっけ?」


「あなた誰」

「大して聞きたくもないくせに。いいじゃない。そんなコト、別にイ」


「あなた誰」


「そんなに知りたいの?マジ。じゃ、後ろの景色見て。そしたら教えたげるわ」
首を巡らし、体をずらして窓をみる。もしかしたらこの隙に消えてしまうんじゃないか
その疑念が、視線をすぐに相手に戻させる。

まだいた。にかっ、と笑いかける。
「東方は赤く燃えていたかい?なーんちゃって!にゃはははは」

「あなた・・誰」
「見てのとおりの綾波レイよ。あなたと同じく。ウソだと思うんなら、どーぞ。
<読んで>ちょーだい。いつも他人にやってるように、さあ。ほら」
立ち上がってこちらへ歩いてくる。一歩、二歩。


「ほーらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほら」


電車が、止まった。



再び、夕日の射す赤く染まる電車の中。遠景に電灯がつき始めている。

「眠ってたの、わたし」

向かいの席には、同じカオをした誰か。苺のポッチーをポリポリ食べている。
「すごい疲れてるみたいだね。ずっと寝てたんだよ。・・・甘いモノ、いる?」
「うん・・・」
箱から一本だけもらう。でも食べずに眺めるだけ。
「まだ寝ぼけてるみたいだね。も少し寝てたら。着いたら起こしてあげるから」
そう言われて、肩を優しくたたかれる。
「どこへいくの」
鞄は置いたままだが、奥の車両のほうに歩いていこうとする背中に声をかける。
「さっきの駅で、誰か乗ったみたいなのよ。男の子かな。寂しそうにしてたから、こっちに呼んであげよっかと思ってね」
そのまま、さっさっと行ってしまう。連結部のドアの開閉音がやけに響いた。
また、うとうととしていた。



電車が止まった。それで目が覚めた。
ぷしゅー。出入り口が開いた。わたしはここでおりるの。定期券もここまでになっている向かいのあのひとは・・・鞄はそのまま・・・戻ってこなかった。
ほんの少しだけ下りるかどうか考えた。このまま乗っていれば、どうなるの?
帰れなくなる。
何処に?どこにかえるの?わたし。
ぷしゅー。出入り口が閉じた。電車は走り出す。
わたしは駅のホームに立っていた。目の前を電車が往き過ぎてゆく。


「!」


ある車両のある光景。ほんの一瞬のことだったが、瞳に焼き付いた。
中学生くらいの男の子が二人、向かい合っている。その背格好はよく似ている。
何か話をしていたようだが、そのうちの片方、ホーム反対側座席の男の子の視線がわずかに上がり、こちらを見て、笑った。一言、何か言った。口のカタチ。


「ほら」




赤い瞳が開かれた。
「ここはどこ」






ネルフ本部。零号機ケージ。
「これがエヴァンゲリオン試作零号機、ですか」
機体の色は黄色。センサーアイは一つ。頭部はそのため、人間味に欠ける。愛嬌のある兵器というのも、ぞっとしないが。一つ目小僧というには、四肢がすらりと伸びているのではまらない。巨人だが、そのせいで機能的で面白みがなく、ロマンや伝説を感じさせるようなものはない。
目玉の数は目的の数。唯、戦うためだけに存在している。
一つ目玉はそう語っているようだ。無機的に。


現在、半凍結状態にある。特殊ベークライトで固められてこそないが、あらゆる電源は抜かれ、エントリープラグも抜かれ、特大サイズの停止信号プラグが替わりに挿入されている。壁状の拘束具などには強力な電磁錠、極めつけに天照大神のお札まで貼られていた。
頭だけ出したその姿は、未来映画の極悪犯のようだ。それも懲役五万年くらいの。
無機的に何食わぬカオをしているが、その程度のことはやらかした結果だった。
およそ七ヶ月前の起動実験中に予告もなしに暴走。街が二つ買えるほどの実験場を半壊。
さらに、操縦者綾波レイを誰の許可もなく、無断でエントリープラグごと射出。
半殺し以上の大怪我を負わす。操縦者はそれ以降意識が戻らない。
死人こそ出なかったものの・・・・これは犯罪だ。
しかし、人造人間を裁く法はない。


「零号機・・・お前には失望した」
という碇司令の絶対命令によりこうして半凍結状態となった、曰く付きの機体だ。


しばらく何も言わず、零号機を見上げる少年。
その姿に葛城ミサトは一週間前、消失した少年の姿を容赦なくダブらせる。
最も考えたくない連想だが、人の脳みそというのはどういう構造なのか、それをやってしまう。
一度、入り込むと抜け出るのに時間がかかる迷宮がやってくる。


「この機体を操ればいいんですね」


振り向いて言った言葉は、まるで違っていた。振り向いたカオが違うのだから当たり前だ
「そう。お願いするわね」
事務的な響きだった。子供相手にはもう少し言いようがあっただろうが、出来なかった。
渚カヲルは何の反応もみせない。つまりほほえんでいたのだ。


「でも、その必要はなくなったようですよ」


その意味を問い返す前に、胸の携帯が鳴った。
「はい、葛城・・・・え!なんですって!・・・それで?ええ、・・・・分かったわ」

綾波レイが意識を取り戻したという知らせだった。





次の日。
第三東京市立第三中学校。二年A組。
「え・・−、今日から皆さんと一緒に勉強する転入生の、渚、カヲル君です」
定年間近の老教師が傍らの少年をスローモーな調子で紹介する。
名前さえ聞けば、あとは用がない。仲良くしてください、などという中学生には余計なおせわなおきまり文句は、子供らの膨れる活気に無視される。
転入生の物珍しさをさっ引いても、渚カヲルは人目をひく存在だった。
言ってみれば、場違いな存在で、女子も男子も、これで同じ中学生とは思えないようなものを渚カヲルはもっていた。
はったりでも演技でもなく、見知らぬ多人数を前にほほえんでられるのがその証拠。
その笑みにニヤニヤとかニタニタとかいう擬音がつくことを許さないほどの顔の造り。
つまり、美少年だってことさ。


「渚、カヲルです。よろしく」


自己紹介よりわずか三秒。渚カヲルは二A組の(半分の)人気を制した。
分かりやすく言えば、モテモテ状態に突入したということだ。本人にその気はなくとも。


一時間目が終了し、休み時間になるといつ知ったのやら、よそのクラスからも転入生の顔を拝みに来る。直接、話かけるのはおそれ多いのか、または遠くでみているのが楽しいのか、誰かが先頭切れば、わっと人が集まるのだろうが、お楽しみはこれからなのか、
渚カヲルとお話した者はいない。もしや、裏の方で「渚カヲルと最初にお話できる権」がオークションにかけられているのかも知れない。
たかが中学の休み時間に、鼻歌の第九で優雅な空間をつくっている少年。
魅力的でも、ちと、近寄りがたかったこともある。



「おい、転校生。ちっとつきあえや」
ドスを効かせた声。それは昼休みに入ってすぐのこと。栄誉ある一番乗りは彼が手に入れた。しかしその口調は関西。この暑いのにジャージの少年はそれだけ言うと、肩怒らして歩き出す。
「たしか鈴原トウジ君、だったかな」
渚カヲルはそう言いながらも、友好的とは言いかねるジャージ少年についていった。



体育館の裏。やばい感じだ。
「転校生、オノレにききたいことがある」
「なんだい?」
「転校生、オンドレ、あのロボットのパイロットか。もしそうなら、ワシはオンドレを殴らないかん、殴っとかな気がすまんのじゃ!」
こんな風にいわれてウン、と言うやつがいてるかい。

「それは大変なことだね」






ネルフ本部・第二実験場。

「エヴァ零号機、起動しました!」
オペレータの伊吹マヤの声で、モニター室の張りつめていた空気が緩む。
「パイロットの精神状態も安定しています。」
そこにいた者たちは、起動成功に喜ぶより、まず暴走しなかったことに安心した。
起動の成功は、あまり期待はしていなかったのだからもう少し喜んでもよさそうだが、
あの暴走を目の前で見た者には、恐怖がたっぷりと残っている。それに加えての先日の負け戦だ。悪い現実はこれ以上増えて欲しくなかった。
「ふう。やっと人心地ついたわね」
皆の本音だった。それを赤木博士が言うことで緩む空気も安定したものになった。
零号機起動。現在、本部にある一体のみのエヴァンゲリオンが使用可能になったのだ。
初号機が消え、いきなりじり貧に追い込まれていたネルフが、安堵の息を吐くのも無理はなかった。
「昨日の今日で、正直、5%も期待してなかったんだけど・・良かったわ」
勝手の極みの言いようだが、これが本音というものだ。
「頑張ってくれましたね。あの子」瞳が潤んでいる伊吹マヤ。
「シンクロ率もこれまでの最高値。7ヶ月の冬眠の間になにかあったのかしら」
出てくるデータに目をやりながら、コーヒーを飲む赤木博士。
禁煙でなければさっそく一服したいところだ。ミサトだとビールかしらね。
そう思ってふと見てみる。
葛城ミサト作戦部長は、腕を組んで難しい顔をしている。視線の先にはレイがいる。
(ミサト・・・シンジ君に拘りすぎているわね)
「ミサト」
「え・・・何」
「これで仕事ができるわね」
「まあね」
「気のない返事ね。・・・初号機に拘るのもいいけど、今は零号機、レイを使うしかないのよ。弐号機、四号機が来るまではね」
「そんなこたあ百も承知よ。それよかレイに、あの子に聞きたいことがあるのよ。
早く出してくれない」
何を焦ってるんだか。7ヶ月眠っていた子供に何を聞くのか。
「連動試験もやりたいところだけど、無理はさせられないから今日は止めておくわ。
本日の実験はここまでにしておきます。皆、そしてレイ、お疲れさま」
実験責任者の赤木博士が実験終了を告げる。

さあ、一仕事終わったぜ、と最後の緊張が切れるまえにそれを覆す警報が鳴り響く!


「使徒接近!繰り返す!使徒接近!総員第一種戦闘配置!」


「使徒・・・もう来たの」




第三中学校。体育館裏手。
ジャージ少年鈴原トウジと謎の転校生渚カヲルと、いつのまにやらやってきていたメガネ少年相田ケンスケが3人ならんで木村屋のあんパンを食べている。
「そーゆーわけやったんか」
鈴原トウジはパンを食い終わってから、ぽつりと呟いた。
「そういうわけだから、勘弁してあげて欲しいんだ」
「勘弁も何もあらへんやろ・・・そいつも」
ジャムパンをひっつかんで食いちぎる鈴原トウジ。まるで味はしない。
鈴原トウジの妹は先日のエヴァ初号機と使徒との戦闘の折り、大怪我をした。
理由はそれで十分だった。逆恨みといわば言え。事故とはいえ、その張本人が目の前に現れたなら殴ってやらねば気がすまない。
あの転校生、もしかしてあの兵器のパイロットじゃないか。
相田ケンスケの何気ない一言。
あんな事件が起きたってのに、引っ越してくるか。普通。怪しいな・・・。
まさか彼も友人ジャージ男が、こんな行動に出るとは思ってなかった。
しかし、やり場のない怒りを溜めていたジャージ爆弾には、まさに導火線であった。
軍事オタクの怪しい、の一言はそれに火をつけたようなもの。
ケンスケがいうならそうかも知れんのう・・・・鈴原トウジはバカではないが単純だ。
正直に言うたら殴るで!・・・バカかもしれない。
さっそく転入生を体育館裏手に連れ出し、問いつめ(と言いつつ、確定率は80%)、
殴っちゃるつもりでいたのである。
相田ケンスケも、己の無責任な一言二言に思い至り、追ってきたのだ。転校生はケンカは強そうではないので、救急パックを持ってきていた。そしてその後、元々の怒りに加え、腹をすかせて凶暴になっているトウジを抑えるための装備を整えた。
それが3人の後ろにある大量のパンの入ったビニール袋。
ことの展開は結局、鈴原トウジの怒りとも相田ケンスケの予想とも違うところに落ち着いた。


「君が怒りをぶつける彼は、消えてしまったんだよ」


渚カヲルはあの夜のことを話した。当然、ネルフ報告書からの、真実を知るものの視点からの話。淡々と、遠慮のない真実を。
同じ歳の少年が、状況に追いつめられて乗せられたこと。
使徒・・敵性体が殲滅、もしくは逃亡しない場合のこの街の予想される状況。
エヴァ初号機・・・ロボットのこの街に与えた被害とその金銭に換算した総額。
敵性体とロボットの戦闘による被害者数とその具体的分類。
鈴原トウジにも分かるように。しかし一切の遠慮はない。淡々とデータのみを。
そして最後に。


敵性体の撃退。しかし新たな敵性体の出現。その特殊攻撃によるものかは不明だが、
ロボットは敵性体と同時に消失してしまう。早い話が・・・・・・。


パック牛乳を飲む渚カヲル。なぜか音はしない。
「分かってくれてありがとう、鈴原くん」
「礼を言われる筋合いや、ないやろ。ワシはオノレを殴ろうとしたんやで」
それに結局、渚カヲルは今回の事件にまるで関わっていないのだ。
同じ、エヴァ・・ロボットのパイロットとは言え、鈴原トウジ、痛恨の不覚。
うぬぬ・・・恥と自分にたいする怒りがこみ上げてくる。
不意に立ち上がる鈴原トウジ。うりゃーとばかりに頭を下げる。
「すまん、転校生、この通りや!」
「別にいいんだよ。殴られなかったんだし、鈴原君が怒っていたのは妹さんへの愛情ゆえなのだからね」
ぬけぬけと言う渚カヲル。斜に構えているように見えるが、彼が言うとひどくまっとうに聞こえる。・・・人によっては。
「て、転校生・・」
この言葉を素直に受けられるあたり、鈴原トウジも波長があっているのかも知れない。
他のひねた中学生に言わせれば、「シスコン」の一言でかたづけられそうだが、渚カヲルは大まじめで応対する。
うーむ、こいつは意外にええやつかもしれんのう。
関西というより広島に近いような思考で鈴原トウジは考えた。
「でも、いいのか、渚」
水を差すつもりはないが、の相田ケンスケ。
「オレたちみたいな一般市民に、そんなことバラしちまって」
渚の襟首あたりに、機密保持のための極小サイズの盗聴器がなにかが仕掛けてあって、今晩あたりヤバイのではないかと心配になってきたのだ。じゃあ、聞かなければいいのだが、極上のネタを前にして逃げるような根性ではなかった。その次あたりにこの新しい友人が心配になったこともある。営倉にでも放り込まれやしないだろうか?
「気をつかってくれてありがとう、相田くん」
うっ・・・。この微笑みは危険すぎる・・・。一万ボルトの渚スマイルか・・・。
「でも大丈夫さ。君たちさえ口をつむんでいれば、誰にも分からない」
これで話が広がれば、出所はオレたちで決まりということか。くわばら、くわばら。
「ワシらはそんな口の軽い軟派な奴やあらへん!そのあたりは心配せんでくれ」
「ま、渚もオレたちを信用してくれたんだろうしな」
「もちろん、信用しているよ」
それを裏切ればどうなるか知らないよ・・・・などとお決まりなことは言わない渚カヲル「だけど・・・・」
言いかけたところで腰ポケットの携帯が鳴り出した。非常召集か。
「悪いね、行くよ。パン、ごちそうさま。美味しかったよ」
ふわっ、と立ち上がると風のように行ってしまう。


「ワシらは隠れることしか出来んからのう・・・頑張ってくれや」






ネルフ本部・発令所。
あまりに唐突で暇のない使徒の再来に、ギリギリと限界まで締め上げられた空気。
初号機はないわ、司令はいないわ、零号機は起動したが戦闘には不安があるわ、パイロットの綾波レイは病み上がりの見本のようなもんだわ、と、不安材料には事欠かない。
今思えば、初戦のあの余裕はなんだったのだろうか。綱渡りに失敗し、世界に向けて大恥をかいたネルフ。
今回は一点の曇りもない勝利が欲しい。全員の思念がそれに集中している。
なにせ今度恥を雪ぎ損ねたら、死ぬのだ。
使徒を一撃で追い払う初号機はなし、知恵と根性と零号機でやらねばならぬ。

「零号機は現在の状態では、近接戦闘には耐えられません。そこでATフィールド中和可能なギリギリの距離からの射撃でケリをつける。
これが今回の作戦の全てです」
作戦というより、まさしく現在の苦しい状況を言い換えただけのものだが周りからは特に文句は出なかった。誰が考えてもこの方法しかないからだ。
葛城ミサト作戦部長が気合いを込めて言うことで、わずかに救われる。気もする。
「ATフィールドの強度次第で運命が分かれるわけね」
赤木博士の正確すぎる一言。
だがそれも、「初号機があればなあ」という泣き言よりはましである。
「レイなら、零号機なら中和は問題ないと思うけど・・・自分の防御ね・・」
「隙を突いて、こちらのターン内にケリをつけるしかないわ。あの目玉模様がダテであるのを祈るわ」
中央モニターには、ごうん、ごうん、と余裕の空中進軍で接近してくる使徒の姿がある。タコと鳥脅しバルーンとしゃもじを足して2で割ったような姿。小豆色だ。

何故、3で割らないんですか?
「3で割ったら、元に戻る可能性があるでしょ。だからよ」(赤木博士 談)

自動迎撃兵器が稼働しているが、まるで効いた様子もない。進軍を早めはしないが、遅くもしない。その様子を見て、
「税金の無駄遣いだな」などという余裕は今回はない。はずだが、
「税金の無駄遣いだな」などという冬月コウゾウ副司令。
前回の「勝ったな」発言といい、あてになるのかならないのか、よく分からない冬月発言
だが、それでもオペレーター達は現在展開されている無駄な足掻きが、税金の無駄遣いなのだなあ、と転化されて見えて度胸が据わってくる。


「オトリにひっかかってくれればいいんだけどね」
キリ、と唇をかんだ後の独り言。葛城ミサトは作戦を開始させる。


使徒が第三新東京市にゆっくりと降下してくる。弱点であるコアを、これでもかとさらしている。ように見える。
一撃必殺の他、選択の余地ない作戦が、今始まる。