七ツ目玉エヴァンゲリオン




第3話 鳴かない、電話






零号機ケージ。零号機エントリープラグ内。
綾波レイ。
起動、そして拘束解除もすでに完了し、あとは出撃を待つばかり。
今回の作戦は、隙をついての遠距離よりの狙撃。つまり奇襲。
自分と零号機の力は、自分が一番よく分かっている。打てる手はそれしかない。
元々が試作機であるから、実戦においてはサポート役になる。はずだった。


「初号機は消えたの」


長く眠っていたらしい。目覚めてみれば七ヶ月経っていた。七ヶ月。
それに対しての感慨も不安もない。原因も知らず。悩むこともない。
病室にやってきた葛城一尉の説明を受け、状況の変化を知る。
無表情。
零号機の暴走。七ヶ月の眠り。使徒来襲。初号機起動。撃退逃亡。そして。
初号機の消失。
赤い瞳が僅かに揺れた。


「碇、司令は・・・」
ふいに出たこの問いに、葛城ミサトは返答に困らなかった。意味が掴めなかったからだ。まさかレイが他の意味で問うて来たとは思いもよらなかった。
「忙しい人だからねー。今は確か、北京の方にいってるみたいよ」
「・・・・」


何か間違えてしまったような気もするが、今は時間と余裕もない。
使徒に人類皆殺しにされた後では気づいて謝るコトもできない。
と、いいつつ、時間が過ぎればそんなことは忘れてしまっているものだ。
「それで起き抜けで悪いんだけど・・・・」
命令口調ではないのに、早口。焦り、じゃない。辛いのね。
「起動、実験・・・。分かりました。」
七ヶ月の意識不明は体力、筋力を根こそぎ奪っていた。立つだけですでにふらつく。
力を入れて手を握りしめることもできない。煙のような麻痺がある。
綾波レイはベッドに寝かされたまま、運び出された。




LCLの中は安らぐ・・・。





発令所。
中央モニターには、使徒の姿が元気な調子で映っている。
睨み付けることで心不全でも起こさないかという気合いの葛城ミサト作戦部長。
このへんてこな使徒相手にこれだけのガンつけられるのは世界中探しても彼女一人だろう

同時に、頭の中では間合いを計っている。コンピューターや数学などによるものではない葛城式カンピューター。男よりも豪性なそれは、簡単に女のカンとは言い難いキレがある野獣が獲物のノドを食いちぎれる絶対の間合いを探るような。
外れた後で「データ不足でーす」と誤魔化せない状況下にあっては、よほど頼りになった


「囮用ダミー、射出用意」
そろそろだ。一瞬の勝負。これがどれくらい使徒の気をひけるか。勝負の分かれ目だ。

囮用ダミー。

これが、今作戦の、多少は作戦らしい唯一の部分であった。
一分の一スケール、つまりでかさそのままの初号機のダミーバルーンが射出口にスタンバイされているのが左モニターに映し出されている。
これを打ち出して使徒の気を引こうというのだ。使徒がどの程度の知能を持ち、どういう感性の持ち主なのか不明だが、動くモノには興味を示すだろう。それに・・・・。
葛城ミサトの視線がダミーの左腕部分に注がれる。
その部分はモノホンの初号機の腕だ。こうなれば囮としか使いようがない。
本物の香りと品格に惹かれてでもなんでもいいから、騙されて欲しい。


こんなになってまで使うのね・・・。
考えたのは誰でもない。自分だ。日向マコトの呆れた顔が思い出される。
なんだかんだ言っても、この街を守ってくれた勇者の骨を使うようなものだものね。

と、浸ってるヒマはないわね。
シンジ君のこともまだ分かんないわけだし。


レイ・・・・・・。


「レイ、そろそろよ。いいわね」
右モニターに映るプラグ内の綾波レイ。LCLに浮かされてなければ背を起こす事もできない少女。操縦というより、ただ円筒の中を漂っているように見える。
レバーを握る力もないのだろう。
「はい」
しかし、言葉はいつもの通りだ。エヴァは心で動かす。言葉は心の鏡、いける。
死なないでね。消えないでね。口が裂けても言えない言葉の代わりに拳を握る。
この力が伝わって、細い小さな握る手に、多少の足しになるように。



「この写真・・・サードチルドレン・・・この人、みたことがある・・」
運ばれる途中の、ふとした言葉。綾波レイの言葉。はったりと嘘を知らない言葉。
それに一縷の望みを託して何が悪いだろうか。

「囮ダミー、出して」
バシュ。初号機の風船人形が飛んでゆく。5秒で地上に出現する。
中央モニターに使徒と囮ダミーの姿が映し出されている。
「使徒、囮前方300メートルにて停止しました」
反応したか。これから、どう出る?使徒の攻撃方法を見るか。それとも、このままATフィールド中和地点に零号機を出すか。葛城ミサトの視線は、弱点赤いコアにある。


うろん。


使徒の目玉模様が囮ダミーを見ている。認識するように。その、すぐあと。
「使徒、変形しました!直立します!」
オペレータの青葉シゲル。もしオペレータでなければ、「うへえ」とか叫んでいただろう目玉模様のある頭部(だろう、たぶん)から体部分(おそらく、そうだ)を90度曲げたのだ。この変形は驚くには値しない単純なものだが、生理的にクる。
体表面のぬめぬました感じがケチャップのポリ容器を連想させる。それを押し曲げれば、ぼにょっ、と何カ出てきそうな感じ。
変形途中を狙ってはいけないというお約束など守る気は毛頭ないが、どうもそこを攻められなかった。


ぎょん、ぎょん。


使徒は両手の代わりか、光る鞭のようなモノを頭部下より出してくる。やはりタコだ。
その輝きはプログナイフのそれによく似ていた。戦闘態勢か。接近してくる。
ぶしゃあっ!斬っ!
鞭が唸り、さっそく囮を切り裂いた。ご丁寧にリフトごと。斬鉄剣なみの切れ味だ。
ボトリ。体が無くなった左腕が落ちる。
葛城ミサトの目は鞭の長さを測っている。
「65番で射出して。エヴァンゲリオン零号機、発進!」
ATフィールド中和地点と鞭の間合い。そのギリギリのせめぎ合い。



「くうっ」
弱り切った体に射出時の重圧はきつい。発令所の人間はそれを聞いて胸が押し潰されそうになった。しかし感傷に浸るひまはなし。
「エヴァンゲリオン零号機、リフト・オフ」
零号機は間髪いれずに行動に移る。ATフィールド、アンチATフィールドを同時展開。
兵装ビルからエヴァ用ライフルを取り出す。狙いを定めて構える。
流れるような動作。命令通りの動きには一瞬の遅滞もない。これで病み上がりか。
ファースト・チルドレンの面目躍如だが、これでもう息が上がってきていた。
「コアを集中狙撃、撃て!」
「いきます」



使徒はそのとき。転がっている左手を鞭で、つんつんしていた。




「なかなか、がんばっとるのう。結構結構」
市民の避難がすでに完了し、道行く車も路肩に寄せて乗り捨てられている光景の中に、
キコキコ云いながら自転車が走っている。頑丈そうだが古ぼけた田舎の駐在さんが乗るようなやつで、2015年では骨董品といってもいい。色は灰色だ。
それはいいのだが、避難命令が出されている以上市民は近くのシェルターに避難しなければならない。これには、命が惜しければ、という但し書きはついていない。
後で(使徒がくたばった後)表を歩いていたことがばれようものなら罰金50万程度ではすまない。都市伝説混じりに云われているのは、「黒い服をきた男達が夜分押し掛けてきて、その家の人間は全員一週間以上寝込んでしまう」とか「警察署地下五階にある特別な施設に連れ込まれ、修正を受ける」とかいう話だ。
そんな物騒な時間をゆく自転車。
物珍しさに見物、ではない。すでに戦闘は遠目にだが始まっている。
自転車の人物はそれを見ても、ああ言ったのだ。
へんなおじさんが、びびっているのに負け惜しみで言うたのではない。

ふーふふ、ふーふふふ、ふっふふふーふーふふ。
第九では、むろんなし。銭形平次だ。銭形平次の鼻歌だ。
自転車を漕ぐ足も、ちなみにブーツだ、行く先をしっかり知っているようだ。
止まっている自動車どもをキコキコ笑っている。
「さあて、高見の見物がしたけりゃ急がぬとな」
自転車おじさんはビルの路地裏に曲がってゆくとそこで止める。勝手口でもなかろうに、そこには分厚いドアがあった。赤いカードキーでそれを開けてしまうと、自転車ごと乗り入れる。その先は地下にむけての暗い通路になっていた。
キーッ、キーッ。自転車のブレーキを利かせっぱなしにしてるのが闇に響く。
いかにもたこにもな秘密通路をゆくこの自転車。乗り手。
謎である。
が、所属くらいは明らかにされている。自転車の後部にはプレートが貼ってあり、そこによく見れば「ネルフ」のロゴが打ってあった。
そうこうしているうちに、自転車おじさんは闇の底に消えた。





ドス、ドス、ドスッ。
零号機のライフルが使徒のコアを狙撃する。なにせでかい的だしむき出しになっている。ATフィールドさえ中和すれば当たるのは容易い。3発命中。
コアがどれくらいの強度をもつのか、初号機との戦闘はアレであるからあまりデータとしてはあてにならないが、とりあえずの見当くらいはつく。
「物理的衝撃で壊せないものではない」
これである。科学的に、確証があっていえるのはこれくらいなものだ。
なにせ相手は神様の使いだ。物理衝撃は効かないという反則もOKな感じなのだ。
今、その見当を実証する。
さらに、4発ほど食らわせる。使徒はその場に停止したままだ。


「なにさらすねん」


目玉模様がそう言って零号機のほうへ向いた、ような気がした。
初号機の左腕をつんつんするのはやめて、さっきから何やらガチガチ撃ち込んできよる
黄色い一つ目巨人にヤキをいれるべく、接近してくる使徒。
光る鞭は仕返す脅しを表現するように、ヒュンヒュンと回転させている。
怒らす肩はないものの、その接近は余裕のヤっちゃん、ではない、よっちゃんで、悠然。
コアは誇らしげなバッジのように輝き、亀裂のひとつもない。


その接近に動じない零号機。コア狙撃を続行する。
後退させるべきか。コアには変化がない。銃器ではあの丸みに弾かれでもするのか。
葛城ミサトは考えた。
後退だ。向こうが空中浮遊形態をやめて、地に足をつけるのならば、他にもやりようはある。地の利だけはこちらにあるのだ。
「レイ、ひとまず後退して」
この場合の後退とは、リフトで地下に戻ることだ。どうせ5秒で戻れる。
焦ってみてもしょうがない。他の手を考えましょ。奇襲はちゃらだ。
作戦がこけたとしても、負けるわけにはいかないのだ。

「はい」
綾波レイはすぐさま後退にかかる。躊躇なし。怯えることはないが無用に猛ることもなし
作戦のさの字も伝えられなかった第一次直上会戦とは大違いだ。
左腕はあとで回収してあげるからね。


使徒は、怪獣のように破壊本能の赴くままに街を壊すということはしないらしい。
そのかわり、逃げ・・後退にかかった零号機を許さずに追いかけてくる。
だが、その移動速度に変化はないので追いついてくる心配はなかった。
「仕切直しね」
赤木博士も友人の判断は、適当だと思った。良い意味でだ。


しかし、使徒はそれほど甘い相手ではなかった。


零号機が、がくん、と動きをとめた。
後ろからひっぱられている。後ろから、アンビリカルケーブルを。使徒が。


「何」
「ケーブル外して!早く」
遅い。ズルズルズルズル・・・・・あっと言う間に使徒の足下まで引き寄せられてしまう
零号機。


「わてから逃げられるとおもうてんのか、われ」
見下ろす目玉模様は確かにそう言っていた。





零号機ケージ。
その片隅に壁に寄りかかって、携帯テレビのようなものを見ているプラグスーツ姿の、渚カヲル。画面には、使徒の足下に引き寄せられた零号機が、ライフルを取り上げられる光景が映っている。状況はさらに悪くなりそうだ。
「そんな手があったとはね・・・エヴァの意外な弱点だ・・・ん」
赤い瞳が奥の通路に人影を映す。かつーん、かつーん、脚の強そうな靴音。
はて。誰だろう。なんとなく偉そうなこの靴音は。整備の人は安全靴をはくものだ。
こんな時にここにこれるような余裕のある人間はいないはずなのに。

「ここがケージか。なるほど、でかいのう」
感心するにはまだ早い。ここの主は地上に出ていて留守なのだから。
入り口のあたりでそう言うと、人影はきびすを返した。かつーん、かつーん。
「発令所はどこかのう。早くせんと終わってしまう」
人に聞かせる気はないようだが、何せ声がでかい。渚カヲルもしっかり聞こえた。
発令所?こんな時に何しに行く気だ。
間の抜けた感想といい、発令所に自力でいけないところといい、まるで酔っぱらいのようだが、本物の酔っぱらいが入り込める場所ではない。それに足音を聞けば、分かる。
その人物は確固たるなにかがあってこの場に来ているのだということを。
「もしや、新兵器を届けにきた博士か何かじゃないだろうか」
などという妄想は湧かない渚カヲルである。
ほうっておくことにした。
それより、画面の中の零号機はさらにひどい目にあっていた。




怒濤の鞭攻撃。
ATフィールドのおかげで切り刻まれることはないが、衝撃までは面倒見切れぬ、と零号機を容赦なく震わせる。エントリープラグ内もシェイカー状態。中にいるパイロット、
綾波レイはたまったものではない。
攻撃どころか気を保つので精一杯。
碇ゲンドウがこの場にいれば、恥も外聞もなく「レイ!」と叫んだことは間違いなしの大ピンチ。代わりに葛城ミサトが叫ぶ。
「レイ!」

「くはっ・・・」
近接戦闘になれば手も足もでない、この予想だけは見事に的中した。
支えているATフィールドも限界になってきた。
ギュルルルル・・・・・光る鞭が寄り合わされて一つになる。双条鞭とでも言うか。
単純計算しても威力は倍増する。トドメを刺すつもりだ。

「ATフィールド限界です!消滅します」
よりにもよってこんな時に。パイロットが気絶したのだ。
これではモロに双条鞭ヲ食らうことになる。天頂から真っ二つにされるだろう。
哀レ、零号機。







「ここは・・」
目の前に続く白い回廊。病院・・・いや違う。この風景は見覚えがある。
窓の外のばかでかいレインツリー。人気のない芝生の広場。
そうだ。研究所だ。ゲヒルンの人工進化研究所。
綾波レイは、白い廊下を歩いていた。いつから歩いていたのか。覚えていない。
白い廊下が目の前に唐突に出現したのか、それとも自分が。
なぜ、ここにいるの・・・。ここにいたのは7歳の時まで。
ゲヒルンは解体され、人工進化研究所は閉鎖された。これは過去の幻か。それとも夢か。ならば、自分は何歳なのか。意識は14だと告げている。
考えながらも歩いている。7と14。7と14。7と14・・・・。
誰もいない。誰にも会わず。研究室のむこうには気配はない。

歩が止まる。視線が窓の外に。
人の姿。子供の姿。子供がふたり。男の子と女の子。芝生の上に座りならんでいる。
女の子は・・・・自分だった。
隣の男の子は・・・・誰だろう・・・7と14、7と14、7と14・・・・。
この頃は5つくらい・・・・その時にこんなことがあったのか。
窓の光景を見ている。
男の子の方が、おずおずとだが何やら話かけている。女の子は黙っている。
しばらく、それが続いていた。しかし、女の子の反応はまるでない。
赤い瞳が静かに男の子を見つめている。きれいな目だが、5歳の少女の仕草ではない、男の子はこわくなったのかもしれない。泣きべそをかきはじめた。
それでも女の子はなにもいわない。静かな表情もかわらない。

「はい」

窓の内に声が聞こえた。女の子は、白いハンカチを取り出すと男の子に渡す。
意外な顔をする男の子だが、すぐに笑顔にかわる。さすが子供だ。まるでカラス。
男の子がなにやら言っている。今ので安心したのだろう、話し方にも堅さがとれた。
やけにうれしそうだ。その内容は聞こえない。自分の声ではないからか。
この男の子は誰なのか・・・・・。

見たような気がする。どこかで。

「あら。サードチルドレンが、ファーストチルドレンと」
いつの間にか後ろに人がたっていた。研究員らしい白衣の男女。窓の外を見ている。
サードチルドレン・・・・。
「おい、その言い方はやめておけよ。碇さんに聞かれたらただじゃすまないぞ」
「え、ええ。そうね。私ったら、ついクセで」
「直しておいて方がいいぞ。研究を続けたいんならな」

サード・・・・碇・・・・・。
碇シンジ。

窓の外の男の子はまだ何かを話している。思いに言葉がついていかないもどかしさで。
とりとめのないことだったか、それとも。






発令所の誰しも、真っ二つになる零号機を想像した。そのくらいの情け容赦ない一撃。
エントリープラグさえも裂かれて、その中のパイロットは・・・・・。
オペレータの中には、その光景に耐えきれず目をそむけてしまう者もいる。
だが、一歩も引かずモニターを睨み付ける者もいた。
葛城ミサト、赤木博士、冬月コウゾウ。真実は彼女らのものだ。


使徒は双条鞭を振り下ろす動作の途中で停止している。
完全な停止。鞭は光を失い、硬化してただのねじりん棒になっていた。


「使徒、完全に沈黙しています」青葉シゲルの報告に、背けていた者も顔を上げる。
まるで時間が止まったような使徒の光景に誰しも言葉がない。
憑かれたように中央モニターを見上げている。


赤いコアは握りつぶされていた。初号機の、「左腕」に。


扼殺。


使徒は完黙。零号機も無事だ。勝利したというのに静まり返る発令所。
これが勝利か。言ってみれば、隙をついての使徒殺しだ。

使徒殺し。

スタッフの視線は初号機の左腕にある。紫の、悪魔の鍵のような指をもつ手。
まるで魔法のように現れて、気づいた時はコアを潰していた左腕。
使徒も自分がどうやって天国に強制送還されたか、さっぱり分かるまい。
人間の知恵と勇気と科学力ではなく、魔人の力に頼って勝ってしまった。
そういう気分が沈黙の源。
今にもモニターに初号機の顔が現れ、代償に魂寄越せなどと言い出すのではないか。
迷信不安に支配される時間。この場にいる者の頭脳はしばし太古の昔に逆行していた。


「勝ったな」
「レイ!レイ!大丈夫、生きてる?零号機、すぐ回収して」
「マヤ、初号機の左腕、今の動きのデータ、とってあるわね」


真実を目にしている者だけ、その呪いを受けつけない。
冬月副司令、葛城作戦部長、赤木博士の声が古い時間を終わらせる。
発令所が息を吹き返す。各々、自分の仕事に動き出す。騒然。
そこにもう一声、かかる。


「油断するな!第一次直上会戦を忘れたんか!」
鯨が吼えたようなでかい声。先ほどとは別の沈黙が下りる。声の張本人を見やる。
かつーん、かつーん。堂々と近づいてくるその人物。
その人物の方を見たいのはやまやまだが、言われた通り新たな使徒の出現に備えて、モニターから目が離せない。それに、限界の零号機を回収する作業もある。パイロットの体も心配だ。
声は下品なほどにでかいが、内容は正当なものだ。葛城ミサトもレイのことがなければ、その注意を忘れなかっただろう。
「さすがにネルフの職員は、噂通りに優秀じゃのう。打てば、響くな」
誉められるのは嬉しいが、その人物は得体が知れぬままであるし、何より基本的に偉そうだった。
「来てくれたか」
冬月副司令は、この人物を知っているらしい。まあ、この人が知らなければ誰もしらんだろうが。
「いやあ、駅まで迎えに来てくれるもんだとばかり思っとりましたが、時間にも誰もおらんし、バスもタクシーもない。仕方ないから、駅までネルフのマーク付きの自転車があったもんですから、鍵壊してそれに乗ってきましてな。多少遅くなりました」
くったくがない。自転車を無断借用してきたことも、戦闘が終了してからやってきたことも。やらかしたのはそれだけではないはずだが、話す気はないようだ。
苦笑する冬月コウゾウ。未だ戦闘態勢のはずだが。
「同じ手をつかってくると思うのかね」
「もう来んでしょう。戦気が晴れてきていますからな」
話されるのは挨拶ではない。未だ第一種戦闘配置なのだ。冬月副司令の問いに、人物は
「戦気」とかいう得体の知れぬ用語で否定した。この科学の城の中で。
「どちらにせよ、零号機は使えんな。零号機回収後、第二種警戒態勢に移行」
それを鵜呑みにしたわけでもない副司令の命令が下る。
「はい」
葛城ミサト作戦部長が応える。これで作戦は終了したわけだ。一応。
「レイの様態は」
「意識は戻っていますが、体力の消耗が激しく、衰弱気味です」
伊吹マヤが答える。同時に指がコンソールを忙しく行き来している。
あとは救護班の仕事だ。死ななくて、良かった。緊張が解ける。
そうなると、他のことに頭がいくのは人情だ。
「先ほどは、的確なご注意有り難うございました」
副司令と話しているところを見ると部外者でもなかろう。戦自の人間でもなさそうだ。
第一、その制服・・・・焦げ茶の、どこかネルフ士官用制服に似ている。
襟章はなく、無理矢理つっこんだような膝までのブーツ。
そして何より、その帽子。戦艦の艦長がかぶってそうなあれだ。ツルツルのハゲ頭に滑っていきそうだが。それから手入れの行き届いた八の字の髭。
肌は黒いが、背は低い。昔の日本人体型で、かいな力がありそうで眼光も強い。
歳の頃は・・・活力はありそうだが、60代だろう。
グン。目玉をのぞき込むようにしてくる。引き綱で引っ張られそうな錯覚。
「礼はいいぞ。葛城一尉。作戦部長として当然のことだからな」
「へ」
「あまり見とらんかったが、おそらく最後を飾る見事な指揮じゃったのだろう。
ご苦労だったな。うんうん」
「は」
何いってんの、この爺さん。理解不能な葛城ミサト。
「途中で花でも買ってこようかと思っていたが、どこの店も閉まっておるんでの。
買えんかったわ。わっはっは」
地声なのだろうが、声がでかい。それは発令所の全員が聞いてしまった。
「副司令・・・どういうことでしょうか」
なにか根本的な誤解があるようだ。当人に聞くより責任者に聞いた方が早い。
「悪ふざけがすぎるぞ・・・・こんな折りだが、紹介は早いほうがいいだろう」
窘めるように言うと、ようやくこの人物の名前を明かす。


「野散須(のちらす)カンタロー、本日付けで作戦部の顧問になる」


「ほ」






「知ってたんでしょお、赤木リツコ博士」
「ええ」
夜も更けた時刻の赤木研究室。女性二人、コーヒーを飲んでいる。片方は不機嫌、片方はいつも通り。
「なんで教えてくんなかったわけ?どいつもこいつも。日向君も知ってたみたいだし、ね」「使徒再訪を前に、精神不安定な作戦部長に配慮した結果じゃないの」
「ふん。作戦顧問の襲来ごときでなんであたしが不安定になんなきゃいけないわけ」
ずずずーーー。熱いだろうにコーヒーをすする。
「作戦部長はあなたよ、ミサト。あちらはサポートしてくれるための顧問。
やり方を変える必要はないわ。そんなに器用じゃないわけだし」
などと言いつつ、技術部にも顧問とか称す分けのわからん老人がやってくれば、なおかつ自分の仕事に口出ししてくれば、頭にくるだろうなと思う赤木博士。
科学技術は客観的なデータをもとにそこから会話していくことも出来ないでもなかろうが、作戦などという臨機応変なものに、言ってみればいくらでも口の挟みようのある分野に頭の固そうな老人がやってきた。これからの苦労が目に見えるようだ。
ミサトが無駄と分かっていてもぶーたれる気持ちも分かる。
人を慰めることなど経験のない赤木博士は、まるきり芸のない慰めを言う。
いわば、客観的事実を。
ずずずーー。ジト目でコーヒーをすする葛城ミサト。だが、余人は知らず。
くそー、そうと知ってりゃあ、初号からガンとやっておいたのに・・・・。
などと敬老精神に欠けることを考えていた作戦部長なのであった。
「ま、そのことはいいわ。人ん家でいつまでも愚痴ってるわけにもいかないし」
「ここは研究室よ」
「似たようなもんでしょ。・・・・それで話はかわるけどさ。あれ、一体なんなのよ」
急に声のトーンが落ちる。
「あれっ、て?ここは研究室よ。小学校の教室じゃないわ」
「今度はリツコが苛ついてるわけだ。解析不能?」
くっ。慰めてやったというのに。科学は魔法じゃないのよ。研究もしてないのに分かるわけないでしょ・・・・。尤も、研究しても分からない公算の方が大きいけど。
しなやかな白い指が机の上のキーボードに閃く。すぐに映し出されるある光景。



使徒が光る鞭を寄り合わせて、倒れている零号機に振り下ろす、その一瞬。
画面はスローモード。200分の一秒にしてある。
カメラの視点は先ほどの命令で、ある一点で固定。
使徒と零号機を遠景で左端におさめている。

ヴ・・・ウ・・・
双条鞭がスタートする。零号機のATフィールドは消えている。
二人の視線は画面右端に注がれる。そこから来たのだ。



ささささささささささささささささささささささ・・・・・・・・・・・・・



超高速でありながら、動きの滑らかさにはそんな流れる音がする。
中央モニターを見据えていたあの時も、確かにこの音が聞こえた。

初号機の左腕だ。
紫の蛇蜘蛛のように指が地を掻いている。それでいてピアニストのような優美がある。
あっと言う間に使徒に辿り着き、縋りつくように登り詰める。
それから刹那の扼殺。
コアを潰され、完黙する使徒。光を失う鞭。


「これ、動力はなんなの」
「さあ」
「どうやれば、こんな高速で移動できるの」
「さあ」
「誰か動かしてたの・・・」
「さあ」
「アンタが造ったんでしょ」
「自信がなくなってきたわ」
これ以上言うのはやめた。韜晦してるのではない、誤魔化しているのでもない、ほんとのほんとに赤木リツコ博士本人にも分からないのだ。
これ以上聞くのはいじめというものだ。
「もしかしてさあ・・・・」
すっかり冷めてしまったコーヒー。時刻もすでに草木も眠る丑三つ時。
赤木博士の研究室の灯はまだ落ちない。今日は完徹か。
しばらく黙っていた葛城ミサトが、書類に目を通している赤木博士に話しかける。
「なに」
「あんた、人造人間じゃなくて、妖怪人間造っちゃったんじゃないの」
「・・・・・・聞こえなかったことにしといてあげるわ。長年の友情に免じて」
「じゃあ、人造妖怪人間エヴァ」
「便所に行って死んでなさい」
「あんた知らないのお・・・」声に眠気が混じっている。仮眠室かどこかで寝ておけばいいものを。
そう思う赤木博士だが、次の葛城ミサトの言葉に顔をあげる。
「妖怪やお化けはしなないのよ・・・・なんてね」
ふわああ、と大げさにあくびをしてみせると時計を見る。
「4時間くらいは寝れるわね・・・お邪魔したわね・・・じゃ、お肌に気をつけて研究頑張ってね・・・」
そう言ってようやく赤木研究室から去った。

カタカタ・・・・しばらくキーボードの音だけが続く。画面に流れゆくデータの大河。
必要な部分だけを頭にインプットしながら考えている。科学者に必要なのは、お金と沈黙思考できる空間と時間だ。哲学者ではないから思索を深める必要はない。求めているのはもっと切実なもの。ディスプレイに映える怜悧な科学者の顔。
最も的確に文章で表現するのならば、こうなる。


「なんでこれがこーなるのよ!!むきーー!!」


知りたい、という飢えに近い強力な知的好奇心は原始のエネルギーを交えて昇華されるとこうなる。そこには人情的義務など欠片もなく燃やし尽くされている。
知りたいから、データを揃えて分類して仮説をたてて実証してゆくのだ。
ただし、これはあくまで思考の形態をパトスな感じで表現しただけで、内心でこんなこと喚いているわけではない。それではただのへんなひとだ。
半畳はそのへんにしておいて、赤木博士はこうしている間にも収集したデータを元に、仮説をいくつか立てている。


初号機と呼ばれるエヴァンゲリオン・テストタイプはどうなったのか。
命題はこれである。
しかし、これでは範囲が広すぎるので、手堅い所、急を要する所から始める。
残された左腕。最大の手がかりにして、早速謎を増やしてくれた困った代物。
これを文字通りの手がかりにして思考を進めていく。

キーワードは「完全切断面」。

電源も本体もパイロットさえもいないのに、勝手に起動した初号機の左腕。
あり得ないことが目の前で起こってしまった。だが、何らかの原因はあるはずだ。
原因なくして結果なし。ここまで引いてくれば、あとは進むだけ。
「あの左手がおかしいのは分かってたのよ」
残された左腕は徹底的に検査されたのだ。その結果、すでにとんでも無いことが判明していた。
左腕は、切断(この用語が正しいかどうかは後述する)された後も平然と生体活動をそのまま続行していたことだ。具体例を挙げると、体液の脈動があること。その体液はどこから流れてきているのか。また、何処へ還流していくのか。
トレースしても、あの「完全切断面」の一ミクロン向こうにはなんの反応もない。
そりゃそうだ。あるべき二の腕はそこに付いていないのだから。
まだある。切断面から直接神経に繋ぎ、電気パルスで五指を反射運動させようとしたが、ぴくりとも動かない。そんなバナナである。物理的構造上、その仕組みから言って、動くはずなのだ。あくまでこれは造られたものなのだから。
それなのに動かないとなると・・・・考えられる事はそう多くない。

第一の仮説。
「左腕と初号機本体は未だ繋がっている」
そうなれば辻褄はあう。体液の脈動も、外部からの神経接続を受けつけないのも。
当然、ここでは終われない。アウフヘーベンさせる必要がある。
では、初号機本体はどうしているのか。
「亜空間、つまり別種類の空間に飛ばされた」
「構成物質の変質。例えば光と波と粒子の性質をもった解析不能の何かに」
「いわば巨大シオマネキのように、切断面に極小サイズの初号機が張り付いている」
「切断面に転移能力があり、世界のどこかにいる初号機に体液も神経信号も転送される」こんな調子であと10個ほど考える赤木博士。しかし、思考の隘路に填り込むのを避けるため、そのへんで切り上げて別の仮説をたてる。


第二の仮説。
「左腕と初号機はやはり繋がっていない」
まあ、基本だ。ここから始めないのが赤木博士らしい。
「初号機そのものが左腕に変身した。又はさせられた」
「左腕も実は存在していない。最悪のケースで言えば、あれは使徒が化けてこちらを油断させるもの」
「工程上の偶然の失敗か、ATフィールドの集中の隔たりか、左腕だけが異様に強力に出来ていた」
「初号機とは別の存在の支配を受けているだけで、初号機との関係は切れた」
こんな調子であと7つほど。



「どれもしっくりこないわね」
赤木博士はコーヒーを入れ直した。そして、一服。
思考は続く。
新たな思考の展開のために、ミサトの質問を思い出す。
「これ、動力はなんなの」「どうやればこんな高速で移動できるの」「誰が・・・」
先の二つについてまず考えてみよう。
動力はなにか。構造に変化がなければ、電気だ。エヴァンゲリオンは電気で動く。
高速移動。あんな条件は想定してないから何とも言えないけど、パイロットがその気になれば、出来るのかも知れない。なにせ汎用だ。
いけない、いけない。これではただのスペックの説明だわ。ふー、煙をはく。
ちょっと視点をかえてみましょう。

「あのとき、左腕が急に動き出したのは、何故?」
使徒を倒すため?零号機を救うため?いえ、この構図にはなにかあるわ。
光る鞭でつつかれていたけど・・・あれは・・・関係なさそうね・・・・・。
使徒の隙を突いた・・・それも違う・・・・その必要もない力の差がある。
零号機の危機を救う・・・にしてはあざといタイミング・・・大体、目も耳もないのに、状況が分かるわけも・・・・・・・「ちょっと待って」・・・・


あの鬼神のような強さに何か見落としている。
大事で簡単なこと。


キーワードを取り違えていた?
赤木博士の頭の中で大量のデータが渦を巻く。
渦の中から、答えの書かれた紙片をピンセットでつまみ上げるような慎重。
僅かに手先が狂えば紙片は破れて四散してしまう。・・・あともう少し・・・


にゃー、にゃー。


猫電話の鳴く音。ピン。頭の中ではじける金属音。紙片は消えた。
にゃー、にゃー。にゃー、にゃー。

「はい、赤木です」
こんな時間にここにかけてくる人間は・・・そういない。誰だ。
「お仕事中、すみません。渚です」
「どうしたの」
自分の家で預かることになった渚カヲルだった。
「ぼくのあげたネコカンを食べてくれないんですよ。どうも警戒されてるみたいで・・。
心配いらないと一声、言ってあげてくれませんか」
電話の向こうでもにゃーにゃー声がする。渚カヲルの足下にいるらしい。
「渚君・・・」
「はい」
「言うのを忘れていたわ。ネコカンの上におかかを振りかけて。食べないのはそのせいよ夜遅くに悪いけれど、頼まれてくれるかしら」
かたん。受話器は置かれ、猫電話はやさしく沈黙した。






綾波レイの病室。

「生きてる・・・・・」

白い天井だ。見覚えがある。長く眠っていたあの病室だ。逆戻り。
しかし、棺桶の中ではない。夢ではなく、現実が続いている。
起きあがろうとする。戦闘は継続しているはずだ。使徒が殲滅されない限り、復帰しなければならない。
体がこんにゃくのようだ。力が入らない。

「まだ、寝ていろ」
野太いが暖かい、滋味のある男の声。この声を知っている。すぐ、そばにいた。

碇ゲンドウ。
「碇司令・・・」
「使徒は殲滅された。ゆっくり休め」
それだけ言うと、立ち上がり去っていった。短すぎる労いの言葉。あの戦闘時には、少女の肩に都市の命運がかかっていたのだ。少女がやらなければ、零号機は起動せず、使徒は思う存分切り刻み、、街を瓦礫の山に変えたことだろう。結果はああなってしまったが、それを考慮に入れると、全市あげてのパレードをやってもらってもおかしくない。
しかし。それでも少女は、その言葉で報われていた。

その言葉が嘘でなかったから。

綾波レイは眠りについた。






ネルフ本部総司令官執務室。
ここの主が戻ってきた。留守を預かっていた者が、あまり暖かくない労いの言葉をかける
「随分、長い出張だったな。碇」
「フィフス・チルドレンのことで米国経由でクレームがついた」
言いたいことだけ言う碇ゲンドウ。
「着いたばかりで、もう返せなどと言うのではあるまいな」
「代わりに弐号機を差し出すなどと終いには言ってきたがな」
いつものポーズでニヤリと笑う碇ゲンドウ。容赦なく邪悪だ。人を陥れてうれぴい。
「委員会め。あんな実験場がそれほど大事か。この非常時に」
会話が噛み合っていないように聞こえるが、当人同士には分かっているのである。
長いつき合い、緻密で回転の早い頭脳、そしてデスクの上に散乱する資料。
この陰険漫才を理解するには、この三つが最低限必要になるのだ。
とりわけ、先ほどまで冬月コウゾウが目を通していた、







人類補完委員会直轄試験場
バイオスフェアW




この第六次報告書が。