七ツ目玉エヴァンゲリオン





第4話「雨、逃げる水音」






雨の第三新東京市。
コンフォート17マンション。葛城ミサトの家。
じりりりりりりりりりりり・・・・・・・しつこい目覚ましの音。
雨の日は特にしつこく聞こえる。雨の日は寝ていたい。徹夜続きならばなおさらのこと。かち。目覚ましが悪いせいではないが、復讐として足の指で止める。
「うううう・・・・ん」
葛城ミサトは、うっそりと起きてきた。
「今日も雨か・・」
仕事場が地下にあろうとも、やはり雨続きだと億劫になる。
「雨の日でも楽しいことはあるんだろうけどね・・」
こんな時には、友人の言葉を思い出す。意味ありげだが意味はない。友人は生きている。同居人は冷蔵庫の中で寝ていられる。ちょっち、うらやましい。
インスタントな朝食を摂る。摂る、というに相応しい、簡単で早く味気ないものだ。
これで酒でもあれば多少、違ってくるのだが、ある日を境にその習慣は途切れていた。
「行って来るわよ」
返事はない。あったら恐い。しかし、恐くてもいいから返事が欲しい日もある。

特にこんな雨の日は。







「雨音はショパンの調べ・・・昔の人はうまいことをいうものだね」
中学生で、しかも真顔でこんなこというのも周りの者にしてみれば、恐い。
渚カヲルである。
しかも食べているのはサンマ弁当。佐藤春夫もびっくりだ。
「おお、なんや渚、オンドレ、待っとらんかったんかい。先先食うてしまいよって」
「急ぐこともなかったなあ。ああ、焼きそばパン。もう少し粘れば良かったよ」
購買のパンの袋をさげた鈴原トウジと相田ケンスケが帰ってきた。
「ごめんよ。この雨音の調べに耳を傾けていたら、いつのまにか弁当の蓋をあけていたんだ」
自他共に認めるにせ関西人の鈴原トウジには反応できない。これはぼけているのではなく、本気で言っているからだ。自称硬派には、踏み入れるにはいささか抵抗のあるポエマーな世界。しかし、扱いは飲み込んでいる。
「分かればええんや。さ、メシにしよか」

渚カヲルは二年A組に馴染んでいた。
どういうわけだか、鈴原トウジと相田ケンスケの怪しいコンビの仲間入りをすることになり、女子にも男子にも適当な距離がおけるようになった。女子からは少し遠ざかり、男子には近づいたということだ。
鈴原トウジのアクの強さと相田ケンスケの軽快な暗さと渚カヲルの風のような中世的魅力。バランスがとれているような気もする。
「渚、お前の弁当も相変わらずやなあ」
購買のパン食でありながら同情してくる鈴原トウジ。
渚カヲルはいつもサンマ弁当なのだ。それもただご飯をつめてサンマをのっけただけというシンプル・イズ・ベストな作風なのだ。
「ここまでサンマが続くのはなにか訳があるのか」
どんなわけやー!と思わずつっこみそうになる鈴原トウジ。
「美味しいからさ。それが訳じゃだめかい?」
うっ。一万ボルトの渚スマイル。日々電圧が高まっている気がする。これは背中にちくちくする視線を感じるからだ。女子の嫉妬だ。男まで嫉妬さすほど渚カヲルは美少年なのである。アンタドキナサイヨ、てなもんだ。恐い。
これ以上渚スマイルを発現させる質問は後々恐怖を招き寄せる。
「そ、そういうわけなのか。ハハハハハッ」
乾いたトシちゃん笑いでその場をやりきる。雨さえ降ってなけりゃ屋上で食べるものを。渚カヲルはこの通り、外的要因からつき合いやすいやつとは言い難い。放課後は、掃除も怠けて(と言うか、女子がやってくれるのだ)早々に帰ってしまう。
ネルフにいくのだろうから、その点に文句つけては可哀想というものだが、家も知らないし私生活(中学生に使う言葉ではなかろうが)も謎のまま。話す時間も限られている。
女子が憧れる分にはいいだろうが、男のつき合いというやつがないのに、昼飯を一緒にしているのは何故か。


鈴原トウジの場合。
「んーそやなー。変わりモンやろけど、男一人で女子に囲まれてメシ食うんも可哀想やろ」
相田ケンスケの場合。
「あいつ口が軽いんだ。こっちの聞くことには必ず答えるしね。ひねった表現だから、
半分も分からないけどね。そんな奴、今はなかなかいないだろ?貴重だよ」
要するに、特に理由はないわけだ。
ばくばくば。しばらくは無言で胃袋を満足させにかかる。

「な、渚先輩」
そんなところに声をかけてきた女の子がいる。先輩と呼ぶところ、一年生らしい。
弁当箱を提げてきていた。まさかこの場で食べようってんじゃあるまい。
「よよよ・・・・よろしかったら、このお弁当、食べてくださいっ」
緊張した声は大きかった。一気に教室中の注目が集まる。
なかなかの度胸といってよかった。古風なラブレター攻勢はすでに始まっていたが、さらに古風な手作り弁当を実行したあたり、意表をついて、グーな感じであった。
さて、渚カヲルの返答は。







象が踏んでも壊れない、雨が降っても関係ないネルフ本部。
職員食堂。
昼飯を食べながら仕事の話をしても消化に悪い。消化に悪いということは仕事の能率が落ちると言うこと。だから、ネルフでも昼飯時に話されるのは人の噂話が多い。
「おい、聞いたかよ」
オペレータの青葉シゲルが、カレーを食べていた日向マコトの隣にやってきた。
彼のはE定食。いわゆる日替わりだ。今日はトンカツだ。
「なんだい」
外見通りの性格をしている彼は、青葉シゲルのカツを奪って「カツカレー完成!」なんてことはしない。
「赤木博士の話だよ」
「ああ、渚くんに弁当を作ってあげてるってやつかい」
「なんだ、知ってたのか」
「葛城一尉にね。まあ、意外ではあったけどね。でも、ああいう人が結構上手かったりするんだよな、料理は」
これは経験則ではなく、幻想である。風邪で寝込んだ時に、直属の上司の作った料理を食べて以来、日向マコトはそんな幻想を抱いていた。
へへへへ。相手がそうであると、話すほうも面白くなってくる。
「どんな弁当作ってるか、知りたくないか」
「そうだなあ。・・でも何で弁当の中なんて知ってるんだ?」
「作ってもらってる本人に聞いたのさ」
「なるほど。で、どんな弁当なんだい」
幻想が崩れる日がやってきてしまった。
「サンマ弁当だよ」
「はあ?」
「だから、ご飯をつめてサンマをのせたサンマ弁当だよ」
「それだけ?その日はたまたまそうだったんだろ」
「毎回そうらしいぞ」
「それはまた・・・健康の基本の粗食ってやつだろ」
「マコト、現実を認めろよ」
いかにも料理なんかしそうにない赤木博士が、当然のように料理をしないだけのこと。
それなのに何故てづから弁当をつくることになったのか、そちらの方に興味がある。
そこまでは聞くのが憚られたが。
「なんの話ですか」
伊吹マヤがやってきた。彼女はもりそばだった。にこにこ笑顔で席に着く。
「え、マヤちゃん」
微妙な展開になってきたな・・・考える青葉シゲル。伊吹マヤは赤木博士の直属の部下にして愛弟子だ。それだけに深い情報は仕入れられるだろうが、下手なことは言えない。
「赤木博士の弁当の話だよ。渚くんに作ってあげてるっていう」
「なんですか・・・それ。私、知りません・・・」




赤木研究室。
昼休みだというのに、研究室に籠もりきり。食堂から親子丼を出前させて食べている赤木博士。仕事が圧しているのはいつものこと。科学者の頭脳はいつも働いているのだ。
それなのに、この場には葛城ミサトがいた。
「そろそろ吐いちゃいなさいよ」
「・・・食べてるときに下品なこと言わないで」
自分はさっさと食べ終わってから来たのだ。この所、昼には必ずやってくる。
出前の後ろにくっついてくるから閉め出すわけにもいかなかった。
そして毎日同じことを聞くのだ。
こちらが嫌がってるのを承知で。
「そんなに羨ましいなら、代わってあげましょうか」
そう言ったこともある。が、効果はなし。さらに煽るだけだ。無視に限る。
渚カヲルとの同居。
それが周囲の人間の好奇を集めるらしい。理解できないわね・・・。
自分の話はしない主義である赤木博士は、このことについても主義を守り話さない。
そのためつまらぬ誤解をうけても構わない。誤解する方が馬鹿なのだ。
しかし、中にはそれで済まない相手もいた。
そのためミサト襲来を承知の上で研究室に籠もっているのだった。
ミサトのやり口は分かっているからさほどの驚異でもない。扱い方を弁えている。
ミサトに対抗するにはシカト。
これだ。
「ちっ。そっちがその気なら・・」
何を言い出しても何をやりだしても対応できる自信がある。
ブー。誰か来たらしい。この時間にここにくるのは・・・・まさか。
「あれえ。伊吹二尉じゃないのお」
監視カメラモニターを見ながら嬉しそうに言う葛城シカト、ではないミサト。
「なにか平穏じゃない雰囲気。こりゃあお邪魔ね。それでは」
もちろん、気を使ってのことではなく入り口をあけるためだ。
「今開けるわあん。・・と、開かない」
振り向くと、ここの主の指先はコンソールを走っていた。
「私は留守よ」
「そろそろ仕事に戻らなくちゃ。開けてよ」
「私が留守なんだから、ここには誰もいないはずよ」
「あんたねえ・・・大声だすわよ」
「ふふふ。ここは完全防音、ゴヂラが鳴いても外には聞こえないわ」
にらみ合い。
「ふう。行ったみたいね」
「ごめん、リツコ。明日からつまらないことは聞かないわ」
「・・・・?」


「司令があなたに彼を預けた理由、分かったから」





雨の放課後。
傘を差して下校していく生徒達。
鈴原トウジと相田ケンスケは、ゲーセンにでも繰り出すか、それともこのままどちらかの家に行くか、決めかねたまま帰り道の坂を下っていた。
「それにしても渚のヤツ、もったいないことするのお」
「もったいないというより愚かだよ」
陰口というにはため息に近い。羨むにも渚カヲルの立場を多少知るだけに、できない。
「ワシなら弁当の二つや三つ、ああされたら食うで」
「二つや三つで済みそうもないところに彼の悲劇があるんだよ」
渚カヲルは礼を言ったが、弁当は受け取らなかった。
教室中の注目が集まっていたところだ。女の子に恥をかかせたわね的状況だったが、渚カヲルはこう言ったのだ。
「このお弁当は、無理を言ってわざわざ作ってもらったものなんだ。だから、作ってもらえる限り、他のひとのものを食べるわけにはいかないんだ。すまないね」
密やかな声色なのに、聞く者の心の琴線を切れるほどに掻き乱す渚スマイル。
「は、はい・・・いえ、そんな謝ってもらうなんて・・わたし・・」
とろけていきかねない一年生の女の子。背中に花が咲いている。
しかし、教室はしばしの混乱に陥っていた。
あの渚カヲルが、「わざわざ」「無理言って」「作ってもらった」この3拍子。
驚き、桃の木、山椒の木である。そこから先は各人の受け取り方の違いで枝分かれしていくが、うーん、あのサンマ弁当は作ってもらっていたとは・・・皆、それに驚く。
大別すると、女子は「渚カヲルに弁当をつくる何者か」に考えが行くが、男子は、自分では料理なんてしないのが大半だから、「作ってもらって、これか」などと考える。
大騒ぎの中心は台風の目。変わらずに穏やかだった。
すまないね、という(ちと言葉遣いが年寄りくさいが)セリフにも、相手への気遣いが表にでてるせいか、見苦しさがない。どころか、それがまた魅力を感じさせるのだ。
食べてはもらえなかったけど、持ってきて良かった・・・・。
とろけている一年生の女の子。とろけたまま、教室を出ていった。
「おや」
廊下は寒いせいか、とろけは直って戻ってきた。後ろになにか用意していた。
「渚先輩」
さっと用意してきたなにかを前に出す。
「それじゃあ、お茶、どうですかっ」
二段構えの作戦。それに断る理由はない。サンマにお茶はよく似合う。
「・・頂こうかな」


「と、こうやからなあ。渚もこれから苦労するでえ」
「お茶ーんなカンジ」
「なんや、そのお茶ーんなカンジいうんは。シャレにも語呂にもなっとらんやんけ」
「オレだってお前とボケと突っ込みをやるためだけに生きてるんじゃないぞ!」
「よっしゃ!その怒りをぶつけたれ。ゲーセン行くでえ!」
そういうわけで、ゲームセンター、略してゲーセンにいくことにした二人。
雨は続いている。雨の日は晴れの日よりは客が少ない。


「ケンスケ、オノレも腕をあげたのう」
「って、オレの全勝だろ。しかもストレートで」
鈴原トウジはケンカは強いがゲームは弱い。相田ケンスケはその逆だ。
手加減の仕方が上手いので、未だに技表など覚えないトウジを相手にしても楽しめた。



その帰り道のこと。
「なんやアイツ、カサもささんで」
ふいに鈴原トウジが足を止めて、道路の向こう側の少年を見た。
中学の男子制服。短めの髪はびしょびしょに濡れている。俯いて歩く姿は迷子の子犬よりも哀れ。足下もふらふらして、行き先も知らぬように。
傘を盗まれた所に不良にカツアゲでもされたんか。
分かりやすすぎることを考える鈴原トウジ。
「もしかして、コンタクトでも落としたんじゃないか」
足のふらつき具合から、多少の推理を働かす相田ケンスケ。
「そら、災難やなあ」
そうと決まったわけでもないのに、勝手に同情すると向こう側に行こうとする。
「トウジも人がいいねえ・・」
メガネ人としてコンタクト人はまあ、それほどヒトゴトじゃないしな。

「なんか、落っことしたんか?ワイらも手伝うたるで」
鈴原トウジの声に、ずぶぬれ少年の足が止まった。振り返る。
線の細いやっちゃなー。こないに濡れとったら風邪ひくんとちゃうか。
「この雨だしね。人手は多い方がいいだろ?」
こんなずぶぬれになっても雨宿りするヒマもないほどのことってのは何だろうね。
これで、ガールフレンドを追いかけてるとかいう展開だったら、ほんとにイヤーンな感じ


「君たちは・・・」


意外なリアクションに返答につまる。ずぶぬれ少年の問いはやけに切実だったからだ。
「な、名乗るほどのモンやあらへん」
「いや、単に手伝ってやろうと思っただけで、宗教の勧誘とかそういうんじゃ」
「そう。でも、落とし物じゃないんだ・・・」
それだけ言って、またふらふらと歩き出す。
「変わったやつやな・・・・」
「濡れるのが好きなのかも知れないな。世間にはいろんな趣味の人間がいるからな」
こちらの言葉には反応してきたので、心配はする必要はなかったようだ。
交通事故かなんかで頭を打って記憶喪失・・・・というパターンでもなかったわけだ。
二人はあまり話すことなく家に帰った。





雨の街中ゆくネルフの黒い公用車。
4人乗っていたが、その中の誰一人として喋らない。沈黙が支配する車内。
運転手、後部座席左右に護衛の黒服の男二名。
そして中央に綾波レイ。
退院できたとは言え、未だ体には無理が利かない。そのための送迎。必要十分な。
完璧なまでに喋らない。ネルフからここまで、運転者の「いきます」一言のみ。
到着すれば、「着きました」の一言。無言にして無表情の時間はそれで始まりそれで終わる。
サーッ、サーッ。ワイパーの音だけ。
ある通りをさしかかったとき。
赤い瞳がわずかに細められる。訝しげに。しかし、何も言わない。
「そんなはずはないわ・・・」
呟きは誰にも届かず、車はそのまま走り去る。





「遅くなっちったわね」
山道なのをいいことに雨中をかなり飛ばす青いルノー。
フィフス・チルドレンによる零号機起動実験のため遅くなってしまった。
十一時。ラジオから林山メグミの「新東京ブギーナイト」が流れている。
雨の山道の陰鬱さも多少ましになる。しかし、このスピードだと万が一、人が道に転げたりすればはねることは間違いない。
ライトが闇を切り裂いてゆく。そしてまた覆われてゆく。この繰り返しがどれくらい続いただろう。
ボウン。鈍い太鼓のような音がしたと思った。
一瞬、ライトが人影を浮かび上がらせた。子供?中学生くらいの、学生服。
登りと下りですれ違う。

キイイイイイイイイイイッ。

危険な雨中の急ブレーキ。それも構わずルノーは停止されられ、運転手は飛び出した。


「シンジ君!?」


しかし、その先には闇と雨しかなかった。


テールランプが運転者の暴虐を怒るように赤かった。開け放たれたままのドアから、ラジオの声が流れてくる。「今週のゲボガボドリンクのコーナあー・・・・・」
夜気に包まれ、雨にしと濡れても立ちつくす葛城ミサト。しばらく、そうしていた。
「、ッとこんなコトしてる場合じゃないわ!」
唇がわずかに紅い。噛み切り気合いを入れたのだ。ドアが悲鳴あげて閉じられる。
ギリリリリリリリリリュ・・・・ヲンッ。
Uターンして下り飛んでゆく青いルノー。







さささささささささささ・・・・・・・・・。


スクリーンには、スローモーションにて第二次直上会戦の模様が映されていた。
初号機の左腕が地を這い駆けてゆく光景。

「そこで止めて」

少女の声に光景は停止する。スローでなければ、その言葉の間に使徒は扼殺されている。気色悪い光景ではあろうが、少女の声にはそれに対する恐れはない。
多少の嫌悪感と、それを上回る好奇心。スクリーンを止めさせたのは後者だ。
「日本の初号機には、ロケットパンチが装備されていたの?」
周りから苦笑が漏れる。少女も無論、分かっている。
「左腕しか無いのだから、それで戦うしかあるまい。大昔の日本人が言っていた、
撃ちてしやまん、というやつだろう」
老人の声がそれに応えた。
「なんにしても、これじゃあ本部にスグコイってのも納得ね。いくら試作機と実験機とはいえ、もう少し上手く戦えないものかしらねー」
自信満々。そのままの表情でスクリーンに近づいてゆく。
ブラウンの長い髪、青い瞳、元気を満タンした足取り。そして髪にはめてある赤いヘッドセット。エヴァンゲリオン操縦適格者の証。レンズマンのレンズのようなものだ。


エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンド・チルドレン
惣流・アスカ・ラングレー


ネルフ・ドイツ支部の秘蔵っ子中の秘蔵っ子である。



「でも、どうやって動いてるの。コイツ」
スクリーンの左腕にしか聞こえない堅い声。背を向けた青い瞳も不安げに揺れる。
好奇心は、実は恐怖から出たなどと・・・悟られてはならない。
それも一瞬のこと。すぐにいつもの表情に戻る。
「戦いは常に、華麗に美しく。左腕一本で戦う根性は認めてあげるけど、泥臭いわねえ」言いながら、ひょいっと席に戻る。
「いいわ。続けて」

スクリーンの光景が続く。だが、惣流アスカの意識はそこにはなかった。
なるほど・・・見せたがらないわけだ。周りの大人達もこの光景に衝撃を受けたのだろういろいろと。・・・・・見るんじゃなかった・・・・。見たく、ない。
来日が近づいていた。







ネルフ本部総司令官執務室。
「・・・実験の結果は以上です」
「ふうむ。零号機の起動自体は可能だが、ATフィールドとアンチATフィールドが使えぬのでは、使徒との戦闘には耐えんな」
「レイも目覚めた。いずれ四号機も到着する。問題はない」
フィフス・チルドレンによる零号機起動実験。それは、成功とも言えたが失敗ともいえた。専用機でない機体にシンクロし、起動させるだけでも大したものだが、やはり試作機ということか、制式機相手のようにはいかないようだ。
「ところで赤木博士」
「はい」
「初号機の左腕はどうだ」
「変化はありません」
「そうか・・」
碇ゲンドウがどういうつもりで問うたのか、分からぬままに。
「では、失礼します」


「初号機パイロット、いや、シンジ君は未だ還らず、か」
冬月コウゾウの呟き。聞こえたはずだが、無言の碇ゲンドウ。
「無花果の葉の元で沈思黙考するのは、神への語りかけだというが・・・
碇、お前は誰に語りかけているのだ?」
返答はないのは分かり切っている。ゆえに天井のセフィロトの樹を眺め言葉を沈める。






初号機のケージ。
「こうしてみると、ここは殺風景じゃのう。まるで極悪囚人にとんづらされた牢屋みたいじゃな」
初号機が収まるべき空間は、どっぷりと遊んでおり、周囲が科学的機能的であることのみを求めて設計されているだけに、それはなんとなく間が抜けていた。
左腕だけでもあれば、シュールな感じでいいかも知れないが、生憎、研究所送りにされていた。
野散須カンタロー作戦顧問は、こんな所でポケットウイスキーをチビチビやっていた。
あまり人気がないとはいえ本部で酒を飲むとは、葛城作戦部長もやらないことだ。
快挙というより怪挙である。つまみは、消えた初号機なのだから。
一応のスペック資料はもらっているが、さして当てにならないのは目の前の怪物が証明している。このオッチャンには酒のためではなく、初号機の姿が見えるのだ。
コイツがいる場合、いない場合、スペック通りの力を出す場合、出さない場合、この第三新東京市で戦う場合、それ以外の地で戦う場合・・・・・脳みその裏手には、イキイキと動くエヴァの姿があるのだ。しかし、今日は調子に乗って酒量が多かったかも知れない。「むう・・・・」
こんなところに学生服の子供の姿が見えるのだ。






「見間違いよ」
赤木博士は一言で切って捨てた。
「そんなんじゃないわよ!絶対に!」
黄昏の戦から戻ってきたばかりのワルキューレのような葛城ミサトの眼力を受けても、知恵と理性と科学の子である赤木博士はたじろぎもせず。
「私は心理学は専門じゃないから、こんなことは言いたくないんだけどね・・」
「罪悪感で幻見るくらいなら、最初っからエヴァになんか乗せないわよ!」
「あなた、疲れてるのよ。夜、よく眠れてる?」
相当、いかれてるわね。それとも優しすぎるのか。夜中、駆けづり回っていたようだ。
シンジ君の幻を追いかけて。

哀れね。


「いい、ミサト。もし、百歩譲ってあなたの云うとおり、シンジ君がこの街をうろついているとしましょう。ならば、なぜ保安部や諜報部が彼を見つけられないの?
貴重なサード・チルドレンにして碇司令のご子息よ。彼の発見保護は最重要といっていいわ。この街にいる限り、三日もかからず見つかるはずよ。しかも徒歩でしょ。移動できる距離は限られる・・」
「そんなこたあ、云われなくてもわかってるわよっ!」
ズガンッ。拳をデスクに叩きつける。
「・・・・あんた、忘れてるわ・・・・」
「何を?」
赤木リツコの声はあくまでやさしい。
「エヴァに乗った時点で、あの子は普通の子じゃないのよ・・・」
「ひどい言い方ね」
「だから、普通の方法じゃ探せないのよ」
「科学は魔法じゃないのよ。それに、私も占い師じゃないわ」
なんとか適当なことを云って休ませるべきか。しかし、つき合いが長いと半端な嘘が効かない。それにしても、ミサトがここまで追いつめられているとは。
こんな時に使徒が来たらやばいわね・・・・。
「シンジ君を見たのは、あなただけなの?」
話の穂先を変える。このまま押し問答しても時間の無駄だ。あくまで赤木博士。
「・・・この街に知り合いなんていないでしょ」
「顔を知っていればいいんだもの。知り合いである必要はないわ」
これでよし。まさかミサトも今からビラ作って電柱に貼って歩くなんて馬鹿な真似はしないでしょうから。
「ついでに云うなら、碇司令はご覧になっていないようね」
自分しか見ていないものを科学者に信じてもらおうというのは甘いのよ。


その時、葛城ミサトの胸の携帯が鳴った。
「はい、葛城・・・・」



「・・あの・・碇シンジです・・・・」



途切れ途切れ、しかも雑音がひどいが、確かにその声は。
「シンジ君っ!?」
いきなり叫びだす葛城ミサトに目を丸くする赤木博士。とうとういくとこまでいったか。
「今、どこにいるの」
「それ、留守電の転送になってるわよ」
「ご心配かけてすみません・・・・でも、自分でもどこにいるか分からなくて・・・・・・・・この電話も通じてるのかな・・・それより、なんで僕はあなたに電話をかけているんだろう・・・あなたは僕のことを知っている人ですか・・・僕を心配してくれるひと、ですか。・・・あの・・・碇シンジです・・・」
そこから先は繰り返し。3へん繰り返した後。



ぱしゃん。



水が弾けるような音がした。そこで電話は終わった。
テンソウ シュウリョウシマシタ。機械音声が耳元で最後を告げる。
「なによ、これ・・・・」
壊れた人形がかけてきたような内容にうそ寒くなる。
「悪戯じゃないわね・・・なんなのかしら」
携帯を転送再生させて聞いてみる赤木博士。内容の不明瞭はともかくとして、最後の水音はなんだろう。いくら雨続きとはいえ、水たまりをふんだようなものではない。
もっと、水の固まりを上から落としたような・・・。
「どう思う?ミサト」
「どう思うって何がよ・・」
「ホントに碇シンジ君が電話したものだと思う?」
「そう思うしかないじゃない」
「弱気ね。さっきの勢いはどこへいったのかしら。でも、これで・・」
「これで?」
「あなたの話、信じてあげられるわ」
「って、ことは今まで信じてなかったわけ。あんた」
「信じる根拠が何もないわ。雨中で高速走行中の車から見た景色なんてその気になれば、どうにでも見えてくるわ」
「長年の友情とか、あたしの人格への信頼は根拠にならないの」
「なるわけないでしょ」
「まあ、いいか。赤木リツコ博士がその気になってくれたんだし」
ふーん。一応、最低限の理性は残ってたみたいね。現金理性が。
他人と共有できる客観的な証拠。それが現れない限り、動いてもしょうがないわ。
内容はともかく、電話をかけてこれたということは・・・・これでいくつかの仮説が消えるわね。と、なるとあれがこうなって、こちらを立てる、と。
「リツコ?」
それにしてもあの水音、どこかで聞いたような・・・・・。なんだったかしら・・・。
赤木博士は自分の裡の底なし沼にずぶずぶとはまっていくのだった。






渚カヲルは夜、出歩くことが多い。
特に何をするでもない、付近を散策するのだ。それなのに、雨の日も出歩いていた。
夜気を吸い、ほっつき歩くこと自体が目的なのだから、それでもいいのかも知れない。
黒いコウモリ傘を差し、ふらり、ゆらりと道をゆく。赤い瞳が輝いている。
「おや」
赤外線がでているわけでもないけれど、赤い瞳は夜目が利く。
向こうから、同じ年くらいの中学生がやってくるではないか。
なんとなく嬉しくなる渚カヲル。傘もささずにいるのがまた、いいねえ。
しかし、近づくにつれその表情も煙ってくる。
「キミはもしかして・・・・」


サード・チルドレン 碇シンジ


写真とデータを見ただけだが、おそらく間違いではない。だが、こんなところにいるはずもない少年。いや、消えた状況が状況だけに、こうして雨の中、ふっと帰ってきてもおかしくない。表情も精気に乏しく、意識があるのかも分からない。
いや、誰でもいいさ。好きで濡れているんじゃないようだ。なら。

ふわり。

傘を差し出して、隣にいれる。
「お節介かもしれないけど、そんなに濡れると風邪をひくよ」
少年は見事なまでにずぶぬれだった。何時間も雨の中にいたような。
その割には、寒がってはいないようだ。いくら年中夏でも雨の夜は冷える。
渚カヲルは、一切詮索をしなかった。
「ぼくの家へおいでよ」
正確にはちょっと違うが、そのようなことはどうでもいいのである。
少年は、元から俯いていたが、かすかに頷いたように見えた。
雨の夜。傘の元、二人の少年がゆく。おしゃべりなはずの渚カヲルは何も言わず。



しばらく歩いて家につく。

番町猫屋敷。
近所の人からはそう呼ばれる。大きな和風の門構え。分厚い表札には「赤木」とある。
当然、この時刻は門は閉ざされている。出てきた勝手口に回ろうとした、その時。



ぱちゃん



水音が。
同時に、隣に立っていた少年の姿が消えた。一瞬の消滅。
「これは・・・」
夢ではない。自分は夜に出歩いているのだ。少年はつい先ほどまで確かにそこにいた。
おそらく碇シンジであろう少年。登場も唐突なら、退場も唐突。
「見つからないはずだなあ」
隣にいた自分でさえ、声もかける間もない。これで雨の街に紛れてしまえば、人間には、見つけられまい。天上からの視界でも持たぬ限り。
「でも、あの水音には聞き覚えがある・・・・・」





その次の日も雨だった。
しかも、雷を伴う激しい雨。
葛城ミサトは電話の前に待っていた。かかってくるのかも定かでないが。
逆探が備え付けられた電話に、石像のようにぴくりともしない視線を向ける。
「葛城さん、朝食です」
日向マコトがレトルトの朝食をトレーで運んでくる。パンにスープに野菜ジュース。
「ありがとう」
視線は電話から外さずに、パンを千切ってスープを胃に流しジュースを飲む。
一分もかからず終わる食事。視線を外さないのは魔女が呪いをかけるよう。
この上司の姿に、昨晩たたき起こされたものの、「かかってきますかね」などと暢気な言葉はかけられなかった。


碇シンジ君が戻ってくる可能性がある。作戦会議室に召集をかけられ、そう告げられたのは午前三時。眠気も一瞬で覚めた。そこで成された説明は、単なる情から来る幽霊話とは一線を画していた。前々から立てられていたらしい赤木博士の仮説を元に、フィフス・チルドレン渚カヲルの証言と知識を加え、推察された科学の怪談だった。
この雨が降りだした数日、第三新東京市の各所で碇シンジ君らしい少年の姿が目撃されたのが事の始まり。日向マコトは見ていないが、青葉シゲルは見たという。ただ、誰も信用しないだろうから、黙っていたらしい。諜報部、保安部は仕事であるから、動いていたが結果を出せないために報告はしていない。なにせ、プロであるはずの彼らがぷいと撒かれるのだ。たかが中学生に。信じられない。ゆえに目撃証言そのものから洗い直し。
そんな中、堂々と他人に、しかも赤木博士に目撃談を話す葛城一尉。
度胸は良いが、当然のごとく信じてもらえない。
その時、計ったようになる碇シンジ君からの留守電。内容は不明だが、かけてきた公衆電話の特定と奇妙な水音。これは、碇シンジ君らしい少年と傘の隣にいたという渚証言とも一致する部分があった。つまり、唐突な水音。
人間が消えるわけもない。人間が一瞬にして水に化すのも無理。
そして何より、碇シンジ君と初号機が消失した状況。
これらを照らし合わせて(赤木博士が)考えてみると、

「おそらく、各所で目撃された碇シンジ君の姿は、変質したLCLが見せる映像の一種だと思われます」

こうなるらしい。
ここまで云われて、他にも目撃証言が出始める。
綾波レイの証言など、多くは日中街で見たと言うのが多いが、中には野散須カンタローのように夜中、ケージで、というものもあった。
「じゃが、儂が見たときは濡れておらんかったがのう」
「詳しくは調べてみないと分かりませんが、ケージにあるLCLがなんらかの効果を及ぼしたのではないかと・・・因果関係とまでは言い切れませんが、公衆電話と傘の内、と雨を遮られれば彼の姿は消えてしまうようです。保安部、諜報部が撒かれたのもおそらくはそのせいでしょう」
そう説明をしながらも、ケージに出現した場合は濡れていない、という項目を新たに加え頭を高速回転させていた。ケージにはLCLもあるが、それ以上にエヴァがある。
エヴァ初号機とともに消失した操縦者の幻に、エヴァ零号機が何かしてもおかしくはない電話をかけてこられというのも、もしや・・・・。

おおっと、これは科学じゃないわ。おとぎ話よ。
まあ、初号機消失の原因が分からない以上、全ては仮定、仮説なのだけどね。
などということはミリグラムも表に出さず、冷静にそして自信ありげに話を続けていく。この演技が分かるのは冬月副司令だけだった。碇司令は不在である。
「問題は、いかなる形にせよ、碇シンジ君がコンタクトをとってきたと云うことです。
私達は、いかなる労力を払い、手段を用いてもそれに応える義務があります。
勿論、真偽の判定は最優先になされるべきですが」
葛城ミサトが作戦部長の貫禄を見せる。
これがただの幽霊話で終わらなかったのは、この二人が云うからだ。
「そういうことなら、急がんとなあ。雨が止んだら、消えてなくなるかもしれんしの」
遠慮の無さ過ぎることを云う新参者の作戦顧問。だが、ツボを突いている。
「この降り続く雨が、彼の姿を保つのになんらかの影響を及ぼしてはいるのでしょう。
水に透かして現れる地図のように、この雨で碇シンジ君のメッセージが現れたのかも知れません」
いさかさ詩的な言い回し。ほんとにそうなのかは分からない。ただ、初号機の左腕を研究していくと、どうも操縦者が死んでる気がしないのだ。左腕は生きている。
そして、神経接続も続いている。左腕だけで生きてけるようには造られていないのだ。
ならば、なんらかの手段で繋がっているのではないか。赤木博士はそう考える。
葛城ミサトの目撃談を信じたのも、その土台があるからだ。
その土台に積み上げていくものを固めたのは、渚カヲル。
彼と彼の四号機が管理するとある試験場からのデータだった。


LCLの変質、特に「固化」に関しての。


そうでもなければ、とてもこんな科学怪談はやっていられない。
「ところで、物的証拠はあるのかね」
冬月副司令が、話を定位置に戻した。問いではなく、確認である。
「葛城一尉の家からの電話から逆探知された公衆電話に、微量ですが電話帳にLCLが付着しておりました。電話内容の最後にある水音の音声波長解析もLCLに近いものという結果が出ております」
LCLがそこいらの店で売っていれば、話は別だが。
冬月副司令もそれは分かっている。正直、赤木博士もこんなあやふなな話を人前ではやりたくないだろう、と。ヒトゴトのようだが、これが冷静の権威、冬月副司令であった。
「具体的にどう、動くのだね」
それは葛城ミサトの領分かも知れないが、続けて赤木博士が説明する。
「目標・・・碇シンジ君の捕捉は大変困難です。この雨に同化しているLCLを数学的に追うのは不可能です。目撃例もこの程度では割り出しの足しにもなりません」
むずむず。伊吹マヤが何か言いたそうにしていた。だがその内容は、この状況下ではいくら伊吹マヤとはいえ、袋叩きにされても文句はいえないようなことだった。
だから黙っていた。
「監視カメラには、どういう訳かその姿は映らないようです。LCLが直接、相手の脳ににその姿をみせているのか・・・・それはともかく、取れる手段は人海戦術です。
この雨の中、ご苦労だけれど、止んでしまえば姿は消えるわ。おそらく。
それまでに、碇シンジ君から、本人と初号機の現在位置を聞き出す必要があります」
「運任せじゃな」
揶揄したわけではない。赤木博士の推察も実のところよく分かっていない作戦顧問。
直接、生を見たわけでもない碇シンジ少年に、それほどムキにもなれないのだ。
尤も、こういう場合、それが貴重であったりもするのだが。
「他になにかいい方法があるようなら、仰ってください」
「そう、怒らんでくれ。・・・いい方法といってものう・・・」
「なら、黙っててください」とはさすがに言わない赤木博士だが目つきが鋭い。
「LCLを感知して追跡できるような機械はないんかのう」
「あれば、使ってます」と言いたい所を耐える赤木博士だが目つきが恐い。
「おびき寄せる手はないのかのう」
ぎょろっ。赤木博士の目つきを力づくでひっくり返すような眼力。
な、なに。この目玉。人がなんか隠してるように。確かにET計画じゃあ他人に言えないようなこともやってるけど、今回の件は知らないのよ。しかし、ここでわずかでも狼狽えたら肯定することになるわ・・・・本当に知らないのに。ミサトなんかに勘ぐられても、あとで厄介だし。とりあえず、ここは。
「渚くん、何かあるかしら」
「・・・え。ああ、ぼくですか」
珍しい。渚カヲルがぼうっとしていた。なにやら考えていた様子。
「彼に移動の意志があるのかどうか、疑問です。それに加えてLCLは、意志を伝達するものです。こちらからの情報刺激に影響を受ける可能性は低いでしょう」
云ってみれば、テレビのスピーカーに呼びかけても番組内の人間が応えてくれるわけもないということだ。姿は見えてもあくまで一方通行なのだ。
ただ、テレビ局内に押し掛けていって当人に直接話しかけるなら話は別だ。
たとえ衛生放送だったとしても、その画面をどこでカメラにおさめたかくらいは教えてくれるだろう。厄介なのは、そのテレビ局が車に機材を積んだ移動型だということだ。
ネタを求めて好き勝手に動き回る。喩えで云えばそうなる。
「うーむ。やはり運にまかせて追い回すしかないかの」
子供に諭されてもいっこうに調子が変わらない野散須カンタロー。

「それはやめてください」

この少年には似つかわしくない、強い調子だった。皆も少々驚いた。
「今、碇シンジ君は大きな不安の中にいるんです。当然ですよね。今まで人類が誰一人として経験したことのない闇の中にいるんです。それも、たったひとりで。
神の使い、使徒を二体も滅ぼした罪を背負って冥府にいるのかも知れない」
そう言って、渚カヲルは万能科学の三角城にて詩いだした。

「冥界(アオルネス)へ下りゆかんこと、いと易し・・・・・」

「プルートーンが門は 昼も夜も開かれてあり
されどその歩みをかえし 上界の大気に もどりきたらんこと
これぞ苦業 これぞ至難の業なり・・・・・・・」


「アイネーイスかね」
また話を定位置に戻したのは、冬月副司令だった。
「まさに至難の業だが、我々はサード・チルドレンを取り戻さなくてはならない。
時間もないが、その取り扱いには細心の注意を払う必要がある」
実務的な言い様は、皆の目を覚まさせるためか。どうも渚カヲルの言葉には魔力がある。
「その、段取りだが・・・葛城一尉」
えらいひとはこまかい実務の指示などはしないのである。自分のやることはさっさと済ませて、発言権を渡す。
「では」
葛城ミサトは段取りを説明する。しかし、やること自体が基本的に運任せなので、捜索範囲に無駄がでないように区分分けする程度であった。
作戦が動き出す。
こんな時に使徒がくればたまったものではない。人海戦術の性質上、人手は多く欲しいがかといって出払ってしまうわけにもいかない。ある程度の人数は残される。
「作戦顧問、留守をお願いします」
「おお」
作戦部長葛城ミサトは自分の家にて電話を待つ。今度は直接、話すために。
日向マコトはそのサポート役として。
赤木博士は本部に残り、指揮を。
綾波レイは学校・・・でもないので使徒来襲に備え、本部で待機。
渚カヲルはすでに雨の中に消えている。
青葉シゲルは防衛線の監視。伊吹マヤは赤木博士のサポートを。
そして、冬月副司令は。
「見つ・・・・かったな」このセリフを待ちかまえている。




葛城ミサトの家。
微動だにせず、電話に注がれる視線。この体勢はまだ続いている。
いくら責任を感じているとは云え、尋常な集中力ではない。その背中を見ながら日向マコトは自分の上司の怖さの源を知った気がした。こらあ、逆らえんわ。
「雨が強くなってきましたね・・・」
返答は期待していない。独り言だ。雷雨になる。このことが状況にマイナスに働かなければいいが・・・止んでしまうよりましか。
日向マコトはもう一度、町内地図から世界地図まで一瞬にして検索可能な電子地図のチエックをする。この世にいるならこの電子の地図の一点を示すはずだ。どんなおぼろげな情報からでも目星くらいはつけなければならない・・・・電話が鳴れば。



ジイリリイリリン・・・・来た!?