天は涙を流さない。
恨めしくなるほどの快晴の午後だった。
どのような罪人であろうと生に感謝したくなる陽光の穏やかさ。
 
 
一つの山まるごと新興宗教の聖地だとかで白い柱がやたらにニョキニョキはえていた。
宗教にはなんの興味もなかったが、そこに避難していた者のなかに金属加工の名人がいるという情報を得てそれをスカウトするために意気揚々とやって来た。なんの疑問もなく。
 
 
あとから考えてみればいろいろと怪しくおかしい事もあったのだが、その頃はなんの警戒も疑念ももたず、ただ前に突き進むことしか、なかった。それで必要十分だと思っていた。
 
十分だと、思っていたのだ。
 
己のやることのリスクの高さと犯罪性も認識していなかったわけではない。
 
ただ、それでも。
 
後ろから
 
この背を焼かれるとは思っていなかった。
 
 
ぱっとすませて、この後、五、六カ所回る予定でいたのだ。こんなところで意味もなくその腕を奮えず腐らせて燻っているよりははるかに良いことだろうと。説得も簡単に終わると高をくくっていた。油断の見本みたいなものだ。完全になめて油断しきっていた。
少々不調に終わろうと、ぴー助に乗ってさえいれば逃げ切れる。何回か挑戦すればそのうちには・・・虎穴に入らずんば虎児を得ず・・・・どんな虎よりもぴー助の方が速い。
同じようなものを外の者が用意できない以上、絶対に自分たちは捕まることはない。
そう、考えていたのだ。井戸の中の蛙、大海を知らず、とはよく言ったものだ。
 
 
大階段をのぼって施設の正面ゲートに白い鳥居にぎっしり囲まれた白い石畳の円形広場。
敷き詰められた白石には西洋墓のように文字が彫り込まれていた気もするが、それよりほとんど人の気配がないことが気になった。完全に無人。昼間のことで正面施設の電灯具合で人の不在を確かめることもできない。ここにはかなり大勢の人間がいるはずなのだが
 
 
 
聖なるかな
聖なるかな
 
 
沈黙が歌う。ここは
 
 
降り立つ神を待つ静かな場所
一切の雑念が排除された空白地
 
 
すすむべからず
 
すすむべからず
 
すすむべらからず
 
すすむべらからず
 
みるますからす
 
くわないあそばないねむらない
 
 
人の意思も言葉も、風に吹かれた白粉のように
磁場が、強い。あまり長居すると、無理矢理に、降りてこられる・・・そんな場所。
 
 
これが泥棒であればあきらかに尋常ではない気配にすぐさま回れ右をしたことだろうが、あいにく己は。怖いものしらずを通り越してかなりバカなのではないかと思う。そこいら一帯の空気に見えない文字で「これは罠ですよ」と大書きされてあるのも無視して、ぴー助とともにまっすぐに進んだ。まともな動物ならばおそらく怖じ気づき尻尾を巻いてこれまた真っ先に逃げただろうが、あいにくぴー助もまともな動物、生物ではなかった。
自分たちのバカさ加減を完全に読まれていた。
 
 
罠のど真ん中に足を踏み入れた。急いでいたこともあったしこれまでの経験則からこの手の大げさな罠は突破さえしてしまえば、その後のことが非常にスムーズに進むということもあった。いや別に、己を弁護するわけではないのだが。
 
 
石畳の感触が異様に、さっくりしていた。つまりは白い石に見えたそれは石ではなかった。
疑似コーティングされた砂・・・塩か、砂糖か、ブーツからそこまで分かるわけがないのだが、すぐに思い知らされた。
 
 
 
絶叫する。
 
 
 
これまで味わったことのない苦痛・・・・苦痛の名は「乾燥」。
 
いきなり全身から水分が飛ばされる・・・火傷とはまた違う、それを避ける反射が働かないほどの絶対のダメージ。塩に殺される。脳に焼き付くのはそのイメージ。隣のぴー助も逃げることもままらない一方的な苦痛に硬直している。動けない。拷問だ。尋問のないひたすら殺害目的の復讐。己の肉体を生体として稼働するのを許さない・・・・攻撃などその停止を目的とする行動よりも遙かに念がいっている。そこまでせねば自分たちを捕らえられないことを知っている者の犯行だ。よくあの苦痛の中でそんなことが考えられたな、と思うが、そうせねばおそらく発狂してしまっていただろう。なにせ、完全に弱り切るまで、あるいは死亡確実の予想時間まで、誰も現れず言葉をかけることもなく、放置されていたのだ。
ここぞとばかりに高らかに己の犯行成功をうたう者がいればまだましだっただろうが。
 
 
 
この罠の正体はいまだによく分からない。どういったカラクリなのか術なのか。
 
ただひたすらに体から水分が飛んでいく。陽は微笑み、光は燦々と降ってくる。
あきらかに尋常な生物ではないぴー助にも確実に劇的に効果があることを考えると、ぴー助の正体を知っている者だという推理くらいはできる。機械とも生物とも断定しかねるその正体を。承知の上で実効のある策を打ち出せるような輩が出てきた・・・そういう規格外を処理する規格を創る側、というのも確かにいるのだ、と教えられてはいたしこの目で見てもいたが実感として、知識から滲み出す知恵として身に付いていなかったというわけだ。口内の水分も蒸発していき声も出ない。助けを求める意思はあったが音声にならない。
 
 
天は自分に味方しないし救わない。
この惨状に涙を流してはくれない。
もう「その時」が来たのだと白い衣を
まとった幻影がまとわりつく。うるさい。
おろかものはおろかなままにしんでいけと。
仮面もかぶらずに白いだけの顔をした幻影が。
 
 
どうせ当たらないのは分かっているが、力を振り絞って抜刀一閃。
当たりはしなかったが、遠ざけることはできた。ざまあみろと、思ったのだが。
 
 
 
「まだ死んでなかったのか」
 
 
聞き覚えのある声が。今朝、出発する直前にも聞いた男の声が。白い向こう側から聞こえた。この場所と人材の名を教えた男の声。暖かに笑った顔など見たことないが自分の夢の話も笑わずに聞き通した初めての男。同じ志など持ちようもないだろうが、理解者であると。ユイ様たちよりも自分たちを優先してくれた・・・・あの人たちに対して反発や野心があったのかもしれない、それでも。その怜悧な知性でサポートし続けてくれた。それに対する報酬をその男は何一つ受け取ろうとはしなかった。何一つ。師であったのだ。
徳より理。死に絶える体を起こす、不死の実験を試すがごとくの特効薬。彼が必要だった。
 
青白く冷たい光だろうと、この無謀な道を照らす明かりの一つだった。
 
 
「札・・・テスト・・・・で・
・・融合・・E・ダイナソア・・・
・証拠隠滅・・・もう済んだ・・・・
実験場・・・生産場・
・・・魂・
・・福音・・
・・コア・・・腕・・・」
 
 
明らかに別の人間に話しているだけで、のたうちまわることもひきつることもできず、かわいていっている己にはなんの感情もなく、眼中にないのが分かる、あの男の声。
炎天の路上に焙られるトカゲほどにも興味はないらしい。が、こちらはそうはいかない。
途切れ途切れだろうが、覚えている。忘れるはずもない。今でも完璧に脳内再生できる。
 
 
「こいつも人間ではない」
 
 
去り際の台詞がこれだ。こちらと違って油断はしないし過小評価もしないぞということだ。
有り難くて涙も出ない。それから火をつけられた。しかも山まるごと施設ごと。徹底している。自分とぴー助を片付けるためだけに、こんな大掛かりな真似を。まあ確かにそこまでせねば捕まる自分たちではない。頭に来るが、あの男は確かに優秀だったのだ。自分たちの味方を辞める日はもっと分かりやすいものだと思っていたけれど。
 
 
 
動けぬままに猛炎に一度は包まれた、と思った。
ぴー助も動けない。動かないのかもしれないが。
 
 
その時、心の中にある峡谷の底の底をのぞいた。
走馬燈は流れなかった。心が裂けたのかもしれない。
その亀裂の果てに見えるのは、意外なことに暗黒ではなく。
 
 
 
 
空と結ぶ海の色だった。
 
その青を感じた途端、かわきゆく苦痛を忘れた。
どこからその色がやってきたのか、その時は分からなかった。
まさか見えるはずもない、その愛しさと優しさに満ちた色彩。
自分の裡にそんなものがあるはずがない。だってそうだろう。
実際にあるのは潤いを奪う白であり肉体を焼く炎の赤なのだ。
いっそ炎を呑み腹に宿す鬼になってやろうか。そしてあの男・・・・
 
 
いまさら涙を一粒流したところで、その炎が消えるはずもない。
たとえ、涙にその青色が映っていようと。