これは、だれにもいっていないことなのだが
 
 
あの時。(あの時というのは消滅したはずの第二支部がまた現世に、しかも国を違えて日本の第三新東京市上空に突如現れ戻ったあの大騒動のまっただ中のことである。外敵が何かを仕掛けるには絶好の機会であった)
 
 
 
 
 
水上左眼は
 
ときめいた。
 
 
これは期待できる、と思った。
 
 
ここまでやってきた甲斐があった。やったぜ、と思ったのだ。
 
 
火事場泥棒だといわばいえ。どうせこちらは海賊の元締めなのだ。なんの遠慮が必要か。向こうがどんな修羅場取り込み中であろうとこっちには遠慮する気も余裕もなかっただけのこと。ほかの街のことまで責任はとれない。
 
 
東の鎧の都・第三新東京市。あの夜、街の中心部に世界最大レベルの祭器を夜空に突き刺すようにおったてて、この神無き現代世はもちろん、敬虔古代の歴史上にも類をみないほどの連結大儀式・・・・・・たいそうな騒ぎになっていた中、竜号機で乗り込んでその「原因」をいただいてきた。
 
 
儀式遂行に集中しまるで無防備な点をつけたのは幸運といえたかもしれない。
剣技で負けることはないだろうが、できれば無傷で争うことなく連れて行きたかった。
話し合いでこちらの目的を理解してもらった上で同行してもらえれば最上であるが。
 
 
当然、総司令を幽閉している立場上、こちらは明確な敵対関係を宣言しているようなもので周囲は邪魔者ばかりで、「目的」も素直な心で相対してくれる、なんてことは望むべくもない。そもそも、まともに対話できる状態にあるかどうかすら。早々に運び出してしまわねばならない。
 
 
 
「ラピュタにしては乾きすぎているか」
 
 
特務機関ネルフ第二支部と呼ばれた夜空に浮かぶ砂漠島をぐんぐんと進み、ある一点へ。
 
 
探す苦労はとくになかった。ここにあるすべてのものがそれを教える。
 
 
 
                「其は力の中心」
 
 
砂の一粒にいたるまで。空に浮くなどという体験をさせてくれた「そのこども」に対してそれぞれ異なる複雑な感情の底に共通するウキウキ気分、ほのかな、いとしさをもって注目しているから。
 
 
彼の居る場所こそ、祭壇。
其を法陣する三角の頂点に燃える紫、深紅、そして青白の炎。
 
 
彼の踏む場所こそ、玉座。
其を包む円形を構成する13の溶像人面。
 
 
彼の眠る場所こそ、天に至る階段。
そこらに散らばる輪十字(アンク)聖甲虫(ケベル)王杖(ワァス)永遠柱(ジェド)を形取ったトロッコのパーツ。そして破裂した風埴輪。
 
 
「大神(オオカミ)よけのまじない結界・・・・なれど、妖学者ではないこちらには通用しない!あいにく男でもないしな・・・いや、こほん。・・・水上左眼、参る!
”セキノ”!!」
 
 
竜号機から降りそこに駆けつけ、腰にさげた黒塗りの刀を一閃して蚊帳のように結界を裂く。もとより役目をほぼ終えて力を失ってはいたが。そして、おもむろに梱包作業にとりかかる。
 
 
ちんまりとした「彼」をトランクの中に詰め込む。
 
 
完全に荷物扱い。
 
今は碇シンジと名乗り十四の少年の姿をつくっているらしいユイ様の御子様に対しての扱いではなかったかもしれないが、なんせ急いでいたからそれはカンベンしてもらおう。
 
 
長居は無用。
 
 
眼下の下界、鎧の都は相当にダイナミックに修羅場っていたが知ったことではなかった。
自分たちの住処は自分たちでどうにかすればいいのだ。
 
地下から昔懐かしいウインタームーン毒殺念波が飛んできたが、波紋ガードする。
なかなかの自信作であった零鳳、初凰をあんな風にされて多少、頭にもきていた。
所詮は戦刀であるから折るのがいかん、とはいわないが、扱いが極端すぎる。聴鉄するに宿した赤羽の鋼たちはそれなりに納得していたようだが、それにしても。
 
 
とはいえ、後始末をすべきこの騒動の原因張本人をこのまますぐ連れていこうというのだから、それも一方的に過ぎて公平ではないだろう。地下で牛耳っている連中はともかくここに住む市民の方々に対して。事情を知ればさぞかしボコってやりたかろう。というわけで、仮接刀のサービス。うわあ、すごいお得だわ!と理解して喜ばれるのは竜尾道の住人だけだろうが、まあ、やれることはやった。
 
なんとか前向きに善処してがんばっていただきたい。・・・こんな巨大質量がまともに落下すれば復興予算にどれくらいかかるのかちょっと算盤はじいただけでもぞっとするが・・・・まあ、なんとかするだろう。鎧の都が鎧を剥がされて夜盗の街に落ちぶれるかどうか、それともしぶとく・・・・砲撃のことといいケンカ慣れはしているようだし。
 
 
というわけで
 
 
早々にUターン。警戒空域をすぐに離脱して西国の地元に戻る。我ながら見事な火事場泥棒ぶりだなあと思った。火事場泥棒王選手権があれば女王まちがいなしだ。嬉しくないが。もしかすると、オーシャンズから誘いがくるかもしれない・・・・それはちょっと嬉しいかもしれない。
 
 
竜尾道の自分の城(もとは博物館だったのを頭領の住処として分かりやすいというので周りから無理に住まわされた。しかも城の外見をしただけで堀もなく民家の真ん中にある、せいぜい事務所の機能しかない。ちなみに、竜号機ドックへの直通ロープウェーがある)に戻るなり、天守閣座敷(つまりはあまり広くなく、はっきりいって狭い屋根裏部屋感覚)の上座にざぶとんを三枚に重ねてその上に「碇シンジ」のはいったトランクを置いてプラグスーツからプラグもスキもない正装スーツに着替えて(その間に湯船につかって身支度を調えたり腹が減ったので食事をしたりたまっていた仕事を片付けたりした)
 
 
トランクの鍵はしっかりとかかっていた。一応、天守閣座敷の普段つかわないエアコンもスイッチいれていたので、熱中症にかかることはないだろう。
 
 
これから頼み事をしようというのに、ちょっとひどい扱いかも知れないなー、と人情的に思わなかったわけではない。鍵くらいはかけずにちょっとだけひらいて空気に触れさせることくらいはしてもよかろう、と。
 
だが、「殺しても死ぬようなやつではない」と言われていた上に
「死にはしないが逃げはする」と言われていたのでそちらを優先した。竜尾道六十六海賊銀行の金庫にいれておくか竜号機の格納庫にいれて機体にくくりつけるなりして直接見張らせておいた方がいいだろうとアドバイスはされていた。が、いくらなんでもそれは無茶だろうどこの長飛丸だと呆れて従わなかった。
 
 
油断しているつもりはなかった。それなりに対象を研究もしていたつもりだった。
 
 
だが、二時間ほど経ってからそれなりに緊張して誰も近づけぬよう人払いをしてから天守閣座敷にあがり、一礼してから、トランクの鍵を、外し・・・・・外そうとした。が、
 
 
外れなかった。
 
正確には、すでに外れていた。すでに外れている鍵を外せるはずもない。
 
内側から「囓りとるようにして」鍵は用をなさなくされていた。なんらかのトリックの種がないかと開いて逆さにぶちまけてみても畳の上にバラまかれるのは大量のおもちゃの宝石と見間違う硬化テクタイトの破片。破片。破片。中央のピースを欠いて永久に完成することない役立たずの封印パズル。これはこのように破砕される代物だったのか。いや、”破砕できる”代物だったのか。自分がこの中に何をいれていたのか、一瞬、分からなくなる。内容物をコーティングするには十分な時間をかけたはずだ。東鎧都からこの竜尾道までの飛行時間どころか、対象をトランクに詰めて仕掛けのスイッチを押して竜号機に運ぶ間に硬化はすんで中身はピクリとも動けなかったはずだ。殺しても死ぬような奴ではない。その言葉を疑う理由はどこにもない。ただ。死にはしないが逃げはする。この言葉も。
 
 
「さすがは」
 
 
それくらいでなければ、頼り甲斐はない。だが、この事態は予想していなかった。最初から最後まで自分の手元において話をすすめていくつもりであった。感心はするが、あまり喜ばしい事態でもない。ここまでの「化け物」を御することができるのか。自分に。ユイ様の御子を。眼帯に覆われていない方の目をつむり、眼帯に覆われている方の目に手先をやる。そこにあるのは意志。虚無をも貫き殺す意志の銀光。
 
 
やれる。やるしかない。ここまでやってしまったからにはやるしかない。
時間がない。この竜尾道でそのようなことをいうハメになるとは。「時間がない」などと。
もとより。そのようなものはなかったはずなのに。このまま。ずっとこのまま。
 
 
このまちは、それでいいのだ。
 
 
だから、もう一度、奇跡をよぶ。この街は船だ。箱船だ。それが沈むなどゆるされることではない。断じて。そのためならなんだってやってやる・・・・
 
 
諦めの悪いヤツだよ、あんたは。いーかげん、親離れ、じゃない、「街離れ」しろよ。街は船じゃない。・・・・あったくこのチャンバラ妹はどーしよーもねーな。
 
 
「あんな女」にだまされやがって。・・・・よくもまあ、だまされにだまされたもんだ。
片目なのはお互いしょうがねえにしてもだよ。ねえ・・
 
 
このところ、気をぬくと聞こえる声・・・・・それを理解しない愚かで無責任なバカな姉の声だ。おそろしく鼻のきくあの狼みたいな姉がもし逃げた中身を拾ったりすれば。「面倒なことになるな・・・・」早いところ連れ戻してしまわねばなるまい。かといって闇雲に探して見つかる相手かどうか。
 
 
「まあ、こんな時のために捕らえておいたのだ。役にたってもらおう。順序は逆になったが・・・・・父親ならば。・・ミカリ!ちょっと出てくる」「あ、左眼さま。もう今日のお仕事はストップしてもらわな・・・・いとー!!いけないんですのにー!!あー、もーなんでそんなに仕事人なんですかー!」
 
 
というわけで、声だけかけて制止される前に碇ゲンドウを幽閉してある大林寺に向かった。
 
このところ、映画鑑賞にも飽きたのか、自由時間には街中の賭場にふらりと現れてはさんざん大勝ちして、つかうあてもないだろう金銭を貯め込んでいるとか。それで遊ぶわけでもない。賭場の元締め連中からあのヒゲ男をなんとかしてくれと泣き言があがってきていた。どんなイカサマを仕掛けて叩き出そうにもすぐさま見破られてかえってこちらの首が危なくなると。陸岸とは”決定的にひと味ちがう”カジノや賭場は竜尾道の重要な資金源の一つではある。京都守銭道とはよくいったものだ。どうせ本気ではなく退屈しのぎに違いないのだろうから、少々おひかえてなさってでもとついでに一声かけておくか・・・・・・そんなことを考えながら。緊急事態にちがいないが人数をそろえないのは自信のゆえ。
 
ただ
 
早すぎず遅すぎずまさに絶好の機会をとらえて、あまりに簡単にうまくいきすぎたためこの時少々、楽観的になっていたことは否めない。
 
いや、そもそも。
 
かの碇の家族。それを二人もそろえておいて、順調にただ事が片付いていくなどと考えていたのが・・・・・・甘すぎた。のかもしれない。
 
 
 

 
 
 
目を閉じて何も見えない、と喝破したのは谷村新司の「昴」であるが。
 
「目を開けても、何も見えない」と鏡破したのは碇シンジである。
 
 
 
星もない、闇の中。冷たくもないがあったかくもない。揺らぎや震え、その他の生理的生物的振動を感じることもなく。自分の中に血流が行き来しているのかどうかも怪しい。
 
 
黒く不自由。ブラック・アンド・ノーフリーダム。ないしはマン・イン・ダークネス。
こうなるとちょっと映画のタイトルみたいになるから不思議。
 
 
現状を端的に表現するとそんな感じであり目を開いているはずの視界は黒く染まり潰されて固定。左右上下への移動は許されておらず中央のみ。もう少し他のところを見たいな、という意識はあるのにそこだけしか見ることを許されていない。動かないのだ。
 
 
うーむ。
これってやばくない?と自分に問いかけても答えはないし、答えてくれそうな他者の存在も感知できない。というか声も出せていない。声出ろ。しかし思念のみ。そういえば・・・・体動け!これも思念のみ。ざっくりと大ざっぱすぎたかな。指先ちょっとだけでもいいから動いて。お願い動いてください。自分の体なのに丁寧に頼んでみたのに動かない。
ぴくりとも。
 
 
どうしたものか。
ちなみに痛みは感じない。不自然に固定ないし封じられているのなら苦痛でしかたがないだろうに。とはいえ、今の自分に痛みを感じる体があるのか。疑問がある。我思う故に我あり。うーむ、意識はあるみたいだが、こんな状況では魂だけ抜けでてどこか暗いところに嵌りこんでいる、という可能性も否定できない・・・・・。
 
 
こんな時は
 
 
これまでのまとめをしておくのがいいだろう。これまでのあらすじ(人生編)みたいな。
そうすれば自分がなんでこんなところにいるのか。いてしまっているのか。分かるだろう。
 
 
とある事故で意識が目覚めないまま22世紀まで冷凍睡眠させられてしまった自分。
とあるトラブルで冷凍カプセルにはいったままの自分の脳みそが取り出されて猫型ロボットに移植されてしまい、ロボット購入者のご先祖の生きる20世紀の世界にタイムマシンで乗り込み、そこであまり有益な目的もないままにご先祖様との共同生活を始める。地価高騰の始まっていたその時代地域ではサラリーマンの家庭住宅は狭く、猫型ロボットの休息するスペースは布団その他を収納する押し入れしかなく、ご先祖とともに巨人やスケルトンと戦う昼間の騒乱をなんとか切り抜け、今はほっと一息つくことのできる豆電球ひとつもない、すばらしきこのちいさなせかい・・・にて憩う・・・・「・・それにしても、タイムマシンがあるなら僕が事故する直前に遡れば・・・・・」どうなるんだろうか?
 
 
・・・・そんなストーリーではなかった気がする。たぶん、違うであろう。
 
 
(違うゼル)
 
 
違うらしい。語尾がなんだかヘンだったが。とにかく思い返してみよう。時間は・・・たぶん、まだある。急がねばならない理由も思いつかず、特に息苦しいとか関節が痺れてきたとかそういうのもないし。どこまで思い返すべきか、適当なセーブポイント、いやさ人生の分岐点あたりから探っていくのがよいだろうこんな場合。僕こと碇シンジは西暦2015年、父さんに呼ばれて第三新東京市にやってきた。そしてエヴァと呼ばれる人類最後の決戦兵器の人造人間に乗り込み人類の天敵・使徒と戦い・・・って、ちょっと遡りすぎた。・・ん?
 
 
がりがり
がきがき
 
 
硬質の感触があった。”左手”。今まで自分に四肢があることをふと忘れていた。いけない。そう、左手のあたりに。なんか硬いものが食い込んでいるような感触が。妙な表現になるけれど、自分の右手が栓抜きに武装変化してビールの王冠を剥がしているような・・・・ふつう、硬いものが食い込めば自分の体のほうが痛いものだが、それがない。血が流れているようなヌルヌル感もなく。
 
 
がりがり
がきがき
 
 
ただ作業しているような。感触と振動がしばらく続いた。さて。これまでのあらすじ(人生編)を続けるべきか、この身近で起こっている変化に注意するべきか。
己のこれまでを振りかえり深く考える機会などあまりないだろう。それを思うと他に気をとられるものがない、いわゆる空というか無というか、この状況は絶好の機会であろう。
 
 
がりがり
がきがき
 
 
しかし、そうはいっても今こうやって気をとられるものがある以上、そっちに神経をむけてしまうのもやむなし。それに、
 
 
(”ウル”、お前の姿、お前の心、お前の魂・・・・思いだせゼル)
 
 
こんな謎めいたことを言われたあとに
 
 
ビキビキビキビキビキビキビキビキビキビキ・・・・・
 
 
この世がぬじれて進行形で終わっているかのような強烈な破砕音がした日には。
のんびりこれまでのあらすじ(人生編)などとやっている余裕はない!すぐさまこの目の前の事態に対応せねば命がなくなる!かもしれない!!
 
 
ばくさがん!!
 
 
これはどんなオノマトペかと何が起きればこんな音がしていいのか、急転直下の事態に対応しようと構えていた碇シンジの脳神経はあっさりパニック起こしてダウンした。
わけわかんねーよ!!と目の前に誰かいればとりあえずそちらにこの混乱をおすそわけしようかとみんなでバカになろうという人の本能は判断したが、残念なことにこの近くには誰もいなかった。ぎょいぎょいと大急ぎで周辺の視界情報を収拾する。
 
 
 
物置チックな匂いのするあまり使われていないらしい広くもない座敷。
格子窓から日光は注がずつまりは外は夜なのだろう。海の匂いがする。
照明は籠入り丸蛍光灯二本。しかも片方ちょっと薄暗くてそろそろ寿命かと思われる。
スイッチはひも式。先に小さな匂い袋がさげてあり懐かしい気配を醸す。
クーラーが効いておりそれなりに涼しい。おそらく年中夏の日本なんだろう畳だしと思う。
 
 
「・・・知らない畳だ・・・・」
 
 
その畳に這いつくばっている自分に、その周りにバラバラ転がる鉱石っぽい破片。
あまり綺麗な代物ではないが、価値のほどはわからない。ダイヤモンドじゃないだろうなーくらいのことしか分からない。体を起こさず首をひねってみると座布団を三枚重ねた上に開いたトランクがあり・・・・・・そこらに転がる鉱石らしい破片がザクザクはいっていた。散乱の具合からしてどうも最初はトランクにはいっていたものが畳に散らばっている・・・それもこぼした、というより弾けたように。ポップコーンのように熱とか?
 
 
なるほど、これは「ポップ鉱石」とかいう珍しい代物なのかも知れない・・・・・
破片が尖って危ない感じなので取り扱いには注意が必要だろうなあ・・・・・・
 
けれど、この散らばり具合・・・・・・・
 
ここにいるのが自分ひとりではなく、というか、あとからこの現場をみる探偵役だとしたら、トランクの中に硬質のコーティング材で塗り固められていた被害者(S・I)君が内側から力づくで割り破砕してトランクから脱出する過程でハネ飛び散らかした・・・・・ように鑑定するだろう。それってすごい迷探偵ぶりだと思うがおそらくは。
 
 
「いや、自分だけでよかったこの場にほんと」少し早口になる碇シンジ。
 
 
「西遊記の石から生まれた石猿時代のマジックモンキー孫悟空じゃないんだから、そんなことできっこないし。というか、このサイズのトランクになんか僕が入れるわけないし入った覚えもないし詰め込まれた覚えもないしそんなヨガの達人みたいな無理して体も痛くない・・・・・し・・・・あわ?」
 
 
あれ、と、うわ、を同時に言おうとして「あわ」になってしまった碇シンジ。こうなるとあまり非常性を感じさせる響きにならないのだが。手をついて起きあがろうとして気付く。
 
 
左腕がない。
 
 
肘から先がすっぱりと無くなっている。痛みはない。断面は・・・・・・見て楽しくなれそうもないが、目をそらすわけにもいかない。同時に記憶の検索。僕には、腕が、あったかなかったか。あったとしたら、いつ無くなったのか。考えながらおもむろに左腕断面を視界に・・・いれた。
 
 
「・・・・・・・・〜・・・・・・・・」
 
たいていのことには驚かない碇シンジの呼吸が止まった。
 
 
断面に血の色の赤はなく、白。生命を感じさせない乾ききった億万年の時間を経て色という色がぬけきった白。そして、その白は平面ではなくとある造形をもっていた。
 
 
盲いた亀のような使徒の仮面がそこにあった。封印のように、そして当然のように。
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
この後、碇シンジがとった行動は、叫ぶことでも泣きわめくことでも転がることでもなかった。何も言わずに立ち上がると座敷の押し入れから掃除機を取り出してこの場の清掃をはじめた。ボロっちい旧式の赤掃除機はけっこうな音をたてるが吸引能力に問題はなく碇シンジの主夫技能とあいまってすぐに散らかった現場は綺麗になった。それは、証拠隠滅行動であったかもしれない。掃除機からパックを引き出し中身をトランクに戻してざぶとんをきちんと重ねておく。鍵もかけておこうかとしたが、鍵は内側から壊されている・・・・・・どうやればこんな真似ができるのか・・・・よく見れば高レベルの超危険物を運ぶのに使うすごく頑丈そうなトランクだ。「高いんだろうな・・・・・・ブランド品じゃなくても」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
左腕の使徒仮面からはとくにコメントもつっこみも弾劾もなし。クーラーの音だけが静か。
 
 
すーはー、すーはー
しゅこー、しゅこー
 
 
深呼吸をはじめる碇シンジ。なんとなく黒羅羅・明暗のいったことを思い出した。
あんまり物事を考えずに。ただ無心で。締めに一回くるりと左腕のバランスを補うように螺旋回転。それから
 
 
「逃げよう」
 
 
逃げた。