「逃がしたのか」
 
 
碇ゲンドウが静かに言う。そこには確かになんらかの感情がこめられているはずなのだが、それを読み取ることができない。だからこちらも
 
 
「はい」
 
 
と答えるしかない水上左眼。
 
圧力を感じるわけではないが微妙に正面の髭面と視線があわせづらく、寂神房の中をみる。古くさいビデオカセットやらディスクの類が所狭しと置かれてさながら個人映画館のようであったここもすっかり片付いている。どういう形の処分をしたのか分からないのだが、とりあえずこの着流しの髭人物が仕事のみで家事の類はさっぱりという歪スキルの所有者ではないことを証明している。やろうと思えば器用になんでもこなす。他人から誉められにくい系の万能型というか。おまけにギャンブル賭け事全般・・・またはそれに関わり財物をむしり取ってくる才能、といいかえた方がいいか、そんなものもあるらしい。
 
 
今日の戦利品なのだろう、三つのパチンコ紙袋に大量に詰め込まれた缶詰に視線がいったり。
 
 
ああ、鯖カレー。東じゃそんなものは無くなってるだろうしなー。あとはほぼここの特産になってしまっている鯨肉缶詰。ピノキオのおうち、などと日和った表現などつかわずにストレートに鯨、と記してあるのがその証。ほかには熊の手のひらやらヘタな生鮮食品よりずっと高価なものがみえる。・・・・・どれくらい勝ったのかこの髭旦那は。
 
 
「ということで、保護者に保護していただきたく」
パチンコなんかしてる場合じゃないぞ、と視線を戻す。もとはといえば、この父親をこの竜尾道に幽閉したのはその子供をおびき寄せるため。父を救うために単身、敵地に潜入する少年。燃えるかどうかはお好み次第。そこを捕らえてしまうのが一番楽ちんで経済的だった。が、結果的にはこういうことになってしまった。黙ってみているのがいい局面もあれば疾風のごとく行動せざるをえない局面もある。とりあえずはその見極めに成功した、と思っていた。
 
 
「誘拐犯の言うセリフではあるまい」
 
碇ゲンドウはそっけない。座ったまま立とうとも動こうともしない。着流しでそんな調子であるとどう見ても特務機関の総司令などには見えないから奇妙なもので。
 
 
「そんなことはありません。私は親元に帰すお手伝いをしているだけです。文字通りの助太刀です。よくご存じでしょう、私は、そういう女です」
 
 
 
しばらく沈黙がおりる。無花果の木陰に隠れているようなそれから。片方が動いた。
 
 
 
「・・・”あれ”はどこにいる」
 
 
自然体から一気に抜かれた言霊の鬼刃。水上左眼の喉元につきつけられる。碇ゲンドウに機と気を合わせてこれをやられると達人武芸者だろうと老練の外交官だろうと特異能力者であろうと、ぱっくりと口を割る。交渉の抜刀術といっていい。
 
 
「”あれ”呼ばわりとはずいぶんとひどいこと・・・・・・ゲンドウ殿、あなたでなければこの場で唐竹割りにしてましたよ」
しかし、相手の水上左眼は動じず、スーツの懐に呑んでいた短刀「伊理夜」に手をかけモノホンの抜刀術を振るおうとしていた。もし、碇シンジ捕獲の用がなければ本当にそうしていたかもしれない。
 
 
「お気づきなのは親子ともども流石ですが」殺気の篭もった片目で睨みつける。
 
 
「”逗留場所”はお教えできません。・・・・これまで何度か逃げる機会はあったのに、そうしなかったのはそれが分かっていたから・・・・・やはり、さすがです、ね」
 
 
「・・・・・・・」
ここに単身やってきた尋常ならぬ努力とそれが巌にまで変化させた自信と、さすがさすがとすぐに相手の優れた点に感心する心映え。負けなくなるまで学習し続ける成長の化け物。
気の遠くなる努力を厭わぬ一道の歩行者。轍眼。壁の内の散歩者などが敵うはずもない。
竜は最初ちっぽけなトカゲにすぎないが、自分は竜になる、と強く思い続けたトカゲだけがやがて火を吐き空を飛ぶ竜となる、そんな幻想を体現した人間。目の前の片目の娘が駆る竜号機など、そんな機体は元来、エヴァシリーズには「存在しない」。それを。
 
 
ユイ、もとは”あれ”の気まぐれからはじまったこととはいえ・・・・
 
 
(厄介な相手だ)といまさらにして思う碇ゲンドウ。長年、複雑怪奇構造の敵を相手にしてきてそれには慣れているが、こうした単純明解構造を相手にするのは・・・・年のせいもあるのか、正直、疲れる。しかも、シンジを、逃げられた、といいつつ一度は捕獲してきたわけである。では、もう一度、自分の手で捕まえてこようと、考えないのは
 
 
「・・・もう夜も更けました。”札”もなく、いずれ逃げられない夜の街を彷徨わせるのは本意ではないのです。何とぞ、ご協力を」
 
己の掌にいることは間違いないのだから慌てることはなにもない、という大人の余裕と、知らぬ街で迷子にさせるのは気の毒だ、という娘らしい同情心。それを一つの目に陰陽のように宿して。碇ゲンドウをじっと見る。ちなみに、頭はさげない。
 
 
 
 
「・・・・”福音丸”の調査はいいのか。そちらから頼まれて依頼料も貰っているが」
 
 
実際、判断するには情報が少なすぎる。このまま言うなりに逃げ出した息子を探して連れ戻してしまうのがいいのか、このまましばらく逃亡させておくのがいいのか。己一人の単身調査も若かりし頃を思い出し久方ぶりの興がのったが、こうなると加持兄弟レベルの人手が欲しかった。
が、この竜尾道の特殊地理条件を考えると潤沢な人材投入など夢のまた夢、手駒は限られる。考えながら、別の案件を一投する。時間稼ぎにもならないだろうが・・
 
 
「”福音丸”?そんなものはいない!」
 
と思ったのだが意外に食いついてきた。
 
「竜号機に乗って街を上空から見回る私がいうんだから間違いないだろうに。ゲンドウ殿もそう思うだろう?調査など適当に切り上げてくれればいい。後金も払う。それとも、まさか、ご子息が福音丸に連れ去られるなどという時代遅れの映画のようなことを言い出すのではあるまいな・・・ミカリにも困ったものだ。観光組合の年寄り連中の戯言などほうっておけというのに・・・」
 
めったに顕すことのない強い苛立ち。向こうはすぐに吐き出したいのだろうが、針の返しでそうはさせない。
 
「そうもいかんだろう。”福音丸”は竜尾道の住人の中で、お前にだけ”見えていない”というのが依頼人たちの言い分なのだから。調査とはその原因も含まれている、と私は考えている」
 
「だからっ」
 
「調べられて何かまずいことでもあるのか。それならばそれで首長権限で調査の差し止めを命じればいい。今の私の立場ではそれに抗うことなどできんからな」
鉄面皮で言葉をころがしながら、考えるのは別のこと。さすがに交渉ごとでは役者が違う。
 
ちなみに最優先事項をのぞいた順位は、第2位、綾波レイに関して。第3位、第三新東京市関連(ネルフ含む)。第4位、エヴァ初号機について。第五位、冬月先生すいません。第六位、ゼーレ方面。第七位、てめえの息子について。
 
 
しばらく睨み合いがつづく。この街で水上左眼の片目に睨まれて十秒以上粘れる人間はそうはいない。が、碇ゲンドウの鉄面皮は世界でも指折りレベルであり年の功もあり。
 
 
「・・・・ゲンドウ殿、あなたは。福音丸をもう、見たのか・・・・?」
年相応の数歩を遠慮させた。わずかに、上目遣いになり声がひそかになる。
 
 
「そこまで自由に動けるわけでもない。なにせ、幽閉の身でな」
とりあえずのセフィロトな思考をきりあげる。実際、この街の怪異を気にしていたらきりがない。第一、この街そのものが怪異なのだから。すでに海に沈み存在せぬはずの街。
 
 
「パチンコのできる幽閉がどこの世界にあるというのです。・・・ああ、そうだ。言い忘れるところでした。ゲンドウ殿、情報収拾と調査資金の独自開拓のためなのでしょうが、・・・・一人勝ちもほどほどに。あまりに度がすぎると皆が興醒めします」
その返答になにを安心できたのか、水上左眼の調子が戻った。
 
 
「こればかりは運だからな。どうしようもあるまい。そのうち大負けする日がくるかもしれないが、それを斬り捨ててくれるというなら」
 
 
「口ではかないませんね。・・・・でも、ご子息は見つけてくださいますね?」
また眼が危険な光を帯びる。いらん時間をくってしまったおかげでもしかしたら勘づかれてしまっているかもしれない。「きっちりと」まあ、その分の仕事はやってもらおう。
べつに隠居させるためにこの地に閉じこめたわけではないのだから。
 
 
「さてな。シンジがこっちを見つけるのが早いか、こっちがシンジを見つけるのが早いか・・・・・どちらかを選べ、と言ったらどうする」
 
ついつい口癖で「早くしろ。でなければ帰れ」などと続けてしまうところであった碇ゲンドウ。そんなことを言えばさすがに向こうの神経とこっちの体の両方をブチ斬られてしまう。やばいやばい。もちろん、そんなことを顔には微塵もださないネルフ総司令解任五秒前であった。
 
 
「・・・こちらをサーチして急行してくる可能性・・・イレギュラーではありますが、それこそ当初の筋書きどおり・・・・・それもあり、か・・・・・なるほど、さすが」
また感心しはじめる水上左眼である。実際、可能性は五分五分。それなりにこの竜尾道で名前を売った自分の住処の情報を得てここまで移動してこれるか・・・・・それを見ておきたい気もするし、不穏な状況からは早々に引き上げてやった方がいい、面倒が少ないからな、とも思う。
 
 
「それならば私が独りで探索した方がいいですね。ゲンドウ殿、こちらに現れたら一報おねがいします」
立ち上がり、くるりと背を向け出て行く水上左眼。この期に及んで”隠したり嘘ついたりしたら承知しないぞ”などと念押しなどしない颯爽としたその後ろ姿に
 
 
「独りでは見つかるものも見つかるまい」忠告にもなっていないことを言う碇ゲンドウ。
朝まで左眼が探し回って、ここにも結局息子が現れなければ、まあおそらく剣呑なことになるであろうから、一応。どちらにせよ人数をそろえて山狩り海狩りしようと見つからない時には見つからないのだが。そこまで知らない場合のため、念のため。ちなみに左眼というのは水上左眼のことであり目玉ポロリでそれがおけらカーに乗って、ということではない。ちなみに息子というのも人間まるごとのことでありいわゆる一部分のことではない。
念のため。
 
 
「仕方がないでしょう。硬化テクタイトを内側から食い破るような怪物相手ですから。人数をそろえても怪我人を出すだけです。では」
 
 
゛虚(=ぎょ)
何の気なしに告げられた言葉に碇ゲンドウの顔色が変わった。幸い、水上左眼はすでに出て行ってそれを見ることはなかったが。