「父親の名前は聞いていないのか」
 
 
父親の名前は碇ゲンドウ、です、とか言い返しそうになって震えて黙る碇シンジ。
 
ひさしぶりの学校であるのにぶっ倒れてほぼ半ドンで強制あがりになった夜のことである。その間、何がどうしたのか、逃げでも演技でもなんでもなく真面目に意識がなくなっていたので、知らない。目覚めたときは本堂で、腹の上にはタオルケット一枚。赤オレンジの光が黒を強調しているあたり、時刻は夕方であろうと。ぼんやりとした頭が物事の整理をつけ終わったところに父、碇ゲンドウがやってきて昼間の学校での経緯を聞いてきた。
 
 
綾波一族の出現
 
 
話題はこれしかない。綾波コナミとか言ったが、彼女個人がどうとかいう問題ではなく、おそらく言ったとおりの一家庭の個人的都合でこの隠れ里にやってきたとは思えない。
被害妄想だと笑わば笑え、こちらもすでに十分に笑っている。偶然の一致ですむならそれはそれでいい。もし、そうでなかった場合どうするか。とりあえず彼女の語った自己紹介には多すぎる個人情報を父親に伝える。玉石混淆、何が重要であるか何か致命的なネタがまぎれていないか、判断は自分には出来ない。覚えているかぎり正確に。ただ、綾波党の怪人はいかにも怪人、という姿をしている。強力であればなおそのように。確か番付表もあったはず。年齢といい見かけ相応だとしたら、これほど怯えることもないのだけれど。
 
 
表情は読めないが、父親もいきなりの綾波一族の登場は知らぬ様子だった。もちろん正直に驚いてみせるような真似はするはずもない。伝え終わった後、問われたのは綾波の転校生の父親の名だった。兄貴の名前はペンネームかもしれないが、サザナミというらしいが。
そういえば父親に同行してきた、というわりには父親の名は言わなかった。まあ、武将の子供じゃあるまいし中学の自己紹介でそこまで言うことはないだろう。有名人なのか。
それも危険な。不安に顔を曇らせながら碇シンジが首を横に振ると
 
 
「綾波稲村J・・・・であれば、厄介なことになる、かもしれん・・・」
 
 
耳慣れぬその名を正確に聞き取れたのは、いつも重暗い父親の用心深い口調のおかげ・・・・聞き取れたと思うけど自信はない。「えーと、稲村、なんだって?」
 
 
「稲村J(ジェイ)だ。正確にはジェーンらしいがこれで事足りる・・・・噂をすれば影が差す」
 
 
うろ覚えではなくよく知っているが、それだけに近寄ってほしくない人物らしい。らしくもないずいぶんと迷信くさいというか年寄りくさいことを言い出した。この人、暗いけど老人ぽくはないんだけどなあ・・・・もちろんヤング成分はゼロだけど。しかしある意味、略したりする方が、はずかちい、気もするけど。しかもJだし。それから、ジェーンでも男なのか。「なにしてる人なの?お兄さんは児童文学者だと言ってたから・・・歴史文学とか自分で写真も撮るエッセイストとか?それとも、音楽家で間違いない?」
綾波コナミの情報から推理するとそのくらいか・・・・別にここで奇をてらうこともない。
 
 
「司会者だ」
 
 
ぼそ、と碇ゲンドウが答えたのは出来るなら口にしたくもなかった事柄なのだろう。
いつもなら「知る必要はない」などと身も蓋もないこと言って終了させていたはずだ。
悪い予感がした。このところ的中率高すぎるのでポジテブに楽観的にとらえようと努力。
 
 
「司会って・・・歌場組とかバラエティ番組とか・・・あとは会議の・・・・いやまさかそんな・・・どうせヒメさんが呼び出したんだろうから、刀剣を解放するための何かアレでしょ。魂の本質とか・・・・・」
 
碇ゲンドウが片眼をつぶって隻眼状態で碇シンジを睨みつけた。卍!と物凄い威圧感。
睨みつけて、言った。
 
 
「式場の司会だ」
 
 
「お、お葬式だよね・・・・「結婚式場だ」・・・・葬送会場」
息子の悪あがきを一刀両断する。
 
 
「がふっ!!」
あまりの言霊の強さに大阪の人でもないくせに斬られてしまう碇シンジ。
 
再びどうと倒れる。
 
本堂に沈黙が満ちる・・・・・日本映画的「間」といえなくもない時が過ぎる。
 
 
 
父と子と、どちらかが口を開けばすぐに終わるのだが、どちらも口をきかない。
 
 
「・・・・・・・」
碇シンジはべつに斬られてもくたばったわけではないくせに死んだふり続行。
 
 
「・・・・・・・」
普通の父親ならまず耐えられないこの手の沈黙にも表面上は平然としている碇ゲンドウ。
 
 
どちらも意地になったようにこの先を続けない。新世紀狸合戦。
 
 
そんな時間を無駄にしていないで、とりあえず夕飯の支度でもすればいいのだが。
 
非生産的にして安らぎでも憩いでもない時間。せめておそらく日本唯一の綾波一族の専門家として碇ゲンドウが息子に解説でもすればもうちっと建設的であり、無駄にならなかっただろう。息子のしんこうべ急襲、綾波レイ奪還時には綾波者でも戦闘系のそれに出くわすことが多かったのであろうから、怪人に代表される戦闘系ではない方の綾波者についてほとんど知らぬはず。赤い瞳の異能は戦闘だけを得意としているわけではなく、どちらかといえば破壊だの攻撃だのに縁遠い文治商売系の方が恐ろしい。生存に関して言えばそちらの方がよほど力になる。番付表だけ見て綾波者を知った気でいるのはまさに愚者。警戒を怠るは死への一方通行というもの。あれほどしぶとく生き汚く生に固執する一族も珍しい。潔さなど薬にするほども。そうでなければとうに地上から消え失せていただろうが。
 
 
それだけに、判断は情の混ざる余地はなく正確にして適温を保ち的確で安定している。
 
 
そのような判断力を持った者たちがレイの後継者認定に首を傾げて疑問視している・・・・こちらとしては極好都合であり、情を排除して物事を考えるにそうなって当然だとは思う。戦闘系の者たちに好まれ支持されその頭領になるのはよかろうが、一族全体の命脈を保つ綾波党の党首が務まるかどうか・・・大いに疑問であり不安だと。しんこうべの運営、綾波一族の養命保守してきた者たちはそう考えている。争乱の種火にして大乱の熾火であると。だからこそレイをあの地から連れ出した。意見としては保守派に近いし今になって受け入れられる武闘派の者どもの神経を疑う。ユイならばまだ違うのだろうが・・・・。
 
トアという、これまた一族の未来を乗せても大丈夫な礎となる人材もいる。安定度でいえばケタが違う。能力の底も見えない。こちらを担ぐのも当然だろう。保守というより当然派といえる。その主軸の一つが綾波稲村J。名前はアレだが党首ナダの右腕キチローや知恵袋のマルコムらに比肩する実力の持ち主だった。確かサザナミとコナミという子供がいたはず。とはいえ・・・・
 
 
シンジにとっては「それがどうした」的な背景だろう。ここまで説明すべきかどうか。
 
向こうの真意が未だ読めぬ以上、不必要な情報を知ることは代えって隙を作る。
碇ゲンドウも多少、迷ってはいたのだ。神ならぬ身で全てを見通すことなど出来ない。
同じ神ならぬ身の者が、こちらを「見よう」としてくるのは自然のことであろう。
綾波党主導か、左眼の主導なのか、見極めるにも材料が必要だ。
保有する力でいえば、探る価値もないほどの無力な身であるのだが・・・・
侮ってもらった方が大いにやりやすいのだが、その余地も与えぬとは
 
 
まだ死んだふりの息子を見下ろす
 
 
そろそろほんとに死んだのかと思うくらいの堂に入った死んだふり。影の混じった橙に染まったその額に、ふと手をやる。別に心配になったわけでも苛立ったわけでもない。
着流しであるから手袋などは、はめていない。素手だった。それは触れた後に気づく。
なんとはなしに、そうした。しばらく、そうして。開いた口は
 
 
「・・・熱が、あるな」
 
当たり前のことを言った。
 
 
「・・・なかったら死んじゃうよ」
息子の方も顔を真っ赤にして、おもしろくもない返答。そんなことを言ってる場合じゃないとは思うけれど、らしいとも思う。自分も死んだふりを続けている場合ではない。
 
よみがえることにする。その際、
 
 
「このままでいいの?」
息子から問うたのは、この熱はかりのことではないため。
 
 
「ああ、このままでいい。かわりはない」
 
 
作戦変更かどうか、と。父は、無用だと答える。殺伐としたことに慣れすぎてもはやそのようには動かない口の代わりに鍛え焼かれた手が語る、もうしばし迷っていよと。
 
 
第三者がはたから映画のような視点で見ていれば、もう少しいい話をしているように聞こえるかもしれないが、この程度。この親子は、こんな程度である。
 
 
二人して簡単な夕食の支度をととのえたところで、ひさしぶりなのにあまり嬉しくない声がした。イヤミの師匠ならば完全に居留守を使うところであるが、そうもいかない相手だ。
 
 
「ああ、ごめん。シンジ殿、ゲンドウ殿、お二人ともおられるか、おられますな。では、あがらせていただく。・・・・そちらもご一緒に」
 
水上左眼。
声の調子からすると、先の驚愕と動揺からはすっかり立ち直っているらしい。が、微妙に平常営業ではない様子。父子の呼ぶ順が逆さであり、誰かを連れてきているようだった。居留守を使っても勝手にあがってくるのだから意味はなかった。この振る舞い。
 
同じ権力者でも政治家というより将軍様であり、超自然的権威を持ち合わせているあたり新皇といってもよかった。襲われる方にしてみると名称が盗賊でも突撃晩ご飯でもなんでも同じだが。さしたる用はなけれども、現れ出でたる加藤清正、でも気取っているわけでもなかろう・・・・・とうとう腹を決めてきたのか。こちらが一番気を抜く時間帯を狙って・・・・・・ちゃぶ台の上の今日の、あまりやる気のない食卓内容を見ながら・・・・碇シンジはどうにも輝かしい勝利のイメージを作成できずにいた。気合いが湧かないというか。すでに負けのイメージがのしかかってくるというか・・・・
 
 
「お食事時に申し訳ない。ちと面倒事が持ち上がったのでついてはシンジ殿のお知恵を拝借したく参りました。その途中で、こちらの綾波、コナミ殿と・・・何やらシンジ殿にご用があるそうで、同道した次第です。こちらの用はおそらく長引くでしょうからコナミ殿、どうぞお先に」
 
 
まけた・・・・
 
 
と思った。
 
 
どういう理由かとにかく戦闘意欲殺る気満々の戦装束なのだろう、渋い光を放つ鱗コートを羽織ったパイロットスーツ姿の水上左眼。腰のホルダーには愛刀をぶち込んでいる。
左手に黒い鞄をさげていた。中身は不明だがどうせ穏当なものではあるまい。ダイナマイトかもしれない。
 
 
それから、綾波コナミ。
 
私服であった。制服などではない。おそらくその身から放つ・・・香りどころか波動からして完全に切り替えて出陣してきたのだろう。長い髪の毛先からして磨きの気合いが違う。
文化度の違いを見せつけるかのような、気合いの入っためんこさであった。
より美しく己を見せようという、努力の蓄積量の絶対的な差であるとか。考えてしまう。
いかんいかんいかん、と思いつつ頭の中で比較検討など。素材にあぐらをかいていない。
あまりにレベルが違うので、かわいい、とか愛らしい、とか表現するのもこっ恥ずかしくなってくる。もはや謙譲的表現で、めんこい、としか言いようがない。全てがしんこうべブランドなのだろうが、高そうな服だなあ、などという安すぎの修辞は拒否するオーラが。
自らをみずぼらしく自覚させることで屈服させようという作戦ならば・・・・。
まあ、単にめかしたよそ行きの格好にすぎないのだろうけど。その格好なら女人禁止か機密保持関係者立ち入り禁止以外のあらゆる場所へ行けるに違いなく。こんな寺に来るのに気合い入りすぎだろうとは思う。一体、何しに来たのやら・・・・とにかく、とても食卓の上のふりかけや冷や奴などでは太刀打ちできない。少なくともこのめんこさに勝つには食卓強度500万パワーが必要となってくるだろう・・・
 
 
「急に倒れたから心配していたんですけど、どーしても今日お願いしたいことがあって連れてきてもらいましたっ。ごめんなさい、シンジさん!」
 
あんな大怪笑した自分を気味悪がるどころか、心配してくれるなんて・・・・綾波コナミの容姿に増幅されて感動してもよかったのだが、心は綾波あやしの固定値を指したまま。
 
こっちも怪しいけど、君もあやしい。皆さんあやしい。それがこの街、竜尾道・・・などと口にしたらヒメさんに引き裂かれそうだけど。にしても、いきなりシンジさんか。
 
まあ、こっちも綾波さん、とは呼びにくいものが・・・・・うわ、なんか寒気きました。
 
「いや、僕もからだがどーも弱くて。この土地に慣れてないのかも・・・・急に発作がでることがあるんだ。驚かせてしまっただろうから、こっちこそごめんなさい」
その今のところ裂けてない口でぬけぬけと答える碇シンジ。ちら、と水上左眼の方を見るが、その内心は読めない。面倒事を抱えている割には落ち着き払っている、ように見える。
 
「いえいえ、そんなわたしこそ」
「いやいや僕こそ。えとせとら」
社交辞令は短めにすませるのがお互いのため。
ここでは口が爆裂しても「綾波レイって知ってる?」なんて言ってはいけない。
 
「で、用事って何かな?」
 
もしかしてこちらが倒れたりしなかったらもっと早く、学校内で済ませていたことかもしれない。わざわざやってくるあたり・・・よほどの重大事か、まあそうに決まっている。
いつぞやの意趣返し等の心配は皮肉なことに水上左眼がその隣にいるから安心できる。
そして、綾波コナミは用件を切り出してきた。
 
 
「奇妙に思われるかも知れないけど・・・・・・シンジさんの写真を撮りたいの」
 
 
「写真?それはまたどうして」
撮られるのはどちらかといえば、百人に聞けば百人ともめかしこんだ君の方なのだからクイズにはならない。「碇シンジ?ないないないー」である。被写体はこれにせよ、と芸術的霊感が下りてきたのだとしても、この急ぎの頼み事の理由にはならない。そのあたりがはっきりせんのに権力者がゴリ押ししてきたらかなわんなー、と思いつつ見ても水上左眼は鞄を下ろしただけで興味もなさげだった。父親も特に暖かくもない目で見守ってくれている。
 
 
「シンジさんの写真が撮れれば、たくさんの人がしあわせになるから・・・・というのは抽象的すぎるね。本当のことを言うと、わたしも頼まれただけだから、なんでこんな急なのかよく分からないんだけど、とにかく、しんこうべの偉い人がどうしても急ぎでシンジさんの写真が必要なんだって」
 
赤い目は泳がず、踊る。表情は見事なダンスと同じだった。それに見とれて肝心なことを聞きそびれそうになる。
ギリギリで。
 
 
「・・その偉い人ってだれ?」
父さんが口を挟むかと思ったけど静観ですか。目星がついてるのかも。とにかく話が宗教がかってきたけど、独立独歩のあの地域らしくない。一応、スマイルで聞いてみる。
 
 
「綾波党党首・綾波ナダ様ですよ、シンジ殿」
代わりに水上左眼が答えた。
 
よもや「黙っていてくれませんか」などといえる力関係ではない。嘘か本当か、竜尾道内で水上左眼がそういえば信じるほかない。
 
「妙な頼み事ではありますが、別に実害があるわけでもない・・・・なんとなく欲しくなったのではありませんか?いつぞやのジャムパンのようにね」
 
ぎろ、とここで碇ゲンドウが水上左眼を片眼で睨んだが、口には何も出さない。
 
「この先、写真が大量に必要にもなるでしょうし、都合も良かった。どうぞシンジ殿、コナミ殿に何枚か撮ってもらうとよろしい。腕前の方は・・・・私は写真に疎いので正直、評しかねますが・・・」
 
うふふ、と小さく笑っていた。どういう意味なのか不明だが、断れないのは分かった。
嫌がらせ、ともまた違うような・・・・どうせ写真くらいその気になればいくらでも撮られてしまう・・・・断りをいれるだけまだ上等であろうか、さっさと終わらせてしまおう。
 
 
「寝起きでこんな格好ですけど・・・・・」
ヒメさんの用事があとに続くなら、ここでヘアメイクなどが始まることもないだろう。実際、消極的了解がとれると「ありがとー、すぐにすむからっ」綾波コナミはすぐさま水上左眼の置いた黒い鞄からカメラを取り出しにかかった。手際がいい。こちらもせいぜい寝たままゆるんだ制服をこころもち襟をただして・・・手櫛をいれるまもなく
 
 
「それではっ」
綾波コナミに連写された。笑顔もいらんらしいし視線すら関係ないらしい。真実の姿を写すほどがある。慌てているわけでもなく、それが撮影スタイルなのだろう。つまりは、撮れさえすればどうでもいい・・・・なんだかな、と白けた碇シンジの表情がふいに一変する。自分を映す機械の目玉、つまりカメラのレンズの色に意表をつかれたのである。
 
 
深紅
 
 
レンズというからには光を通すのが最優先であろうに、取り込み口にあんな色をつけてしまったらどうなるのか・・・なにか意図や機能のためにそんなカバーをはめ込んでいる、のか。
 
その赤色は、綾波者のもつ瞳の色にとても似ている・・・・・ものすごくイヤな予感。
 
よく見ればカメラはめかしこんだ女の子の所有物とはとても思えない黒くごつく大きくあちこち傷の走った・・デジタルではなくフィルムを用いるような年代物の気配。魔物がカメラに変化してでもいるような・・・・撮られただけでヒットポイントが10%、寿命が三年はごっそりもっていかれそうな感じである。撮られた枚数を考えるとギネス級に生きても死んだ計算になるけど。
 
 
「・・・もういいわ、バグベアード」
綾波コナミが何か呟くと、シャッターの音が止んだ。まるでカメラに命じたように。
 
「ご協力、ありがとーございましたっ、シンジさん。これで大手を振ってしんこうべに帰ることができますっ。ああ、その前にこの街の自慢のマル禁海鮮料理をたらふく食べるつもりですがっ。実は今夜予約いれてたりして・・・・・それではっ御機嫌よう」
ささっと鞄にカメラを仕舞い込むと、優雅な割にけっこうな速度で帰ろうとする綾波コナミ。
 
 
「ちょっ、ちょっと待って!!」
何か君にしてやられた感覚1000%の碇シンジは特急オメガドライブかけて追いかけようとするが、水上左眼に立ち塞がれる。
 
「今度は、こちらの用件だ。気になるのも分からないでもないが、最悪、切り刻まれたり落書きされたりするくらいなものだ。もしくはほんとうに愛でられたりするかもしれないが・・ふふ」
うっすら、と笑んでいる。どうも今夜の水上左眼はこれまでと違う。おかしい。艶々しているというか、何か楽しんでいるというか。面倒事が起きたのではないのだろうか?
どちらかといえば、それを呑み込んで楽しむ豪放磊落なひとではないのだが。
 
 
「・・・と、なにかご機嫌ですね。厄介ごとじゃ、ないんですか?」
心配になってきた。面倒に思考が追いつかなくなってとうとう・・・なのか。
父親の方を見てみるが、こんな態度はやはり意外らしい。物事を差配していく人間がオーバーヒートしてしまうと大量の人間が迷惑するし、自分たちもそれに含まれる。余裕綽々でも困るが、ヤケになって暴走されてもまた困る。最終的に武力でカタをつけにくるのだろうから。そのうちバチがあたるだろうが、今夜だとさすがに早すぎる。
 
 
「いや。機嫌が良いなどとんでもない、気分は最悪だ。出来ることなら蒲団をかぶって眠っていたい」
どこぞで許容量以上に飲んできたのか・・・ウワバミどころでない竜なのに。あえていうなら酔った高揚に近いか。もちろん常人のようにべろべろで顔色に出ているわけではなく、ちらちらと蛇の舌のように佇まいのすき間からこぼれているだけなのだが。
装束は、これから一戦やろうという感じだがすでにどこぞで斬って斬って斬りまくってきたとか・・・・・・・何処で?考えられる場所はあまりない。まさか・・・・引き出物とかで初号機を第三新東京市に探索に乗り込んでそこでネルフとやらかしてしまったとか
 
 
「そうは見えないが」
その想像の恐ろしさに言葉がでない息子に代わって父親が言った。水上左眼はそちらに視線をやらなかった。碇シンジに固定したまま。
 
 
「シンジ殿の”お友達”がいらしているんですよ」
 
 
さすがに碇ゲンドウの鉄面皮も一部破損した。その意味するところ・・・・
 
 
「”ここ”を探しているようです。どうです?一緒に迎えに行きませんか?」
 
 
紛うことなく察知する。見抜けぬはずがない。
 
 

 
 
 
「まだ届いていない?さきのドサクサの折に紛れこんでくると思ってたんだけど・・・まさか読み解けないってことはないにしても・・・」
 
 
学校から帰るなりラングレーは同居人であるヘドバ伊藤に自分あての郵便物の有無を問う。ここ最近の日課であった。
 
「きてないわよ。残念ながら」
同じ返答に同じ表情、それを一瞥でチェックする。男性でありながら男性を感じさせない同居人が今日も中立であることを確認してから部屋に行く。正確には、この同居人が自分を見分けているかどうか、その目の色を確かめてから、ということだ。スーパー3ドライのドラとラングレーである自分とを。混同し始めたらもう同居はできない。おそらく常人にはこなせない相当な難事であろうが、これをこなしてもらわねばそばにはいられない。
それがルールだった。
 
審判員が中立、そしてインチキを見抜く眼力を持たぬのであれば、その下で競い合うことなどできるはずがない。文字通りの神経戦、自分との戦いを続けるのはあまりに不利で場所を変えるのは当然の対応だった。こういうのを生活とはおそらく言うまい。日々これ戦場であるのは別にかまわないのだが、じりじりと追いつめられていくのはかなわない。
これというのもアスカが目覚めないせいだ。完全にドラの手中にあって眠り続ける。
夢を見ているのだろう。それが忙しくて肝心の修復作業が停止してしまっている。
 
夢は身勝手なものだが。見る気でいるなら、暗闇の中でも見えるもの。
こうなると、外部から刺激を与えてやるしかその夢を破る方法はない。
 
出来うるなら機能を保ったまま、こちらに戻したいのだけど・・・・そのための鍵がまだ届かない。くそ、のろまなドンガメ銀行め。どこの田舎をほっつき歩いてるのか。
碇シンジの奴もしばらく学校さぼっていたと思ったら今日はいきなりぶっ倒れた。
水上左眼に何か強制労働でもやらされているのか・・・・・つくづく異常なやつだ。
あんなのと同居していたのだからアスカも・・・・ほっとしているだろうか。
 
胸に触れてみるが、特別な鼓動はない。いつぞや宝石店で感じたような奇妙な高鳴りは。
 
頼りにならない奴・・・・・・こちらを探りに来ないのもシャクに障る・・・・シャクに障ると言えば、今日やって来た転校生、綾波コナミとかいった・・・・あの女もそうだ。
まさかこの状況で趣味生活の物見遊山でもあるまい。全く・・・・
 
 
どいつもこいつもあやしすぎる!東洋の神秘ってガラでもないくせに!
なによここ!!覆面レスラー養成施設!?
 
 
内心で悪態をつきながらも表面上では平然としながらリボンを解き制服を脱ぎシャワーを浴びて私服に着替える。それからヘドバ伊藤が用意した大量の夕食を片付ける。このところさらに腹が減る。クラスの連中が見れば仰天する量であるがかまわない、どうせ招待するようなことはないのだから。昼はイメージ優先で少なめにしてるのがまたこたえる。
 
 
ばくばくばくばく
 
 
ヘドバ伊藤を相手にしての食卓は審判を相手にしてのスポーツのようなもので段取りの説明会や儀式に近い。これでメニュー内容が貧弱貧弱ゥなものであったら耐えられない。
ヘドバ伊藤が必要と判断した情報をこちらに口頭で渡すが、こちらからは特に何もない。
雑事にまぎれて内心を吐露するようなことはない。機能的な主と補の関係。
 
 
食事を終えるとブランデーでお月見。主と補の関係であるから飲酒喫煙についても何も言われない。むしろ相伴ついでにそれを望んでいるふしもある。その短い時間はたぶん聖域。
スケジュールに記録されることのない時間。そこでも関係性が崩れることはないのだが。
 
 
ブランデーのグラスの上に小さな火の玉をつくってそれを暴発させないようにするのが近頃はやりのラングレーの遊びだった。月見と言いつつ月なんぞ見ていない。
 
 
「どう?そろそろ”治療”に行ったら。ここから近いし、しんこうべあたりいいんじゃないかと思うのよね。綾波トアのしあわせのむら、とかね。今なら」
 
 
関係性の乱れは中立の終了でもある。小さな火の玉を青い瞳で消し、ラングレーは男でもなく女でもない同居人を見やった。グラスの中は空になっている。
 
 
「・・・・他人の世話になるような人間かどうか、区別がつくかと思ってたけど」
 
 
このままいけば、ドラの奴に全て塗りつぶされる。何かにつけて最新式が強いのは世の道理というやつで、第三者の能力なり知恵なりを借りてこちらを加速させないと対抗できない・・・のは分かりすぎるほどに分かっているのだが。事実、綾波の治療能力が己の念炎を復活させた。治療と称して有能な助太刀を頼むのは、まっとうな選択肢であろう。
このおんなでもないおとこでもないシュガータイプの同居人が言うからには、今なら治療のアポがとれたりするのだろう。しあわせのむら。進化の階段の踊り場、至高ならぬ思考の楽園、心の夜明け最速伝説等々、数々の異名を持つ綾波のメッカ、綾波の日光東照宮、綾波のエルサレム・・・・結界の中の結界・・・鎮座まし約束され授けられる能力は精神領域の増設貸与・・・・そこにいくだけでもだいぶ違うだろうな、とは思う。仕切り直す余裕くらいは手に入るだろう。
 
だろうだろう、では埒があかない。さっさと行くべき。であるのだが、断った。
 
おそらくこれは誘惑であり、そこに向かえば堕落する。
 
いずれ試練はまだ続く。ドラごときに苦戦していてはいずれくるアスカとの完全な融合、合一の時に破綻する。あの岩人間ならば「これは試練の端緒にすぎぬ」くらいのことは言うだろう。手遅れになる前の事前警告はあの岩にしては望外のサービスだったのだ。
背後からの一撃を避け得たなら、あとは己の仕事になる。
 
 
「そうねえ」
こちらの気持ちを見抜いているのか、ヘドバ伊藤は苦笑いした。道化は苦笑しないものだが。「あんまりココにいてもいいことにならない気がしてるし、ま、実際ヤバイんだけど・・・あんたの、アンタたちの気持ちってもんがあるしねェ・・・・じゃ、とりあえず手配はキャンセル、と。いいタイミングだと思ったんだけどね、グラッとこなかった?」
 
 
「誰にむかって話してるわけ?あたしを誰だと思って・・・・」
 
 
聖域の時間は終わる。これで同居も解消。今の一幕をドラが見てどう思い判断するか。
中立ではなく味方でもないとなれば・・・簡単すぎる消去法。目をつぶっているうちに消えておいてもらわないと・・・・途端、体の奥から震えが来る。魂の線が三重にブレるような強烈な振動。発作にしては痛みはなく感覚がリセットされたように澄み切っている。
青い星空の下、大地を掴み風に立つ野生動物になったような開放感と先鋭感。能力のために子供の頃から追いかけ回されてきた自分と閉じこめられてきたアスカがもつものではない。これは・・・・
 
 
「ラングレー?どうしたの」
 
 
どくん
どくん
どくん
どくん
 
 
鼓動が高く早くなる。戦太鼓が鳴るように。震えが強くなるがそれは片端から力と熱に転化される。流れる黄金のイメージが体中を満たしていく。
 
 
「来る」
 
 
自分の言葉か確証は持てないが、言葉は熱を持っていた。だから、もう一度自分で口にしてみる。
 
 
「来る」
 
 
口にするとそれは確信になる。何かがやって来るのだ。己の体に共振するほどよく知っている何かが。そして言葉は三たび。
 
 
「・・・・来る」
 
 
眠たげであったがアスカの言葉だった。三人格が同時に覚醒してこの目を輝かせ同じ予感を口にしている。さながら魔術の儀式のように。繰り返し、月の向こう側を見た。
 
 
そこにはなにもない
そこにはなにもない
そこにはなにもいない・・・