鋼鉄のガールフレンド事件コーラス
 
 
 
<いきなりの捕捉>
 
本文は、七つ目玉の十四話「第三新東京市立地球防衛オーケストラバンド」のおまけ「鋼鉄のガールフレンド事件」のそのまたおまけである。作中で地球防衛バンドが作中で演奏・・・・はしても、文中でスキップされた歌曲を追加するような内容である。
 
ちょうど三曲目鈴木結女「輝きは君の中に」に続く四曲目、ボーカルが惣流アスカからメインである洞木ヒカリに交代して、バンドがその実力をじっくり聞かせるように能力解放していくところ・・・である、として読んでください。その前に、先の二つをまだ読んでいない人は何がなんだか分からないであろうから、まずはそちらの方をどうぞ。
 
 

 
 
 
 
メインボーカルの交代、というのは予定通りのことではあったのだろう。もはや何憚ることもなく三曲目が終わり、次の曲の準備のためにいったんは裏に引っ込むメンバーたちの姿を見送りながら、それでも観客たちはなかなかに落ち着かぬものがあった。
 
 
これが本来の予定とはいえ、起死回生からのせっかくの盛り上がりをいったん時をおいて冷ましてしまったことは確かであり、なおかつボーカル惣流アスカから、クラス委員長であるという洞木ヒカリ、という全校生徒に知れ渡っている、とはいえないルックスの面でもおそらく前者にかなわぬだろう、それに代えてくるとは・・・。観客の満足度、という観点からするとこれはちょっちまずいかもしれない・・・観客の中の一人、葛城ミサトなどはそう思った。別に身内びいきではなく、どちらかというとかなり冷静な意見であっただろう。もともと中学生の学園祭のバンド演奏で歌唱力うんぬんを言い出すのが無粋。
人の耳を引くよりも、目を惹く方が正解であろう。逆をいえば、惣流アスカの目を惹く力よりも次に変わる洞木ヒカリの歌唱力が耳を惹く、か、どうか。それは葛城ミサトには判断できない。漠然とした不安、のようなものがステージまで波打つように。
 
 
ま、楽しめればいいんだけどね・・・・そう考えるのは少数派だ。このまま、あのハーフっぽい美少女が歌ってくれないかなー、という空気が熱いのは、まあ、アスカのお手柄なんだろうけど。洞木さんにはちょっとした逆風だ。少々準備のアラが出ても、あのままの流れのままで一気にチェンジした方が良かったんじゃないかなー、と思ったりもする。
素人了見だけどさ。そこまで判断せい・・・ちゅうのも大人げないか・・・たぶん、アスカたちにはそれが出来たはずなんだけど・・・・・まー・・・もっと大人げない連中もいたし。加持以下は皆シメることを決意している葛城ミサトである。隣にいる親友はなんかすっかり女学生に戻った瞳をしているのでなんか声をかけにくいし・・・
 
 
「マリヤ、あんたのつくった洞木先輩用の”あの服”がムダにならなくてよかったねー」
「う、うん」
なんか後ろから関係者っぽいことをいう女学生の声が。なんとなく聞き耳をたててしまう。
素直にあのアスカの巻き起こしたあのテンションに感動しとけばいいんですけど。あの子たちもけっこう学校内に人脈があるんだ。なるほど・ザ・保護者、みたいな。
 
 
「ほんとよかったよ。あれはもう絶対お披露目してもらいたかったしね!歌と絶対マッチしてるし。最初さー、絵だけじゃピンとこなかったみたいだけど、あんたが実際に縫い上げて洞木センパイに着てもらって、出だしのところだけ歌ってもらったらさー、センパイたちすっごく驚いて。あの渚センパイもなんか一瞬、顔色変わってたし。あれはたいしたもんだよ、うん」
「いや、でも、そのせいで楽器変えよう、って話が出て、ご迷惑だったかもって・・・」
「いーじゃないの。それは決めたのはセンパイたちだから。マリヤのせいじゃないし。そっちの方がよくなるからって。実際、なんとかしちゃうのは渚センパイとか綾波センパイとかが超人だからだけど。ま、いんじゃないの?・・・・マリヤのおかげ、だよ。それがムダにならなくてほんとに、よかったよ」
「カンナ・・・」
 
 
うう、ええ話やなあ。・・・・こういう縁の下の彼女たちの努力を台無しにするところであった地球亡霊バンド・・・マジでゆるすまじ。特に加持、特に日向君。それが分からぬはずはないくせに。おぼえてろ。出来れば逃げられぬうちにやっときたいところだが、演奏は聞き逃せないし。逃せば百代の恥となろう。洞木さんの歌も観客の目を惹くそれなりのサプライズが用意されているみたいだし。
 
 
「お客さん、ドリンクいかがですかー?ちなみにサービスでーす。無料でーす。でも、どうしてもお金払うっていうならもらっておきまーす。なにはともあれ、次の曲にそなえて水分とっといた方がいいですよー」
エプロンした学生がなぜか籠とヤカンをもって席をまわっている。エプロンしてるところをみると壁からやってきたえば焼き販売員らしいが、なぜここで飲み物なのか。しかも次の曲にそなえて、とは。それほど泣けてしまうのか?中にはアスカちゃんが交代ならもういいや、とこの時間をトイレにあてる者たちもけっこういたりするが。
 
 
「あ、いただこうかしら」
興味がひかれたので呼んでみる葛城ミサト。しかもタダだし。
 
「はいはい」
ヤカンでプラスチックのコップに注がれたのは水。ウオーターであった。間違いなく水分だ。「あー・・ありがとう。あ、冷えてるわね・・・甲子園のかちわりみたいなものかしらねー」タダであるし中学生であるし二年A組といえばシンジ君たちのクラスメイトなわけだし文句のつけようもない。盛り上がった館内はやはり暑いわけだし。甘露甘露。
 
「リツコ、あんたももらっとく?」
顔の表面には出さないだけで、実のところ心は優しい雨降り、それなりに水分を使用しているところだろう。三十代のお肌にもよくないし・・と思ったが
 
「・・・・・・・・こうと知っていればこんな水じゃなくて最高級の玉露を配布、いや紅茶・・・いや子供が多いから珈琲の方が。たとえ味が分からなくともここは仕方がないわ・・・・でもここは沈静させるんじゃなくて興奮を持続させるという効能が重要視されるわけだから・・・」
うわ、この煮えようはちょっと水飲んだくらいじゃどうにもなるまい。ほっとこう。
 
「あー、こっちのおばさんは見ないことにしといてね。単なる授業参観デビューでアガっちゃってるだけだから。でも、水分を補給しろっていうのは、次の洞木さんの曲はそんなに、泣けちゃうの?」
怖いモノを見せたおわび代わりにリップサービス。どちらかといえばこのサービスは人望のありそうな委員長洞木ヒカリさんのバックアップというか、助太刀に近いのだろう。
体力のある若者だけ、と客層の決まっているわけではない、老若男女の文化祭ステージでアスカが予想以上に盛り上げた分だけ、人気にあてられて気分を悪くしてブっ倒れてしまうものもいるかもしれない・・・これはそれに対する気遣い、だとしたら、とてもあの真面目そうな女の子らしい。それとも、鈴原君の指示か。
 
 
「いえ、泣けるというか・・・バラードでもブルースでもなくて・・もちろん演歌でもないですけど・・・なんというか・・・洞木さんのあの歌は・・・水分を貯めておいたほうが”お得”だと思って。ちょっと説明はむつかしいですが。聞いてもらった方が早いですね。えー、ドリンクいかがですかー無料でーす」
 
しかし、エプロン販売員の女の子は予想とはちと異なることを言い、行ってしまう。
 
涙の量で感動を量る、ような調子ではなかった。効能が増すから水をのめ、とどちらかというとおかんチックなもののいいようであったのだ。
 
「はて?」
謎であるが、リツコ先生に聞いても答えられる状態ではない。歌聞いた方がはやい。
しかし、はやく始まらないかなー。よほど準備に時間のかかる衣装だったりするのかな。
 
 
クレヨン社「地球のうた」か。
 
 
演奏順だとそうなる・・・のだが、まさか洞木さんが地球儀のコスプレをして、というかそれでは仮装大賞になるのだが。確かにすごいインパクトだ。自尊心もこのバンドにかける心意気の前にはチャラ・ヘッドチャラなのだろう。元気が大玉だ。殿、出陣でござる!後ろの子たちの話を聞いていなければ自分も思いつかなかっただろう。そんな感じだとまあ、時間かかるかなあ・・・観客席でこのことを知っているのは自分たちだけかー・・・内心でそんなバカなことを考えている葛城ミサトの耳が館内でそっと流されていた音楽に気づくのは遅かった。
 
 
 
「・・・民族音楽、かな。どこの国のまではわからないけど」
それをわりあいに早くから聞き取っていた者もむろんいる。霧島マナなどそうである。
観客席の興奮ざわめき、それらにかんたんに打ち消される程度の音量であるが、確かに館内スピーカー、舞台のスピーカーを使って、異国の民族音楽のようなものが流されていた。
音量はだんだんと大きくなってはいたが、気づかぬ者は葛城ミサトのように開始直前までそれを意識的に聞き取れなかった。
 
「え?もう始まってるの?」霧島マナの言葉に、今度はエプロン販売員に見つからぬように心持ち顔をさげていたケイタが舞台を見直すが、まだそこに誰もおらず暗いままだった。
 
「・・・アフリカ、とか・・・そんな感じだな。人の声も混じってる・・・」
耳は良くともそれに対応する知識がないのが残念なムサシである。「なんだこりゃ、機械の調子が悪いのか?」しかも直球。
 
「・・・・演出、でしょうね。たぶん」もちろん、と言いたいところではあるがそれではムサシが傷つくだろうの霧島マナが答える。演出意図は曲を聴くまでは分からないが、重厚に手間がかかっている。コンサートホールならまだしも、たかが中学校の体育館の文化祭でこんな小細工をしてもこっけいである。惣流アスカさんよりもちろん歌唱力はあるのだろうけど。次にくる曲はこれまでのいかにもバンド、速攻熱血テンポなものではなく、じっくりと、じんわりくるものになるのだろう。聴き手が己のうちから湧き出す感情をゆっくり吟味するゆとりのある。発信する方はいいが、内情を知らぬ観客、受取手はそう切り替えるわけにはいかないわけだし。歌い手が同じであるなら逆に納得できるが。変わったからお前らついてこい、とはちと難しい。熟練の司会者でもいれば別だが。さきほどのシンジ君のあれでこりる面子でもなさそうだし、シンジ君もそんなタマではない。無意識にああいった音楽を聞かせて、心から染み出すものの”受け皿”をつくっているのだろうけど、どうだろうか。ここまで予想外の展開できている。こういった繊細の前準備をするくらいであるから、交代したボーカル、洞木ヒカリさんの調子が狂う、のはありえる。
地球防衛バンドの応援団長の霧島マナでもこのような心配をする。
 
 
 
舞台から人の息吹が奏でる生の音が流れてくるまで。
 
 
「あ、オカリナだ」
「いよいよヒカリの出番だな」
この時、観客席で心配していなかったのは、洞木ヒカリの家族くらいなものであった。
歌の受ける受けないなど音楽プロデューサーではなく獣医に鍼師であるから知ったことではなかったが、歌が心、であるならば。その心を他の誰よりよく知る家族が心配する道理がない。
 
 
ざわめきや排気しきらぬ残り熱をその音にのせて運び去っていく・・・・ふつう、惣流アスカのあのあとでオカリナ吹かれても、思い切り友達のいない寂しいひとになってしまうところであるが、そこがさすがの
 
 
渚カヲルのオカリナであった。
 
 
切り替わった。
 
「・・・・・回路が、別系統に」
赤木リツコ博士が呟いた。理系の極みであるが、その音で、彼の少年がなにをしたいのか分かる。いや、分からなければならないのだ。確かに頭の中に回路が切り替わるイメージがあった。もうちょっと文系的な言い回しをしたいな、とは思ったけれど、正直に。
 
 
なんのかんのいっても惣流アスカのそれは、快速をむねとする偵察役や奇襲、電撃先手攻撃、もしくは追いつめられても諦めないシャープなカウンター狙いであったに違いない。
 
それに比べて、これから始まるのは・・・すべての機能を惜しみなく一斉に作動させての相手を真っ向から圧倒させるべく一切の外連を必要としない・・・全面総攻撃。ここからは打撃力が、重たさがまるで違ってくるはずだ。温度と速度で勝負した前半と違い。
 
 
オカリナの音に観客の目がいっているうちにステージは整っていた。完全に。
いつのまに、などと野暮はいうまい。皆、耳の奥に風が舞っており、歌を待っている。
渚君の見事な仕事ぶりだ、と思う。空気は人類の消え去ったあとの草原のように。ここで歌い始めれば、巨人の足音のごとく観客を従えることもできただろう。
 
が、
 
 
「皆さん、こんにちは。これで四曲目・・・いや、メドレー、ですから、一曲目なんですけど。でも、まだ残って聴いていてくださって、どうもありがとうございます」
 
 
ぱらぱらと起こる拍手。礼儀正しいのはいいがしかし、これはいただけない。おかげで
風の結界で囲われた草原の静けさが無しになった。歌い手みずから、それを崩してしまうとは・・・・目眩を覚える赤木リツコ博士。そんなわけで、洞木ヒカリの出で立ちなど目にはいらなかった。
 
 
「へえ」感心するのは葛城ミサト。場の呼吸、阿吽が分からぬはずはないのに。
 
 
「わたしたち地球防衛バンドのメドレー、次のパートは、クレヨン社”地球のうた”です。ボーカルもさきほどの惣流アスカさんと交代して、わたし、洞木ヒカリがつとめます。先ほどとは少し、色合いが違ってきますけど、聴いてください・・・・」
 
 
見れば分かるあいさつなど、ここでやらなくてもなあ・・・・付和雷同するつもりはないけれど、似たような意見はけっこう多いらしい。ここに至る事前の雰囲気作りがなかなかだっただけに、一気に走ってしまえばよかったのに、と霧島マナなども残念がった。
 
 
装いは、確かに見た目を惹く。ボーカルの洞木ヒカリさんだけ、不思議な色合いの服をまとっている。マーブルスカイ、どこの国ともいえない、色のない民族衣装とでもいうのか、このまま長い旅にも出かけられそうな丈夫なつくりで鳥と貝をモチーフにしたような冠帽子をかぶっている。弓矢をもっているふうではないけど、”・・大聖”と小さく漢字で記してある胸当てを。よく見ると、帽子は縁は太い金色でお経を唱えると締まる西遊記のあれを連想させた。白く丸い靴も頑丈そうで、あのまま体力さえあれば星をつく高い山の頂からそのまんま空の国まで歩いていけそうな・・・・それがモチーフなのかもしれない。
女の子にいうことじゃないのだけれど、洞木さんにも暴れん坊なイメージはないけれど、どことなく、空をしずかにわたる孫悟空、というか。三蔵法師も大昔のドラマでは美人の女優さんが演じていたこともあるし。”やさしい孫悟空”、新機軸でいいんじゃないかい。
ちなみに。女性声優が演じていても、おっす、オラ、の方じゃなくて。
 
 
他のメンバーは、先のボーカル惣流アスカさん含めて、装いは変わらない。あえてあげるなら海空色の布をバンダナやハチマキ、腕に巻いたりして体の一部に身につけているくらいだろうか。オカリナ奏者の渚カヲル君の長マフラーが忍者のように風もないのになびいているのがよく考えてみると不思議だった。皆、穏やかな笑みをうかべている。超強引なペテンをもって演奏時間をもぎとった、なりふり構わぬ表情はそこにはない。あの逆転インチキの立役者であるはずのシンジ君は、たくさんの空き缶に長い串をさした、手作りの楽器とも言い難い奇妙な代物を天井に掲げていた。よくみればキラキラ輝くのは串の先端からたくさんの糸にぶらさげた・・・「貝殻か、ありゃ」ムサシは目がいい、おそらくそうなのだろう、なんとなく江戸火消しの纏を連想させた。古い戦場では、それは大将のそばで掲げられたものだというが・・・・・・ささや、からから・・・さやさ、からから・・・・
 
 
 
青空は海を映す鏡 波に似た雲が流れる
(あおぞらは うみをうつすかがみ なみににた くもがながれる)
 
海の底で貝が見る夢は 蝶に生まれ変わり空へ
(うみのそこで かいがみるゆめは ちょうにうまれかわり そらへ)
 
果てしない時の海を 旅する青い船よ
(はてしないときのうみを たびするあおいふねよ)
 
人は地球の歴史の中のわずかな流れ
(ひとはちきゅうのれきしの なかのわずかなながれ)
 
 
 
ぞく
 
歌が始まり総毛立つ。自分の中の一番奥にある水が呼び覚まされたかのように。心の源流。
そこに知らず、指をつきてのひらをつけて手首まで浸していたような。戻っていたいところ。戻るべきところ。戻れるように、のこしておくべきところ。自分にもまだそれがある。
そのことを告げるような、優しく真摯な声。歌唱力をもって深水にズズッと引きずり込む凄みや妖しさはないが、そこが洞木ヒカリさんのキャラクターなのだろうと思う。
メッセージ性の高い歌であるから下手な歌い方では脂がくっついてしまう。それを抜くぎりぎりの人肌の熱量で続けていく。かといって神さま気取りの冷温では拡散しすぎてしまって観客席まで届かない。
 
 
なるほど、ボーカルを交代したんじゃない。疑問に思っていたことが分かるのは気分がいいことだ。なんのことはない、洞木ヒカリさん、彼女がメインなわけだ。
シンジ君たちの地球防衛バンド、彼らの機構がどうなっているのか。もうここにいる観客のほとんどは理解している。この形であれば、最大限の剛力を発揮できるということを。
 
霧島マナは、理解した。
 
 
 
遠い山は幾重にもうねり 叫べば木霊が返る
(とおいやまは いくえにもうねり さけべば こだまがかえる)
 
深く深く呼吸をしたなら 季節の味がするだろう
(ふかくふかく こきゅうをしたなら きせつのあじがするだろう)
 
 
のどかな古里、などという単語とは無縁のセカンドインパクト子供世代の葛城ミサトや赤木リツコ博士であったが、なぜか自然にイメージが思い浮かぶのは、遺伝子の力であろうかそれとも歌の剛力か。
 
 
この大きな木は 遙かな昔からここにあるよ
(このおおきなきははるかな むかしからここにあるよ)
 
大地の声を聞こう 何かを語るだろう
(だいちのこえをきこう なにかをかたるだろう)
 
 
不思議だな、と洞木ヒカリは思う。歌っている最中、しかも本番にこんなこと考えるのもなんなんだけれど。別にトランス状態になって宙に漂って上から歌っている自分の姿を見下ろしているわけでもないのだけど、思うのだ。正確には、思い返す、といったほうがいいだろうか。練習の合間に歌詞の解釈をやったことがあるのだけれど、この時、「おおきな木」は「どんな木」であるのか、盛り上がったことがあった。アスカは日本に大昔からあるから屋久島にある縄文杉のことだろうと言い、碇君はその木はなんとなく気になる木だったけどもう見たことない木でみんなが集まったりもしたけど見たことない花が咲いたりする、とか正確にはもっと長かったけど時間の都合で中略して、綾波さんは司令執務室の天井にある木のことかもしれない、と今ひとつわかりにくい例を出して渚君にそれはセフィロトのことかな、普通の植物というより概念のことだけど、と捕捉されたり、相田君はあまり深く考えることないんじゃないかそこは、と言いかけたところで山岸さんに悲しそうに見つめられるといきなりイヤ!それは人の心にある大木というか蠱が守っている森の木というか学校の裏山にある一本杉のような身近にあって人の涙を受け止めてきた優しい空間というか!とかいささかでっちあげっぽく出来合い詩人のようになんとか語り出したり。ともあれ、イメージはそれぞれ違う、ということで面白かったのを覚えている。
 
 
鈴原は、ワイはそんな大昔の大きな木なんぞ、見たことないなー、と正直に言い切った。だから、いつか見に行ってみたいな、とも。いいんちょのこの歌聞いたら、そんな気になる、と。・・・・・・まさか、ここでシャレではない、とは、思う。
 
 
大地の声も同じくして、自分もそんな声など聞いたことはない。大地は語るのか。何を。
市街で暮らすと、とくに変形する武装要塞都市なんかに住んでいると聞きとりにくい、ような気もする。心が濁っているのかもしれないけど。聞こう、と歌っておいて、語るだろう、と声にしておいて、自分は聞いたことありませんよ、というのも看板に偽りあり、みたいであるが、ここが不思議なことに。歌を、このフレーズを歌っているこの瞬間だけは、胸の底に、足のそこから響く声が確かに、あるのだ。過程を省いて一足先に至るものが。
澄んだ疑念はそれ自体が答えである、のか、どうか。大きな木と同じことかもしれない。
 
 
歌の不思議さであると思う。
 
 
物言わぬ花さえも 地球のルールとリズムを知ってる
(ものいわぬはなさえもちきゅうの るーるとりずむをしってる)
 
失いゆくものの重みに 人だけが気付こうとしない
(うしないゆくもののおもみに ひとだけがきづこうとしない)
 
 
物言うことのすくない水中花のような綾波レイも、はじめてその歌詞を読んだとき、その超人的な読心能力を持ちながら、そんな事柄に耳を傾けたことのないことに、そんな遠くまで耳をすませたことがないことを、気付かされてわずかに赤面、桜面した。幼い頃、ユイおかあさんに話しかけられて謎のままだったことばのいくつかが、分かった気のする。ユイおかあさんの元気や輝きはそういうものを知っていたからではないか。あれこそは人の正しい姿。たぶん、あのとき望んでくれたのとべつの道、別の姿になっているのではないか・・・自分の理解はこれほどまでに遅く、鈍い。そして、狭い。それなのに、それをその目で真正面から見据え続けている彼はどうなのか、貝缶纏を奇妙な動きで振り回す碇シンジの隣でオカリナを構える渚カヲルをちらっと見てしまう。水の脈動に足先を置いて立つその姿、数センチ浮いてみえるのは目の迷いか。碇君が風の鼓動に腰をあわせているのは間違いなく目の迷いだとして。
 
 
重たい歌だな・・・・と山岸マユミも思う。この体育館いっぱいに水をつめた巨大な地球儀がゴンゴンとまわっているようなイメージがある。回転しながら観客席からの心の水分がその球体に流れ込み、それでも軸を中心によろけることなく回り続けていかねばならない。これがどれだけの力業で力量を要するのか、本番になってようやく分かった。ウケたりノせたりするような曲ではなく、だんだんと注がれていく感情の塊をひたすらに受ける。
それでいて明度を落とすわけにもいかない。曲の底にあるのは吹き渡る光のイメージ。
それを損ねてはなんにもならない。その伝達率を保つのは笑顔で踊るごとくのきつさ。
火の苦労に水の苦労。いったん火がつけば持続性もある前者と違って、後者は容量問題であり、息をつくヒマもなくごまかしようがない。「コレはホンマ・・”入り”が肝心やなーどないしょう」「そうだね・・こんなのはどうかな」そのことをめずらしく鈴原君と渚君が茶利をいれない真剣な調子で打ち合わせていたことを思い出す。やはり、洞木さんのためかな、と思っていたのがなんのことはなくバンド全体のことを考え計算していたわけだ。集団作業の違いだな、と。この発見は、恥ずかしいけど、なんだか、とても嬉しい。
その中枢にある、洞木さんの背筋。このバンドの軸。凜、とした後ろ姿は、今は惣流さんにも綾波さんにも負けていない、と思う。
 
 
花の色は命を歓び 希望の色に輝く
(はなのいろはいのちをよろこび きぼうのいろにかがやく)
 
萌える若葉に鳥が歌えば 子供は笑顔になるよ
(もえるわかばにとりがうたえば こどもはえがおになるよ)
 
 
どどん
 
ここでさらに会場に浮いている目にはみえない地球儀は重量を増す。そろそろここで明度を増すかと、重みを脱して軽くなり浮かびあがるかと思っていた観客たちは引きずり込まれるような感覚を覚える。歌い手の洞木ヒカリはまだ受け止める覚悟でいるらしい。惣流アスカの派手さはないが、その真摯な瞳の輝きは。
 
 
澄んだ水がキラキラ流れて 小さな魚が跳ねる
(すんだみずがきらきらながれて ちいさなさかながはねる)
 
冷たくおいしい水を汲んで 子供たちの手へそそごう
(つめたくおいしいみずをくんで こどもたちのてへそそごう)
 
 
サービスでも水分を取れ、といったあのエプロン販売員の言い分がようやく分かった葛城ミサト。ちろ、と隣の友人の様子をうかがうと・・・・うわ、見なかったことにしとこう。
あたりからゴク。ゴク。ゴク。ゴク。と夜の田んぼのような奇妙な唸りが聞こえるが、まあ分かる。あー、水分とっといてよかった。
 
 
あー、もうたまんない。ぶるぶる震えがきている霧島マナである。限界ギリギリである。
ステージと客席の中間地点に超巨大な水風船が浮遊膨張しているところが霧島マナには見えた。正確には碇シンジの視線を追っているうちに気付いた、というべきか。ヘッドバンキングやスタンディングで両手を振り回して興奮を表現している者はいない。しかし、皆、自分と同じようなぞくぞくする興奮と感動を覚えているのは間違いない。これも正確に表現しようとするなら、それらを高圧で圧縮し続けている、といった方が近い。吸い上げられているわけではない、確かに、碇シンジ君と、渚カヲルくんと、そして歌い手の洞木ヒカリさんの視線の先に、螺旋の玉のようにして、それがある。その形が球であり、色彩をいうなら水、ということになる。だがそれを終わりまでやられた日にはこちらがもたない。いいところで、最良のタイミングで解放してもらわないと。この震えは。
 
「なんだ?マナ?トイレか?」この震えをそのように表現したムサシは眠らせた。
「マナ・・・・」ケイタが震えているのもやはり、この感動を同じくするため信じてる。
 
 
 
あるがままの地球の姿を 子供たちの手へ・・・
(あるがままのちきゅうのすがたを こどもたちのてへ)
 
 
 
そこで歌が途切れる。祈るようにして。
 
歌が終わったわけではないのは、この会場すべての人間が知っている。
 
教えられなくても、このリズムでルールで、分かっていたのだ。
 
これは、間。
 
ここでこれまで注がれてきた感情の情感の圧縮が終わることを。
 
そして。
 
絶妙のタイミングでもって、それが解放されるであろうことを。
 
 
完全でもない完璧でもない、この場の人間の生理に合わせた、タイミングを合図するのは
 
 
観客の目はとうぜん、それを再開させる歌い手の洞木ヒカリに集まったが、ステージを手伝う照明音響その他の助っ人たちの視線は違う。ドキドキしながらトリガー役を注視する。
 
 
バンドマスター、鈴原トウジ?
それとも千里を見通しそうな渚カヲル?
 
 
いやさ、違った。ここは
 
 
碇シンジ
 
 
その合図は静かな電光。祭具のように天に突き上げた貝缶纏は、確かに水の地球儀を示した。動きに導かれ、すべての観客が、一瞬、歌の光波に隠されていたそれを見た。
ちなみに。その隙に、ささっと惣流アスカが洞木ヒカリの隣に位置替えしたのを見抜いた視界の広い人間はあまりいなかった。
 
 
そのコーラスはスコールのよう
 
 
、と後で評された。
 
 
朝日は世界を黄金に染め 夕日は紅に染める
(あさひはせかいをこがねにそめ ゆうひはくれないにそめる)
 
たなびく雲よ きらめく風よ 永遠に地球を廻れ
(たなびくくもよ きらめくかぜよ えいえんにちきゅうをまわれ)
 
緑の草原を風はゆく 草木は風に応える
(みどりのそうげんをかぜはゆく くさきはかぜにこたえる)
 
たなびく雲よ きらめく風よ 永遠に地球を廻れ
(たなびくくもよ きらめくかぜよ えいえんにちきゅうをまわれ)
 
 
両脇にコーラスの惣流アスカと碇シンジをそろえてのここまでの重みに耐えきった洞木ヒカリの「解放」は、尋常ならぬパワーをもって会場を吹き舞い歌い上げた。まさに風神雨神。しかし、事前に水分をあまり補給せずにカラカラに乾ききっていた者たちには魂吹き飛ばされかけても全身でもってその歌を浴び打たれた。交代していきなりこれであとのパートは大丈夫なのだろうか、心配になるほどそこには力の温存だのペース配分だのというせせこましさ、せこさがない。ただひたすらに、ためにためていたものを受け止める無心の快感、というものがある。聞く者は干天に雨を乞うたように、その歌うまなざしに恋した。
すぐにさめるものであると知ってはいても、それは幸せな、痺れであった。
 
 
 
あるがままの地球の姿を 子供たちの手へ・・・
(あるがままのちきゅうのすがたを こどもたちのてへ・・)
 
 
歌が終わっても、台風一過のような清々しさはあったが、しばらくは観客席は水分を吸収するのに忙しい畑の土のようで拍手がなかったが、洞木ヒカリが満足げな表情で一礼すると、館内の空気が、波と弾けた。自分たちが、割れるような拍手、というものをしているのだと気付くのに赤木リツコ博士のような冷静な人間でも、しばらくかかった。「・・・不覚だわ・・」自分よりちょっとだけ先に我にかえったらしい友人の目に対して。
 
 
「あー、いいからいいから。照れなくて。次、始まるわよ?」
「・・そうね」
 
今日はもう諦めるしかない。ここで席を立つことなど、もう実行不可能なのだから。
どのように高速計算しても、解答はひとつしかない。まあ、周りにはミサトしかいないわけであるし、これさえどうにかしてしまえばいいわけだ・・・。そのための余人にはうかがい知れない計画を金髪の天才科学者が練っているうちに、次の曲に入った。
 
 
いよいよ、というか、ようやくというか、この後でもアトモスフィア的に大丈夫どうか分からないがとにかく、地球防衛バンドオリジナル曲・相田ケンスケ作詞作曲「奇跡の戦士」である!!。
 
 

 
 
オレは女じゃないから、正確なところはよくわからないけど。
 
 
これで、生まれる。「誕生」のひととおりの手順がこれで完遂するのだ、と思うと。るーるーるーるーな夜明けのスキャットというか、ぶるるるるるるーシャトーな感じであり。なんとも武者震いがおさまらない相田ケンスケであった。
 
 
自分で作詞作曲した楽曲がはじめて観衆の前で演奏される、というのは、嬉しい反面、大いなる恐怖であった。この震えもじつのところ、九割が恐怖。未知なるものはいつも人には恐怖なものであり、自分の体内にあったものが外の世界の視線にさらされる、これは産湯につかるようなものかもしれないが、いや出産には男が味わったらとても保たぬショック死するほどの激痛があるともいうし、どうもまだ歌と自分にはへその緒がつながっていたりするのではないか、とかなんとか。いろいろ考えたりする。これではいかん、と思考を切り替えようとするのだが、ここまでの曲の構成、演奏順、観客の反応などを考えると、ここで自分のオリジナル曲、というのはなんか荷が重いのではないかなあ、と思ったりもする。エヴァパイロットが四人含まれ、それが惹きであったのをあえて意表をつく、文化祭バンドであることを示したお化け屋敷コスプレ付きの一曲目、「MONSTER FABLE」。地球亡霊バンド、などという特大障害があったが、それを熱気と知恵(とんち)で乗り越えた弐曲目「BLOOD、SWEAT&GUTS」、三曲目、「輝きは君の中に」。これらはある意味、惣流とシンジのコンビならではだと思う。
そして、委員長にメインボーカル交代した「地球のうた」も、観客を引き離すことなく切り替えに成功した。惣流がうまくノセていただけに、その熱量が変に暴発したりせんだろうかとけっこう心配だったのだが。切り替えに対する当然生まれるだろう不満を呑み込むだけの歌唱力が委員長にはあった。あの惣流がおとなしくメインを譲るだけのことはある。
 
 
ここまではいい。
ここまでは。
 
 
観客席の状態はかなりいい。熱に浮かされた興奮、というものではないが、雨あがりの肥沃というか、次の曲が芽吹くのを待ってくれている期待感のようなものをひしと感じる。比較するほど経験があるわけじゃないが、これを悪い、というようなオレ様な神経は持ち合わせていない。というか、あの歌のあとで悪くなるならもうだめであろう。いっそ、諦めもつくというものだ。
 
 
ここまではいい。
ここまでは。
 
いったんは潰されかけたのだから、それを思えばミラクルな持ち直し具合だといえる。
このバンドのメンバーの神経は皆そろってたいしたものだ。シンジや惣流はいうまでもなく、綾波や渚はこの程度のことものともせんのだろうし、トウジや委員長もテンションと集中力がいい感じで混じり合った顔で力感がある。綾波効果だろうか、マユミちゃんでさえも落ち着き払っているように見える。ぶるるぶるぶるぶる・・・・震えているのは自分だけか。リラックス、リラックス・・・・なにせ、演奏でヘタをうるわけにはいかない。
 
 
オリジナル曲が受け入れられるか
どうか
 
 
分かったものではないのだ。というか、これまでの流れを考慮するにかなりあぶない。
トップバッターならばまだ良かったかもしれない。何をもってくるのか観客は知らぬし、次の期待もないからだ。なにをもってこようと「ああ、そういうものか」と納得はしてもらえる。ある意味、予想どおり期待どおりの曲であっただろうから、気は楽だった、はず。
 
 
それが、その予想期待を覆してここまできた。裏切った、という言葉はつかいたくない。
覆した、のだ。覆水盆に返らず、ということわざもあるが。自分たちのやり方がまちがっていたとは思わない。その結果の今の観客席の様子、この空気、この雰囲気がある。
 
 
そこに自分の作った曲が馴染むか
どうか
 
 
これまでの曲は、青葉さんの編曲や調整があったとはいえ、すでに造り上げられていたものであり、その良さも選んだ者たちが誰よりもよく知り納得しているものだ。文化祭の客層では知らぬ曲の方が多いであろうし(しかも昔の曲だし)、別に目当ての曲を聞きにきているわけではない。それが初聞きの曲であろうとなかろうと、聞いて満足する出来のものであれば、かまわないだろう。別に古趣を気取ったわけではないのだが、その点ではもうメンバー全員覚悟があった。惣流や綾波、渚は正直、そのあたりどうか分からないが。
 
 
自分には、覚悟がないのだろう、か。
この震えは。
おもいきり場がしらけてしまうことに怯えているのか。
 
 
オリジナル曲「奇跡の戦士」
 
 
じつをいうと、第三新東京市名物・エヴァをテーマにした曲なのである。
まあ、エヴァのパイロットが参加している地球防衛バンド、それを売りにするというのなら、もういかにもたこにもでイヤーンな感じではある。その点の自覚は、ある。
ここで、当初の予想を覆したところで、お盆の水をひっくりかえしたところで、ソレ、というのはどういうものか。自分の作った曲。それをお披露目する場面、それを演奏すべき面子はここであり、このメンバーしか考えられない。そして、観客席もいい感じで受け入れる態勢になってくれている。ここで歌わない、という選択肢はもちろんない。
へその緒はいつか切らねばならないのだ。このたとえが適当なのかわからんけど。
 
 
ダメなものはダメでしょうがない
とは思うが。
この舞台でお披露目できたらそれで満足と
 
 
そうスッパリ思えないのは。
 
 
前の曲のイメージがやっぱりあるだろうなあ、ということと、当初の予想を覆してここで、ということ、そして何より。エヴァのパイロットがエヴァに関して歌うことは、どうにも観客の感情が引きつるというか強張るのではないか、と。手前みそじゃねーか、と。
まあ、実際に歌うのは委員長であるが、よく考えてみればこれもかなり難しい課題だ。
巧く歌いすぎても純正エヴァ賛歌、総員士気高揚せよ、みたいになってしまう。
それはそれで構成では正解なのだろうが、かといって、コミカルにもしたくない。
メインボーカルが歌う、というのはそれなりの意味がある、と受け取られるのだろうな。
迷う。
ここまできたら、自分一人の力でどうにもならないのだ。それは分かっている。
ここで一気に空気が冷えてぽしゃってしまったら・・・・・・
 
 
次は、綾波なのだ。
 
綾波の曲「ウルトラマン80」・・・・・意外というか、予想できるほどのデータももっていないわけで、なにをもってこようと驚くことも逆にないのだが、それでも意外だった。
最初は皆、聞き間違えたのかと思ったくらいだ。それが特撮のウルトラマンだとは。
なんかどこか遠い国の「ウ・ルト・ラマン・エ・イティー」とかいう曲かと思ったのだ。
べつに恥じることもなく、いつものように静かに淡々としてはいたが。それでも。
なにか、思い入れがあるのは間違いない。それは彼女には珍しい、明確な自己主張。
 
 
観客席が冷えていようと無人であろうと、綾波はもしかしたらいつもと同じ顔をしているかもしれない、というか、残念がったり心細がったり逆ギレして怒り出すところが想像もできないのだが。自分の選んだ曲が皆の前で演奏される時、なにを思うのか。無心、というのはありえない。最初、綾波の曲指名分はもしかしたら「私はいい」とか言い出してひとつ余裕が出来るかなどと考えていたが、そんなことはなかった。なにかあるのだ。
 
 
ウルトラマン80・・・・それもまた意表を突くわけだが、観客席にはそれが素直に受け入れられるような状態であってほしい。どんな状態でも平然とした表情を崩さぬ綾波だからこそ。主張することなく物静かであっても、高機能の冷却装置のように、皆に抑制をきかせることの出来る綾波の存在はこのバンドにとって重要なものだった。シンジと渚が組んで走りはじめると実のところ、惣流ではとても太刀打ちできない。音楽では少々人が変わるようなところがある渚を抑えてもらえたのはかなり助かった。
それは恩だろうと思う。
 
 
もちろん、その次はマユミちゃんの「痛み」であるから、ここで空気を悪くできない。
その曲もかなり”挑戦”ではあるからなあ・・・・・見切られることなく、つながねば。
 
 
 
「相田君」
 
 
ふと、声をかけられた。着替え終わって戻ってきた洞木ヒカリだった。ここからはもう特別な衣装、というものはない。
 
 
「あ、委員長。もうスタンバイか」
考えながらでも手順はもう体が覚えている。楽器の編成替えやら調整やらの間をボーカルの洞木ヒカリは衣装替えと息を整える時間にあてている。だが、かなり早い。
とはいえ、ここでよけいな話をする時間はない。というか、なんで自分に来たのか?
トウジや惣流なら分かるが。
 
 
「この曲が、わたしたちの真価だよ」
 
 
さらり、と言われてしまった。「え・・・?」その意味を問い返す前に委員長、いやさメインボーカル洞木ヒカリはステージ前面にいってしまう。思わず、その背を視線が追うと、横から割り込んでくる視線たちにぶつかる。・・・・なんのことはない、他の連中が自分を見ているのだった。トウジ、惣流、シンジ、渚、マユミちゃん、綾波まで。
いまさらタイムかけて円陣組んで気合いを入れ直す、ということはできない。
ただ、アイコンタクト、もしくはちょっとした仕草で、それぞれ洞木ヒカリと似たようなことを意思表示してくる。驚いたことに、綾波レイのそれまで今は、ハッキリと分かった。
 
 
ステージの上で演奏前に、言葉にもされずにこちらに届く意思。
 
 
それだけで、迷いや心配が晴れてしまうほど単純な性格ではない。ひねくれているのか。
けれど。
この曲が、このイベントの核に、共通の思い入れのある一曲として、自分たちの記憶に間違いなく残るということは、もう観念する。観念しよう。
 
 
”ここでなに弱気になっとんねん、そんなんで地球を防衛できると思うとんかボケー!!
ダメ押しにトウジの口パク。こっちの感じる別種のプレッシャーが分かっているのだろう。
 
 
”自分で歌えっていわれたら、ちょっと恥ずかしいかもだけど、洞木さんが歌うのならもう大歓迎っていうか、盛り上がるの間違いないよ!自分では歌いたくないけど、ね?”
そのくせ、かなり歌いそうにしているシンジ。くっ、・・・演奏前から踊るなよ!
 
 
”バンドにはやっぱオリジナル曲がないとね。なんかひと味足りないっていうか。ちょっとさびしいっていうか。まー、この面子でエヴァのことを出さないってのもねー。分かってはいても結局、作ったのはアンタだけなんだから・・・その点は評価するわ!あとはヒカリにまかせときゃいーのよ”
口元に強気な笑みの惣流。実際のお褒めの言葉はいただけなかったが、その笑みで十分だろう。
 
 
”王道はやはり、大事だしね。人の期待に応えることも、また”
渚の微笑み。そっちの気は100%ないのだが、この微笑みにやられる女子が多いのも納得である。後ろにバラの花束が見えるし、なんとなくフローラルな香りで気分も落ち着く。
王道か!トウジがツッコミをギリギリ耐えている。
 
 
”クラスの皆さんも、えば焼きで商売とかしてるし・・・そんなに、気にしなくても・・・危険なのは、わたしのも、そうですし・・・”
マユミちゃんの指摘はいつもハッとさせられる。さすがの賢明さだ。そうだ、よく考えたらクラスの連中のえば焼きに比べたら、こっちのはかなり可愛いもんだ!!・・・館内のあの販売攻勢・・かなり売り上げてそうだな・・・そうだ!こんな大事なことに気付かせてくれるなんて!やっぱりマユミちゃんは最高だよ!思い切りここで叫びたいところだった。
 
 
”零れた水は、またくめばいい・・・・・・こわがることは、なにもない”
 
 
そして、綾波レイが。その目には力があり、なんともいえぬ信用力が。もし財布に100万円入っていても、財布ごと貸してもなんの心配もないくらいの信用力が。今の綾波に「お金貸して」っていわれたら、いくらでも貸してしまうだろう。
実際、綾波レイはものごっつく頼りになった。別に惣流アスカに対抗したわけでもなかろうが・・・それはまた、次のパートで明らかになるであろう。
 
 
とにかく、震えが、止まった。
 
 
 
そんなこんなで、「では、五曲目。わたしたち地球防衛バンドのオリジナル曲、”奇跡の戦士”。聴いてください」洞木ヒカリのアナウンスから、イントロ、そして歌が始まった。
 
 
 
沈む夕日の中に 現れたイリュージョン
(しずむゆうひのなかに あらわれたいりゅーじょん)
 
戦うために つくられた街
(たたかうために つくられたまち)
 
ひとつになった命 染まっていくヴァイオレット
(ひとつになったいのち そまっていくう゛ぁいおれっと)
 
あたえる勇気 希望にかえて
(あたえるゆうき きぼうにかえて)
 
”リフトオフ”もうあとには
(”りふとおふ” もうあとには)
 
ひけない運命
(ひけないさだめ)
 
”プログナイフ”握りしめ
(”ぷろぐないふ にぎりしめ)
 
倒せ使徒を 守れ夢を 未来を
(たおせてきを まもれゆめを みらいを)
 
 
愛の力で進め
(あいのちからですすめ)
 
奇跡の戦士 その名は
(きせきのせんし そのなは)
 
エヴァン エヴァン エヴァンゲリオン
(えう゛ぁん えう゛ぁん えう゛ぁんげりおん)
 
 
 
遠い夜明けの空に 誓い合ったHEART AND SOUL
(とおいよあけのそらに ちかいあったはーと あんど そうる)
 
戦うための 強い決意を
(たたかうための つよいけついを)
 
ひとつになった心 あふれだすエネルギー
(ひとつになったこころ あふれだすえねるぎー)
 
みなぎる力 平和のために
(みなぎるちから へいわのために)
 
初号機発進 ネルフの指令
(しょごうきはっしん ねるふのしれい)
 
”パレットガン”握りしめ
(”ぱれっとがん”にぎりしめ)
 
倒せ使徒を 破れATフィールド その手で
(たおせてきを やぶれえーてぃーふぇーるど そのてで)
 
愛の力で進め
(あいのちからですすめ)
 
奇跡の戦士 その名は
(きせきのせんし そのなは)
 
エヴァン エヴァン エヴァンゲリオン
(えう゛ぁん えう゛ぁん えう゛ぁんげりおん)
 
 
 
作詞作曲相田ケンスケ・編曲は匿名希望・ブルーリーフ某であり、こんな歌である。
 
案ずるより産むが易し、のことわざどおりに、観客席はオオウケであった。なんのかんのいってもやはり王道は強かった。理解がしやすければ受け入れやすくもある。「・・・・うおー!きたきたきたー!!!!」てなもんである。使徒殲滅業界的にはNGワード連発であったろうが、どこからも”ピー”とも”バキュン!”とも音がかぶされることもなく洞木ヒカリは最後までノリノリで歌いきった。もちろん、洞木ヒカリはボーカルとしてこういうノリノリもいけるのである。
 
観客席のネルフ関係者が「・・・・もしかして、今のヤバいんじゃないの?」と気付いて仰天したのは歌い終わってあとなのだからもうどうしようもない。
 
「かーーーーっっこいいじゃなーーいの」と葛城ミサトのようにもはや笑うしかない。
「奇跡の戦士・・・・・言い得て、妙ね」と赤木リツコ博士のように許してしまうか。
「いや、音楽は・・・・・音楽ですから」会場のどこかにこの歌がはじまるなり潜伏したロン毛某が大きな汗玉をこさえながら「使徒の、ところを、てき、と歌ったり、とまあ、歩み寄りはしてあるわけですし・・・ね」誰かにむかって言い訳していた。
 
 
 
ちなみに、こんな歌を歌われて、エヴァのパイロットたちはどうであったかというと。
反応はさまざまであったが、口をそろえて言ったことが
 
 
「短い」
 
 
であり、
 
 
「最低でも四番まで欲しい。出来るなら十番でも」
 
 
などと無茶なことを平然とほざくあたり、まんざらでもなかったようだ。
「でも。愛はいいけど、愛は」「いや、愛は必要だよ。ねえ、シンジ君」「そうだねー愛かー愛ねえ・・綾波さんはどう?」「・・・みんなとの、絆があるから」そのあたりで意見が分かれたりもするのだが。
 
 

 
 
綾波レイは目立つことが好きではない。
 
 
これは衆目の一致するところであり、今やっているこの文化祭のバンド活動にも碇シンジが半分ハメるようにして誘わなければ、ここにこうしていることは、まず、なかっただろう。ネルフ本部でひとりしずかに留守でも預かっていたにちがいない。
 
人には役割、というものがあり、というのはだいたい小学生でも分かる。ただ、人の役割を見て配分のバランスを考えながら上から指示されずとも自分で動くことのできる、となるとこれは中学生では少し難しいかもしれない。全体をみる俯瞰の視線を、齢のいつごろ持つのか、早ければ幸せになれるかどうか、それはさておき。それを使用した動的でない、静的なコミュニケーション能力を駆使して、綾波レイはこのバンドをある意味、裏から支え仕切ってきた。うまいこと中に混じれるかどうか、どころではない。実際のところ、綾波レイがいなければ、晴れのこの日を迎えられたかどうか、バンマスの鈴原トウジやそれに近い意見の相田ケンスケには自信がない。意識的にか無意識か、趣味モードというかお祭りモードにはいっている渚カヲルや惣流アスカは、まとめるのにかなり厄介なメンバーであった。普通の学生ならばこの二人を対抗、制御しようなどど思いも寄らずにいいなり状態になってしまうところであろう。その点、鈴原トウジはよくやっていたといえる。
それもまた、綾波レイという正義の印籠があってのこととはいえ。そういう点、碇シンジはあまり役に立たなかった。対外的なことでなければ、その気がないのかもしれないが。ドカベンにたとえると、碇シンジが殿馬のポジションで、綾波レイが山田太郎、ということになる。惣流アスカと渚カヲルがふたりそろって男・岩鬼、というところか。
 
 
この手の苦労をともに背負ってくれるとは思っていなかったから、鈴原トウジや洞木ヒカリ、相田ケンスケ、山岸マユミは、友情・努力・勝利、じゃない、感動、見直し、再評価という新しい視点で綾波レイをみることができた。
 
 
それでも。
 
 
たかだか、その程度の時間でひとりの人間を読み切れるはずもない。
しかも相手は綾波レイである。不良がたまたま教室の掃除をしていたからいいひとであるとは限らぬように。身近な人間の悪い評価はなるたけ早急に変更してやりたいのが人情である。そして。今までの敬意や高評価はなるべく変えたくないなあ、というのも人情。
 
 
綾波レイは目立つことが好きでない。
 
 
これはべつだん、事実の認定ではない。周りの者が普段の彼女の行動から思索して、「おそらく、こうであろうなあ」と思っているにすぎない。物理的にそんなもんを意匠化したシールでも製造して綾波レイの背中にでもべったり貼り付ければ話は別だが。
比較級の問題ではなく、ごく曖昧な個人基準をもって「ひかえめ」だなあ、と思って見ているわけである。
 
 
好きではないことは、わざわざやることもない。
それをしなければ誰かこまる、というわけでもないのならば。
嫌いなニンジンやピーマンを食べなくともよい、という話ではもちろんない。
 
 
目立つのが好きな人間がいて、めちゃくちゃ目立つ場所があるなら
そこを彼女なり彼なりに任してしまうのが、ふつうであろう。
 
 
まあ・・・・
 
 
綾波レイは、変わってはいた。空色の髪、赤い瞳、白すぎる肌、そんな外見以上に。
風変わりではあった。それは、この文化祭だけの特異特別であったのかどうか。
 
 
まさか
 
 
まさか、あの綾波レイが
 
 
どうしてもボーカルとして観客の目を集めて目立っている惣流アスカや洞木ヒカリに対抗心をメラメラと燃え上がらせた・・・などということは、「ない」であろうが・・・・
 
 
しかし、事実。ボーカル役を乗っ取るわけでもなく、後方の楽器群の”ひかえめにおしとかやかな”位置のままに、綾波レイはこの観客席のお客のハートをがっちり!と掴んだ。
 
 
弐階席三階席や巨大モニターがあるわけではないしょせん体育館では観客席からの視界は限られており、ステージの前の方しか見えぬ者も、皆が皆、視力がいいわけでもなく、後方に位置した、客席の注目、記憶に残るような強い印象を与えるには非常に不利なポジショニングにもかかわらず。もしや綾波レイは人気投票やってもおそらくボーカル役のふたりに負けぬ、ヘタすれば勝つかも知れぬポイントを叩き出したであろう。
 
 
これは、単純な事実。
 
 
なぜ、綾波レイが、それを成し得たのか。動機から方法まで。WとHはあってもSはなし。
 
これは、そんなおはなし。
 
 

 
 
「ヤッタ・・(くねくね)・・・ヤッタ・・・(くねくね)・・ヤッタ・・・(くねくね)・」
 
地球言語に不自由な、翻訳機械の壊れた火星人のような動きで働く相田ケンスケ。作詞作曲の「奇跡の戦士」が当初の心配がバカバカしくなるほどにストレートに受け入れられた安心と歓びが彼を宇宙から来たタコにしていた。仲間から見ても観客席から見てもちょっとブキミであったが、働く速度はどちらかといえばリハーサルより1,3倍くらいであり文句のつけようがない。
 
出来れば次の曲には早く入りたい。
 
えば焼きを完売どころかこの状況をさらなるチャンスとみてか、教室から追加を運ばせているエプロン販売員なクラスメートを見ながら鈴原トウジも苦笑するしかない。「よーやったのう!!」相田ケンスケの肩を叩いてやりたいところだが、それは後でいい。まだ終わっていない。最初からなんか心配事のトラブル危機続きであったが、ここまでうまくまわっている。
バンドメンバーはもちろん、(本番でどうかと思っとったが、いいんちょのあの本番強さは惣流にも全然負けとらんしな・・・あれはホンマ、女の強さかのー)裏方の人間も(今回、いちばん焦れて心臓タマらんかったのはあの連中やろなあ・・・ホンマ、ありがたいわ・・・)大きなトラブルもなく。ステージの上だけではなく、舞台の裏でも人間が動いている。それらは連動しており、どれかがコケても前に進まなくなる。
 
裏では次の曲に使う「あるモノ」が運び込まれている頃合いだった。
 
袖からチラチラ見ながらステージのスタンバイ具合を見る。(ちょっと席を外しておったのか、見えなくなっていた)青葉さんも音響の方に戻ってくれとるし、その点は安心やな・・・・・・こういう仕事をこなせるところ、鈴原トウジはけっしてバカではない。
 
惣流アスカもその点は内心、認めている。演奏や歌うこと自体に集中したい自分ではその任は務まるまいし、(そいえば、ヒカリの精神集中は凄い。自分の裡の深いZONEまで潜ろうとする横顔。”上がってくる”までヘタな声なんかかけられないし。歌のつくりかたや声の堀り方がまったく違う。その真剣さ。自分たちの曲はメンバーそれぞれの思い入れによって選ばれている。少なくとも、それを表に現したりしたい、とヒカリは言った。それぞれ選んでなにか言いたいことがあるのだろう、と。言葉にならないなにかで。わたしもそれを知りたいし、と照れた横顔を忘れられない。・・・のだが、ヒカリにも鈴原的な位置はもう無理だ。それは確か。出来るのは、バンマスしかいない・・・・・わたしは)やるとしてももう完全を期して裏に入ってしまっているだろう。・・・・理由は、そこまでは他人を信用できないからだ。身内はともかく。
 
 
なにはともあれ、さあぼちぼち六曲め・・・
 
 
 
がっぢゃーーーん!!
 
 
 
突然の。金属がぶつかった激しい音でビクつく惣流アスカ。自分の周辺ではない。かなりでかい音でおそらく発生源は舞台裏から。思念に耽っていなければ即座に対応できていただろうが・・「攻撃、とかではない、ね。・・・たぶん、次の曲に使うアレを運び損ねたんだろうね」渚カヲルがステージの中心に慌てさせず焦らさず絶妙の速度で進み出て、他のメンバーの動揺を抑えるように。「確認は、せなならん。もし、怪我なんぞされとったら」鈴原トウジが袖に駆け込んだ。「・・・うん!」深い精神集中にあったはずの洞木ヒカリもすぐにその後を追った。「え?あ、ヒ、ヒカリ!?」ボーカルがここで袖にひっこんでしまうとは惣流アスカは音もびびったが、これにも驚いた。「もう次が始まるぞ!」
ここで夢見るタコではいられない瞬間で地球人類に戻った相田ケンスケが自分も行くかそれとも待つか、歯がゆいように踵をにじった。そして、山岸マユミの方をそっと見る。
・・・・青くなって、かたかた震えている。ただいきなりの音に驚いただけではない。
あの音の源が、何であるか、即座に分かったせいだろう。なにせ自分の曲に使うのだから。
どう考えても責任を感じるところではないが、暗い思いに囚われてしまう。そんな子だ。
 
 
 
ざわざわざわざわざわざわ・・・・・・・
 
 
 
黒い雲が湧くがごとくむくむくもくもくと。「今の音なに?」「なんかあったの?」「なかったらボーカルがひっこんだりしないだろ」「普通の音じゃないよね?楽器とかじゃない・・・なんだろ」「これで演出のつもりならちょっとクドすぎるなあ」「・・ちょっと・・女の子の悲鳴とか聞こえなかった?」「ケンカじゃないの?さっきの人たちの子分が乱入してきたとか」「マジか?ちょっと見てこようか」「やめなさいよ。すぐに再開するわよ」明らかな事件の予感に声があちらこちらで。それらは連結し会場を何重も駆けめぐり。
 
 
観客席のステージへの集中が、途切れた。
 
 
すぐさま再開を告げたり、事情を説明したりと会場観客へのケアが遅い、というのはタイミング的にみてあまりに酷であろう。これまでがあまりにトラブル続きで、観客も反応しやすくなっているのもある。のんきにスルーできないのだ。
 
 
「どうする?行く?」葛城ミサトが保護者から業界者の顔になりかけて問うが
「らしくもない・・・こういうときは、おや・・大人は黙って見守っているものよ」
冷静な赤木リツコ博士にたしなめられる。
「・・・・・・貧乏揺すりがすごいんですけど。十六連射みたいな名人級の。・・・アンタ、そんな癖あったかしら」
「きょ、局地的な地震よ」
「・・・・煙草が切れたから、とか言わないのは潔いけど」
天才赤木博士の貴重な姿である。それもじっくり見守らねばなるまい。ちょっち神経過敏だったかもしれない。あれだけ派手にやったのは久しぶりだし。葛城ミサトは座り直す。・・・でも、ホントに大丈夫かな?なんか空気が荒れ始めてるぞう・・・
 
 
また何か起きるのではないか、起きたのではないか、という想像は容易であるし、これまで実際そうであったのだから。
 
 
とはいえ。
 
ステージ上のバンドの面々もオロオロうろたえて手をこまねいていたわけではない。
というか、舞台裏ではけっこう厄介なことになっていたのである。
 
 
「どないしたんや?大丈夫か!」
袖に飛び込んだ鈴原トウジが見たものは、己が飛び込むのと同時にビクッと直立不動になる裏方たちであり、派手な音の割には血を流したりした怪我人は出ていなかったようだが、何人か腰が抜けたようにへたりこんでいるだけで・・・しかし、誰も答えず動こうとしない・・・凍りついたように固まってしまっている。・・・・まるで死刑執行人かターミネーターが来たみたいやなー、と一発ボケてこの異様な緊張に包まれているこの場をなんとかしたかったが、「うお・・・・」海から追放された魚のように呻くことしか
出来なかった。
「鈴原・・・・・・あ・・・」続いた洞木ヒカリも目の前の光景に声を失う。
 
 
「ごめんなさい!!すいません!ごめんなさい!!・・・・ひっ・・あう・・・ひあ・・・・・ああ!」
へたりこんでいる一人の女子生徒が、いきなり謝りだして泣き始めた。
「いや、スイマセンスンマセン!!鈴原センパイ!!洞木センパイ!!この子は悪くないんです!オレらが悪いんです、うまくよけられなかったから!」
「いや、オレのミスです!!摩擦剤塗るのに手間取って、時間焦ってカバーを完全にはめずに運んできちまったから!!そうでなかったら!」
柔道着と剣道着の体格のいい男たちもへたりこんだそのまま土下座して謝った。
 
 
次の曲にはなんの支障もない。
 
 
が、この次の「痛み」と「ガラスの森」、特に「ガラスの森」の演奏には致命的なダメージを与えられた。
 
 
次の「痛み」の演奏、正確には演出で使う「あるもの」はかなり重量のある、十人中十人が、これは「楽器」じゃないぞ、というような代物なのであるが、それを次に備えて運搬してきた二人が、どうもいろいろと慌ただしい舞台裏のことで次の次の、つまりラストの「ガラスの森」に備えて念入りに楽器の手入れをしようとしていた女子にぶつかってしまいそうになった・・・ところを、なんとか避けた・・・・が。その結果。
 
 
弾みで投げ出されて、それでも周りの人間にぶつからないように必死のトスで軌道を変更されたが、その運搬してきた楽器じゃない「あるもの」は、ラスト曲につかう楽器や音源を
 
 
つかいものにならなくしてしまった。それも、見ればわかるレベルで。一撃で。
 
その破壊力。
 
つくづく、人間に当たらなくてよかった・・・・・・と思うべきところなのだが
 
 
うわ、こらものごっつう・・・・・痛いわ・・・・・・鈴原トウジは顔に出ぬよう胸の底の底で、呟いた。ラスト用の楽器や音源は渚カヲルがどこからか集めてきた、高級品なのかどうかまでは分からないが、おそらくは一品もの、もしかすると自分で造ったのかもしれない特殊な音源もある、これはもう、本人でなければどうしようもない。
 
 
「渚君を呼んでくるから」「頼むわ」時間が惜しい。これがなければ、もう次の曲が始まっているはずだ。グダグダできないので、こういう以心伝心はホンマに助かる・・・・けど、いいんちょが来とったんか・・・・・・気づきもせず、影のように後ろで支えられとったからワイの腰はぬけんですんだんかもしれんな・・・・すごい女やな・・・。
 
「なにいうとんのや。そんなことせんでええ、そっちの彼女も泣かんといて」
だからヒステリーも起こさずにこんなことも言える。
 
「それよりお前ら、ホンマに怪我しとらんのやろな・・・運ばせといてなんやけど、アレ、ホンマに強力やからな・・・・・・って、手エ切っとるやないか剣道部!。すまん、柔道部、こいつを保健室で手当してやってくれ・・・・って、お前も耳がギョウザになってしもうとって大変やから、彼女、ついてって薬塗ってやってくれんか?」
 
「い、いや・・・でも・・・」
「渚センパイにも・・・・・」
剣道部の怪我は本当だが、それほどおおげさなものではない。皮をすりむいたくらいだ。
 
「ええから、ええから。あとは、ワイにまかしとけ。それがバンマスの仕事や」
 
が、渚がここに来るより前に、ひとまず場を移させたほうがいいだろう・・・・詫びをいれさせている場合ではない。というか、渚の反応が読めない。いつも笑顔の人間がそれを止める時、止めざるを得ないとき、それがどんなものか・・・想像するだけで脳が痛い。
誰もやりとうて失敗するわけやない。どちらかというと、頑張りすぎただけや。
 
 
しかし・・・・・・・・
 
 
うわー、これで次の曲、演奏もせなあかんのか・・・ぱちぱちぱっちん、ぱちぱちぱっちん、ぱちぱちぱんちで時間よ止まれ!!・・・・・・て、止まるわけないわな・・・
 
 
「どうした?何があった?」そこに頼れる騎士のごとく白馬のようにロン毛を靡かせて青葉シゲルが駆けつけてきてくれた。この手の場数を踏んでいるせいか、見れば分かる状況をいちいち問い正したりせず、「まずは破損のチェックだな。代用がどこまで効くか・・・・さあ、君たちもポジションに戻って!お客さんが待ってるぞ」的確な一声をくれた。
それで周囲で固まっていた者たちもようやく動き出す。開始の配置に戻ろうとしたところで
 
 
「鈴原君」
「鈴原!」
「トウジ!」
「どうしたの、一体」
 
 
逆に、ステージ表から渚カヲル、惣流アスカ、相田ケンスケ、碇シンジ、そして洞木ヒカリがこっちに駆け込んできたから仰天した「うわ。お前らなにしとんねん!渚だけでええんじゃ!!」ステージに残ったのは綾波と山岸、という沈黙地味コンビやないか。
ざわつき荒れ始めた観客席の前におとなしいあの二人だけではいいさらしものだ。
まあ、山岸はこの現場を見ん方がええかもしれんが・・・。もうしばらく時間が欲しい。とにかく間をもたせる必要がある。裏方では青葉さんに頼っても、表のお客さん対応はあくまでこっちのやるべきこと。それが出来るのは・・・・
 
 
「・・・ケンスケ、シンジ。一緒に来てくれや。渚、だいたい見て状況分かると思うが、悪気のあったことやない。どうか堪忍したってくれ」
 
 
ここはもう、小手先でいかずに正直にいくしかない。ヘタな誤魔化しはかえって雰囲気を悪くする。バカ正直に説明すればしたで、おそらく、呆れて席を立つお客もでてくるだろう。それでも。もしかしたら、今ここで渚がキレてしもうてバンドが爆砕分解してしまうかもしれんが・・・・・・実際、この男、笑みが、消えてしもうとるし・・・・・
 
 
その赤い瞳の輝き・・・・・確実に、普段と違う。愁いを帯びた、なんぞちうのんきなもんやない・・・これは・・・・まるで・・・血の涙でも杯満たしているような
 
 
返答が来るまで、実際時間では十秒もなかっただろうが、体感時間ではえらく長く感じた鈴原トウジである。
 
 
「終わるまではショウは続いている・・・・・・そういうものだよ、鈴原君」
 
 
そんなことを告げた後、すでに微笑みが戻っていた。マジックミラーの部屋に囲われていたかのように現実感がなかった。「そうそう」碇シンジが続けた。なんとはなしに、その声がなければいつまでもそのままであったような気もする。ともあれ、渚カヲルはむちゃくちゃ怒っているし、まだ許すとも言っていない。あの歌好きな男が、自分の歌でこういうことが起こったのだ。すぐに許せ、というのは無理があろうか。人は憎まずとも罪は憎むか。しかし、ここでケロッと渚が許したら、かえってワイはこいつを遠くに感じたかもしれんな、とも思う。そして。
 
 
「綾波さんが時間、作ってくれるって」と、碇シンジは言った。
 
 
「は?」なんのことか一瞬、わからず問い返す鈴原トウジに
 
 
「あんたバカ?なんだか知らないけど、ファーストが言い出してあたしら追い出されたのよ」
バカ呼ばわりでも怒りよりは疑問の方が強いらしい惣流アスカの声。
 
「だから、その間にラストの段取りを整えなさいって・・・・・綾波さんが」
洞木ヒカリも首をかしげながら。
 
「オレも驚いたけどな・・・いや、そんなヒマないか。渚、やられた音源ってあのジャングルの鳥とか葉擦れのやつか。青葉さん、チェック手伝います」
相田ケンスケが言いながら渚カヲルとともに作業にとりかかる。
 
 
「あーあ、カヲル君のアコーディオンが真っ二つ。僕のリコーダーも、だめだな、これは」
「でも、リコーダーくらいならなんとか段取りつくかもしれない」
「だねえ。綾波さんが時間稼いでくれるわけだし、ちょっとひとっ走り探して・・・」
「ダメ!!ぜったいダメ!!シンジ、アンタはここから出ちゃダメだかんね!!ここでまた戻ってこれなかったりしたらシャレになんないっつーの!!」
「そうねえ・・・すごろくのふりだしにもどる、みたいな・・・」
 
 
「は?」
舞台裏にひっこんですっかりラスト曲の段取り手配にとりかかっているメンバーどもを信じられない目でみる鈴原トウジ。こいつら、次の曲はどうするんじゃい。なんでここで綾波?と、山岸か・・・あの二人になんでこの難局を任しておけるのか。ここはバンマスたる男たる自分が行って矢面に立たねばならぬ場面ではないのか。綾波と山岸で間をもたせるというても・・・・・いかにもそういった方面の才能のなさそうな・・・二人である・・・・・・まさか、まさか・・・
 
ここでクラシックの練習曲をピアノでやりまーす、とかいうバンドを基礎土台から崩壊させてくれるようなことをしてくださるつもりではあるまいか。勇気だけではしてはいかんこともあるんや!そんなことされたら、お客さん皆帰ってしまうで!!。やめてえ!やめてえな!おねがいよ!!かなり高確率で的中しそうな恐怖の予想に声にならぬ悲鳴をあげる鈴原トウジ。顔はもちろんムンクの叫び調。
 
 
「なんで怪奇マンガみたいな顔になってんの?時間稼ぐっつって、正確には気をそらす、みたいなもんで、そんなに稼げるわけじゃない。再スタンバイ、やることやんなさいよ。・・・・それにしても、ファーストめ・・・・・まさか、狙ってたわけじゃ、ないわよね・・・まさかね」
「いや、なんでお前ら、そんなあっさり任してきとんねん。一体、綾波が何を言うたんかしらんが・・・ちょっと荷が重すぎちゃう・・・うお!!聞こえてくるのは案の定でピアノ練習曲か?こりゃアカん・・」
 
 
おろろーーーん
 
 
言いかけたところで観客席からいきなりビッグウェーブの感極まり声が。歓声ではない、水分含有率の高い、泣きがはいった声である。しかも声が若くない。泣き方も時代がかっている。祖父母がいない家では、おそらく”おろろん”が泣き声であることなど分かるまい。生徒ではなく保護者の年齢層。聞こえてくるのは別に超絶技巧でもなさそうな、何をそんなにしかもいきなり冒頭から感動してくれとんのかさっぱりわからん。謎であった。
 
 

 
 
過去を思い出すのは曲のせい。
 
なら、ここでそれらの曲を弾くことにしたのは
 
誰のため?
 
弾いているから思い出したのならそれはメビウス
 
 
 
よほど意外だったのだろうか、演奏希望にその曲を挙げた時、皆の顔はそろってM87星雲から来たという彼らに似ていた。およそ三分間ほどその顔でいて、時が過ぎると元の顔を思い出すのに苦労した感じで戻っていたのが印象に残っている。
 
 
どこでそれを知ったのか、という皆の問いには答えなかった。
 
 
方法としては拙劣であったのは分かっているが、そのようにした。
秘匿するのであれば、隠蔽するのであれば、適当な返答を用意するだけでいい。
沈黙はより強い興味を生む。記憶にない、という曖昧模糊としたものでもいい。
問いには裏打ちがあり。それをなぜ好むのか、ということを知りたいのだろうから。
同じ問いをほかの者にしたところで、明快な返答がもどってくるとは限らない。
そのような反証で興味を散逸させてしまうことは可能であるし容易かった。
言葉にして外気にさらせば劣化してしまう、というようなことではない。
その答えがあまりにも簡潔すぎるゆえに。理由があまりにも明快すぎるゆえ。
そして。問うた者の中に、彼がいたゆえに。自分は、らしくもない中庸、いや中途半端な方法をとってしまった。知って欲しくなかったのか、そうでないのか。
 
 
ユイおかあさんとのこと。
 
 
あの日もらったあきらかに男の子むけのおもちゃ
 
 
”うちの子は怪獣軍団をもっているから、そのうち襲いかかってくるかもしれない。その時はえんりょなく倒しちゃって”
 
 
そういった笑顔の裏で考えていたこと。人のうちにあるものは常に夜であり闇であるはずだった。夜を見ようと、闇をみようとした小さな自分の赤い瞳に映った、そのときのまぶしさと轟きを忘れない。
 
 
”あー、ウルトラマンに会ってみたいっ!”
 
 
まごうことなき、そのとき、あのひとはそんなことを考えていた。夜闇など果ての片隅においやってしまう巨大な星のような想念で。こっちがひっぱられそうな重力でグラグラきた。人間がそんなことを考えるのだと、そんなことも確かにあるのだと、はじめて知った。
 
 
望みとも夢とも分類のしがたい。ごく自然に自分の能力が通じない、初の相手。深い深い洞窟の最奥でいきなり松明に照らされた壁画を見せられたような原始的インパクト。思考言語による何百枚何千枚かの契約書の解析と確認のはてに結ばれた碇司令とのビジネス契約とはまるで違う。どちらも自分から己の心底を明らかにしてくれたのだが、その方法がまさしく天と地ほどに違う。碇司令の場合は互いの理解の交易分岐点まで行き着くところまで行き着いた感じがあるが、ユイおかあさんの場合はもう、はじめから仰ぎみて理解を停止して、ひたすら、感じようとしていたような。能力を閉じて、自分の目と、心で。
それは、ずいぶんと心地よいことだったから。
 
 
・・・・・・それから、一般に流布されているよーな認識は通じない。あの時分は碇司令とともに虚言と駆け引きの闇を祓う白杖となり世界の裏舞台を荒らし回っていた。むろん、労働という認識もなかったが、それにしても・・・そんな折りの自分を見つけて、データを頭越しにして、
 
 
”あっと、ヒマそうな子がいるぞ”
 
 
はないだろうと思う。ただ待機中だっただけで。だけれど、今は、その表現があながちまちがっていなかったのではないかと。あのときは、忙しいという認識もなかったのだ。余裕という言葉もしらず。
ヒマな子よばわりなど、後にも先にも。どうせなら、活人的な忙しさ、とかいっていた人。
 
 
”そーれ、とことことことことことんっ!!のこったのこった!・・・かったー!寄り切りー!・・・あはは、レッドキングの安定性にはさすがのセブンもかたなしねえ・・・・これで十戦全勝。ハンデつけてこのへんでバルタン星人に交代してあげようか?レイちゃん・・・・え?いいの?うん!!さすがよ、レイちゃん!その頑固さ不屈の闘志、好きだなあ・・・でも、将来パチンコとかやっちゃダメよ?たぶん大損するから”
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・でも、手加減なかった。ほんとに。
未だにバルタン星人の仏壇返しやツインテールの猫だましはどうやるのか分からないままだ。
 
 
その時に口ずさみ、鼻歌をきき、いつの間にか覚えて、時にはともに歌うようになった
 
 
歌そのものより、記憶を、愛している。
言葉には、しないけれど、愛している。
いつ、どこで、聞いたのか。
それは、だれと、歌ったのか。
 
 
それも、また重要な、大事なことである、と思っている。
 
 
我が母の教えたまいし超歌(うるとらのうた)
 
 
自分にとって、それらの曲はひとつの兄弟のようにして分かちがたく、在る。
 
 
それゆえの
 
 
ピアノ曲「ウルトラマンメドレー」であった。
 
 
初代からタロウまで、山岸マユミとともに弾いて弾いて弾きまくったところで、はっと気付いた。なぜ碇司令たちがあの謎バンドを結成してここまできたのか、”その理由”に。
 
感覚を拡大して中学校周辺から第三新東京市外縁にまで。その途中でヒットする最近場の隠蔽出撃ゲートに待機中の初号機の存在。機体の様子がいつもと違うことに気付く。
 
 
そういうことだったのか・・・・・・
 
 
「きゃ!綾波さん!!」
感覚をほかに拡大使用するのはともかく、ひとりで納得するような心境は思い切り演奏にスキをつくる。なんとか隣の山岸マユミがフォローしたが。いきなりぼけっとしてピアノから手を離すから慌てた。
 
「あ」
すぐに気付いて再開してくれたからいいものの・・・
 
 
おろろーーーん
おろろーーーん
およよーーーん
 
 
観客席のこの異様なテンション。怖いくらいでヘンに手を抜こうものならここまで乗り込んできそうな・・・・・なんで?こんなに・・・と山岸マユミは不思議なのだが冷静に考察する余裕はない。突然のトラブルにメンバーの大半が舞台裏にいってしまって対応に追われているようなのに、自分たちだけここに残って間をもたせるなんて・・・どう考えても碇くんあたりの役目だと思ったのに、綾波さんは「ここは、わたしたちで」となぜか立候補で。しかも単独じゃなくてわたしも入ったタッグだし!完全に場違い人選ミスでは・・・とはいえ、トラブルが「あれ」の運搬ミスなら、自分がいくと逆に何をしていいか分からずに足手まといになるかもしれない。けど、こっちの方でもあまり役にたてるとは思えなかったし、おしゃべりが得意そうにはどうにも見えない綾波さんがどう間をつなぐのか・・・無理・・・だと、しか・・・これはもう・・・・とんでもないピンチの場に取り残された、としか思えなかった。のに。事実は、目の前の現実はこれだ。かなりフィーバーはいっている。なんで?
しかしなにはともあれ、まだメンバーが戻ってきてない以上、このまま付き合ってやっていくしかない。反応だけなら、ちょっと素直に納得しにくいけどなんかさっき以上だし。
 
 
”80は、歌でいくから”
”それまではピアノで時間を稼ぐんですね?わかり、ました!”
 
もうやるしかない。赤い瞳とのアイコンタクト。この時はごく当然のことだと思った。
もともと1番と2番の合間に長めにピアノ連弾の見せ場が作られてはいた。裏を明かすと、それを先に使って時間をコントロールしているわけなのだが。それでもここまで弾くことは想定にない。譜もないしすぐに尽きた。あとは綾波さんだけで・・・と目で訴えても、断られる。つきあって、と。弾かせて引くことを許してくれない。彼女にはめずらしい、強引さ。首をふってイヤイヤなど、らしからぬ、幼い子供のような、頑固さ。
吐息は金色銀色桃色に甘く。ちょっと暑くなって眼鏡も途中で外してしまい彼女を見る。
自分が見るとき、彼女も見る。奇妙なほどにタイムラグというものがない。練習では(まあ、その時間も事情の故けっして長くはないが)まるで考えられない。これが、本番の魔力というものか。
 
なぜかその瞳を見るだけで、知らぬはずの曲譜が脳裏に明瞭に浮かぶのも疑念に思わなかった。トラブルを処理対応して再スタートの用意が整えば、袖からサインがくるだろう。
それを見ながら、このテンションを引き継ぐかたちで、最良の再スタートを切る!
明確すぎる条件だが、ハードルはかなり高い。盛り上げているだけにここでコケた日にはほんとに「痛い」ではすまない。それを越えるために、だんだんと弾きを強めていく。
 
 
 
「レイが、”使った”のかしら・・・・」
今までバンドでやっていたのに、いきなりなんの前触れもなくピアノ単体でやってこの反響というのは、おかしい。はっきりいって異常であった。綾波の異能でも使ったのかと勘ぐりたくなるが・・・・・・どうも、大騒ぎしてるのは、観客席の中の年齢の高い、保護者層(とかいていいオッサンと読んだりせぬよう)であった。それらが号泣感涙しているから、まわりの者も多少ヒキつつもステージに注目している、という構図だ。
まあ、ここで観客たちが席をぞろぞろ立つ・・・ようなことにならなくてよかった。
ステージが続いている以上、あの異音も「演出だろか?」ということになったようだ。
それはほんとに良かったのだが、レイのあの行動といい、この状況といい謎すぎる。
 
 
「まあ、昔の特撮番組であるけど・・・これまでの歌も最近のものばかりじゃなかったわけだし・・・なんでここでこんなに燃え上がってるのかしら」
眉をひそめて思考する赤木リツコ博士であるが、科学ではわかりそうもない領域であった。
 
 
「ふふふ・・・・・・分からない?リツコ先生」
なにやら片眼をギラつかせて勝ち誇る葛城ミサト。ここで先生づけなのがイヤミだ。
 
「う・・・・わ、分からないわ・・・・ミサト、あなたは分かるっていうの?」
情報収集の条件は同一であるから、これは分析力の勝負になり、敗北など認めたくないが。
 
「わからいですか?めがですか?」
さらに訳の分からんことをいうのはブラフだ、ハッタリだ。この女にも分かっていない!
はず。だが、いいオッサンたちの考えを、いつもなにかと目の上の年寄りにギュウといわされているミサトなら理解するところもあるかもしれない。ここは意地をはっても・・
 
 
「分からないわ。・・・・教えて」
曲のテンションもあがってきたのは、そろそろメンバーが戻ってきての再スタートにかかる助走だろう。早めに聞いておく必要がある。
 
「いいわよ。ああ、もちろん友人のよしみで、ミサト先生、なんて呼称してくれなくていいから」
 
「ミサト助教授、教えてください」
 
「素直な気持ちで聞くことも世の中大事よ?まあ、いいか。これ以上引くのもアレだし」
 
「その発表次第で教授昇格が決まるかも・・・・で?」
 
 
 
「キーワードは”ノスタルジー”よ」
 
 
 
その答えは予想の内の内でデッドボールになるほど陳腐なものだった。
 
 
「懲戒解雇決定」
 
 
「話は最後まで聞きなさいよ。べつに結論がそれってんじゃないんだから。つまり、曲が大昔の、つまり、観客席の保護者層、いってみれば子供同士の校内のつきあいは関係ないから興味が失せたり何か手落ちがあればあっさり席をたってしまう客層ね、・・・」
 
 
「・・・そんなのは保護者じゃないわ」
 
「アンタが言うなよ」
 
 
「・・・・・ま、まあね。で、続けて続けて。それからそれから?」
 
「再開時間がきっちり読めない間をもたせるっていうのは、この場合は、その層を引き留めることでもある。それにつられて離れてしまう層もあるだろうしねえ。クラス演劇と違ってあの子たちの正味の保護者は、あたしたちと・・・まあ、入り口付近の誰かさんたちは・・・まあ、とにかく数が違う。遊離層が厚いわけよ。ここまでは分かるわね?実際レイがどこまで考えたのかは分からないけど、やっていることはその層の狙い撃ち。あざといくらいにね」
 
 
「・・・・そうなの?」
 
「確かに、保護者層は昔の懐かしの曲に興味を覚えてくれるでしょう。でも、それだけではダメ。あれだけバンド曲でごーごーやっていただけに、アレに比肩するくらいの魅力を出さないと」
 
 
「まあ、それはね」
 
「そこで・・・ノスタルジー×(かける)ことの”ノスタルジー”なのよ!!。懐かしい曲を、舞台にふたりのこった少女たちがピアノ曲で弾く!というシュチュエーションが!!なんともいえず!!、すきだよといえずに初恋は〜ふりこ細工の心なわけよ!!アンタにも分かりやすいように公式にしてみるとね!!」
 
 
ノスタルジー×ノスタルジー=ロマンチック∞(ムゲンダイ)
 
 
「こうなるわけよ!!こうなるわけよ!!だからこそ、あのいい年したおっさんたちが感泣したりしているわけですよ。赤木リツコ博士!だからもう、あんたもハズカシイことなんて全然ないのよ!?ウルトラウーマン・オーヴァー30でもさっ!!」
 
 
そんなバカな話があってたまるか。なにが公式だ、と思い切り否定してやりたかったが・・・・・じゃあ、この状況をどう説明するんだ、と言われたら返す言葉がない。
こういうものを、「言ったもん勝ち」という。ただ、コロンブスの卵、ではない。
ただ、かけ算うんぬんは納得できなくもない。それぞれ単独の出し物としては、ここまで人を惹きつけるものではない。それを絶妙に組み合わせたからこそ・・・・理解できる。
しかし、それをほんとにレイが狙ってやったのか・・・・・・だとしたら
 
 
「レイ・・・・・おそろしい子」
と顔に青い縦線をいれて恐れ入らなければならなかった。けど、それはたまたまではなかろうか・・・巧まざる奇貨というか。もしくは、誰かの采配か・・・それができるのは。
 
 
「あの・・・リツコさん、くいこんでる!くいこんでる!!ちょ、そのクローまじでやばいって!!頭が割れるって、疑問を解決してくれたお脳が噴き出すって!!べつに30だっていいじゃないの!!ぐわぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢ!!」
 
 
「あら、そう?その優秀な頭脳に敬意を表して撫でてあげたつもりなんだけど・・・あ、渚君たちが戻ってきた。再開するわよ」
ぽい、と気軽に友人の頭蓋を放り戻すと、赤木リツコ博士の視線はステージ上に。もう隣など一瞥もない。
 
「ひ、ひどい・・・ひどいわよう、なんなのこの金髪・・・」
食べ終わった蟹の殻よりもクールな扱いに、乙女のように涙ぐむ葛城ミサト。
 
 
”うひゃぁ〜〜〜〜〜・・・・・・・・・!!”
声には出さないが、その後ろの席では肉体的な痛さと精神的なイタさをプラスして、ものすごーーーく「痛い女」の姿を見守っていたり。「・・・わたしたちもあのくらいの年になると、ああなっちゃうのかな?」「・・・いやー・・・なんとも・・・言えないなあ・・・マリヤは大丈夫だろうけど」「カンナ、嫌いじゃないの?ああいうの」「仲はいいんだろうね、たぶん・・・・そこは憧れるよ。付き合いが続いてるのもね」「・・・うん」
そのやり取りもまあ、今現在のこの”昼間のパパはちょっと違う”的空気の中では一服の清涼剤である。
 
 
 
うーーーむ・・・・綾波さんがここで「来る」、とは・・・読めなかったなあ・・これは大穴かもしれない。エプロン販売員が唸っていた。えば焼きの追加を本部(つまり2A教室)に頼んだのはいいが、この状況ではえば焼き零号機がかなり「来る」かもしれない。お祭りフードであるから、それはある意味、人気のバロメーターでもある。ダントツのえば焼き四号機には及ばないだろうが・・・いやしかし、購買層が経済力のあるおっさんとさらにその上の「おじい層」を取り込んだとなると・・・それはもう一人勝ちの領域であるから話が違ってくる・・・・いや?べつに?クラス内で秘密にあの四人を賭け事の対象にしているとか?そういうのはないですよ?ないです。元締めが根府川先生とか、あるわけないじゃないっすかー?ってあたしは誰に弁解してるんだ。それはいいとして。
こうやってのんびり売り上げの心配をしていられるってのは、いい兆候だ。
・・・・ごまかしてないですよ?ほんとに。ここでポシャンだりしたら後夜祭での売り上げも影響してくるだろうし。舞台袖からトラブル復旧・続行サインが出てるのが見えた。
 
 
舞台裏でなにが起こってどうカタをつけることにしたのか、それまでは知らない。
けど、そのサインが出ているならば上等。あっちは歌って、こっちは売りまくる。
それもまた文化祭。おそらくは、これは一回こっきりだろう。・・・・・・楽しもう。
そして、楽しんで。
 
 
・・・って、いうまでもないか。紅潮ぎみの綾波さんの顔、お約束にメガネを外してくれちゃったりしている山岸さんの目をみれば、そんなことは。
 
 
「えば焼き零号機、追加お願い!綾波さんが、来たわよ!」
オーダー変更を連絡と同時に、ステージがテンションそのまま、再始動した。
 
 
 
結局、初代から80までウルトラ兄弟、つながるまで弾ききったことになる。
 
まあ、空気的にそうでなくては「なぜレオが?仲間はずれは教育的指導だ!!」「なんでここでAなし?生身を引き裂かれるように?まさかだろう!」「タロウが聞ければなんでもいい!!タロウ!タロウ!タロウー!!」・・・・許されないであろうなーというところはあったが。袖からサインが出てメンバーが走ってスタンバイになるまでの「兄弟ぞろえ」の超絶の早弾きたるや・・・綾波レイ、山岸マユミとも間違いなく主役であった。
場を、もたせきった。のみならず、最高の再スタート状況をつくりあげた。
 
””ピアノの間奏は、なしで””綾波レイと山岸マユミの同時アイコンタクトを他のメンバーは確かに受け取り理解した。
 
”こっちの段取りも整ったで。もう心配いらん”それだけの仕事はしてきた、とガッチリ返信もする。綾波レイは渚カヲルに確認の”・・・いけるの?”まなざしを送ったが、故意かまだ動揺が残っているのか、返信なく無視された。一抹の不安。しかし、それを隣の山岸マユミに悟られぬために、一回強く目を瞑り、接続を閉じた。さあ、80だ。
 
 
なぜ、ウルトラマンの中でも80なのか?・・・ここまで問う者もなかったから、それは永遠の秘密になるだろう。まあ、それはいい。洞木さんの声にのせて響くそれは、きっと届いて欲しいところに、届いて欲しい人に・・・・・・ちろ、と碇シンジの方を見てしまうが、もちろん、怪獣モチロン的に、彼ではない。
 
 
 
ウルトラマン80 ウルトラマン80
 
He came to us from a star
 
 
その伸びやかな声は、たぶん星にも届く。ある意味、星よりも遠い山のむこうに届く。
今日だけは、そんな、夢のようなことを思ってしまう。
 
 
・・・・今日は、綾波さんの”意外”をたくさん知ってしまった気がする・・・早弾きでヘトヘト気味な山岸マユミは、今日で終わるであろう”相棒”に、なんともいえぬ思慕を感じていた。・・・・この気持ちはもう、・・・相田くんと比べてどうなのか・・・いや、天秤にかけちゃダメなのか。そうだそうだ、・・・・・かなり自分も興奮してるなあ。
・・・そういえば、自分はあんなに曲知ってたっけ?さっきの曲・・・・まあ、いいか。
今日は、考えるのはやめる日にしよう。鈴原君風にいうと、ノーツッコミデーとか?。
あと二曲あるわけだし、全力だそう。皆が頑張ってくれている・・・そう思うとなんか力が湧いてくるのだから、今日は、不思議な日だ。
 
 
君は誰かを 愛しているか
(きみはだれかを あいしているか)
 
それは生きていることなんだ
(それはいきていることなんだ)
 
君は勇気を 持っているか
(きみはゆうきを もっているか)
 
どんなことにも負けない心を
(どんなことにもまけないこころを)
 
 
洞木ヒカリの力強い歌声を聞きながら、惣流アスカは思うのだ。この歌詞だけをとって、この歌を選んだのが、あのファーストチルドレン、綾波レイであることを連想できる人間がどれくらいいただろうか、と。なんとも単純でストレートというか、イメージと違うというか・・・・それでも、よく考えると、まんざらそうでもないかと・・・思ったりもするのだが・・・愛と勇気・・・・・・それは暖色系、という思いこみを捨ててしまえば。
勇気がない、ことはないだろう。なかったら使徒と戦えるはずもなく。ただ・・・
誰かを愛しているか、か。うーむ、どうなのさ?そのへんをキャラキャラ聞けるならいいんだけどねえ・・・・・うちの野郎どもにも出来そうにないしねえ・・・ここで男声コーラスに入る野郎どもを見る・・・あいつら、照れつつもなんか嬉しそうなのはなぜだろうか?
 
 
遠くの星から 来た男が
(とおくのほしから きたおとこが)
 
愛と勇気を 教えてくれる
(あいとゆうきを おしえてくれる)
 
 
地球を守りに来とるはずなのに・・・愛と勇気も教えてくれる、あたりが変わっとるなあ、と鈴原トウジ以下男性陣は思った。自分たちはそういう男になれるであろうかと。
そんな自信はあまりないが、ここでは堂々と声をだそう。この発声は洞木ヒカリにかなりしごかれたこともあるし。あれは厳しい愛だった。いやー、歌は奥が深いね、と渚カヲルも言っていた。愛だけ教えたそうな顔をしてる!勇気も教えて!、と内心を射抜かれたこともある相田ケンスケもここはあまりよけいなことを考えずに集中であった。勇気勇気。
筋がいいからこそ、ビシビシいくわよ・いかれた碇シンジもここは「大歩危小歩危なみの難所」とばかりに真剣な顔で。もちろん、男四人そろって女子にいじめられて楽しい、などという性癖はもっていない。将来、尻にしかれそうかどうかは別として。
 
 
ウルトラマン80 ウルトラマン80
 
He came to us from a star
 
 
そこで予定されていた間奏はもう十二分にやったので飛ばす。すぐに2番へ。
洞木ヒカリのそこの切り回しの格好良さである。墜落寸前地上すれすれのため息飛行からの再浮上を覚悟していたところに、このテンションである。気合いが入らぬわけがない。
 
 
何を泣いてる 涙をおふき
(なにをないてる なみだをおふき)
 
君は弱くはないはずだ
(きみはよわくはないはずだ)
 
誰もが同じだ つらいことを
(だれもがおなじだ つらいことを)
 
みんなもってる 心の中に
(みんなもってる こころのなかに)
 
遠くの星から来た男も
(とおくのほしからきたおとこも)
 
知っていたんだ 涙の味を
(しっていたんだ なみだのあじを)
 
 
・・・ウルトラマンのことはあまり詳しくないけれど、どうにも苦労人っぽい。そのあたりがどうも、綾波さんと同調したのではないだろうか・・・。綾波さんが苦労してるのはなんとなく分かるし、今回のバンドのこと、そして今も苦労をかけた。綾波さんが誰にこの歌を聴いて欲しかったのかは分からない。けれど、どこかにきっといる。その人まで届くよう、自分は歌い上げよう。その苦労に対して自分はそれでしか応えられないから。
 
 
それにしても。
 
アスカと碇君の保護者、葛城さんがここからでも分かるような感激ぶりなのだけど・・・
特に2番に入ってから。あれはどうしたことやら・・・やっぱり心配してたのかな?。
 
 
ウルトラマン80 ウルトラマン80
 
ウルトラマン80
 
He came to us from a star
 
 
 
「ぶらぼーーーーーーーー!!!」
 
歌が終わって、生徒たちの拍手より保護者のおっさんたちの歓声よりも早く葛城ミサトが叫んだ。冷静さが商売道具であるはずの作戦家にあるまじき挙動であるが。それを皮切りに湧いた拍手と歓声は、当初、不自然に途切れた「ショウの穴」を埋めるに十分であった。
穴埋め処理。葛城ミサトがまず叫ぶことでいい年こいてヒートしていたおっさん連中もそのまま覚めずに気分良く歓声をあげられる。もちろん、それを狙っていたのだろう。必要であれば悪魔にも道化にもなる。それが作戦家であるはずだ。
まさか、親友に冷たくあしらわれたところに2番の歌詞にホロッときた、きてしまった、などということはあるまい。いい大人が。これは玄人の煽りであるはずだ。
 
 
・・・たぶん。
 
 
「ミサトのやつ、恥ずかしいわねえ・・・・クラシックかオペラじゃないんだから・・・」
「え、でも嬉しいよ。あれだけ大きな声でいってもらえると」
「そ、そりゃそうかもしんないけどさ。でも、やっぱり恥ずかしい・・・うわー、なによアレ、うしろの女の子にハンカチもらってんじゃん!がっちり握手なんかしちゃって・・・あー、もうダメ!見たくない!」
 
ゆっくりと光量がおちていくステージから袖に逃げ出す惣流アスカ。次の曲からはまた演出が、というよりカラーがかなり変わってくる。それに合わせて意識を調整しなければならない洞木ヒカリはそんな可愛げな反応はとれないのだが、赤くなって逃げ出すその背中に小さな笑みくらいは浮かべる。そして、すぐに気持ちを切り替える。それは必要不可欠なこと。今の曲でトラブルが起きたからこそ、次の曲は完璧にやりとげないといけない。
 
進行時間は、それほど狂っていない。
 
鉄と同じように。次の曲は、出来るならはじめに熱い空気の中に始めたい。打つように。響き方が違ってくるだろう。抹香の臭いを出来ればださずに。自分の力量なのだろうが。
皆のおかげで、転びかけた土俵でもう一度まともに勝負できるのだから、感謝すべき、・・・・恐れるところではない。正面から、行こう。観客席からは見えぬ角度で、まなじりを決する。
 
 
「・・・これもまた、勝負やなあ・・・」
分かっている鈴原トウジ。空気が熱く盛り上がっているからこそ、次が、怖い。
「気が抜けん・・・・・渚、”アレ”はいけるか?・・・無理はできん代物や。もし・・・」
少しでも不安があるようなら、アレはやめてしまおう。拘りはあろうが、いきなりケチがついたモノで、縁起がわるい。そして何より、・・・・使う人間が危ない。渚カヲルならばそれを冷静に判断できると思って問うたのだが、
 
「大丈夫。完璧にこなすよ」
気のせいか、返答の笑みが硬い。もう一度、聞いた。
 
「・・・ええんやな?」
 
「もちろん。心配、いらないよ」
笑顔、ではある。白い薔薇とかなんとか、女なら言うのだろう、が。どうにも。
いつもなら、心配してくれてありがとう、とこいつは言うはずやけどな・・・昂ぶっておるせいか。それとも・・・判断はバンマスの己がせねばならない。それに対する責任も。
 
 
「いやー、マユミちゃん最高だったよ!あのテクニック!あの早弾き!」相田ケンスケは山岸マユミべったりであり。「いや、あの、はじめの方はスローだったんだけど・・・」
「あ、それからメガネ忘れてるよメガネ」「あ、ありがとう・・」「メガネは大事だよ」
なんやムチャ幸せそうで・・ちゅうか・・・ケンスケのやつもなんか心配になってきたのう・・・
 
 
碇シンジも綾波レイの方にいっている。それに、相談する時間もない。ここは信用するしかない。渚と綾波、両方ともただ者やない。そもそも、あないな物騒なこと・・・惣流でも二の足踏んだくらいやからな・・・要求されるのは勇気でも度胸でもない、揺るぎない平常心と安定感。この二人なら・・・・・やりとげるはず、や。鈴原トウジは決断した。照明の光量はさらにおちていく。薄暗い、と思うくらいに。けれど電気トラブルなどではない。これは予定の内。観客席もそれを知っているようで、迷う様子はない。これもまた演出なのだと待っていてくれる。そんな観客の度肝をぬかんといかん。心配ではあるが、それは純粋な、楽しみでもあった。半ば演技の強気から、半ばは己のキモっ玉からくる震えのために、鈴原トウジは、ひとりギラリと笑ってみせた。
 
 
 
「綾波さん」
 
と碇シンジに声をかけられたから、てっきり次の曲についてのことかと思って
 
「心配、いらないから」
 
と答えてしまった綾波レイ。「?」碇シンジの不思議そうな顔で、自分が外してしまったことに気付く。
 
 
「・・何?」
鈴原トウジの言葉にならぬ危惧がひしひしと伝わってくるし、渚カヲルの彼らしからぬ傾斜具合も気になるところに。当然、彼もそのことを言ってくるのかと思ったのだ。
まさかまさか、碇シンジが相田ケンスケが今山岸マユミに吹き込んでいるようなことを自分に吹き込むつもりではあるまい。だとしたら、一言いう必要がある。要領よく突発トラブルを片付けてきて機嫌がいいのかもしれないが、まだ終わっていないのだ。油断大敵。
 
 
・・・それとも、自分の望んだ曲が終わったから、それで、碇君にはこちらの気が緩んだように見えた、のだろうか。わたしが、浮かれる、などと。自覚はなくとも。
何を言い出すのか、彼だけは読めない。今のようにそれなりの定石を経ても意図を外す。
構えることはないのだけれど、
 
 
「そういえば、なんでウルトラマンの中でも、80なの?」
 
 
・・・・・・今頃、こんなことを聞かれても。本当に、彼は・・・。もう・・語るには遅すぎるので語らないことにした綾波レイであった。動機も方法も明かされたけれど、真実は暗くなる舞台上から舞台袖の闇の中へ。
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だから」
並んで歩きながら聞かせたいのかそうでないのか微量な大きさの綾波レイの呟きが、碇シンジの耳に届いたかどうか。次の準備でごったがえす現場の中で聞き取るにはよほどのデビルイヤーが必要なのは間違いなかったが。
 
 

 
 
異様な熱気の渦巻く観客席とは正反対に、舞台裏は厳寒の冬山行にも似た沈黙と緊張があった。だが、それを異様と感じる者はそこにはいない。先のトラブルを乗り越えて六曲目を成功させたことの気の弛み、互いの奔走を称え合ってもよかっただろうし、それでも観客席の熱気が伝導、隠しきれぬ興奮を素直に声にだすくらいのことはしてよかった。
 
 
でなければ、このピンチを救った綾波レイと山岸マユミがかわいそうであった。
普段、目立たぬふたりであるからこそ、こんな機会に大いに喝采を浴びたとて。
相田ケンスケや、バンマス、鈴原トウジがそのあたりを分からぬはずもないのだが。
 
 
しかし、淡々と黙々と。次の曲に備えて動いていく舞台の影たち。七曲目「痛み」・・・タイトルが示す何かに恐れ、備えているかのように。
 
ただ、動き自体は機敏であり、各自の目は真剣そのもの。今までが遊びの延長というわけではないが、今はミリ単位の誤差も許されない、というような確認動作を何回も行う類の神経作業に移行している、ということになろうか。互いにかわす声も硬さを帯びている。
 
 
ほとんど皆、しゃべらない。先の危機を自ら誇るくらいのこともしていい本人さえ。
それは、当の本人たちがそれを好まない性質であるだけではない。というより。
その緊張の発生源であったからだ。真剣なのはいいだろうが、過剰な堅さは響きを悪くする。人であれ、舞台であれ、歌であれ、なにごとであれ。適度な解しが必要であった。
 
 
こんな時のための、バンマス鈴原トウジであり、相方の相田ケンスケであり、そして、碇シンジであるはずだ。碇シンジがもう少し肥満であれば、まちがいなくズッコケの称号を冠せられたであろう三人組。だが、彼らも動かない。ずいぶんと、冷たい。
 
 
が、そうではない、そうではない、と惣流アスカはバイオリンの調整をしながら今の空気を評し、足下から冷気のように忍び寄る次曲の内包する不安を踏みつぶしていた。
 
 
次の曲は、今までの演目とは趣をまるで別とするものだった。おそらく、聞く人間の十人中九人まで「なんでここでこういう曲をやるのかー」というだろう。曲がどうこう、ということではなく、大幅な変更をやって、聞いてくれる者の耳がついてきてくれるかどうか、という問題だ。ボーカルを交代したことは機構的な正当なのだと納得してもらえるのは十分に分かっていたから安心していれた。だが、これは・・・・
 
 
単独であれば、おそらく、この曲がいちばん人の胸に残るだろう。
ヒカリの歌唱力もある。切れ味がある。ただの心地よさでは終わらせない、歌の力が。
血の色が確かに赤であるのは、管の中で流れているだけでは、分からない。
 
 
この歌を推した山岸さんも、それを否定せず受け入れた鈴原も。その内にひそむ人物硬度の数字をあげることにした。二人とも、承知の上でやったのだ。認めるしかない。認めたからには、ここで流れを淀ませることはまかりならぬし、そのために、考えもした。
 
 
そのために出した結論は「さらにさらに鋭さを増す」であった。
中途半端な切れ味は、違和感を増すのみ。思い切った。ズバリとやろうと。
ズバリとやろう、ということは、逆に、ズバリとやられるかもしれない、ということで。
皆、それが分かっているのだ。この流れを創った後で、「断ち切るがごとく」それをやる怖さを。
 
 
やめたほうがいいのになあ・・・・・・と、詳しく協力してくれる者ほど思っていることだろう。鋭さを増せば増すほど、増しても、観客席は驚きはしても沸くことはない。
もう曲名からしてあれだが、それから想像するよりもっと深くもっと鋭く。
委員長では、そこまでは無理だろう。研ぎすぎても、今度は薄くなって脆くなる。
 
ヒカリとて、万能本職の歌手、というわけではない。努力にも限界があるし得手不得手はある。広がりと深さを選べ、といわれたら、ヒカリの得手は、広がり、ということだろうし。地球のうた、などまさに得意絶頂というやつだ。コーラスが気持ちよかった・・・・
 
 
まあ、それはいいとして。
そこで、いろいろと考えたのが・・・・というか、あたしは全然考えつかないし、こうゆうのもセンスなのかどうか・・・シンジのやつはもてなしの心だよ、とかほざいてたけど・・・・・小細工といえば小細工じゃん、そんなの・・・・・と考えていた内心も、
 
 
 
「アレ」をみたとたん、凍った。
 
 
 
詳しい事情は知らない。渚がネルフの施設を借りてこさえてきたとか自分の実験場に注文制作させたとかどこかのスクラップ工場をまわって廃棄された板金工場で夜ごとなにやら加工するその姿を見たとか・・・・いろいろ言われているが、真実は男連中しか知らず、シンジに問いつめたら「男の秘密だよ」とかいわれてガンとして口を割らなかった。
まあ、楽器ではない。音が出るから楽器だと言われても、納得しかねる。
し、扱えるのは・・・そうはいない。アレを扱うのは、造った当人と、そして、こわいものしらずのファーストだけ。「僕も立候補したんだけど」とシンジは言っていたが渚にやんわり断られたとか、それ正解。自分だけで振り回すならやらせたかもしれないけど。
さすがの渚も。こわいものをしらないだけのばかが使っていいかどうかは判断がついたみたいで結構なことだ。
 
 
怪我人がでる。
 
冗談抜きで
 
 
中学の文化祭でそんな事故があれば、大恥ではすまない。大問題になるし聞きにきてくれた人たちには申し訳もない。当初は大反対した。どう考えてもリスクが高すぎる。やるにしても録音して使えばいい、と言ったのだが「それでは意味がない。ただの雑音になる」と制作者に反論された。その意図がすぐに分かってしまう自分がイヤだ。確かにそうなのだ。別にハッタリでもなんでもない。必要だからそのために造り上げたに決まっている。
テストのために聞かされた音は百の論を撫で切りにする説得力があった。
 
 
それでも・・・・それを使うのが、フィフス・渚カヲルとファースト・綾波レイでなければ。他の誰が使おうと、どんな手練れが使おうと、承知しなかっただろう。
あの二人であるから、こそ。セカンドのこの自分が。
鋭さをあつかうには、それを懐におさめられるそれ以上の深い強さが要る。
まさしく、痛みを従えるそれを呑みこめる強さが。
 
 
他の者は、緊張はしながらでも、それでも心の底の底では安心しているはずだ。
渚カヲルの造ったものであるから、プランどおりにいくだろうと。
どんなに危なく見えても、演奏用に造られたものであるから、その制作者の意図を正確に体現して間違いなく作動するはずだ、と。あの音を聞いても、信用が鈴原をはじめとしたメンバーやスタッフたちの判断を曇らせる。だけど、アタシは騙されない。
 
 
渚のやつは、誤魔化しのものを造らない。
アレは本物だ。本物より厄介な威力を秘めている。威力のほどは先ほど、実証された。あれは運が悪かったとか当たり所が悪かった、というだけではない、本質的にそういうものなのだ。制作者は百の承知で造り上げたはず。だから、もうひとつの対になる本物でしか相手できない。その力を引き出せる相手しか選べない。
 
 
「相剋なんだ」何を考えてこんなものを造ったのか、テストの後、皆に見えぬ裏に連れ出して襟首掴んで強い調子で問うて返ってきたのは、常の微笑みを吹き消した神の山から吹き下ろす風のような答え。それに怯えたわけではない。もう片方の使い手の名を聞くまでは襟首は離さなかった。なぜ、そこまでやるのか、という愚問はいまさらだった。
 
 
一歩、いや、指先をほんの少し、目配りをほんのわずか、違えただけで・・・
とんでもないことになる。
 
 
・・・もし・・・
もしか・・・・・
と思うのが普通だが
 
 
緊張は感じていても、恐怖は感じていないだろう。だからこそ、この場の空気はどこか神事を始める前のそれに近く清浄でさえある。それはやはり、綾波レイ。そこに彼女がいるからだ。今は着付係に四方を守られながら着替え中だが。偽りの明るさなど不要。俗世の理など不要。一意専心、真実無二、失敗のイメージは失敗を呼び込む・・・集中集中・・
 
 
 
「アスカ」
 
 
そこに碇シンジがいきなり耳元でささやくからびっくりした。
 
「ひあっっ!?」
そんな大声ではないが、周囲が静かであるからかなり目立った。「な、なんなのよ・・」とはいえ、このタイミングこの場所でいきり立つわけにもいかず、声をひそめて応対する。
 
 
「アスカはカヲル君を見てて。僕は綾波さんを見るから・・・」
 
「はあんっ!?」
これはかなりでかかった。皆緊張してる演奏前に何ふたりで闇ちちくりしとんじゃいワレ光線があちこち突き刺さる。この接近距離、角度によってはそう見えるかもしれないが!。誤解誤解の冤罪の無罪なのよ!!と大声で反論したかったが、それも出来ず。というか、今あの状況のファーストを見たらあんた犯罪じゃん!渚ならまだしも!
「なにゆってんのよアンタ・・・・・・」
 
 
「じゃ、任せたからね」
言うだけ言って碇シンジはすっと離れた。そのまま綾波レイの結界方面であればまずいが、自分とこのチェロに戻っただけだ。見るから、っって、見てないじゃないの・・・自分のチェロケースなどじろじろ見たり触ったり・・・・・あのバカ大丈夫だろうか・・・いや、このシリアスな空気にたえられなくなって・・・ちょっと寄ってみただけとか?。
 
 
いや、今アタシも相当危機を感じてて、シリアスだったんだけど!
 
アンタよりゃだいぶ、渚のことも気にかけてるし・・・・けど、まあ、仕方ないのか。
たぶん、信じ切っているのだろうし。二人のことを。それはそれで、いいのだ。
あいつにしてみれば、内心、何をみんなかしこまってんのかな、てなもんなのだろう。
 
 
あちこちで仕度が完了になっていく。緊張感はいよいよ強くなる。自分も足下の不安を完全に足で擂り潰して準備完了。
 
 
「ぼちぼち、いくでえ」バンドマスター鈴原トウジの声でステージに移動となる・・ここまで来たり七曲目、だ・・・・が・・・・舞台に近い観客席から、どよめきの声があがる。
 
 
「明かりが、落ちきらないわね・・・もうちょっと暗くするんじゃなかったっけ」
惣流アスカは洞木ヒカリに声をかけた。
 
ステージは照明が落ちてもっと闇の中を進むことになるはずだったが・・・予定よりずいぶんと明るい。そのせいで、左と右の両袖から移動する綾波レイと渚カヲルの「姿」が見られている。正確には、「アレ」を携えて現れた、その姿に。
 
どよめきはそのせいだ。予定では闇にまぎれて、その姿をしかとは捉えさせないはずだったのだ。演出意図がこれでひとつ破られた。あまり、気分のいいものではない。
 
「鈴原の指示よ。・・・・・やっぱり、危ないから」
タネを明かせば、それだけ歌い手の負担が重くなる。集中を始めた洞木ヒカリは気にしている様子もないが。「そうね、ゴメン」納得したわけではないが、集中の邪魔をしてしまったことに軽く詫びをいれて視線を移す惣流アスカ。
 
 
舞台前方の左手と右手に。渚カヲルと綾波レイ。
二人とも、袴姿に胴小手面頬といったこれから武士の果たし合いでもはじめようかというものものしい格好であるが、おそらくどよめく人々の目をひいているのはそれではなく、二人が手にした・・・
 
 
とんでもなく巨大なノコギリ
 
 
しかしそれがノコギリ、だと言えるのはそれにギザギザの歯があることを知っている関係者だけだろう。遠目にはただ何か金属の帯、くらいにしか見えないかもしれない。奇妙な形はしているが、楽器には違いないのだろう、と思いながら。誤って落としただけで、そこにあったものをぶった斬る・・・そんな楽器があってたまるか・・・
 
 
その”金属楽器”の名前は「シワンノバカ」
 
 
それは制作者の渚カヲルと惣流アスカだけが知っている。奇妙なことだが、その手のことにあまり興味がない使用者綾波レイは知らなかった。
 
 
漢字で書くと「死腕の馬鹿」であり、あえて渚カヲルが綾波レイに伝えなかったのも分かる。当初は「死腕」だけだったのが、「こんなもん造って・・・バカじゃないの」と惣流アスカに雪風まじりに言われて「ああ、そうかもしれない」と付け加えてそうなった。
 
 
対となるそれら二本をどう使うのか・・・・・ぼんやりとはいえ姿を見せたことで容易にそれは伺えることになった。あれで音を生じさせるのなら、使う方法などすぐに分かる。
あーあ・・・ミサトとリツコが顔色変えて携帯に何か怒鳴ってるのはさすがに見抜いたためだろう。けど、もう遅い。
 
 
死の腕なんぞと名付けられた特別に細工された金属の帯は、もうひとつの己と激しくぶつかり、この会場の空気と熱を真っ二つに引き裂くのだ。光とは正逆に立つ正義の使者の猛る爪と吼える牙が打ち鳴らされたかのような壮絶な悪裂音が。観客席から見えぬ暗い中からいきなり発せられるはずだったその、一撃。
 
 
 
「それでは、七曲目・・・四曲目と同じクレヨン社で、”痛み”です。聴いてください」
 
 
渚カヲルと綾波レイが、それぞれ腰を落としてノコギリガタナ「シワンノバカ」を構えた。
 
向かい合い、真っ正面から相対する赤い瞳と・・・照明がそこだけ消えてわかる蒼白い線・・・素人には殺気と区別がつかない剣気の結合・・・透明の視線。それだけで
 
 
 
しん
 
 
雪でも、降り出したかのように
 
静まる会場
 
 
歌よりも声よりも先に、あの金属帯が激突する、高圧の軋みがくる、と誰でも分かる。
ハッタリならば効果音ですませばいいものを、目の前の、生でそれをやる、と。
いさかかケレンをきかせすぎじゃあるまいか、とそれともチャンバラのまねごとでもするのか。ウルトラフィーバーなおやじ層から野次が飛んでもおかしくはなかったが、沈黙。剣士のような格好をした二人がもつのは、明らかに・・・・「凶器」であり・・・彼らがやろうとしているのは芝居ではなく、これから、音を鳴らそうとしている。刃を鳴り響かせて。そうでなければ、あの異様なノコギリ刀の説明がつくまい。殺陣がやれるような小回りなど期待しようもない。これも打楽器だと言い張られても否とはいえまい。
これから起こることはごく単純なことで、誰にでも分かることだ。ただ・・・
 
 
危険はないのか
 
 
あんな金属の帯を振り回して、もし軌道を外れたり、激突の衝撃にへし折れて跳ね飛び誰かに当たりでもしたら・・・・・・なにせ子供のやることで、そのあたりを失念している恐れは十分にある。・・・・・が、それをやるのは、子供でも、女の子と、それに見間違うような優美の少年だ。筋力にも限度があろうし、マッチョな大学生がやるように激突、ということはまずないだろう・・・・その点は安心だが・・・心配しすぎだろうか?
 
 
だが・・・なにか不吉な予感がする・・・・
 
 
それは、ノコギリ刀をかまえるふたりの少年少女が、あまりに落ち着きはらいすぎているせいかもしれない。まるで・・・どちらか、互いの刀で首を刈り、それを神に捧げる約定をかわしているかのような、不気味な静かさ。それでいて、異を唱えることもできず見守ることしかできぬ焦燥と無力感。事故というのは、やはり起こる直前に何か感じるものがある。だから、こう皆静まりかえって固唾を呑んでいるのだ。それを演出として利用しようというのなら中学文化祭としては悪趣味きわまるが・・・・・・
 
 
止めることは誰にも出来ない。
 
あの刃を鳴り散らすことは分かっていても、少年と少女はそれをやる、と宣言したわけではない。ただ、舞台に現れ、それを構えただけのこと。そこで止めてしまいこれまでの空気を一変させた、というのなら、それはそれでしてやられた、ということになろう。
彼らはこの沈黙を求めた。なぜかは分からず、これから分かることになるのだろう。
 
 
だが・・・・・
 
 
第七曲目「痛み」
 
 
このタイトルは啓示だったのかもしれない。この文化祭のバンド演奏のステージで何か血の噴き出るようなことが起きると。兆候。虫の知らせ。予告メッセージ。気付くのはいつも遅い。なってしまったあとで嘆くのである。あれが偶のしるし、然だったのかと。
いくつもの要因が重なり、その結果が産み出される。それが望まれぬバスタードであろうと。
 
 
それを見通す能力をもつ渚カヲルはこれから、何が起きるか、知っていた。
しかし、回避することをしなかった。正面からそれを受けるつもりでいた。
 
 
そうしなければ、他の誰かが自分の造った死の腕に抱かれることが分かっていたからだ。
その意味で、この能力もひどく厄介で難儀なものではある。
 
”彼女たち”が気付くのは遅すぎた。
 
 
打ち合わせ通りのタイミングで、綾波レイの白い腕が動く。それに同時に合わせて自分の死の腕を発動させる。そうでなくてはならない。
 
 
 
半秒後
 
 
対となる裂音を響かせることなく飛翔する金属の帯に巻かれて全身をコナゴナに砕かれた。
 
 

 
 
赤く暮れる校舎の裏で 解りあえないもどかしさに殴り合い
 
切れた唇 血の味と痛み ワルぶることが勇気だと信じてた
 
込み上げてくる熱い何かを 押さえるすべも知らなかったのは・・・teen age
 
コンクリートの教室は暗く・・冷たく感じ・・・背を向けてたけど
 
少年を卒業する日 振り向いて見た景色を そっと・・そっと・・胸に刻んだ
 
いつか大人の表情にも慣れて 瞳の色はこんなにも変わったよ
 
僕の中で・・・大事なものが 錆びた線路になろうとする事に気付く・・・
 
誰もの背中 くたびれた気配 同じようなコートを着た人の群れ
 
鳥も飛ばない”切り抜かれた空” 西陽のビルのため息で枯れ葉が舞う
 
見かけの自由で飾りたてられ 目に映るのは遂に乾き果てた都市風景
 
Ah・・・人混みの中で不意に肩を押され 交差点の途中で立ち止まる
 
渡りきる前に何か やり残してる気がして 僕は・・・僕は・・・たまらなくなる
 
 
ラッシュのホームで首をすくめて 血の気のない風景に埋もれてないか?
 
網棚の上 置いていかれた 雑誌みたいな気分に浸りきってないか?
 
いつわりの歌 歌ってないか?
 
ニセモノの夢 買わされ続けてないか?
 
傷つく事におびえてないか?
 
ひたむきでいたい自分を騙してないか?
 
いたずらに時を憎んでないか?
 
招かれるままに 明日へ流されてないか?
 
汗も流さず甘えてないか?
 
なまぬるい部屋 飼い慣らされていないか?
 
見ないふりして逃げていないか?
 
物わかりのいいふりをして諦めてないか?
 
 
 
「痛み」の歌詞が響いている。頭の中で、心の中で。だからこそ、それを止めるべきだと山岸マユミは思った。
 
 
たかが開始の一音のために特別な楽器を拵えてきたの渚カヲルのこだわりは尋常ではなかった。それも、自分の挙げた曲のためではない。それは、明らかにバンドの色合いに異なる曲を流れの中に組み入れるための苦心。通常であれば行わないこと。それは、自分自身にも重なること。それが、分かっているから、正直に表に出せずとも、どれほど嬉しかったか。自分でも、我が儘だと思っていることが、いいよ、と言ってもらえたことの喜びは。シンデレラのガラスの靴のように。演出通りにぴたり、と合えば。自分もこの仲間の中で違和感を感じさせずにすむのではないか・・・。失敗したくない。失敗してもらいたくない。予定通りにそのまま、演奏してもらいたい。流れを乱さずに、そのまま。それはその形で完成しているのだから。それを違えてしまえば、自分には合わなくなる。浮いてしまう。なんでこんな曲を選んだのか、周囲とあわせろ、空気を読め、という追求に貫かれる。
 
 
自分など
 
 
人には分相応というものがある。だから、いろいろ苦心して工夫して、自分なんかに合わせてくれた皆の努力を解除してしまうわけにはいかない。自分が。それを止めるわけには。なぜ、それを破ることが出来る?黙って座って叫ばずに。信用しておけば、いいのだ。
彼なら、彼女なら、大丈夫。渚君も綾波さんも。ただ者ではない。強者か弱者かどちらかのカテゴリーに入るなら、二人とも間違いなく、前者のそれに入るだろう。多少のことなど問題にしない、心など揺るがさない、迷わなくてもいい、力がある。
 
 
あの「メソポタミアサイズ」・・・・(正式名称は渚カヲルと惣流アスカしか知らず、他の者はアレ、もしくはノコギリと呼ぶ。のだが、表面に表れる刃紋が山岸マユミにはそのように見えるので内心、そのように呼んでいるである)
金属製でどう見ても楽器より武器であり確かに危ない代物だが、間違いなく使ってくれるだろう。扱いは難しく、しかも見た目より遙かに重たいらしい。運搬役の剣道部の子がバランスがデタラメだとかなんとか言っていた。武器にするには不合理なものだと。それだけにコントロールには足先から指先から頭先まで自由自在な体術に長けているような人でないと危なすぎる、と。確かに、ただ運んでいただけの、それなりに腕力もありそうな彼らでさえ、ちょっとバランス違えただけで、ああいうことになったのだ。
火の輪くぐりやらナイフ投げ、もはやサーカスの演目に近い危険度。
 
 
それをやらせてしまっていいものか
 
 
二人とも、並の神経ではなさそうだけど、それでも鉄や鋼でできているわけはない。
事前の、人的とはいえ、自分の制作した物が起こしてしまったトラブルになんの苛立ちも感じない・・・ほどに彼は諸行無常に悟りきっているのか。
 
 
だからこそ、やっているのだ
でなければ、あまりにも・・・・彼ならば、きっと大丈夫
そう信じているし、それは裏切られることはないだろう。
神さまから直接下された、予言のように。
 
 
しかし
 
 
それを振るうのは彼一人だけではない。綾波レイ。彼女もだ。それを扱うのは筋力ではなく精密機械のようなバランスなのだろうか、外見だけなら屈強な体育会系にはとても敵わぬはずの彼女が、見事にそれを操ってみせたその技量、と、揺るがぬ神経を兼ね備えて。
 
 
彼女も、きちんと己の役目を果たしてくれるだろう。間違いなく。正確に。
きっと・・・・それを疑うくらいなら、自分の脳が蟹みそであるかどうかを疑ったほうがいい。日本インド化計画が成功して日本がインドになってしまうことを心配した方がいい。
 
 
それでも・・・・
 
 
止めた方がいいのではないか・・・・
せっかく渚くんが準備してくれた一度きりの特別なものだけど、その苦心を踏みにじることになるかもしれないけれど。
 
 
綾波さんの手にはまだ疲労が残っているはず。あれだけの早弾きを予定と違ってこなした以上、その感覚が指先に残っているはず。それが、微妙なコントロールを要するあの金属帯の操作を狂わせたら・・・・・・
 
 
想像しただけで、心臓に痛みが走る。
 
 
だけれど、それは杞憂にすぎないかもしれない。天が落ちてくるかもしれないと思うほどの。いらぬ心配無用の恐怖。すでに曲準備に入っており、もう止められるものではないし、止めてしまったら、自分はどう思われるだろう・・・・。想像しても、痛みは感じない。
ただ、石になってしまったように。
 
 
そんな自分に間延びした光が降っている。
 
 
照明をおとしきらずに、明度を保ったのは誰の指示か、鈴原君か相田君か・・・渚君と綾波さんじゃないことは間違いない・・・・意外に、洞木さんかもしれない・・・その意図はたぶん、刃の軌跡を消してしまう暗闇を恐れたのだろう・・・いまさら事故対策でもない、ふたりの不調を感じ取ったとしか・・・とにかくバンドの中に他に、フォローにまわろうとした人がいたことは少し救いだった。これで、うまくいくかもしれない・・・・。
 
 
うまくいきさえすれば、こんなことは後で笑い話になるだろう。
でも、うまくいかなかったら?ネガティブなことを考えているとそれが実現するとか。
 
 
切れた唇 血の味と痛み
(きれたくちびる ちのあじといたみ)
 
 
イメージは頭の中の歌詞と連結して増殖する。彼岸の花が踊りながら狂い咲く。
どうして自分はこうなのだろう?どうしていいように考えられない?
信じていないからか?うまくいかないことを心の底で、願っているのか?
強い人間が失敗するところを見てみたいのか。強い人間の血の色もやはり自分と同じか、確かめてみたいなどと。鋼の花が、散るところを。
 
 
 
「それでは、七曲目・・・四曲目と同じクレヨン社で、”痛み”です。聴いてください」
洞木さんのアナウンス。迷う時間はない。剣の風が吹く。二人を裂く別離舞踏の風。
 
 
唇が、乾いていた。
喉の奥で「痛み」の歌詞が渦を巻いてる。
石になる自分の心にヒビを走らせる。
どんな目で見られようと、どんなことを言われようと
 
今、自分の選んだ歌が演奏されるこの時だけは、
嘘をつくべきでは、ないだろう。
 
それによって起こることを引き受けて立とう。
痛みを抱きしめる。
自分が自分の中に落ちてくる鈍く重たい痛みだ。
 
 
それでも。
自分が止めねばなるまい。自分が「それはなし」だと告げねばならない。
この一曲まるまる台無しになろうとも。自分はあの二人に痛い目など見てもらいたくない。
 
 
それを、諦めるわけにはいかない。
 
 
第一、「痛み」を演奏したから痛い目に遭いました、なんて話があっていいはずがない。
こういうときは、なんとか無事に終わるようになっているのだ。古典でも時代遅れでもなく。だから、停止の言葉を叫ぶ。おそらく、それで皆には分かるはず。断ち切る言葉で。
 
 
「いいですから!」
 
 
今、この瞬間。山岸マユミの第一信念は実現する。
 
意外なことに、それを”やった”のは碇シンジだった。渚カヲルも綾波レイもシワンノバカを止めるどころか思い切り振った。
 
双方とも深い精神集中に入ってもいたし、止めるつもりもなかった。これがこの曲での自分たちのパートなのだから当然といえば当然。闇の中での「裂帛の一音」、演出どおりにそれを響かせることができないのだから、観客の視界の中、あとは気合いを高めるくらいしか彼女のためにしてやれることはない。山岸マユミがさきのトラブルを気にしていることくらいは読心能力など使わなくとも分かる。何より、危険なことには慣れている。
 
 
が、まあ、なにごとにも誤算というものはある。
 
 
実のところ、渚カヲルは制作者だけあってシワンノバカを完璧につかいこなせた。鈴原トウジが心配したようなことも許容範囲内のことであった。もしくは心の棚にあげたか。
 
 
問題なのは綾波レイ。予定通りに事が運んでいるのなら、間違いなくシワンノバカを刃鳴り響かせたことであろうが、いかんせん予定外のことがありすぎた。それでも自分の腕のことが分からぬ綾波レイではなく、少々のピアノ演奏の疲れなど十分計算のうち。
・・・・やれる、と判断していた。
 
が、一つ見落としがあった。相手の得物の状態についてである。いったん派手に落としてしまった楽器いやさ刃物どっこい楽器、であるが、見た目にはそう問題はなさそうだったが、実のところどうなのか、こればかりは造った人間にしか分からない。
摩擦材を塗り直して渚カヲルは、問題ないよ、と言ったからそれを信用している。
事実、握っても落ちる前のものと違和感はなかった。その自分の感覚も信じている。
だが、渚カヲルのものまで確認したわけではない。
見かけたのおとろしさに誤魔化されたわけではないが、まさかそれほどデリケートな代物だとは思っていなかったためだ。あくまで楽器なのだとはいえ。
 
 
微細な傷。それが大いなる痛みを招くもととなる。文字通りの意味で。
渚カヲルはそれを把握していた。が、なんとかなるだろうと思ったし、する気でいた。
一音、刃鳴りさせてしまえば、シワンノバカはもうお役ご免であるから、綾波レイの一撃をこちらで受け気味にして衝撃を吸う、あとは使い物にならなくなってもかまわない、とこのように考えていたのだが・・・・・
 
 
いざ、ステージで綾波レイと向かい合ってみると・・・・・・どうも、想定以上の一撃を繰り出す気満々であり。予定と異なる明るさも、タネが割れてしまえば観客の予想を凌駕せねばならない、とどうしても速度を上乗せ、それがおそらく威力を増す要因となる。
心配してくれたのだろうけど、二人とも夜目はきくのだから、有り難迷惑というか・・・
綾波レイの構えるシワンノバカはまさしく、冥府に引きずり込む死の腕そのものであり、我ながらとんでもないものを造ってしまったよ、と今更ながら思う渚カヲルであった。
音の響きを優先させるあまり、強度をギリギリにしすぎたなあ、と反省しても。
 
 
あとのまつり
 
 
であった。
このままいけば、彼女の一撃でスパリと首筋をやられる。死神の鎌のように。
そのことにようやく気付いた”彼女たち”が動こうとしたが、それは遅い。
綾波レイの一撃はそれよりも疾く、速い。過去が未来を呑み込む速度は何者にも抗えず。
 
 
ただ。解決策は簡単なもので、ここから逃げてしまえばいい。それだけでいい。
それを承知しているからこそ、自分もそれを理解しているだろうと、思っていたから彼女たちは後れをとった。たかがショウではある。されどショウでもある。
 
 
だけれど・・・・・
心臓が高鳴っている。
この舞台で自分が最後の一瞬まで動かなかったのは・・・・
知りたかったからだ。
この先の展開を。
 
 
”彼”がなんとかする・・・・・・・
 
 
その予感を限界ぎりぎりまで味わっていたかったのだ。全身で。
だからこそ、渚カヲルにして、愚か者のように動かなかった。未来と過去の挟撃から逃れ、この時だけは体に満たされる、自由。魂の無重力。人が感じるには、禁断の幸福感。
山岸マユミ、彼女の声がして、彼のスイッチが入った。
 
 
渡雷
(イカズチワタリ)
 
 
刃と刃が激突する予定の空間に、強引に割り込んだチェロケース。夜雲色の瞳をした彼が投げ込んだものに違いなかった。それは絶対領域でもなんでもなく、左右からの衝撃にたやすく貫通され巻き付かれて破砕されたが、死の腕たちを地に伏せさせて音を残した。
 
 
百年つづいた古時計が臨終の時を迎えたような、音だった。
 
 
「おお!!」
 
あっけにとられた観客は、気合いとともに踏みならされた奇妙に響く碇シンジの足音に、びくりと。作法もなにもないが、呼吸と間合いだけは神楽や歌舞伎のそれに近い。少年の視線にはバイオリンを構えた、きりりとした瞳の少女が応えた。引き締まった弦の音色がキリキリとバンドのメンバーのネジを巻き直して、「痛み」を始めていく・・・。
 
観客の目は、演出なのかよくわからないが、チェロ席の少年とステージの左右に立つ銀髪の少年と空色の髪の少女を三頂点として力のバランスを造りだしていることに向く。
 
音などそこから鳴るはずもない不可視のトライアングル。けれど。何かが響いている。
その証拠に、銀色の髪の少年の満足げな微笑みがあり、じんろんじんろんと空色髪の少女のジト目があり、なるべくそちらに目があわぬよう困ったように作り笑顔のチェロ少年。
 
歌を確かに聞きながら、どうしても目はそこにいくのだ。チェロケースの残骸など目もくれずに。場を満たす奇妙な緊張感。今、なにかとんでもないことが起きたはずなのだが、それを言葉に出来ない。竹光でもって石灯籠を切断したような。強引に感覚の限界を拡大されたあげくに会う、体感覚をともなわぬ・・・人のものではない痛みとでもいえばいいのか。
 
 
赤く暮れる校舎の裏で 解りあえないもどかしさに殴り合い
(あいあむ ごっずちゃいるど このふはいしたせかいにおとされた)
 
切れた唇 血の味と痛み ワルぶることが勇気だと信じてた
(はう どぅ あい らいぶ おん さっち あ ふぃーるど)
 
込み上げてくる熱い何かを 押さえるすべも知らなかったのは・・・teen age
(ぼくは こんなもののためにうまれたんじゃない)
 
コンクリートの教室は暗く・・冷たく感じ・・・背を向けてたけど
(とっぷうにうもれるあしどり たおれそうになるのを このくさりがゆるさない)
 
少年を卒業する日 振り向いて見た景色を そっと・・そっと・・胸に刻んだ
(こころをあけわたしたままで あなたのかんかくだけがちらばって)
 
いつか大人の表情にも慣れて 瞳の色はこんなにも変わったよ
(わたしはまだ じょうずにかたづけられずに)
 
僕の中で・・・大事なものが 錆びた線路になろうとする事に気付く・・・
(りゆうをもっと しゃべりつづけて わたしがねむるまで)
 
誰もの背中 くたびれた気配 同じようなコートを着た人の群れ
(きかないくすりばかり ころがっているけど ここにこえもないのに)
 
鳥も飛ばない”切り抜かれた空” 西陽のビルのため息で枯れ葉が舞う
(いったいなにをしんじれば)
 
見かけの自由で飾りたてられ 目に映るのは遂に乾き果てた都市風景
(ふゆかいにつめたいかべとか つぎはどれによわさをゆるす)
 
Ah・・・人混みの中で不意に肩を押され 交差点の途中で立ち止まる
(さいごになど てをのばさないで あなたならすくいだして)
 
渡りきる前に何か やり残してる気がして 僕は・・・僕は・・・たまらなくなる
(わたしをせいじゃくから)
 
 
ラッシュのホームで首をすくめて 血の気のない風景に埋もれてないか?
(じかんはいたみをかそくさせていく)
 
網棚の上 置いていかれた 雑誌みたいな気分に浸りきってないか?
(あいあむ ごっずちゃいるど このふはいしたせかいにおとされた)
 
いつわりの歌 歌ってないか?
(はう どぅ あい らいぶ おん さっち あ ふぃーるど)
 
ニセモノの夢 買わされ続けてないか?
(ぼくは こんなもののためにうまれたんじゃない)
 
傷つく事におびえてないか?
(じかんは)
 
ひたむきでいたい自分を騙してないか?
(いたみを)
 
いたずらに時を憎んでないか?
(かそくさせていく)
 
招かれるままに 明日へ流されてないか?
(かなしいおとは せなかにつめあとをつけて)
 
汗も流さず甘えてないか?
(こんなおもいじゃ)
 
なまぬるい部屋 飼い慣らされていないか?
(どこにもいばしょなんてない)
 
見ないふりして逃げていないか?
(あいあむ ごっずちゃいるど このふはいしたせかいにおとされた)
 
物わかりのいいふりをして諦めてないか?
(こんなおもいじゃ どこにもいばしょなんてない)
 
 
 
「なんか、変わった感じで聞こえるね・・・・誰のせいかな・・・君のせい、なんだろうね・・・シンジ君」
その中の霧島マナには歌がそのように、確かに洞木ヒカリの歌声を聞きながら、「月光(鬼塚ちひろ)」混じりに感じたという。他にも、そのような、後味が悪い、というよりはどこか・・・行き場を見失ったような・・・意義の多重感覚に襲われた者も多かった。
それはそれで貴重な経験であったのだが、そのように冷静に評価できる者はさすがに数えるほどもいない。天才科学者赤木リツコ博士でさえ、ほっとした顔で椅子に深くへたりこんだりしているくらいであるから。
 
 

 
 
バベル・バベラー・バベリスト
バベル・バベラー・バベリスト
 
 
歌詞でもなければ呪文でもない。こんな比較級はないのだが、なんとはなしに作ってしまったのだ。インチキな和製英語というやつだ。けれど、なんとなく彼によく似合っている気がする。混乱を起こし、混乱を創り、巻き込まれながらそれと手を取り踊りながら、混乱をまとめてしまっている・・・いや、綺麗に整理されているという意味でなく、混乱で生じたエネルギーをそのまま使用してしまえるというか・・・膨大なロス分をまったく計算にいれていないから、利用と言うにはほど遠く・・・ブラックボックスを開けてみればそこには水と空気と天につながる糸がほつれてました、というような・・・・空を駆ける雷をコードの皮膜で包んだりはできないし・・・とにかく、無茶苦茶だ。彼のやったことは。が、それでも、バンドのメンバー全員が、彼がやるだろうなあ、という予感があった。
 
 
混乱をもって騒乱を潰す。掛け違えたボタンを、裏から糸切ってボタンを外してしまうようなことを。スマートとはほど遠く、和の心にはなお遠く。荒れ乱れた方で。
まさに、狂乱の鬼公子。
 
 
予定していた「斬音」、刃鳴りはとうとう響かなかった。
 
 
曲の入りが潰れたことで、観客への届き方、浸透み方も、意図していたものとかなり違ったものになった。受け取り方は人それぞれ、といいつつ、それは歌い手と演奏する者たちが一番よく感じている。「痛み」、それは「傷つく「気づき」の歌であり、教えるでもなく伝えるでもなく、感受性の在処を示している。同じ事で喜べる相手と、同じ事で痛みを感じる相手、それが両方共有できるのか、それとも片方だけ共にしているとしたら。それどころか、片方だけの者でもそばにいるのなら、それは幸せなのか、それとも、辛いのか。
熱は伝導するが、痛みを感じる場所は人それぞれで重なることはなく、おそらく重ねることも。できはしない。意義の多重感覚はそれに由来する。痛みを感じる場所は魂の風穴であり、治癒することもなく、いつまでも吹き抜ける風がなく。高い音で低い音で。もしくは夜の千鳥のごとく。
 
 
歌詞のほうも、計算されたものなのだろうけれど、ある意味、とんでもないところで終わっている。どーんと最後にで突き放されて飛ばされて、受け止められることなく。そうなれば人間、どうしても振り返る。振り向いても誰もいないことは分かっているのに。
 
 
振り返りながら手を打ち鳴らす人間はいない。いるとしたらそれはただのへんなひとであり。ざわめく己の胸の内を確認するのに忙しく、拍手を送るヒマもない。
それは洞木ヒカリの歌唱力を裏付けするものだが、すぐにそのことの値打ちに気付く者は少ない。拍手だけが評価ではない。あとでじわじわとくる、明暗だけでいえば暗く、ほのぼのともやさしくもないが、人の心に残る、という意味では・・・・一等賞だろう。
 
 
そして何より。この曲を選んだ本人、山岸マユミが、今日の歌を深く、心に刻みこんだ、という顔をしているのだから、言うことはない。意思を発動する痛み、に少し涙顔でいても。
 
 
左右のシワンノバカ、刃の生音時にチェロケース投げつけて相殺してしまうなど。
 
 
碇シンジの介入は。
まったくもって許されるものではない、
(もし、刃に相殺されることなく観客席に飛び込んだとしたら・・・・ある意味、正規の刃鳴りよりも絶妙なタイミングであった)
 
 
が、
 
 
やらなければ、もっととんでもないことになっていた・・・のではないか、
 
あとからじわりと。確信に化けていく。鈴原トウジや洞木ヒカリはもとより予感があったし、惣流アスカには事前の声かけがあったからすぐにフォローにも入れた。ただ、相田ケンスケと綾波レイは理解しがたかった。山岸マユミのあの一声を聞くには聞いたが、中断させるにももっとやり方が・・・あるだろう、と一瞬考えたが、すぐにそれはないのだと、分析を終えた。どの時点で碇シンジがあれをやろうと思ったのか分からないが、ステージにあがってしまえば、あれ以外にやりようはなかった。演目の内実を知らなければ、観客はそれも演出だと、ああいうものなのだ、と思うだろう。そして、あの破砕音は、そう悪いものでもなかった。鋭さの追求緊張の持続、というバンドの結論とは異なるものであったが、百年の古時計が死んだようなあの音が醸し出した、独特の寂しさ。物悲しさ。己を傷を見る時は一人で・・・空気の連帯性を断ち切る効果は同じくあった。
 
 
「・・・ふいに思いついたんだ。シワンノバカが落ちてしまった時にね。こういうのはどうだろうか、とね。出来に自信がないわけじゃないけれど、少し殺伐としすぎたきらいもあったし、チャンバラじゃないのだから、刃の音を嫌う人もいるだろうし。女性は特にね・・・・・それで、山岸さんに許しをもらって、鈴原君とシンジ君とひそかに打ち合わせたのさ。時間がなかったから、綾波レイ、君に伝え損ねてしまった。そのことはあやまるよ」
 
あまり筋がとおっているとは言い難かったが、爆弾小僧の碇シンジがなにか言い出す前に、定説をでっちあげた。碇シンジと山岸マユミ以外の皆は何か言いたげだったが、黙っていた。刃の破損や綾波レイの腕の疲労など裏を読んだか、内心を配慮してくれたのだろう。それなのに。
 
 
「へー。あのノコギリってシワンノバカっていうんだ」
 
碇シンジの言うことがこれである。
 
 
「あんたがバカよっっっ!!」
惣流アスカにモンゴリアンチョップをくらわされる。もう存分にやってくださいというのはほぼ皆の総意。「ごめんね・・渚、それから山岸さん」後頭部を掴んで頭を下げさせる。
そこからさらに卍固めにはいるかと思われたが、さすがにそれはなかった。
 
「碇君は・・・ダイナのよう」つまり、台無しんじ、といいたいらしい綾波レイの赤光眼。
 
 
「ま、まあ、反省は後から出来るからのう、そのへんにしときや。な、惣流。
ここからはもうあと一曲のラストやからな!
全力でいかしてもらおうや!!フォローに駆け回ってくれた連中の気持ちをムダにせんためにも」
バンドマスター鈴原トウジのかけ声に、もう一勝負せねばならない気合いを沸き立たせるメンバー一同。実際問題、のんきに不和っている時間すらない。最後まで演奏せねばならないのだ。そうさせてくれる者たちのため、そして何より自分たちのために。自ら演奏することで感じる、気付くことも当然あるわけだが、茨にひっかかれ裂かれたようなそれはひとまず疼くままにしておいて。
 
 
駆けねばならない。
点点と赤い跡を残しながら。
深い深い、歌曲の森を生成するために。
 
 
 
「あ、このリコーダーを使っていいの?・・・それじゃ、試し吹き・・っと。え?指使いがまだまだ?いや、そんなこと言われても・・・・じゃ、ちょっとやってみせてよ。・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、精進します」
「え・・・?日本の小学生の音楽レベルってこんな高いの?・・・・この子もたまたま展示を見にきてただけで、たまたま楽器を鞄にいれてたってだけでしょ・・・それでコレ?シンジなんか足下にも及ばないじゃん・・・もうこれは代わりにこの子をステージにあげたほうがよくない?・・・・・・・それから、こんな時にあれなんだけど、アンタ今洗わずにそのまま口につけてなかった?いや、こんな小学生みたいなこと言いたくないケド・・・ねえ?」
「・・・わからない。けれど、それが日本の実力」
 
 
 
「じゃ、これお借りしますね。でも、こんな時に流しのアコーディオンの人がきてたなんて本当にラッキーでした。音楽室にもなくて、どうしようかと思ってたんです。あの、お金とかはほんとうにいいんですか・・・?」
「いや、俺は、実は・・洞木コダマ・・・姉の知り合いなんでな・・・・そういった事情だ・・・から心配は無用・・・・だ」
「え?そうなんですか?お姉ちゃんが?へー、お姉ちゃんに音楽に詳しい知り合いがいたなんて・・・・あ、お名前をうかがってもいいですか」
「あ・・・いや、名前は明かさない・・・・方針でな・・・・返却は姉の方にしてもらえばいい・・・んでな・・・それじゃ、俺は・・・」
 
 
 
「二人とも・・・・オレが何を言いたいかくらいは分かるよな・・・・・・」
「伊達にオペレータ三羽がらすの異名はもらってないさ!な、マヤちゃん☆」
「そ、そうです!わたしたちの絆は永遠に不滅ですよ!だから手伝いますよ♪」
「・・・・まあ、過去に固執してもあんまりいいことはないしな・・・・・」
「そうだよ!!さすがシゲル。司令たちはもうやる気ないし、使える機材はごっそり持ってきましたぜ、ダンナ!」
「そういうわけで、遺恨はさわやかに水に流して、子供たちのフォローをしましょう?
・・・・(このままじゃヨゴレどころか命が危ないし・・・いいとこ見せとかないと・)」
「あーあ・・・裏の事情さえ知らなければ・・・ものすごく嬉しい場面なんだけどね」
 
 
 
「・・ちゅーわけで、あーゆーことにこっちでやらかしてなっとるからな、もうお前らも気にせんといてくれ。な?お前らの念のいった仕事ぶりはあんな見事にケースがやられたことでも分かる」
「でも、・・・・碇センパイはなんでいきなりあんなことを・・・・・?ほんとに直前の変更だったんですか?」
「・・・・まあ、な。シンジも相手が渚と綾波やなかったら、アレはせんかったやろうな。他の誰でもああいう真似はできん。あの三人ならでは、のムチャや。・・・・・無責任な立場から言わせてもらうと、ちいと・・・うらやましくもあるわな・・・・つうことでこの話は終わりや!ええか。片付けやらでまだ手伝ってもらうかもしれんが、かまわんか?」
「「「押忍!!」」」
 
 
 
「マユミちゃん・・・・は、あれでよかったのかい?」
「と、いうと?相田君は不満でしたか・・・・」
「い、いや、そうじゃないんだけどさ。こんなことが出来るのはおそらく一生で一回きりのことだろうし、それにもし悔いが残ってるんだとしたら・・・オレは・・・」
「・・・・どきどきしています・・・・・・・・・・・・・ほら・・・」
「え・・・・・・・・・・・・・・・・
えええっっ!?
・・・・マユミちゃんの手に導かれ、オレの手が彼女の胸になぜかっっっ!!?いやなんだこれはMJ12の陰謀か?こんなところに着陸してしまっているのはほんとにオレの手?このやわらか戦車ならぬやわらか円盤はいかに!!いやなんだこの大胆さ、ほんとにマユミちゃんなのか同じ顔をした別人なのかどきどきどきどきどきどきどきどき・・・」
「あ・・・・・詳しく説明してる時間もありませんし・・・相田君の理解も間に合いそうにないので・・・・・あとで、手紙を書きます。読んでください・・・今の気持ち」
「どきどきどきどきどきどきどきどきしゃこうどき・・・・今のオレには古代文明の謎もすべて解けてしまう気がするぞ。そのかわり脳が溶けてしまいそうなのでやらんけど」
 
 
 
バベル・バベラー・バベリスト
バベル・バベラー・バベリスト
 
 
渚カヲルは舞台裏のa babel of voices、がやがやする話し声たちを見渡しながらそんなことを考えていた。
 

 
 
「いやー、あと一曲で終わりですねえ」
「・・・・そうね」
 
観客席の葛城ミサトと赤木リツコ博士である。なんかいろいろあったが・・・これで終わる。そしてラストは渚カヲルが選曲したという「ガラスの森」。隣の親友はまさにこれを聞くためにここにいる、といってもよい。演奏するその姿をその目で見られるのだからもう感無量、涙そうそうで満足するしかない・・・・・のだが、その表情はほど遠く。
なんとも心配げで。我が道を征く天才科学者らしくもなく、そわそわと落ち着きなく周囲の様子を見渡して、その小刻み度を高くしていく。出来れば一服したそうな顔であったがさすがにそれはやらない。かといって、別にその震えはニコチン中毒によるものではない。
 
 
不穏で不安なこの雰囲気だ。さきほどの曲のせいか、観客たちはすっかり道しるべを見失った迷い人のように。起承転結の、転、とはいうが、これは転というか転落の落というか。演奏のレベルが劣っていたわけではない。その証拠に席を立つ人間はいない。
ただ、何事かを探すように。己の見失っていたなにかを気付かされた者特有の表情をしながら。まだメンバーのいないステージと観客席のまわりと、そして自分とを交互に見渡しながら。普段使用しているのとは別方面の集中でレーザーのように照らしながら、がんじがらめに己を囲む根を引き剥がしながら彷徨う。それは、よく考えたら凄いことだ。通常人とやはり神経が違うのか、それとも作戦家の性なのか、葛城ミサトはここにいる観客席の中でも数えるほどしかいない分析者のひとりだった。迷うのは老若男女そうなのだ。
 
 
「痛み」などと・・・・まあ、自分たちと同年代ならばその在処を伝えることもそれなりにたやすいだろう。なんせ感受性豊かな年頃であるわけだし。
しかし、それよりも外れた年齢層にもアピールする、というのは・・・親の世代からすれば子供の痛みなどとうに忘れ去った古代遺跡のようなものであろうし、幼い世代からすれば兄ちゃん姉ちゃんの痛みなどは宇宙人の基地のようなものであろう。それに気付くなど暗号解読に近いだろう。大勢の人間を前にしてなにかやろうというのなら、あまり小難しいことは避けるべきであろう。理解しやすくさせるために陳腐化させるなど論外となれば。そのために、シンジ君たち(まあ、実際は彼をのぞいた面子が考えたのだろうけど)の選んだ方策というのが・・・・あのノコギリ刀の刃鳴り・・・・・・そのはずだ。チェロケースの破壊音などはフェイクでもなかったはずだ。舞台の裏で何かあり、それに動物的なカンで反応したシンジ君が、それを防いだ・・・というのが事の顛末に違いないが黙っていれば解りはしない。あれはあれで、不思議な刺さり方をしていたわけで。
 
ともあれ、よくばりな彼らは、ここにいるすべての人間に、”新鮮な”「何か」を提供したかった。これは間違いない。「何か」、に出来れば「感動」といれたいのだがさすがに年が邪魔をするし、大事ななにかがこぼれるような気もする。本物であろうとそれに及ばぬ模造品であろうと。新鮮なのは間違いない。これぞライブの魔力、とか・・・も言いたくないなあ。とれたて?もぎたて?フレッシュ?・・・てのもなんか違う。
 
 
会場を覆うぼちぼち日が暮れてきた深い山を迷っているような空気感・・・ラスト一曲を前にしてこれで大丈夫であろうか・・・と、まあ保護者としてはそれが心配になるわけだ。
ちなみに、葛城ミサトはあまり心配していない。なんとかするだろう、と決めてかかっている。確度の高い情報を掴んでいるわけでもないのにこの態度は作戦家のそれではないが、
 
 
作戦家の鼻は・・・・・・・・・嗅ぎつけている
 
 
「もちろん」、これも彼らの計算の内であることを。そして、この状況を欲したからこそ曲の順番がこうであったのだと。ずいぶんとトラブルに見舞われてはいたけれど、彼らは周到に準備をしてきている。こういった入念の下準備は・・・ひとりの仕事師として正直ニヤリとさせられてしまう。自分たちの力を過信していない。自信はあるのだとしても、それを最大限発揮できるように、発信側ではなく受信側にも備えをしておく・・・・
いいじゃん。意外にせこいやつらと言われようと。言う奴はあたしが殴るけど。
 
「なに笑ってるの・・・・・それはシンジ君やアスカの選曲分は終わったみたいだけど、バンド全体としての演目はまだ終わっていないのだから、そういった余裕のある態度は」
おいおい保護者モード全開ですか。とはいえそれを視野狭窄とは笑わない。
 
「あー、ごめんごめん。でも、大丈夫。あの子たちなら。最後までうまくやってくれる」「ほんとね」
「ほんとよ」
 
 
 
「・・・・やっぱり関係者だよね、前のあのふたり。ただのおばさんストーカーとかじゃなくて。そうでなかったらああも言い切れないって」
「そうだね、カンナ・・・・・・でも、ストーカーは言い過ぎだよ・・・・もし聞こえたら・・・・・」
「あ・・・そだね。あぶないあぶない。でも、そのための・・・・すう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜だよね」
「いや別にお香を焚いてるわけじゃないから、そこまでの効果はないんじゃないかな・・・・・・・でも、よくこんなところまで気がつくよね・・・・・すう・・・・・」
 
 
 
「これは・・・・オゾンか・・・・草葉の匂い・・南洋の花・・・他にもいろいろとブレンドしてある、か」
「空調の故障でもガスでもない。彼らの仕掛けだよ・・・専用の音楽ホールなどには微妙な匂いや炭酸ガス酸素濃度をコントロール操作する空調装置があるところもあるが・・・こんな一般の体育館に設置する簡易タイプとは・・・しかもかなり高性能だ・・・・まあ、分かってはいるが通常の学生の発想と実行力ではないな・・・あの死腕刀の時は動くかどうか迷ったが・・・・・しかし、すまなかったな孤一、似合わぬ真似をさせて」
「・・・・これは、三課の仕事だったのか」
「広義ではそうだろうが、狭義では違うだろう。借りにしてもいいが」
「必要ない。零か、一か、お前との関係はそれだけだ」
「・・・・ふ。では、私は席に戻る。孤一、お前も配置に戻れ・・・・なんだ?まだなにかあるのか」
「ひとつ確認したいことがある・・・・・・・・”流しのアコーディオン弾き”という設定は誰が考えたんだ・・・?」
「私だ。さすがに、”ひとりチンドン屋”、というのも無理があるだろうと思ってな。その場合は当然、お前は白粉にヅラだしな・・・・・・どちらが良かった」
「そうか・・・配置に戻る」
 
 
 
「なんか・・・外の風いれたのかな・・・・ずいぶんと息がしやすい感じ」
「そうかあ?さっきの曲でテンションさがって熱気がおさまったからじゃないか?しかし、さっきの曲は凄みはあるけど、ちょっとあの流れの中でやるもんじゃなかった気もするな・・・なあ、マナ?」
「ほんとに?ほんとに?ほんとにそう思う?ムサシ?」
「いや・・・・・・だって実際なんか、空気が冷えてるっていうか・・・あのまま熱血調子で駆けてくれた方がオレはいいな・・・・と思う・・・・んだが、ケイタはどうだよ」
「むーん・・・・この匂いは・・・・確か撮影で行った植物園の・・・温室の・・・」
「なんだケイタ!!お前、ちょっと薄暗いからって距離が近いからってここぞとばかりにマナの匂いなんか嗅いでるというのか!!なんて奴だ・・・・くそう、オレも!!」
 
 
ごす!!!
 
 
「・・・・ムサシ、ムサシ?マナ・・・ちょっと青春に正直者すぎたムサシが息してないよ?これじゃなんの匂いかわからないよ?」
「ネガティブにため息なんかつく人は、応援団の資格はないの。しばらく息をとめてなさい・・・・・二人だけになっちゃったけど、ムサシの屍を乗り越えてわたしたちは地球防衛バンドの応援をしましょうね、ケイタ。この空気だからこそ、なおさら!応援団はこう考えなくちゃ、ね♪」
「い、いえす!マム!・・・じゃない、イエス、マナ!!」
「そろそろ始まるわよ・・・・・観客を一時迷わせ彷徨わせ、終に行き着く硝子の森・・・・・・そこに埋まっている彼の真骨頂、光輪を背負う孤独の絶頂が」
 
 
 
同時にイントロがはじまった。
 
 
南洋のジャングルの中をおもわせる鳥の鳴き声、猿の歌声、木の揺れる音、葉のざわめく音、そしてねっとりと輝く光の水の中で、なにかみたこともないような生物群が泳ぐ音。
日の暮れた山の中を迷っていたはずなのに、いきなり光の魔境のど真ん中に放り込まれたような。絶妙の導入であった。後者をいきなり始められても、観客はこうも深く音の中に沈められることはなかっただろう。己の傷の在処を探して迷っていたからこそ、連続する異境の音に深く馴染むことができる。どの曲のあとでもおそらく耳は違和感を生じたはず。
それほどまでにこの渚カヲル特製音源から発せられるイントロは奇妙かつ不思議であり、素直に取り込まれるには妖しいほどだった。だが、引き込まれた。
 
・・・青葉シゲルと、元・地球亡霊バンドの日向マコト、伊吹マヤの音源修理とデータ修復がなんとか間に合ったわけだ。
 
 
 
そして、もちろんステージ上には地球防衛バンドのメンバーが勢揃いしている。
あえて終わりの口上も曲名紹介もなく、相田ケンスケの観客の面を一瞬にして洗うような驟雨にも似たドラムからいきなり始まった!。
 
 
Lai Lai Son went to glass forest
Lai Lai Mom she`s sad
Lai Lai Gray Glass Century plant
Lai Lai We`ll be Mad
 
 
英語歌詞であるが、どこか未来の呪術を思わせる聞く者の根源に直撃するような洞木ヒカリの歌声である。奔放なそれに敬虔な待祭のようにして呼応する惣流アスカ。それだけでも黄金の組み合わせであったが、ラストである今回は鈴原トウジの男性声まで加わって野性味プラスでパワーをあげている。普段の英語の成績がどうという些末なことは問題ナッシングである!そこに綾波レイの流麗の曲線を描くがごとくの弦楽が入り聞く者の心を切なくなるような透明にしていく。そして、それらをすべて受け入れて増幅していく渚カヲルのアコーディオン。普通であるとか通常次元であるとかアベレージであるとかそういったものを一切計算放棄した、それはあくまで一時中断なのだろうけど、この曲が終わればまた彼は穏和な演技を続けるだろう、しかし今だけは。今の演奏だけは。なんか”降りて”きとんじゃないか、と思うほど。練習とはケタが違う、綾波レイでさえ震えがくるような鳥肌ものであり、まさに、神技であった。
 
 
すくっ
 
 
ここで起立して碇シンジのリコーダー独奏が入る。小学生に負けた、と惣流アスカに評価されてしまったが、それでも練習はしてきたのである。持ち主には確かに負けるが、そのリコーダーはなかなかの音を響かせた。タンバリンと同時演奏ということを考えれば彼も立派な中学生であった。きっちり霧島マナと葛城ミサトから同時シンジコールがあがったのも言うまでもない。
 
 
ひかりがふるえている(ひかりがふるえている)
さざめく未来で(さざめくみらいで)
だれかが呼んでいる(だれかがよんでいる)
ガラスの森から(がらすのもりから)
 
 
ガラスの森、それはダイアモンドダストが名前は綺麗であるが温帯の生命体にはどえらくきつい自然現象であるような、きれいなものには棘があるぞ的表現なのかもしれない。
実際問題、ガラスでできた森になど生命が住めるはずもない・・・・
しかし。だからこそ。歌い手は。娘は。孫は。姉は。妹は。
その心と声をもってどんな命を込めるのか・・・・・・洞木家の人々はそれをじっと聞き取っていく。
 
それとも、人の持つ暴走の均一概念の前には森などガラスのごとく脆く、造りもののそれでしか残っていないようなものになっているかもしれない。
 
 
時間より遠くから(じかんよりとおくから)
哀しみだけ見つめてる(かなしみだけみつめてる)
記憶から遠くから(きおくからとおくから)
哀しみだけ見つめてる(かなしみだけみつめてる)
 
 
哀しみ。ドライでもウエットでもなく、それは水の沁みない、凹みもなくデコボコでもない人間が感じるものではないのかもしれない。たとえば、鋼のような。心の完全を手に入れた者が感じるものとはもしかして・・・・
 
 
 
Lai Lai Son went to glass forest
Lai Lai Mom she`s sad
Lai Lai Gray Glass Century plant
Lai Lai We`ll be Mad
 
 
再び碇シンジのリコーダー起立。どうも目立たぬおとなしめの風貌でありながら前科があるのでたったそれだけのアクションで観客の目が引きつけられる。だが、当人は小学生に負けたというのがかなり悲しかったのか悔しかったのか、それどころではない。リコーダーに真剣に食いついている。なんか表現が怪しいが、彼も大まじめなのである。
 
 
いちど迷い込んだら(いちどまよいこんだら)
つまさきは消える(つまさきはきえる)
その扉は外へは(そのとびらはそとへは)
開かないから(ひらかないから)
 
 
なにかおこる
なにかおこる
なにかおこるんじゃないかなー・・・・まさかここで大人しく終わるなんて
「らしく」ないでしょう。こういう注目の仕方は正しいか正しくないかで言えば・・・
当然のごとく、後者であろう。間違っている、というか・・・”くるっている”。
 
 
だけれど、観客のいる空間は歌とそれに内蔵される魔術にすでに感染してしまっている。
予感がある。カンが鋭くなっている、といった方がいいか。今度は彼らに、ではなく、自分たちに、なにか起こる、と。そんな気がしてたまらない。たまらない。うずうずと。
 
 
時間より遠くから Lai Lai Son went to glass forest
哀しみだけ見つめてる  Lai Lai Mom she`s sad 
記憶から遠くからLai Lai Gray Glass Century plant
哀しみだけ見つめてる Lai Lai We`ll be Mad
 
 
そして、リコーダーを振る手が渦を巻く。観客への合図であるのはすぐに分かった。
指揮ではない、招声誘導。いわゆる「観客の皆さんも歌ってください」というやつである。
「ライライの英語歌詞のパートですので、お覚悟を。ちょっと間を置きますのでそれまでに周りの方々とお誘い合わせのうえ、ご参加ください・・・・らいらい さん うぇんと とぅ ぐらすふぉれすと らいらい まむ しーせっど らいらい ぐれいぐらすせんちゅりーぷらんと らいらい うぃる びー まっど・・・・みたいな感じです。和訳はまー、気にしない方向で」・・・・もちろん口に出して説明したわけではない、観客全体へのアイコンタクトである。なんとなく通じた。そんなの嘘だろと言われそうであるが、今の会場の雰囲気はそれも可能にするくらいだったのである!!さらに、そんなの信じないという疑い深い人は、リコーダーの力、リコーダーパワーなのだと納得してください。
 
もちろん、その間タイムストップがかかっているわけではなく、演奏は続いている。
リバーダンスにも似た高速リズムで「Laila Laila lailai Laila Laila lailai Laila Laila lailai Laila Laila lailai Laila Laila lailai Lalala Laila Laila lailaiLaila Laila lailaiLaila Laila lailai Laila Laila lailai  Lalailai Laila Laila lailai Laila Laila lailai・・・」とメンバー全員でライライを繰り返しボルテージを最強に強めていたのであった。もはや舞台裏の助太刀スタッフ連中も手製の木楽器を打ち鳴らしてたりそのへんを叩いたり足を踏みならしてリズムに加わっていた。当然、碇シンジはその間加わっていないわけであるが。その切り上げにメインボーカル・洞木ヒカリとバンドマスター・鈴原トウジとの双つの竜が渦を巻きながら天に上がっていくかのような阿の叫び
 
 
シメが近い。夜雲色の瞳をして、碇シンジが観客席に向かって釣り上げるようにしてリコーダーを持ち上げると、一気に全員全体コーラスが沸き上がる。体育館を揺るがす怒濤のような盛り上がり。大漁旗をかかげたくなるような、まさにニシン御殿の建設ラッシュであった!。そんな演歌漢の兄弟船キャラでは全くないのだが、さすがに渚カヲルも感極まったのか、やったぜ兄弟!!とばかりに碇シンジのところへ駆け込んで行った・・。
 
そんな姿をステージの上でモロ目撃して、女性ファンがちょっと悲しんだかもしれない。
 
 
時間より遠くから
哀しみだけ見つめてる
記憶から遠くから
哀しみだけ見つめてる
宇宙より遠くから
哀しみだけ見つめてる
 
 
Lai Lai Son went to glass forest
Lai Lai Mom she`s sad
Lai Lai Gray Glass Century plant
Lai Lai We`ll be Mad
 
 
そして、コーラスはアンコールに続いていく。