「こういうのを何写真というのだったかな・・・・・」
 
 
水上左眼は手渡された一枚の写真を見ている。そこには「誰も」写っていない。写っているのはちゃぶ台を中心としたざっかけない夕食の風景。当然、そこには用意されたものを食べる「誰か」の姿が写っているはずなのだが、あえて席を外したところを写したものか、あるべきはずの人の姿がない。影もない。こんなのどかな写真を見ているほど水上左眼もヒマではない。今日も朝から仕事がギュウギュウに詰まっている。学校に顔を出す余裕もない。
それをあえて日も明け切らぬうちから慌ててやって来たよそ者を城に入れたのは
 
 
「ずいぶんと写真うつりが悪いことだな・・・・シンジ殿も」
 
 
フォーカスされた者の名を出して一言で片付ける。地元の人間、ないし通常の取引相手ならばこれで話が終わったことを理解するのだが、いかんせん今朝の者は・・・もう少し相手をしてやる必要がある・・・・
 
 
「・・・あまり驚いていませんね。予想されていたんですか・・・ナダ様も、貴方も」
 
 
それが綾波の人間だったからだ。綾波コナミ。昨夜、碇シンジの写真を撮った特殊技能者。ひらたくいうと綾波の異能使いである。使うは被写体の魂を108の面から見抜くとかいう名器・魔キャメラ・バクベアード。べつだん碇シンジに興味も恨みはないが、綾波レイの次期後継に反対する一派である。
 
 
「いや、驚いている。なにせ写す現場を見ているからな。邪魔が入ったわけでもない」
 
 
表だって反対するとケンカ大好き賛成派たる武闘系の連中を勢いづかせるだけなので裏からチクチクと刺しながら彼女が争乱の胤御子であることを思い出させて皆の覚醒を促しつつトアを担ぐ準備を調えていた・・・・ところをある日、党首たるナダに呼ばれて「現在、竜尾道にいる碇シンジの式用写真を撮ってこい」という命令を受けた。後継候補の孫娘のために何人か送ったという話は掴んでいたが、こちらにそんな話が来るとは思っていなかった。
 
自分が写したのはただの写真ではない。ぶっちゃけると呪詛用写真である。
 
自分の能力は大したことはないが、バグベアードに写されてタダでいられるはずがない。
あれはそういうカメラというかキャメラであり、だからこそ持ち出してきた。
持ち出しの許可を得て、持ち込みの許可を得られた、というべきか。
恨みはないが、任務となるとやらねばなるまい。目をつけられているのは承知の上であるから仕事はきっちりとこなさねばならない。それが・・・
 
 
「まあ、たかが写真だ。失敗したならもう一度撮ればいい。道具がまだこちらの環境に馴染まなかったのかもしれない。別にコナミ嬢もシンジ殿の最高の演技をフィルムにとどめておこう、という志があるわけでもないのだろうから」
 
 
「・・・・滞在許可を延長していただいてもよろしいでしょうか」
 
たかが写真。
 
ここは怒ってみせるところだろうが、どうせ見抜かれている気がして素のままで返す。
 
自分の能力は分かりにくい。「”スイッチを押すだけ”」の能力だと説明されても分かりはすまい。玄人筋は、綾波の異能が機械と相性がいい、それも他の異能持ちの一族に比べて類を見ないほどに、くらいのことを知っているだろうが。単独では自分はなんの力も発揮できない。竜を駆ることを考慮すれば、神鉄か悪電かあるいはそれ以上・・・・この女の気まぐれひとつで帰れなくなる・・・・五体満足の安全チケットは期限が切れた。この先は己の才覚一つで立ち回っていかねばならない。引き返すなら、今しかない。この城にも、来るべきではなかった。
 
 
隻眼は語っている。お前たちに関わり合っているほどヒマではないのだぞ、と。
義理は果たしたから、あとのことは知らないぞ、と。後継の派閥争いなんぞ持ち込んでこちらの水を濁したら、お前ら全員ぶちころすぞ、と。問答無用の竜の眼で。
 
 
しかしながらその竜眼光をなんとか受け止める血色の双鏡。
たとえ赤の牙も朱の爪もないにしろ、ここで猿でもあるまいに紅に尻尾を巻いて逃げるわけにもいかない。
自分は、自分たちは、綾波なのだ。
 
 
「ああ、構わない。ナダ様から帰還命令がくるまでいつまでもおられるといい。それで思い出したが、コナミ嬢、お父上はまだ到着されないのか」
 
「思ったよりも依頼された会議の終熄に手間取っているらしく・・・」
まんざら嘘ではないが、本当でもない。引き延ばしているのだ。自分に同行してくれるという父の気遣いは嬉しいが、党首の命令でもないのにこんな危険地帯に入るこたあない。
 
「そうか。なにせお忙しい父君でいらっしゃるからな。やむを得まいな・・・札の手配は終わっているのでお待たせすることはないと思うのだが」
 
 
「ありがとうございます」
父親の綾波稲村Jも自分に輪をかけての腕力に欠ける”口だけキング”であるから、とてもこんなドラゴンが玉転がし競争やっているような地方都市に呼べるはずがない。指先ひとつでぺしゃんこだ。しんこうべのような文化都市とは違うのだ。冗談じゃねー、と思ったが少し意外だったのが、どうもこの女独眼竜、ほんとに父に会いたかったようだ。
こういう武断派には嫌われるかと思ったけれど、口で負かす必要がある相手でもいるのかな、と。
 
 
「礼を言われるほどのことでもないだろう。とはいえ、感謝をされるのは嬉しいことだ。
コナミ嬢には護衛を手配しておこう。長逗留になるなら必要になるだろう。ここでその身を狙う愚か者もいないだろうが、なにせ綾波となると・・・・その価値にトチ狂う輩が出てこないとも限らぬしな・・・」
 
脅しているようでもない、どちらかといえば眠たげな目をしている。ここを管轄している水上左眼にとって、この手の話は眠たくなるような部類に入るのだろう。つまり、警戒するレベルにない日常。伝えられた内容は圧縮すると、護衛はするから自衛はするな、とこういうことだ。街中でそのバグベアードを使うな、と念押しされたわけだ。あー・・・
自衛能力などハナからないのだから、ありがたいといえばありがたい。すぐに迷惑にかわるのだとしても。生命とか貞操のキケンとかには代え難い。
 
竜のごとき力をもっていながら、細心なことだ、と感心する綾波コナミ。
周りの人間はさぞやりにくいだろうなー・・・・と同情もする。自慰しているのもある。
 
 
もともと水上左眼には反癒し系、長居禁止オーラが出ているのだが、もちろん用事さえすめばさっさと出て行きたい、どうデコレートしても長話をしたい相手ではない綾波コナミとしては用事が済めばさっと回れ右となる。情報を引き出すには内容的には最高でも対価的に最悪の相手でもある。そういうのはもう少し年寄りの連中がやればいい。
 
 
自分がやらねばならぬのは、バグベアードでもって碇シンジの写真を撮ること。
その後のことは知らない。魂吸い取ったその写真で上層部が何しようと関知しない。
 
 
自分の力は微弱にすぎても、バグベアードのそれは、妖年期、というべきかその邪悪すぎる年季が証明している。いや、わたしも個人的には、こういう邪悪カメラというか変奇キャメラはとっとと滅んだ方がいいとか思うんだけど。まさしく「妖年期の終わり」みたいな、マジ、分厚いハードカバーになるくらいの悪事を積み重ねてきてるからねこの悪魔撮影機。とはいえ、一応分かっているのか、誰か偉い坊さんとかエクソシストが封印でもしたのか使えなくなっていたのを、スイッチ押したのが自分だからなー・・・・こいつの前に使ってた聖なるサイクロン掃除機が襲撃最中に寿命きちゃったのがまずいのよね・・・ベビーフェイスからヒールに転向ってプロレスじゃないんだから、それなのに、その節操の無さが恐い、とかいって評判上がっちゃうし、危うく番付表にも載るところだったし・・・そんな懐の深さなんてこの歳で、若さで、ないっちゅーの!十代に期待するなバカ!
あたしの能力は、あたしの能力はなあ・・・・!スイッチを押すだけなんだぞ!!と
マジメに評価してるとバカを見るんだぞ!と。
叫んでみたいができるはずもなく世界の中心で身の破滅。
 
 
とはいえ、今回のターゲットも同じ十代であるから難しいところだ・・・・
 
どういう手でブロックされたのか・・・・・あの寺がそもそも結界であるからそれがまずかったのか・・・もう少し調査をする必要がある、か・・・・・あるいは学校内ならさくっと撮れてしまったりするかもしれないっ。もはやよそでは食べられない食材満載のマル禁海鮮料理は美味しかったけど、長居したくない。同じ上にまつろわぬ反逆都市にしてもどうにもカラーが違う。水があわない。やはり水はしんこうべ。さっさと仕事終わらせて速攻で地元に帰ってやるっ、帰ってまた地味に政治活動しようっ
 
 
「・・・コナミ嬢」
 
 
また声をかけられてびっくりした。本当はさっさと帰って欲しいのだが、ブツブツ小さな声でなにやら呟いて考え事をはじめた他郷の小娘にさすがに呆れた水上左眼が、ふと思いついた・・・・少し、いたずらをしてみようか・・・・そんな軽い調子で
 
 
 
「人のスイッチを押したことはおありかな」
 
 
いきなり古傷を抉った。
 
 

 
 
おなかがいたい
 
 
特に胃の辺り。シクシクではなくキリキリする。神経性胃炎とかいうやつであろうか。
かといって胃薬を飲んでどうこうなるわけでもないのは、頭で理解している。
 
 
大林寺の自分の部屋でまだ布団の中にいる碇シンジであった。時間としては朝のニュースをやっている時間帯でありここで朝食をとったり支度をしないと学校に遅刻するのは間違いない。同居している父親の碇ゲンドウがいつまでも起きてこない息子を心配して部屋をのぞきにくる・・・・などという生暖か〜い怪談はじまる一歩手前、のようなイベントは起こらず、碇シンジはひとり腹痛にくるしんでいた。このくるしさの源は分かっている。
出来れば、それを早いところ取り除いてしまいたいのだが・・・・・・できない。
 
 
「・・・・こんなに、重たい・・・なんて・・・・・・」
 
 
昨夜の出来事。出来事、と簡単に言ってしまってよいのかどうか難しいところだが、当事者がその程度の態度をとっている以上、ハタで見上げていただけの人間がものものしく騒ぎ立てることもないだろう、とは思う。それが支配者の責務なのだとしても。
 
 
水上左眼が竜号機をもってして単騎、使徒を殲滅した。
 
 
早い話が第三新東京市でさんざんやってきた使徒戦の地方版、地方分戦というか。いまさら重圧を感じるような必要がどこにあるのかと自分でも思うのだが、昨夜から感じてきた重さは朝になっても消えない。それどころか時間の経過とともに目方が増えていってるような気がする。
ずっしり感に加えてキリキリ感がある。当然のことながら爽快の目覚めどころではなく、どんよりとして寝不足。おとぎ話か神話に、触れるものみな黄金に変えてしまう手をもった王様の話があったけれど、これは接触したものをすべて鉛にかえてしまう胃袋みたいな感じである。
 
 
「このブロンズ感・・・・・・・・・・・・ううううう・・・・」
 
 
別に楽勝で勝ったんだからいいじゃないの、と思ってみてもダメなのだ。
立場的に言えば、やられてヒメさんざまーみろ、といったところじゃないか、と思ってみてもダメなのだ。ヒメさんと竜号機がやられれば、そのまま使徒は東に流れて第三新東京市に・・・いかない保証はどこにもない、というか、こっちの方が進撃の邪魔をしているのだろう。それに成功すればするほど第三新東京市は安全、もとい、楽でいられる。
 
 
とはいえ、一方。体制が思い切り切り替わった現ネルフが自分たち親子にやさしい、とは思いにくい。なにせ機密の塊であるし、いろいろ後腐れがないように忍者のような刺客がシュパシュパ放たれて、こんな竜尾道みたいな街でなければとっくに始末されているかも、しれない。歴史を参考にしたりすると、そうなる。
 
べ、別に綾波(レイ)さんが、こ、こわいからじゃないんだからねっ・・・・ぶるぶる
 
 
「だましているのか・・・・・・だまされてるのか・・・・・・」
 
シリアスに呟いてみる。別にそれ誇りが取り戻されるわけでもないのだが。
それもはっきりしないのが、また悩みの種であり脳内農園にわんさか育ってしまっている。困惑のツルがのびて知恵のハサミでも切り裂けない硬い皮をもつ実がまるまると鈴生り。
 
 
割り切れ・切り裂け・断ち切れ、・・・・・・弾けろ!・・弾けろ!・・弾けて?
指でクルミを割ろうとしても・・・そんな徒労のイメージしか。歯ごたえありすぎですよこのハードラック。
 
悩んでも仕方がない。なんでこんなときに使徒がくるのかな、と恨みもするが。
人が来て欲しくないところを襲うのがまあ、セオリーではあるのだろう。くそ、と思ってはいけない。このぶた野郎、とかも思ってもいけないし、あのマシュマロマン野郎、とかも思ってはいけない。なぜなら、イメージしたとたん、そんな感じの使徒が来る可能性があるからである。マシュマロマンならいい。ぶた野郎でもぶたまんでもまだいい。勘弁してあげてもいい。しかし、くそはいけない。くそは。鳥山明先生がデザインしたよーな感じでもかんべんしてほしい。んちゃ、というか、ぐちゃ、というか・・・・お食事中のみなさんすいません。
 
 
おそらく
使徒はまたやってくる。
やられたままにしておくまい。
 
 
初号機はなくとも、行けと言われたり行くなと言われたりしているたかが中学二年生であるけれど、体験者、経験者としてそれに対して考えておかねばならない。自覚がある。
父親に全振りできない領域もある。一応、噎せるほどに自分を男と扱う相手である以上。
 
 
このプレッシャーというのは・・・・・きりきりきり・・・・・
ほんとうに大変なものがある。ミサトさんもよくアルコール中毒にならなかったなあ・・・・
 
 
使徒というものは個体差がありすぎる。能力も強さも同じ「使徒」でひとくくりにしてええんかいな、と、カダラでぶちあたる立場ではなく言葉で相手に説明せねばあかん立場になってみると、これはかなり厄介で難題であった。次にどんなのがくるのか、さっぱり分からない。予想しろ、と命令されればしないこともないが、それは霊感のみを頼りにする占いとえらく違わない。それに加えて潜在意識化の願望である「なるべく弱いの来てちょう」とかいうカラーが混じればなにがなんだか分からなくなる。数字で強さレベルを示してくれればいいのだが、そんなサービスをしてくれるところはどこにもない。
やられれば負けなのだから、来襲してくれればとにかく戦って勝つしかない。
偵察とか相手陣営の情報を盗んでくる、とかいうことは一切ない。要するに・・・・
 
 
でたとこ勝負!、であったわけだ。
 
 
軍師も参謀もあったものではない・・・・なんでもこい、というあたり学校に似ている。
 
 
そんな勝負に参謀の仕事などあるはずがない。参謀の仕事は戦う前の準備であり、勝利の支度を調えること。さらに始末の悪いことに、この参謀は自軍の戦力の内容を知らない。
 
敵も知らずに己も知らない、そんな軍師がいてたまるか。
 
 
竜号機。
 
弱くはないのだろうが、基本的にエヴァのなり損ね、ではある。資質でいえば最低をさらに下回る。船底の下にあったものが、なぜか空をも飛んでいる。どこかに無理があり、そこが弱点につながらない保証もない。普通そうだ。どこかに穴があるのだろう、ただそれが余人には見えないだけで。水上左眼が見せないようにしているのか。連戦をすれば見えてくる、ものがある、はず。自分に見抜けるかどうかは別として。竜が馬脚をあらわすか、どうか。
 
 
・・・・・こういったことに思い煩い、本来この地でやらねばならぬこと果たさねばならぬことから遠ざかりつつある自分が失格だと思い。さらに鬱になる。布団から抜け出せなくなる。ああ、もう今日は学校やすんでやれ。最近ドタバタしすぎたし・・・疲れもたまっていたんだよきっと・・・・少しは休まないと・・・・・本当は頭をフル回転させねばならぬ状況下であるのだが・・・燃料たる糖分と何より熱が欠けていた。
さぼりださぼり。今日は学校休む。ヒメさんもさすがに今日は行けとは言わないだろう。
 
 
 
「いーかーりーくーん、学校いきましょー、いーかーりーくーん」
 
 
それなのに使者がやってきた。「いーかーりーくーん、ちーこーくーしますよー」
間延びした小学生的発声法。ロリというより、昔は誰でもそうだった的感覚が逆に羞恥を。
声は向ミチュのものだが、彼女一人ではまさかあるまい。ここまで来たということは、いつもの面子がそろっているに決まっている。赤面を隠せぬまま呼びかける向ミチュの隣に立っている他の三人のこと、特に生名シヌカのことを考慮するに速攻でいかねばあとでろくな目にあわないことは容易に想像できた。自分でも同じ立場に追い込まれた日には・・・・・
 
 
「はいハイはいハイはいハイはいハイはいハイーーーーーーーーッッッ!!!」
カンフーアクション映画そこのけの動きで布団から飛び出し着替えをすませて最低限の身だしなみを調えて四人の前に登場する碇シンジ。勢い余って側転で登場してしまった。
 
 
「・・・・なんでそんなにハイテンションなんだお前。その髪、5分前まで布団の中にいやがっただろ。うつるから10メートル以上離れてついてこい」
朝の挨拶より何よりも先んじる生名シヌカの冷たい視線。どちらかといえば三人を桜色の苦境から救うべく己を囲む鬱心境から大急ぎでやってきたというのにこの言われよう。
 
 
もうだめだ・・・・今日はもう学校いけない・・・・気力なくした・・・・・・
 
 
「そんなこと言っちゃだめですよ、ちこくしそうになったらふつう、あわてますよ。だからあわてちゃったんですよ。だから、へんなひとじゃないですよ。あ、おはようございます、いかりくん」
向ミチュの笑顔は笑顔として、笑顔はいいのですけど、この言われようも、微妙だった。
 
「あ、おはよう・・・ございます、みなさん・・・・あー、でも僕、今日は・・・・」
 
 
「登校は学生の義務です。途中で切り上げるのは当人の意思だとしても。とりあえず同行していただければ、僕たちも定刻に授業を受けられるのですが」
弓削カガミノジョウに却下された。
碇シンジが不良学生であればとにかく反抗したくなるような口調と表情ではあったが、碇シンジは何故かこの白物系少年に一方的にシンパシーを感じるのでそれもそうかな、と素直に受け入れる。内容自体は思い切り見捨てられているわけだが。
 
 
「朝めし、くってないだろう。これ、喰うかあ?」
玄関に入りきれてない大三ダイサンが実のところ、一番やさしい。ソフトボールくらいある山賊おにぎりをくれた。バナナを一房くれた。2リットルのお茶ペットボトルをくれた。
キャベツを一玉と納豆も一パック「納豆のパックだしは肝臓に悪いから入れない方がいいんだぞう、からしだけでいくのがいいぞう」もくれた。・・・大きすぎる親切もちょっと困ることもあるが。これを学校に着く前に全部食べきれと?・・・・その体格を考えればこれはいじめでも罰ゲームでもないのだろうが・・・・「あ、ありがとうございます・・・」えーと・・お箸かフォークは・・・ま、まあそれは、そこまでは甘えすぎですよね?
 
とにかく、もらった以上は、とにかく行かねばなるまい。彼らとともに学校へ。
 
おそらく水上左眼の差し金なのだろうが、いちいちそれを問わない碇シンジであった。
 
 

 
 
むねがくるしい
 
 
授業中、ちらちらと蘭暮アスカの方を見やりながら碇シンジは言葉にならぬ思いを胸中に高速回転させていた。こわれかけのレコードのように。もちろん、このところおぼえはじめた恋情を彼女に告げるかどうか・・・・そのようなことに悩んでいたわけではない。
 
 
色も世もない使徒関係
 
 
話題は是に尽きる。親父が頼りにならない以上、なんとかギリギリこのことを話し相談できそうなのは、蘭暮アスカ、彼女しかいない・・・・そのような妄念に囚われてしまう。
これは目の毒だと、思う。彼女を見れば、そう思ってしまうのだ。彼女にぶちまけてしまえばどれだけ楽になれるだろうか、と。一番最上の相談相手は葛城ミサトその人なのだろうが、実際会えないのだから意味がない。第三新東京市にすらいないというのだから。
人の縁、というやつは・・・・・
いにしえから賢者も愚者も普通の人も考え続けてきた命題であるが、
解答する資格を我は得た、という人間の話も聞かない。
 
 
はあ・・・・〜・・・・・〜・・・・・
 
 
思い切り幸せが逃げるようなため息をつく碇シンジ。軍師には運も必要だと言うが。
 
 
「ほら、そこの碇シンジくん。ため息なんかついてどうしたんですか?。成長著しい青少年ですから悩みもするでしょうが、あまり思い詰めてはだめですよ。」
 
我馬津チヨ先生から注意された。今日の一時間目は「健康の時間」。保健体育とは一線を画した別物である。これも竜尾道の学校特有の科目であり「将来子供が何になろうとも、健康であることは絶対に必須のことだから」と水上左眼が付け加えたらしいが、小学校からこの科目があるというのだからすごい。まあ、確かに不健康なおっさんおばさんになってから躍起に健康を追い求めてもすでに遅いところはある。「別に健康になれ、と命じてるわけではないよ。不健康になるのも当人の自由ではあるが、あくまでそれは承知の上でないとな」と上から目線ではあるが、「まあ、私には関係のないことだが」と寂しそうに笑ったのがどうもひっかかったりしたがそんな話をした覚えがある。授業内容も目からウロコの話が多くてけっこう面白い。自分の体に直結する話であるから、これは学年にあまり関係なく向ミチュも弓削カガミノジョウも同レベルに興味を持って聞いていられる。麻薬に関しての話もでてきて、ぎょっとさせられる場面もあったが。健康は奥が深い。
 
 
「じゃ、先生がシンジくんの好きそうな歌を歌ってあげましょう。さあ、いきますよ!
ドン・ガバチョの歌!
 
♪きょうがだめならあしたにしましょ、
あしたがだめならあさってにしましょ、
あさってがだめならしあさってにしましょ、
どこまでいってもあすがある〜♪」
 
 
なにかと理由をつけてこの歌を毎回歌うのがちょっとアレであるが・・・・
 
少々、意外なことにこの歌を聴くと、蘭暮アスカが、その横顔が、ぱっと輝いて、アスカの、惣流アスカのそれになる・・・ような気もするのだ。もちろんIPS認定されている身であるから堂々とそれをガン見することなど許されるはずもないが。
 
 
しかし、碇シンジの視線の隠し方もそれなりに上手いが、それを見抜く女の眼力に比べると。生名シヌカや綾波コナミ、それから当の蘭暮アスカなど。同じ男でも弓削カガミノジョウなどはそれに気づいている。心中までは推し量れないが・・・そのつもりもない者が多い。その中の綾波コナミなどは特に自分の都合最優先で遅刻ギリギリでしかも取り巻きそろえて登校してきた碇シンジには心底げっそりであり、いかに撮影の機をとりつけてやるかそれしか頭にない。なんで綾波の自分が、こんなイナカに来て異能の”位負け”しないといけないのか・・・あの明らかに学年が違う取り巻き連中・・・・くやしいがしょうがない。戦闘系でない己を嘆くしかない。が、やることは必ず果たしてみせる。あの女独眼竜に変に利用価値を見いだされない内にとっとと。
 
・・・・というわけで、こっちは、きょうがだめならあしたにしましょ、どころじゃねえ!
 
カンにさわる歌であるが、地元ピープルどもはこの歌が大好きらしい。くそー。
とりあえず、一時間目が終わった休み時間にでもさっそくアタックをかけてみるか・・・
綾波コナミの目論見を台無しにするように
 
 
きーんこーんかーん
 
「二年楓組の碇シンジくん、二年楓組の碇シンジくん、お家の方から連絡が入っています。至急、校門前に待たせてある駕籠で帰宅してください・・・繰り返します」
 
 
いきなり呼び出しがかかった。いろいろちぐはぐな感じが本当は誰の呼び出しか碇シンジには容易に察せられる。そしてその用件も。クラス中の注目を浴びながら立ち上がる。
 
 
「碇シンジ、帰宅します」
 
ほんとに何しに来たのか・・・・歌を聴きにきたようなものだ・・・・ここまでくると苦笑いするしかない。仕事が恋人ってわけでもないのになあ・・・・帰宅直前の教室に一人立つ生徒、あまり絵にはならないかな。ここで立ち上がらず、座り込んでいればおそらくこの街、この教室はそのぶんだけの平安を約束される。この行動はそれを脅かすこと。
 
僕はみなさんの敵かもしれない。「そうね、そういうことなら急がないと。あとは皆がやってくれるからノートとか鞄とか。心配せずにガバチョといってらっしゃい」なのに。
 
けど、行かなければ。
 
 
一礼して駆け出す碇シンジ。
 
 
その背をいろいろな目の色が追うが、迅雷電光の速度に追いつくのはやはり知れた蒼の色のみ。昨夜のことを知っているラングレーであった。同様のことがまた起きた、と。
 
 
初号機無しでも使徒と対峙せねばならないその立場・・・・・・まあ、同情はする。
 
声援も合力もできる立場ではないが。それとも、この場においてあの怪物はいよいよ本性を見せるのか・・・・・化けるのか・・・・・興味は尽きないが、我が身が優先する。
ドラとの闘争が大詰めを迎えている。碇シンジなぞにかまけている余裕はないのだ。
 
 
鼻が蠢く。海の匂いばかりが強かったここにもようやく戦火の匂いが圧してきている。
・・・しかし、これは香りの利き違いなのか・・・・どうも微かにワインの匂いが。
自分の内からのものか外からのものか、それも判然としない。内からとしたらドラのやつ、戦の予感に酔うているのか・・・・
 
 
 
いずれにせよ・・・・使徒戦が始まる。