「福音丸?さま?・・・って何のこと?」
 
 
ここは情報の仕入れ時、とも思えないが、仕入れる時に仕入れておかないと次にいつ機会がやってくるか分かったものではないのは親やお金や食べ物などの有り難みと同様であろう。碇シンジは目の前の小坊主に尋ねた。不法侵入かつよそ者であるのはもうバレバレなので躊躇しない。これからおまえは”様”つきのお方に連れていかれるのだぞ、とはっきり言い渡されているのだから遠慮も演技も必要ない。
 
 
しかし、”様”がついているのだからそれなりにお偉いさんなのだろうが、こんなどこの馬の骨ともしれぬ若者相手に直々に出張ってくるとは、しかもこんな夜更けに、ずいぶんと仕事熱心なことで。だから尊敬されているのかもしれないが。小坊主の口ぶりではいますぐにでも「それ」がやってきそうな感じであったが、いつ連絡したのか。それとも。
 
 
「お札」がない、ということを離れたところから嗅ぎつける能力でも持っているのか。
はたまた。
「福音丸様」と聞こえたが、半紙に墨でもって文字で示されたわけでもないので実際のところは「フクインマルサマ」一気に発音するとハヌマンラングールみたいな外国のおサルの一種かと思えるが、「フクイン・マルサマ」中途で切ると人名のように聞こえないでもない。が、まあ、流体心理学的に考えると、ここはまあ、不届き者よそ者を問答無用で捕獲撃滅する集団の名前なのだろうな、と。”お札”がパスポートやら登録証の役割をしていると考えるなら、自分で望んだ状況ではないが非理は自分にある。しまったな、こんなことなら逃げずにいたらちゃんと説明してくれて「お札」とやらもくれたかもしれない。
と、後悔しても後の祭りである。
 
 
「ここでは仏様よりも神さまよりも力をもった存在です。ちなみに一応ここは仏領なので神さまよりも仏の威徳が上位にきます」
 
小坊主の返答はもしかしたらサルの一種かもしれないなどという碇シンジの妄想を砕きつつ、相手の求める必要なことをきちんと与えていた。
 
 
それは。
 
 
人間などではない、と。
 
 
だから抵抗しても無駄だし、こっちに泣きつかれても迷惑なだけ、と慈悲の欠片もない通達の意味もあった。
「あと質問は一回だけできます。それが終わったらもう少しひらけた場所へ。あなたにも福音丸様にも観覧車の修理費用は請求できそうにないですし」
 
 
人の言いたいことの先に先に。どう見ても年相応の小坊主にしか見えないのだが、その年齢でこの調子ではこの先生きていくのがかなりつらいのではないだろうか・・・・。
ふと、心配してあげるほど碇シンジにも余裕はない。「と、なると・・・ここで”質問数は増えないんですか”・・・なんて聞いたらそこでもうアウトだな・・・」真面目な顔でこんなことを呟いている。
 
 
「福音丸様に敵うのはこの竜尾道でも目玉の姉妹のお二方だけでしょう・・・・・ああ、最近やってきた京都の匂いのする男性もお札も無しでうろつきまわっておられましたが・・・・それはおそらく目玉の姉様の睨みが利いた例外で、・・・ですから、”ヘンな逃げ方”はしないほうがいいですよ。周りの被害を考えてください」
 
 
当然のことながら逃げる算段をしているのだろう、と小坊主は見た。なんの力もない人間が札も無しにこの地でウロウロすることはできない。しかもこんな夜に。福音丸に見つけてくれ、と言っているようなものではないか。力はあるが調査能力がないのか。
それとも・・・・見かけのとおりに何の力もない、のか・・・・・ほんとうに
 
 
奇妙な少年。こんなところにいるはずがないものがここにいる。その奇妙さ。
左腕が肘のあたりから無く、それを包帯ではなくビニール袋と紙袋で覆っている。
その事実もこの奇妙さの天秤を平衡にするにはだいぶ足りない。どこぞの工作員とするには、あまりにも・・・・・珍獣じみている、というか。影のように潜む気などさらならない、その人の世などまたいでとおろうとするノンシャランとした感じ。なにか、これから起こる大きな事象に対する吉兆か凶兆か、それを魁けて知らせる「何か」をたまたま見つけてしまったような・・・・・仏教系の業界にありながら自分がこういう性格でなければ小水をもらすほどの興奮を覚えていただろう。予感はあった。厄介で面倒なものを見つけてしまった、と。
おそらく、自分でなければこの者の動きを、場の乱れを、見抜くことはできなかった。
何をする気だったのか知らないが、好きなだけこのゴンドラにいたことだろう。
 
 
それでも興味は10%を越えず、単に日課である料金の回収に来ただけのこと。
見て見ぬふりをしてもよかったのだが、扉を叩いてしまった。もしかすると、最近市街の噂になっている”札無しゲン”の関係者かもしれない・・・・この見事な隠形は。
それに対する興味は八割を越えていた・・・目玉の妹との関係とともに。
それで、京都の匂いのする・・・男のことを口に出してみたのだが、反応はなく。
ただ。
 
 
「君の名前は?」
 
こちらの名を問うてきた。
 
 
「い、因島ゼーロといいます。見ての通りの小坊主ですよ」
そんな意味のないことを質問されるとは思わなかった。
 
 
「僕は碇シンジ。それじゃ、お邪魔しました。観覧車、回ってなかったけど乗ったから料金がいるのかな?」
それは質問ではなく確認。ひとではないものがおまえをおっていまにもくるのだ、と告げられても碇シンジと名乗った奇妙な片腕少年の雰囲気は変わらない。いささか困っているふうではあるのだが慌てても恐れてもいない。その割りにはあまり高貴なオーラとかはない。はたまた剛毅、度胸がいうよりは慣れているというか・・・
 
 
「・・・稼働していない間なら料金はいただきません。そもそも営業時間中でもないですから」
「そうかー。ありがとう」
礼をいわれる覚えもないが、透き通るような笑顔にドキッとさせられる因島ゼーロ。
 
「一円も手持ちがなかったから、ラッキーだったよ」
その言いぐさにもう一回ドキッとさせられる。少なくとも賭場やカジノを荒らし回っている”札無しのゲン”の関係者ではないようだ・・・。
そして、碇シンジは猛ダッシュでここから立ち去るのかと思いきや・・・・・てくてくと
 
 
ポニー牧場の真ん中に・・・・・「よいしょ」格好良く柵を跳び越えたりはせず器用にすり抜けて・・・・・・移動した。ポニーたちは厩にいるからそこで少々の荒事があっても問題ないわけだが・・・・どうせ、ほとんど抵抗らしい抵抗も出来ずに連れて行かれることになるだろう。おそらくは、一瞬で。それはこの切断海賊都市のルール。異論を唱えることすら許されない絶対的力による絶対の法則。
 
 
「逃げないのですか」
「離れた方がいいよ」
 
 
柵の内側と外側で同じタイミングで声が。片腕少年、碇シンジは自分から柵の中に入っていった。これは逃げ場を封じることであり、先ほどまで名前も知らぬひとではないものと対峙することを選んだことになる。背を向けたその姿は決闘者のそれをおもわせた。
 
 
「福音丸様に捕まった札をもたない陸者がどうなるか、わたしたち竜尾道の住民は誰も知りません。あなたはこれからそれを見、知ることになります」
だから、いわずもがなのことを言ってしまう。アテが外れた以上、早々に寺に戻るべきなのだが。「碇シンジさん、あなたは・・・」立ち去ることが出来ない。沸き上がる猛烈な好奇心。これから、己の目でも読み切れない事柄が始まるぞ、と背筋が震えて。予感が。
 
 
「何者なのですか・・・・・まるで、ここがどこか知らないような顔をして。ついさきほど、そこのゴンドラで生まれたような顔をして」
 
 
「知らない。ここがどこかなんて」
スピードマスターな小坊主の問いかけをさらなる飛燕の速度で切り返す碇シンジ。
 
「日本語が通じて小坊主さんがいても日本じゃないかもしれない。もしかしたらどこかの国のリトル太秦シネマ村かもしれないしニュー太秦映画ビレッジかもしれない」
余計なセリフをつけくわえながら・・・・夜雲色の瞳が吸い込むように空上を見上げる。
 
 
「ただ・・・逃げる必要はないんだ」
 
 
「知らぬが仏ですか。わたしがいうのもなんですが。加護は期待しないでください」
ハッタリも相手のことを知らねばそもそも成立しない。可憐な令嬢ならともかく小坊主相手に見栄を張っても仕方ないだろうし単なる自暴自棄にしてはその声は、あまりにも・・・・・・こう表現してもいいのか迷うところであるのだけれど・・・・・勝利を確信しきっている。もしかしたらただのバカかもしれない。
 
 
「・・・・・左腕が疼いてる。”逃げる必要は全然ないゼル”って。だから、逃げられない。自分たちが逃げるわけにはいかない相手だからって」
その声が聞こえるのは自分の耳がいいから以上に強い意思が込められているせいだろう。
内容そのものは完全に熱血電波ホラーであり、ジャンルさえ判然とせず、どうだ、まいったか、といわんばかりで参るしかない。
 
 
 
「・・・・御到着ですよ」
 
 
告げて、小坊主が遊園地の出入り口でも奥の方のサル山でもなく暗い夜空を見上げる。
 
 
ゆるゆると
ゆるゆると
 
 
いつまでも咲かない花火のようなもったいをつけた白い火の線が
さして星座も刻まれていない夜の天球をなぞり
こちらにやってくる
 
 
一直線に迷いなく
人の願いを暁の先に届ける業務を放棄した流星のように
加速した
 
 
今回、どこから”それ”が発射されたのか見極めようとしたが、果たせない。
 
さすがに黒と白、二つの目を使わねばやれぬが、今回は両方とも見たがっているのは遠方のそれではなく、すぐ目の前の少年の背中。どこから相手がくるのか分かっているように視線は固定、空を見上げたまま。なるほど、言うことは嘘かもしれないが伊達ではない。
出入り口に注意を移すだろうかと試してわざと告げた因島ゼーロが感心する。が、来る方向が分かっていても彼我の力の差は絶対であり、ふいを突かれなかったとしても・・・
 
 
「ワイヤーケーブル付き狙撃ロケット掴み(クロウ)!?しかもこのナックル具合は・・・・エヴァ?」
 
 
彼が叫んだとおりに、竜尾道の何処かから発射されてきたのは異形の「巨大な白い手」
人間などまるまる掴んで十分余裕があるほどの大きさであり、しかもあくまでそれは福音丸の拳手ひとつでしかない。ここの住人は巨大な物体が空飛んだりするのは竜号機で見慣れているが、それでも必要分の拳一つだけ正確に飛ばしてくる福音丸には恐れを禁じ得ない。
「つまりは既確認エヴァキャッチャー!?もしくはアンカーパンチランチャーといってしまっていいのか!僕、碇だし!!」
・・・・よくもまあ、素人がこんな一息でここまで。それとも単なるパニック症状か。
 
 
だけれど、対抗など、とてもできまい。
力が違いすぎる。どんな異能の持ち主でも戦闘術の達人でもミサイル相手に真っ向から立ち向かったりせぬように。来る方向が分かっているくせにかわそうともしなかった彼
もうちょっと人目を忍ぶ方向でしずしずと考えていたのか、まさか、こんなものがくるとは思ってもなかっただろうが・・・・
 
 
”碇シンジ” 対抗する手段はなにもなく、なんらかのアクションをとるでもなくただ、突っ立って・・・・・
 
 
「南無福音丸・・・・・」ああ、終わったな、という思いとともに合掌瞑目、小坊主は因島ゼーロ。単純明快な捕獲方法なだけにいったん認識されれば小細工は通用しない。
「南無福音丸・・・・・」
 
 
左腕を差し向ける。肘から先はないわけであるから・・・・・・いわば
 
 
幻の左を
 
 
きゅおっっ
 
 
目を閉じていたから鳥が鳴くような音だけが聞こえた。それも、焼き鳥にされてもささみに刻まれても死にはしない代わりにこっちの魂を啄むような雷の鳥の声だ。閉じていた目の裏をも一瞬白く染めるほどの光量がその証。尋常ならぬ光が今、この場で炸裂した。
 
 
「な・・・・・・・」
 
慌てて目を開けると、そこには片腕の少年、碇シンジの姿はあったが、福音丸の手は消えていた。驚きはあったが、すぐに夜空に黒と白の目を向けると、獲物を捕まえることなくむなしく手をひらいたまま引き戻されていく姿が。
 
 
「そんな・・・・どうやって・・」
 
視線を少年、碇シンジに戻すけれどその秘密は分からない。どうやってあの福音丸を追い払ったのか。秘密というか、完全にあれは力ずく。弱点をついた、とかそういった感じではない。ただ福音丸より目の前の片腕の少年の力の方が強かったから一時撤退した・・・場に立ちこめる雰囲気はそれを教える。
 
 
「僕、あそこへ行ってみるよ」
 
「あそこ・・・・・へ?」
唐突に告げられて、無意識に後じさる因島ゼーロ。凶兆、危険、などという代物ではなかった。なんだこいつは・・・・・・しかもただ今のことを誇るでもない。かろうじて退けた、という感じではない。当然の如く、ふりかかる火の粉を払っただけ、という立ち姿。
”鬼の子”・・・・・ふと、そんな単語が浮かびあがる。一瞬、紫の鬼が彼の後ろに立っているのが見えたから。ほんの、一瞬のことだが。
 
 
「さっきの腕が戻っていったところ。つまりは発射地点」
 
「ぶ!!」
ぬけぬけと続けられて思わず噴き出してしまう。あまりにもあまりにも。こちらの常識とは違う。読めない。いや確かにそれだけの力があればそんな真似もできるだろうが。にしても・・・いきなり全面戦争勃発か。「いや、それは・・・・・」
 
 
「どうしたの?具合が悪い?」
ひゅるり、と柵から器用に抜け出し・・・「おっと・・・これは」左腕のビニール袋を締め直して・・・こちらに近づいてきた。その表情はあくまで年下を気遣う年上の少年のもので悪意の欠片も感じられない。それがかえって恐ろしい。もう少し傲慢になったり偉そうに余裕ぶったりしてくれるほうが付け入る隙があってやりやすくて安心できる。
謎の怪物少年ならそれらしくしてほしい。それならばすぐに逃げられるのに。こうもすんなりと近づかれたりはしないのに。「いや・・・・あの・・・・ですね・・・碇さん・・」
 
 
 
「そこまでだ」
 
 
凜として力強い声が響いた。竜尾道一番の有名人の声だったから、因島ゼーロにはすぐに分かったが、そんなローカルVIPのことなど知らぬ碇シンジの反応は少し遅れた。
まさか、声の主が自分を第三新東京市からトランクに詰め込んでここまで拉致してきた張本人だと知っていればもう少し対応の仕方があったのだろうが・・・・・・
 
 
「水上流交響抜刀術・・・・・・”嘲笑する聖徳太子”・・・・・聴け」
 
超高速の多重抜刀術を喰らうことを命令されて、そのとおりにモロに喰らってしまった。
どこらへんが”嘲笑する聖徳太子”なのかよく分からないが疑問を呈する余裕など無く、柵を越え牧場を突っ切りポニーたちの休む厩まで攻め攻めにぶち込まれた。
そのあたりが聖徳太子、なのだとしても笑う気にも咎める気にもなれない。
なにせ相手は水上左眼。この竜尾道の親玉なのだ。
 
 
「ああ、厩舎の修理代はこの者の父親につけておくから心配するな、ゼーロ」
さすがに怯えるポニーたちをひと撫でで落ち着かせて、完全に意識を失った片腕少年を軽々担ぎ上げて戻るなり平然と言った。剣線など見えるはずもないが、あれだけの突進をくらってよくバラバラになっていないものだ。修理代の心配もなくなったのでそれだけ感心する。
 
 
「・・・・・ケガはないようだな。どこか囓られたりしていないか?ならいい。お前の彫金のセンスは得難いからな・・・小坊主など辞めて早く工房に入ってくれればいいのだ。念仏などお前も信じておらんのだろう」
荷物を下ろしてからにすればいいのに、担いだまま腰をかがめてこちらの様子を見る片目。
眼帯に隠れている方の”左眼”・・・この竜尾道を支配する目玉ではない方の人の目で。
「・・・仏様はとにかく、義務教育中ですから」
「まあ、そうだな。・・・それから、今夜のこの者のことだが・・・・・」
「言っても誰も信じないでしょう。札無しの二人目・・・そして、福い・・・・・いえ、なんでもないです」
「ゼーロ、信じているぞ。ではな」
 
 
碇シンジを担いで登場と同じくらいの唐突な速度で退場していく水上左眼。
「用事がひとつ増えたな・・」そんなことをひとりごちながら。
 
 
 
「我が妹ながらほんとに容赦ないねえ・・・・・ところで、なんであれで死んでねえのかね、あのコゾー君は。あれだけ打たれればアフリカ象だって死んじゃうぞう」
「さあ・・・たぶん、ギャグマンガ体質なのでは」
「・・・ギャグマンガじゃ福音丸は退けられないだろうしねえ・・十字の光線か・・・とにかく無駄足かと思いきや、けっこうなモンが見れたし、帰るかね。皿山」
「だから、サーラって呼んでくださいよ。皿山なんてダサくて。イメージ的に皿洗いのバイトがいつまでも終わらずに山積みみたいでカッコ悪・・・・・・ってリーダー!おいてかないでくださいよ!」
 
その様子を改造二輪で木に登った謎の二人が見ていた。謎といいつつ、片方の片目の女は水上左眼の姉である水上右眼。片方の男はサーラと呼ばれたい皿山であり水上右眼の子分であった。