あれから一週間ほどが経ち、水上左眼は毎日大林寺にやってくる。
 
 
毎日、というのは一日一回という意味ではなく、午前と午後に必ず一回、多いときには飯時にも遠慮せずにあがりこみ、夜中だというのに接待で飲んできたらしい酒に顔を赤くしながらもやってきたりする。さすがにその折は寿司詰めの手みやげ持参であったが。
 
 
「いや、すぐそこまで来たものですから。あなた方の健康状態を管理するのもわたしの仕事です」
などと言いながら。ひどいときなど別に約束もしとらんのにどこか遠方へ行ってきた帰りなのだろう竜号機で直接アタック急降下ののち滑り込むようにして屋根の上に浮上駐機したあげくにそんなことを言われても信用のしようがない。
 
 
遊び人ならばいい。桜の入れ墨などしているとそれも仕事の一環になるのだろう。
が、
 
 
水上左眼という女はずいぶんと忙しい。竜号機を自分たちの商売に使い回して世界中を文字通り飛び回っている日々を送っている。使徒殲滅の折にしかエヴァ使用が認められない第三新東京市とはえらい違いだった。まあ、たいていの自治体ではそういうルールになるだろうが。あんな巨人を有効利用しようという発想は、尋常のものではない。ここの住民は統一された意識をもっている。排他的な隠れ里根性ではなく。どこからどこまでが自分たちの縄張りか明瞭に知らぬ都会の迷える羊ではなく、自分たちが一人一人が必死に漕がねば防がねば沈むことになる船に乗っているのだという人は櫂人は底板的自覚というか・・・・確信犯的共犯気分でなければ、あんな一個人が自由に動かす巨人竜など許容しがたいだろう。いざというときの安全装置、鎖ともなるべきアンビリカルケーブルもなく、ああも自在に空なんぞ飛ばれた日には。それとも人はそれにも慣れてしまうものなのか・・・・・・
 
 
それはともかく、そのなんとも忙しい女が一日一回でも訪れるのはかなりスケジュール的に無理をしているのに、それを数回、というのはおかしいとしかいいようがない。
碇シンジにしてみれば不思議でしょうがない。「ミサトさんみたいな人ってほかにもいるんだ・・・」
 
 
もちろん、理由がある。
 
 
逃げられていないかどうか、心配でしょうがないのだ。碇シンジに。
 
 
こう書くと惚れただのはれただの、というように響くので、碇シンジ「が」。
 
 
逃げていないかどうか、心配でしょうがない。
 
 
とすると、なにか飼っているワニが気ままに外に散歩に出たかのようであるが、まあ、こちらのほうが近い。もしくは知能のある恐竜。L・E・Dデータブックに載せたいような、たいそう危険な怪物だ。
交渉の道具にされる予定だった息子がやって来た以上、父親のゲンドウもいままで通り大人しくしているかどうか分かったものではない。
 
 
寺から出るな、と碇シンジには言い渡してある。本人もそれを素直に受諾した。
内心は知れたものではないが、理解が早くて助かった。父親が近くにいるせいもあろうが。
 
 
「私が、君をあの都市の混乱に乗じて拉致した。目的は・・・この街のことを知らぬ今この段階で口にしても理解されないだろうから、初号機を得てからその話をしよう・・・・」
 
説明にもなってないただの足止めに「そうなんですか」の一言で応じたまま。
 
 
ばか正直にそれを守っていることは監視の連絡から知っている。寺の内部まで見ろ、とは命じていないから一日、寺の中で何をしているのかは面と向かってこの耳で聞くしかない。
 
 
聞くだけなら、もろに長期休暇まっただ中の家事手伝いの中学生だ。戦闘訓練の類はいっさいやらない。情報収拾の類も一切しない。こっちの出す情報をそのまま信じているようだ。まあ、第三新東京市ネルフ関連に関しては元・司令である碇ゲンドウの手前、こちらの収拾可能な限りの確度の高いマブネタを出しているのだが。人事関連の荒れ模様も二人は黙って聞いていた。公的存在としては抹殺されたわけだが、どうもあまりこたえた様子はない。
その態度・・・・
どちらかというと、こちらの方がこたえた。
 
 
碇シンジの左腕はあれきり語り出すことはなかった。皮膚の内側でひそかに語っているのかも知れないが、もう聞きたくないので高性能の義腕を与えた。与えて隠した。まだ表には流通していない「サイコブラ社」の最新最高の品で、少々迷ったが武装もそのままにしてある。もちろん、あのゼルとかいう白面を使わせないためだ。しかし、親子ゲンカでこれを使い出したら、と考えたりもしたが、まあいいかと。説明書は英語であるし黙っておけば。それに、やるときはやるのだ。そして、やらぬときはやらぬ。彼は、分かっているように、見えた。
 
 
健康状態も良好。日々やつれていったり夜中にうなされたりとか、幸い、家庭内暴力もないようだ。
 
 
なんなのだろうか・・・・・・ほんとうに、ただの子供のようだ・・・・・・
 
 
欲しいものや不足分の生活必需品の類は自分が出られないことをいいことに父親のゲンドウに買わせているようだ。その時の息子の表情が想像できてしまう自分がいやだった。
 
 
そんなただの子供に時間を食われる自分に腹が立つ。なんでこいつらはここにいるのか・・・自分で閉じこめ自分で連れてきておいてそれはなく、身勝手の極みであるが、その念が湧き上がるのを抑えきれない。その気になれば、いつでも自由にここを突破できる・・・・・もっと厳重に警戒監視された空間に繋いでおくべきか・・・・それもまた違う。
 
 
逃げるというよりも・・・・・・・
 
 
消える
 
 
ふっと、泡がはじけるように、その姿をとどめおかなくなるのではないか・・・・
しゃぼん玉。屋根まで飛べば、はじけて消えるそれ。球面に映っただけの虹の影。
そんなものは、爪にも牙にもかからない。
そうなれば、いかなる手段を用いても捕まえようがなくなる。そんな、不安。
 
 
水上左眼がもっと計算機付きブルドーザー的であればさっさと少年を獄に閉じこめて「よっしゃよっしゃ」で済ませていたはずであり、そのへんの慧眼力は碇シンジにとって幸運だった。
 
 
その不安の対応策、いちおうの解消策は、意外なことに碇ゲンドウからもたらされた。
無理なスケジュールをおしてやって来ているのは見れば分かるし飯時にも遠慮がないので父子ふたり、困っていたのかもしれない。まさか「帰れ」といえる相手でもない。
 
 
というわけで、一週間めの夜の訪問の帰りしに声をかけられた。石段のところまでついてきたのは息子に聞かせたくない話だろうとは見当が付いたが・・・・
 
 
 
「学校にいかせておけ」
 
 
「は?」
最初、何を言われているのか分からなかった。息子にはともかく父親には自分の訪問回数の理由が見抜かれていると思っていた。おそらく、この髭には心中を察してもらえると。
ゆえに、混乱したのだが。
 
 
「多数の視線、出来れば同年代がいい、それに籠目させておくのが一番いいやり方だ。
あれをとどめておくのには、な」
碇ゲンドウにしては長い説明だったかも知れない。それだけ言うとさっさと戻っていった。
 
口にしたのは、まじないのやりかた。とうに日が沈んでいる碁盤の古都に伝わる。
 
 
その後ろ姿は、一日息子と一緒の生活など窮屈で仕方ないぜ、といったチョイ悪オヤジのそれではなく、京都守銭道、呪皇の都にてあちらとこちらの交換仲立ちを専門に務めていた特異な術門の長につくべきだった者が道に捨てたはずの影がはりついていた。歴史ある影の中でひっそりと生きていく方がどう見てもお似合いなんだけどなあ・・・人のことはいえない水上左眼であった。なんにせよ、その手段を採用することにした。このままではこっちの身がもたない。お前が消えそうな気がするからこうして日に何度も見に来ている、などといえばバカにされるか正気を疑われるかなめられるか・・・エヴァを動かすモノであるからこそ、それをかえって理解はされない。
 
 
エヴァ初号機さえ見つかれば、さっさと奪いにいってセットを完成させるのだが・・・
そうなれば、こんな不安定な状態は終わる。
 
 
それなのに
 
 
「初号機は使徒の親玉にとられちゃった」
 
 
これで”えーん”などと泣き真似なんぞされた日にはマジで斬り殺していただろうが、碇シンジはそう答えた。
 
「なんだっけ?専門用語で、捕獲?だっけ櫓獲だったっけ。漢字がむつかしいなあ」
敵の主力兵器を策にハメるなり混乱の機会をうかがうなりして奪ってしまうのは確かにありだろう。なんせ、自分がそれをやったのだ。機体ではなくそれを動かすパイロットだが。
 
 
使徒というのは・・・けっこう知恵があるのか・・・・蛇にそそのかされて楽園を追われた人間のせめてもささやかな専売特許だと思っていたが。怪獣の親戚くらいにしか思っていなかったが認識を改めねばなるまい。使徒戦にこれまで関わってこなかったツケを払わされることになるのか・・・・
 
 
自分がそれをやった以上、他の存在がそれをやらない理由はない。
それに対して異議を唱えるほど水上左眼は女々しくなかった。だから。
 
 
「取り返してもらわないと、僕、どうにもできない」
 
 
と断言されても、言い返せない。嘘をつけ、と真実の吐露を無理矢理迫ってもいいが・・・・そのバックにあった特務機関自体が知らぬものを、もはや無力な一個人があんな巨大なものを隠し通せる道理はない。世界のどこを探しても。見つからない。だいいち、碇シンジがどこにいるのか現在のネルフ本部は確定できない。自分を追う余裕も余力もなかった連中だ。
初号機の左腕をなぜか爆砕することで切り離し、かろうじてネルフの手元に残っている、という情報がある・・・が、それを奪って揃いとすることは無理がある。必要なのは本体。
 
一夜にしてどこかにいった初号機。夜天に再出現した第二支部と引き替えたかのように。
奇跡の代償というより、その奇跡のふいをつかれた、だけのことか。
手品のように魔術のように。与え、そして奪いたまう。気まぐれに。珍しくもなく。
 
 
実はパイロットなんてやめたい、この機会に初号機から離れよう、などと姑息なことを考えている気配もない。あの左腕の白面・・・・ただの人間でいようなどともう笑うしかない普通のことを考えいるはずもない。なにが、「とられちゃった」、だ。ガキ大将にオモチャを横取りされたのではないのだ。使徒。人類の天敵。彼等の戦闘目標。使徒。欠けた左腕。エヴァ初号機・碇シンジ。その繋がりの間にそれがある。守護天使、などといっていたが、今の時点では諧謔にも聞こえない。あるいは、咎の鎖の如く敗北の証。または、使徒の軍門に下った折に与えられた階級章・・・もしくはユダの代価にして一枚の天の白銅貨・・・想像すればきりがない。はっきりしていることは・・・仕事が増えたこと
 
 
自分が探して、取り返してきてやらねばならぬ、らしい・・・・・・・・
 
 
おそろしくずるがしこい罠にはめられたような気がしてならない。
つかまされた、というか。ものすごーくタチの悪い影武者を連れてきてしまったのではないか・・・・・
 
 
犬のおまわりさんならぬ竜の婦警さんだ。困ってしまうがキャンキャン鳴くわけにもいかぬ。せいぜい唸るしか。強すぎるから誰かに腹いせもできない愚痴も言えない。
 
 
どこから手をつけていいかも不明な・・・「心当たりは?」と聞いたら「全くないし、僕には見つけられないことだけは本能的に分かるんだけど」フルパワー甲斐性無しアルティメット役立たずなことをスペシャル自信ありげに断言しくさった・・・・厄介な仕事を抱えて、論理的根拠のないオカルトにちかい不気味な心理的負担がのしかかったのだ。
 
 
水上左眼といえど参る。通常が「忙しい。商売繁盛、稼ぐに追いつく貧乏神なし」であるのに、「疫病神」と「破壊神」が二人三脚でターボかけて追いかけてきたのだ。
こうなると「ばりめがっさちゅにじあばららいかに忙しい」ようになる。たまらん。
 
 
どれほどの効果があるのか・・・かえって面倒を引き起こしそうな気もしたが・・・
 
 
まあ、寺の外に出すことにした。硬化テクタイトの封印を内側から粉砕する怪物を一般学生たちの中に紛れさせていいものかどうか迷ったが、父親の助言をいれて実行したのだからなんかあったら責任をとってもらおう。あの二人を引き離しておくのも精神健康上よい気もする。同じ屋根の下ヒマな時間がいくらでもあれば、「ちがう、指の組み方はこうで、アゴの乗せ方は・・・」「そうか、この角度だね。分かったよ、父さん。ふふふ・・・」悪知恵の直伝なんぞをやらかして息子がさらに父親に似てきたらユイ様に申し訳ない気もするし。二人揃ってあの、”黙っているけど腹にいちもつもにもつもありますよのポーズ”なんぞキメるようになった日にはたまったものではない。
 
 
 
次の日の朝にはもう碇シンジが地元の学校に転入登校できる手筈が整っていた。
 
 
その日の朝食はパンだった。着流し姿であっても「朝はご飯とみそ汁じゃないと許さん。作り直せ」などという父ゲンドウではなかったので、普通にコーヒーとバターを塗ったトーストを新聞(もちろん”ほぼ竜”である)読みながら適当に囓り流ししていた。
碇シンジものんきにトースターがきつね色のパンをプッシュするのを待っていた。
 
仕事もなく、学校もない。パンくずは小鳥にあげ、「いつでもジューシーな不思議グレープフルーツ」の作成にとりかかったり、時間のゆったりながれる穏やかな朝の朝食風景。
 
 
 
「今日からは、学校に行ってもらう」
 
 
それをたった一言で粉々にする水上左眼が現れた。ちなみに学校制服らしいセーラー服だった。両手に大きな紙袋を提げている。が、背中にしっかり刀のものらしい袱紗包みをくくっている。「セーラー服と日本刀・・・・・」「・・・・早いな」「確かに。レトロさから時代がひとまわりして、これが最先端にくるにはちょっと早いかも・・・・うーん」
 
 
「学生服に新しいも古いもあるものか。早く着替えないと遅刻するぞ。右工と違って左は校則に厳しいのだ。わたしも久々の登校で遅刻などしたくはない。急いでくれ」
そう言って紙袋を二つ置く。片方には男子学生服、片方は中身のプクと詰まった学生鞄。
 
 
「父さん、ヒメさんが急ぐんだって」水上左眼はしっかりと自分を見ているのだが、ナチュラルにぼける碇シンジ。
 
 
「お前だ」「君だ」そこに鋭く事情を知る者同士の結託ダブルつっこみ。
 
もちろん、当人に事情を話せばこの手のまじないは効力を発揮しない。というか、そんな理由で行かされるのであれば、サボるに決まっている。ちなみに、この一週間、碇シンジは自宅学習などしていない。おそらくこの先もしないであろう。「いや、それどころじゃないし。世界の命運は僕の手にかかっているんだから」などという言い訳をしているわけではないが、勉強は出来るときにしておいたほうがいい、と綺麗な足のおねえさんも歌っていた。昔。
それはともかく。
 
 
「誰が?学校に行くの?僕?なんで?」
寺から出るな、と言ってたくせに勝手なもんだなあー、とジト目でアルプスの少女攻撃の碇シンジ。おしーえてー、おヒめーさんー、おしーえてー、おヒメさんーおしえてー
 
 
「中学は義務教育だからな。勉学を長期間おろそかにすることをご両親も喜ぶまい」
それに対する水上左眼のぬりかべのような建前防御。それから
「もう手続きも完了したし、この通り制服教科書類も揃えた。一時間目から授業が受けられるぞ・・・間に合わねばもったいない。急げよ」
立場の違いを思い知らせる命令形。それでも女性に命令されることに慣れていた我が身が恨めしいほどにサクサク動く碇シンジであった。
 
父ゲンドウはそれを見て無言であるが、水上左眼の手際の良さに半ば感心半ば呆れる。
こいつはいつ寝てるのかと。総司令時代の自分もなかなか激務であったが、まだ冬月先生がいた。実の姉の右眼を信用せぬ以上、他人に頼れるわけもない。まさに過労死一直線。
剣士の孤高と政治の経済の雑集はなかなか両立しがたい。そのうち腹を切ることになろう。
右眼のやつがどうにかしてやらないことには・・・。自分たちの滞在中に片がつくか。
それほど器用ではない自分たちが、どうにかできるか・・・・・シンジは、どうか。
 
 
登校準備はすぐに完了した。「義腕もまあ、問題ないようだな・・・」半袖シャツから伸びる左手は右とほとんど判別がつかない。着こなしなども検分して呟く水上左眼。
そして、碇シンジの正面に立ち、
 
 
「では、これを・・・・・」
 
 
その首に何か巻きつけた。マフラーであった。それも、保温のためではなくただ単に風になびかせることが目的のいわゆる「かっこつけマフラー」であった。ほんとにかっこいいかどうかは微妙なところであるが。
 
 
「な、なんですか、これ・・・」その微妙さにさすがにビミョーな顔をする碇シンジ。
こんなマフラーは、日本が年中夏のせいもあるが、マンガの中でしか見たことがない。
だいたい人間以外のキャラクターがしている。サイボーグとかマスクドライダーとか。
学生服でしかも転校初日でこれじゃ、あまりにもかわいそうすぎる。僕が。
絶対にヘンなあだ名がつけられるよこれ。番長グループに目をつけられるかも。
 
「いやー、僕、あせもになりやすい肌なんで、こういうのはちょっと・・・・」
適当にやんわりと柔よく剛を制しながら外そうとしたが
 
 
「これが、君の”札”だ。大事にして、風に飛ばされたりしないようにな」
 
 
水上左眼に深い眼差しでそう告げられた日にはもう異論など挟めるはずもなく。
 
 
「は、はあ・・・・・これが、”札”なんですか・・・僕はもっと角がとがってて白くってでも豆腐じゃなくて、フダフダしてるものかと思ってました。”お札”は喩えなんですね。はー、なるほど。確かに、すごく目立つ・・・・弁髪みたいなもんかな・・・いや、幸せの黄色いハンカチかな・・・」
マフラーをつまんだり払ったりしてその感触を確かめる。とりわけ霊気のようなものは感じない。模様も文字もなくただの布マフラーのようにしか見えない。ともあれ、これが地元の文化だというのなら、多少奇異に思えてもそれに馴染まぬ方が奇異だろう。
 
 
父ゲンドウは無言。もとより自分たちは”札”を必要としていないのでその説明もしていなかったのだ。だから、そのマフラーがなんであるのか、息子に教えることも出来たが、しない。しなかった。
 
 
「じゃあ、ずいぶんと唐突な話だけど、行ってきまーす」
「それでは」
 
 
絵面だけみると、年上の近所の姉さんがいつまでも世話の焼ける年下の僕ちゃんを迎えに来たというほほえましい光景であるが、その内実は相手の意向など完全無視のかなり物騒な連行劇であった。「あ、きれいな風が吹いてますね」きまぐれなお子様がお土産でごまかされとるような声を聞き届けて、碇ゲンドウは再び朝食に戻った。
 
「・・・そういえば、一枚も食べてなかったな・・・・」
まさか、パンをくわえさせて食べながら行かせるわけにもいくまいが・・・・
 
 
 
ちなみに、寺の石段をおりるとそこには「駕籠や」が待っていた。装束こそスポーティに現代風であるものの、駕籠に棒さして前後の人間が担いで運んでくれるという仕組みにかわりはない。駕籠やであった。駕籠には会社名が入っており「申緒駕籠交通」と。坂の多いこの街のハイヤーみたいなものだろうか。VIP対応、というか単に驚けばいいのか、間をとってビップリというか。
 
 
「乗るといい。私は隣を走っていく」もちろん、二人乗りにはならないのだろうが水上左眼は意外なことをいってほんとに碇シンジを驚かせた。逆を聞き間違えたかな?と。
「今日だけのことだから心配しなくていい。手続き自体は済ませたが、直筆のサインが必要なものもあるのでな、職員室の方で時間をとられるだろうから呼んだのだ」
 
 
「はあ、それじゃ・・・遠慮なく。どうもありがとうございます・・・・」
おそるおそる駕籠に乗る碇シンジ。さすがに駕籠は初体験だった。「いやー、悪のお代官になった気分ですねえ」
 
「いや、せめて急病にかけつける町医者とかな・・・・まあいいか。それでは、申緒の。お前たちもプロであるから、もし私が先に到着したら料金は半額にしてもらう」
 
「望むところでござる、なあ兄者」「ウホウホ」
 
「?兄は風邪なのか?それならハンデを・・・」
 
「いやいや、駕籠アスリートとして進化しすぎた代わりに、他の接客の部分などがちょっとデボリューションしてしまっただけで!でも、笑顔は最高でございましょう?」
「ウホ!」
 
「・・・なるほどな。シンジ殿、転げ落ちないように中の取っ手をしっかり握っているようにな。それがハンデではつまらない」
 
「いいです・・・よ、と言いつつここでスタート!!ダッシュです!駕籠やさん!!」
「ウホウホ!」「わははは!左眼さまお先に!!」
 
 
「なんだその三位一体のスタートダッシュは!!お前たち初対面だろう!」
 
 
このつっこみに要したわずかな時間がやはり、タッチの差となり、申緒駕籠交通プラス碇シンジチームの勝利となった。しかし、勝ったところで料金は半額にならずかえって損したような。
 
 
「・・・なかなかいい勝負だった。駆け引きもさすがというか・・・まあいい」
半額料金にこがわる水上左眼ではないらしく、碇シンジに一杯くわされた形ではあったが素直に敗北を認めると支払いをすませる。「私はこのまま別棟の生徒会室に寄らねばならない。彼は職員室の前まで送ってやってくれ」
「分かりました」「ウホ!」
 
 
「いや!ここで下ろしてくれればいいですから。いくらなんでもあとは歩いて自分でいきますよ。今でももうかなり注目の的なのに駕籠で職員室まで乗り付けたらどこの世間知らずのボンボンかってことになっちゃいますよ!今ならまだシャレですみます!だから!」
碇シンジは異議を唱えたが、この場合金を支払う立場が強い。颯爽と立ち去る水上左眼に最敬礼して申緒駕籠交通は仰せに従った。出ようとする碇シンジを押し込んで校舎内に進入。「いやだいやだ!!こんな金持ちキャラのレッテルをはられるのはいやだ!!あとの資金も続かないのに!おろして、おろしてよう!!」泣き叫ぶ碇シンジ。
 
 
だが、駕籠やの強靱な脚力はすぐさま職員室前に到着させた。「毎度ありがとうござるー」
「ああ・・・」しくしくと駕籠からおりる碇シンジ。マフラーで顔を隠している。
 
 
「ああ・・・」もう一度、嘆息する。だんだんと自分を見物するために早朝練習やら早出の生徒たちが集結してくるのが分かる。「またのご利用をおねがいするでござるー」帰っていった駕籠やを力なく見送りながら、「しつれいしまーす・・・」職員室の扉をあける。
 
 
 
ばったり
 
 
 
そこに、惣流アスカがいた。こんなところにいるはずのない。この学校の制服を着て。
一目惚れではなくとも雷に打たれることもある。この衝撃はもはや恐怖にちかい。
 
 
見覚えのある髪の色
見覚えのある顔のかたち
見覚えのありすぎる瞳の色
 
 
指先一本うごかせない。夕焼けと落日の色を混ぜた大きなリボンの代わりにトレードマークのようだったあの深紅のヘッドセットがない。同じ色の巨人エヴァ弐号機を駆る手綱。
 
 
世の中には同じ顔をした人間が、三人は存在する。誰が数えたのかどうやって証明したのか教えてほしい不思議の警句が頭の中で明滅する。だから、どうせよと?だから、ふいをつかれるべからず、とでも?・・・それはさっき自分がやったこと。他人がせぬ道理はなく
 
 
目の前に、立っていた。じいっと、こちらを見ている。そして、一言。
 
 
「それって、かっこいいの?」
 
 
マフラーのことを言われているのだな、と気付くのに、十秒かかった。
 
 
出会い頭の一撃ならば、これで勝負はついている。