蘭暮アスカ
 
 
らんぐれあすか、とうまいこと板書されている名前のとなりに自分の名があることに、トランプと花札を混ぜたような違和感を覚えてしょうがない碇シンジ。
 
 
それって、かっこいいの?と自分のマフラー姿をさして言ったあの言葉。あの目つき。
そこにはなにも含まれるものも、自分に刺さり響くものはない。ただ彼女は。
 
 
何の気も無しに。ただ、予備知識なく突然に、目の前に変わった格好をした「知らない者」に対して、ころり、と言葉をこぼしただけなのだ。転校生同士が曲がり角でぶつかっておちる食べかけのパンのように。そこからドラマがうまれることもなく。
この場所に来たばかりで馴染まぬ者がもつであろう自然な疑問として言葉を発した。
 
 
「・・・・・」
うまい返答も思いつかずに演技すべきか素のままに通すべきか判断もつかず、ぼーっと馬鹿のように相手の顔を見るだけ。
 
 
どう見ても・・・・・・・・・・アスカ、
 
 
としか思えない。
 
おヒメさん情報によるとアスカはあのあと怪しいほどの速度で弐号機ともども独逸支部に引き抜かれていって日本にはいないはず。いったん任地を移動したエヴァパイロットがそう簡単に戻ってこれるはず・・・というか、第三新東京市に戻っておらずこんなところにいるとは・・・・これは夢か。鄙には希な美少女、そんなキャッチフレーズが思い浮かぶ。
 
 
それでも・・・・・・
 
 
やっぱり違うかな、と思い返したりするのも。
 
じいっと顔を見られているのに、なんのリアクションもない。知らぬ素振りがいつまでも出来るような性格ではないし、いくら演技でもどこか無理はあるしそれを見破る自信もある。伊達に同居はしていない。
 
「アンタバカ!?なんでこんなところにボケボケッといたりすんのよ。バカだからバカンス?ウラシマタロウの真似バカンス?ため息がでるわ。アンタのおかげでみんな大変なことになってんだから責任とりなさいよ。責任。高貴じゃなくてもあれだけ好きほーだいやらかしたんだからそれ相当な目にあうことだけは覚悟しときなさいよね!・・・・・・
で、結局、アンタの旅は・・・うまくいったの・・・?」
 
これくらいのことはグサグサ聖なる釘を打ち込むように言ってくるはず。強さも弱さもあまりにも危うい硝子のような彼女。
 
冒険なんかさせてはいけないあの女の子を、連れて行ってしまった。
外においては絶望の氷を溶かしてまわる火の騎士。内においては大事に護られねばならないえいえんの夜を終わらせる日の巫女。どうも、外と内の見極めを誤ったかもしれない。
後悔がある。はたして、ためになったのかどうか。
 
 
ぽー、と見返してきている。色こそ同じであるが、精神の集中を感じさせないその瞳に「もうひとりのアスカ」こと「ラングレー」顕現の可能性まで思い至らない。彼女との約定の有効を疑っていないこともあるが。それにしても。
 
 
「気合い・・」
 
が足らない感じだなあ・・・・・・と思わず全文口頭で発表してしまいそうになってあやうく口を閉じた。濁してはいるが「君はぼけてるね」ととられてしまえばどうなるか。
 
 
「ああ・・・なるほど」
返答の遅さに気を悪くしたふうもなく、納得した。「気合いね・・」
こののんびりさ、やはり別人だろう決定。それとも彼女の周りだけ酸素が少ないのか。
のんびりしたアスカ・・・・・・それは動かない炎のように異様なシロモノであった。
けれど、同じ顔してるだけのそっくりさんで別人となれば、それは失礼というもの。
しかし、気合いとなればこのマフラーを自分ではかっこいい、と認めているわけで、そのように彼女が認識したことはちと痛いものがあった。
 
 
「あなたも、転校生なの?」
 
マフラーのせいか、相手の素性をすぐさま看破する明敏さを秘めているのか、まあたぶん前者だろうの一目喝破に「え、あ、そうなんだ・・・今日、この学校に転校してきたんだ。碇、シンジです。よろしく」そうとなれば、対応速度はグンとはねあがる。
 
 
相手の名前を聞いてしまえば、それで疑問は全て氷解する。ただそれだけのこと。
そして、惣流アスカと同じ顔をした彼女は、応じて名乗った。
 
 
知った名とは異なる名を。
 
 
それから、左手を差しだしての、握手。向こうが左でこちらが右を出すわけにもいかず。
試すような気分もあったし、躊躇を見破られたくなかったので、出してしまった。
まあ、一般人には絶対分からないって言ってたし、使ってる僕自身も違和感ないくらいだし。ここで腕のことを説明するのも妙な感じだし・・・・・・・というわけで応じたのに
 
 
「・・・・サイコブラ社の最新モデルね。しかも、学校に持ち込んだらダメな感じ。機能が生きてるわよ」
 
これまた、あっさり見破られたというか触破られたというか。ずいぶんと敏感だ・・・
というか、一般の中学生はこんなこと知っておったりせんだろう。モデルの新旧まで。
 
 
碇シンジの違和感は、こうして中等部2年楓組の黒板の前で二人揃って新しいクラスメートたちに挨拶している間じゅうも続いている。ちなみに、2年の楓組、というのは幼稚園から高校まで続いているこの竜尾道左学園が組の名前を首尾一貫したものにしようと考えたのはいいけれど、幼稚園をそのスタンダードにしたものだから、もも組だのうめ組だのにあわせて小中高も数字やアルファベットを使うのを許されず、あわせることとなった。
まあ、慣れてしまえばどうということもないが、小学生はとにかく中学高校でそんな調子だといい年の生徒の顔を見合わせてギョッとすることになる。
 
 
ともあれ
 
 
となりに立つ蘭暮アスカの存在は、今現在の碇シンジにとっては救いであった。自分一人であったならさぞ浮いたであろうこのかっこつけマフラー姿と水上左眼との駕籠や登校・・・・・武闘体育会系なのかお金持ちケレン系なのか、それを二つも兼ね備えた転校生はさぞかし好奇の的となろうところであったが、となりに鄙には希な美少女様がいればちっとはましだろうな、と思っていたら案の定、そうだった。まさか自分に「近寄りがたい危険人物」オーラがビシビシと放出されているとは思いも寄らない碇シンジであった。
人畜無害みたいな顔をしていても、目のある竜尾道の人間はだまされない。まして
 
 
長逗留、どころか、ここに居着くことは絶対にない”札つきのよそ者”であることを承知しているゆえに。三日は短すぎるが、飽きるまでは目を楽しませてくれる容姿をもつ旅人をルールに従って受け入れるだけの話であったから。札をもつ以上、その札の効力が消えぬうちは、可もなく不可もなく、それなりに相手をする。竜尾道の客人として。
 
 
「独逸から医療技術の指導のためにこの街に入った兄の付き添いで参りました。・・・短いお付き合いになると思いますが、よろしくお願いします」
 
 
蘭暮アスカのそつのない自己紹介にそれなりの拍手が教室に響く。生徒の顔も暗くはないが、会うは別れの初めなり、とどことなく拍子がついているような。そして、それが収まり一段落して視線はとなりのマフラーマンにようやく集まる。興味津々であったけれどあえて今まで見なかったような者や順当に視線のシフトを変えた者、美少女にもマフラーにも興味なさげに窓の外の風景に目をやっていた者も。裏の事情を考慮せず、普通に考えると、ださマフラーで少々デコレーションしようと、となりの美少女に喰われて霞みのように存在感ないはずのふつうの顔立ちの男の子が、不思議にタメをはっている。美少女のとなりにいるのがなぜか馴染んで見える。双子の弟などでは当然ないし、中学来といて医療技術の指導もなかろう。
 
蘭暮アスカの方も、となりの少年に知らぬ者には当然滲む警戒心のようなものがない。
この二人は関係者なのか、初対面の無関係なのか。自分たちの眼力を試すように目の前に二人がいる。
 
 
この竜尾道の文字通りの「頭目」、水上左眼が預かる少年がどんな話を始めるのか・・・
いやがおうでも高まる緊張と警戒。穏やかな顔に隠されているだろう騒乱と禍の匂い
この少年は自分たちに何をもたらすのか・・・・・いずれ、ゆきすぎるかりそめの客に違いないがそれだけに。急な左眼師の通達で対応を命じられた学園側はこの2年楓組に四名の「封紀委員」をムリヤリ入れ込んだ。その内の二名は中学三年と高校一年であり、ムリヤリ学年を下げられた。そしてその内の二名は小学生五年と中学一年であり、こちらはムリヤリ飛び級させられた。はっきりいってその四名は中2のクラスでは浮いているのだが蘭暮アスカはともかく、碇シンジはそんなもんかなととくに違和感を覚えなかった。てめえが原因でありながら。まあ、直接の責任は水上左眼にあるのだが。間接的には焚き付けた碇ゲンドウにある。封紀委員にさせられた四名はいい迷惑であった。それ相応の能力はあるがもちろん万能というわけでもない。相手の正体も知らずに対応もできるわけもない。
 
 
一体、なんのためにやってきたのか・・・・・・・
 
 
IPS・・・<碇シンジ・パーフェクト・制覇>とかほざく気でいるのなら水上右眼が仕切るそういうことが大好きな連中が集まる竜尾道右工業高校にいけばよい。一応、高校ではあるが飛び級でもなんでもして。まあ、それはないにしても。
一方的に責任を負わされた者たちやもしや巻き添えをくらうことになるかもしれない者たちにしてみれば・・・・・碇シンジ本人がなんで学校に通わねばならんのか分かってない状態であろうとも、快く歓迎する気分になれるはずもない。
 
 
ばちばちばち・・・・
ばちばちばち・・・・
 
 
というわけで、クラス内はかなり電圧があがってきていた。蘭暮アスカの時の熱と違う。
 
 
ばぢばぢばぢ・・・・青い瞳の転校生もその帯電具合に気付かぬはずはないが、気圧された様子もなく。まるで、慣れているかのように。
 
 
クラスの注目が集まってもべつだんこの程度でアガることなどない碇シンジである。
とはいえ、ここで人気を集めてもしょーがないし、ヘタなこともいえない。余計なことは言わないにこしたことはない。こういう場合、有効なのが前の人間のやり方を踏襲する方法である。人間は学習する素晴らしい生き物であるからして。さっさと終わらせて一時間目で早退して父さんにこのことを話さなくちゃ。ちゃちゃっと済ませよう、ほいほい。
 
 
「碇シンジです。えーと、東の方の第三新東京市からパチンコ技術の指導のためにこの街に入ったみたいな父の付き合いで参りました。いつまでいるか分かりませんが、皆さんよろしくお願いします!」
 
 
元気よく好感度を高めるようなお辞儀をした碇シンジ。その頭の中には自分の発言の異様さに対する反省などはなくただ「へー、お兄さんがいるのか」などと蘭暮アスカの個人情報を記憶するのみ。
 
 
しかし、いつまで待っても拍手がない。顔を上げるタイミングを逸してしまったがずっと下げているわけにもいかないのでポールポジションへ。いくら隣が美少女だからってそこまで差をつけなくてもいいじゃん、と。少し現地住民に対する評価をさげる碇シンジ。
だが
 
 
クラス中が「ぱ?ちんこ?」という顔で固まっていた。ほぼ全員がいきなりガイコツのコマネチでも見せられたかのようにあっけにとられている。
 
 
 
ぱちぱちぱち・・・・・・・そこに、たったひとり拍手する強者がいた。
探す必要もなく、となりの蘭暮アスカであった。
 
 
「パパがそんな仕事についているなら、碇君もパチンコが得意なの?」
 
 
どこまで本気なのか分かりかねるが・・・問いには答えねばなるまい。こんなのアスカじゃないぞと思ったけれど蘭暮さんはアスカじゃないのだからこう、自然に、プレーンに。
 
 
「ま、まあ・・・それなりに、やるかな・・・・・ははは」
考えるから不自然になる碇シンジ。最後はトシちゃん笑いでごまかすていたらく。中学生はパチンコ屋に行ってはいけないことなど頭からふっとんでいる。
 
・・・・・・・しかし、・・・・・父さんが”パパ”だってさ。こりゃ違うわ別人だ絶対。
 
 
「ああ・・・それとも、スリングなのかな・・・」頭の中の辞書を確かめるように付け加えるその横顔がどうにも不安をかき立てる。「そっちなら興味あるかな・・・・」どういう意味なのか。
 
 
「皆さん、碇シンジ君は、そういう人らしいです」とくに熱がこもっているようでもない蘭暮アスカのその声に鶏肉ゼリーのように固まっていた教室の空気が、溶けた。目覚まし時計のような唐突に起こる拍手は碇シンジに対するというよりは、その手際に対してのようだった。初日にして学園のマドンナ街道がひらけた蘭暮アスカに比べて、碇シンジの方はほんとのIPS<碇・パチンコ・シンジ>裏街道野郎として認知され、ルートが分かれた。