「巨人の大きさってどれくらいがいいのかしら」
 
 
そう聞かれたときにピンとこなかった当時の己は甘かったのだろう。複雑怪奇の金勘定の真っ最中でそんなことに割り振る頭の余裕がなかったせいもあろうが。
 
 
「星に触れるほど・・・・はなくともかまわないだろう」
 
 
どうとでもとれる、正確さにはほど遠い、数値的どころか感覚的にも怪しいことをよりにもよって「その女」の前で言ってしまったことを後で大いに悔やんだものだが遅かった。
 
 
神にも通じる巨人の大きさ、巨大なる神、巨神、と呼び習わしてもよいほどの存在のスケールをいずれ結論の出るはずもない神学論的に語ろうというのはともかく、決定しようというのは人の身にしては僭越すぎただろうか・・・・その罰があたったのか・・・・
 
いや、そんなはずはない。単にあの女が無茶苦茶なだけなのだ。まさか自分の言ったことをそのまんま呑み込んで決めてしまったなどと。
 
 
「え?だってあの時、そういったじゃないの」
 
 
とあの瞳で見つめられてあの唇で言われた日には、いかな己でも反論は不可能。その決定を覆すことは最後までできなかった。それをまともにやろうとも思わなかったわけだが。
 
 
かくして
 
 
ヘルタースケルターなどと出鱈目なものが生まれた。実際の運用は当の本人にも出来なかったが、その無茶を実現するために東西南北奔走した苦労はそれなりに元がとれた。トータルで言えばかろうじて赤にはならなかった、というあたりで。
 
 
しかしまあ・・・・普通、分かろうというものだが・・・・
 
いくら巨人とはいえ、人が運用するのだからそれ相応のサイズがあろうということは。
目安としては、出撃ゲートにおさまるサイズでないと困るわけだが。
 
 
その考え自体なかったのかもしれないが
 
 
人の運用(ために、はたらく)などと
 
 
 
巨人は巨人として、あるがまま・・・
 
 
 
碇ゲンドウはそのことについて沈思黙考してみるが、答えは出ない。想像の外にあり、エヴァに乗ることのない己が百万回思考しようと到達する領域ではない。
 
 
もとより、小人に巨人の制御などできるはずもないか・・・・・
 
 
あの女があの目で何を見ていたのか・・・・・・今となってはもう・・・・
 
 
それをかろうじて伝えられるのは・・・・・・
 
 
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ただいま・・」
 
 
ウサギの美少女に大やけど負わされそこに唐辛子を塗りつけられさらに泥船にのせられて沈められた哀れな太宰狸、ブンガク茶釜のような目をした息子が帰ってきた。
 
 
前言撤回したくなる。ものすごく若い頃の己に似た目の色であった。世界の全てが無理難題で出来ており、なおかつ時間制限付きでそれを解いて解かねば生きて、息をすることもできなかった時分の己の目。存在自体があらゆる答えであったようなあの女に会うまでの。
 
 
「どうも、僕があの使徒をやっつけなくちゃいけないみたいなんだけど・・・・・・」
 
 
「そうか」
 
 
案の定、無理難題をどこかで背負わされてきたらしい。宿命というか遺伝というか。
息子は母親似であるから、その宿業から逃れてもいいのではないかとも思うが、まあ、そんなわけにもいくまいな、と。にしても、左眼が倒れた現状でそんなことを言えるのは
 
 
「右眼か」
 
 
実力的にも立場的にも、始末の悪いことに道義的にも、右眼には言う資格があり、現状のシンジが異を唱える理由がない。しかし、無理難題もいいところだ、という資格もまた己にはない。苦笑したりする可愛げはない碇ゲンドウである。憎たらしいほどに鉄面皮。驚いたり憤慨したりしてもこの場合、単なる時間の無駄で何の役にも立たない。
 
 
「で、どうする」
 
 
「どうするもこうするも・・・・・まだその使徒もよく見てないっていうのに」
 
 
息子の目は、映る月影をも塗りつぶし呑み込もうとする泥亀のそれであり、言葉を吐くその口は雷が鳴るまで噛んだ獲物を放すことのないという鼈(すっぽん)のそれであった。
 
やるせない正論をぽそぽそ吐きながら、己と似たような頭の回路が作動しているのを、肌で理解できるのはやはり。
 
 
「・・・・・・↓」
「・・・・・・卍」
 
忍びの印結びに近い視線の交錯が、軽く、弾ける。黒く音をたて、銀の火花を。
 
「↑・・・左左右右」
「↓↓・・・水金地火」
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ろくでもないことを、思考している。
 
 
あの女が考えもしないであろう、逆ベクトルにろくでもないことだ。
 
 
人らしくひとでなし。
 
 
だが、まだ人である。ひとでなしであるから人の発想。これは&、いやさ安堵していいところか・・・・
 
 
 
「二時間待て。紹介状を用意する」
 
 
碇ゲンドウはそう言って寂神房に籠もった。「ありがとう、父さん」どんな顔で息子がそういったのか背中は見ていない。乗るべきエヴァもなく使徒を倒せと言われても、やるせない正論を吐くだけですませているその、うしろに立つ子供を。
 
 

 
 
父親の作成した紹介状を手に、碇シンジが向かったのは西土堂町は海福寺近くの四階だての古ビルであった。書留届けに来た郵便配達のアルバイトのような遠慮のなさで階段をあがっていき、一番上の部屋のインタフォンを押す。表札も、看板もない。
 
 
「どちらさまです?」
 
「小林少年です」
 
 
インタフォンの問いかけは若い男のものであったが、碇シンジはそれに対して謎の名乗りをやらかした。いくら年のころが十四でも自分で少年もあったものではないが。
 
強い視線に射抜かれる感触。扉のスコープで強い目が吟味している。そして十秒。
 
 
「どうぞ」
 
扉は開かれた。そこには誰もおらず、昔懐かしい円筒形の郵便ポストが立っていた。
 
 
「どうも」
碇シンジも驚かない。ごく普通に一礼する。「こちらへ」器用に回れ右した郵便ポストのあとについて中に進む。螺旋を描いて下へ。ちょうどビルの内部をえぐり抜くような。
 
 
内部は装飾というものは一切なく、床も壁も黒いびろうどでびっしりとシールド養生されている。密談に使うしかなさそうな、それも芸術的な犯罪に限った密談である、異界への入り口。「でも、匂いがありますよね・・・・人の匂いが」碇シンジはひとりごちた。
 
リアクションは期待していなかったが、「わかりますか」郵便ポストが反応してきた。
 
「元来、怪というのは、こういうところに住んでおくべきなのですが・・・・近年、うじゃうじゃと生息範囲を広げて・・・・・無様だったらありゃしない」
 
「そう、かもしれませんね・・・・何が正統派であるのか、むつかしい世の中です」
期待してないリアクションに困ったが、一応、わかったようなことを言っておく碇シンジ。
 
「そうです!よくお分かりで!お若いのに!さすがは左眼さま直々の標的でいらっしゃる!こちらにおわす銀磨さまこそ、正統なる怪人の系譜につながる伝承者であり、早々に襲名なさればよろしいのに、まったくもって慎み深いというか紳士すぎるといいますか」
 
闇の螺旋の中、郵便ポストはうれしそうにぴょんぴょん跳ねたが、転ぶ気配もない。
 
 
目的地に着いた。地下何階になるのかは分からない。そこは壁一面に黄金白銀青銅電人さまざまな仮面が飾られている一室でデスクに座った若い男が待っていた。「三つ首の組合本部にようこそ、碇シンジさん。私が組合長の三つ首銀磨(ギンマ)です。今日のご用件は・・・何か、滞在中に盗まれたものでもありますか?」声はインタフォンが問うたそれ。
 
 
「・・と、左眼様のお休み中に、そんな駆け引きもありますまいな。正直、君がここに案内もなしで来るとは思いもよらなかったので、多少混乱しているのです。お父様はこの件はご存知なのですか」
口調自体は柔らかいが、目は鑑定するもののそれで相手の立ち姿のフォルムから現在の人品と未来の値打ちを見通すように鋭い。
 
 
「アポイントもとらずに失礼しました。ここに伺ったのは僕の独断です。水上右眼さんからの頼まれごとを果たすのに、誰を頼ればいいのか・・・・よそ者の僕にもこちらの組合長さんが左眼さんの信頼一方ならぬという話を聞いていたものですから」
 
 
その口は、雷が鳴らねば獲物を話さぬという鼈に似た口が、嘘を語る。
あきれたことにそのすべてが嘘で、その中に真実はひとつもない。
目の色も・・・技巧ではないようだが、どよんとして泥の色。知性の輝きがない。
 
 
三つ首銀磨、正統な怪人、としての襲名こそまだであるが、竜尾道で最も有能な泥棒組合の長として電撃的な行動力はとにかくとして、初手からこうも嘘をつかれた日には信用も何もあったものではない。右眼との接触からだいたい調べはついており、ここへも父親の指図で左眼への取り成しか泣きつきにでも来たのだろうと予想し、それも快く受諾する気でいたのだ。水上左眼と竜号機が破れた相手に、子供一人で何ができるか。そのような奇跡を期待するようでは盗人はつとまらない。そのような夢がないから怪人も務まらないのだろうか・・・・・それはともかく。こんな子供に阿諛されて喜ぶ器だと思われたのが腹立たしい。一面、こんな子供の話をとりあえず聞くのもおそらく地元の重鎮連中の中では己一人であろうし、ここへ来た選択自体は間違ってはいないが・・・・・ほんとに父親、あの碇ゲンドウともあろう人物が、息子一人でよこしたのか・・・・・ケレンがすぎる。
 
 
「それで、ご用件は・・・?」
 
 
その伝説は聞いている。多少、何かの期待があったのかもしれない。だが、所詮は子供か。
初手からこうも底の浅い嘘などつかれても・・・、とこれも勝手に期待した身勝手か。
人の営みの裏街道を取り仕切る身として、多分に義務的な同情心を発動させて、なんとか公平に話を聞こうとする三つ首銀磨。
 
 
「まずは、こちらに目を通していただけますか」
 
と碇シンジが書類束を取り出してデスクの上に置いたので少し、安心する。ああ、やはりこの子はメッセンジャーボーイであり、ものを言うのは父親であるのだと・・・・・が、白い表紙を一枚めくったところで三つ首銀磨の顔色が変わる。その中身は圧倒的に
 
 
本物
 
 
であった。それは、対使徒の作戦要綱。第三新東京市が崩落直前までいった過去の戦の記録と総括といったほうがいいか。竜号機を射抜いて火だるまにした使徒と、以前、第三新東京市に現れた使徒は似ているらしい。実際、それを「どのようにして」倒したのかはどう探っても謎で分からなかったが、とりあえず、竜号機のような巨人戦力以外の攻撃方法が存在した、というのは分かった。本物ではあろうが・・・・・同時に、それゆえに”役に立たない”だろうことも三つ首銀磨には分かった。
本物であるゆえに、揺ぎ無く応用不可。
 
こんなものをコピーにしろ持ち出してきた手腕はたいしたもの・・・泥棒としてはかなり有望だが・・・・
 
 
 
「役に立たないでしょう、それ」
 
 
碇シンジは言ってのけた。その「紹介状」はさきほど二時間で博覧強記の父親が記憶していたものを打ち出した代物で元の現物を作成したのはネルフの作戦部である。葛城ミサトも野散須カンタローも関わった本物なのは当たり前だが、それを、役に立たないと。
 
 
事実を、告げた。遠雷のように。
 
 
「エヴァがいないとかいろいろ違いがありますが・・・・何より」
 
 
なぜか言葉をそこで区切って、左腕をひとまわしする碇シンジ。
もったいをつけた・・わけではないようだが。
 
 
「第三新東京市は使徒と戦うための都市ですが、ここ竜尾道はそうじゃない。そうじゃないどころか、本質的に隠れ里なんだから、ここでドンパチなんてやれるはずがない。
 
 
”やった時点でもう負け”なんですから。
 
 
ヒメさんにはそれが分かってない、というか、分かってないはずもないんですけど、連勝したからけっこう思い上がっていたのかもしれない」
 
 
泥亀の目はいつの間にか、夜の雲の色になって、顔は真正面をむいているのだが、どこを見ているのか分からない。「そうじゃありませんか?」それからなんとも同意しにくい同意を求めてくる。
 
 
「地理的にも心情的にも戦場にしたくない、ということには賛成しよう。思い上がりというのは賛同しにくいが・・・・敗北からより強靭な再生を果たす姿こそ、我々の旗印でもあるのだから」
 
実際、敵の対応にどれくらいかかるのは分からない。が、竜というのはそういうものであり、それを駆る水上左眼にもだから従うのだ。この小僧のいうことは無茶苦茶かつ非道で外道だ。ただ一点、ここを戦場にすべきではない、という観点は、まともで正しい。
その一点をフックとしてまだ話を続ける気にもなる三つ首銀磨。
 
 
「どうも町の様子がのんきだと思ったら、どうもそういうことらしいですね。水上左眼と竜号機は復讐戦に強くて一度敗れようと二度の負けはない、とか。終わりなき自己進化と強化の繰り返し・・・・・なーんて・・・・」
 
 
碇シンジはまた言葉を区切って、にっこりと笑った。さわやかに、晴れ渡る、きっと。
碇ユイ、母親譲りの、素性と腹の色を知らぬ者が見れば、一発で虜になりそうな。
 
 
「そんなわけあるかぽねっ!!」
 
肋骨全部がバラバラ外れそうになる一喝。聞くほうのみならず、言った方すらも。
 
 
「まったくもって、カバじゃないの!!といいたい!!というか言う!」
 
 
また眼の色が変わっている。今度は瑠璃の色だ。勇気というか狂気りんりんといった感じの。「カバじゃないの!」また言った。カバは血の色の汗をかくという。かくらしい。
 
 
「いつまでもそんなやり方は続かないっ!使徒はそんなに甘くない!負けて相手に合わせて化けましょう、なんて無理していたらほんとの化け物になっちゃうんだ。根本的にヒメさんはヒメさんのくせに、貧乏臭いんだ!アスカとかミサトさんみたいに生活感覚ゼロなのもあれだったけどそれにはもう慣れたし抗体できたけど、あー、もー、耐え切れない!強いくせに日陰者ってたぶん負け癖がついてるんだあのひと!!不幸すぎる!!僕がセコンドについたからには連戦連勝で勝ちまくらせてやる!!というわけで、ご協力ください!!」
 
なんでお前が逆ギレしとるのか、と三つ首銀磨は指摘しても良かったが、黙っておいた。
 
 
「君はひどい少年だな・・・・・小林少年どころじゃないぞ」
素直な感想を述べるにとどめる。
 
「だってそちらにしたら敵役でしょう?でも、二代目明智小五郎を名乗ったって話も聞きませんね。むしろ新宿のほうでは・・・」
激高で勢いをつける必要もなく、ただ意思が閃いただけのことらしい。碇シンジはあっさりと元の調子に戻っている。
 
「・・・・まあ、そういう会話を楽しむ時間もないだろう。ほうっておけばチコおばあさまの話までしそうだしな、君は」
 
「いえ、僕は。そこまでは」
 
「なんで急に背筋をのばして視線を外すんだ。・・君はこっち側の住人だと良く分かった」
 
「いえいえ。やはり僕はこっち側でしょう・・・・・まだこっち側に入られていないということは、今回だけはヒメさんではなく、ほかの誰かがやるべきでしょうね。しかも外で・・・・・そして、この町がこの町でありたいなら、なるべく急いで」
 
「現状のネルフはたぶん動かないし、動けないだろうが・・・・そうだろうな。
しかし、倒せるのか?あんなものを・・・・武器そのものには事欠かないがそれを振るう者が」
いないわけではないが、その人物がこの少年を指名しているのだ。
 
 
「倒せるのか、じゃなくて倒すんですよ。考えうるすべての手段を使って。しかもヒメさんが休んでる間にね。さすがに目立ちすぎれば目をつけられますから、ちょうどいい頃合いだったのかも。目をそらすには・・・・うまくいけば思い切り背後から刺せるわけですし」
全ての返答をつまらなくスルーしてしまうパイプマンのような顔をして、死神小僧のようなことを言う碇シンジ。何者であろうか。
 
 
「とはいえ、単に焚き付けに来たわけでもないんだろう・・・・・・・・・・一応、腹案くらいはあるのだろうな」
他人にやれ、というだけならば誰でも出来る。それを一切言わずに己でやり続けた人間にあれだけのことを言ったのだ。まさかあれで終わるぶらぶら節ではあるまい・・・・。
 
 
「全然ありません」
明言する碇シンジ。
 
 
「それでは話は振り出しに戻ってしまうが・・・お父様にはあるのだろうか」
怪人は怒ることはない。ゆえの怪人。未だ襲名を済ませていないことを幸運に思う。
代行として壁一面の仮面たちが”エエカゲンニセエヨ”呪われた感情を吹きつけていく。
 
「ないと思います」
それもまたあまり気にしたふうもなく続けて明言する碇シンジ。
 
「というか、父は、この状況は都合がいいと思っていますから」
なんという言い草、というかもはやジャングルである。
 
「君を放逐した方が早いのか・・・・・実際、君がなぜ連れてこられたのか私たちには良く分かっていないのだが・・・」
それは半解。連れてきてどうするのか、その意図が分からないのだ。もしや水上左眼当人にも分かっていないのではないか。あまりにも対応が中途半端で、らしくもない・・・。
ただ、あまりにもこの街にふさわしくない、「異物」であることは十分に分かった。
怪人である己がそう思うのだから、間違いあるまい・・・関わるとろくなことがなさそうだ。
 
「まだ今回の使徒をこの目で確認もしてないんです。これで策を立てられたら僕は諸葛孔明の生まれ変わりでしょう。はわわ」
 
「それもまたすごい話だが・・・・敵の姿を知りもしないでよくそこまで」
へのつっぱりはいらんですよ、といったあたりか。とにかくすごい自信だ。
 
 
「僕もそう思います。けど、抗議は右眼さんかヒメさんいやさ、左眼さんにしていただけると。で、これから敵情視察に行こうと思うのですが・・・・・・」
 
碇シンジはすっと近づいてきて、三つ首銀磨にひそひそと耳打ちをした。
 
いまさらそんなことをしてももう遅いと思うのだが、仕方ない、聞くほかなかった。
 
 

 
 
 
ドリ
ドリ
ドリ
ドリ〜ル〜
 
 
竜尾道からすると向こう側、旧尾道の陸部分に陣取った使徒ラニエルは(VΛV)リエルの指示通りに調査を開始していた。空中にいくら視界を巡らしてみても、竜の巣のある方への境界線は見えてこない。そもそも、(VΛV)リエルの嗅覚でも追跡不可能な領域というのもなかなか興味深いことではあった。そして、それでありながら人間達がさほどの労を要せずにそこから出入りする、というカラクリにも。とりあえずその土地を穿ち何らかの反応もしくは秘密の成分でも含まれてはおらぬかと、円錐形の底からラミエルが持っていたのと似たようなドリル棒を出して掘削していた。
 
 
いくら掘ろうとペルシダーじゃあるまいし、竜尾道にはつながらないのだが、ものは試しである。目的が調査であり、堀り抜いた先を攻撃したり、というわけではないのでその速度は使徒のパワーを考えれば、えらくちんたらしていた。ぬかりのない詳細な分析のためか、途中で停止したりもする。まあ、すでに最大最強の邪魔者である竜号機を撃ち落としており、のんびりやろうとちんたらやろうと使徒的には全く構わなかったのであろう。
まさに余裕のよっちゃんイカであった。
 
 
そんな余裕の使徒ラニエルの様子をじっっと見守っていた一団があった。
それも、かなり近くから。旧尾道内部から、その威容をじっと見上げていた。
 
 
一団、とは言ったものの、その構成人員はひとつの組織だっておらず、かなりバラバラで悪意と敵意が充ち満ちており、かろうじて利益のための一時協調だというそれぞれの納得がなんとかその一団を不出来なジグソーパズルのようにまとめていた。
 
 
共通するのは、”とりあえず人類”である、ということと、”とある”目的任務のためにこの廃墟に潜伏して機会を待っていたのはいいが、よりにもよって使徒がドカンと居座ってくれると思わず、逃げる機会を逸してしまったことか。別に自分たちのような小さい獲物をあのビームで撃ってくれるとまでは思わないが、他の競争相手とのことを考えると我先に逃げる、という選択はとれなかった。皮肉なことに全員がそうだった。任務を果たすという強烈な意識をもち、それを下支えする能力があったがゆえに。明らかに敵うわけもない存在のすぐ近くから離れることが出来ない・・・・生物としては明らかな失策だった。目の前、というか目の上にいるのは、明らかに人類共通の人類の天敵である、のだからその能力を持って戦いを挑んだとて、おかしいところは何もない。だが、彼らにとっては何か違った。違ったのだ。自分たちがやるべきことは・・・・・・
 
 
サード・チルドレン、碇シンジの捕獲であった。
 
 
竜尾道内部にいるのは分かっているが、その内部では手が出せないこと、連れ出すことも不可能であることも分かり切っている。ならば、本人がなんらかの事情なり判断なりでそこから出てくるタイミングを狙うほかない・・・・
 
 
一団を構成する面子の凶悪さをあえて反転させてネーミングするとしたら、
 
 
「碇シンジをつかまえ隊☆」
 
 
という感じになる。実際にそんな彼らに捕獲されれば碇シンジは表舞台にも裏舞台にもあがることは二度とないような体になるだろう。100グラムいくらの世界か。
各国軍隊軍需産業宗教の裏仕事部隊は言うに及ばず、名の知れた人身売買組織、旧マルドゥック機関の才子狩人やら異能をもつ子供を専門に狙う、通称・綾波ハンターやら新体制ネルフにおける新たに設立された諜報セクション、ル課など、まあ殺害を目的にしているわけではないが、どれに捕まったとて明るい未来はありそうにない。
 
 
使徒ラニエルの方は廃屋に潜んでいる人間などアリほどにも気にしていないが、人間の方はそうもいかずになんともいえん魂が潰されそうな天敵プレッシャーを感じ続けていた。
だんだんと理性を繋ぎ止める鎖から解き放たれ・・・・・獣のように。
こちらは出来るだけ気配を隠している(VΛV)リエルの波動にどうしても同調しているのかもしれない。機械にも薬物にも頼らない彼らの中でももっとも精神強靱な者から同調しはじめている・・・・・
狩物として。
 
 
そんなところに捕獲対象たる碇シンジがのこのこ現れた日にはどうなるか。
まあ、無事では済むまい。骨の一本二本どころか、腕の一本二本食いちぎられるかもしれない。
 
 
だが、そこに
 
 
「おい!あれは!!」
 
つかまえ隊の中の誰かが変わらずちんたら穴掘りしている円錐使徒を指さして大声で怒鳴った。MDZモスト・デンジャラス・ゾーンのど真ん中にあってあまりに素人すぎる行動ではあったが、それほどに驚きが大きかったのだろう。むしろ不審か。見た者も我が目を信じられず同意を無意識に求めたのだ。「ナンダァ・・・?」「使徒が動いた、か・・・」声につられてそちらを見た者の目も見開かれる。
 
 
碇シンジだった。
 
 
学生服姿の捕獲対象が、こちら側に現れて・・・・・よりにもよって、使徒の真下、活動中のドリル棒のすぐそばに立っている。首からカメラのようなものをさげているが、丸腰。武器らしい武器、装備らしい装備もなく、課外授業中とでもいうような格好で。
 
 
その、あまりにも無防備な姿と、
使徒に、あまりにも近い距離と
 
 
ようやくの獲物の出現であったが・・・・・その光景が、信じられない。
その信じられない碇シンジは、首からさげたカメラで使徒をパシャパシャ写し始めた。
 
 
凝視する。それは疲労が見せた幻影ではあるまいか。あまりにも冗談のような光景。
自分たちは何を捕まえにこんなところにまでやってきたのか?行き交う血走った視線。
しかし、それでも行動する者はいない。なにせチームワークなどとは百万光年も縁のない者どもであり、ここぞとばかりに抜け駆けをしたいが・・・・・・
 
 
それでも、体が動かない。
 
あまりに、あまりに、あまりに、怪しすぎる。その光景。社会科見学のように、その巨大な作業機械にも似た人類の天敵の姿を撮り続けるエヴァのパイロットなどと・・・
出来るなら、自分たちの網膜に映り続けるこれを今すぐ消去してしまいたい。
 
 
そのうち、碇シンジは空を飛びながら撮影を続けた。
 
 
宿題のように使徒の全景が必要なのか、使徒の周りを自在にブンブン飛び回りながらカメラで写しまくっていた。使徒の方はなんの反応もない。ドリル棒も変わらず作動している。あれが自分たちの仲間をさんざん食い散らかしてきた、彼らの天敵であることを知らぬのか。「夢か・・?」「悪夢だな」「ちょっと待てよ、あれじゃスーパーマンじゃねえか?いや日本製だからアトムか?アストロボーイか?ケツから機関銃がでたりすんのか?」「幻覚だろ?オレもお前もみんな幻覚、ひゃはははははは」「撃ちてえ・・・撃ちてえよう。あのガキむかつくよう撃ちてえよう」
 
 
夢かうつつか幻か、碇シンジによる一方的な飛行撮影は終わった。
 
現れたのと同じような位置、ドリル棒の前に立ち、停止のタイミングを見計らって、
 
 
ドリル棒に、触れた、
 
 
と、思ったところで唐突にその姿が消えた。まるで、ドリル棒の内部に吸い込まれたかのように。
 
 
結局、その姿が消えるまで、誰一人として動けなかった。
 
重圧に負け気を抜いていたわけではない、むしろ狩猟機械として冴えてきた感すらあった。
実際、動いてどうなったかという保証はない。獲物を巡って血みどろの争奪戦が始まったかもしれない。だが事実は。そんな判断を越えて、体を動かさなかったというだけのこと。
 
 
ぶるっ
 
今更ながらに震えが来た。恐怖よりも自らに対する怒りの方が濃かった。狩人としてみすみす待ち続けた獲物を前にして、動くことすら出来ずに惚けて見ていただけとは・・・・
自らの力を頼むことが強いだけにその後悔も倍増する。そして、肝心要のその獲物が
 
 
自分たちとは別系統の、「天敵」の内部に消えていった、ということは・・・・・
 
 
虎穴に入らずんば虎児を得ず・・・・・・危険性は承知の上で、もはやそれを感じないと仕事した気がしないほど。
 
 
自分たちもそこまでいかねば、ターゲットを手に入れられない、ということになりはせんか・・・・・・それぞれ百戦錬磨に凶悪な顔を見合わす「つかまえ隊」の面々。
 
 
だが、人類の天敵「使徒」・・・・・・・業界の片隅であろうとそこで利を喰む彼らであればその存在と既存の兵器が一切効かないその無敵性は聞き及んでいる・・・・正直、虎どころじゃねえ!と思うが・・・・・別にそれを狩り倒すわけではない、そこから獲物を掠め取るだけのこと・・・・・それくらいならば、己らの能力をもってすればやってやれぬこともないのではないか・・・・というか、やらねばなるまい・・・。
 
 
よしんば、それに失敗したとて・・・・貴重な使徒の接触データとなれば高値で買うところはいくらもあろう・・・・算段で言えばそちらの方がよほど確実。体組織なり破片なりを刮いで持って帰ることで出来れば・・・・・・儲けでいえばそちらの方が・・・・・
 
 
特別なんの装備もないように見えた碇シンジは、使徒にあの距離まで接近してのけて、接触さえしてのけた。空を飛んだあたり、なんらかの装備は身につけていたのかもしれないが。肝心なことは・・・・・
 
 
噂の「絶対領域」ATフィールドとやらを、使徒は現在、展開していないようだ、という点だ。少なくとも、あのドリル棒の周辺は人の入れぬ天使の結界、というわけではない。
となれば・・・・
 
「ひとつ込めてはダディのため、ふたーつ込めてはマミィのため、みーっつ込めてはワイフのため、よーっつ込めてはビアンカのため、いつーつ込めてはヤスのため・・・」
「罪業装填・・・・ザッカラス、カルカソンヌ、ベスムーラ、廻れアンデルスプラッツ」
「けろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろけろ」
 
それぞれの武器装備を構え直す。ある者は猛々しくある者は静謐にある者は狂笑しながら。その気合いの迸りは、今の今まで完全無視していた(VΛV)リエルの首を傾げさせる。ほんの、わずかではあるが。大使徒を、動かした。ように、見えた。
 
 
この期に及んで臆病にもかられずにまだ碇シンジ捕獲の任を忘れずに果たそうというのだからプロフィールとキャリアの凶悪さと罪業はとにかく、つかまえ隊の面々は筋金入りの根性の持ち主だといってよかった。
 
 
だが・・・・・・・・
 
 
捕らぬ狸の皮算用
 
 
日本にはそんな諺がある。
 
 
あるのだ。