のんきにスクールライフなんか送ってる場合じゃないぞ、と。
 
 
碇シンジは一時間目の授業が終わるなり早々にエスケープすることにした。幸い、蘭暮アスカの存在があったため、初日転校生の休憩時間、お約束のクラスメイトに囲まれての情報収拾および交換の輪に取り囲まれることもなく首尾良くクラスを抜け出すことに成功した。「二年楓組なんていわれてもなあ・・」いまひとつ馴染む予感もなければ違和感ぱりぱりであった。どうせまともに通う気などないのだ。放り込まれた檻の名前がどうであろうとそんなの関係ねえ!とまではリアクションしないが。内心は。
もちろん、男も女も砂鉄のように周囲に集めて完璧に差をつけられた蘭暮アスカに対して砂場の子供のようにいじけていたわけでもない。「ふん、マグネットパワーなんかうらやましくなんかない」
 
 
ぱっちん
 
 
「どうだろうね、この人気の差・・・夢に夢見る中坊にはなかなかキツい現実・・・って、いなくなってるぞ・あのパチンコ小僧・・いつの間に」
修行中の忍者のごとくの素早さで教室から消えられて慌てたのは四人の封紀委員の方である。こちらも無理に所属学年をアップダウンさせられて集められた面子であり浮きまくる。
 
仕事である、と割り切ればこそ我慢も出来るが、その仕事目的に捕捉もせずにあっさり消えられた日には浮くだけですまず潰れもする。アップしてきた低学年はともかく、ダウンさせられた本来は上にいるはずの中三と高一の二人は目下に、”してやられた”ことになり甚だ面白くない。こちらもただ者ではありえない、とにかく人目をひく蘭暮アスカの方にちょいと注意を向け、確かにマグネットがどうのとぼやいていたはずなのに、気がつくと教室のどこにもいなくなっていた。
 
 
「ち・・・・」舌打ちして歩き出すのは踝まできているロングスカートに、チューブを何重にも巻き付けてある奇妙な、”筆靴”でなんともザンザンと剣呑な音をさせる高校一年、元来校舎すら違う、ここにいるはずのないお姉さん、生名(いきな)シヌカであった。風邪でもないのにマスクをつけて茶色のグラサンなのは、あたしは危険なスケバンよ!という記号ではなく、単に、恥ずかしいからであった。なんの罪もないのにいきなり今日から下級生に混じって学校生活を送れ、というのは危険なスケバンであっても耐えられない。むしろ。マッポの手先になった刑事なスケバンの仕事であろう。
 
 
「ほら、起きなよ。ダイサン」
教室の後ろまでいくと、そこで寝そべっていた巨漢、あまりにでかすぎるので机も椅子もそれ用のがなくもう横になって授業を受けても良いという学校の正式許可をもらうほどの大男、これで中学三年生、大三(おおみ)ダイサン・・・・の前に立つと、
 
 
ドガガガガガガガガガガガガガガガ!!
 
 
目にも止まらぬマシンガンキックを食らわす生名シヌカ。封紀委員同士でなければ完全なイジメであった。というか完全に一個の暴力事件であった。が
、「・・・・・・・ぬへ?シねーちゃん・・・どったの?なんかあった?」
カタカナで表記してもまったく問題ないほどダメージらしきものを受けていない。生名シヌカのマシンガンキックがどれほどの代物なのか、鍵を無くした金庫を蹴り割っただの武者鎧の格好をした暴走ライダーをバイクごとすれ違いざまに粉々にしただのドラム缶をピンに見立てたボーリングでパーフェクトをとっただの・・・それすら座興で、生名シヌカがピカピカソと本気を出すと蹴った相手を抽象画のようにしてしまうという・・・なんともおとろしい噂に聞いて目撃もしたことがある年下のクラスメイトたちが静まりかえる。同時に、もうひとりの転校生、碇・パチンコ・シンジが消えていることに気がついた。
 
 
「いくらご近所だからってもう中学三年なんだから、それはやめろっていったろ。なんか、あたしに死んでほしいみたいに聞こえるよ」
 
「あ・・・ご、ごめん、おいら、口がよくまわんなくって・・・・そんな気なんかぜんぜんないよう、ごめんよう」
蹴られた方が蹴った方に泣きべそで謝っているのだからふたりは鉄の上下関係であった。
 
「まあいいけど、ダイサンあんた寝てやがったね?あんたはお情けで進級させてもらったバカなんだから、この良い機会にしっかり勉強しときな。チャラチャラしたクズばっかの右工なんぞに入りやがったら承知しないよ」
 
「・・・・右工に入ったら毎日バナナちゃんこを腹一杯喰わしてくれるって先輩が言ってたけど、・・・シねーちゃんがそう言うなら、おいら、がんばるよ」
 
「バナナちゃんこ・・クズはクズなりに下調べしてるねえ・・・あんたが右に行けばパワーバランスが崩れるだろうからね。それでも成り行きは認めない。この雑用がうまくいけばそれなりの便宜を図ってもらえるかもしれないしね。それは正当な代価だから。とりあえず、こっちの方をがんばるよ。だから、起きな」
 
 
「・・・・ああーうおーう!・・・」
緩慢ではあるが力に満ちた、人型の重機がスイッチ入ったような感じで大三ダイサンが立ち上がる。そのままだと天井をつくのでかなり猫背気味に。
 
 
「じゃ、行こう・・・パチ小僧を連れ戻すよ」
 
 
「待ってください」
高一のマシンガンスケバンと中三にして地元用心棒稼業のドラフト一位間違い無しの大器が連れだっていくのを呼び止めるのは、同じ封紀委員の飛び級の年下組、中学一年の弓削(ゆげ)カガミノジョウ。眼鏡をかけた細く鋭い目は年の差を感じさせず、腕力的にはどう考えても敵いそうにない年長ふたりに臆した様子もなく、諫める気配すらある。
 
 
「ああ?なんだよ・・・あんたたちにも来いとは言ってないよ。場違いなのは我慢して、お兄さんお姉さんたちに混じって楽しくやってな・・・・すぐに済むよ」
周りの手前、一応そこそこ穏やかに、可能な限りの努力をした、生名シヌカの声。
それだけで大三ダイサンの巨体が二割ほど縮んだ。教室の空気など言うに及ばず。
 
 
「彼、いなくなってるわね・・・・」蘭暮アスカが「逃げたか・・・・”あのバカ”」囲みの中で誰にも気付かれないほど短く、甘く苦く甘く苦い魔法薬のごとき笑みを浮かべる。
 
 
「言いたいことは分かってるから、黙ってくれるかい?こっちにも面子があるんだ」
自分たちも同行するため呼びかけたわけではないのは分かっている。ただ単に停止を命じたのだ。場を考慮して言葉に袴をはかせただけで。さっそく目標にとんずらされたのもカンにさわるが、たった四人の特別委員の指揮体制も気に食わない。別に子分が欲しいわけじゃないが、あまりに・・・・
 
 
「そうはいきませんね。僕たちが招集された時に明言確認しておいたはずです。年齢は関係なく、委員として動く折は委員長の命令を待つ、と。違いますか、生名サン」
口も達者だが、恐れるべきはその歯に閃く輝き。ぱちぱち・・・この距離でも髪の毛に逆立つ反応があるのはこの中坊のやばさを示している。先祖伝来の呪いのせいかどうか知らないが、弓削の家に生まれてくる電気人間。雷玉、落神、なんぞと呼ばれて昔から恐れられてきた歩く放電発電機。黒いゴム手袋はけっして伊達のしろものではない。
 
 
「・・・あーあ、そうだね。そうだよそうでしたよ。で、委員長。あたしらは目標の人物を追いかけてようございますか」
こういった素で改造人間(ちなみに知能高そうな眼鏡外見通りに大学レベル以上の学力があり、今回の飛び級も実はほとんど意味がない)みたいな奴をおさえてトップの座につき従えるのはどういう奴かというと・・・
 
 
「あ・・・・・はい。おっ、おっ、お、おねがいします!!」
 
 
小学五年生。女子児童。向(むかい)ミチュ。高校生のハクリキに慌てまくって右と左の手のひらを交互に出したり引っ込めたりしている。制服の丈が完全にあわずにぶかぶか。
これが、封紀委員長。人選ミスでもサプライズ人事でもないのはいずれ分かる。
 
 
「しかし、僕たちの役目は彼からこの学級ないしは学園施設を守護することであって、当人が自由意思で早退しここから離れるというのであれば、なんの問題もなく、追跡する必要などないのでは」
認可に対して異を唱える弓削カガミノジョウ。それなら委員長の命令がどうの、という前に言え!と怒鳴ってやろうかと思ったが、相手が年下の中坊であることを思い返してやめておく生名シヌカ。
 
 
「あ、それもそうか。あのひとがおうちに帰ったなら、もうわたしたちもやることないし・・・・・・五年生の教室にもどっても、いいかなあ・・・」
委員長もこの調子であるし。どんな凶悪で大変な人間がやってくるのか緊張していたところにあの自己紹介であるからすっかり気が抜けたのだろう。さすがガキんちょ甘すぎる。いや確かにあたしも高校に戻りたいのだが。
 
「それならそれで、後の確認する必要があるだろ?だから最初に言ったんだ。あんたたちはここにいろってな。なんなら自分のクラスに戻っててもかまわないよ」
なんにせよ、自分たちをこんな境遇におしこめた諸悪の根源をほっとくわけにもいかない。
とぼけたスピーチしてたけど、ただの世間知らずのVIPの坊ちゃん、て程度なら水上城が直々にそこまではやるまいし。というか、ホント学校なんぞに来させるなよ。
「じゃ、行くよ。休み時間ももう終わり、か・・・・・・・って」
 
 
のこのこと。そこに。
 
 
碇シンジが戻ってきた。なんとなく、やるせない顔で。
まさか緊急のトイレタイムに突入しており、委員たちがやいやいやっている間に晴れ晴れと用を足していたのではない、とその表情が証明していた。そんなオチは。
 
 
てくてくと、自分の席に着いた。他のクラスメイト、封紀委員らの目など意に介さず。
タネというほどの話でもないが、なんで大人しく戻ってきたのかタネを明かすと、
早々と校舎を出て校門を出よう、と、したところで水上左眼に出くわしたのだ。
 
 
「こんなところで、どうしたんだ?」
明らかにこちらがどうしようか知っている声。「いやー、ヒメさんこそ。こんなところでこんちこれまたれこんきすた」何気なくかえしたが、かなりビビッた碇シンジ。自分が忌火起草を煎じて飲んでしまったかと一瞬、思ったくらいだ。思い切り目があってしまった。
(目をあわせちゃだめだ目をあわせちゃ駄目だ目をあわせちゃダメだ)しかしもう遅い。
 
 
「なかなかうまいことを言うのだな。さっそく学舎の効果が出てきたのか。都会とは違うがここも独自の、温故知新・・・まあ国内に他にないのは間違いないほどの独自のカリキュラムがあってな、それなりに勉強になると思う。わたしは用事を済ませたので次の仕事に移るが、何か困ったことはあるだろうか」
ここで勝手に抜け出したらただではすまさないぞ、という脅しには違いないのだろうが、言い方と態度がこなれているので逆らう気がおきない。ここは鶏王となるしかない。
 
 
「お仕事、がんばってください・・」校門で別れて回れ右。しぶしぶ教室に戻った次第。
まあ、いいか。一日中、夜中も学校にいろ、という話ではないのだから。それならはっきり学校に住め、と言ったはずだから。
 
 
 
「あーあ・・・・」机につっぷした。マフラーもはずさずに。その姿は皆の哀愁を誘った。
短い滞在期間でもクラスに早く溶け込むように自爆覚悟で装着してきたにちがいないあのかっこつけマフラー。天然なのか受け狙いだったのか、いまひとつはっきりしないが、あの自己紹介。それなのに、となりには異国の血の混じった美少女。もし、彼女と転入の日がカブらなければ、自分たちは彼と話を、コミュニケーションを図ろうとしていた、かもしれない。学園内からムリヤリっぽく集められた監視役たちが許せば、まあ、それくらいは。マフラーには、そんな人の情けをひきつける効果が、なくもなかった。ドラえもんの秘密道具ではないので、一歩、ひいた位置から。それは、20世紀的ノスタルジーだったのかもしれない。
 
 
「・・・ちょっいとお話させてもらった方がいいなあ、これは」
生名シヌカがグラサンごしに目標対象を見る。その眼力は十分、マフラー少年の背中をズドンと射抜いているはずだが、気付いた様子はない。反射するものもなく、どうも、掴めない。ただウナギのようにぬるぬるしてるだけなのか。どのような害をあたえるのか。
 
「問題が起きるなら早い方がいい・・・」
碇シンジに向けて特攻しようとしたが、ふわ、と後ろ髪を遠隔で引かれた。霊のしわざではなく、年下の電気人間の仕業だ。この不吉な感触はちとたえようもない。メンチいれながら振り向くと片手の黒ゴム手袋を外していた。
 
 
「刺激はしない方が良いでしょう。この役を下された折、説明はされたはずです。積極的に危害を加えるような人物ではないと。僕たちの手に負えなければ左眼師に連絡して良いと・・・・僕の”雷線”にもひっかからなかった・・・・やはり、尋常じゃない」
剣呑な声と拙速も辞さない行動力に冷静に強制終了をかける弓削カガミノジョウ。
 
「あのな、ガキの使いじゃないんだよ。お前たちはそれでいいだろうが、こっちはそうはいかないんだよ。くそ、なんで目下に統制されなきゃいけないのかね・・・・」
 
「僕が委員を決めたわけではありませんからね。でなければ・・こんな人選はありえない」
 
「・・・もしかしてお前さん、年上なめてない?平賀源内じゃあるまいしちょっとエレキがつかえるからっていい気になってないかい?・・・ええ?江戸時代じゃあるまいし有り難がる道理はないんだよ」
 
 
碇シンジが思い切りこの学園を制圧しに来たりした凶悪な危険人物であったり「がははは、僕が今日からこの学園のボス、学園帝王であるぞ!!頭が高いひかえおろー」とかなんとかそれを表明してくれたりすれば、彼等どう見ても場違い教室違いなこの四名も多少は救われ、その存在を認知されるのだが、多少変わってはいるが、さして異常性を出力しているわけでもない現状では、封紀委員の方がよほど雰囲気を乱し緊張を増すデンジャラス空気を纏っていた。文字通りの一触即発。もともと、面子をそろえた学園側も碇シンジなる転校生のことをよく知らず、命じられたままに、危険人物に危険人物をぶつければいいじゃん的港町発想から強引に任命された委員であるからやむをえないのかもしれない。放置しておくのが一番良かったのだが。
 
 
「うひー・・・・おいらたちも・・・かなり浮いてるなあ・・・四人だけの村ってかんじだなー」
「そ・・・そうかもしれません。はー・・・ウキハちゃん、ソノヒちゃん、会いたいよう」
人間にとって人間こそが魔であることはいえ。とりあえず、四人の少年少女を不幸にしている邪悪存在・碇シンジ。まだなにもせんうちから。
 
 
「・・・・わたし、”お願い”してみます。あんまり、みなさんがこわがる不思議なことしないでくださいって」
封紀委員長としての責任感にようやく目覚めた、わけでもなく、ひたすらその役目がいやなだけで、見た目だけするとあまり危険もなさそうな、なんとなくまじめに頼めば素直にいうこと聞いてくれそうな、碇シンジの外面にあっさりだまされてささやかな決意を固める向ミチュ。高校よりも中学と小学生の壁の方が高く厚く、小学五年の在室の浮き具合はもはや大王級にまんがであった。ただ
 
 
「それは・・・やめて・・おいたほうがいい、ですよ。委員長」
それをとどめるのは同じ飛び級、弓削カガミノジョウ。少々、歯切れが悪い。
「・・・ですよね?生名サン」
さきほど同等以上に渡り合っていた高校生に対するよりも・・・むしろ目下に遠慮がちであるのは別に役職に引け目を感じているわけではない。
 
「あ、・・・まーな。やるにしてもここじゃマジいだろう、な。もう一人の、しかも外国人の血い入ったお客さんもいるわけだしな。信仰の自由、尊厳を踏みにじる・・・ってもわからねえよな・・・とにかく、シャレにならんことになる可能性が高い。だから、やめときな、委員長。な?いい子だから」
露骨に気にくわない目下に応援を求められて素直に応じたのは気性のせいもあるが、ほんとに危険性が高いから。伊達や酔狂で選ばれたわけではない。むしろこの役目においての真打ち。
 
 
「・・・”お願い”したら、わるい子ですか?」
とはいえ、自分にできることなどそれしかなく、それをやるな、というのなら自分がここにいる必要などないではないか。なんとなく悲しくなって瞳にどんどん涙がたまっていく。
ひっ・・あっ・・・・えっ・・・・呼吸音もあやしいキナ臭さであり、暴発が近いのを周囲のものたちに知らせる。保護を求める幼く弱い者のサインに教室の注意が集まってくる。
強靱な異物たる委員相手に正面切って意見できる者も・・・このクラスにいないわけではない。そして何より
 
 
蘭暮アスカの蒼い瞳が
 
 
うわ!やべえ!!ここでこの五年生委員長にびーびーわんわん泣かれた日には委員どころか超悪者イジメ星人じゃないか。”どうにかしろ””なんとかしてください”互いに視線で子守を命じあう生名シヌカと弓削カガミノジョウであるが、その間にもどんどん決壊時間はせまってくる。いまいちこの小学ちびの能力は”理解されがたい”からなあ。十全に理解されればこんな目でみられることもないのだろうが・・・・あの外人もえらいハクリキで睨んでやがるけど、あんたのためなんだからな、これは。くそー、説明できねえのがつらいぜ。そうですね・・・・。その点においては相互理解が交わされる。
 
 
そして。
 
 
「あ・・・・・・・・だれか、ないてる・・・?」
突っ伏したまま、起きることはせず、顔半分だけそちらに向けようとする碇シンジ。
もぞもぞと。生まれたての人造人間のようなその動き。たかが、それだけであるのに。そのものぐさに呆れていいところ。だが。ゾクリとする生名シヌカと弓削カガミノジョウ。わけなどない。予感が走った。ビビりだとワラワバ嗤え。こちらをむかせてはならない。
夜雲色の瞳がひらく前に。
 
 
「あ・・・・・・そろそろ、次の、授業が、はじまるんだな。先生、来るんだな」
大三ダイサンのフォローが入った。その、単純な事実のお知らせ、小学生のルールを守ろう的呼びかけに、
 
「あ、用意しなくちゃ」
あっさり泣きだす三秒前だった向ミチュは涙をおさめた。そして机の上にふでばこから出したえんぴつ2本とけしごむを並べる。
 
 
・・・・・・・じぶんたちもむかし、あんなふうだったのだろうか・・・・・・
 
 
教室の中にただよう微妙な空気。なつかしいような、気恥ずかしいような。同い年のクラスで一斉に同じことやってれば気づくこともなかろうが、そのアクションは年食った今現在からみると相当にハズかしくないだろうか。こたえるものはだれもいないけれど。
 
 
「あー、次の時間はテンパっあんの現国か。できるだけ穏便にしといた方がいいな」
「そうねー、あの人、すぐにテンパるから。カンづかれたら授業にならないし」
わざとらしい説明ゼリフを誰かが。もちろん聞かせるために言ったのだろう。
中学の現代国語教師、本坂(もとさか)テンパチ。名前のせいかどうかすぐにテンパる。
大昔の教師ドラマを見て教師になったせいか、すぐに漢字の成り立ちについて語りたがる。
 
 
「助かった・・・・・ま、自力で戻ってきてはいるしな、今日のところは様子見ってところで手も口も出さねえ、てところで手を打つか」
「それを命じるのは委員長ですが、方針意見には賛成です。下手に手を出すと黒焦げですまないかもしれません」
 
「授業の用意、しないんですか?そろそろ先生がくるんですよ」
五年生委員長の注意に、なんだか心の一部が折れた気のするスケバンとメガネであった。
 
「うひー、おいらは横になるだけだー、ちょいとごめんなさいーよ、と」
ズシン・・・大三ダイサンが定位置に戻ると教室が揺れた。
 
 
碇シンジももぞもぞ動きをやめるとふつうに顔を上げて指定の教科書ノートを鞄から取り出しはじめた。端末ではないことに戸惑いもないようで。どっから見てもふつうの中学生であった。完全に学用品がそろっていることにぶつぶつ文句をつぶやいたりするあたりはまさに思春期まっただ中。
 
 
「あー、これでもないあれでもない・・・教科書だよ教科書・・・おっとこれは高校現国だった・・・やばいな忘れたか・・・」鞄からチェーンだの鋼鉄製のヨーヨーだのあげくのはてには桜のマークのついた手帳などが出てくる生名シヌカや「・・・・・・」ひらくのは中学の教科書に偽装した学術書しかも英文という完全に中学現代国語をなめきっている弓削カガミノジョウなどよりよほど健全であった。
 
 
きーんこーんかーんこーん
 
 
そして現代国語、本坂テンパチの授業がはじまり、「人という字はアアアア・・・・・!」今日もやっぱりテンパった。
 
 

 
「がた」→「がた」↑「がた」←「がた」↓
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四時間目が終了し、さあ昼食の時間になる、というところで碇シンジの四方の机の配置が突如切り替わった。「ん?」水上左眼に釘をさされて逃げる気もなく単純に昼食はどうしようかな・・・、程度のことしか考えていなかった碇シンジは鮮やかに四方を固められてあっけにとられた。すでに別人と認定しきり見切った蘭暮アスカのことは頭になく、別の意味で十重二十重にされている彼女とどうやって話す機会を造ろうか、などと考慮することもなかったくらいであるから、今日の昼食は孤食を覚悟していたのだ。というより他の選択肢があるとも思ってなかった。
 
 
「・・・いっしょに、おべんとう、食べませんか?いかりせんぱ・・・じゃない、いかり、さん」
 
自分たちの机を手際よく移動して封鎖したあげく誘ってくれたのは、転校生の自分と同じくらい、もしかしたらそれ以上にクラスの空気に馴染めていない四名のなかの、いちばん小さい子であった。先輩、と呼びかけたあたり、飛び級でもしたのだろうか、と思うが逆に明らかにダブった感じのこっちが先輩と呼ばねばならんよーな風格の女子生徒が斜めからキツい視線でこちらを見ているのでうかつなことは言えそうにない。
 
 
「あ、でも・・・僕、弁当をもってきてないんだ。購買とか学生食堂とか、あるかな」
聞いておきながらあれであるが、あるのは知っている碇シンジである。「昼食代」とかかれて中に千円札が一枚はいっている茶封筒が鞄の中にあったからである。
 
しかし、目的がわからない。卑屈になっているつもりはないがせっかく声をかけるのであれば蘭暮さんの方であろうと思い、よもや自分をこの浮きグループの中にいれてやろう、というありがたい心遣いなのかどうか。イエスともノーとも返答せず、とりあえず自分を囲んだこの四名の様子を確かめる・・・・・・確かめようとした、が
 
 
「いっしょに食うのか、食わないのか、それをはっきりさせ・・・てくれないかねえ」
どうもそんなこざかしい判断保留は許してもらえない世界らしい。明らかに目上の命令口調であったが、これも事情があるのか、あるのだろう、途中で語尾を付け足した。
 
「あ、いえ、同伴させていただきます・・・購買でなにか買ってきたあとに」
どうも女性に強気に出られると弱い。しかもどう見ても同学年じゃないし。自然に敬語で。
 
「ん?あー、そうだな・・・”同級生”とはいえ、丁寧な言葉ってのは大事なもんだからなー。ま、あんたが使いたいってなら、敬語でもあたしは全然かまわないけど」
やけに”同級生”、のところに力をいれて。ふつう、こういう格好をするひとたちは「同級なんだからタメ口でいい」とかなんとか白々しい敬語を嫌うかと思ったが、どうもそうでもないらしい・・・というか順当な扱いなのか。留年とか・・いや、その点にはあまりつっこまずにおこう、と碇シンジは思った。ちょっと機嫌が良くなった気もするし。
 
 
しかし、このまま流されていると、この浮きグループに強制加入させられてしまう。
なんかクラスの他の面々も教室から出て行ってるし。弁当ならここで食べてもいいはずなのにわざわざ提げて。屋上とか中庭とかで食べるのがここの校風なのか・・・それとも。
 
 
「ダイサン、ちょっとこれで購買でパンでもみつくろってやりな。なるべく早くだよ」
マスクをはずして財布から札を取り出すと、ダイサン、と呼ばれた教室の後ろで横になって授業聞いてた大男に命じた。「わかったよ、シねーちゃん」反抗するどころかなんか喜んでいる風であり、ズシンズシンと行ってしまった。「お金、落とすんじゃないよ」なんか小学生にするような注意まで与えられて。
 
「あのー、代金は・・・」
「気にするな。奢りだよ」
気分いいほどの即答だった。
 
 
うーむ・・・ますますこのグループ加入を誘われた場合断り切れなくなった気が。
他の四人が聞いたら「ざけんな!!」の一言で切り捨て後免にされそうな心配をする碇シンジ。弓削カガミノジョウが眼鏡の奥からクールにその横顔を見つめていた。自分たちの年齢差に気づいてはいるようなのだが、それに対して疑問に思っているようではない。
単なる無神経なのか、それとも・・・この拘りようの無さは。惣流アスカや渚カヲルのような生きた例を間近で見ていたことに由来するのだが、分かるはずもない。
 
 
がやがやがやと、隣や他の教室はにぎやかであるのに、なぜかこの二年楓組はどんどんクラスから人が出て行き、いまや残っているのは碇シンジと封紀委員の三人だけ。大三ダイサンのように購買に買い出しに出かけた者もやはり戻ってこない。蘭暮アスカも校内紹介もかねてか、クラスメイトたちに囲まれて出て行ったきり。さながら、これから起こる何事かに巻き込まれるのを嫌い、避難したのかのように。
 
 
「そういえば、皆さんの名前を教えてくれませんか」
 
それを気にしたふうもなく、尋ねる碇シンジ。まずは、いきなり昼食をおごってくれるという親切なのか姉御肌なのか見た目通りのダブりなのか、マスクをはずすと別に口が裂けているわけでもなかったこの人は・・・
 
「あたしは生名シヌカ。生名さん、でも、シヌカさん、でもどっちでもいいよ」
さん付けを要求しておいでだった。「はあ、わかりました。生名さん」もちろん従うにやぶさかではない。
「んで、さっき買い出しにいかせたのは大三ダイサン。口が不器用だけど気のいいやつさ。見てのとおりの力持ちであるしな」
 
「あー、なるほど」
神妙にうなづいておいて、明らかに説明があるであろう”年”のことについてスルーされたことにあえて気づかぬふりをする碇シンジであった。
 
「僕は、弓削カガミノジョウです。よろしく」
黒いゴム手袋なんかはめている眼鏡の、それでいて相田ケンスケとはまた違う、他人との不接続を表示しているかのような眼の色。あなたがたとは規格が違う、と白い頬のあたりに透明コードを埋め込まれている感じ。斜にかまえている秀才君、といえばそれまでで、ふつう、どう見ても、あ、彼とは仲良くなれそうだな、と思わせるタイプではないのだが、なぜか碇シンジはそう思ってしまった。「こちらこそ」自然、ほこっと笑いかけると、なぜかむこうはぎょっとした。ごまかすように眼鏡をさわったりしていたが。
 
 
「あ、わたしは・・・向、ミチュです。小が・・・じゃなかった、ちゅうがく2ねんせいです。よ、よろしくおねがいしまっす!」
明らかに言いかけたのと同じように小学生体型であり物言いであった。授業でも彼女だけ指名されないか、明らかに脱線した雑学的なことしか聞かれなかった。教師の方でもフォローしていたし。中2の英語の授業で「アルファベットをぜんぶ言ってみなさい」で、出来たら教室じゅうから自然に拍手。ってなんじゃそれである。
 
「はい、こっちこそ。よろしく、向さん」
とはいえ、つっこんだりしてはかわいそうなオーラがでているので黙っておく碇シンジ。
別につっこまなかったから死んでしまう、というわけでもなし。しかし、
 
「え?なんで・・・・あ、そうか。そうですね、べつにへんなことじゃないんだ・・・」
 
誘っている、または待っているようなリアクションがかえってきて口元がむずむずする。
年上からのさん付けに違和感があるのだろう。生名さんがそれを要求するように。
ふたりとも年相応の学力はありそうだけど、こんなところにいるのは、よほどの事情があるのか・・・・・その事情が自分自身であることには気づかぬ、内心でしきりに首をひねる碇シンジであった。解けなかったら、推理小説を最後から読むように、あとでおヒメさんに聞けばいいや、などとぬるい感じで。
 
 
「ところで」
そこに、意外な一撃がいれられる。完全に無防備であったところに。向ミチュの純粋な瞳で
 
 
「いかりさんは、神さまって信じてますか?」
 
積み木を崩すように、謎が解けた、と思った。