「・・・カチカチヤシマ作戦ってのはどう?」
 
 
碇シンジが郵便ポストに向かって言った。昔ながらの円筒形の赤ポストであるが、肝心なのは
 
 
「どういう意味なんです?それとも、かちかち山をもじったんですか?」
 
郵便ポストが聞き返したそのことであろうし、または作戦の内容であっただろう。
 
 
ポストが口をきいたりするのは、海福寺近くの怪人ビル地下の首領室に「ここは安全だから」と隠れているよう命じられた碇シンジの幻覚や幻聴などではなく、単にポストの中に人間が入っているだけのことである。碇シンジはまともだ。一応、そのように、見える。
 
ポストの中にいる誰かさんも修行のためにやっているだけのことで、日常の常識というものが理解できないというわけでもない。ここに残された碇シンジの見張り役兼護衛を任されるだけあって、実務に出かけていった組合の長たる三つ首銀磨の信用もある。ポストをずっと被っていられる盗人技能からすれば、声などいくらでも化けようがあろうから老若男女も分からないが。とりあえず、敵、ではなかった。まさに、とりあえず。碇シンジの話し相手にはなってくれていた。正体不明ではあるが、それだけに遠慮無いタメ口で。
三つ首銀磨が話している間は、まさにただのポスト、無生物の置物と化したように口を挟むことはなかったが、それは単に上下を弁えているというだけであったらしい。
沈黙する郵便ポストとふたりきりで、こんな仮面にかこまれた地下の一室でじっとしておかねばならぬとなれば、それはまたかなり重たい時間であっただろう。
 
 
「かちかち山?なんで?・・・・・ああ、シ抜きの一文字ちがいでそうなるのかー・・・・
いや、そんなつもりはなかったんだけど・・・・」
 
答えるより聞き返す碇シンジは机の上の写真に目をやる。先ほどいったん戻ってきた三つ首銀磨が撮ってきた使徒の写真であった。父親の描いたとおりのてらいのない円錐形。
 
今は下部から棒状のドリルを出して穴を掘っているらしい。ワンパターンでやっているのか、それとも地下を探っているのか・・・・まあ、この竜尾道のカラクリを知らねばそこに目がいくのも自然なことか。そのまま掘りに掘り続けてマグマでも噴き出してきたらえらいことだ。まあ、使徒もそこまでパーじゃないだろうけど・・・・保証はないし。
 
 
ATフィールドも展開せずに、人間相手にビーム砲を使うこともない。
 
 
そのくせ、いざ剣参しようとしたヒメさんを正確に、その出現位置を正確に見抜いて、撃ち抜いた・・・・自動的、機械的な、それではない。優秀な射手、カンの利く猟師のような狙撃能力がある、ということだ。なんでもかんでも反応して無尽蔵に撃ちまくってエネルギーを浪費してくれるようなトリガーハッピーの方がやりやすいのに。風に舞う葉っぱ一枚でも感知して撃ってくるビビリ・・・でもないのに、いざという時は完璧なタイミングを狙ってくる・・・・人間の仕事じゃないなあ、とも思う。
 
ああ、やな感じだ、と。
 
 
大きさ自体は第三新東京市に現れた四面体のに比べると、ふたまわりほど小さい。
 
小振りだけど、性能はそのまま、か・・・・小振りらしくその分パワーが落ちているか。
 
ネルフのマギならすぐさま正確な比較データとか正確な数字を弾いてたりとかしてくれるのだろうけど。こっちはその段階ですら、ない。郵便ポストに言っても不安にさせるだけなので言わないだけで。郵便ポストが赤いのは自分のせいじゃないけれど、使徒がやってくるのはおそらく。
 
 
「ヤシマ作戦っていう作戦があって、単にそこに勝てますように、って勝ち勝ち、をつけただけなんだけどね」
 
なんにせよ、敵に勝てるだけの戦力を集めないとそもそも戦いにならない。作戦なんてその後でこねあげるもので、材料もないのに料理がつくれるか。レシピを食べるわけじゃない。作戦名なんてどうでもいいんじゃないの?とも思ったが、答えてしまったのだから。
 
 
「その作戦って、うまいこと成功したんですか?」
相手のその声に不安の色はない。そうだろう。そうでなくてはいけない、とは、思う。
けど。
 
ミサトさんも、大変だったんだよ、ねえ・・・・・・・・・・と、今思う碇シンジ。
 
 
「もちろん。成功したよ」
こう言わねばならない。あの街ではたぶんいなかったと思うけど、ポストをずっと被る、というちょっと理解しがたい修行をしながらここで生きている地元民に対しては。
名前がちょっと似ていても、中身はまるで別物。確かに、まだかちかち山の方が近いか。
 
 
「じゃあ、大丈夫ですね。まあ、うまくいかなくとも、左眼様がおられますし」
 
気遣いは無用だったかもしれない。多少、脅かした方がこちらの精神の健康にはよかったかもしれぬ・・・まあ、あれだけの見得を切ってこうやって地元最速の有力者に動いてもらっているのだからそれもやむなし。確かに、ヒメさんが前のようにアドバイスを求めていたら、結果は変わっていたかも知れない。圧倒的実力差、というより、出会い頭の一発、という面も確かにあるから・・・・と、もしもを考えてもしょうがない。
 
 
三つ首銀磨が動いてくれたのも、こちらの一点、「外から突く必要性」・・・相手の目をそらし、注目を集めないこと散らしてしまうこと・・・を認めたからであって、本気で勝てる、などと夢にも思っていない。あくまでそれによる攪乱、時間稼ぎを主目的として、ケリは水上左眼のヒメさんがつけると思っているに違いない。それは、正しい。
 
それは、彼らの利と理にかなっている。
 
なんせヒメさんの竜号機は実際に使徒を連続して倒しており、最終的にこんな子供よりそちらを信用するに決まっている。たとえ世界が100人の村であっても、100人ともそんな判断を下すだろう。そんなことは別段、高級な推理力を必要としない。
 
その判断は正しく、その判断力があるゆえに、こちらの願った仕事も確かに実行してくれるに違いない・・・・というか、そうでないならかなり困る。というか、お手上げだ。
 
 
もう時間もあまりない。
 
自分がこれからやることも、使徒を倒すことには「あまり関係がない」、ときている。
 
しかも、こちらはうまくいく自信も保証もほとんどない。十中、八、九、釣れないだろう。
 
ヒメさんが動けない今だからこそ・・・・と思うのだけれど。どうだろうか。
 
今であっても。
 
 
 
「ちょっと、出てきます」
それでも、やるべきことはやっておかねばなるまい。可能性がわずかでも。どうせ自分は軍師なんかではない。こんなところでお尻をあたためてもしょうがない。お尻だって、あたためてほしい・・・大昔の名コピーだ・・・・違ったかな・・・まあ、それはともかく。
 
碇シンジは客用の椅子から立ち上がった。
 
 
「どちらへ?お夜食でしたら、つくりますよ。ちょっと待ってもらえれば」
 
ポストを被ったままでどうやってつくるのか、ちょっと興味があったがそんな謎解きをしている場合ではない。「なにかお好みのメニューはありますか」対応もしてくれるらしいが。こんな怪人のアジトで何を食べればおいしく頂けるのか・・・・ミステリアス・ハニートーストとか。頬のようなリンゴとか。警察の取調室だとカツ丼だから、この場合うな重とか。エビピラフなんかではないことは確かだ。おばば汁?・・・・こわすぎる。
 
 
「ちょっと”カチカチ”してくるだけです。すぐ戻りますから」
 
しかも、自分の方がよほどに謎めいた言動ときている。どうか、解いたりしてくれませんように。
 
 
「かちかち?・・・・ああ、作戦成功の縁起担ぎってやつですか。吉な方角に切り火とか」
やっていることは奇矯でも頭の回転はかなり早いポストらしい。
 
 
「そうそう。それをやらないと、どうにも落ち着かなくて・・・・それじゃ」
 
感心しながら出ていこうとした碇シンジの背に赤い声が突き刺さる。
 
 
「嘘つきですね。盗人相手だとしても、こうも平然とそんな嘘がつけるようじゃ、将来ま
ともな大人になれませんよ?・・・・でも、まあ嫌いじゃありません、そういうの。
 
我らの長が動き回っているというのに、ここで縁もゆかりもない小僧が黙って座り込んで尻を温めているようじゃ・・・・夜食には下剤をいれておこうかと思っていたところです」
 
盗人にも三分の理、どこではなかった。
 
 
「”カチカチしよう”というのは本当なんですけど・・・・・邪魔されないのは有り難いです。では、いってきます」
 
僕が本気で嘘をつこうとしたら、そんなもんじゃすみませんよ、なんてことは言い返さない碇シンジである。軍師はいったん作戦たてたら、あとは後ろで成り行きを舞台演出家のように見守っていればいいのだろうけど、こちとらそんな上等なものじゃない。
 
出てってなんぼ、表を駆け抜けてなんぼ、境界越えて成り上がり、歩のない将棋は負け将棋、と。
 
 
「はい、それではご一緒します」
てっきり、はいさようならがんばってください、で見送ってくれるものかと思っていたポストの言い草に碇シンジが萎れた顔になる。「いや、いいですよ。危ないですし、僕一人でいきますよ。現地までは駕篭でいきますけど・・・・なるべく、目立ちたくないんで」
 
「そういうわけにも役目上、いかないんですよ。碇シンジさん。ではいきましょう」
こちらが何を考えているか、見抜かれているわけではない・・・・と思うけれど、譲る気配は全くない。ポストらしくガンとして。先導してきた。
「長からの連絡役も必要でしょう?長の交渉が失敗するとは思いませんが・・・・こんな修羅場というんですか、使徒場、とでもいえばいいんでしょうか、そんなところに好きこのんで首を突っこもうとする物好きがいるというのも・・・・・」
 
「いるんだから、しょうがないです。・・・・・それは僕のせいじゃないし」
 
ビル内部の螺旋階段を逆に上って外に出直した碇シンジは駕篭を呼ぶ。ポストはどうするのかと一瞬、思ったが・・・・走ってついてきた。どうもただのポストのかぶり物に見えてパワードアーマーか何かだったのか・・・・そうでないなら、中の人はかなりの・・・・足の速さということになる。それとも、中の、人、ではないのか。人外ならぬ人怪。逃げ足には自信があったが・・・・まあ、世の中は広い。
 
 

 
 
「子供と思えぬ合理性だわいな」
 
「うひょひょ、あの男の息子であれば、それくらいは」
 
「自分を追ってきた者どもをまとめて使徒・・・あの奇妙な自動兵器に片付けさせようとは・・・理屈にはあっておりましょうが・・・・・三ツ首の・・・銀磨ほどのものが手を貸すとは・・・わざわざ己の姿に化けさせたのは・・・・外連を利かせすぎかと・・・」
 
「そうはいうても・・・かなり名の知れた人狩り連中も混じっておるし、左眼が寝込んでおる最中に街中に紛れられても厄介なことになる。そちらに目を向けてもらうのはこちらとしても助かる」
 
「ほんとうにそうでしょうか・・・・?考える方も考える方だが、そんな手に引っかかる方も引っかかる方だ。偽装の虎児を虎穴に追うなどと」
 
「何遍かアタックかけてるようだが・・・あれで倒せるなどと・・・傷もつけられると思えねえことを考えれば、それしかねえんじゃねえかって話さ。単に銀磨が気を利かせただけのことかもしれねえしな」
 
「相手も黙ってトンネル工事を許す山でもなし・・・蟻の穴から堤も崩れようがいかにも時間が・・・・さすがに一年も二年もかければ左眼も起きてこようというものよ」
 
 
竜尾道・・・・市街のとある場所で会合がもたれていた。竜尾道観光組合・・・「観光」などあろうはずもないこの隠れ里、竜尾道では冗談にしかならぬ名称ではあったが。
 
 
「とはいえ・・・・・墜とされた左眼の竜を捕まえたのは、ほんとにウメじゃったのか」
 
「うひょひょ、ようやく本題に入りおったのう、このジジイ。違いない、ゼーロもそういうておる」
 
「福音丸、ではなかったか・・・さすがに右眼、普段から暴走しとるだけのことはあるわいな。やることが、すぴーでぃー・わんだーじゃわいな」
 
「様、をつけんでいいんか、このジジイは。様を。うひょひょひょ。それから、このジジイに呆れて誰もつっこまんからいうておくが、そこはスティービー・ワンダー様じゃ、まちごうたらあかんな、うひょひょ」
 
「この場に出席もしとらん連中に”様”なんぞつけても、それはコトバの無駄遣いというものだわいな」
 
「・・・・ヘルタースケルターにも・・・・影響が出ています・・・・その本質と・・・あまりにも異なる・・・駆動を・・・発動されて・・・・よくそのようなことが出来る」
 
「そこが血を分けた姉妹ってやつだろう。意識してんのは左眼の方だけなんだしな。
多少、結界が歪もうが・・・・・姉が妹を受け止めなくてどうするよ?」
 
「あなたは・・・・私と・・・お役目が違う・・・だから、そのようなことを・・・・言う・・・もし、ここで・・・・ヘルタースケルターが・・・折れて・・・しまえば・・」
 
「うわ!!なんで泣いてんだこのベソ子は!!てめーもこの会合に呼ばれるほどの面子なんだからもっとふてぶてしく冷笑とかしてろよ!泣くな!!」
 
「別に私たちは悪の黒幕というわけではないのですから・・・・無力な黒子ではありましょうが、泣きもすれば笑いもしましょう。時間も惜しく、すすり泣きを聞くのも心苦しいもの・・・ここは泣かせた貴方が責任をとるべきでしょう?」
 
「いいっ!?なんだその意味深なモノの言い方は!だから泣くな!ベソ子!今度、右眼に会ったら言っといてやるから!な!それでいいだろ?」
 
「わたしの・・・・名前は・・・・ベソ子・・・では、ありません・・・・」
 
「そ、そうだった、すまん!!お前の名は、極楽鳳凰院脳天気炸裂常態エビス顔子!!これならいいだろ?もはや縁起よすぎて笑ってるしかねえような名前だ!!実際に近くにいたらオレはドン引きだが!!」
 
 
げしげしげしげしげしげしげしげしっっっ!!
 
 
「・・・それで・・・三つ首の動きですが・・・・ここにきて巨額の・・・契約関連の資金を・・・・・動かしています」
 
「うーむ、このケタ数。さすがは実質的な守りの要。とはいえ、逃げる算段にしては少ないわいな」
 
「うひょひょ、襲名も終わっておらんのに逃げるようなタマか。この程度で尻尾を巻くならとても務まるまいよ、うひょひょ・・・というところで、この若いのが哀れで誰もつっこまんからいうておくが、話ができんよーになっておるぞこやつ。会合に何しにきたんじゃ。まあ、会合に彩りを添えはしてくれたが・・・・自慢の牙も折られておるな・・・」
 
「契約先はどこですか?ここで何をしようとあまりに泥縄すぎましょう。ネルフになんらかの細工を頼もうというならば危険性が高すぎます。私が介入して止めることになると思いますが・・・」
 
「金額の割には・・・信じられない速度で・・・・決定されてますね・・・・もう、介入も・・・届きません・・・・凄まじい・・・決断力というか・・・・無謀さ・・・です」
 
「金銭で動くようなところで・・・あの怪物を倒してくれるようなところがあるとは・・・・・・まあ、時間稼ぎなのじゃろうが・・・・にしても、剛毅じゃわいなあ」
 
「どこです?その、無謀で剛毅な・・・騙されているに違いない可哀相な契約先は」
 
 
「それは・・・」
 
 
先ほどまで泣いていたカラスのような女が告げようとした、その瞬間
 
 
りんりんりりん りんりりんりん
 
 
会合の場に電話のベルが鳴り響いた。
ベルにどのような魔力があったのか、げしげしされて話もできなかったはずの男を復活させた。「もうかかってきやがったか・・・・・・・て、ことは」
 
 
「もうやってくる頃合いだ、ということだわいな・・・・もしもし、こちらは竜尾道観光組合・・・・ああ、これはごきげんよろしく・・・ほお、あまりよろしくない?・・・・はいはい、分かり申した。即座に解散いたします・・・・はあ、分かっております、分かっております。こうやって先触れを頂ければそういうこともございませんよ・・・・それでは、あまりもたついておりますと、出くわしては大変ですからな・・・・・・では」
 
「うひょひょ、本日の会合はこれにてお開き、とな。うひょひょ」
 
「止めろというのじゃから仕方がないのう・・・・・にしても、あの男、見つける速度がどんどん速くなってきておるわいな。部下も使うでなし、どうやっておるのかいな」
 
「それくらいでなければ、ああいった組織の長はつとまらないのでしょう」
 
「・・早いところ、ずらかるぞい。あんな男にとっ捕まったらわしらなんぞ、京都仕込みのどんな目にあわされるかわかったもんじゃないわ、うひょひょひょ・・・・」
 
 
 
奇怪な笑いの残響が消える頃には、会合の場から出席者すべての姿は消え失せていた。
 
 
「・・・・・・・・」
碇ゲンドウがその場、中村憲吉旧居に現れたのは、その十分後。
どう見ても秘密の会合になぞ向かない開け放たれた日本家屋。そこに、いたはずなのだ。
 
 
竜尾道観光組合
 
 
碇ゲンドウの調査能力を嘲笑うがごとく、その先手の先手、裏の裏を読むようにして、その会合の現場を押さえさせない。彼らが最終目的ではない、それはあくまで段階であり、この隠れ里に留まり続けてでも、追い求める「ある影」を踏みつけてやるため・・・動き続けているのだが・・・・・今回も逃げられたようだ。
 
 
監視されているわけでも、尾行されているわけでもない。
伊達に特務機関ネルフの総司令だったわけではない、それらの解除は十八番である。
 
自分の思考パターンが読まれている・・・・・・逃げられてるのはそのせいだ。
 
碇ゲンドウはすでに結論を出しており、この方法ではついに尻尾もつかめまい、と分かっていた。が、止めようとしない。万が一、ということは期待もしていないが、他におびき出す網を張った以上、向こうを揺さぶる意味でもこういった作業を続ける意味はあった。
 
 
まあ、実際に使徒の侵攻があり、隠れ里の結界を破られてこの地まるごと蹂躙されるようなことにでもなれば、さすがに姿を現さずにはいられまいが・・・・・いや、もうここまできていれば、こんな隠れ蓑は捨てて別の・・・独逸の新型武装要塞都市<黒森>にでも紛れてしまうか・・・・福音丸、などとふざけた名も捨て・・・・あの連中はそうするだろう。ギルにも近く、地理的にもメリットが大きい。プロセスさえ確立してしまえば・・・
この隠れ里の特異性に頼ることもなくなる。
 
 
<特異性>
さきほど自分たち家族が根城にしていた第三新東京市も特異な都市であったが、この市街はそれを越える。もともと、あるはずのない、すでになくなっていたはずの幻影だ。
いつか、終わる。それは、間違いない。水上左眼がいくら人を捨てるような努力をしようが。力を手にすべきではない者が、力を手にしてしまった・・・・いや、力を見てしまった、魂に刻み込まれてしまった、というのが間違いのもとだったのか。力も使い方次第、という題目はやはり、かなり状況を選ぶのではなかろうか。その天秤が未だ発見されていない場合
 
 
この隠れ里がどのように終わるべきなのか・・・・・・・
 
どれが幸いなのかなど判じる資格は自分にはないが、いくつかの予想はつく。
 
 
その予想のどれが最も容易く実現するか、ここにいるのが不自然な自分たちが座視沈黙した場合、最も自然、「なるようになってしまった」状況というのはどんなものか・・・・
碇ゲンドウの頭脳は正確にそれらを予見していた。私情を挟まぬ、つまりはてめえの目的さえ達すればあとはどうでもいいからこその透徹した正確さである。
 
 
だが・・・・・
 
 
この幻影を必死に、それこそ魂消るほどの努力で上映し続けてきた水上左眼が、
 
「最後の選択」をしようというのなら・・・・・・
 
 
それをサポートするくらいの、サービス精神はあってもいいだろう、とこの髭男も思っていた。死んでも口にすることはないが。墓までもっていくつもりでいる。
 
こんな心情が分かるのは、専門家くらいであり、だからこそ遙か東にて専門家も怨念を呟きながらもなんとかやっていられるのだった。
 
 
この点、息子の方がかえって口ではさんざんそんなことを言っておいて、土壇場になってサービスなんか欠片もしないどころか、とんだお土産をよこしてきたりするのだ。
 
 
世のため人のためというのなら、こんな物騒な幻影市街、早々に消えてしまった方がいいにきまっており、叩き潰して引導渡してやることこそが、善なる大人の責務であろうと。
 
 
あいにく碇のこの父子、母親含めて、この親子、
常識的な善人などではなかった。身勝手なほどに水上左眼にとんでもない「夢想」を背負わせていたのだが、超のつく真面目真剣人間、左眼にはそんなことは分からない。
 
 
「竜、というのも不自由な存在だからな・・・・・」
 
 
一言だけつぶやいて、碇ゲンドウは病に倒れた歌人の旧居をあとにした。
 
 

 
 
「なかなか来ないな・・・・・・アテが外れた、かな」
 
 
キング・カブに半座りしてバナナをむしゃむしゃやりながら、いつぞや妹の進撃を止めた外国人専用マンションまであと一息の辻所で水上右眼は誰かを待っていた。
右手を懐手にしたテキ屋の格好は似合ってはいるのだが、かなり怪しい。
ただ、この街では知らぬ者がおらぬので通報もされずにすんでいた。
 
 
「あと十秒待っても来ないようなら、来ないことにしよう・・・・」
 
 
そして、バナナを食べ終わるのと同時に「はい十秒、碇シンジは来ない、と」
 
 
勝手に決めた。待つのを止めた、ともいうが。正確に十秒だったのかもどうも。
結果からいうと、実際に碇シンジはここに、蘭暮アスカのいるこの外国人用マンションを訪れなかったのだから、水上右眼がいくらここで待とうと待ちぼうけということになる。
 
 
「ダメ元で顔くらい見せに来るかとは思ったんだけどねえ・・・・・」
 
 
エンジンをかける。入れ違いになるか、とも一瞬思ったが、それもないかと思い返す。
来る、という選択をしたのなら、もう来ているはずだ。最も、来ても意味はないのだが。
 
 
「彼女の実力、見てみたかったんだけど・・・・あれじゃ無理か」
 
 
碇シンジがもしこの無茶な難題をなんとかこなそうとしたら、頼るのは当然、ここにいる「彼女」しかない。周りは敵、とはいわないまでも非協力的でさらに人類の天敵のことなど知ったことではない者たちだけ。己の乗る機体もない。男の面子にこだわらなければ、まっすぐに来るべきところは、ここしかない。というか、この切り札「最終兵器彼女」があるからこそ、無理な焚き付けをしたといえる。別に少年の面子が潰れるところが見たかったわけではない。
 
 
ラングレー、といったあの娘。まあ、呆れるほどの有能さと強運をもっている。
その力もほぼ重心に狂い無くこの竜尾道においても減衰しにくい、ときている。
 
 
そして、何より・・・・
 
 
「手ぶらでのこのこ、こんな所まで来れるほど・・・・安いカラダじゃないだろし」
 
 
どうやっているのかまでは分からない。そもそも札を手に入れた経緯もよく分からない。
だから、単なるカンでしかない。だが、水上右眼はそれを信じる。だから、妹を止めた。
 
 
おそらく、「用意」してきているのだろう・・・・
 
 
だけれど、現状の有様では使えそうもない。現在、彼女は乱れの極みにある。自己を保っていることすらできていない。あんな状態でこんな修羅場鉄火場使徒場に出てこられても暴走するのが関の山。暴走するのは、自分たちだけで十分だというのだ。あえて、爆走といってもいいけど。
 
 
碇シンジが彼女を呼びに来た場合、自分には焚きつけた責任がある。
 
だが、少年はここに来なかった。入れ違いになりました、なんて映画みたいなことは起こらない。いくらなんでも。どうしてるのかも知らないが。寺の中で頭抱えてるだけかもしれないが。
 
 
碇シンジがこの騒ぎを収められなければ、まあ、順当にいってチャンバラ妹がどうにかするだろう。正確には、チャンバラ妹の乗る竜のバケモノが、だが。今、竜は眠りながら天使を殺すための能力を生成している。進化というべきか、退化というべきか・・・・
G・O・D、Growth or Devolution・・・・化けて化けて化けまくり、そして根源の生命力を使い果たして、本来の性質を忘れ、己の本来の役割も果たせなくなる・・・・・
異形の強靭の裏には、そんな、あまりに脆い儚さがある。
 
愚妹だと、切りたくは、ない。
 
それをなんと呼べばいいのか・・・・己の巣穴に固執する妹をどうして開眼させるべきか。自分がやれれば、一番いいのだろうけど
 
 
 
「はあ・・・参った参った、恐れ入谷の鬼子母神、と」
 
 
バイクのくせに片手運転、それから懐手にしていた右手も抜いて、方角も選ばず拝む水上右眼。器用に連続曲がり角の下り坂を両手離しでおりてゆく。こんな芸当はこの女にしか出来ない。だが、それもこの街では見慣れた光景である。水上右眼はきままに走り続ける。
 
しかし、今、もし疾走するその姿を目撃する者がいれば、目を見張っただろう。その信心深さを、では無論無く、その操縦技量でもなく、その
 
 
ミイラのように萎んだ右手、水分という水分が蒸発して枯れ木のようにいまにもポキンと折れそうな、拝む指先に