「信じてる・・・・・ってほどじゃあ、ないなあ」
 
 
正体は不明であるが、一応「その使い」とされているものをさんざんやっけてきたのである。いまさらその口で「信じてます」とはとてもいえた義理ではない。
名は体を表さないなあ、と思いつつ碇シンジはそう濁した。向ミチュの純真無垢な瞳に対してわるいような気もするが、あえてここは悪となろう。悪と。
 
 
どうもこのクラスで浮きまくっている彼ら彼女らの事情とは「信教の自由」にあるのではないか、と碇シンジは推理した。なんらかの戒律的しばりによって学年は違っていても、こう一カ所に固まっていなくてはならないとか。その場合、年齢の中間をとるべし、とか。それとも年少者のお守りをせねばならぬとか。まあー、その団体に入信せねばいまいち理解しがたいが、切実な、なんかこう理由とか。あるのではないかと。
 
 
かみさまをしんじてるかどうか。
 
 
初対面でそんなことを聞いてくるあたり、考えられるのはそのくらい。
この小学生フェイスから政治について尋ねられるのと、どちらがましであろうか。
とはいえ、すでに周囲は封じられておりどうも助けてくれそうな地元民もいない。
しかもすでに奢り、というかたちで物品の受け入れを承諾してしまった。
よもや今時パンひとつで入信を強要されることもないと思うが。立場的にはまずい。
そして、相手の立場も尊重せねばなるまい・・・。
 
 
碇シンジの見立ては正しい。”この場合”は周囲の空気「こいつはやばいぞ」ターゲットに自分が選ばれていないことをきちんと見抜いていた。あくまで、この場合は、であるが。
 
 
向ミチュ。昨日襲名した、封紀委員委員長。小学五年生。
 
 
二年楓組の面々を楽しい昼食時間にそろって教室から去らせたのはこの子のため。
知っている者は知っている。知るはずもない本日初日の転校生、蘭暮アスカも安全圏に避難誘導させられた。
 
「かといって、いない!!、とは断言もしないけど。いや別に河童とか宇宙人とかと同レベルに見てるわけじゃないんだけど」
 
深い谷底に話が転がっていかぬように説明の立て看板を打っておく。白黒つけたがりそうな生名さんが怒るかな、と思ったけれど、なぜかあさってのほうを向いている。ちょっとバカっぽいたとえにバカにされるかと思ったけれど、弓削くんも。眼鏡でごまかしても視線を窓の外に向けている。こちらのやりとりを直視せぬようにしている。なぜか。
 
 
「じゃあ、”お願い”してもいいですね。いいですか?」
 
うわ、勧誘ですか。一番の年下にやらせるとは!あんたたち卑怯なり、と義憤の碇シンジであるが「ああ・・・・いいんじゃないか」「・・・今なら、なんとか・・・」視線をそらしたまま、爆発のタイミングでもはかっているような二人の躊躇いの表情にひっかかる。
 
 
「あのー・・・いかり、さん」
 
「はい」
ここは逃げるべきだ、と数々の戦いを切り抜けてきた本能が告げていた。その本能は物事をさらにややこしくしてきた可能性もあるが、それが発動することだけは抑えられない。
が、ここはそれに従うべきかどーか、判断に迷った上に、逃げ道を塞がれていた。視線をそらしていても、ちょうど碇シンジが高速逃走しようとする一足目の空間に二人が位置している。うわ、これはあきまへん、あきまへんでえー、となぜか内心が関西弁になってしもうたところで、それが来た。
 
 
「ちょっと・・・”お願い”が、あるんです」
 
「な、なんでしょう?あ、でも僕、いつまでここにいられるか分かったもんじゃない身ではあるしそんな簡単に部活感覚で入ったり辞めたりできることじゃなさそうだし、ということは最初からなかったことにした方がお互いのためになるのではないでしょうか!こう、適正なクラスメイトとしての距離感覚、つかずはなれずの暑くもなく寒くもない、いわば日本では失われてしまった春のような秋のような関係でいられればいいなあ、と。とりあえず転校初日として望んだりしているのですが僕は」
 
 
よく口のまわる・・・・てっきり逃げ出すものかと警戒していた生名シヌカと弓削カガミノジョウは向ミチュの眼をまっすぐに見て丁寧語になって説得にかかっている碇シンジに対して、やはり難物である認識をあらたにする。野放図にパワーをまきちらす凶暴な番長である方がよほど扱いやすい・・・・・が、なんか勘違いしていないだろうか、こいつは。
 
さながら、自分たちが、こいつを「仲間」にとりこもうとしている・・・そんな感じで。よくもまあ。
 
 
「・・・・・・」
目をぱちくりさせる向ミチュ。実のところ、早すぎて碇シンジの言ったことなど半分も分かっていない。春だの秋だの。勘違いが生じていることさえももちろん。うーん、やはり中学生だけのことはあるなあ、と思う。言ってることはよくわからないけど。
 
「あ、あの・・・・”お願い”っていうのは・・・・学校のひとと・・・”仲良く”、してもらいたいなあ・・ってことなんですけど・・・・・いいですか?」
 
 
「はい?」
鳩に鳩時計の真似をされたような顔になる碇シンジ。裏の裏は表であるから、裏の裏を読んでもそんなにすごくないぞ、と、いや裏の裏まで読んでいるからやっぱり賢いんだぞ、と頭の中で小さな子供が言い争う。
 
 
「あ・・・”仲良く”、は・・・できませんか・・・」
少し、困った顔になる向ミチュ。どう見ても小学生。この口からでる仲良く、という少女漫画雑誌のタイトルのような単語の響きは、実にまっとうであり、外連のかけらもない。
 
 
「いや、あの、その、っていうか、その、”仲良く”は、学校のひと、でいいの?ここにいる生名さんたちだけじゃない、他の人たちとも?」
まさか学校全体がそういうことならもう詰んでいる。女王様のミステリーじゃあるまいし。
おヒメさんもそういう人には見えなかったけどなあ・・・・まあ、いわゆるひとつの郷に入れば教かな。ここで否定すれば学園侵略者のレッテルを貼られるのもなんか違うし。
 
 
「もちろんです」
笑顔で返答。実に自然、実にナチュラル。嘘で塗り固めた心など当たり前田にクラッシュされるであろう。セオリーを穿ちこしらえた落とし穴であってもはまりたくなる。
 
 
「あ、それは、もちろん。こっちの方からお願いすることだよ。うん、仲良くしたいし、してもらいたいよ。うん、学校の人たちと」
いちおうの念押しはしておきつつも、積み木を再び組み立て始める碇シンジ。どうも自分の推理は重要なところを外しているらしい。配役で犯人をあてるドラマ探偵のごとく。
 
 
「よかった。いかりさんって、いいひとですね。よかったー○」
 
いやー、そんなに喜ばれるほどのことかなー、まるで不良のボスが生き甲斐を発見して更正したみたいじゃないの、わはは。などとその花丸で輝く小学生の顔を見ながら照れ笑いを浮かべる碇シンジ。
 
 
ブキミだ
 
封紀委員長と危険人物。そのふたりがなにやら笑顔みせたり照れたりしてなんとも牛乳石けんイズグッドシャボンみたいな雰囲気を造っているのをそばで目撃しながら生名シヌカと弓削カガミノジョウの感想がこれ。出来れば口に出したかったがやめておいた。大人げないのもあるが・・・
 
 
「いかりさんは、わたしが神さまだなんて、”思わない”ですよね○」
 
 
「え?何」
その笑顔に気をとられてその言葉の意味をとらえそこねた碇シンジ。この地域の小学生の間ではやっているなんかのお笑いギャグであろうか。しかもリバイバル系。ここで機嫌を損ねるのもかわいそうだなー・・・と、なんらかのリアクションをとろうか、こっちも懐古系がよかろうかな〜とか考えた碇シンジである。
 
 
 
 
「ははーーーーー」
 
突然、考えてなかったリアクションが飛び出てしまった。いきなり机に額ずいて平伏。お殿様を目の前にしたサムライのごとく。こうなるとサムライ、というのもあまりカッチョイイものでもない。将軍に謁見する旗本、とするとさらにレベルアップするわけだが美しさはあまり変化はない。とにかく、思考よりも早く深いところから、この行動が起きた。
さすがに驚く碇シンジ。人質でもとられて強制されてこうなったというのなら怒るところだが、これにはあっけにとられるほかない。好意的には思えたが、べつにそこまで私淑するほどのことではない。というか、何かの冗談だと思ったのに。
 
 
神さま
 
 
などと。
 
 
七つ年は神のうち、などというが、それは約束事のようなもので、よそ者の自分が知識もなく演技もせずにやれることではない。だけれど、心の内からとくとくと桃の香りのする甘酒でもわいてくるようなこの心象は。そして、彼女は、「思わない」とそれを否定した。
それなのに。・・・・なんだ、これは・・・・・?使徒殲滅業界を裏で支えるレベルの綾波レイにも渚カヲルにも異能という異能に、してやられたことのない碇シンジが。
 
 
その頭の渦巻きをさきほどの喜びは三千世界のむこうに消えたような無表情で向ミチュが見下ろしている・・・・・・じいっと・・・・・じいっと・・・・何かを思い出すように
 
神籤を引くがごときその時間がもう少し続けばどうなったか・・・・・しかし結果が出る前に、ぱしん、とおはじきのように気味のいい音をたてて開いた教室の扉が拍子を変えた。
 
「買ってきたよー、シねーちゃん。そういえば、好ききらいがわかんなかったから、あまいのとごはんパンをそれぞれ買ってきたよ。好ききらい、ある?きらいなの、あったらおいらが引き受けるぞう」
答えを出す前に買い出しの大三ダイサンが戻ってきた。
 
 
「・・・・東の方じゃ、そういうのが流行ってるらしいな。リバイバルっていうやつかね。
あんまり面白くないな、こっちじゃハズす可能性の方が高いな。東西の違いかね。このマフラーの方がまだ、いい・・」
そう言ってマフラーをひっぱる振りして、「・・・そういうことに今はして、あの子を刺激するな・・・いいね」小声で碇シンジに注意を与える生名シヌカ。「”仰ぐな”・・・視線をそらしながら・・・ゆっくりと頭をあげればいい・・・」奇妙な、注意を。
 
 
「待っていたおかげで、僕もずいぶんと空腹です。・・・食事にしましょう、委員長」
腹ぺこキャラにはどう見ても見えないし実際そうでもないであろうに、弓削カガミノジョウの腹立たしい調子は向ミチュの意識をそらせるためであろう。催眠を終わらす拍手のように周囲の空気が軽く弾ける音のある。
 
 
「あ・・・そうか、おべんとうですか。あ、みなさんそろったんですね、じゃ、いただきましょう」
旅立つ菩薩のような無表情が消え、もとの小学生の顔が戻った。碇シンジにはその切り替えは分からなかったが、なんらかの異常事態が終了したのは身をもって理解した。が、それを問う機会は与えられず、この場の主導者、向ミチュの「みなさん、手をあわせて・・・では、いただきます!」かけ声どおりに腹ごしらえが始まった。もちろん、かけ声どおりの手順の遵守を要求された。誰も、逆らわず素直にそれに従った。
 
 
 
お世辞にも盛り上がったとはいいがたい、淡々とした、それぞれ気持ちが心の壁に区切られた樹海の迷宮(レベル1)のごとき昼食風景であった。
 
 

 
 
午後いちの授業は「師弟」の時間だった。
 
 
聞いたことのない科目に時間間近になっても空席がえらく目立つ教室の状態に、碇シンジが不思議がっていると「この時間、あんたは職員室にでも行って、”御指名”がどんな具合か聞いた方がいいな」生名シヌカが説明にもならぬことを告げて、なぜか少々楽しげな顔をして行ってしまう。「もうひとりの転校生もおそらく、そうしてるはずさ。じゃあね」大男の大三ダイサンも小さな向ミチュも同じようなことを告げて出て行ってしまっている。自分たちの適正クラスに戻るような感じではなかった。音楽や技術、家庭科など特別教室に移動するようなノリであったけれど、それならひとつの教室でこうもバラバラの説明がつかない。これが、水上左眼が言っていた少し変わったカリキュラムなのだろうか。
 
 
「これって、どういう授業なのかな?」
 
 
あの四人の中で残った弓削カガミノジョウに尋ねてみる。何か分厚い、明らかに中学レベルでなさそうな外国語の本を広げて読んでいたが「正確には学校授業ではありません。ですから、自習でもされているといいと思いますよ。おそらく、あなたたちには御指名はかからないでしょうから」職員室にわざわざいくのも無駄でしょう、といった口ぶりであった。あまり根掘り葉掘りきかないでください電気柵が張られている。
 
 
「蘭暮さんも戻っていないしね。行ったほうがいいかな」
イノシシめいた好奇心、というよりも水上左眼にあとで質問された時の情報補給のために。
 
 
「あなたが行くなら僕が案内しないといけない。・・・あとで生名サンに怒られそうですし。この授業は、・・・・言ってみれば、伝統技術の伝承の時間なんですよ。おそらく経済的には成立せずに消えていく技術たち。それをもったお年寄りがこの学園の生徒を、それも眼鏡にかなった者を一方的に選び指名し、本人の否応もなしに強制で師弟関係にされて技術を叩き込まれる・・・もちろん、左眼師の肝煎りです。その眼鏡に適わなかった者は自習、という天国と地獄の時間ですね。生名サンなどはお師匠様との関係も良好で本人も相性が合ったようですが・・・合わない場合は、まあ・・・義務教育の通常科目にも言えることですけれど」
 
 
「うん、自習するよ。えーと、復習しよう、さっきの現代国語。人という字は・・・、と」
弓削カガミノジョウの話を聞くなり、わざとらしく教科書をひろげる碇シンジ。危ないところだった。生名シヌカのいうとおり、のこのこと職員室に行ってしまってまんまと御指名なんぞくらった日には大変なことになっていたかもしれない。草鞋の作り方、とか竹籠の作り方、もしくは古代泳法とかやらされるのであろうか。趣味でやるならともかく、お師匠さんがついてガミガミやらされることを考えると、出来れば避けたい授業であった。
 
 
そして、出来れば惣流アスカそっくりの蘭暮アスカとも出来れば距離をとりたかった。
 
あの顔とあの声でふたりきりになってしまって何か話さねばならないようなことになれば。つい、第三新東京市でのことなど、エヴァのことなど口にしてしまえば。
 
 
つい、つい。
 
 
やってしまうおそれがある。
 
 

 
 
授業が終われば掃除があるのだが、どのような役割分担になっているのか「あたしらはこっちだよ」と浮きグループ加入がもう確定事項になっているのか、生名シヌカたちに連れられてたった五人で体育館の掃除をすることになったアイアンアローな気分の碇シンジ。
ちら、と連れられる途中に蘭暮アスカの後ろ姿をみたが、彼女は彼女で案内役がたっぷりとついているから心配するようなことはなにもない。むしろ自分の方を。いや、男がそんなではいけないが。・・・・アスカなら、そろそろボロをだす頃合いだけどなあ・・・・
 
 
女子二名を含めてたった五人で体育館の掃除、というのは考えるだけなら罰ゲームであったが、実際にこのメンツでとりかかってみるとそうでもなかった。規格外にでかい大三ダイサンは見た目以上の突進パワーでもってまさにひとりで百人力、床をピカピカに磨いていたし、大小十台の掃除機を遠隔操縦(見た目にはそんな機能はついてなさそうな普通の掃除機なのだが)で同時に働かせる弓削カガミノジョウ。「あなたもこれでやりますか?」などと聞かれたがそんな真似などできるわけがない。指揮棒のようなものを振っているだけなのにラジコンカーよりも器用に動き回っている。ずいぶんとハイテクだ。たぶん。
 
 
それから、私服の小学生たちがおっかなびっくり入り口から鈴なりでのぞき込んでいるから何かと思えば、やはり向ミチュが心配になって様子を見にきたのだろう、「えー、ウキハちゃんソノヒちゃん!きてくれたの?でもいいの?おそうじは・・」「うきうき、いいの」「トモダチがヤバイところに送られたのに様子見に来ないわけにはいかないでしょ・・で、何かヘンなことされなかった?されたらアタシたちに言うのよ!黙ってちゃだめ」
「うおー、向はホントに中学のセンパイたちと一緒にいるんだなーべんきょうなんかわかるのかよ」「せんせいもお前の様子をみにいけってさー心配してたぞー」「男子はこなくていいのよ」「もしお前だったらこねーよ。ほっとくよ心配いらねーもん」「なによそれ!」
その顔を見て駆け出すその姿を見れば正体を問いつめる気にもなれない。しばらく再会を喜んでいたが、しつけがいいのかそのまま小学生放課後モードになるでもなく掃除に戻った。「うきうき、手伝うよ」「終わったらあんみつ食べにいきましょうよ」「あんみつー?そんな甘ったるいの食えるか」「別に男子はさそってないのよ」りんりん、と増援が。
仲良くやっているクラスの子たちと引き離されてここにいるのか・・・なんと不憫な。
、と昼のことさえなければ同情して水上左眼に談判くらいしようかと思っただろう。
 
 
そんな碇シンジの仕事は用具置き場で用具の点検とボール磨き。道具はともかく埃具合をみるとそう毎日掃除しているようでもない。面倒ではあるが、トイレ掃除ほどではあるまい。
 
その面倒で誰もが嫌がりそうな男女のトイレを当然の顔して生名シヌカが掃除していた。
一応、新入りの礼儀として「僕がやりましょうか」と聞いてはみたのだが「美人の嫁さんでも欲しいのか。あれは迷信だよ」手を振って追われた。
 
 
そして
 
用具置き場に鍵かけられて閉じこめられることもなく、まっとうに掃除が終わった。
なにかあったとしたら、体育館が綺麗になったくらいのことだ。
 
 
「ああ、終わったね。それじゃ、解散しようか・・・」生名シヌカが掃除の終了を告げると「では、また明日、よろしくおねがいします!ウキハちゃんソノヒちゃん!おわったよー」委員長がダッシュで帰っていった。「委員長。ランドセルを忘れないように」弓削カガミノジョウが注進する。もはや生名シヌカの仕切りに順序をつけたりはしない。面倒くさくなったのかもしれない。「はーい!ありがとうございます」まわりくどい他の意味があったのかもしれないが、こう元気よく返事されては。そして、実際、封紀委員長としての仕事はすでにおわってしまっている。
 
 
「ところで・・・碇シンジ、あんたは部活なんかはやる気でいるのか」
体育館の入り口では部活を始めたそうなユニフォーム姿の者たちが待っている。正確には生名シヌカの眼力に恐れをなして入ってこれないのだが。
 
「いえ、その気はありません」
エヴァパイロットの任を離れたこの機会にちょっと試してみようか、などという気はない碇シンジは即答した。というか、さっさと帰って調べ物をしたいのだ。
 
「ということは、もう学校から家に帰るんだね」
念押しをされることもないと思うが、まさか寄り道するなとか通学路破りするなとか言われるんじゃなかろうな、と警戒する碇シンジであるが
「まあ、そういうことになります」
そう答えるしかない。せいぜい反抗的に聞こえない響きで。
 
「そうか。じゃ、今日はお役ご免だね。あたしは美術部だ。それじゃまた明日」
くるり、と背を向けるとそのままあっさり行ってしまう。「あ、待ってよ。シねーちゃん」大三ダイサンがそのあとをドスドスついてく。入り口が蜘蛛の子を散らす有様になってちょっと面白かった。あの二人が行ったのだからもう入ってくればいいのにな、と思ったがまだ待っているのは・・・
 
 
「では、僕も」温度の低い会釈のあと、弓削カガミノジョウも行ってしまう。
取り残される碇シンジ。昼食時は一気に向こうから集まってきたことを考えると、なんとなく無常感。そして、入り口の者たちもまだ入ってこない。
 
 
 
なんとなく途中でかき氷を食べて帰った。
 
我が家、といってよいのかわるいのか、少々考えどころの大林寺へ。
 
水上左眼以外、全く立ち入る者とてない、ご近所でどんな噂が立っているのか分かったものではないアウターゾーン。自分が逆の立場でも、こんな不穏なところには用事があっても来たくない。ここに住んでるってだけでもう、地元の人はドン引きでしょう・・・・
 
 

 
 
「ただいま」
省略されているのは、帰りました、なのか、それとも、戻りました、なのか、とくに悩むこともなく。このあたり大事なポイントなのかもしれないが。
 
 
「あー、疲れた疲れた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
 
 
いかんせん、もっと大事でしかも厄介そうなことが目の前に立っていた。
 
 
蘭暮アスカがそこにいた。
 
 
玄関をあがったところに。自分を迎えるように。
 
ヘッドセットはやはりなく夕焼けのリボン。制服のままということは学校から直行したのか。待てよ、・・・・自分の方が道を間違えて別の似たような寺に入り込んだとか・・・
 
 
「おかえりなさい、碇君」
 
 
あの顔とあの声で、そう言った。明らかに、別人が。瞳の奥にあるものが違う彼方の女。
父さん、事件です!!悲鳴をあげそうになったところで
 
 
「わたしはもう帰るところだけど。では、お邪魔しました。おじさま・・・”例の件”、くれぐれもお願いしますね・・・じゃあ、碇君。また明日、学校で」
 
 
淡々とした台詞に現実に引き戻された。落ち着いて見ると、父親も立っていつもの顔でこちらを見下ろしていた。つまりは内心を悟らせない、深い森の静寂と薄闇を踏み哲学する痩せゴリラの表情で。火の発明を知りながらそれを焚くべきか、それとも素知らぬ顔で千年を過ごすか、どうか。そんな面構えであった。
 
 
呼び止める間もなく、蘭暮アスカはそのリボンの色のように止まることなく去っていった。
 
なぜか、その背にえらく不吉な、昏いものを感じさせた。かつての彼女と正逆の、赤。
 
 
たとえるなら
 
 
これから、血の海に沈んでいくような