「お邪魔する」
 
 
仕事帰りなのだろうかスーツ姿に戻った水上左眼がまたやってきた。しかも夕飯時。
 
 
コロッケ、雑魚ぶつ切りみそ汁、ご飯、大根サラダ、あとはふりかけ納豆梅干しなどトッピングでどうにかしてしまおうという男の食卓である。まあ、直撃しても遠慮が起きない、もしくはわざわざ狙うほどもないようなメニューであった。
 
 
「ああ、みそ汁だけいただこう」元来であればむさい父子の食卓上に彩りをそえる花はやって来て座るなりぬけぬけと言い放ってくれた。前特務機関ネルフ総司令のつくったそれをMIAの行方不明状態ではあるがエヴァ初号機専属操縦者たる碇シンジがおたまで掬う
・・・考えようにとっては贅沢な隠れ家メニューなのかもしれない。
 
 
ともあれ夕餉のちゃぶ台には三人。碇ゲンドウ、碇シンジ、水上左眼。
 
同じ炊飯器の飯を食べているのは父子で、同じ鍋のみそ汁を三人で吸っている。
 
「うまいとわざわざ言わなくていい食事はいいな」水上左眼はとりようによっては相当にひどいことを言った。「・・・あ、いや、まずいなどと言っているわけではありませんよ」
別にこれしきで前ネルフ総司令が落ち込むはずもないのだが。
 
 
「・・・・・・・」
碇シンジは黙っている。言いたいことは腹にたまっているのだが、それが二系統ある上に片方は水上左眼に聞かせたくない。学校に関してなら張本人に聞くのが一番であるので好都合なのだが。まさかあそこで蘭暮アスカに会う、いやさ彼女がここにやってくるなどとは考えてもなかったため、混乱もある。そして、その用件は自分ではなく父親相手というのは・・・・・みそ汁を吸いながら、じと、と父親を見るが、同じタイミングで椀を口にする碇ゲンドウはまったく表情が変わらない。蘭暮アスカが去って息子に問いつめられる前に「少し、出てくる」と夕飯の買い出しだと言外に匂わせて追求をかわしたその手際。
 
 
”例の件”とは。
思い切り思わせぶりで、かえって追求したくなくなるのだが、それでも
住所を探すのはたいした手間ではなかっただろうが、この大林寺に入ってこれた、とこの目でみた事実が、彼女がやはりただものではないことを示している。
とても、放置しておけないほどに。たとえ顔だけ同じの別人だろうと。
 
 
・・・・学校にいけ、というのはこのことがあったせいだろうか。水上左眼の方に視線を移してみる。せいぜい分かっているのはエヴァに似た竜を駆る女、だということだけのこの謎人物を。バカ正直に問うてもまともな返答は戻ってこないだろう・・・と思っていたところ。「シンジ殿」「はい」
 
 
「学校はどうだった」
と向こうから水を向けてきてくれた。もちろん食卓に賑わいが必要だと思いこんでいるとか沈黙に耐えられないとか会話がないと寂しい味がするとかいうタマではない。聞きたいから聞いているのであろう。
 
 
「そうですね・・・」いきなり核心に入るのもあれであろうし、適当に長引かせて忙しいはずのこのひとが時間切れで帰ってしまうのを待つ選択もある。碇シンジは「あの師弟の時間、というのが珍しかったですね。残念なことに僕たちは御指名がなかったみたいですけど」何気ない前振りとして言ってみたのだが
 
「ああ、君のお師匠は決まっているのだが、所用で出ておられたのだ。戻られたら修行開始となる。残念がることはない」
当然の顔をして返答された。
 
「え?」
ナニソレ?目を丸くする碇シンジ。そこまで手配されていたのか。というかこの師弟の関係は一方的なドラフト的指名らしいしいつ決まったのか。いくらなんでもそこは手を抜いてくれてもいい抜き所じゃありませんか。こちとら地元民じゃないんですから・・・・・いや、出してもらえなければそうなるのか・・・・どんなお師匠さんなのか・・・月謝とかは払わなくていいのだろうか・・・さすがに我が子が心配だろう、父親の方を見ると・・・我関セズ、とコロッケにソースをかけている。うっ、学校さぼってインベーダーゲームやってぐれてやろうか・・・・
 
 
「いっておくが、逃げても無駄だ。師匠たる者、逃げる弟子を追いかけて教え込ませるほどでなければ。・・・・技術は叫ぶ。そうしたものだ」
水上左眼の目が光った。・・・逃げられない。
 
「それから、グレたければあと一年待って右工に入ってからにするといい。それがここの習わしだ」
中学生にはぐれる自由もないらしい。となると、やっぱり生名さんのあれは格好だけか。
 
 
「君たちにはまだ学ぶべきことが多くある。私自身、学問や教養の欠損を今になって思い知らせて恥ずかしい思いをすることがある。取り戻す時間があればな、と思うよ」
朝には確か制服を着て学校に行っていたはずなのだが、ひどく年をくったようなことを言う。まさか仕事が忙しすぎてダブりにダブっているわけでもなかろう。が、物のいいようは完全に勉めを終えたもののそれだ。
 
 
「中学高校には無知の知の時間、という授業がある。正確には授業ではないかもしれない」
 
 
「ほう」
ここで初めて碇ゲンドウが口をきいた。コロッケにはソースだくだくだったくせに。
 
 
「明日の時間割にあるはずだ。中身は、現在学年の知的レベルで知っておかねばならぬはずなのに、知らぬ、知らぬと自分で判断している事柄を皆の前で発表する、というものだ」
 
 
「それって・・・さらしものなんじゃ」心の中だけでつっこんでおこうと思ったけれどつい口に出てしまった碇シンジ。なかなか痛そうな時間であった。うわー、いやだなー、と当然な感想はさすがに出さない。が、それを見透かしたように水上左眼は説明を続ける。
 
「そこでは己の無知を発表する者ほど得点が高くなる。テストもそうだ。ひたすらに己の無知をさらけだすものが高得点をとる。中には百点を超えて二百点、三百点、という強者もいると聞くな」
 
 
「・・・それは、授業内容に限定してはいないのだろう」
限定したら、ただの授業内容の進行具合のセルフチェックであり、零点どころか果てのないマイナスを示され続ける教師もたまったものではなかろう。第一、面白くも何ともない。
顔だけ見ると興がわいた、という風には決して見えぬ、もちろん熱心な教育パパであろうはずもない碇ゲンドウが問う。
 
 
「然り。その通りです。せっかく大勢の学生を集めているのですからその特性を生かしたこともやればいい。家庭教師の拡大版だけ、というのならどこかで欠損が出ますよ。最終的に帳尻が合わなくなる。どこかで補填できればよいのですが。優秀な家庭教師がマンツーマンで優秀な生徒を教える、これが教育の理想に決まっているのですから。別な方策を立てねばそれに追いつけないのは自明の理でしょう」
 
「ああ。それで、知らないことを告白した人に、知っている人がその場で教えてあげる、という、こういうことですか」
そういうことなら、悪くもないかなあ、全体のレベルアップになるし、と思った碇シンジに
 
「まさか」その小賢しさを水上左眼は一刀両断する。碇ゲンドウもおそらく同じ構えで。出来れば自分で言いたかったかも知れないが、やはり若さであろうか。
 
 
「無知を告げることですでに、その時間の目的は完遂されているのだよ。欠損の位置さえ分かれば知の水は勝手に満ちていく。心配しなくても人間の脳はそんなに出来が悪くはない。第一、ひとつの授業時間は五十分で、そこまでのフォローは出来ないし、蛇足になる。
無知を告げるとき、その者は他の者すべてに・・・教えているのだから」
 
 
「はあ・・。」実を言うとよく分からなかった碇シンジ。しかも、性格的にそれを案外ほうっておける方であった。それで済ませることにする。分からぬことは追求せねば夜も寝られない、という学者には不向きかもしれない。実際に受けてみれば分かるだろう、となんとなく。秘密捜査官にも探偵にも向きそうにない。
 
 
が、水上左眼に聞いておくべきことは聞いておく。この人も雑談をするためでも食事をたかりにきたわけでもなかろうし。
 
 
「あのー・・・僕のクラスにいる、明らかに学年の違う人たちが四人いるんですが・・・留年とか飛び級というふうでもないんですけど・・・・これは、やっぱり」
あなたの差し金ですか、と。十中八九そうであろうし、別にそうであっても構わない。ただその意味や効果が分からない。いきなり転校させられた強制にそれも含まれるのであろうし。あの絡み具合からみて同じ転校生の蘭暮アスカ対応ではなさそうだ。
 
 
「む?学年の違う・・・・・か。それは・・・・氏名は分かるか?」
 
意外なことに即答ではなかった。生名シヌカたちの名をあげると、みそ汁の中に千歳飴が入っていたような顔をする水上左眼。「他の三名はとにかく、”ミチさま”まで呼んできたのか・・・・うーむ、しまったな。脅かしすぎたか・・・用心しろとは言ったが・・・しかし、そうまずい判断でもない・・・まあ、様子を見るか、もともとその為にねじ込んだのだし・・・・というわけでもう一杯いだたこう」
みそ汁を飲みながら自分たちの処遇を決められた方はかなわないだろうが、自分だけで納得されてもまた。同情する立場にもない碇シンジは出された空の椀を受け取り汁を注いだ。
まだ話を続けてもいいらしい。
 
「どうぞ」
「ありがとう・・・ああ、評価を考えずにする食事の安らぎといったら・・・・」
「こちらもそんなことを考えていないからな」
愛人宅でくつろぐ社長ごっこ、とでもいうような異様な光景、ほのぼのとは言い難い空気であるが、どうも水上左眼はそれでも楽しいらしい。その片眼に楽しさを見いだしているようなところがある。・・・・碇父子の楽しさはともかく。
 
 
碇シンジが念のための足止め用に茶を一杯いれておいたところで
 
 
「ところで”ミチさま”・・・・向ミチュのことだが・・・まさか、”お願い”などされていないだろうな。それから、あの子の前で信心に関することを言ったりしていないか」
 
 
逆に、水上左眼から問われ、確認された。探る目で。しかし、それは碇シンジにとっても都合が良かった。昼食時のあのやりとり・・・・・科学万能の都市第三新東京市ではありえない対話。素朴な土俗信仰に彩られたたわいもない・・・ものだと思いたいところに。
 
 
あの子はワケありだと、関わるとろくなことにならないぞ、と、この地を知り抜いているはずの人間に切り出された日には。
 
 
「”お願い”されましたし、神さまがどうとかいう話もしました」
 
おまけに、殿様に拝謁する侍のよーに頭も下げました、とは言わなかった。ここは正直にすべてを話して知恵を借りるなり善後策を授けてもらうところなのだが。
 
 
「どちらかといえば、人間以外のモノの方が受けがいいからな・・・・あの子は。ま、されてしまったものは仕方がない。なるべく・・・出来る限りでいい、それに”従うな”」
 
 
「え?」
小さい子の言うことだから、なんとか努力目標として、従うふりでもしろ、と言われるかと思っていたところに。お願いの内容もそれはそれは取るに足りぬほほえましいものであったのに。従ってはいかん、と。NGだと。言われてしまった。
 
 
「従っていると、とんでもないことになる。君にはさほど及ばさないとは思うが・・・これ以上の説明は出来ない。似たような立場の君なら分かるはずだ。あの子もこの島国から出てはならない者だからな。本人にとっても周りにとっても・・・・。ああ、邪推せぬようにつけ加えておくが、エヴァのパイロットなどではない。そのようなものではないが、使いようによっては・・・・・もっと物騒な兵・」
 
 
「・・・わるい子には、見えませんでしたけど・・・」
最後まで言わせたくなくて確度も理由もないことを言ってしまう碇シンジ。ただ自分の目にはそう映ったというのは真実だ。事実と千里の距離があろうと。
 
 
「見た目だけなら、君もな」
言って茶に手をのばす水上左眼。「それしても、初日から、なかなか大変だったようだな」
自分でやっといて大変だったようだなもない何様ぶりだが、反発しても仕方がない。
 
「何か、不足しているものはなかったか?今ならまだ手配して明日の朝に間に合う。私もいろいろとやるべきことが増えたので、ここに来ることも減るだろうから」
このように嬉しくなってくることも言ってくれる以上。ここは平伏の体を装うにかぎる。
 
「いえ、手配は完璧でした。あえて挙げるなら、明日からの昼食代くらいです」
ちなみに現在の碇シンジは一文無し。食客の立場でもないのだから誰に要求すべきか。
 
「・・・・そうだな・・・君にまとまった額を渡すと妙な遊びを覚える危険性もあるしな。購買に顔を出せば好きに選べるようにしておこう」
健全な男子中学生として喜ぶべきか悲しむべきか。ただ、文句のつけようはない。あとで父親である碇ゲンドウあてに請求がいくのか水上左眼が自腹を切ってくれるのか、とりあえずここは未成年らしく保護されておこう。ここは第三新東京市ではないのだから。
 
 
 
「初号機は、まだ見つかりませんか」
しばらくここに現れない、こちらから連絡できる立場でもない、とすれば水上左眼に今このとき聞くべきことはあとはそれくらいだろう。”聞くべきこと”。初号機の所在などではない。見つかってないのは知れきっている。これはそれに絡めた訊き方の部類。
その主語は誰か。
 
 
「・・・ネルフ本部はまだ見つけていないようだ。正確には、体制の急変でその余力がない、といったところだな」
長らく地元をあけるわけにもいかないこの女がどこに消えたともしれぬ初号機を手にする一番的確な方法は、ネルフ本部を見張っておき、発見搬入中にそれを横取りすることだ。
選択肢の一つとしてそれを現在実行中であるのは間違いない。
そして、隻眼を危険な光にためて、言う。
 
「なにせ、パイロット一人、取り返そうとしないのだから」
 
 
片眼の女は現在混沌の中にありおそらくこれからも混然としたままであろう脳を欠いた巨大生物、首なし恐竜とでもいうような代物が東の地で腸捻転起こしてのたうちまわっている様子を詳しく教えるほど悪趣味でも暇でもなかった。ただ観察する。その心中を。
 
 
東の鎧都を覆いつくすは黒い風雲錆びた臭いのする蠱嵐
重要臓器を引き抜かれ、間もなくただの死体になっていく組織(ネルフ)が腐り蠅の集る光景を
予見し、悔いぬはずはない。それを・・・
 
 
観る。人間以外、人間以上の眼力をもって、凝視する。
 
 
目の前の父子を。動揺がない。自分たちの城が有象無象どもにグチャグチャにかき乱されているのを知りながら自在として。大より小を選んだ者特有の鋭利さ。戦場を決めてすでに鞘からその意思を抜いている。碇ゲンドウなど日々鈍磨するどころか底光りがしている。ひとでなし。
 
 
・・・・・・「ここ」でやる気だ、この男ども
この地で、この海で。自分たちの身ひとつで。
こんなところを陣にして。はせ参じる者とてない。
 
 
・・・・そのようなことで辿り着ける相手かどうか、あなたたちが一番よくご存じのはず。
 
 
そして、あの方が命じれば、最後に立ちふさがるのはこの私だというのに。
命じられればやるだろう。なんの迷いも疑いもなく。斬り捨てる。暴力的に。
力では、勝てませんよ・・・・あなたたちは、いま、弱体化している。
 
 
「長居になってしまいました」
出来れば、そのような筋書きにはなっていてほしくないものだが。水上左眼は口にはせずに立ち上がると去っていった。直後に強い風がきたのは今日の足が竜号機だったせいか。
 
 
それとも、何か、ほかのものがこの父子にむけて急を告げているのか。
 
 

 
 
「やれやれ、やっと帰ってくれた」
「・・・・・・・・・・・・」
 
 
はっきり口にする碇シンジと、口にはせずとも思いは同じであるはずの碇ゲンドウ。
年頃の女の子がわざわざ家を訪ねてくれる、となればなにか嬉し恥ずかしいシュチュエーションのはずなのだが、嬉しくない。全く完全ゼロlとはいわないが、なんせ疲れる。
 
 
「将軍さまと新右衛門さんと桔梗屋さんがセットでやってくるようなものだしなあ」
「・・・・・・・・・・・・」
たとえが分からなくともだいたいの意はつかめて反論もしない碇ゲンドウ。ではお前は一休宗純か、などと指摘したりもしないが。「そもさんそもそも、ところで父さん」
 
 
「蘭暮アスカ・・・さん・・・って誰?」
仕切り直す前に切り出す碇シンジ。「なんでわざわざここに来たの?転校生なのに」
もはや特務機関ネルフ総司令でもなんでもないのだから、機密だ、とかは通用しない。
息子に聞かれたくないであろうことを真正面から追求されて、多少は狼狽するかと思いきや碇ゲンドウは眼鏡を押し上げて角度を変え白浪ふうに首も微妙にひねり眼光を強めると
 
 
「たとえるなら、鴎外の舞姫・・・・・・今はそれでいい・・」
 
「よくないよ」
時の涙を見よ的言説で切り上げようとしたが即時否定された。今がすべてだと。若者は一の時代もせっかちなものだ。そして、たいていの場合、年長者にちょろく誤魔化されてしまったりするものなのだが。「むちゃくちゃ怪しいじゃないの、あの子。何しに?・・・時計の針を自らの手で進めるため、とか抽象的なのはナシの方向で。答えてよ」
 
 
「お前と同じだ。シンジ」
 
 
父子で思考が似ているのかどうか、やりとりに停滞はほとんどない。そして、その一言で碇ゲンドウは碇シンジを沈黙させた。もしくは碇シンジはひとり納得した。とりあえず蘭暮アスカについて、ああしろ、とか、関わるな、と命じられたわけではない。肝心なのはその一点。ここで、味方に引き入れてこい、なんて言われた日には。まあ、それはないだろうけど。今回は前回の轍を踏まないし、踏めない。誰になんと言われようと。介入の余地はない。
 
 
父さんと、自分とで、やるしかない。
かっこよく言えば、碇の名を冠する者が。
世間的にいえば無職のプーと学生のチューにすぎなかろうと。
 
 
この一件だけは
 
 
解決するまでは、第三新東京市には、戻れない。初号機もないし。
 
残った人たちは大変そうだけど、やってもらうしかない。
新しい人たちと仲良く。和気藹々と・・・それでも、強面の父さんがいないからみんな、「いやー、これでずっと続いた肩こりも解消っすね!」「そうだなー、心臓に悪い生活もこれで多少は改善されるかもな」清々しい顔をしてたりすると、なんか寂しいなあ・・・
人質奪還作戦とか発動されないのは、竜号機みたいなのとケンカになるのを避けるためなんだろうけどさ。それにしても、おヒメさんも武具納入の大得意先をこんな風に敵にまわしたら大損になるんじゃないかしらん。冬月副司令あたりが聞けば、いかなる手段を用いようともその名を「ボケ田ボケオ」に改名してやりたくなったであろう。もしくは「地獄ミタロウ」とかに。なにせ、この父子がのんびり食事の片付けにとりかかっているこの時も第三新東京市、ネルフ新本部では大変そう、ではなく、ほんとに大変な目にあっていた。
 
 

 
 
「碇め・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
本日58回めになる恨みの呟きをもらす冬月コウゾウ副司令。司令がクビになったのだから順当に繰り上がって司令になっておればまだ良かったかもしれない、いやあまり変わらないか、などと思い直して、思い直しても一向に気も治まらず減ることもない仕事量にいいかげん自分も逐電しまいたくなる。こんなものは人類の未来を造ることでもなんでもなく、ただの尻ぬぐいである。過去の帳尻合わせともいうが。
 
 
「碇め・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
59回目。恨んだところでどうにもならないが、これを封じてしまうとパンクしてしまう。解消されることのないストレスを解消するにはどうすればよいというのか。
難問山積みオリンピックをやったらメダルは間違いないであろう。自分たちの無能を証明するようなものだが。
 
 
拒絶反応
 
 
半ば以上それを意図してなされた今回の合併再編新体制。マギに検査させれば不調の原因を五万とあげてくれるだろうが、それをいちいち潰していく余裕も余力もない。いかに軋もうが唸りをあげようが激しい摩擦ではらわたが爛れていこうと、機関を止めることはできない。このままで回していくほかない。無理無茶無謀の三拍子で。
 
 
「碇め・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
60回目。
 
 
重荷を背負わせる、どころではない、綾波レイを支点としてかろうじて保たれるバランス。
これで彼女が倒れたらどうにもならんぞ、と。ユイ君が乗り移ったかのような仕事ぶりだが基本体力が違いすぎる。いつまでもあんな真似はできまいし、今この時に限界を突破して崩れおちてしまってもおかしくない。
 
 
「碇め・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
呟きながら一応、仕事はしているのだが一向に減らない。片付けた先から次の仕事が追加されてくるのだ。司令がこなさねばならぬ仕事までやらねばならぬのだからたまったものではない。このまま一人寂しく執務室で書類に埋もれて過労死してしまうかもしれない・・・・最悪、ミイラになるまで発見されないとか。現状の本部では冗談抜きでありうる。
 
だが、手が抜けない。この段階で調整を怠ると、本部機能どころか都市機能まで麻痺する。
最低限、第二支部の機能を生かすレベルに保たねば、あの一件の意義が霧消する。それだけは、副司令の誇りにかけて、なさねばならなかった。あんなものが戻ってこなければ・・・・と、ぼやきはしても皆に後悔されぬように。こういった仕事は機械にはできない。
 
 
「それにしても・・・・・・」
 
こんなことがいつまで続くのか。続けられるのか。自問するが自答はなし。
シナリオにはない事態だ。碇本人が直々に処理せねばならぬ話ではある、が。
 
 
「碇め・・・・・・・・・・・」
61回目。なんだかこればかりだが、自問に対する自答すらできぬ現状ではこれしかない。
話相手がいないのもいかんな、とは思うが。赤木君とすらここ最近話をしていない。
 
 
 
「副司令、よろしいでしょうか」
そんなタイミングで訪問許可を求めてきた声があった。作戦部の日向マコト。葛城君の下で彼もいろいろと苦労を重ねてきたはずだが、ここにきて別の種類の苦労を味わっている。
それなりに慣れてきた頃合いにアレでは彼も辛かろう。まだ若いのだし・・・・
 
 
「ああ、かまわない」
と入室を許可すると、そこには若さに合わぬ顔色の悪さ、死相と呼んでもよい疲弊しきった雰囲気で近寄るだけで生気を吸い取られそうで、許可したことを後悔しそうになった。
だが、直属の上司連中がアレでは・・・彼も、ここに来るしかなかったのだろう。
 
 
用件はJAのことだった。なんとか頭数だけをそろえようとしたのだが、甘すぎた。
単なる敗北だけならばまだ、いい。使徒にJTフィールド発生機能を奪われた。
敵に真似されるようになれば一流・・・・と、喜んでいる場合ではもちろん、ない。
戦慄すべき事態であった。のんきに憂慮ですまされない作戦部であればなおさら。
時田氏との繋ぎは彼の担当であったからその心痛も数倍増しであろう。
 
 
当然、これ以上、JAはこちらに付き合えない。自分たちの傷を癒すので手一杯、JTフィールドを奪われた責任を取れ、対応策を練り上げてこい、などと言えたものではない。
その調整などまさに槍衾に突進していくようなものであろう。有能な者であれば相手の引け目を狙って鰐鮫のごとく利益を奪い取ってくるものだが。彼は無手で戻ってきた、と。
その報告であった。作戦部長が一人、我富市由ナンゴクに相当突かれてもそれを退けて。
自分たち以上に深く傷ついたJA連合を追いつめるのを彼はよし、としなかった。今後の使徒戦を考えれば、これもまた大きな失点である。彼もまた、現状をほぼ正確に把握している者の一人である。多少なりと戦力をかき集めてくるのが仕事であるはずだった。また、作戦部長連からはそのような無茶な要求をされているはずだ。
 
 
彼は吼えてもいい。弐号機さえあれば、と。セカンドチルドレンさえいれば、と。
初号機さえあれば。サードチルドレンさえいれば。新体制などにならなければ。
碇司令が、その座を追われなければ、と。こんな鈍くて無様な姿をさらすことはない、と。
 
 
それをしにきたのだろう、と思った。
事情を知る自分でさえ、今日だけで61回もの恨み節だ。君は耐えられないだろう。
だが。
 
 
「・・・すみません、JA連合への依頼は、発案は副司令、ということで堰き止めて頂けませんか。他の方はともかく、我富市由部長の追求をかわしきれません。作戦家というよりは政治家に近いです・・・あの方は」
 
 
うーむ、厄介な仕事を増やしに来たか・・・しかし、確かに彼の畑ではどうにもなるまい。生っている実が違う。しかも、若い。まともに抑えられるのは野散須カンタロー、あの男くらいだが、それすらいない。JA連合が憎いわけではない。あの蠅板よりは遙かにましなくらいだ。だが。JTフィールドを敵に与えた、結果的に利敵行為であるから、天文学単位の賠償金をもらいたいところではある。ネルフ副司令としては。
しかし、自分もその職責を十分に果たしているとはいえまい。
 
 
「分かった。なんとかしよう」
 
 
「ありがとうございます・・・副司令」
 
 
礼を言われるようなことではない。彼の感謝は、彼が胸の底に錘をつけて沈めているのであろう疑問の数々に確かな答えをあたえることに向けられるべきなのだから。
 
 
こんなことが、いつまで続くのか。続けられるのか。
 
 
喉元までせりあがっているのだろうあふれ出す疑問をなんとか抑えて。この段階で問われても、こちらも困るほかない。加持兄弟なら、この場で遠慮なく聞き出すのだろうが。
酒飲みの元上司とはあわぬはずの優しい甘さ。しかも、弱くは、ない。単純なマッチョタフならばとうの昔にネをあげているこの先の見えぬ暗さ。細心の注意を払いながらいつまで歩けば道は開けるのか。歩みを止めれば、腐食する。発酵の道、カモスロード。
 
 
「それでは失礼したします・・・・・あ、と」
引き返しかけた日向マコトが、何か思い出したかのように、殺人課の警部のように振り向いた。「副司令」
 
 
「なんだね」
 
 
「十全に機能すれば・・・ひとつの国にも匹敵するだけのこの組織の頂を忘れるには、”どれだけのもの”と引き替えにすればいいんでしょう」
 
 
何者に聞こえてもかまわぬように、何通りかにとれる言い方ではあるが、彼は気づいている。前総司令碇ゲンドウが、覚悟もしくは、納得ずくでその座を失ったことを。
これで自分がもし司令の座についていれば陰謀説が浮上しただろうか。苦笑する。
 
 
「そのようなものは”ない”だろう・・・な。そうではない奇矯な人間は組織の長を務めるべきではない」
 
 
答えてやりたいが、それはできない。それこそは。
教えても、君にはおそらく理解できまい。聞けば、耳を疑い激怒する、かもしれぬ。
碇ゲンドウ専門家の私ならばこそ。こんなことは。碇め・・・・カウントは無し。
 
 
「ですね・・・。失礼しました。では」
今度こそ、きっちり一礼して執務室を去った彼の背中にむけて電波で正しい回答を送信する。電波であるから何を答えても自由な心である。盗聴するならばできるものならするがいい。素直じゃなくてすまぬ!このウインタームーン送信念波は・・・・!・・・・と、私も疲れているな、かなり。ろくでもないのがかなり入り込んでいる現状では誰かに持ってこさせて毒殺されてもかなわんので、自分で茶をいれて一服する冬月副司令。
 
 
ふう・・・・・
 
 
 
”ユイ君以外のことで、あの男がここまで無茶なことをやるものか・・・・・”
 
 
 
声にならぬため息を、茶の香りにとけ込ませて。
 
 
”正確には・・・・ユイ君と同じような力を持ち、ユイ君の名を騙って左眼を動かす何者かの、ということだが・・・・・”
 
 
”左眼の目を誑かすほどに化け上手で・・・竜号機を従えるほどの力を持ち・・・・・・、なおかつ竜尾道に潜み、姿を表に現さない・・・・このあたりの陰湿さは正反対だが”
 
 
芳しいはずの茶の香りが、腹の底の滾る煮物の臭いで潰されてしまっている。
なんとも、今、自分は、悪い目をしているのだろうな・・・・真理を見つめるだけであった学徒であることは遙か昔に。「碇め・・・・」声が出た。これも、悪い声だが・・・・人に聞かそうとも思わないが・・・自分では、嫌いではない。不思議なことだが。
 
 
”目的は、碇シンジ。あの子に間違いない・・・・・が、目論見が狂ったのか、動きがない。それとも・・・初号機か・・・ロンギヌスか・・・”
 
 
”なんにせよ、碇がその者を燻り出し、形をつけるまで・・・か。六分儀からの増援もなく”
 
 
竜尾道。潜むには、これほど都合のいいところはない。何者にも手を出されることがない。
とっくに碇は燻り出すどころか、その者に返り討ちにあっているかもしれない。
 
 
だが・・・あの男は幸せなのかもしれない。
自分の決めたただ一人の女に、命をかけてやることがある、というのは男子の本懐か。
 
 
・・・などと、碇ゲンドウ専門家は思わない。誰にでも発見できる可愛げなど、あの男に。
そんなものは、あるはずがない。この世でただ一人、彼女だけが見つけ得た。
そのアングル。
専門家として自分もそれを観測したいかと自問すれば即座に否、と返答する。
ただ
 
 
「碇め・・」
 
 
こう真言を唱えるだけだ。先祖伝来のぬかみそでもかき混ぜるように。