「バースデーケーキは、かき氷だったわけよね・・・・・・」
 
 
天窓から月を見上げている金髪の女性は、そんなことを言った。
表情は不明だが、その台詞もまた。いくら甘くともかき氷はケーキではない。
 
 
「かき氷といえば・・・・・アタゴオルで・・・・・いままで全力で努力していれば辿り着けたはずの境地にいる自分の姿が幻視できる・・・なんて、・・・胸がひえるかき氷の話が、あったわね」
 
 
対話ではない。女性は一人で、これは独り言だ。業界の機密ではないが、誰かに聞かれてはまずい部類の。月を見上げながら。おそらく、昔を思い出しているのだろう。
 
 
まだ月曜日が終わっていない夜のことであるが、傘の要らぬ室内のことであるから誤魔化しきれぬ。どうしても疲労の色が消えない年齢肌からしてそれは遙か彼方の古代アトランティス帝国時代の・・・
 
 
「ごほん!!!」
 
なぜか突然、強く咳き込んだ。誰もおらぬのに。そういえば、サイボーグでもない限りそれほど古代だと肌などミイラになっていることだろう。それほどの昔ではないのだ。
 
 
「・・・・・・・おほん」
 
今度は小さく咳き込んだ。仕事を片付けるために、歳も考えずに連続徹夜したため風邪をひきかけているのかもしれない。
 
 
「ごほんごほん!!!」
 
おそらくそうだ。なんとかここでの仕事を終え今夜発つことになったが、体をこわしては元も子もない。しかし、年齢肌的にはそれを注意される側ではなく、気遣いする側であろう。いや、体力的にやはり心配される側に突入しているだろうか。ならば正解なのだが。
胸が冷えるまでもなく、働き過ぎなのではなかろうか。かき氷より温かいうどんでも食べた方がよさそうだった。
 
 
入室を求めるチャイムが鳴った。迎えの人間がやってきたようだ。
これでここともおさらば。いろいろと興味深く、防御は完璧、仕事がしやすい環境だった。
 
Qマギと武蔵野秋葉森。こうも長い滞在になるとは思わなかった。
父と可愛い後輩、知った者の足跡のある土地は妙な馴染み方があった。
 
 
 
「あれから・・・・もう14」
 
呟きながら片手を機器に走らせてセキュリティを解いていく。さすがにQマギの最奥管理室となると、迎えの者に違いなかろうとそれなりの手間がかかる。どちらかというと迎えの者に被害が及ばぬように、だ。うかつに入ってくる無礼な侵入者など「喰い殺す」。自分が扱ってきたのはそれレベルの「怪機」。
 
 
「りつこー」
「はかせー」
 
 
なのだが、まだセキュリティを解いておらぬから開くはずのない扉が開いて、迎えにはおかしすぎる年齢の、幼児に近い子供が走り込んできた!しかもふたり。
 
 
「ただいまー!」
「おむかえー!」
 
しかも抱きついてきた。それぞれが左足と右足に。お世辞にも育児や子供の相手が得意な方ではない。「え?え?」思わず反射的に、蹴飛ばしそうになるが。同時に反射的に、その髪の色を見た途端、ふたりを抱きしめてしまう金髪の女性こと、赤木リツコ博士。
 
 
不意を打たれたこともあるし体位的にかなり不格好な抱擁ではあるが・・・・・
 
デレていた。
 
年齢肌もかなり復活していた。どういうエナジーシステムなのか不明だが。幼児のきらめきを吸い取ったわけでもあるまい。
 
 
「こちらから破らなくても、待っていれば開けてくれたのに・・・・・」
 
幼児の面倒心底いやだ、という仮面をかぶった少年の声も入室してきた。
 
「すみません、赤木博士。迎えの任は、こちらが果たしますのでご心配なく」
 
髪の色は幼児ふたりと同系統の同色。目の色も。同じ、赤。年齢というか背丈が違う、といった方がいい。生誕順でいうなら、この幼児ふたり、サギナとカナギの方が上になる。
 
「やぶってないよ」
「あけてくれたの」
「そうだよQちゃんが」
「あけてくれたの・わからないの?」
 
少年、中学生程度の肉体の、チルドレン。”彼”とうり二つの姿であるが、違う。
クレセント、欠けた月のひとつ。いまさら見間違いようもない。彼では、ないのだ。
その姿は変わらない。自分の中にある彼の面影も、変わらない。変化が、ない。
 
「まだまだだねー、ねー、サギナ」
「そうだね、ナギサはねー」
 
 
火織ナギサ・・・・・・フィフスチルドレンであった渚カヲルのバックアップのひとつ。
 
不完全なコピーではあるが、オリジナルがオリジナルであるだけに、能力的には問題がない。というか、こんなお使いに使ってよいものか?いや、よくない。即座に解答できる。
 
まあ、目的があるのだろう。考えるまでもなく、分かるけれど。無駄を省いた、というところか。ここにふたりを伴った、それが答え。もう一度、やれと。保護者を。しかも二名。
 
自分の足から離れない、このくすぐったいちいさなものを。
それでいて、Qマギの結界をてぶらで突破、もしくは認証させた、その溢れる同調能力。
 
他の者に振るべきだろう、と理性はいうのだ。理性は。自分の手に負えるものか。
このちいさなかいぶつを。多少は扱い慣れている、経験のある人間がすべきだろう、と。
 
なのに、手が離れない。このちいさいものたちから。なぜか。分からない。
 
 
 
「荷物は、これだけですか?」
 
下手をすると置いて行きかねないそっけなさの仮面をかぶりながら少年がトランクを転がしはじめる。無駄を省くなら、ここで最終確認をしておくべきだろう。確信があるようにも見えない。仮面から零れるのは、不安と不信。「聞いておかないの?」
 
 
「何をですか」
 
その表情。未来など、見えてはいない。先の確信など、あるはずもない。
満ちる約束のない、欠けた月。笑うよりは泣き顔に近い。他の者には分からないだろうけど。
 
 
「私が、この子たちを受け入れるかどうか」
 
返答にはしばらく時間がかかった。我ながらひどい問いだとは思った。
問われるのは、こちらだろうに。
 
「他に適格者が、いないんですよ。・・・・・世界が狭いのか、知りませんけど、ね。貴女にやって頂くほかないんです。やりたく、ないようにも、見えませんが」
 
まあ、確かに。納得した。未知の領域であろうけど、ある意味、望むところでもある。
適格者。エヴァに乗り、使徒を殲滅するほどには、難しくない。おそらく。
 
「りつこー」
「はかせー」
 
まさか百年経ってもこのまま、ということはないだろう。二人のこどもが耳元で。
 
 
「カヲルが」
「ありがとうって」
「おせわに」
「なりましたって」
「はずかしくて」
「いえなかったけど」
「さんまべんとう」
「おいしかったって」
「つたえてって」
 
 
洞だと思った。
 
 
自分と渚君との関わりは、ミサトとシンジくんやアスカとのそれとは違うのだと思っていた。とはいえ、そこに、自分の家に、一つ屋根の下に、彼がいたことが。これほど。
光のように彼に去られたことが、自分にとって、これほどの洞をつくっていたとは。
それを思えば、家族など恐怖だ。惑いの闇源。わざわざそれを内包するメリットは。
 
 
いや、違うか。洞であるからこそ、大きな虚であるから、そこに何かが入るのだ。
入らざるを得ないのだ。これは、理性の判断で、決して一時の情などではない。
胸がひえるかき氷など食べていない。後悔などではない。
 
 
「ナギサくん、あなたも来るのよ」
 
類友だとも思った。類は友を呼ぶ。なんのことはない、ミサトと似た者なのだ。
少年はレイのように心を読めるわけでもないが、聡すぎるほどに聡い。回りくどい説明はなくとも話は通じる。どこに、などと。そう、もう一人くらい入るだろう。この洞には。
 
 
この人選は、さて誰なのか。まあ、だいたい見当はつくけれど。
 
 
ちなみに。火織ナギサの方はこのふたりのおさな兄妹を預かる話が通っているものだと思いこんでいるようだが、初耳だった。まあ、事前に持ちかけられていれば、まず断っていただろう。これだけの能力。うっかりの連絡ミスではありえない、確信犯だ。高杉さんちのうさぎじゃあるまいし。
 
 
「っ・・ご冗談を・・・・・・・・僕には保護者など必要な・・」
 
予想外だったのだろう。それはそうだろう、たった今、決めたのだから。
 
八号機。異形のエヴァを駆る力があろうとも、今はまだ兄姉の近くにいた方がいい。
この欠片たちを離ればなれにすれば、ろくなことにならない気がする。フィフスだけに。
 
「あるでしょ」
「あるある」
「あるよ」
 
三人同時の上から目線。少年には反論など十も二十もあるが、その目つきに封殺される。
 
 
「・・・・・・分かりました」
 
と、といいつつ、その額には「面倒だし、今だけ話を合わせておくか」と書いてある。
もはや己に首輪はなく、重荷でもあり重石でもある兄姉を預けることにも成功した。
影走りしてどこへでもいける。家族ごっこなど、冗談ではなかった。逃げるとしよう。
 
と、少年の仮面からわりとぽろぽろこぼれていたが、三人は気づかないふりをしていた。
 
 
「行きましょう。・・・・本当に、荷物はこれだけでよかったんですか」
 
「まあ、欲をいえばここのQマギをまるごと持っていきたいところだけど・・・」
 
「いくら八号機でも無理です。諦めてください・・・・こんなボルボック」
 
「冗談よ。さ、帰りましょう。仕事もようやく終わったし、思わぬ長出張になってしまったわ・・・・・市街の氷が溶けるのにこんなにかかってしまった・・・・・14日か・・・・まだ、寒いのかしら」
 
「さむいよ」
「さむいよ」
 
「・・・・・・それで済んでいるのが異常なんですよ・・・・ネルフ亡き後・・・そこのシュミュレーションの通りになるはずだったのが・・・いや、なんだこの予測・・・・マナリアン?」
 
「ぬくぬくと?」
「ぬけぬけと?」
 
 
「・・・とにかく活動している。しぶとい、なんてもんじゃない。奇跡というよりは、間違いの巣窟、異常の城だ・・・碇ゲンドウ、葛城ミサト、それから赤木博士・・・あなたたちキーマンもいないのに・・・・」
 
えらい言われようだが、怒る気にはなれない。まあ、確かに彼の言うとおりなのだ。
 
 
「ともあれ、そこに帰るのよ。そして、暮らすの四人でね」
 
 
そして、武蔵野秋葉森から目玉のようなコンテナを抱えた八号機が飛び立つ。
そのコンテナに赤木リツコ博士とサギナとカナギが乗っている。設備関連資材の搬送も考えてのことだったが、結局のところ身一つのトランク一つ。
 
 
確かに、てめえの頭があれば仕事はできる。現代の賢者である。
 
 
東方賢者が帰還する。左右に童を侍らしデレながら。
 
 
目指すは第三新東京市。
 
 
住めば都であればいい。