溺死する故郷を見届けるためだったのか
 
 
その娘たちがよりによって、あのとき、あんなところにいたのは
 
 
とうの昔に住民の避難は完了している、街が沈み消えるのは確定事項でありそれを知る誰もがすでに逃げ去っているに決まっている、とたかを括っていたせいもあるが、なにせ人手が足りなかった。志を分かち合わぬ者はとても加えられぬ、もしくは実験の意義どころか意味も理解できぬ者たちを勤務地から動かせるはずもなかった。なにを試そうとしているのかさえ、三人以外に理解できるのは・・・居残りで隠蔽工作をしてくれた赤木ナオコ君だけだったろう。
 
 
つまりは遊び、
曰く、道楽
言い換えると燦めきの閃きの気まぐれ・・・・天を翔く血橙黄道
 
 
その、危険度
 
「へルター・スケルター」も大々的に危険であったため、ゼーレにも調律調整官にもバレなかったのだろうが・・・・そちらの方は完全に失敗に終わったため、それが目眩ましになったかもしれぬ・・・・または薄々感づいた者がいても、できはせぬ、とこれまた高をくくっていたのかもしれない・・・もしくは己らに反抗を考える者がいることを想像できなかったのやもしれぬ
 
 
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり おごれる者は久しからず ただつわものどもが夢の跡 現世は夢 夜の夢こそまこと
 
 
碇ユイという特異の才能ゆえに許され、同時にそれゆえの警戒の目をくぐり抜けるため
最小人数で事に当たるほかなかった。少数精鋭どころではなく必要最低限を遙かに割り込んだ貧乏所帯でこれほどの無茶を実行できたのは・・・・出来てしまったのは
幸か、不幸か
 
 
いや、自分たちにはそれを問う資格はあるまい
 
 
碇と私は、雨なのか波なのかもはやよく分からない陸の領域から切断されかけている無人の市街を歩いているのか泳いでいるのかもよく分からないままそれなりに調査したが、結局、あの娘を発見できなかった。潜んでいたのか迷っていたのかたまたま戻ってきていたのか・・・・・理由はどうでもいいが、ほんの少しだけ時間がずれていたなら・・・こんなことにはなっていなかった。執着の終着地点。「ユイ待て!!ラインに人間が・・」発動直前に気付いた碇の声も遅く。後悔する暇なく。いや、いずれにせよ超巨大特異竜巻の第一陣「キリコ」が目の前まで迫っている。そこで止めてしまおうと斬心地にいる人間がタダですむはずがない。自分たちが回収しにいく時間もない。そして、この実験こそは失敗の許されぬ自分たちの未来を示す試金石であったゆえ。強行するほかない。コンマ一秒の狂いもなく、エヴァ初号機が、動いた。鬼に会っては鬼を斬る、神に会っては神を斬る、唯人の絶対の意志のもとに。
 
 
聖句もなく
祝詞もなく
呪文もなく
戦歌もなく
咆哮もなく
心燃やす技の呼び名もなく
 
 
ただ、静かに狂った唇から零れる斬術の名は
 
 
 
「”かいん”」
 
 
 
歯車の歯をひとつだけ
ねじの螺旋をひとつだけ
変わらぬように斬り落とす
観測する者にも類の歩哨にも分からぬように
 
ひそかにつかわれるあしきゆめのわざ
 
 
それは襲い来る巨大竜巻を破壊などはしなかった。退けることもしなかった。よしんばそれをしたとてそれに続く「メグ」「ルーミス」「ハロルド」「カーチャ」「ナムピョン」「アヤ」七連続の天変地異にこの街は消滅させられたに違いない。遅かれ早かれ。それを免れる特別の理由などこの地にもこの市街にもない。流れがそこを流れた、というだけの。
小さな変化、大きな変化、それから・・・そんなのありかいな!と呪いたくなるほどケタ外れの巨大な変化、が起きた、というだけのこと。流れが来ればそこで泳ぐなり潜るなりするしかない。抵抗よりは適応すべき。それは悲劇と呼ぶに怪しいありふれた現象。
 
 
べつだん、街を救おうなどという考えは毛頭なかった。救えるはずもなかった。
ただ、無人で時間と場所の都合がついたこの地を実験場所に選んだだけのこと。
 
 
そして
 
 
超巨大竜巻「キリコ」はこの地を”すりぬけた”。引き連れてきた連続する災厄たちもこの地に”かすりもしなかった”。
 
 
実験は成功した。
それを祝福など天は決してしないのだろうが、暗雲は去り光が降り注ぎ始める。
 
 
 
雨と波に閉鎖された市街が燦と切り開かれて海に照らされて光り輝く様子に驚き実験の成功に喜ぶよりもまず、目から血を流しながら倒れているその娘たちを助けに駆けだした。
 
 
そこは、男二人の祈り虚しく境界線上。ユイ君の全身全霊をこめた抜刀術をエヴァの力で拡大増幅した孫六殲滅刀の一撃が疾っていった・・・隠里消魂の細道・・・そこを転げおとされたとしたら・・・あらゆる意味でタダではすむまい・・・・
 
 
「危ないところで・・・・・・あー、しくじっちゃったなあ。でもまあ、いっか・・・・・・明日をばぁーんと信じましょうか」
 
 
ユイ君はあのときそう言った。しくじった、というのは殲滅刀が砕け散ったことを言ったのか、それとも、ギリギリで発動圏内にいる人間の存在に気付いたが刀を止められなかったことを言ったのか・・・不思議というほどでもないが、らしくもないぼかし方に碇の奴に真意を確認しておけと念を押したのに奴は結局ユイ君に笑顔一つで誤魔化されていた・・・「碇め」・・・まあ、もう過ぎた話であるが。その時は娘たちの治療でそれどころではなかった。自分たちの実験のために何の関わりもない子供が巻き添えで命を落とすなど・・・あってはならぬことだった・・・・正直に言えば、ないほうがいい、ということだが・・実験の検証作業は碇一人に任せてユイ君とふたりで娘たちの治療にあたった。実際、どれほどの影響が出るのか分からない。肉体的な損傷は飛んできた孫六殲滅刀の微細な破片による大小の裂傷刺傷、その中で最も重傷なのが片眼への突傷・・・厄介なことに孫六殲滅刀の心臓部の生体パーツで突き刺さったそれを摘出しようにも半ば同化してしまっていた・・・自分より手先の器用な医師は世界中探せばそれなりにいるだろうが・・・特務機関の機密部品の同化状況まで判断して切除できる医師などおるまいし処置は緊急を要した・・・。
 
 
そうして生まれたのが、水上の姉妹。水上右眼と水上左眼だった。
 
 
おそらく、傲慢な表現であろうが、他に適切な言葉を思いつかない。ただ治療した、などと生易しい表現を使えるほど彼女ほど楽観的にはなれなかった。そして受け入れることも。
 
 
ユイ君は姉の右眼に特異な才能を見いだしていた。そして、それを引き出しにかかった。
こういう時の彼女は誰がなんと言おうと止まらない。私と碇では止められない上に、当初その意図が分からなかった。どういった才能なのか説明されねば分かるはずもなく、まさかこんな都合良く「世界にもう一人くらいは」レベルの才能を発見できるとは思ってもみなかったせいもある。
 
 
”エヴァ・へルタースケルターの継承者”・・・・・・彼女は右眼をそう位置づけた。
 
 
スケジュールを大幅に変更して、(それでもじゅーぶんにおつりがきますよ♪とユイ君が断言したせいだがナオコ君と碇はかなり苦労していた)しばらくは何者にも発見される心配もないこの地に留まり特異才能を引き出す教育、修行だか特訓を始めた。
理由も知らずモチベーションもなく、ただひたすらに才能を引きずり出された右眼はユイ君にかなり反発したようだが、相手が悪すぎた。たいがい、特異な才能をもつ娘はユイ君に問答無用に懐くのだが、右眼だけがその発露過程なせいか、そうではなかった・・・・が、それでもユイ君の目は確かであり。試しに受けさせたシンクロテストでもかるがる起動数値をクリアしてみせた。
 
 
この時点では、左眼はユイ君になんの才能も見いだされていなかった。片眼に埋まったままの生体部品との拒否反応でたまに鋭い頭痛がするらしく横になっていることが多かったせいもあるが、いくらなんでも「世界にもう一人は」レベルの才能がふたりセットで見つかるとは思っていなかったに違いない。奇妙なことに、そんな左眼がユイ君を強く慕っていた。機密に触れぬレベルのおおまかな説明はしたが、ガンとして自分たちの恩人だと言ってきかない。実際、娘たちの目には壊滅するはずの街が”無事に残っている”のだからそう思うのも無理はない。夢でも幻でもなく現場をその目で見ているのだ。「奇跡」を。
その心中に強い影響を与えられたのは間違いなく。信仰、崇拝に近いものをユイ君に感じているようだった。ユイ君本人はそれを「少女に恋されるのも、悪くはないです」、などと笑っていたが。強く否定して目を覚まさせるべきだったのか、どうか。
 
 
その時点で、左眼は「特異な才能」どころか、シンクロテストを試してみようとすら思わない、エヴァの爪の先でも動かせそうにない、ふつうの、人間だった。明らかに見込まれた姉と異なり、せいぜいできることといえば、砕け散った孫六殲滅刀の破片をあちこち拾ってまわる回収作業くらいなものだった。熱心なファンが憧れる者のアイテムを集めるようなものだろうか。才がなくまともな人間が関わるべきではないこの業界に縁がないなら左眼だけでも早々に外に出すべきではあったが、それは姉妹の双方が望むところではなかった。
 
 
いずれ・・・・・
 
 
こんな時間は長くは続かない。これは、一時の騙し絵のようなもの。
この街で上映される、最後の映画。それをあえて奪うような真似は、出来なかった。
空恐ろしいほどの速度でその才能を開花されていく右眼とユイ君ですら適わなかったヘルタースケルターの稼働状況に、ゼーレに気付かれるまえにいけるところまでいこうというイケイケの実験欲があったことも認めざるを得ない。結局、免許皆伝とまではいかないが、名取りくらいまでは、と一段落するところまでいってお開きとした。
 
 
他の計画がいよいよのっぴきならなくなりこの地から離れなければならなくなった、もはや足を踏み入れることはあるまい、と思っていたあの日、姉妹はここに残ると言い出した。
 
「気持ちは分かるがそれいくぞ」というのが大人の立場であり、責任であり、三人そろって娘たちにそう言ったのだが、思い切り反抗された。右眼がヘルタースケルターまで持ち出してきたので説得を諦め、一時撤退するほかなかった。「この街は海に沈む、いや、もう沈んで消えている」と何度言っても聞き入れない。特に左眼が、ガンとして。「ならば、その日までその時までその瞬間まで、私たちはここにいます」と。「なんてダダなの!!ダダ星人じゃあるまいし!!」ユイ君はカンカンに怒り、碇は苦りつつ困っていたが、「待つしかないだろう」という私の無難な提案を取った。
「それまでは、あの二人はこの地の計測役兼監視員だと思えばいい。観客のいない映画館などいつまでももつまいよ」
「でもでも心配です、冬月先生!二人が寝てる間とかに戻ったらどうするんですか」
「不寝番を置いていこう。娘二人を守って脱出するくらいのことは命じられるだろう」
「ああ、あの子・・・でも・・・」
「それでも、ここ数日の風速を考えれば、巻き戻しが来るのは一週間以内だろう。それくらいならば私の都合がつく。三次で待機しておこう・・・・それでいいか、ユイ」
碇と二人してユイ君をなんとか説得した。ここで初号機をもってきて力づくで二人を連れ出すなんてことをされたらえらいことになりそうだった。事実、右眼はモーレツ苛烈な特訓を与えたユイ君にリベンジを考えているようなところがあった。それにもともと、ユイ君が右眼を見込んで特訓なんぞやっていたからこういうことになったのだ。何も知らぬうちにここから出してしまえばこんなことにもならなかったわけだが、まあ連帯責任だ。
 
 
現実を、知らせるべきだっただろうか。
 
 
超巨大竜巻「キリコ」はこの街にトドメをさした。完膚無きまでの破壊しつくした。
この日を境に国の地図から抹消されてその名もデータベースから削り取られた。
この後連続する「メグ」以下の襲撃に戦自も撤退、被害の正確な調査も行われておらず・・・・長きにわたる海港都市としての命脈を絶たれた、とされ政府からは保護放棄宣言。
避難していた住民が戻って復興しようにも、名物であった坂が海への滑り台にしかなっていないような有様ではいかんともし難かった。この惨状についたあだ名が”竜尾道”。何本もの竜の尾でこれでもかこれでもかと叩かれまくった、さながらウルトラマンがやってこなかったリアル特撮世界。目的も交渉の余地もない破壊というのは凄まじいの一言。
 
 
もう、どこにもないのだと。お前たちのまぶたの裏にしか、存在しないのだと。
告げてやるべきだったのか。危険を承知で街の最後を見届けようとやってきた娘たちに。
終わっていたのだと。お前たちは目をつぶっていたから、それを見られなかったと。
 
 
碇の見立てどおり、娘たちの郷愁(駄々というにはその意思はあまりに強すぎた)の上映時間はすぐに終わるはずだった。一週間が二週間になったとしても、無人の街に娘二人でいつまでも暮らせるはずもない。寂しさに音をあげるにきまっている・・・・そんな計算もあった。隠れ里の暮らしなど、そんないいものではない・・・隠者を気取るにはふたりは若すぎた。そこから出たあとの身の振り方を考えてやるのが我々の責任であろう・・・・・才能を見いだし力を与えたユイ君の、そして、その体にメスをいれた私の。
女と女、しかも姉妹ときては、エデンとしてそこから何か生まれるわけでもない。
 
 
だが・・・・
 
 
それは誤算、しかもどんぶり勘定のユイ君にしても大誤算だった。まあ、無理もない。
特に、左眼の才能はユイ君には見抜けぬタイプの才であったのだから。
 
 
 
そして、それが判明するまで数年を要した。