出された茶菓子は「純愛つくば」であった。
 
 
名前だと聞くとなんだそりゃ!と突っこみたくなるが、その突っこみが必要なのであった。
食するのに。
要するに、チョコを包んだチョコもちであり、ココアパウダーにくるまれてある。
 
純愛、であるからそのまま手づかみ、というわけにもいくまい。付属の白楊枝で、ちゅっ、と刺して唇に運ぶ、というのが正しいお作法であろう・・・・。まあ、別にそんなことどこにも書いてないが。箱に描いてある「筑波嶺」なる美男子連中がどう反応するか見物だ。
 
 
「なかなかのお手前で・・・・」
「べつに私の趣味ではない!探したが、これくらいしかなかったんだ!まさかここに出前を頼むわけにもいくまい」
 
 
拘束されたままの水上左眼に、その「純愛つくば」を与えているのは、特務機関ネルフ、おそらくは永遠エターナルの副司令、冬月コウゾウ氏であった。別に、霧島マナが食事その他の休憩をとりにいっている隙に「つくばプレイ」におよんでいるわけではない。
一応、こちらも栄養補給というか、一息ついているだけのこと。
それでも拘束を緩めたりしないあたり、人情もなにもない。まさに無慈悲なウインタームーン。そのうち因果応報でバチがあたるであろう。
 
 
それからストロー付きのペットボトルお茶でのどを潤してやる。手慣れている。
 
飲ませる方も飲む方も、息というかリズムが合っている。噎せたりしない。
医学的な意味で、冬月コウゾウ氏は水上左眼の体の隅々まで知っている。医学的な意味で。
大事なことなので二度いいました。「おめえにゃ苦労かけるなあ・・」「おとっつぁん、それはいわない約束だよ」お約束イメージでは面倒見る方と見られる方が逆だが。
 
 
「ふふ、甘露ですね」
「そんなはずがあるまい・・・」
「いえいえ、こんな甘い茶はひさびさに飲みましたよ」
 
 
だが、生物学的には、知らない。自分の専門領域に踏み込んできている。ただの患者の小娘から、十全に向かい合うべき観察対象へと。老化も成長もせぬ生物など、形而上にしか存在しない。正確には、膨大な時を腹に呑み込み、それにより内から弾かれぬように外皮を・・・外骨格というほうがふさわしいかもしれない・・・固定化してしまった・・・外面だけでいえば、一切老いないわけだが・・・・・そんな「改造」など・・・・・!
だが、ただの凡人が竜を育てるには、それほどの時間を必要とする。同時に同調した竜に引きずられぬためにはその処置が必要となる・・・。進む道が違うなら、奇跡のように交わった時点で凍らせてしまうしかない。すべてを。
人の一生涯などたやすく食いつぶされてまだ、膨大な負債が残る。
 
 
霧島マナが戻ってくるまで、まだ時間はある。この目の前の片眼の小娘が使ってしまった時間に比べれば、刹那もいいところだが。レイがいつ気づくか、もしかして赤木君がチクりはせんかとびくびくものだが。
 
 
「・・・・左眼」
 
「なんでしょう、ドクター」
 
全く疲労も、中身はともかく表面上はこちらに苛立ちやら憎しみやら不安やらをぶつけてこない武将然としたこの片眼女に長年の懸念をぶつけてみたくなって、ぶつけた。
 
 
「私と碇は・・・・長い間、実のところ・・・・・疑問に思ったのは治療した数日後だが、ユイ君に深く確認もとらずにそのままにしていたのだが・・・まあ、我ながらとんでもない・・・考えつくのも突飛すぎる発想だとして、なかなか口に出せなかったのだが・・・・・やったのが、あのユイ君でなければ、こんなことはありえない、と」
 
 
「前置きが長すぎますね・・・・・・あの娘が戻ってきてしまいますよ?」
 
 
「”割人剣”・・・とかいうらしいな、武将が影武者をつくるのに使っていたとか・・・・嘘かホントか知らないが、殲滅刀にセットされていたもののひとつだ・・・手当たり次第に詰め込んだとかいっていたからな・・・・・ユイ君があの時、失敗した、というのは、刀が砕けたことを言っていたのだとばかり思っていたが・・・・お前と右眼は・・・・」
 
 
「だとしたら、ユイ様が黙っていたことになりますね。周囲の者が観測しきれないのは無理もないかもしれませんが、刀を振るった当人が、それを把握しない、なんてことは・・・・・ありえませんよ。いくら孫六殲滅刀が、刀、武具というより・・・工具や祭具に近いものだとしても。私は、そんなことにすら、気づかなかった・・・その程度ですから」
 
 
自嘲は返答の代わりにはならない。まあ、それで完全な答えが引き出せるはずもない。
実際、碇ユイが黙っているから、黙っていたから、こういうことになっているのだ。
あの笑顔を思い浮かべても、ゆるせ・・・・・・・・・・・ないことも、ない。うーむ。
 
 
「お前は、お前たちは、なぜ、あの・・・・ただの夜ではない、最後の夜だと、壊滅するのが分かり切っているあの街にいた?」
 
「親の死に目に会おうとしない子供は・・・・・・・いないのではないですか?
会おうと、会えなくとも、最低限の努力はするもの・・・・ではないですか?
奇妙な喩えですが、見ても、見なくとも、辛いなら。街の骨格は人の心の中にあるものですから・・・それを拾って弔いにでもしようかと思っていたのでしょう・・・・あるいは」
 
それで自分たちが死んでしまえば世話はないのだが。
 
「終わるところが見たかっただけかもしれません。死に絶えるところが・・・・それは、好奇心の極みのひとつでもありますし。誰でも最終回とか最終運行とかは大好きでしょう・・・・・終わることは避けられない。誰でも、どんなものでも。知りたい、もしくはそれを己の内に記録したい、というのは自然に逆らうがゆえに、人として、無理のない欲なのかもしれません。多少の危険をともなっても、それに呑まれて同じく終わろうと。・・・・あまり、いい時代でもなかったですしね」
 
 
「記憶は、戻ったのだったな・・・・?」
 
楽園などこの世のどこにもなく、便利な場所は便利使われされて終わるのだ。
 
 
「そうですね、治療していただいた時は、混乱も痛みもありましたから、うまく引き出せない状態でしたが、一段落した後は・・・・・・そうそう、記憶なんて消え飛ぶものじゃありませんよ」
 
「その割には、周辺地域の住民記録は根こそぎ改竄ないし消去されていたがな・・・・保護放棄地帯とはいえ、徹底的に・・・・やったのは、誰だ」
 
「そんな昔話をしていていいんですか?そろそろ戻ってきますよ・・・・未来を担う少女に聞かれてためになる話でもないでしょう」
 
 
 
まあ、そうだ。本題は別にある。そんな昔話にはなんの意味もない。しゃべらせただけのこと。川魚やアサリに泥や砂を吐かせるようなものだ。肝心なことは
 
 
「・・・”動けぬはずの”ユイ君がお前を訪れたのは、いつ頃のことだ」
 
 
「・・・・・・・・・・」
 
 
「どうした?答えられぬような難しい質問でもあるまい。記憶はそうそう消え飛ぶものではないのだろう」
 
「ご存じのことを尋ねられても、どのように返答したものか、迷いますね・・・なにせ、こちらは囚われの身、ときている・・・・どういったお試しなのか、と」
 
「いや、単純な話だよ左眼。最近、激務のせいか、年のせいか、すっかり物覚えが悪くてな・・・・・油断すると、碇がここの総司令だったことも忘れてしまうくらいだ」
 
「・・・・そうですね、”動けぬはずの”ユイ様から迎えに来るよう使者がありましたのは・・・あなたたちが一時期、ファーストチルドレン、綾波レイのことを忘れていた時のことですよ・・・動けぬはずの身重のユイ様が、あの鎧の都に出向かれたその帰り道ですよ・・・・もちろん、ここを黙って素通り、なんてことはありえませんからね。どなたかが狙って段取りをつけない限り」
 
「・・・・・・・・・・」
 
「騙りだと、思いましたよ。こんなものは、ユイ様の贋者であろうとね。動けぬはずのユイ様が霧の山街より降りてこられたことも、ここを素通りして東の鎧都へゆかれたことも、絶好の手柄を立てられる戦場にお供に呼んでいただけなかったことも、代理というはおこがましい、せめて旗下として使わしてくださらなかったこと・・・・」
 
無償でやってくれるならともかく、その恩を高めに売りつける気でいるからな・・・・
まあ、タダより高いものはなく。その点はまっとうな成長ではあるが・・・・
演技ではないから茶化す気はない。おまけに、左眼を噛まさないように段取りつけた張本人が自分だったりすればなおさら。ただ・・・・・
 
 
「レイのことを、忘れていた時、だと・・・・・・?」
 
 
「さすがは綾波党の次期後継者候補・・・・・といったところですか。異能の拡大、情報操作は完璧でしたが、その一点だけ、どうしても齟齬ができるのですよ。その異能が届かなかった我々とはね。そうなると、違和感すら生じさせないレベルの操作が逆に真実を露呈させてしまいましたね・・・・・・そのあたりは、碇ゲンドウ氏におたずねになった方が早いでしょう・・・・・ほんとうに、お忘れになってしまわれたのであれば、ですが。ドクター?」
 
 
「・・・・・・・・」
 
 
「さて、どちらを信じるべきか・・・・・・手始めに、”贋者らしいユイ様”の方からあたりましたが・・・・ほんとうにこの業界はどうしようもないですからね・・・・善人だの悪人だのいうのもばかばかしくなる罪人山脈ですよ・・・・だから、竜の眼をもって関所で真贋極めんとしたわけですが・・・・」
 
 
「・・・・・・・・」
 
 
「やられたのは、こちらでした。竜号機は一睨みで奴隷のように傅かされ、この左眼の映す剣技すべてがかわされた・・・・この身が所詮、いくら錬磨に時をかけようと、粗悪な模造品なのだと知らされました・・・・・・・こんな真似ができるのは・・・・・・」
 
 
「お前は、その姿を見たのだな」
 
 
「・・・・それはそうでしょう。いまさら幻に惑わされるかわいげもありませんよ・・・あの気配はまちがいなくユイ様のそれです・・・・・それから、しばし逗留して、いろいろ指示をくださいました・・・・・」
 
 
「お前一人で応対したのか・・・・・・右眼は、他の者はいなかったのか」
 
 
「贋者だと思っていましたから、私一人で十分だったこともありましたが、危険がないわけではない・・・歯止めのききそうにない私自身が・・・・・姉は、贋者であれ本物であるならなおさら同席などしませんよ」
 
 
「そうか・・・」
 
 
「けど・・・・・・やるこということ、すべてが、反転してしました・・・・・他に真似することも出来ない、唯一の絶技だけが確かにあって・・・・・私の記憶と・・・・・」
 
 
ふわり
 
そこで水上左眼を頭から抱きしめる冬月コウゾウ氏。
 
 
「そうか・・・・」枯れたその声は、もうとりかえしのつかないところまでいってしまった愚かな娘をそれでも見捨てない、己を焚いてでも冷えきった体に暖を与えようとする枯れ木のような老父の声。それでも、拘束は解いてやらないが。
 
 
 
「・・・・なんで、贋者だと、言ってくださらないのです・・・・・」
 
 
抱きしめられながら、歯を食いしばりながら、絞り出すように。
 
 
「生きた我が子の剥き出しのたまわたを回収させ、それを会うでもなく放置し、あまつさえ、自らが動き出すためにシンジ殿を・・・己の腹に戻す、とまで言ったあの女を・・・・・・・その夫たるゲンドウ殿もそうだ・・・・・閉じこめても、贋者だと、言わなかった・・・・・言ってくれなかった・・・・・あの、女・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
「それでも、お前とあの街を救うよう、約したわけだろう・・・・あのままでいさせてやる、と。隠れ里の平穏を、均衡を、保ってやると」
 
 
「その作業には、シンジ殿を入手後、すぐに取りかかっていただけるはずでした・・・・が、何を考えているのか、だらだらと時間を潰し・・・・・ドクター、私は騙されていたわけですか?・・・・・それならば、それでもいい。贋者であれば、まだ。ゲンドウ殿もあまりの目曇りに呆れておられたのでしょう・・・」
 
 
泣いてもらった方がまだましなのだが、この陰性。異能を持たぬ時もユイ君に憧れる、憧れたのも無理はなかろう。姉の右眼の風来転の気性やユイ君の太陽気性のようなものが、己を破損せぬ方向に保つには必要不可欠なのだ。抱いていると、錆というか、カビだらけになりそうだ。火が、足りておらんなあ。
一応、あの家族の保護者を任じている身であるから黙るしかないが、あの一家はそこまで考えていない。身勝手であるが意思が信じられないほど強いから、端から見るとなんかたいそうなこと考えてそうだが・・・・・・・実は、そうでもない。これは、結論だ。
 
 
人間本来の性質はなかなか変化しない。肉体を改造されようと、経験を増やそうと。
回心するには、もっと激越なパワーが必要になるのだろう。外からの。元来は人間なんぞ見るだけの、それでも、見るに見かねたその土地のヌシが直言忠告するような。
 
 
どうも、分の悪い賭になりそうだなー・・・・・もともと勝負弱いというか運が悪いところにきて、幸運を遠慮するような性格ときている。遠慮されれば幸運も逃げていく。
 
 
とはいえ、とうの昔のサイは投げられたのだから、いまさらどうしようもない。
口で言ってどうにかなる問題ではない。本人が自覚せねば。悟らねば。解かねば。
 
このささいな謎かけを。
 
 
普通の人間なら解くのだが・・・・・・・あの街の一般市民の方が先に解いてしまっていたりするからなあ・・・・・基本、頭が固いのだろうな・・・・・・まあ、謎解きとか思考するといったようには向かないオプションが頭に詰まっていることを考慮せねばならないが・・・・
 
 
 
「あのー。ドクター・・・・」
 
 
「なんだ」
 
 
「別に異を唱えるわけでもないのですが・・・・・少し、時間が続いているのでは。
ここにあの娘が戻ってきたら、弁解も難しいかと。あの頃の少女は特に・・・・・、こちらは拘束されていますから、そちらのほうに誤解が生じるのでは・・・・・・」
 
 
「あ、ああ・・・・」
 
 
その固すぎる頭だけを解放する。確かに体勢的に苦しいものがあったかもしれない。
時間的にも、まあ。そうだそうだ、いまは患者でもなく、離婚して親権とれず姓が変わってしまった実の娘というわけではないのだ。教え子にセクハラ行為をはたらく大学教授・・・・と、隠匿して拘束しとるあたりで何を今さらではあるが。
 
 
間が、はずれてしまった。
 
 
冬月コウゾウ氏が返答しないからだ。それを得るために、こんな体勢に甘んじているというのに。根本的にこの方も情緒で表現することに慣れていない論理系であるから、こんなことされてもあまり伝わるものはない。年寄りの熱いパトスとかいいから。
こちらが欲しいものは・・・・・
 
 
 
「まあ、その件なら碇たちがどうにかするだろう。お前の妨害さえなければ、その程度」
 
 
 
え?
 
 
「・・・・どうにか、とは?あのふたりで?」
 
無理だろう。あの二人が「碇ユイ」に敵うわけがない。それから、今、その程度っていいやがりましたか、この白髪医者。碇ユイの再動をちらつかされて碇ゲンドウが誑かされて、碇シンジを売り飛ばしたらどうするつもりか・・・自分がいない今。向こうはどういうわけだか・・・考えたくないが、碇ゲンドウの思考を完璧に予測できる、と豪語してその通りにしてきた。さんざん追い回しても尻尾もつかめない、と。その通りだった。裏を読み、裏の裏を読まれれば、表をすり抜けた。元、とはいえ、ネルフ総司令の思考をあっさりと。
己の盤を離れ今や権力も腕力もなく破壊力もなく。歩ですらないただの一般プリズナー。
その上、思考の先を読まれるとなると。
 
読める、と言うことはその気になれば誘導もたやすいだろう。
 
いや、望みは、シンプルなのだから。妻と子を天秤にかけたら、どちらに傾くか。
 
組織の長でなくなった碇ゲンドウはただの、男だ。そして、碇シンジは・・・・
 
ユイ様の子、であることは、間違いない。あんなのは、ユイ様にしか、産めない。
 
が、一方、・・・・・目に入れても痛くないほどかわいがっている、よーには、男親子のせいか、見えなかったが。いざとなれば、男親など寂しいものだ、と世間的にはよくいう。
 
竜尾道の存続という一大対価もなしに引き渡すには、あまりに愉快で便利なあの碇シンジを・・・・・・
 
 
「必要なものは取りに戻ったようだからな・・・・・・家庭の問題は、その家の者に任しておけばいい。それが最上であり、必要最低条件だ」
 
 
さきほど自分は不自然な体勢ながらも抱きしめられたが、これは。ばっさりと。
物凄い一刀両断。しばらくは切ったこともわからぬほどの。
その切れ味は、笹の雪、竹ノ葉霰。
 
 
「・・・・あちらを碇たちが片付けたら、槍ともども戻してやる。上の方も動き出した・・・・・いろいろせっぱ詰まってきている。選択の時だ。左眼、そろそろ目を開け・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
言霊の剣聖のごとく厳しくも暖かく流麗に決めた白髪の副司令から目の光が消える。
 
電池切れのロボットのように唐突に。物わかりの悪い生徒弟子を教え諭す恩師モードに入った感じで、まだセリフは残っているような感じであったが。
 
 
がくり、と倒れる。
 
とうとう激務のツケがまわって脳の中の危険な血管が限界を突破したわけ・・・・・・ではない。
倒れる前に、後方に立っていた総髪長身の人物がそれを受け止めた。
 
 
「軽いものですね・・・・まるで骨座頭だ」
怪しく白銀の眼鏡が光った。手には麻酔カートリッジを装着した短針銃。
 
 
「因果が巡ってきましたね、今度はあなたに人質になっていただきましょう・・・」
 
 
冷え冷えとした声。新体制ネルフにおける発令所勤務の人間ならその声を知っている。
そして、その通りの因果応報どすなあ、と高笑いしてもいい立場の水上左眼も、また。
 
 
 
「刃源さん・・・・」
 
 
作戦部長連がひとり、シオヒト・Y・セイバールーツ
 
昔、水上左眼の最初の軍師であった男。それから、途中で袂を分かつのみならず命ごと売ってくれた男。その頃は、刃源(はげん)シオヒト、と名乗っていた。