いったんは、すぐちかくまできていた。
 
 
静まりかえった白の世界で、他に音はなく、足音を聞かれたかもしれないと恐れた。
事実、そのとおりで扉の前で待ちかまえるこちらを先回りしてきた、とんでもない相手はその足音を聞いてきた。が、それだと、彼だと、自分だと認識しなかった。
 
 
他に邪魔する音のない雪の空間で、その足音が彼のものだと、自分のものだと、綾波レイは気づかず、碇シンジは、気づかれなかった。
 
 
もし、そこで綾波レイが気づき、碇シンジが気づかれていたら。
この先の状況は一変していた。運命が、変わっていた。少年少女それぞれ1人づつのみならず、大量の、それこそ百万の雑踏をゆく大多数の他の人間を巻き込んで。
 
 
堕ちて
 
 
もし、碇シンジが綾波レイの目を、見ていたら。その、赤から蒼に変色した瞳を見ていたら・・・・。人間には通常の頭で考えている優先順位とそのほかに、それをいったん全部ゼロにしてしまう、非常命題というものがある。そもそも順階をつける意義が消失するゲシュタルト崩壊点。目的まであと一歩までの場所にたどり着こうと、ふりだしにもどる、築き上げてきた全てを崩壊させてどこかよその場所へ駆け出してしまう・・・そういった習性がある。それは、自己の魂に対する黄金の約束・・・あえて言い換えると、竜の逆鱗、激怒のツボである。もちろん、誰にでも無条件に発動する代物ではない。純粋な相性と関係性の蓄積・・・・なんというか日々の生活でちまちまと借りを返済している惣流アスカに対するより、それより交わりが少ない分、綾波レイの方が借りがでかいということで。
それらに少年らしいヒロイズムや義憤、かよわい少女に対する保護義務感などをかけ算するに、いまのところ世界中にこの無条件逆上、天逆スイッチを発動させることができるのは綾波レイただ1人ということになる。
 
 
落ちて
 
 
天上のことなど忘れ、地上へ駆け下っていっただろう。怒れる邪天鬼の表情で。
怒髪は天を衝かず、地に垂れ影走りしてやった相手を見つけ出し必ずや、刺し貫く。
そこからどのようなことになるのか、・・・・空から恐竜が降ってくるよりも非道なことになるのは間違いない。「これがほんまの第三類の衝撃、サードインパクトやなあ」とか、天上でそれを見下ろす使徒などはそう呼称するかもしれない。「やっぱ人間やばいで」と。
 
 
堕天
 
 
だが、運が良かったのか悪かったのか、そういうことにはならなかった。
 
足音は聞かれたものの、いち早く扉の前で待ちかまえている人物の正体を、その遠い気配でみてとった碇シンジは・・・・・・
 
 
迂回ルートをとった。
 
 
端的に言うと、逃げた。
さささっと。
狼をみつけた野ウサギのごとく。
 
 
なんのために駅舎から疾風迅雷のごとく抜けてきたのか、とその行動を見ていた者は皆、呆れるしかない。しゃばい、あまりにしゃばすぎ。まさにしゃばぞうである。
 
 
しかし、それは本能であるので碇シンジ当人にもどうしようもなかったのだ。
 
 
完全に妨害されていて邪魔者以外のなにものでもないが、手の出しようのない相手・・・
 
 
おそらく、そうだろうな、という鉄板予想をしつつも、万が一外れるってことも・・・という切ない望みを抱きながらここまできて、やっぱり相手がそうだった、と分かってしまった場合。バブルクンド可動橋で己の未来を贄に出してもはや天にも地にも神も悪魔もこわいものなしだとしても。やはり綾波レイはおそろしい。申し訳ない気がしてしょうがなく、果てしなく限りなく負い目があるような、賢翁風にいうと「もさげねー」であるが、どうにも頭が上がらない・・・・・・というか、勝てる気が、突破できる気がしない。ここまで来ておいて口先でどうこうなるはずもない。完全においてけぼり、というか、レースがあることさえ知らしてなかった、ウサギとカメよりも卑劣な条件下でこの有様である。
 
 
もし、綾波レイの今の、その姿を近くではっきりと見れば、そんなことは
その異常な瞳の色をみたならば
 
 
勝っただの負けただのこわいだの驚いただのこれは困ったなよわったなどうしようかだの、・・・・・・・・”そんなことは”、・・・・・・頭から吹き飛ぶのは間違いないのに。
 
 
綾波レイは本人が考えている何万分の一の説得の言葉もなしに、無条件で、ただ己がそこにいる事実、ただ己の姿を見せるだけ、ただそれだけで、碇シンジを引き留め考え得る限り最高速、それよりも七掛けはした邪悪な速さで、地上に戻らせることができたのに。
 
 
だが、迂回とはいえ相手は扉の前に陣取っており、動く様子は全くない。陣取りや缶蹴りと違って、しびれをきらせた鬼がこちらをみつけにその場を離れ、捜索を開始したところを狙って・・・扉をその隙に開けてしまう、という手は使えない。開けたとしても、相手を説得できなければ、また閉められてしまうのが落ち。
 
 
相手が綾波レイでさえなければ、ここまできた碇シンジはどのようなせこえげつない手でも使って相手を地に伏せたであろう。扉を開放したであろう。ゴール手前で邪魔された怒りをもって撃破しただろう。だが、相手が綾波レイであるのだからどうしようもない。
 
 
実際のところはただの迷いである。これといって有効な手だてもなく、餌場で食事する鳶やカラスが去ぬるまでじっと外縁で待っている雀のように。雀は己の身の程を知りそれに納得しているのだろうから、それよりもまだ下であった。燕雀の知恵も彼にはなく。
ただ、手を出しかねていた。まさかここで他の人間の助けが期待できるわけがないから、かなり途方に暮れていた。うねうねと心の形そのままに向かうも退くもできぬホワイトミステリーサークルを描いていたら・・・・
 
 
 
そこに、渚カヲルが迎えにやってきた。
 
 
「ひさしいね、シンジ君」
 
 
「え?」
 
 
エヴァ四号機の手のひらに乗ってこちらをにこやかに見下ろすのは・・・・まさしく天使、人間を超越した存在がそこにいた。幼年期を終え世界という殻から抜け出たゆえにもうその影に暗されることもない、光の人・・・・・悟りという言葉のもつ穏やかな輝きのイメージをまとった聖なる人影がそこにあった。碇シンジは久方の友人との再会に喜び感動するだけだが、修行の果てにここに至った道者は静かに額づいて祈りを捧げたことだろう。宗教にも政治にも感情にも歴史にも制限されることのない、人類最新の解脱、広大になれど優雅にひろがりその存在を誇る地球スケールの光の華、化生がそこにいる。
 
 
「迎えにきたよ。道中、いろいろと大変だったみたいだね」
 
 
現在進行形で大変だよ、とは碇シンジもさすがに言わなかった。
 
ここがゴール。もう旅の目的は果たしたのだから。渚カヲル、彼に会うこと。
 
銀鉄を召還しそれに乗り込み星の世界を長々旅してきたのは、光馬天使駅で記念写真をとったりスタンプを押したりするためではない。そこに、彼がいるから。いるというから。
 
 
「”それじゃ、一緒にいこうか”」
 
 
カンパネルラがジョバンニに言わなかった言葉を。渚カヲルは碇シンジに。
赤い瞳を、夜雲色の瞳のさらに奥、大きなまっくろな穴がどぼんとあいている、どれほど深いか底が知れず、その奥になにがあるのか見えず、しんしんと目が痛くなってくるほどの闇をのぞかせて。
 
 
即答はない。
 
碇シンジとしては、べつだん話はここでもできようし(まあ、もうちょっと暖かいところがいいといえばいいけど)綾波レイのことが心配だった。このまま放置しておけば百年でも待ちかまえていそうだし・・・・(もちろん惣流アスカのことも心配だった。別の意味で)とはいえ、迎えに来てくれたのをむげにするのもどうしたものかと悩んだ。
 
「うーん・・・」
過去の柵が電光石火で動く現在の力をしばし、縫い止めていた。未来はそこを一気一息にとらえて連れて行ってしまう。あっと思ったら四号機の手のひらの上、渚カヲルの隣に。
 
 
「強引だなあ・・・・・・」
「ごめんね。でも、綾波レイ、彼女もここで引き返すように説得したから心配いらないよ・・・・惣流アスカ、彼女にもここで帰るよう伝えてくれる」
 
「まあ、それなら」
心残りさえなくなれば、もはや何が起ころうとオッケー状態、こわいものがない碇シンジである。三秒で納得した。そして、四号機の手のひらに載っけられたまま、天上へ。
あっけないほどに光馬天使駅へ。銀鉄が必ずそこへ到達する、旅の終わり、光馬へ。
 
 
どことなく寂しげな、空に浮かぶ夜明け前の小さな島・・・・・・
戦いに明け暮れたスーパーヒーローが年老いて隠遁生活を送るにはいいような
悪の軍団が潜んで悪事を企むにはなんか侘びしさが先にたっているような地味な
あまり住みたいなあ、とは思わないが口にすることでもない。人の趣味はそれぞれだ。
まあ、ここなら思い切りレコードを大音量で聞いても誰にも怒られないだろう。
着陸地点は島の端。
 
そこでいったん下ろされて、
 
「この先に天主堂があるから、そこで待っていてくれないかい」
 
少し用事ができたから、そこまで歩いて中で待ってて・・・・・・苦労してやって来た友達にけっこうな扱いであるが、そこは友達であるから「うん、いいよ」と素直に碇シンジ。
迎えにきてくれた労力を考えると、怒るところでもない。逆に言えば迎えに出てきたから、その用事が残ってしまった、ともいえるのだし。渚カヲルは四号機とともに突き抜けてきた雲海の下へまた潜っていった。「・・・忘れ物かもしれない・・・」一応、シリアスな顔で言ってみる。ちなみに、言ってみただけである。あまり意味はない。
 
 
そして、島中に放されているらしいあまりテレビでも図鑑でも見かけない生き物たちを横目で見物しながら、のんのんと光馬天主堂に向かう碇シンジ。人工的な明かりがあるのはそこだけであるから分かりやすい。「ここに住んでるのかな・・・・・・小さな白いお家ってイメージじゃあないけど・・・・渋いねカヲル君」
 
 
そして、辿り着く。
 
 
「こんにちは。渚カヲル君にお招きしてもらった碇シンジといいます。・・・・いらっしゃいますか、そちらに。”そんなんではない、たったひとりのほんとうのかみさま”?」
一応、扉をノックして、さらに柏手打って、頭を下げて、それから。
 
 
とびらをひらく。
 
 

 
 
神様の髪は蒼いのかと、思った。
 
 
目の前で激しく揺れる蒼いものがすぐに髪だと分かったのは、色こそ違うがよく似た艶と輝きをもつ長い髪を見知っていたせいだ。だが、じっくりと見比べる余裕はなかった。こちらの視点も激しく揺れ、移動しているからだ。
強く手を引かれて走って逃げている。引いているのは蒼い髪の持ち主で自分より背がだいぶ高い。「零零、晨晨、あなたたちはこの身に代えても必ず逃がします!辛いでしょうが走ってください!」歳も体格も違うのだから引かれているとはいえ、その駆ける速度に合わせるのはかなり辛い。引かれる腕もへたをすると脱臼しかねない、痛みもあるがそうもいっていられない事情が背を追ってきていた。「・・・応・・・・です・・」息があがり運動のみにはよらない喉の渇き、恐怖がせり上がって叫びそうになるが、それでも抑え込んでいつもの、この蒼髪の救い主に対する返答のことばが出せた。「・・・はい!」恐怖や痛み、その他もろもろの負の感情で顔面を涙でぐしゃぐしゃにしていた零零もなんとか応じる声を出した。
 
 
・・・・・・・なんだこれ
 
 
碇シンジは、自分の目が自分ではないどこかにいる別の者の視点を映していることを理解した。驚きも狼狽えもしない。もはやこわいものはなく、銀鉄の旅を越えこれくらいのことはあるだろうな、と納得する余裕すらある。晨晨、これがこの視点の持ち主の名前らしい。扉を開けていきなりタイムスリップして恐竜の世界とか幕末の新撰組の世界にぶちこまれるよりはいい、と思う。夢、幻、を見ていると思えばいいのだ。いまさらなんだが。
 
 
もしかしたら、さきほどの呼びかけ、もしくは訪問挨拶のやり方がまずかったのかもしれない。扉をひらいて足を踏み入れたのだから、ここは確かに天主堂の中だろう。いきなり網膜内に投射するタイプの幻灯会でもやっているのか。これは、自分のではない、という認識を平然と当然ともちながら、それを終わらせる方法は分からない。終わるまで見続けるしかないのだろうか。まあ、あまり遅くなるようなら用事をすませて帰ってきたカヲル君が「やや!シンジ君が。幻惑されている!これはたいへん!」とか発見次第覚醒してくれるだろう。そう思えば、強く手を引かれることによる腕と肩の痛みも幻痛であるからなんとかがまんできないこともない。
 
 
だが。なぜ、追われているのか・・・・その理由を知らずにすませるのはちょっと難しい。
 
 
碇シンジは晨晨と呼ばれた男の子からその理由を知る。なんせ視点を同じくしているくらいであり、心を同じくして記憶をたどるのはひどくたやすかった。
 
 
痛みと同じくらいにすんなりと・・・・・・晨晨が知ってるだけのことは分かった・・・・・・ただ、その情報量は子供だけあってあまり十分とはいえなかったが。
 
 
 
この目の前の・・・蒼い髪の若者、青蒼浄幻帥に連れられて徒歩での旅を零零と三人でしてきて、ついに目的地であるところの青蒼浄幻帥の主催する杯上帝会の本拠地、天京に夕方、辿り着いたが・・・出迎えはなく、巨大な円楼は沈黙したままで誰1人でてこない、音も匂いも明かりもなく、疫病災で壊滅した零零、晨晨の故郷の村のごとく静まりかえっている。京、と大層にしてあるが、再構築途上の教団には町村程度の人口しかない。円楼という一カ所に集束させた大家族式住居である以上、そのにぎわいは消しようもないはず。休日のオフィスビルなどではない、そこで大多数の人間が生活しているのだ。気配など消しようもない。この異常に、髪の色と同じくらい顔から血の気がひいて青ざめる青蒼浄幻帥。だが、ここで引き返すという選択はない。ここが彼の家であり、これから自分たちの家になるはずの場所なのだから。内部の確認が済むまで二人は門前で待っているように、との幻帥の言葉に零零が泣いて逆らった。このようなことは旅の間、なかった。大人でもネを上げるような山中の徒歩行に耐えきった零零が。唖然として幻帥と二人でその泣き顔を見たが、子供の泣き声が円楼内部に響くことが不吉に思った幻帥は同行を認めた。碇シンジにはそれが失敗だったのか正解だったのかは分からない。まだ。ただ、敵はすっかりと準備を整えて手ぐすね引いて待っていることだけは分かる。逃げればいいのに。
 
誰もいる気配のない廃屋になった家になぜ帰る必要があるのか。
 
その問いはすでに遅いが。
 
 
この裂華の時代、各地に群雄割拠する王気取りの軍閥から自衛以上に営業目的で武器を使用する武装商人や暴走する食い詰め者たちの集団、盲激流など、人の住処を襲撃する輩に枚挙に暇がないような有様ではあるが、外見上攻撃の様子はなく。円楼に傷一つない。
もともとこの地が浄化されたことを知る者は少なく、わざわざ近寄ってまで真偽を確かめる物好きもいない。興味本位で訪れるには天京はあまりに山深い罪深い。道ひとつだけ残して浄化しきれていない汚染された四方を囲む深山は天京の番人となっていた。
もとより多大な労力を払ってまで攻め取って利益を得られる土地柄でもない。
人が近寄らぬのを幸いとする、宗教的観点を持たぬ者はそもそもここは目にうつらない。
廃棄された場所。取り返しのつかぬ過ちを置き捨てられた場所。清浄な、魔物も邪悪も寄りつかぬ相手にせぬほど浄い聖地。探してはいるが価値ある歴史遺品があるわけでもない、信者の方も自給自足カツカツでたいそうな寄付をくれるわけでもない、地下に貴重な資源が眠っているわけでもない、清貧かつ小勢力。大勢力になって清貧を続けられれば宗教の理想というべきところだが。この省には底なしに貪欲な野人の血がまじっているという、神農架という赤毛深い軍閥の親分がおり、天京の浄化状況も分かっているが、手を出さない。表向きに教義への理解さえ示して一方的に必要もない保護も与える。その方が遙かに得であるからだ。天京の住人は自給自足なだけに真面目で高性能な労働者が揃っており、いずれ肥沃な土地が手にはいるとなれば。黙って育つのを見守るのが賢いやり方だ。それゆえ、浄化された約束の地、聖なる地が自分とこの宗教の売名のために欲しいので奪ってやるという宗教的には普通でも社会的にはまともでもないこの時代雨後の筍のごとくニョキニョキでてきた新興宗教が押しかけてきても、これまで天京自身は争うこともなく退けられた。
 
円楼の内部に入ると、ひどく熱かった。蒸し暑い。そして、長い旅の終わり、空腹にはなんとも効く、料理の匂いがした。匂いのついた膨大な蒸気が廊下に流れ出てきていた。
だが、あまりにその量は。どれほどの茹でればこれほどの湯気が湧くのか。部署の看板にも音のでていない故障したテレビの液晶画面にも壁にたてかけてある自転車三輪車にも郵便箱にも一匹も残っていない鳥の巣箱にも犬小屋にも切り株の椅子にも途中の囲碁盤にも滴がぶつぶつと痘痕のように吹き出している。安い紙でつくられた子供の絵本が皺寄り。
太った肥満体の幽霊女にまとわりつかれているような、妙な感覚。そして誰もでてこない、誰もいない。
 
 
「青蒼浄、今戻りました。だれか、いないのですか」
 
 
晨晨も零零も自分たちが騙されたとか青蒼浄が嘘をついて無人の建物に連れ込んだ、というようには全く思わない。迎えどころか通路に1人もおらず誰も見かけないことは確かに異様ではあるが、疑う余地もなくここには多数の人がいて生活していた。ただ、ひどく蒸し暑いが。そして、料理の匂いも強すぎる。最初は良かったが気持ちが悪くなってくる。いや、そばに青蒼浄がいなければとっくに吐くかへたりこむかしている。給湯設備の故障というわりにはあまりに静かすぎる。こちらを驚かそうとしているならもう十分に驚いた。
いくら自給自足でも自家発電くらいあり、蒸気機関が現役でサイバー拳士ならぬスチーム拳士がアチョーとか叫んで飛び出してくるようなことはない。晨晨も零零も卒倒する。
 
 
返答はゴゴゴと重たい門が閉ざされる音。
 
 
入ってきた門の方角。駆け戻った青蒼浄が閉ざされた門を見ればそこには誰もおらず、赤い鎖でグルグル巻きにされた扉が。外から何者かがなんらかの術を用いて封鎖したらしい。赤い鎖には十センチ間隔で小さな一角獣メダルがついていた。逃げ場をなくした蒸気がそこで渦を巻き、肉匂が鼻につく。閉じる前は裏であった扉の面に、なにかが貼り付けられていた。確かめてみるとそれらはすべて削ぎ取られたか切り取られたかした人間の耳と鼻。
 
 
門は四つ。他に三つあるが、「そちらも封鎖されたとみるのが妥当でしょうね・・・・やられました」青蒼浄が呟く。油断、いや判断の誤りがあったことは認めるがどのみち、逃げるわけにもいかなかった。ただ、子供二人を巻き込んだことは悔やまれた。やはり置いてくるべきだったのだ。だが、こうなれば悔やんでいても仕方がない。このやり方で相手の見当も目的も見当がついた。せめてもの幸いが、相手の要求には足らねども交渉くらいは可能な品物を手にしていたことだ。「なぜ、このようなことをするのでしょう・・・・」
 
「求めるもの、仰ぎ見るものは同じであるはずなのに」
 
零零と晨晨の手をひき、円楼中央の広場に歩をすすめる青蒼浄。
「ここから先はみてはいけませんよ」二人の子供の頭巾を目まで下ろして視界を隠して。
 
 
そこには、軍団が待っていた。
 
 
同じ神を信奉しながら異教徒よりも遠く離れた存在。
 
 
鋼肉で膨れあがった神父、鉄で造られ銃器で彩られたシスター、真紅の短パン制服の少年コーラスカルテット(ただし顔は老人のそれ)、アンテナが何本も生えた奇怪なヘルメットをかぶって全身にマイクをぶら下げたグルグル眼鏡をかけた男女、口元に装着したマスクからひっきりなしに光る砂のようなものを排出している灰色の髪の少女、首と手足にエリマキ・チェーンソーを装備した煌びやかな和服のチョンマゲ怪人、十字に身体を固定させて異形の鳥を何十羽も休ませている男、装備も制服もバラバラで、いかにもわしら人数あわせに欧州の各国軍隊から持ち回りの当番できましたよ、といった芸術性の欠片もないステンドグラス軍人群、
 
奇妙なことに広場に足を踏み入れた途端、彼らが歌っている歌が聞こえた。
 
みもとにまつは くろかみけもの
 
しろくびふたつ もぎとりて
 
それは視界を隠されている晨晨と零零にもよく分かった。ほんとうは違う、音消魔法の効果を内包した教会の聖なる歌とかなのだろうが、碇シンジの耳にはそう聞こえた、を歌いながら、彼らがここで何をやっているのかは見えなかったが。青蒼浄の握る手が強く。
 
 
「雨農!梟路!」
 
 
広場中央、膨大な憤怒のように湯気をあげる巨大な人間が十人まとめて入りそうな釜の前では、軍団が見物する中、雨農という農作責任者と梟路という警備責任者のサイバネ拳法家が・・・・・戦っていた。しかも雨農が圧倒的に優勢・・・互いに素手、いやさサイバネ拳法家として肉体を改造している梟路の方が、拳法の心得などを差し引いても遙かに有利、有利不利をいうのも愚かなほどに、勝敗など考えられぬはずなのだが・・・
 
 
事実、青蒼浄が呼びかけて、「天主!?」その声に反応した梟路に大きな隙が出来たが最後、
 
 
ぐさ
 
 
雨農の手刀が梟路の胸板を突き破った。位置は心臓。即死である。農夫の手が突き破れるほど強化骨格は柔らかくはないはずだが、青蒼浄の目に映る事実は事実。
 
「梟路・・・・・雨農・・・・なぜ」
呼びかける声に、雨農は真紅に染まった眼球で応じた。人間の目ではなかった。大きく開いた口には牙が伸びていた。それから、倒れた梟路に血が噴き出す胸に飛びかかろうとした・・・ところで、いつの間に近づいていたのか獅子のような髪をもつたくましい神父に襟首を捕まれて、「最後の賭けも我の負けか・・・・」独り言にしては周囲を震わせる声とともに、巨大な茹で釜に放り込まれた。絶叫があがったが、聖歌に掻き消された。
 
 
いのちとまれと よびかける
 
ひとよおわれと よびかける
 
 
「これは・・・・・あなた方は・・・・・・」
 
青蒼浄の知識としては彼らの名は見当がついた。第二次天災時の混乱期に聖遺物の散逸を防ぐ名目で結成された、宗派というよりは部署名という方が正しい西欧十字円議・・・各地を転々とする難儀な護衛任務を果たしたことで法皇の覚えが大層よろしいという武闘派。そこの異能を揃えた実戦部隊、”獄歌”・・・・・崩壊前の杯上帝会に何回か交渉があったように記憶しているが、まだ手元に戻っていない現状でここまでのことをやられるほどの悪関係ではないはず・・・・やるにしても、こちらが聖杯を発見してからでも遅くはない・・・・いくら毛色が変わろうと同神系統には違いなく異教徒に奪われるよりはまだましだろう。それとも今回見つけた金華十字架のことが誤って伝わったのか・・・・
いや、そうではない。そうだとしたら、なんだこの異様な有様は。雨農が梟路を殺す理由がどこにあるのか。そして、これまで歌歌いながら見物していた彼らが雨農を釜に投げ込む理由も。狂っている。聖歌は聴いているだけで頭から金色の枝でも生やしそうだった。
 
 
「お戻りになられましたか。杯上帝会天主」
 
 
美しいが、その声は聖なる歌を途切れさせる。軍団の目が一気にそちらを向く。
薄暗くなった天より、空中ブランコのようなものに座ってそこにいた。
よく目をこらせば無音で浮く飛行体より糸が垂れているのが分かるが、そんなところに意識はいかない。全身を覆う黒いマント、白い肌、銀色の長い髪、赤い唇、その女の圧倒的な魔女ぶりをただ見上げるだけだ。
 
「お初におめにかかります、西欧十字円議・直轄戦闘滅殺魔法崩壊一角特殊機動歌唱部隊・獄歌隊長・アンプローズ・ピアスです。アンプとでもピアスとでもお好きな方でお呼びください、なんせ肩書きが長いものですから。あ。誤解がないように先にいっておきますが、この肩書きと同じく長たらしいマントの下は、裸・・・・・じゃありません。Tシャツとジーンズです」
 
非常にどうでもいいことを付け加えるのが最近の魔女の流行なのであろうか、せめてもの救いであったのがピアスの言語はイタリア語で晨晨と零零の理解の外であったことか。
 
「・・・・・どういったご用でしたか」
徹底的な蹂躙、こちらを従わせるつもりさえない文字通りの一集団を消滅させる殲滅行動。
表現はさまざまあれど、一語でいえば敵対。それしかない。ここにいかなる意味の友好もない。それでも組織最後の生き残り、長として天主として、取り乱すことなく襲撃者たちの長を見上げる青蒼浄幻帥。
 
「はじめは忠告に。別に上納金・・・じゃない、そう、会費をもらっているわけじゃないから教える義務はないけれど、そこはそれ、イン ノミネ パトリス エト フィリィ エト スピリトウス、サンクティ 父と子と精霊の導き、同じ宗教としてのよしみで」
ピアスはにっこりと笑み、つづける。その美声だけで異能の者たちを従え使役する
 
「聖杯が見つかったから、あなた達はもう苦労して探索しなくてもいいわよって教えに来たのに、信じてくれないから。実物を見せてあげたのよ。それでも信じないから聖杯をつかって一杯飲ませてあげたわけ・・・・・そうしたらねえ」
 
事態が想像できない。まるきりの嘘であればもっと整然としたものになっているだろう。
聖杯が見つかったから、それを探している組織に見せびらかしにきた・・・・忠告だとピアスは言うが、普通、これ以上探索するなというのが忠告であり、いらん苦労をすることないよと教えるのは親切というものだ。が、揃えもそろえてきた軍団の顔ぶれをみるにそれを頭から信じるのは不可能。
 
 
隔離された状況下での人体実験・・・・これしかあるまい。本物か偽物かの審議。
 
 
聖杯を使って一杯などと・・・・杯上帝会ではそのようなことには使用しなかった。
 
 
あれは内部の液体を保存するために使うもので、コップ代わりに使っていいものではない。
 
 
「あなたたちは一体何を・・・・」
言語がなにであろうと晨晨と零零に聞かせていいことでないのは確かだった。
 
 
「血が怪しいお酒に変わるみたいね
アレを飲むと」
 
 
「しばらく酔っぱらってるんだけど、酔い覚ましの水を欲しがるみたく、普通の血が欲しくなるみたいで・・・・・・なんてえか、アレ?いわゆる吸血鬼みたいな行動に走るわけ。でも相手の血をいくら飲み込んでも元には戻らない。飲まれた方も同じようになる・・・・腕力その他攻撃力は見たとおり、ただの農夫がサイバネ拳士を圧倒する。おまけに少々撃たれようと手足を切られようともすぐに再生するおまけつき。・・・・住人もなかなか頑張ったみたいだけど半日もたなかったわねえ。まあ、逃げ場所を封じられてたんだから無理もないか。さっきの彼で最後。発症から10時間27分。釜茹でにすると再生能力が失せることを5時間ほどで思いついて実行するあたりは・・・月笙、元マフィアの悪知恵のおかげとしても大したものよ。この宗派の耐久力は私たちが今まで壊滅させてきた中でもトップクラスだと思う。たとえ、信徒の75%以上が実は聖杯ねらいの他宗派からのスパイだったとしてもね。帰り道に見つけた金華十字架だったっけ、あれがまずかったなあ、聖杯よりもそちらの奪取を優先指示した宗派がけっこうあったみたいでバランスが一気に崩れちゃった。あの最後に残ったサイバネ拳法家も実は拝蛇系の宗派からの出向だったみたい。・・・内部崩壊と外部破壊、どちらがいいのか、わたしも一つの集団を率いる身としてなかなか悩むところではあるわね・・まあ」
 
 
話ながらピアスはマントの内ポケットからソフトボールくらいの白い球のようなものを取り出してそれを撫でていた。青蒼浄がよく見ると、それは縮んだ頭蓋骨だった。
 
 
「そのおかげで、連絡を受けて本部から駆けつけて後処理がわりあいに簡単に済んだわ。いやー、まさに小さな親切大きなお世話の見本みたいなものねえ・・・・・神よ」
懺悔のつもりなのかピアスはもう一つ小さな頭蓋骨を出してきては拝むようにした。
骸骨のキス、のようで非常に気色が悪い。そして、青蒼浄はもうひとつ最悪の予想をしていた。
もはや何をいってもしようがないとは思うが、あえて問うた。
 
 
「その白い・・・・小さな頭蓋骨は・・・」
 
 
「本物よ。ずいぶん煮込んだから縮んだけど、ここの人たちの頭蓋骨・・・・脳みそよりかえって頭蓋骨の方が情報としては取り出しやすいし読みやすいの。こっちの左のが月笙、右手が蜈蚣旗・・・信徒の悪党率高くない?それとも改心率かしら。まあ、はじめから欲しいのは一つだけで、こんなに集めるつもりはなかったんだけどね・・趣味と実益と仕事が一致したから・・・・ムダに捨てるよりはいいでしょう?綺麗に保管してたまには愛でるわ。骨の声が聴ける人間のそばにいた方が寂しくないわ、きっと」
 
 
「あなたは、あなたがたは、人間じゃない」静かに青蒼浄が告げた。
 
 
「あなたよりは人間よ。少なくとも、私は混じっていないもの。ねえミドー」
ピアスは笑みをたやさずに、獅子髪の神父の方を見やった。
手練れのサイバネ拳法家を倒した吸血農夫をたやすく食材のように釜に投げ込んだ男。
武の極みであろうそれに文人である青蒼浄は己に近しいものを感じた。あらゆる迫害をはねのける無敵の肉体。己はせいぜい害毒を浄化する程度の能力しかないが・・・・この大男は・・・・それ以上に、部品をそろえている・・・・・直感した。この大男は己を倒し喰らいにやってきたのだと。最強、そんなこの世ならぬ幻想を身に宿すために。
異能の源流、そこに至るために、遡る行為。それは本能。
己も以前はそのような存在であった・・・・・髪が蒼く染まった時、忘れていたが。
ミドーと呼ばれた獅子髪の男は何も答えない。そんな必要もないのだろう。
 
 
「頭は他の人間より多少はいいけど、毒を飲まされたり石壁に埋められたり銃で撃たれたり車で轢かれれば死んでしまう・・・だから、こんな高いところにいるの・・・・いえ、そうかな。共食いを宿命づけられて行うあなた達より、仕事なんかで共食いする私たちの方がおかしいのかもしれない・・・・その強い身体は左の頬を差し出すためにあるの?」
 
 
「・・・・先代の黒基督、会が崩壊した後に発生した粛正劇をご存じないのですか」
 
 
「いろいろあったみたいね。でもあれは聖杯の確保に失敗したからでしょう?こちらにもいろいろあるの。私個人、隊としては・・・あ、ここにいる制服バラバラの軍人たちはレンタルだから除外して、べつに聖杯をどうしても欲しいってわけじゃないけど・・・・手に入れたって報告をした後でやっぱりパチモンでしたってわけにもいかないの。・・・黒基督とかいう奴も相当なものねえ・・・あれほど凝った偽装なんて久方ぶりにかまされたわよ。念のため実験しといて良かった・・・・口をつぐんで黙って渡してもいいけど、上役がああなると今後の仕事にさしつかえるしね・・・・・こんなになってどう見てもイエスって雰囲気じゃないけど、聖杯、もらえる?ここから飛び降りて死ねっていう以外ならなんでもしてあげるから」
 
 
「こちらもまだ聖杯は見つけていないのです」
 
 
「・・・・今、連れてるその子たちが二つに割れたパーツをもってます、とかいうことは」
 
 
「ありません」
 
 
「みたいねえ。頭蓋骨の形を見ると知れきった嘘はつけないタイプだし。でも、無関係な者を寂しさ故に引き回すタイプでもない。何かの役にはたつわけだ・・・・・・聖杯には不老の力があるって本当?」
 
 
「・・・あるでしょう。杯の近くにあった黒基督はずいぶんと若々しかったですから」
 
 
「・・・よねえ。そういう奴は写真にとられちゃいけないわよね・・・。伝説で我慢できなくなるから。あー、仕事したくないなあ早く帰りたいなあ積みテープもたまっているし」
胸をそらし天を見あげて嘆息するピアス。そして、視線を下に戻した時、目は無慈悲に。
 
「じゃ、仕事するわ。一つの宗派がここに潰えるのだから、礼儀としてその終の光景を告げておく。杯上帝会天主を捕らえ、獄歌副隊長”王喰い”ミドーにその四肢を与え、その首を茹で頭蓋骨を獄歌隊長アンプローズ・ピアスが手に聖杯の行方を解析する。同行の幼児は・・・片方に聖杯を飲ませ標本として凍結捕獲、片方の頭蓋骨に尋問する!一角に化して者ども歌え!」
 
 
晨晨と零零の手を引いたまま青蒼浄が駆け出すのと命令は同時だった。
 
だが、戦力は圧倒的状況は絶望そのもの、敵の軍団の一番の下、レベルが低い者でも青蒼浄の戦闘力を上回っていた。基本的に文人である青蒼浄幻帥には戦う力がない。
逃げるしかなかったが、門を封じられてすでに地の利などない。円楼のあちこちで凄惨な、破壊と惨劇の跡が湯気にゆらめき悪夢の中を駆けているような、恐怖と無力感が三人を追う。
 
 
最後の望みは、天京の異変を感知して、前後期双方の杯上帝会が、そして青蒼浄幻帥が手足として頼りにする凄腕、足羅、手羅、鼻羅、頭羅、指羅、翼羅、そして蝦剥王・・・これらの六羅躯一王が駆けつけてきてくれることだけだが・・・・聖杯探索と布教、勢力範囲の拡大行動で帝会の守護神ともいうべき者たちが出払っているのは、この場合、吉と出るか凶と出るか。そもそもそのような博打すらうたせてもらえるかどうか。敵の行動は宣言したとおりに素早く迷いが無く情け容赦もない。色とりどりの武装ステンドグラス、レンタル兵士たちが人工生物のように無表情に追いかけてくる。命令された条件付けのせいか銃器を使ってこないのが助かるが、すぐに追いつくだろう。戦闘とも狩りともいえぬこの追跡に何を考えていても。四方はもちろん、天すら閉ざされている。が、あいにく地下トンネルなど掘っていない。逃げる場所など。
 
 
捕まればどうなるか既に説明を受けている。否応もないが。
 
 
そして、一室に追いつめられた三人は、捕獲されて広間に引き立てられ、奇怪な聖歌の響く中、ピアスの言ったとおりになる。
 
 

 
「シンジっ!何ボケッとしてんのよ!」
 
惣流アスカの怒号が意識を引き戻した。晨晨という小柄な視界が消えたと同時に聞こえたその声は新たな視界をひろげた。
 
 
「え・・・・・・」
 
 
そこは見覚えのある、エヴァ初号機のエントリープラグの中。LCLが満たされ自分は操縦桿を握ってシートに座っており、通信用のモニターから惣流アスカの緊張した、戦闘の高揚がない、鋭い眼差しが突き刺さる。真剣なのはいいが、いつもの、他の者たちをも奮い立たせるあの勢いの熱がない。金切り声はアスカには似合わないよ、と思ったがそんな場合ではないようだ。もう一つのモニタには綾波レイの無言の眼差しにはこれまたいつもの沈着冷静さが損なわれて揺らぎ、わずかに困惑のようなものを感じさせる。惣流アスカにはいつもあるものがなく、綾波レイにはいつもないものがある・・・。
 
 
真正面に広がる視界は建物などがない、夕焼けのだだっ広い水田地帯。田植えがすんだばかりの光景はのどかともいえるが・・・・ここにエヴァが立つ以上、行われるのは豊作祈願の踊りなのではなく、使徒との戦闘・・・・それしかない。自分たちの根城からわざわざ出向いて迎撃せねばならないのは・・・ごく自然に確認する現在装備はプログナイフとパレットガン・・・・なぜだろうか。確かにここなら思う存分に暴れられるが・・・
 
 
「ミサトさん」
不安と疑問が軽くぶつかった火花のように、つい口に出た。
だが、葛城ミサトの返答は思いも寄らないものだった。
 
 
「ショックなのは分かるけど、シンジ君・・・・・・集中して。あれはもう・・・エヴァ参号機はもう、使徒に乗っ取られて同化してしまった・・・・・使徒、敵なのよ。倒さないとあなたたちが・・・・・・やられる」
 
 
「・・・・え?」
いま、なんていった?エヴァ参号機?使徒?乗っ取られて同化・・・・
 
 
「・・・・しっかりしなさいよ!!・・・・・・ン・・・ごめん、アタシも落ち着かないと・・・・アンタとファーストは参号機を抑えてくれればいい。四肢をへし折って地に転がして。あとはアタシがやるから・・・・・一応、同じギルだしね。ミサト、それでいいでしょ」
軽く浮き立つ、抑制された声の裏に覚悟がある。
 
 
「ええ・・・・」
許可する葛城ミサトの声も苦い。その役目、誰が果たしても同じなら、自分が、と先手を打って告げた少女の思いに発令所が無言で呻く。
 
 
「・・・エントリープラグ内まで汚染が進んでいるとは限らない。パイロットは・・・・」
綾波レイの声には揺らぎ。困惑の揺らぎ。
 
 
「・・・・・・そんなに甘い相手じゃない。手心加えようなんて思ってたらアンタの方が殺されるわよ・・・・絶対にやめなさいよ。参号機がそのままの・・・内蔵された格闘パターンで動くのであれば・・・あのカスタムチューン・・・・」
 
 
 
「くるわよ!!」
戦域にエヴァ参号機、使徒認定された第十三使徒が、やってきた。
 
 
だが、碇シンジには人ごとに思えて・・・・しょうがない。映画でも見ているように実感がわかない。自分だけ舞台の上にたまたま迷い込んできただけの観客であるような。
使徒が来襲した、と聞いても身体が反応しない。その脅威に神経が作動しない。
 
なぜだろう?
 
エヴァ初号機は動く。シンクロ率も悪くない。・・・・・・ああ、これもまた、夢か。
 
自分の視点である分、認識が遅れたが。ほんとうのじぶんは、天主堂の扉をひらいている。
 
そこにいる。
 
ならば、これはかみさまのもてなしなのか。・・・・・・付き合わないといけないんだろうな。碇シンジは頭の片隅で夢を破る方法を考えながら、もてなしに付き合うことにした。
 
 
エヴァ参号機は戦域に入ると同時に装甲のステルス機能を使用、エヴァの巨体では信じられぬほどの隠匿率で姿が全く見えない。夕日なども効果的に使用しているのだろうが、動きがなんせ速い。ヒットアンドウェイで一対参などものともせぬ。厄介なのが相手の姿が見えぬことでATフィールドを展開するタイミングが完全に外されること。いいように後ろから前から横から上から蹴られ殴られた。その格闘の冴えは相手が見えていても捉えきれるかどうか目で追うことも厄介であろうに、透明人造人間となっているエヴァ参号機は一方的にエヴァ三体を翻弄した。格闘最強の四文字は伊達ではなかった。
 
 
だが、そこは使徒とさんざんやり合ってきたネルフ本部発令所である。
 
葛城ミサトと野散須カンタローと赤木リツコが対応策を考えた。
 
とにかく、相手の姿が見えないと話にならんので、かといってこの修羅場で「心眼に目覚めるのだ」とか言われても相都合良くいくわけもない。エヴァの巨体では信じられぬが田んぼに足跡をほとんど残さぬほどに軽い足取りで移動する参号機でも地を踏む音、振動まではさすがに消せなかった。赤木リツコ博士などはそのわずかな足跡を目当てにすればよい、と監視衛星の無断使用にとりかかろうとしたが、足跡は何度も踏めるし分かりやすい目印に頼って動けば向こうもバカじゃないのでかえってフェイントにひっかかりやすくなる・・・・・「なるほどフェイントね」あまりよく分かっていないインドア派の学者である赤木リツコ博士の顔が見れたりするのも夢の便利なところだなあ、と碇シンジ。
結局、戦域を碁盤上に区切って、参号機が踏んだ地点から移動先を”読み”、それをパイロット達に伝える、という方法がとられた。コントロールで動く戦闘ロボットみたい、という不平をいう余裕などないし、これがチームプレーというものだ。技術部もステルス装甲の弱点を洗い出し、ステルス性能を大幅に劣化させる半透明塗料・・・・まあ、ひらたくいうと広範囲に散布しても害にならないわりには対象物を派手に浮き立たせるペンキである・・・を作成し、現地に運び込む段取りを整える。
 
この先読みはコンピューターの独壇場、ではなかった。あくまで、マギと人間、葛城ミサトと野散須カンタローの合同作業だった。マギのみにやらせれば正解率は8割を切り、役には立たなかっただろう。刹那的な判断力はやはり人間の及ぶところではない。地に足をつけ歩き、その上で跳ね移動する人間の感覚がなければ。カンは葛城ミサト、音を聞き武術的観点から読むのは野散須カンタロー、1,2歩の動きなら野散須、3〜5歩なら葛城、それ以上になるとマギ。この連携がなぜ上手くいくのか発令所の人間は誰も皆不思議に思ったが、これはもう、戦職人の芸というしかない。的中率、ほぼ十割。九割でも実際にダメージを喰らう、目隠しされたパイロット達に信用されない。信用して動くかどうか、動けるかどうか、結局はそれが攻撃を喰らうか防ぐかの分かれ目になる。この反応が優れているのが惣流アスカで、以前も似たようなことを葛城ミサトの指示のもとやったことがあるが、防ぐのみならずカウンターさえ狙い始めた。銃器で撃ちステルス装甲をどこか一部でも破損させることができれば、だいぶ戦いやすくなる。
 
 
一対三・・・プラス、ネルフ本部人員数・・・・・卑怯でも弱虫でもなんでもない、勝たなければならないのだ。最初はいいように嬲られていたが、じりじりと・・・追いつめていく。参号機は連続移動のためか、恐れていたほどの攻撃力がないのが幸いした。こちらの装甲を穿つ必殺のストレートはなく、ジャブだけでこちらの体力と精神力を削る作戦なのかもしれない・・・・・・惣流アスカの口調に必死さから落ち着きがでてきた頃。
 
 
読みが外れだした。
 
 
参号機の現在地点、移動先より外れているはずなのに、攻撃を喰らう!衝撃の加え具合は先ほどの同種類、拳や蹴りによるもので、飛び道具や銃器によるものではないし、まさかそんなものにまでステルス機能はつけておるまい。
 
 
この読み指示の外れというのは、パイロットの信頼感を大いに損ねて動きを悪化させる。
この下げ幅が一番大きいのもまた、惣流アスカの弐号機だった。それを見て取ったのか癇癪を破裂させるよう、させるように、弐号機に攻撃を集中させてくる参号機。
こうなると、今までうまくいっていたリズムなどが一気に狂ってくる。ペンキ散布にはまだ時間がかかる。
 
 
ぼきん
 
 
お前達に動きなど読まれるはずがないだろう、愚か者が。かかか。その混乱をあざ笑うかのように・・・・零号機のバックをとった参号機は・・・読み指示はあったのだが、綾波レイの反応が遅れたのだ・・・・・零号機の左腕を逆ねじってへし折った。一瞬停止してステルスを解いたのか、漆黒の参号機がニヤリと口をあけて笑うのを見た。姿はすぐに消えて零号機も解放されたが、「く・・・」エヴァとシンクロしている綾波レイが苦痛の声を漏らす。もう遅いが反射的に駆けて助けようとした初号機と弐号機の顔面にケリが飛んで、ぶざまにひっくり返る。初号機の顔面を発射台にして弐号機の元まで三角跳び蹴りを食らわした・・・のか、相変わらずステルスは完璧。飛ばれた日には全く読めない。
 
「身が軽い、などというものではないがの、これは・・・」
「ワイヤーアクションとでもいうの・・・・カンフー映画じゃあるまいし・・・」
野散須カンタローも葛城ミサトも一瞬、絶句する。自分たちの読みには自信があるが、それが実際に外れてしまえば、意味がない。パイロットの信頼を失えば、それ即ち敗北。
 
 
葛城ミサト達の指示が違うのか、その読みをさらに読まれて凌駕されているのか、それともただ的中率が下がっているだけか・・・完全に外れるならまだ他の対応もあるが・・・・その中途半端に惣流アスカなどはつけ込まれる。信頼の故に。再びマトにかけられる。
 
 
夢とはいえ、殴られ蹴られればなんか痛いし腹も立つので懸命に考えてみる碇シンジだが、・・・・・・いい知恵は浮かばない。ここで素人ならではの玄人では思いも寄らぬ解決策をひねりだしたりするのがお約束だと分かっているのに。
 
 
しかし、この解決策もやっぱり専門家が考えてくれた。それが仕事であるから当たり前といえば当たり前だが。しかも発案者・日向マコト。最初はおずおずと、状況が状況であるし悪鬼羅刹も道を譲るよな面構えの今の葛城ミサトと野散須カンタロー相手に滅多なことをいえばどうなるか・・・給料カットくらいではすまないだろう、命にかかわる・・・だが、この現状を打破するべく、意を決して己の見立てを告げる。彼でなければこのことを考えつきもしなければよもやこの二人に口に出したりしないだろう。己の損をも越える彼ならばこそ。
 
 
「もしかして、手足が伸びてるんじゃないですかね?海賊君みたいに」
 
 
という勇気ある一言が言えた。そうなると攻撃レンジがだいぶ変わってくる。それを折り込んで読むのとでは大いに違ってくる。読みが正確なだけに。己の実力に自信がある上司がこんなけったいな一言を受け入れるかどうか・・・・目下に方針変えましょう、といわれて即座にはいそうですね、と実行できる人間は少ない。熟考のうえ受け入れるのは少なくないだろうが。参号機はカスタムチューンなだけにデータも十分ではない。手足が伸びーるなどと公式スペックにはない。が、
 
 
「そうね!!でかした日向君!!」「なるほど!!その手があったかの!!」
 
 
あっさり受け入れる葛城ミサトと野散須カンタロー。マギは判断保留だが葛城ミサトが「そういうのも頭にいれといて」と命令すればおわる。なんであっさりそういうことを簡単に受け入れられるのか発令所の人間は不思議でしょうがなかったが、それが正解だった。
真偽をかぎ分ける嗅覚というものがあるのかもしれない。
 
 
そこから先、また盛り返した。予想レンジ外からの背後攻撃というのは喰らうと恐怖であるが、それが分かっただけでだいぶ軽減される。相手の手が見抜けると、数がものをいう。
ペンキ散布隊が第三新東京市を発進し、指示を完全に信頼することによる瞬発力を生かして惣流アスカの弐号機は参号機をだんだんと捉え始めてきたし、それに、綾波レイ。
 
 
「てんをやぶりて むはいなる」
「ちをひきさいて むはいなる」
 
 
 
 
「かのものやまず とどまらず」
「ひとにまじわり とどまれず」
 
 
戦いの中でほんとうに心眼に目覚めたらしく、お経めいた奇妙な文言をぶつくさ唱えていたのを碇シンジだけが聞いていた。弐号機をかわすついでにもう片方の手を折りに来た参号機の右腕を零鳳で居合い斬った。ぼと。落下する黒い腕。本体から切り離されてはステルス機能も性能を発揮しないらしい。
 
 
「おお!!」ちなみに、見てるだけの碇シンジ。見てるだけでも胸がすっとする。
当初の悲壮感がなくなったわけではないが、ここまでボコボコにされてそれを完全の形で維持できるのは聖人くらいであろう。まあ、斬られたのは腕だし。
 
 
・・・・・・そろそろこの夢も終わるかな、と思った碇シンジ。あまり気味のいい夢ではない。先ほどの夢もいいかげんピカレスクというかグロテスクというかアレだったが。
 
 
参号機のパイロットと戦うなんて、ことにはならない。これは夢なのだから。
 
 
そして、右腕を切り落とされた参号機はステルス機能を止め、姿を現した。
エネルギーの問題なのか右腕を落とされたことが原因なのかは分からなかった。
 
 
ただ、発令所の誰1人、あれほど正確な読みをみせた葛城ミサトたちでさえ、それが参号機の意思による行動であるとは思わなかった。ステルスは頭に来るほど完璧であったし、その利点を好んで止める理由など考えつかなかった。
 
 
夕日を背に、黒い魔僧のように、うっそりと立つ参号機の姿に、脅威は感じなかった。
 
同じくエヴァであるが、いや、同じエヴァであるからこそ、こちらは三体。数の差がある。
そして、三体のエヴァは今までイヤになるほど使徒を仕留めてきてもいる。
パイロットが内部にいることに悩みはしても、恐れる理由はどこにもなかった。
 
 
まさか
 
 
その姿を現した参号機に、零号機と弐号機がまともに反応することも許されずに、
 
 
エントリープラグを”スリ盗られる”などと。
 
 
このような戦いを挑まれたことは・・・・・・かつてない。これほどたやすく、パイロットの生命を手中に握られたことは。延髄中枢を抜かれたことで、がらくた人形のように崩れ落ちる零号機と弐号機。
 
 
ニヤリ。参号機があざ笑う。強さでいえば・・・・姿を現した方が、十倍も、百倍も、強い。形容するのもばからしくなるほどの、黒い疾風。ただ一吹きで全てのものを破滅させる死神の息吹。
 
 
ベキベキベキベキベキ・・・・・
 
 
制止する間もない。参号機の手に握られたエントリープラグは、その内部にいるパイロットごと・・・握りつぶされた。そこには圧壊した金属の筒があるだけ。
 
 
ひとがなかにいるのに
 
ひとがなかにいるから
 
ひとがなかにいたのに
 
ひとがなかにいたから
 
 
碇シンジは叫び、同調したエヴァ初号機も吼えた。その咆吼は聖書にある城壁を崩すラッパどこではない、ラジエルを百体召還するよりも凄まじい音波兵器となり、戦域を満たす不可視の破壊の力はかわしようもなく装甲にヒビを走らせ参号機を砂人形のように崩していく・・・・・そこでもう一度、参号機はニヤリと笑い・・・・・・・己も歌い始めた。
 
原初の本能のままの叫びよりもさらに力を集中させ意のままに操る・・・・戦歌を。
 
戦域全体に破壊力を拡散させるような無駄なまねはしなかった。取り入れるのは本質のみ。
届かせるは聞かせるはエヴァ初号機のみ。これが戦闘センスの差というものだ。
エヴァ初号機の装甲が砂と化して流れ落ちた。力と技。参号機は自らの歌で防御すらしてみせているのに、初号機にはパワーはあるがそんな器用な真似は出来ない。標的ではありえない倒れた弐号機と参号機の装甲も振動劣化してきているくらいだ。
 
 
このまま押せば・・・・・最後に勝つのは・・・・・・・
 
 
 
「ああ・・・・」
 
 
たとえ夢でも、たとえ目の前に鏡が無くとも、自分の目の色が夜雲色になってきていることくらいは分かる。叫ぶのを止める。参号機もそれに合わせて戦歌を止めた。小細工はすぐに真似されてさらに上手をいく技で返される。それなら、真似などできないことをするしかない。誰にも、自分にしか、エヴァ初号機にしか、できないことを。
 
 
碇シンジが
 
 
「しでんらいきが ひきとめて」
「しでんらいきが ひきさいて」
 
 
「みちのくらやみ てらしだし」
 
 
今頃ではあるが、盲目の無線技師の電文を受信して
 
 
やろうとしたところで、夢が覚めた。
 
 

 
「よう、やっと起きたか」
 
 
かけられた声に、はっとする碇シンジ。目覚め我を取り戻した明瞭な覚醒感が背を伸ばす。
ここは光馬天主堂の内部。ずらりと並んだ木製の長いすの一つに座って眠り込んでいたらしい。どのくらいの時間が経ったのか、窓からは夕焼けに似た赤い光が差し込んでいる。ただ、夕日ではないらしく光にはうねりがあり、目を射す点滅も混じっていた。
 
 
「あ・・・・・」
 
 
声のした方、前方の説教台のある祈り場を見る。そこには、思いも寄らない人物がいた。確かに、人、であるはずだが、直立も座りもせずに、四つん這いになって長い髪、窓からの奇妙な赤光を受けて何色だか判別しにくい輝きがある、が顔を隠しているが、確かに。
 
 
「明暗・・・・さん・・?」
 
 
エヴァ参号機専属操縦者・フォースチルドレン、黒羅羅・明暗。
 
 
こんなところに、なぜ、いるのか。自分にそんなのんきな声をかけてくるのか。当然のように。なぜ、渚カヲルがここにいないのか。まだ用事は終わっていないのか。なんでそんな獣みたいなポーズでいるのか。疑問は雲のように湧きかえって言葉にならない。
 
 
ただ、じっとその姿をしかと見る。見入る。疑問の解決には何一つならないが。
 
 
床につけた両手の間に、何か丸いものが・・・・・・ふたつ、あった。影になりよく見えないが。大きさは・・・・そう、ちょうど人の頭くらいだ。人の・・・・「首」
 
 
渚カヲルと
 
 
レリエルの
 
 
首が二つ、ならんでいた。何の表情も浮かべず、ただ。
 
 
首がならんでいた。