「いずれはそうなる・・・なるかもしれないが、まだ早い。まだ先の事だろうね」
碇シンジの魔球になりそこねたような変化球返答に綾波ナダは怒りも呆れもせず、まんざらでもない顔を見せてきた。断定口調ではないが、その歯切れの悪さを楽しんでいるかのようで、碇シンジごときにその心中など見通せるわけもないが、とりあえず処刑はまぬがれたことは察知できたので安心する。もとより、呼ばれてきたのに会えもしなかったのだ。叱られるスジはどこにもないが、過去のやらかしがどれくらい勘弁されているのかは本人が計算できるはずもない。
「まあ、妙なことを聞いちまったよ。それから、呼びつけといて話もできない体たらくにはあんたもずいぶん往生しただろうね・・・すまなかったね」
見合い写真ではまさかなかっただろう合成画像を片づけると、綾波党党首はきっちりと頭を下げてきた。返答にも反応にも困ったが、「いえ、回復されて何よりです。お仕事のこともあるでしょうけど、綾波さんのためにもどうか、ご自愛ください」ここは嘘も芝居も見栄も必要ない。本音で受ける碇シンジ。目の前にいるのは綾波レイの祖母。それだけ。
「党のことなんざ、あんたには何の興味も脅威も感じてない。孫のことだけだろう?」
頭を戻しながら、赤い瞳が見上げてくる。深淵に引き込まれそうな重力を伴って。
異能の強者どもを悉く従える大将星の輝き。一般人が浴びたら魂が消し飛ぶ妖光。
「い、いや〜、綾波さんのご実家のことですからまるきり興味ないというわけではないですし、昔いろいろとご迷惑をおかけしておりますし、助力を求められましたら、浅学非才無力の若造の身ではありますが、粉骨砕身する覚悟はあります!」
それを直撃されようと、普通に碇印の鉄面皮で反射する碇シンジ。つまりはペルソナ。
前半から後半からの流れるような演技。技術点芸術点ともにかなりの高レベル。
覚悟はあっても実行するとは限らない。そんな契約はかわしていないですし?よね?
「まあ、あんたはそれでいいさ。父親と違って椅子に座って指示する、とか耐えられないタイプだろ。そのあたり母親の血が強いのかね・・・必要とあれば、行きたいと思えば、どこにでも出向いていって、鬼にも悪魔にも外道にも極道にもなる・・・」
「・・・あの・・・そこは、ひとつくらいなんかいいもの、といいますか、仏、とか、神とか言いませんが、なんかもっと、正義サイダーとか・・・人民騎士とか・・・」
「いや、それは無理だろ。あの父親とあの母親から生まれたんだ。基本的にてめえ勝手で迷惑な存在だろうよ。自覚はあるんだろう?いくらなんでも」
「はい・・・・気をつけます肝に銘じます・・・・」
「そうなりたいならなりゃいいが、そのつもりじゃなかった、てのが一番厄介だからね。
なんかやらかす時はよくよく考えておくれ。・・・・あんたたちみたいな力の強いのは短命なのが自然のバランスなのかもしれないが・・・勝手な願いだけど、孫には同じくらいの長さには生きてほしいのさ。できたら、手助けしてやっておくれ」
「そんなの当然ですけど?
やるに決まってますけど?自然のバランスとか知ったこっちゃありませんけど。綾波さんは長生きしますよ絶対」
「ふん、絶対ときたか・・・・ま、ありがとうよ。そう言ってくれるんなら安心だ」
「なんか他人を守って盾になって落命しそうな感じではありますけど、そうはさせないってところですよ。他の皆さんも同じ気持ちでしょうけど、僕だってその一員ですよ」
「それをウソ偽りなく実行するなら、孫のすぐそばにいなけりゃならないんじゃないのかね?」
「大丈夫ですよ。綾波さんならピンチになっても援軍が駆けつける前にやられることはないでしょうから、そこは信用してますから〜・・・・・
これは雑談なのかある種の口頭試問なのか、分からないが、するすると言ってのける碇シンジ。つまり、あまり考えて返答してはしないのだ。あなたの愛する孫はそういうひとだと評しているともいえる。ぬけぬけと。僕のかんがえるしんじる綾波レイ、というやつで。
「それで、僕をお呼びになった用件のことですけど」
一通りそのような対話をして、碇シンジの方から切り出した。暇乞いというか、しんこうべを離れる許可というか挨拶を。用件というならもう用なしになったはずなのだから。
いつまでも女学院に通うわけにもいかない。というかまともに授業を受けたこともないが。
そんな光景、マリアさまに見られても綾波レイには見られたくない碇シンジであった。
同じ教室で隣の席で授業を受けたり、部活に勤しんだりとか・・・まあ、罰すぎる。
なぜ共学でなかったのか・・・・いやまあ、単に安全地帯であることを最優先したのは理解できるけど・・・おかげでナツミちゃんにもついてきてもらうことになって。さすがにそろそろ自分とこのホーム中学に戻らねば。ここがアウェーとは言わないけど。
とにかく、もう帰らせてもらってもいいだろう。今日もそのつもりで呼んだのだろうし。
用済みになったからとっととおさらばしろ、などとは言われまいが、タスク的には同じなわけで。
「それはもうすんだじゃないか。なかなか貴重な意見をもらえた」
「え?」
「花嫁衣裳のことなんかまったく分からん外縁層からの意見も貴重だからね。参考にさせてもらうよ」
「そ、そうですか・・・お役に立てたならうれしいんですけど・・・」
あれで役に立てる状況、局面など本人にも想像つかないが、そう答えるほかない。
文言だけで判断すると、思いきり他人事、可能な限り関わりたくないテイスト満載でした。
いや、明らかに綾波レイではないひとも含まれていたし、あれでどうしろと!?
処刑を回避するしか考えていなかった。眼球に焼き付いた映像はあえて脳から削除ずみ。
「身内というか親の、祖母の欲目ってのがどうしてもあるからねえ。時代もあろうし、和風西洋にこだわることもないのかもしれないしね。ともあれ、貴重な意見をもらった代価を払わないとならないね」
いえ、むしろこちらから支払わせてください!と危うく言い出しそうになる碇シンジ。
あんな奇声でお代をもらってはなるまい。いくらなんでも。世の中それほどちょろくない。慟哭せえるすまんが訪問しかねない。とはいえ、年長者がくれる、というものを断るのも礼儀に反する。受け取らなかったらなかったら困ったことになりそうだし・・・
「うちの孫に接待させるから、のんびりすごしておくれ。2週間ほど」
ドーン!!ときた。やはりラスボス。油断も隙もあったものではない。じぶんの心臓が絶好調なのかもしれないが、客の心臓も気をつかってほしい!・・・幻聴、聞き違いではないよね?
「綾波さんに接待されて、まだしんこうべで2週間過ごさににゃならんのですか?」
いちおう確認。確認は大事。中学生に放ってよいワードじゃないでしょ・・・そういうの教育に悪いと思いますよ・・・世間知らずの身の程知らずのイヤミなボンボンになったらどうするんですか、いや出っ歯の師匠は関係なく。
「イヤかい」
確認しても本当だった本気のようだ。マジ卍、というのはこういう時に使うべきだったか。
もちろん口には出せないけど。腹の中で30回ほど唱えてみる。
「イヤというか、綾波さんが嫌がるというかやりたがらないといいますかそれどころじゃないでしょうし・・・・あ」
なにか適当な反論を探しながら見当がついた。それは当然、建前であり、多少のからかいも入っているのだろうけど、内実は、綾波レイに「休みをとらせる」ことが主眼。
会社設立後の綾波レイは取締役社長として、忙しく働いているのだろう。学校もいかずに。
まともに食事とかしているのかも怪しい。睡眠もちゃんとしているのかお肌の手入れもしているのか、たまには学友とおしゃべりしたり帰り道ハンバーガーショップに寄ってコイバナをしたりとかしているのか・・・・そもそも自分とも話していない・・・こっちから強引に話しかければ相手はしてくれるだろうけど、邪魔もしたくないしそう思われたくもないわけで・・・。なんというか、もともと綾波レイは決して青春を謳歌してる系のヒマをモラトリアムしてる系のJKではなかった。党関係の業務、病院関連の仕事やらかなり忙しい身だったはず。そのうえ、人造人間を従業員にした会社の社長とか・・・背中を押してまるきり無関係というわけでもないが、それがさらなるハードワーク生活に?がるとは・・・・諸葛孔明なら見抜いていただろうが、碇シンジには予測できなかった。
単純に世界中飛び回って冒険や探検に近いことを含めてタフネゴシエーションの日々で疲労度マックスのはずで、常識的人体的に考えて、長期休暇をとるべきところを業務マシマシにしているのだから・・・どんなバカが考えてもヤバい以外の結論が出るわけがない。
「この碇シンジ、一生の不覚・・・・・!」
独眼竜っぽく言ってみたが、血管の浮きが足りてない。ただ、この調子で綾波レイが過労死・・・まではいかずとも体調を大いに崩してしまったら「オドレ何しにいったんじゃいゴラ」、ということになり、このまま第三新東京市にもどってもネルフ総本部に入れてもらえないかもしれない。たとえ離れようと第三新東京市、ネルフ総本部がアヤナミストの巣窟であるのは変わらない。大っぴらに看板をあげたりしていないが、かなりやばい。
秘密裁判にかけられて槍で串刺しにされるかもしれない。連座してナツミちゃんまで茨の冠をかぶせられるようなことになったらあんまりだ。こういう点、アスカのファンの方が対話が通じる分だけまだまし。それはともかく。
「分かりました、接待されましょう!2週間ほどのんびり!」
アルティメット級の茶番ではある。が、党首のナダが命じれば、綾波レイも断れない。
が、おそらく綾波レイには「碇シンジのやつがどうしても綾波レイ直々に2週間ほど接待しないと第三新東京市に帰らないとゴネているゴネまくっている」的に伝達されるのであろう。完全に世間知らず苦労知らず人の心知らずの三拍子そろったイヤイヤぼっちゃまであった。あまりのキツさに断りそうになったが、それでも綾波レイの健康には代えがたい。
なるべく嫌われたくなどないが、碇シンジは男でござる!涙を呑んで引き受けた。
アルティメット茶番ではあったが。
それでも、ここはてめえ一人が犠牲になればいいのだから鈴原ナツミは解放してあげられる、ついてきてくれと土下座までしといてアレだが、少し気持ちが楽になる・・・などと思っていたら「それと助手の子、鈴原ナツミか、もしかするとマトにかける奴がいるかもしれないから調べが終わるまではまだ帰せないね」などと言われてしまった。積極的に安全の保証をしてくれようとしているわけなので文句も言えない。けど、なんて説明すべきかなあ・・・まさか「一緒に接待受けてほしい」とも言えないし・・・「綾波さんのリラクゼーション担当を任されましたので一緒にがんばりましょう!」・・・も、嘘くさいし深紅すぎる嘘だけど。そういえば、天京のアスカもちゃんと休みとかとってるのかな・・・・いったんやりだすと停止せずにえんえんと3交代で仕事漬け・・・ありそうだなー・・・
そんなわけでしんこうべ滞在が強制延長された碇シンジ。もとよりダブリの身、留年落第も皆勤賞パーも怖くない。鉛筆拾う者なし。
「”あの”綾波さんに”のんびり”してもらわないといけないのか・・・・なかなかの高難易度ミッションだな・・・・」
スネーク気分でソリッドな男の横顔で去りゆく碇シンジであったが、せっかく運んできた味噌汁は別室で品定めしていた党幹部、聖母派、聖レイ派、聖事派、アンチレイ、外綾波の面々に一滴残らず飲み尽くされたことなどつゆ知らず。
「実は、・・・・・・・・・でして」
帰り支度を済ませてあとは自分を待つだけのスタンバイ状態の鈴原ナツミに事情を説明するのはなかなか心苦しいものがあった。罵声プラス平手の2,3発は覚悟のうえで、頬を差し出して目をつむっていた碇シンジ。
「はあっつ!?これで帰れると思ったのに!そのはずですやん!シンジはんだけおればええやろ!!うちはもう実家に帰らせてもらいます!いやその前に!ビンタの2,3発かましたらんと気が済まん!」
とか吠えられて、ばしーん!とやられる、やられる、ほらやられる、それやられる・・・・あれ?・・・・なかなか来ませんね・・・ダメージを倍増させるためのフェイント?・・・薄目をあけてみると、首をひねった鈴原ナツミの目があった。
「・・・なんのポーズですか、シンジはん。兄が親友なんで要配慮ポジションのうち以外のモンやったら遠慮なくキモいとかゆーてますよ?」
「それはもう実質言っているような・・・・あれ・・でも、怒らないの・・・?」
綾波レイには頑固にして強固な幻想を年中無休で見ているらしい碇シンジ眼であるが、それ以外の「世の女性」は葛城ミサトを筆頭に、奥ゆかしさとは正反対な行動をすぐとる・・・とりがちであることをネルフ職員男性陣から伝授してそれなりに悟っているため、被害計算し鈴原ナツミもそういうものだろうと予測していたのだが。怒りを抑えて誤魔化しているかどうかくらいは分かった上で。
「いや、そりゃ2週間は長いとは思いますけど、綾波先輩のお祖母はんがそう見立てたんやったらそうなんでしょうし、休めと言われて素直に休む性格やないでしょうしね・・・仕方ないんと違います?」
「ナツミちゃん・・・・!」
恐怖から解放され、ばっちりと開眼する碇シンジ。「ありがとう、ありがとう!そう言ってもらえて僕は・・・・僕は・・・・」
「周りから見れば、綾波先輩ご指名で接待させるとか、完全に調子のりくさったクソガキというか、少年漫画でいえばお金持ちのイヤなお坊ちゃまで最後には痛い目にあったあげくにヒロインには盛大にフラれてざまみろ展開になるやつですしね・・・・そんなん引き受けるとか、シンジはんこそ真の勇者ですわ」
「ぐうっっ!!」
ぐうの音が出た碇シンジ。事前に覚悟完了していたもののキツイ。のび太くんになりたいとは思わないけど、スネ夫ポジションもそれなりにつらい。お金持ちでもつらい。
いや、スネ夫はしずかちゃんにフラれたわけでもないから、それ以下か。
「ふつうにスケープゴートというか、憎まれ屋というか、後ろから刺されるんとちゃいます?」
「勇者じゃなかった!・・・・えらいこと引き受けてもうた・・・どないしょう・・・い、いや、それでも綾波さんに安らぎの時間を得てもらえるのなら・・・!」
「ま、ゆうても?接待いうからなんかやらしいですけど、学生らしい金があんまかからんおうちデートとか、公園でぼけーっとするとか、ゲームするとか、映画館で居眠りするとかマンガ喫茶で全巻読破するとか、お菓子たべながら無駄話するとか、名所めぐり街歩きとか、そんなんでええんやないですか?」
好きな相手となら、何したって楽しいもんで、エネルギー充電できるもんですよ、などとはさすがに恥ずかしくて言えなかったが。坂の上の雲めざして未来に疾走しようとしている綾波先輩の目にはそんなの時間のムダ、寄りかかってくるのもうざったい、と映るかもしれないし。相手のウザさを我慢できる、または気にならん程度で許容できるというのは
かなり人を選ぶんやろうけど、そこはさすがのお眼鏡というか、余人で代えがたい。
ただ、人間である以上、休暇は必要のはず。それか、いらん世話やけどお祖母さんとの時間を増やすとか・・・も、ええんやないやろか。そんなに急いでなにをおいてけぼりにするの?なんて、偉そうにいえる立場やないけど。うちはあくまで助手というかおまけやし。
「そうか、そうだね・・・・そういうのでいいんだ・・接待だからって・・・」
なんだか声のトーンが怪しい。こいつまさか・・・・








「高級旅館で女将の恰好した綾波先輩としっぽりとか、チャイナドレスの綾波先輩はべらして役満連発の麻雀とか、これまたきわどいミニスカのグリーンの妖精めいた綾波先輩とホールインワン連発のゴルフとかさらにさらにバニーガールの綾波先輩とロイヤルストレートフラッシュしか出ないカジノ卓でウハウハとか・・・そんなコト、考えてたりしませんよね?シンジはん?」
目が逃げた。高速で視線が泳いだ。「そ、そんなこと、一ミリも考えたことないけど?」
子供なのかオヤジなのかよく分からないイメージではあったが、鈴原ナツミにしても適当に言ってみただけなのに、この反応。さすがに実現はできなかっただろうが、考えるくらいはしていたらしい。まあ、バニーガールはみんな大好きだから仕方ないが・・・・
接待するのは綾波レイであるから、どう仕掛けてくるのかこれまたさっぱり分からない。
祖母の命令であるからまさか断りはしないだろうが、碇シンジの好感度がまさかこれで上昇するはずもない。その点、すでに碇シンジの魂は盛大に血祭りにあげられているといってよい。