♪ごめんね今夜 急にだめになったの 怒らないでよ わたしだってつらいんだから♪
一か月ぶりのデートだから、ではなかった。そもそもこれはデートではない。
けれど、碇シンジはそれなりに中坊なりに、ではあるが、ばっちりキメていたのに。
綾波レイからの「接待」、・・・響き的には淫靡なものがあるが、実際は祖母の綾波ナダから命じられて、ワーカホリック進行形過労死ルート爆走中の孫娘をなんとか一時停止、つまりは休み、休暇をとらそうという企みであった。実の祖母であり上位権限者でもある綾波ナダが休みを取るよう命じればよさそうなものだが、「それはどうもやりにくい」というかやりたくないらしい。孫に遠慮している・・・それもあるが、自分が若いころそうであったので、聞く耳もたぬというか、偽装をして業務継続するなど無駄かついらん苦労をやらかすのが分かっていたので、別の手段を用いた。なんせ実の孫である。気性は知れきっている。人生経験、男と女の実戦経験もイヤというほど積み上げている。どうすれば孫を納得させられるか、どういう手を打てばいいのか、病み上がりだろうと即座に思いつき実行する。そんなわけでしばらくとどめ置かれた碇シンジ。期間はざっと2週間。
学生的にいえば夏休みの半分、冬休み程度、ということになろうか。社会人的には信じられんほど長い、という認識にいずれなるのだが・・・・精神的にも肉体的にも高重圧下の探索行の疲労がぜんぜん回復していないうちからの会社立ち上げ業務に加えてこれまで己がやっていた医療業務もこなし、であるから体が壊れない方がおかしい。「学校は休んでいるから大丈夫」などと本人は言うのだが、そんなわけがない。完全に疲労認識機能がマヒしているやつで、最後にはバタンなりぶちん、なり、救いようのない擬音を発してくたばるやつであった。医者の不養生極まれり。ただ、ストップをかけられるドクターがいないのも事実であり、タオルを投げたところで綾波レイが止まるはずもない。
坂の上の雲をめざしてマッハゴーゴーで駆けあがっていく彼女を、誰も止められない。
ネルフのパイロットではなく、綾波党の後継者でもなく、零号機とともに、世界の中でともに生きる生きていく、己の、己だけの運命の星を見つけて見つめる燃え上がるその瞳の輝きは誰にも邪魔はできない。できはしない。
それを碇シンジはやらねばならぬ。完全に足手まとい、邪魔者、名前の通りの「碇」。
己が港になって彼女を懐で休ませねばならぬ。演歌的だけど、呆れられ、評価さげられるやつ。まったくもって主人公のやること、やっていいことではないが、綾波レイの健康のため、いたしかたない。接待を受けるふりして、綾波レイを休ませねばならぬのだ。
誰かガツン、と綾波さんに言いなさいよ!言ってくださいよ、「休め!!」って。
「体を大事にしろ、仕事もほどほどにしなさい」って!!・・・僕も言いたくないけど!
もてなしで相手をアゲるのが本来の接待であろうけど、これは接待する側をのんびりさせねばならないのだから、逆接待ともいえぬ掟破りの「何か」であった。
碇シンジとしてはこんなこと2度としたくないのでこの行動に名前などつけたくなかった。だが、ダブリの中坊である碇シンジは知らない。これがうまくいってしまえばずうっとこの「係」にされてしまうことを。それが世間様の掟であることを。
だが、失敗する気はない。綾波レイの健康長寿のため、なんとしても、なんかイイ感じで、のんびり気をぬいて休んで体力気力を回復してもらうつもりだったのだ。いや、気力はハイパー無双状態だからいいのか・・・しかし難しい、相手は正反対のことを考えてこちらに正対するのだ。テンアゲにもっていこうとしているのだ。大金を使ってしまってもいろいろ豪華プランを考えてくれているに違いない。しかし!それに乗っかって楽しんでしまうわけにはいかぬ!いかぬのであった。
そんなプランを台無しにして、骨抜きにして、ぐだぐだにして、なんか時間を無駄にしてました、展開にもっていかねばならないのだ。・・・・非常にむつかしい。というか、これを実行できるとか、マジモンのジョーカーじゃない?極悪人じゃない?クレイジー狂気じゃない?邪神と共鳴してるとかじゃない?ちゃぶ台ひっくり返しとかひどくない?
気分が奈落に落ちていく碇シンジ。だが、それでも、やらねばならない・・・・
体調万全の綾波レイと高級ディナーを一晩、とかなら天国なんですけど、逆ですからね。
本人が暴走状態と思っていない暴走を止めるって大変なんだよなあ・・・・因果応報とは思っていない碇シンジは知恵熱を出しながらも溜息をつくことはなかった。さすれば心優しい鈴原ナツミに心配をかけてしまうからだった。まあ、実際にそこで相談していれば
「なに超高難易度ミッションに挑むようなしょっぱい顔しとんですか、いっしょにのんびり過ごしましょ、いうてもOKはでんでしょうけど、なんか腹壊してもうてどうーしても綾波先輩にそばで看病してもらいたい!してもらわんと絶対になおらんー!帰れへんー!って言えば飛んできてくれるでしょうから、こんな楽々ですやん!」
「・・・・・僕のプライドがかなり傷つくんですけど?」
と全く同意は得られないのだが。「介護イベントじゃないんだから、そんなのうまくいくもんか」子供が熱を出しまして、とか、おかあさんじゃないし。
自分の恰好や対面がなんとか保たれつつ、綾波レイのメンツを潰さずなんとかほっこり、心がぽかぽかする時間をともに作り上げていきたい・・・・なんともムシのいいことを考えていたのだ。それこそ脳をフル回転させて。パワーや勇気で解決できない問題の方が世の中多かったりする。恋と仕事の両立はパワーで押しきるしかない、とか綾波レイが考えているかどうかは別として。ひたすら考え続けた碇シンジ。その高速思考の中で逃げてしまう、バックレを考慮しなかったわけではない。
それもかなり考えたが・・・・
そして綾波党経由というか綾波ナダ経由で指定された接待第一日目がやってきてしまった。なんとかマイルドに、ソフトに、後腐れなく、恨まれないよう、気合の入っているであろう接待を、なんとかふんわり、のんびり、気が休まるよーな時間に変化させる・・・
高等数学のなんとか予想の証明より難しくない?人には聞けないので試しに偽名を使ってAIに聞いたら「そんな恋人は捨てなさい」ときた。そんな簡単じゃないんだよ!「もしくは魔法使いにクラスチェンジしなさいもしくは詐欺師に転職」
バカなの?死ぬの!?
・どんなマジックアワーだよ、でもある種のロマンス詐欺かも・・・と自分でも思いつつ、服装とともに覚悟を決めていたのだ。あ〜・・・いやだいやだいやだ誰かに任せてかえりたいかえりたいかえりたい・・・・で、でもここで自分がやらないと・・・うううう・・
それで
連絡がきたのだ。本日17時、しんこうべ駅前集合を、どうしても時間の都合がつかないから明日の20時にしてくれませんか、と。
さすがの碇シンジもブチ切れてしまった。というか精神内圧に耐えきれず、壊れた。
「帰る」
休息の重要性を綾波レイも分かっていた。知識としても経験でも。
支配者級の読心能力を用いてなくても、周りの者たちが「休め」と言うなり心の中で思うなりしていることも分かっている。体力配分、ペース管理、そして休息。とても大事。
それでも、この「(株)綾波レンシン化学工業」・・・零号機を社員としてその能力でこの世界に未来に役立つモノを創成して生きていく・・・人類最後の決戦兵器が何を言ってるんだ?という話だろうけど、決めたのだ。それをやる。それができる。自分には。
自分たちには。・・・まあ、もちろん再び使徒や怪獣とかが現れたら戦うけど。それだけではない。エヴァはそれだけではない・・・初号機、弐号機、参号機、八号機、九号機・・・・それぞれが操縦者とともに、兵器としての存在価値以外の生き筋を得ている。
エヴァとともに生きていく。自分たちの代でそれを見つけておかないのはまずかろう。
いつか自分たちの後継が機体を駆る時がきて、戦うことしか役目がないというのは。
人造人間たちはそれを望むだろうか?それぞれ好きな感じで使命を求めてくださいというのもありかもしれないけど。それはそれで素敵なことだろうけど、まずは基本基礎。
エヴァ・ファウンデーションをここで固めておく必要があるだろう。つまりはお金。
お金は大事、社会活動の血液的な意味合いでも。奪わなくとも取引で好きな必要なものが得られる手段として。それを維持していくのは重要なこと。エヴァの誰かがコケてもそれを助け起こせる経済筋力としても。うまくいくかどうかは、分からない。自分に商才があるかどうかといえば、ない方だろうし。それでもこの方面を開拓していく。やってやる。
もちろん、これは碇君の口車に乗せられたわけじゃない。なんとなく考えてはいたのだ。
それでも党のこと、血族のこと祖母の事が重くて大きくて、それを、心の底にあるそれを掘り出せなかった。零号機を私有に近い商売転用していいのか、とか一般常識もあったし。
夢想だと思っていた。代替わりもあるだろうし、立場的年齢的な卒業は避けられないと。
ずっとエヴァとともにいるとか。考えて実現するとは。またそうならざるをえない状況というのはきっと穏やかな日常風景とはほど遠い・・・幸せとは遠い遠い・・時代で
それでも、彼の、碇シンジの、碇君の一言は・・・心強かった。
ドリームをキャッチされた。ハートではなく。嬉しかったのだ。顔に出ないよう苦労したけど。ただ助けない、とか言われた時は・・・悔しくなんてない。何も思わなかったけど。
それがリアルですね、とは思ったけど。去る女は日々に疎し、だもんね、と思ったけど。
遠距離はやはり不利だとか全く思わなかったけど。まあ、それはともかく。彼は恩人。
変わっているけど、恩人。変人がちょっと変化して恋人になる、とかいうロボットアニメがあったけど。関係ない。彼は同期元同僚で元同学年で、恩人。だから、接待、というのはいいだろう。抵抗はない。なんらかのおもてなしはせねばならんな、とは思ってました。
とはいえ、スケジューリングは苦労した。
夢、それも誰もみたことも実現したこともないドリームというのは共有化や説明が難しい。
語るだけならまだしもそれを業務化しようとしたら、並大抵の苦労ではない。
「エヴァを自分ところの会社の社員にする?そんなの犯罪だ」と言われても無理なし。
言われた方もかなわないだろうが、そうしたいのだからやるしかない・・・のだが、その点に関してのネルフからの許可は割合簡単に下りた。想定の2割もいかない。実際は地獄のような苦労をネルフ総本部が肩代わりして関係方面を処理してくれたのだろうけど、零号機本人の「強い意志」があったから、通る話だとは思っていた・・・この話をすると皆が「こいつはやはり碇シンジの同類・・・・!」みたいな顔をするのだけどなぜ?「ネルフもどうかしてるな・・・」みたいな顔をするのはまだ分かるけど。
業界を俯瞰で見てみると、激震が走った上に轟雷が降り注いだカタストロフィどないすんねん!!的ドえらい影響があったのだが、ここでは詳しい内容は割愛する。どうせ綾波レイと碇シンジがそうする、と決めたのだからそうなるに決まっていた。手に負えん巨人が商売という理性的交渉窓口を自ら設立しようというのだからそれを禁じるのも悪手だというのもあったが。やはり綾波レイと零号機が造った「異能に耐える心臓」が決め手だった。
魔法でも科学でも(現時点では)どうやっても造れぬ、真似できぬモノを作り出す蒼海存在とは縁切りするのは惜しすぎた。人海をかき回したことで新天地なり大鉱脈を生み出す・・・これはひとつの神話産みともいえたが、綾波レイも碇シンジも知らない話。
今は、まだ。
とかいいつつ、急に祖母から言われた話であったが、女子高生社長・綾波レイとしても前向き意欲的に対処していたのだ。接待、とか言われても実際は「休め」と言われてることも、碇シンジがそれに利用されていることも。百も承知でそれに乗っているのかどうかは確信がもてないが。彼の心だけは読めない。昔も今も。もはや彼だけは例外として積極的に読んでやろうと思っているけど、力が通らない。普通の人間になったはずなのに・・・
・・・それで、碇君がほんとの会社接待、的なことを期待、希望してたらどうしよう・・
なんせ、接待、と銘打っているのだ。祖母もそう伝えたに違いない。一応、複数プラン用意しておこう・・・
ともかく、接待することは構わないし、その時間を作るためにスケジュール調整するのも苦労の内に入らない。ただひとつ、この時点の綾波レイが完全失念していることがあった。
あのハードな世界中飛び回った探索行で被った自分自身のダメージ、疲労を計算に入れてないのである。祖母の為なのだから、そんなの平気、という計算おかしいメンタル。
部下のそれをしてないなら単なるブラック上司であるが、配下の者たちのそれは若いなりにきちんと手厚くやっているのがなんとも。強制的に休ませているツムリや鍵奈、チンですらこの若社長の異常性に震えながら党首のナダに注進している次第。エヴァのパイロットではあったが、タフネス自慢の海兵隊だったわけではない。精神強度は歴戦のサムライであっても、肉体強度はJK並みの綾波レイである。明らかに誰が見てもオーバーワーク。
似た様なことはネルフ時代でもあったが、それでも本人の出した計算値が体と合致してないのは一番やばいやつ。修羅場を数えきれないほど経験しているあたりより始末が悪い。
とはいえ、綾波レイも年齢なりに成長している。やばさもうすうす実感している。
そろそろ休みごろだと。ここで足を止めてしょせん社長ごっこだとバカにされるのが悔しいわけではない。祖母からぶんだく・・・いえ受領した金額で当分社員が路頭に迷う心配もない。まとめて休んで肉体の回復にあてるのも、社長の判断。健康も財産である。
ただ、社長とその周囲の者たちの当初予想に全く反して、この「(株)綾波レンシン化学工業」にドッカンドッカン仕事の注文が押し寄せていた。
通常は逆で閑古鳥が連帯飛行して潰れていくのだが、どう考えてもモンスターカンパニーっぽいのに、巨額案件が押し寄せてきていた。業績データ皆無で金に糸目をつけぬのはエヴァの金看板の力もあろうが世界をまわっても助けられないはずの綾波党党首の復活インパクトが強烈すぎたせいもある。
延命以外にもこれさえあれば、宿年のこれがやれたのに・・・と歯ぎしりしていた執念話が世界にはたくさん転がっていたというのもあったか。それをホイホイ受けてサクサク作ってホクホク大儲け、というわけにはいかない綾波レイである。
神のように無から作成できるわけでもなく、ホントに作ってしまって後で大丈夫か?というのもある。混沌を提供してもされても困ったことになる。
そのあたりの判断は社長にしかできないが・・・重い。
兵器としてモノをぶち壊すよりはるかに深く悩ましい傷を世界に残す可能性との天秤。
読心能力があったとしても未来までは見通せない。けれど、商売はしなければ。
世界を補強できるそれぞれ唯一のパーツ・・・人の世が続くことに貢献できるカケラ。
星のバランサー。レンジ、シンセ、未来の子供たちが笑顔になっている・・・願いつつ、見極める。目から血が流れるほどの真剣さで。神ならぬ身で誰よりも遠くを感知する。
親族血族の事はもちろん大事だが、それだけでは足らない。零号機とともに生きる身は。
たぶん、ほかのパイロットたちもそうだ。かつてチルドレンと呼ばれていた彼ら彼女ら。
慎重に、諦めず、広大な、本来知りえぬほどに遠い、なにもこわくはない、こころが通じ合える、そこでなら正確にして聖なる約束ができる気分の良い地を探す目を宿している。
あ、使徒使いの彼女も含んでいいかも。獣飼いたちはどうかな・・・まあ、仕事仕事。
そんなわけで綾波レイのスケジュール調整も秘書に任せられずギリギリまで自分で見極めたのだったが、だったのだが・・・・ズレが生じてしまった。立ち上げすぐに盆と正月が同時にやってきたようなもので、そもそもキッチリうまくいくはずがない。他に替えがきかない能力治癒系の医療業務も含めて2週間の時間をこさえるなど、奇跡の技に近い。普通の人間なら破綻が分かっているのだからそもそもあんなバカな接待など引き受けない。ただ、綾波レイなのだ。引き受けてしまったのだ。その時点で計算能力がおかしかったといえる。もう強引に休ませるしかない。仕事が世界一愛している恋人、というわけでもなし、接待などしている場合ではない。産声をあげたばかりの会社が大事なのもあろうが。
そんなわけで、碇シンジに連絡したあとでのスケジュール変更は、綾波レイにしても「一生の不覚・・・・」とは言わないが、かなり落ち込む無念極まる事態だった。それでも、ここを乗り切れば2週間、業務をしない時間をつくれる・・・無理に無茶を重ねてラストスパートで仕事をやっつけにいった綾波レイを誰が責められるだろうか・・・
これがまだ単発の接待であれば、死に体をひきずってでも現場に出陣したであろうが。
それをやってしまうとそのあとのスケジュールが瓦解する。この時点のスケジュール表も見るものがみれば、「なんだこの四次元殺法わ」と呆れるような代物だったわけだが・・
さすがのエヴァ零号機も社長事務を代行するわけにはいかなかった。
これで碇シンジが「帰る」と言ってほんとに帰ってしまったら、綾波レイとしては泣くよりももう、笑うしかない。