手を伸ばせば星が掬える・・・そんなファンタジック夜景スポット「掬星台」は「きくせいだい」と読む。昼間に行って悪いこともないが、やはり行くのは夜であろう。皆で行っても悪くはないが、やはりどうせ行くなら彼女ないし彼氏であろう。ふたりきり。数多の星の中からそれぞれ互いが織姫であり彦星。ユアマイオンリーシャイニンスターであろう。
だが
それなりに賑わっている展望エリアにて、星よりも人の注目を集めている者たちがいた。
大声で叫んだり歌ったり踊ったりドラゴン花火を焚いてみたりとか奇異な行動をしているわけではない。むしろ、大人しく会話も控えめに夜景を楽しんでいる。
ティラノザウルスの被り物をしたりとか世紀末的モヒカンファッションでもない。
装いは、男子が学生服に学生帽、女子が和服。夜にうろつくには年齢的に少々目をひく理由はあったが主ではない。天文学習のため家族で来て、たまたま両親は飲み物でも買いにいっているのかもしれない。それは自然なことで、注目すべき目を惹く理由は一見、何一つなさそうで。
せっかくやってきた日本三大夜景スポットで星見を楽しめばよさそうなものだが。
赤い光が。
深くかぶった学生帽から漏れ出てくる赤い光が。
どうしても、帰巣本能的に、綾波者たちの視線を集めてしまう。
もちろんこの素敵夜景スポットが綾波者貸し切りというわけではないが地元的に多めなのも確かであり、ここ数日地元で流れてくる「後継者の子供を名乗るこどもたち」「名は男の子がレンジ、女の子はシンセ」「綾波レンジと綾波シンセ」「シャレにならんほどケンカが強く、外綾波の猛者をすでに何人もぶっ飛ばしている」「ありえないけど嘘ではなさそう」「時かけ?」「時飛び?」「その赤い光は」「親に直接会うと歴史改変の恐れがあるので、けなげにも遠目から見るだけにしている」「間違いなく同族の血」「せめて親の若かりし足跡〜デートコースを中心に〜辿ってたりする」「そういえば見たのを聞いた」「プロパガンダにしては党が黙ってる・・・ある種のプレバンキング?」「綾波者にはわかる」
そんな、綾波ナラティブ。奇妙な聞き語りがしんこうべの地に流れ広まっている。
奇妙な噂を耳にしている者たちは、どうしても想像して、注目してしまう。無視できない。遠巻きに、その動向を、姿を、無礼にならない程度に、確かめている。何かがはじまるような、期待、予感。それを見逃してしまわぬように。今は星を見上げている場合ではない。天には近いが、今この時は地上の赤い光を見失わぬように。聞いた特徴はまさにそれであり、異能の強さはこの赤光の輝きで綾波者ならイヤでもわかる。ただ戦闘に長けているというだけではなく、赤い目の者たちを導く本家の血筋であろうことも。守ることはあっても敵対や邪魔などできるはずがない。
遥かなる時を越えて、両親に一目会いにきたけれど、タイムキーパー的な掟や制約のゆえにそれがかなわず、遠目に見るだけとか・・・・涙もろくはない綾波者でもこれは泣く。
豪快に泣きそうになって慌てて周囲の者たちに緊急避難させられた者も何人か。
実際、本人たちの口から聞いたわけでもないので妄想にすぎないが、それでも納得させてしまう何かが、そのふたりにはあった。正体不明、何者か分からないが、ここでふたりの子供が星よりも街を見ていた、事実、己がその目で見たことはそのまま拡散される。
秘密にしてなどいられない。自分たちは未来を目撃したのかもしれない。星の光が地球に届くのも目もくらむような時間が経ってから、その星がまだあるかどうか分からぬまま。
その姿を見た。自分たちを導く光が灯され続ける歓喜と祝福。どうしても性質的に散逸しがちな異能者どもを束ねるに足る存在が継続していく誇り。絆の存在。目に見える約束の姿。語らずにいられない。口頭なり端末でそれを広めていくに決まっている。それは、この胸に湧き上がる感情は虚偽ではない。実際、あの2人が何者でどこから来たのかもわからないが。
そして、いつの間に消えてしまったことにも気づかぬままに。
「あのふたりが去るところ、レンジ兄には・・・・見えましたか?」
碇シンセの問いかけに、碇レンジはゆっくりと首を振った。
昭和のガリ勉君がかけているような分厚いグルグル(魔法陣文様)眼鏡をかけているおかげで強すぎる異能の赤光は漏れ出していない。おまけに六分儀式の隠形までかけているのでビューカフェの客Aとしてに馴染みきっている。白銀和服の赤い瞳で目立たぬはずのないビジュである碇シンセもこれでただの客Bだった。客席から、見ていた。
「あれがうわさの”綾波レンジ”と”綾波”・・シンセですか・・・びみょうにそっくりさんでしたね」
ゆっくりと頷く碇レンジ。無口であるが、祖父譲りの分析力でこの時点でカラクリと危険度を測定し終えた彼は隠形術を解いた。ずいぶんと回りくどいことをするものだ、とも思ったが、むろん言葉にするべきではない。目の前の妹にこの経緯をどう説明したものか・・・・その方がよほどの困難だった。不安がってはいないが、さきほど確認した奇妙な現象、それがどうして発生してそれを誰が必要とするのか、とか。納得を得るのは己が父の如く多弁であっても難しい。しかし
「仲がよさそうでしたね。”どのようになっても”、わたしとレンジ兄は仲良し兄妹なのですね」
唐突、かつ、真理を射抜く言霊の射出力は父方の祖母に似たものか。理知で算出したものではなく、どんぶりすぎる物言いではあったが、それでいいのだ、と結局のところ。
いきなりゴールに到着してしまっているが、犯人を突き止めて動機を吐かせる必要もない。
そんなことをする必要はない。そんなことをしなくても。あのふたりはなるようになる。
「父上と母上のように」
愛情はそこから生まれる。つまりは、それが彼女にとっての、あいを想うこと。
「そう、思う」
頷きだけではとても足りそうにないので、無骨でも言葉を添えておく碇レンジ。
父ならば訂正やら修正を山盛りいれてきそうだが、自分はそこまでやれないし、やらない。
家族のことで、そこまで遠慮することもない。綾波レンジ・シンセの件は終わった。
自分たちがどうにかする必要はない。まあ、この目と耳で確認するまでは祖父譲りの危険策定力でいろいろと破邪顕正的なことを考えてしまっていたが。
妹が紅茶シフォンケーキを満足そうに味わいつくしたあとで、チャイを飲み終える。
それから、この掬星台に来たもう一つの用件を済ませることにする碇レンジ。
おもむろにグルグル眼鏡を外し、学生服のポケットから「唐草模様の紙片」を取り出した。
「だから、わたしはぁ!シンジ君とレイがぁ!!もちろんアスカやナギサ君や鈴原君や洞木さんたちもそうですけどぉ!!幸せに、ハッピーエンドになってほしいんですよ絶対!じゃあ幸せとかハッピーエンドとかお前は提示できんのかよと言ったらできませんけど」
綾波ナダの眼力をもってしても、目の前でこんなことをほざいているこの女が演技なのか本当に酔っているのか、もはや元々正気ではないのか、判別しきれなかった。
第三新東京市、ネルフ総本部内での会合が行われた後の宴席でのこと。
議題は「エヴァ零号機の特殊運用における調整について」・・・人類最後の決戦兵器・人造人間エヴァンゲリオン零号機が社員として一企業で働く・・・夢オチでしか片付きそうもない超難題であったが、実際に発生してしまえば誰それが対処するしかない。寝ても覚めても誰かが死んでも生きても現実は続いていく。不可能を可能にするのがビジネス、それをなせる者こそビジネス・コマンドー。血は流れないが激しい戦いが何度も行われた。
そもそも賛成する者はだれもいない。好意的に反応してくれる者も。強すぎる疑念と警戒。
常識的といえば常識的だし、まともといえばまともで、正常といえば正常。道理は現実の延長戦上にあるもので。大人はそんなにジャンプしていられないもので。
「そこを諫めるのがあなたの仕事」親友の天才科学者すらこんな調子で、もっとマッドに万能科学万歳的にのってきてほしかったのに。「じゃあ代わりに説得してきてよ!」とキレると誰も目を合わせてくれない。仕方がないのでひとつづつひとりづつ潰していく。
ネルフ司令・葛城ミサトにしても脳も口も心もひとつしかないため、なんとかやり遂げたものの、心身ともにボロボロであった。この闘いにおいては自分自身ですら「そんなのアリなわけないでしょ!ナシよりのナシ!!無理無理のムリ!無茶いうなー!わがままいうなー!!どんだけお金がかかるかわかってんのーーーーーーーー!!!!!」3秒に一回ほどハラワタから咆哮し続ける状態、つまりは最大の敵が自分自身なのだから辛すぎる。
綾波ナダにしても「こんなムチャな話がよくまかり通ったな」と感心するほどで、実際、呼ばれた時も「ムチャクチャをいう孫娘をなんとか説得してほしい」という話なんだろうと常識的に考えていたのだが、いったん出した許可を反故にするような気配は微塵もなかった。その代わり、調整のための相応の代償を要求されるだろうと思っていたがそれもない。あくまでネルフがバカな判断をして責任もって実行する、という形になっていた。
バカだ。としかいいようがない。
こんなもの、闇の中、影の中で処理しておけばいいものを。バカめ、と思うが、孫娘が日陰にいて喜べるはずもない。綾波党の党首の立場すら飛び越える、超越した器を示してみせた孫娘の未来には陽の光がふさわしい。闇の恐れをとりのぞく、危難からうまく逃げるだけではない、多くの者を抱きかかえる巨きな光が。神の代理となれ、なんて大層なことは言わない。宗教関係にはいい思い出がないのもあるが、これはお宮にでもいれとく。
この話は
ともに激戦、修羅場を潜り抜けた相棒の次の就職先、いやさ生き甲斐を探す手伝いを子供がしようってんだから親だの祖母だの大人だのが多少頭だの胃だの痛めても仕方ない。
道理としてはそのあたり、現場の空気を読んでもそう間違ってはいない。だがまあ、理解されがたい道理ではある。書類に起こしてしまえば妄想か狂気としか感じられまい。
巨人に生きる喜びを教えられるとしたら。巨人とともに生きるのは楽しい事なのか。
追放か、支配か。新しい神話にはどちらでもない冴えたやり方が記されているのか。
この歩みが幼年期への退行なのかどうか、さすがになんともいえない。孫娘の想いひとつで改変されるほど人の世も軽くはない。ひとりの人生が地球よりも重いとしたら一国の政治は銀河よりも重いのか。そんなはずもないが、業界団体の重圧というやつはそれはそれで凄まじいものだ。子供の魂も夢もあっさり吸い込んで圧縮崩壊することなどわけない。
逆に言えば現状のネルフはそれだけの政治力を保有しているということだが、それでもってこちらを捻じ伏せにこないのは、「しんこうべの、綾波党の皆様にはすでにマルドゥックの件やら十号機〜の件やらでご苦労をかけてしまっておりますから」と、いうことでバカではあるが恩知らずではないのはいいことだ。ただ孫娘のコトだけで判断しないのも結構なトコだ。
総本部内での会合には碇ゲンドウも冬月コウゾウもいなかった。その後の宴席にはちゃっかり来てやがったが。時代は変わった。が、まだ死ぬつもりはない。死ねない、とまではもう思わないが、出来りゃもう少し見届けたい。そうだ、あの二人よりは長生きしたい。
業界、または世界世間からはこの会合はネルフと綾波党との「手打ち」であるように見られており、綾波ナダが会合だけでなく後の宴席に出たことで関係者半分が安堵し半分が舌打ちしたという。状況が動くにしても碇シンジが帰京して後であろう、というのが共通認識。戦力バランス問題、戦女神がしろしめす正義印の天秤はもうしばらく人類の頭上にあった。会合における公式発表は業界を光の速度で駆け巡ったが、それよりも遥かに重要な話題がやりとりされるだろう宴席の内容は当然、極秘オブ極秘。店の名も秘密にされているが、綾波ナダにあやかりつつも東日本の銘酒を取り揃えてあったという。碇ゲンドウ、冬月コウゾウなどはそれが目的だったのでは?と誰でも邪推したがさすがに直接つっこむ勇者はいなかった。鈴原ナツミもまだしんこうべから戻っていなかった。
宴席とはいえ、業界仁義的にこちらがメイン業務のようなもので、ここで酔っぱらうようなパッパラパーはこの場にいる資格はない。パラッパラッパーもゲストで呼ばれていないし、ほんとにいい気持ちで飲んでしまえる者は人類ではなくおそらく黄色いカッパが化けているのであろう。本質的に第二次会合、頭と体があったまったところの本腰入れた第2ラウンド、という殺気バリバリの空気になる・・・・・・はずだったのだが。
「では、わかいふたりのさいわいをねがいましてかんぱーぁい・・・・・・・ぐう」
飲みなれたビールではなく最上級の日本酒だったのがまずかったのか、単に疲労の極致を突破してしまったせいか、主催もてなし大臣であるところの葛城ミサトが乾杯直後に撃沈。
基本的に全員が医療関係者であるところの綾波党出席者は急病を疑ったが、ネルフ側が一切慌てることなく、「ああ、大丈夫ですから。ただの七徹ですのであと30分ほどいただければ再起動しますので」東方賢者を襲名したはずなのに健康医学的にも非常識極まることを言ってのける博士もいたりするので、自分とこのように病室に叩きこむわけにもいかず。しれっと碇ゲンドウが仕切り始めもしたため、異論の唱えようもない。スタッフがトップの限界値を承知の上で平然と進行していく組織強靭さに呆れるほかない。
妙な始まりとなったが、場がしらけることなくまろやかな空気感の中でいくつもの重要案件が締結されていったのは冬月コウゾウ元副指令による座持ち力のおかげであったか。
主催者がやらかしてはしまったが、業務としてはあらかた片が付いた頃合い
仕切り役であったはずの碇ゲンドウがいつの間にか綾波ナダに酌をしていた。
「ああ、すまないね・・・・アンタに酌してもらう日がくるなんてねえ」
「・・・貴女がここまで来てくださるのは・・・意外でしたがね・・・」
一筋縄ではいかぬ昔領域に浸食されぬよう仕切りをさりげなく引き継いだ冬月コウゾウが
人屏風となる。昔、壊滅に近い領地と一族復興のために孫娘を売った祖母と、買った男。
恩讐は越えられない。忘れられるはずもない。2人ともそういった性質。能力的外装的にはひとでなしで商売していても、その内実が、どうしようもなく、ひとである点。
組織の長として有能でありながら、冷徹のまま破滅を厭わないようなところがある。
副官としては無能であるよりまだ困ったポイントである。が、そこが面白いのも、ある。
綾波マルコムらと目があい、若造どもが気づかぬままに逸離れる。30年ほど聞くには早い昔話もある。葛城君と赤木君にもまだ早いか・・・七徹でダウンしているようでは・・
「アンタの息子はもう少し借りておくけど、いいかい?」
「まだ学生ですから、学業を疎かにさせたくはないのですがね・・・」
「ふん、どう転んでも勉学積んで末は官僚事務次官ってツラじゃないだろ」
「六分儀の系譜であれば、それも本道なのですがね。・・・アレが向いてはいないのは認めます」
「背中に不動明王背負ってる、とかいうレベルじゃなかろ、あの業の深さは。まさかアンタの後を襲わせるつもりもないんだろ?」
「アレに人の指揮とか無理でしょう。関係者全員が不幸にしかならない」
「まー、さすがに父親だけあって分かってるか。超特大の一本独鈷だね、あれは。てめえの分身だから母親みたいな幻想がない。ただまあ、碇シンジ、アンタの息子、大したもんだよ」
「それは・・・・どうも・・・過分なお言葉を・・・頂戴・・・しまして・・・ウム」
「てめえの身の丈を忘れていない・・・ふつー、あんな巨人を乗り回してりゃ身の丈のことなんざ頭の中から消えちまうものかと思ってたが・・・孫の方が浮かれちまってるからそこがどうも心配だったんだが・・・孫よりも明らかに不出来なアンタの息子がその点、シャンとしてりゃそのうち頭が冷めてくるだろ。普段使いする鏡は大きすぎても小さすぎても役に立たない。その点、優秀な姿見になってくれそうだ。まあ、評してはやりたいけど軍師ってほどキレるわけじゃないしねえ」
「そうですねえ・・・・愚息もまだ修行が足りぬというか・・・豚児というか・・・いうなればレイはそれに応じた真珠ということでしょうかね・・・・」
「いやいや孫が真珠ならアンタの息子は河豚ってトコだろ・・・・あーなんだったか・・そんな名前のサラリーマンがいたよな・・・金太郎じゃない桃太郎じゃない・・・そうだ!サザエ太郎!」
「フグ田マスオだと思いますが」
「そうだったかね?まあ、そのフグ田さんだよ、婿養子じゃないみたいだけど嫁の実家に住んでいるのはなかなかの高ポイントじゃないか」
「それぞれの家庭の事情というものでしょう。それに高低評価を下すのはいかがと思いますね」
「愛が広いからできるんだろうねえ、そういうことは。アンタの息子も愛情は広い方だろ?母親に似て」
「そうであってほしい、ですね。子供にはまだ要求するには高度だと思いますが」
綾波ナダも碇ゲンドウも相当量を飲んではいるが、ほぼ顔色も変わらない。
「サザエさん」の話など持ち出して酔っぱらっているのかといえば、さにあらず。
昔の因縁が重たすぎて素直に、「アンタの息子をこっちにいただくよ!孫にベタ惚れてるんだからそれでいいだろ!悪い扱いにはしないのは約束する!文句あるかい!」などと言えず。碇ゲンドウにしても「まだ中学も卒業していないのに、気が早すぎる!親が決めた許嫁とか旧世紀すぎる!レイが息子の嫁になる未来を全く想像しなかった、といえばウソになるが!とにかく話は中学卒業してからにしてほしい!」と一刀両断にもできない。
だいたい、綾波ナダも底なしの蟒蛇よろしく飲んでいるが、こないだまで危篤状態だったのだ。この場にいるのもかなり強引に奇跡を起こしてきたからで万全の健康復帰というわけではなく。それでも、総司令を退いたとはいえ碇ゲンドウ相手にじわじわと要求を呑ませにきているのは妖怪としかいいようがない。他の者が相手していたら秒で碇シンジの所属は綾波党員にされてしまっていたかもしれない。ぐるぐるの契約まきまきで。
「でも今、しんこうべでシンジ君とレイの子供が・・・そう名乗ってる男子と女子が出没してるらしいですね。」
東方賢者・赤木リツコが予言したとおり、30分で復活を果たした葛城ミサトがやってきて碇ゲンドウと交代した。やばい薬でも注射されたとしか思えない回復ぶりに面の皮には撃沈したことなどまったく記載されていない。宴席のはじめからそこにいたかのようなナチュラルさで引き継いでしれっと切り込んできた。恐縮のきょの字もない立ち振る舞いはもう感心するほかない。まあ、ゲンドウから聞けそうな話はだいたい聞いたので今代のトップの器を計ってやることにする綾波ナダ。ただ、男にはやれない血だの種だのの話を持ち出してきたら早々に去るつもりではある。その方が双方のためであろうから。
酒はいいのを揃えてきているのだ。味が分からなくなる野暮は避けた方がいい。
酒の味も血の味も区別付かない舌から語る言葉に耳を傾ける値打ちもない。
「綾波レンジと綾波シンセ、これ、そちらの”仕込み”ですよね?」
いきなり深々と叩きつけてきたのは少し驚いた。ブラフではなく、算盤勘定に確認同意を求めているようにあっさりと。諜報で得た確信でもないのは、周囲のネルフの面子が驚いたことで分かる。乾杯早々沈んでも驚かない部下の意表をつくのは意趣返しなのか。
「そうだよ」
とぼけてやっても良かったが、応じる綾波ナダ。マルコムたちの目が丸くなるのを見るのは久方ぶりでこれはなかなか楽しかった。
「噂を操る異能でね。綾波クダン、そいつにやらせたのさ」
クダンの名まで出したことで睨んできやがったが、どうせ知ることになる。性分的に孫娘には使いこなせそうもない奴だ。外の誰ぞに警戒はさせておいた方がよかろうさ。
「気長に下ごしらえはするつもりさ。自分ところの排他性分はよくわかってる。ただ、碇シンジ、あの小僧が簡単に馴染むタマでないのもよく分かってる。とはいえ、孫の気持ちは孫にしか分からないしねえ、たまたまの出会ったタイミングで刷り込みみたいに選択肢を狭めてるだけなら祖母として見合いの百や二百はセッティングする覚悟だけどねえ」
それと決めてモノにできなかった男はいない、その色は異能を、血を取り込むための手段であったがそれだけの妖艶、化けることも満足に知らぬ男なぞが対抗できるはずもない。
歴戦の男誑し、どころか男流し、といった方がよい。この血が綾波レイに?がっているとは今さらながらに慄くネルフ男性陣。その肌に触れるだけで果ての果てまで流される恐怖。
あながち的外れでもない勝利宣言でもあった。急ぎはしないが、獲物としてターゲットしたからにはかならずハントしてやるよ、という狩猟解禁。原初の人材獲得法であり、政治的契約を超越する。ちょっとばかりうちの孫娘がその気になれば、おまえのとこの神速なだけがとりえの小僧なんぞあっさり取り込まれちまうんだよ、と。小僧本人がその気になれば、まさかあんたたちその意向を邪魔したりしないよねえ?という念押しでもある。
たとえば、小僧が孫娘に手を出したりとかして責任を感じたなら、男として責任を取る、というのならもちろん、そうさせるんだよねえ?という威圧でもある。
「あー・・・レイの病室にいっしょにいるんでしたっけ?シンジ君」
ネルフ側も状況は把握している。もとより惣流アスカと一つ屋根の下で暮らさせてみたり一時期とはいえ綾波レイとも同じ団地内で過ごさせていたりとそのへんマヒしていたが、よく考えたらかなり試練的シュチュエーションであった。使徒戦の真っただ中でそんな気もなるわけもなかろうが、今は戦後。何か起こってしまっても、青春の波動的におかしくはない。ギザギザハートで子守唄を歌いながら眠くなったあげくにそれぞれお互いに真っただ中の結びつきをいたしてしまっても不自然ではない。この場にいる全員がしみじみ思った。そんなの監禁だ、として政治パワーで引き剥がすのも良識センスで男女17歳にして病室を同じくせず!とかさっさと碇シンジを召還してしまうこともできなくはない。
視線を動かして碇ゲンドウの所在を求めるが、さすがに年のせいかまだ復帰は難しいらしい。こんな話題、父親にやらすのも酷かもしれんが、自分がやるのも大概だ。司令権限で誰かにやらそうかとさらに視線をめぐらすが、全員たぬきと化している。
「でも、まあ、シンジ君なら、看病のために居残っているわけですからそれに一意専心してくれるでしょう」
急に不安になってきたが、ここはもう信じるしかない。ある意味、据え膳状態ではあるがそれをいただかなかったからといって恥なんかでは決してないから!ここで手を出そうものなら絶対に帰してもらえない。大人への階段をロケットみたいに飛び越えなくていいから!すこしづつステップアップLOVEした方がたぶんいいから!人によるけど!
とにかく、ここは全く大丈夫ですよ!みたいなツラをするしかない!
・・・・もしかして、レイの方からそういうことを望んだなら、シンジ君が抵抗できるかどうかといえば・・・・そうなったらもうお祝いするしかないけど・・・・
「飲みましょう!!」
飲むしかない。これはもう飲むしかない。いいような、さびしいような、ちょ、ちょっと待って、急ぎすぎ!急ぎすぎだから!展開はやすぎて姉さんついていけないから!胸中に広がるなんともいえぬ味わいを中和するには飲むしかない。「え・・・これはさすがに・・・」さきほどはたぬきになっていた親友が止めにくるが知ったことではない。無視。
アスカの顔が脳裏にちらつくけど、こればかりはどうしようもない。
「そうだね、せっかくだから飲むとしようかね」
綾波マルコムらも止めようとしたが、すぐに諦めた。党首のここまでの飲みっぷりを見られるのもおそらくこれが最後であろうから。ネルフの二代目司令もかなりの鋼鉄ぶりではあったが、それでも人間。理性のタガがわずかに緩んだところで「碇レンジ・シンセ」の情報を引き出す綾波ナダ。そちらは綾波党の仕込みではない。完全に正体不明で行方も把握できていない。考えられるとしたらネルフの諜報3課あたりの秘蔵っ子を出してきたか六分儀人脈を使ったか、だが。葛城ミサトは知らぬ、と答えた。?ではないようだ。
ロボット如きに緑豹が後れをとるとも思えない。周辺に配慮ができる賢さは化生の類とも。
では何者なのか、もう少し議論でもしてネタを引き出そうとしたらいきなり大声で叫びだしてダウンした。歳食った人間の本音というやつはどうしてこう浅ましく見苦しいものか。
「まあ、嫌いじゃないがね。・・・・ここでお開きかね?」
戻ってきた碇ゲンドウに声をかける。頷く顔色は悪いが、背負った空気はそう悪くない。
もしやこの陰気な男には珍しく楽しんだのか。息子を褒められてこんな男でも嬉しんだか。
もうしばらくこの連中を揶揄ってやるとするか・・・・綾波ナダはもうしばらくの逗留を決めた。もちろん、碇シンジが試練に敗北したのなら、速攻で現地に戻るが。色仕掛けにかんたんにKOされるようじゃ器が知れるが、やったのが孫娘ならそりゃ仕方ない。
「幸せってのは終わらない。終わらないように、なんとか人の身でなんとかやりくりするのがしあわせなのさ。・・・おっと、しわよせ、とも言うかね・・・くくくく」