「いえ、後継者問題ではないのですよ」
 
 
ハイヤーでの移動中、綾波イヌガミ(黒犬の仮面に黒スーツ)はそう言い切った。
 
一分後の天気でも告げるように。隣の運転席のガタイのいい黒スーツの綾波男性(おそらく綾波党職員)も、一メートル先の道路もやはり同じ道路であることを信じ切っているようになんの反応もみせないあたり、鉄板安定の既定路線なのであろう。
 
 
「後継者問題」・・・まあ、血をみずには収まらぬであろう強ワードである。血は水よりも濃いゆえか、はたまた、うまいこと血を繋げなかったゆえか、知能では解けない難題のひとつであろう。おそらく、人類が大宇宙で生活を始めようとついてまわるはず。
人に寿命がある限り・・・もしくはそれが撤廃されても抉れぬ保証はないであろう。
 
 
「そ、そうですよねえ。綾波先輩、いやさ、レイ先輩をさしておいてそないなこと、あらしまへんよねえ。何も問題ありませんよねえ。あははは」
 
そんな、厄介オブ厄介な問題に関わり合い。どっぷりはまりたいのはごく少数派と思われる。鈴原ナツミも、もちろん多数派である。だけれど、その予感はビンビンであり、しんこうべ到着からいきなり「かまされた」こともあり、いきなり異能もち生徒多め女学院に転入だけでもキツキツだったのに、とてもとても憂鬱だったのだ。碇シンジが隣にいようがまったく解消されない。トキメキ感0パーセント、ひたすらのヤバヤバ感に胃が痛い。
学生旅行のイベント感など皆無。制服だけど皆無。学生なのにお仕事感というか使命圧が強すぎる。
 
 
立場的に、助手、というか、おまけというかおつき、というか、にぎやかしというか・・・うまくいこうが責任を感じるのも僭越かもしれないが、ヘタなど打ちたくはない。
打って、五体満足に第三新東京市に戻れるか・・・そのへん、かじりついてでも碇シンジに保証してもらいたいところだけど、兄のメンツを考えるとそうそう無様な所も見せられない。
そういうところを、うまく利用されているのかもしれないが・・・
 
 
黒犬仮面を「綾波イヌガミ」だと喝破して、すんなり黒ハイヤーに乗り込んで、さきほどの件やらこれからの展望やら、少なくとも現地情報をいろいろと聞き出してくれるものかと思っていたのに、何やら考え込んでしゃべらない。
「”いや!ここで会話せんでいつするん!?しゃべれや!!”」と、心の中で熱望したのに通じない。ふりなのかどうなのか。くそ・・・まさか、シャーロックホームズとか、奇人探偵のマネをしてみた、とかやなかろうな・・・してみたかったら、やってみた、とかないやろうな・・・!?・・・・仕方がないので自分でやるしかない。情報は、欲しい。
 
とにかく欲しい。なんとしても欲しい。このまま何もわからんで振り回され続けるのは健康に悪いに決まっている!この真剣度が学校での授業で生かされれば、と思わぬでもないが。それでもって、聞きにくいにもほどがあるけどスルーするわけにもいかんワードを出して問うてみたわけだ。こちらとしてはけっこうな覚悟込みであったのだけど、あっさりいなされた。誤魔化されたようでは、ない。もちろん相手の心が読めるわけではないが、碇シンジが異を唱えないあたり、畳みかけることもない。関わり対処すべきトラブルは大きく根深いより、小さい根が浅い方がよいのだし。「綾波イヌガミ」の身分についても聞くべきかと思ったが、これはあとから碇シンジに尋ねればよい。ここで急ぎ確認しておくべきことは・・・
 
 
「それで、さきほどのちょっとした”お出迎え”の皆さんは一体・・・?」
 
本来であれば、キレ気味で碇シンジが速攻で問い詰めねばならない話だが、当人がそれをやらないのだから仕方ない。別にうちもこの人の子分とかじゃないんですけどねえ・・・尊敬する兄貴がのメンツを慮って妹分が代わりに吠える、とか?こっちのイメージもあるのであくまでやんわりと。どこに地雷があるか分かったものでなし。シンジはんやなかったらあそこで回れ右して帰京しとるか、戦争になっとりますよ?あんなん。
駅から人払いされてあの不穏オーラ全放射とか。あれで友好的歓迎、というセンスなら自分は帰らせてもらうしかない。それとない抗議はしとかんといかんであろう。緩衝材的な役目というか立場として。なんの才もない中学女子が、ちゃんちゃらおかしゅうても。
 
 
「それは・・・」
 
 
社内の空気が、揺らいだ。キナ臭くなった。儀礼的に隠す方法もあったのに、あえて一部開放したような。仮面をずらして本器をのぞかせるべきか、迷い。自分だけなら適当にあしらわれただろうけど、ここには碇シンジがいる。本人の気紛れで綾波先輩をデートに誘いにきた、とかではなく、正統なスジから依頼されて。見た目がアレで、中学をダブってそうなヤング具合だけども!・・・シンジはんにギロリと睨まれた。何ヒトの心を読んでおるんですか、さっきは無視したくせに。・・・さっと目をそらした。気弱なフリなんかしくさって・・・最強の分際で。それをどう扱うか、向かい合うか、試されているのは。
 
 
「”聖事派”と呼ばれている一派ですね」
 
送るだけして面倒な説明はあとで上役に任せる、というスタンスをとってもよかったのだろうが、綾波イヌガミは隣の運転役を一瞥だけして説明を始めてくれた。映画やドラマだと一瞬で場面転換して、謎に暗い会議室などで重々しくもったいつけて逆光で表情が見えん感じのお偉いさんが、たいして分かりやすくもない、しかも昔話を交えて長々しく重圧込めて語ってくれたりするのだろうが、若者だって時間は大切、なる早の早めに情報をいれてくれる方がありがたい。綾波イヌガミも落ち着いてはいるけど声からするにかなり若い、自分たちと大してかわらぬような、仮面をとったらスヌーピーみたいな童顔だったらおもろいな、とか考えたら、碇シンジも透明な同意をされた。それはともかく。
 
 
後継者争いがない代わりに、次期党首「綾波レイ」を「どう推す」か
 
意見が分かれているのだという。大きく3つ。
 
 
「聖母派」
 
「聖レイ派」
 
「聖事派」
 
 
無理やり命名された感がないわけではないが、「聖母派」と「聖レイ派」二つの分かりやすさに引きずられて大概のしんこうべの綾波者は納得しているのだとか。かなり大層な名称ではあるが、「そやかて、推す方法やん?」とつっ込みそうになったが、我慢した。口は禍のもと。無知なる情報不足の舌ならばなおさら。何を推すか誰を推すかで血の台風が呼ばれてきたのだ。人の歴史は教えてくれる。彼も推しなり、彼女も推しなり、とか。
ウィアーザワールドではなかなかすまんことを。一つの神輿を皆で担いでもそれはそれで面白くないということを。
 
 
「聖母派」とは、綾波の本貫地であるしんこうべを、”これまで通り”守り維持し続けることを目的とした現状維持派であり、綾波党内の最大派閥。綾波レイには、しんこうべの、綾波党のビッグマザーとして君臨し続けて、なおかつ安定した次代交代のために早期に大量の世継ぎを求めてもいる。一族の「母」としての役割を重視し望む一派で、公的には現党首にして祖母である綾波ナダの意志である、とされてもいる。
 
 
「聖レイ派」とは、役割は2の次、綾波レイ本人の意思こそ最上等とする、過激にも穏当にもどのようにでもなりうる一派で、親衛隊的派閥。隠れもけっこう多い。偶像視力が強く、処女信仰的な「神レベルの男でなければ、その身体に触れることは絶対禁止。というかご本人の無許可で少しでも触れようものなら悪魔認定、地の果てまで追い込んで処刑」
なるスローガンがガチめに発動中であり、赤い瞳の中にヤバい光が宿っっているという噂。
護衛筆頭の綾波ツムリが代表を務めそうであるが、本人はノーコメント。
 
 
「聖事派」とは、「征地派」とした方が分かりやすくはあるのだが、間違いでもない。
綾波党の戦闘集団としての力を全面に押し出し、外征、しんこうべ外に綾波の勢力を拡大しようとする一派。勢力拡大自体は組織集団の本能ではあるが、平和的にのんびりちんたらやる気はほとほとなし。なにせ、漲る力は売るほどあるのだ。その販売事業。兼。
異能の民として排斥流浪した過去からの血の清算。恩讐復讐こそ聖なる一大事。そのための力。そのための、赤い矛。総司令官にして巨人を駆る最強の戦士、紅蓮の戦乙女としての義務を果たして頂く・・・ソーシャルゲームの設定でもなんでもなく、他と比べて人数は少ないものの本気でその任を、旗役を綾波レイに求めていく・・・・
ネルフその他の組織から警戒されないわけがない決戦一派。もし、これに綾波レイが担がれた日には・・・そんなことはあるまいし、そんな日がくることは・・・ない、はず。
 
 
 
「これは・・・後継者争いの方がまだ・・・」
 
良かったのでは?とは言えない。言えるわけがない。言ってはならない。
 
「良かったのでは?とは言えませんよね?言えるわけがありませんよね?言ったらダメですよね」
 
それなのに、碇シンジが。せまい車内なのにわざわざ挙手して言った。フォローのつもりかそれで。でも助かった。あまりにひどい未来予想図につい吐き出してしまったが、唇を噛み切ろうと単語ひとつこぼすべきではなかった。しんこうべにいれば、選ぶしかない3択。綾波先輩の、将来。重たすぎるのに、3つしかない道。正確には支線が何種類かあるのだろうが、最終的にはこの3種類のうちにおさまるのだろう。それしかなく。
自分が当初考えていたよりもレベルが次元が違うヤバさ。もう帰りたい逃げたいこんなの直視したくない。綾波先輩に会う勇気などない。なんて言っていいのか分からない。
本当の、本物の、お姫様の生活とはそういうものだと言われたら。
 
 
手を握られた。強い。兄よりもだいぶ細い指だけど、強く。挙手して同時とか器用な。
 
震えがそれで抑えられる。すぐ消えたりはしない。それでも少しづつ解けていく。
もし、あの牛仮面たちに連行されてたりしたら・・・未来が、ヘンな風に変わっていたら。
 
 
「後継者は指名もされていますから、間違いはないでしょう。まず」
 
まず、と付け加えるのは余分にすぎ蛇足であろうが、聞き流す、というサインか。
運転役はじろり、と黒犬の仮面を見たが、運転に専念、何も言わなかった。
 
「レイ様の他に、後継者など考えられません。綾波一統の未来を託せる方は」
 
鉄の声。微塵も興奮も熱狂もないけれど。静かに淡々と。2分後の天気を告げるように。
 
念を押された。この地から、綾波レイを連れ出すようなマネは今後一切未来永劫許されないのだと。それがしんこうべの綾波者の、赤い瞳をもつ者どもの揺るぎない共通認識なのだと。「そう考える者は多いでしょうね。おそらく、最多です」念に念を押してきた。
 
 
もし、綾波先輩に政治的な、というか、人の上に立つ役目における才能があまりにスカだったとしたら・・・とか、ちょっと考えてしまったが、そんなことはないわな・・・
少々スカだったとしても、絶対に守るわな・・・あんな人・・・守りたくなるよ・・・
かなりスカでも、自分たちの頭にすえるよねそりゃ・・・見る目があるわけだ。
 
 
鈴原ナツミは反省する。同時に危惧する。綾波レイから見捨てることは100%、400%ないだろうが、いいように担がれる可能性もこれはかなり高い。いよいよまずい局面に降り立ってしまったのでは・・・・歴史が動く、実は暴発一日前でしたとか。転入とかしとる場合ではないのでは・・・突入が遅すぎたのではこれは・・・よそ者が、しかも子供がふたりでどうにかできるステージじゃないしこれ。何を考えて、というか、もう八方手を尽くして最後に鉄砲玉を出してみました、みたいな?利用される前に、綾波レイを消去してこい!的な!?まさか・・・いや、地元の人からすると、そう判断されてもいたしかたないのかも・・・お邪魔毒虫が接近したならそりゃー、叩き潰すよね普通・・・この車も乗って大丈夫だったのかな・・・
そう考えると碇シンジが黙っていたのもそれはそれで正解だったのか・・・
 
 
 
「もうすぐ綾波脳病院ですね」
 
碇シンジが今さら目的地を告げたから、綾波女学院の寮に向かっているのではないことが分かった。いや、そのくらいはそれとなく口にしておいてくれてもよくありません?
こっちは地理とか分かんないし、まさか別のルートに向かっているのを釘を刺したとかでもあるまい。なぜか知らないが、病院に行くということは・・・もしや綾波先輩は入院されていた?いや!!それも情報共有しておきいや!!新幹線で漫画読んでるくらいなら!まあ、あれはあれで転入性の振舞い方について重要な知見が得られたけれども!
 
 
「はい。簡単に一部説明はさせていただきましたが、事の深奥、子細についてはナダ党首直々に・・・すみません」
携帯端末に連絡があったらしい。しかも緊急の。何をさしおいても受けねばならぬ情報が。
まさか、送迎は中止、子供二人口封じせよ、とかいう指令では・・・
 
 
「!!」
綾波イヌガミの息をのむ気配があった。自制してそれであるから、自分たちの目がなければ大声で聞き返すくらいのことはしていたかもしれない。重要にして危険情報。車が速度を落として路肩に止まった。予定変更せねばならないレベルの連絡に対応したのだろう。ここから地獄行とかかんべんしてほしい。「・・・早すぎる・・・・・・・」絞りだす、いやさ意識せず漏れ出た声。まずい予感しかしない。碇シンジの手を潰すほど握っていた。
 
 
 
「何か、あったんですか?」
 
 
あえて、そう聞いてみせたのか。あったに違いない相手にそう尋ねる碇シンジ。
一見バカっぽいが、ただのバカではこうはいかない。おそらく、真・バカくらいでないと。
 
 
「党首のナダが・・・危篤です。すみませんが・・・面会は・・・不能だと」
「なんだと!!?ナダ様が!?あのナダ様が・・・あ」
 
体格そのままの巨声で運転役が驚愕を露わに。車を止めて正解だった。あろうことか、泣き始めた。押し殺そうとしているのがよけいに悲壮。忠誠心が高いのだろうが・・・
確定の訃報でなくとも、この様子、ということは相当に体調がすぐれなかったのか
年齢的なものなのか・・・さすがに聞けるものではない。シークレットすぎる。
 
 
「そうですか・・・そうですね・・・そんな所にお邪魔できませんね・・・」
 
大の男の啜り泣きが聞こえる中、碇シンジの横顔は内心を計りがたい。あれだけ大ショックを受けている人間の前で、驚く顔をしてもよいのかどうか迷っているのか・・・
綾波党の一番偉い人にして、綾波先輩の祖母が危篤状態・・・ただ一人の肉親だというし綾波先輩の気持ちを思うと・・・胸が痛む。シンジはんも同じように痛んでいるのか。
 
 
ただ、碇シンジは綾波先輩よりまず、お祖母さんかつ組織トップであり、自分を招いた人物を訪ねようとしていたらしい。分からなくもないけど、言っておいてほしかった。
なんで綾波先輩に一番に会いにいかないんですか?とか聞かないですし。
 
仕事というか、ミッションとしては出鼻をくじかれた形、か。そんなこと言えるほどプロじゃないけど。なんにせよ、えらいことになった。やはり依頼の真意は直接対面でないと
伝えにくいこともあるだろう。デリケートな問題ならばなおさら。まさか孫娘に近しい男子の顔をただ見たかった、なんて話じゃあるまい。見定める、とかはありそうだけど。
 
 
「では、寮の方へお願いします。あ、ナツミちゃん、どこか寄ってもらいたい所はある?」
 
寄りたいどころか帰らせてもらいたいけれど、気を使ってもらえるなら。とはいえ、祖母危篤となれば、綾波先輩を支える・・・なんて大層なことはできないかもしれないが、近くにいて気持ちをこぼす先くらいになれるなら、碇シンジは残った方がいい。帰れまい。
エヴァのパイロット、チルドレンたちの結びつきにどんな名をつけたら理解しやすいか、とかこんな時はどうでもいい。いればいいのだ。たとえ役に立たなくとも。うちはともかく。「いえ、特には、ないです」病院には長く世話になった身でもある。そこで起こること、消えるもの、心が引きずられそうになる。危なくても持ち直すこともある。時間の貴重さを思い知らされることにもなる。気持ちは沈むが、ぐずぐすべきではない。
碇シンジの時間は、ここから先どうなるか分からないが、備えるには遅くても、いろいろ支度する時間はどうしても必要になる。最強だろうが嘘つきだろうが中学ダブリだろうが。
うちなんかに時間を使わせる場合じゃない。「お願いします」
 
何を、と加える必要などなく、滑らかに車が発進した。あまりにも丁寧に。
風雲は急を告げたが、それに乱されることなく煽られることなく。運転役は任を果たす。
 
車内ではそれぞれが時の砂が流れる音を聞きわけていて
 
もし、現党首が亡くなれば・・・・すでに後継指名されている綾波先輩が・・・
まだ20にもなっとらんのに、他に誰かおらんのかな・・・おらんのやろな・・・
部外者が埒もなく、そんなことをぐずぐずと考えていると到着してしまった。