(危篤なのに戻ってこないとか・・・なんなのよう・・・)
 
 
綾波党本部第2応接室でシャレにならないプレッシャーと恐怖で潰されそうになりながらも笑顔はたやさず心で泣いている綾波コナミは、一秒でも早く誰か交代してくれないものかと祈りつつ逆の立場だったら自分なら絶対に行かんなここから距離をとるだろ、と思いながら直立不動の姿勢を崩せなかった。この苦行が終わるのは、後継者・綾波レイが戻ってきてこの厄介な訪問客たちとの対話が始まる時であろうから、その帰還を今や今かと待ち望んでいた。のだが、まだ戻らないどころか、いつ戻るのか連絡がないらしい。まるでないのか幹部連中が止めているのか分からないが、とにかくゴールが、終了時間を知ってこなすのと、知らずに耐えるのとは心的ダメージがかなり違う。せめてそれが分かれば短縮の交渉ができるというのに・・。見通しが立たぬから配置人員はそのままやれ続行、ということになっているのだろう。きっつー・・・・マジにきつい・・・・。
 
 
自分の担当が一番きついと思われる。腕力、バトル的な大変さは第3の方だろうけど。
 
あっちは「外綾波」の代表を受け入れているから、一触即発、何が起きるかわからない。
とはいえ、さすがに本部内で戦争はないだろうし・・・そう思いたいだけかもしれないが。
戦党員の皆さん、そんな頻繁にお茶菓子の入れ替えをせず、一緒にいてくれてもいいのよ?
くそ・・・なんであたしみたいなのが・・・こんなお役目なんか・・・
 
 
「自分の祖母の危篤だというのに・・・何を教わってきてたのかね」
「そのそもフツーのババーじゃないからね、ナダの奴。妖怪だよ妖怪ババア。その孫だってフツーであるわけがない。この場合妖怪マゴムースメかね?運動会みたいに走り回っててもそれが当然かもしれないね。というか、ナダの奴まだくたばらないのかね?あたしゃ喪服で来たんだからそれに合わせてくんないかね、妖怪だからしぶといのは分かるんだけどね」
「予定は絶対、未定というのは怠惰者の言い訳、この一点のみでも著しく後継資格に欠けるといわざるをえません」
 
 
敵意では、ない。ないのだけど・・・圧力が凄い。こちらが萎縮せざるをえない上位者オーラが。
 
言語的には理解できるけど、対話は成り立たない、一方的に言われるだけ、という関係性は非常に疲弊する。けどまあ、立場的にも心情的にも黙っていられる気の弱さと実力の無さがこの役目を押し付けられた理由の全てなんだろうなー・・と諦める綾波コナミ。
ただ、テンパってもいるので、その考察は半分ほどしか当たっていない。
的中しているならそもそもチェンジさせられているだろう。それだけの実力と貫目があるのを失念していた。
 
 
西日本PTA連合会の永久名誉顧問・綾波ママーン、同じく永久名誉相談役・綾波バライサ、80は越えている上役の二人の年齢的には半分程度の現役西日本PTA連合会総会長の綾波カチャーン。今日は来ていないが、もう一人男性の現役副会長、綾波武鉄というのがおり、この4人で西日本の教育関係機関を牛耳り、東日本もひそかに制覇しているとか。
 
この兵G県の行政もそうであるが、表立っての支配は綾波のやり方ではなく、裏から。
それもほとんど異能に頼ることもなく、やってのける。ただ、同じ異能持ちがその座を奪いにやってくるなら情け容赦なく発動して骨も残さない。使わずともやれるだけの知能があるだけで、結局のところ、強異能持ちなのだ。強異能ならそれでいいんだ・・・
 
 
「腐食界」の綾波ママーン。黄金をも腐らせるので、いわゆる「腐ったリンゴミカン」理論を用いることなく、生徒たちを立ち直らせてきた。本当に腐る、ということがどういうことか、見せつけられる、その気配を感じさせるだけでも悟り改心させるものがある。
「腐らないものなど、そもそも存在するのか?あるならば私の前にもってくるがいい」
その真価をみせつけずに成果を得る、知恵者にして唯一腐食することない剛健な魂をもつ。
髪型と声が某ハマーン様にクリソツであるが、誰もつっ込むこともないのでここまできてしまった。綾波ナダに異論直言できる数少ない高位実力者であり、別名「綾波党の良心」
鯛の刺身が大好物だが、もちろん新鮮な方が好み。
 
 
「毎日毒」の綾波バライサ。ミミズでもオケラでもフグでもマングースでもクジャクでもクマムシでもクラゲでもたちまち殺してしまう「サイキョー毒」を、しかも毎日生成する。
傭兵などの戦闘系職業についていたら世界滅んどったかもしれない。ただ、使いどころ、「金にもならんのになんで異能かまさんとあかんのん?」自制力なのかケチなのか人類愛なのか不明ではあるが、自ら産むサイキョー毒を自ら無毒化する日々を送っている。無毒化能力も強力で、周辺(約12畳)も健康空気に変えてしまえる、が、その余波として毒舌。悪意があるのか、もしあったらサイキョー毒を撒き散らかしているであろうから。
綾波ナダに正面から毒舌一席ぶてるのは彼女だけ。お金が大好き、と公言しながらそのために毒を使ったことがない不思議な人。
 
 
「時間割る」の綾波カチャーン。「時間割、でいいですのに。スケジュールを制作しそれを実行することこそ、それを至高とすることこそ、人類文明がここまで発展した原動力ですから。時間割、最高です・・・・ラブ・・・・」とか本人は宣っているが、本人だけの話ならラブでもブラでもなんでもいいのだが、それを他人に「強制できる」のが時間割、ではなく、時間割る、と称される所以。始末の悪いことに当人のイメージ世界が学校しかないので、指定されるタスクが学生生活のそれしかなく、しかも本人が小学校勤務しか経験がないため、「こくご」だの「さんすう」だの「おわりのかい」だの「がっきゅうかい」だのを、敵対組織のヒットマンが強制されるのはまさに地獄絵図。泣いて反省するまで許さない。教師としてはかなりまずい、許容量の少ない人格なのであるが経験豊富な副担任をサポートにあてることでなんとか問題を起こすことなく教師生活を送っている。
大勢の人間をうまく使わねばならぬ会長職などもどう考えても無理な性格なのだが、そこは副会長の綾波武福がひたすら苦労して支えている。(今日来れなかったのもおそらく後始末に奔走しているため)自覚がない分タチの悪い強異能・・・学校という閉ざされた空間で使っているのが皆のため、本人のためであるかもしれない。苦労してゲットした席を他の血族に奪われたくない、というのは・・・草津の湯でも綾波脳病院でも治せない。
教育に興味がある、子供の教育こそ重要、という認識をする党の若手が少なかったせいもある。「腐食」と「毒」を恐れない神経の持ち主はなおさらで。後継人事はいつもどこも大変なのだ・・・
 
 
強者のくせに教育者とか。強者だから教育者なのか。綾波コナミにはわからない。まだ。苦労のない人生などないのだけど。まさかペアレントがモンスター化したから、それに対抗するための教育者も強化された、なんてことはない。ただ綾波であり、党に属しながらも外の一般俗世でもうまくやっているだけの話。異能を使わず、影ながら溶け込んで。
影響力も絶大。なんのかんのいっても3つ子の魂百までも、だ。若かりし頃に刷り込まれたように大半の人間は稼働する。稼働し続ける。これが厄介なのだけど
 
 
「アンチレイ」、後継者・綾波レイが党首・綾波ナダの跡目を継ぐことに反対する急先鋒。
 
 
党幹部はこれにかなり驚いたらしい。年齢的にもナダ様の最後の望みである孫の党首就任に異議を唱えてくるとはまさか思わなかった。ママーンもバライサも立場的人格的(異能的に)厳しいことを言い続けてきた間柄ではあったが、それでも互いに認めあうポン友的ポジションであったのは間違いなく、支援にまわるのは間違いなかろうと、見ていたのだ。
 
選挙といった段取りを踏もうと踏むまいと、人心掌握が最重要なのは間違いなく。
幹部が大慌てで説得に入ったりもしたが、おいそれと従うはずもない。党首のナダのいうことさえ聞かなかった人たちなのだから。力では絶対に変えられない。異能をもって支配しようとするなら、腐食させられ毒を撒かれ時を割られることになる。ぞぞぞわあ・・・
 
 
怒らせては絶対にならぬ相手。しかも状況が状況、乱世開始の秒読み段階となれば・・・・・・ではあるが、教育者、子供の為の支援者、という看板を背負っている以上、そう無茶なこともするまい。こんな小物相手に怒鳴ってストレス解消とかそんなことはしてこない。ただ重圧が凄くて胃が痛いだけで・・・
わたしの異能なんてよわよわなのに・・・・バトルとか全然ダメなのにぃ・・・
素手だと戦党員さんにもヨユーでKOされるしい・・・
 
 
 
「あなたはどう思うの?党の後継について」
 
 
「はひぇっ!?」
綾波ママーンに突如聞かれて、舌を噛みそうになる。こんな小娘の事など眼中にないのかと思っていたのに。しかも意見とか。言っていいものか?何かヘタな事言って怒らせたら
 
 
「なにビビッてんだね?こっちも妖怪に近いババーだけど、別に獲って食いやしないよ」
「あの・・・私はまだ老年カテゴリーに入っていないのでその呼び方は遠慮させて頂きます。タイムスケジュール的にあと25年はご容赦下さい」
 
 
「す、すみません・・・。まさか私なんかの意見を問われるとは思ってもみなかったものですから・・・でも、党首が後継指名された、ということはその通りに実行しないなら党としての」
 
 
「あなたがどう思っているの、と聞いたのよ。コナミさん」
声色は意外に優しい。というか、こっちの名前を知っていて驚いた。「そ、それは・・・」
どう返してよいのやら。考えていたことなど、一秒でも早く誰か代わりが来ないかな、レベルで。そんな大層なこととか全く全然。まずい・・・これ激怒されるやつじゃない?若者のくせに未来を考えてないとは何事か!!とか大喝されるやつじゃない?泣きそう・・・
 
 
「威圧はよくありません。彼女は威圧を感じています。本人がそう感じていれば威圧なのですよ、名誉顧問」
「ナダの奴よりゃ、あたしらはマイルドじゃないかねえ?ただ、根性据わってるよねえ、一人でもキツかろうに、妖怪が3人そろってんのにチビりもせずに逃げ出しもせず、だしねえ」
「いえ、妖怪カテゴリー入りも遠慮しておきます。スケジュール的にあと100年は」
 
 
あの「毒舌バライサ」に褒められた・・・喜ぶところか、このチャンスに昏倒すべきか悩むところだ。そうだ、逃げとけばよかったのだ・・・体調不良とか言い訳して。便利使いされてるけど、べつに党の役付きでもなし。いやまあ、役付きは現在進行でめっちゃ働いてるのも知っているけど。いますけど。この人たちは、後継者就任の反対派で。
 
 
「それから聞き方もザッパすぎないかねえ?演説したがってるようには見えないけどね」
「もう少しテーマは絞った方が話しやすいかもしれません。そうですね・・・党首の理想的行事予定について、とかいかがでしょう?」
それもやだ。党首秘書官とか冗談じゃない。早く解放してほしい・・・なんか適当なことを言っておこう。なんだこんなもんか、と呆れられて無視されるような・・
 
 
 
「ならば、後継者・綾波レイはあなたから見て・・・・党首にふさわしいかしら?」
 
 
内心を見透かされたのか、どえらい剛速球がきた!!受け止めたら全身の骨が折れるやつ!でも絶対かわせないやつ!!何を言おうが終わるやつ!!このターボ鬼ババ!!
そんなの分かるか知るか!!ちょっと関りがあっただけで友人でもなし!アイアム一般党員!でそんなの上級幹部が判断するところでしょ!こっちに投げてくるな!!いや一般党員の意見だからこそ聞きたいのか・・・?党内からの切り崩しを狙ってる・・?
 
 
この綾波党本部内で「ふさわしくないです〜世襲よくないです〜」なんて言えるわけがない!けど!!
この人たち「アンチレイ」の目の前で「ふさわしいです〜彼女しかいませんです〜」なんて答えればどうなるか!・・・今までフォローしてくれてたバライサやカチャーンも黙ってこっちの返答を待っているし!マジ!?真剣と書いてマジなやつ!?なんで?
 
 
 
「あう・・・・あの・・・・その・・・」
 
 
 
「難しい質問だったわね。ごめんなさい」
 
それでも、2分ほどあうあうしていると、勘弁してもらえた。なんらかのテストだったのかもしれないが、知恵の限りを尽くしても模範解答は思い浮かばなかった。そもそも、どうしても綾波レイに党首になってもらいたいわけでもなし。なるなら勝手になればいい程度で。他の誰かがなっても別にかまいはしない。己の生活生命に影響がないなら。
 
 
「正解は、ナダの跡目など、誰がやってもうまくいかない。いくわけがない。ふさわしい奴など世界中探してもいない、だよねえ」
「そういった意味では、無返答は正解の一形態ではありますね」
フォローなのか、答え合わせなのかよくわからない。
 
 
「綾波党、などといってもその実、綾波ナダという単一個人が並外れた犠牲を払いながら維持してきた歪な巣だよ。やるならば別の場所で新たな巣を作るほかない」
「そういう点は、本能に忠実っちゅうか真理が分かってるちゅうのか、昆虫の方が賢いよねえ。人という字はかなり単純にできてるんだけどねえ。人しか見てないせいかねえ」
「時間を守るという点においても人間は足元にも及びません。自然の大いなる流れに直接アクセスし、リンクを体現しているのかもしれませんが」
 
 
「諦めが悪い点も頂けないな。この期に及んで祖母の傍にもいてやらず、何をしているのか・・・副院長キチローが諫めるどころか同行しているあたり、だいたいの見当はつくが・・・・愚かなことだ。人は死ぬ。並外れた生命力を誇ったナダとて例外ではない」
「そもそも73人もいた息子も娘も自分よりも先に死んで、残ってるのは孫一人、それも直接育てたわけじゃない、ほぼ赤の他人状態なわけでしょ。どのツラさげて長生きしてんだって話でもあるしね。ここまでくりゃ上出来、くたばって上等だよねえ」
「生き死にの期限を悩むのも人の特権なのか欠点なのか、分かりかねますが、人の上に立とうというなら下の者たちにこの先の未来を、予定を明示して行動するべきです」
 
 
・・・・アンチレイというか・・・この人たちは綾波党自体を解体する、というか、すればいい、そうなっても全くかまわん、という立場なのか?強い異能がありつつ、それを殆ど使わず(約一名、全力解放してるのもいるが)、外の世界でうまくやっている人たちからしてみればそうなのかもしれない。長い経験で先が読めているのかもしれないが・・・
 
その言いぐさ。強者はいいけど、弱者はこの赤い目を目印に、狩られていく。それを防いでくれる頼れる壁で囲まれた、安心できる、領域。そこでしか生きられない者たちだっている。または聖事派のように、そこから攻めていく、過去の報復、生存権の回復、巻き返しを図る派閥もある。未来は、一族の未来はどうなるのか。時代はそれぞれが集まって造るものではあるけれど、それでも実際に動くなら、動かせるだけのなにかをもった誰かの指先を必要とする。力か夢か欲望か、鼓動し脈動する赤の光が。自分にはない。無責任と言われようが、誰かに信任し託すしかない。やばい事件も多々あったけど、今のしんこうべ、綾波党の状態が自分は嫌いじゃない。とはいえ、自分と歳の変わらない娘が、しかも地元で育ったわけではないのが、党首の孫、その一点だけで重荷を背負わされるのを良し、とするほど、知らない仲でもないのだ。そのへんで、聖母派も聖レイ派にも与しがたい。
 
シリウスのように輝く中立点を探し求めるほどの勇気も冒険心も不動心もない。ただ
 
 
ちょっとした関りがあったせいで、偶像では、なくなった。
「あんなもの」に挑む彼女の姿を見ている。剥き出しの彼女を。
信仰はできないけれど、信用できる。この目でみて、すぐそばでその熱を嗅ぎ取った。
神秘の巫女、謎深い姫君ではない、彼女の一面にこの指で触れていた。ゆえに。
スイッチが入ってしまった。そのことを知らないこのババーどもに言ってやる・・・!
 
 
「肉親の死は確かに恐怖だが・・・そこから逃げても何にもならない。覚悟がないのか」
「因果応報だよねえ。あれだけやらかしといて、まともなベッドの上で孫に手を握られながらおしまい、なんてありえないよねえ。あの世から逆蜘蛛の糸、てえか投網で寄せられてんだろうから近寄らないのが賢いよねえ小賢しいよねえ」
「幼く未熟な精神性・・・操り人形の時間をいくら過ごしても人にはなれません。学びが不足していると言わざるをえませんね。無論、彼女だけの責任ではありませんが」
 
 
交代人員も現れず、後継者綾波レイもまだ帰還してこない。えんえんと続くであろうアンチレイのアンチ会話、綾波ナダの孫娘に対するダメだしなど聞きたくなかったせいもあるが。
 
「遅ればせながら!返答いたします!党首にふさわしいか否かを!」
自爆スイッチを押してしまった。もう少し自分にはこらえ性があると思っていたのに。
 
 

 
 
 
地元民とそこに混じった第三新東京市民の何人かに心配されながらも綾波レイは奮闘していた。無理難題と戦い続けた。
 
 
 
聖杯探索に匹敵する苦しい旅路。いやさ、心臓、肺、腎臓と求めるべきものの数が違い、しかもそれ単体ではなく、パーツを組み上げて完成させようというのだから無茶無謀の極みであった。祖母の命を救うため、というより悲惨な最後を迎えさせない、なんとか回避させるための悪あがき。生命ある者はいつかは死ぬのだ。
 
この特命行の途中に綾波レイ本人が事故なりハードワークによる体調不良でぽっくりいく可能性もゼロではない。祖母危篤の連絡を受けても戻らぬことを決断して、4日。ほぼ不眠不休。未来の党首として、子分いや党員を戦力手ごまとして指揮し動かせばよさそうなものだが、それをしない。あくまで己の身ひとつで動く。
 
空中駆逐艦アヤブルーンに搭乗する人員も戦闘系はほとんどいない。大半が医療系、または移動系の者ばかりで、交渉(バトル含める)に臨むのも綾波レイ唯一人の状況になっていた。この世の誰が命じようと離れることのないはずの護衛、綾波ツムリもテスカトリポカホスピタルで心臓を半分引き?がされる目にあってアヤブルーンの治療室で休眠状態となっている。党本部に送り返すのが常識的判断というものだが、ツムリ当人が断固として拒否。槍でもっててめえの身体と床を縫い付けてでも離脱を認めないものだから諦めたというのが実際。しんこうべ最高の医師、キチローが同乗して治療にあたるのだから、という理由もありはしたが。これでも退かない綾波レイの精神も鬱の谷底を覗くがごとくで、眼の光もどこを差し照らしているのか分からない。ギラギラと強いが虚ろな赤。少しでも理性を働かせることができたら、「一度、しんこうべ党本部に戻り、状況を見極めて次の行動判断をする」三蔵法師が天竺にお経を求める旅ではないのだ。その気になりさえすれば、その日のうちに戻すことができるお供、いやさ能力者もいるのだから。ただし、小心なので意見具申など不可能だったが。
 
 
一度戻ってしまって、祖母の顔を見れば。また旅立つことができるのか、という恐れもあるにせよ。この程度の判断が出来ない小娘だったのか、と見下げられることなどどうでもよくても。血まみれの狩人が獲物を追いながら、少しづつ己自身が獲物と化していることに気づかない・・・無理難題を撃破しながら、コテンパンにされながらも必要とするブツをもぎとり・・・「腎臓」を完成させた。実際に組み立てたのはキチローを指揮者とする医療工学チームであるが、人並外れた執念がなければそもそもパーツのカケラすら集められなかった。しかも、自らの血(ツムリ含む)は流しても、ネルフなど外のモノは情報ひとつ売り渡すことなく。綾波党・後継者綾波レイの名において、それは成された。
 
それをやればより早く簡単に揃えられただろうに。頑として。固として。否とした。
 
もとより市場値のつかないモノの取引交渉であるから、上手いのか下手なのかを評するのはさほど意味がなかろうが、党の金庫番が同行しなかったのは都合がよかった。
 
その額を聞けば、目玉が飛び出て成層圏を突破していただろう。お金で命は買えないが、この時点で、七たび生まれ変わって七たびとも事業に大成功、億万長者になっても足りないほどの借金額だった。党が払うことになるんだろう、と交渉相手たちはのんきにかまえているが、綾波レイ当人にその気はない。己の力で全額返済するつもりでいた。少し未来の話になるが、それをきっちり実現する。この道行はそんな大借金ロードでもあった。
 
 
 
が、この時の綾波レイは目の前の事も怪しい、谷村新司の昴状態であったから、こてん、と交渉の帰り道で石ころもバナナも何もないのに、すっ転んで立ち上がれなくなった。
 
 
その時、護衛同行していた綾波鍵奈は「死んだ」と思った。「無茶しすぎて死んだ」と。
 
止められなかった自分たちはおそらくタダではすむまいから、身内にやられるよりは追い腹を切ったことにすれば多少はマシになるだろうか、と真剣に悩んだ。
 
「腎臓」が完成しても「心臓」と「肺」完成の見立てが全くつかないこともあった。
チームとしても限界であった。精神力の枯渇は、死に直結する。
 
 
しんこうべの党本部に戻るか、後継者の古巣であるネルフに助力を求めるか。
 
 
どう考えても、そうすべき。実質的なチームリーダー、綾波キチローも後継者はじめ党員の生命健康を犠牲にしてもナダの延命をひたすら求め進むべし、といったマッドクターではないので、党本部への帰還を命じようとしたところで綾波レイの目がカッと開き、「次の場所へ」とだけ命じると、また閉じたのでその通りにするしかなかった。支配者級の催眠指示を発動させたのだ、と気づいても後の祭り。疲弊しきって大技をかましてくるあたりやはりナダの孫、としかいいようがない。呆れていいのか誇らしく思えばいいのやら。
 
 
しかし、悪手。このまま手下たちを路頭に迷わす系のバッド判断。あぶない後継者。
 
全滅前進。適当に駆け抜けようとすれば墓場に落ちる。理性が伴わぬ行進は不幸の極点に招かれがち。精神力の予備タンクでもついてるのか、どれだけ過酷な目にあってきたのか。
潰れてくれた方が後始末的には簡単であったが、こんな底を見せられては付き合うしかない。ここが終わりになろうとも。
 
 
フィンランド 北極圏の境界村 医師モランの病院。
 
 
そこが、ターニングポイントにしてヒーリングポイントになろうとは。
医師ではあっても神ではない綾波キチローには予見できない。