「裏切るもんだと、思われてたんだよな」
 
 
赤木研究室にて。加持ソウジがコーヒー片手にずいぶんと物騒な主語抜き語でしゃべっていたが、幸いなことに赤木リツコ博士しかここにはおらず、安易な誤解もするはずもない。
 
 
裏切り
 
 
誰のことかと言えば、前司令ル・ベルゼのこと。
 
 
前々司令碇ゲンドウが這い上がるというか舞い戻るというか、司令代行、などと・・・とにかくネルフ総本部に、権能を振りかざす立場に再び収まった一件。
 
奇怪人事に始まり、奇怪人事に終わる、というつもりなのか、に、しても、だ。
大半の人間は理解も推察もできぬし、それにしても最低限の道理、というものを欲する。
 
 
 
「けれど、そうではなかった」
 
東方賢者、赤木リツコ博士にしても、碇ゲンドウと冬月副司令いやさ相談役の手腕手管の方は分かっているつもりであったが、それにしても。事前の相談もなかったし・・・・
もちろん、賢者たるもの、ぶんむくれたりはしていない。それしきのことで。ええ。
 
「まア・・・・」
そんな気分を察するのはやはり同年代の仕事であったろうし、適役というものがある。
最低限、賢者を恐れぬ、旅人の風の耳目をもった自由の者。冒険者よりは社会適正のある。
 
「お偉いさんたちは暗い会議室で、タロットカードやトランプしながら、フフフ、このタイミングでル氏は裏切るであろうとかなんとか、やって悦に入っていたんだろうよ。まさにカードをひっくり返す、いい感じに焙煎熟成したネルフ総本部を根こそぎまるごといただく手はずを整えていたものの・・・・・・」
 
「同じ立場ならば、そう思ったでしょうね・・・・・否定できない。けれど、本当だった」
 
「もともとおかしかったから、おかしくなったことに気づかなかった・・・・・・というのは言い過ぎかね。無関心の反対は愛、とはよく言ったもんだよ」
 
「それで、大慌てで洞窟に回収した、というわけ?」
 
「魔法にも近い科学と、本当の呪術・・・・合うはずもないものが合ってしまった。互いの弱点を補う・・・・補完し合う、というより規模的にネルフの方が弱点補強に益を受ける関係だっただろうけど」
 
「・・・・・・・・それは、司令が変心してからのことだから。その前はもう・・・・いえ、言わないことにしましょう。過ぎたことだし」
 
「ま、苦労は聞いてたよ。しばらく魔界都市状態になってたとか。となると、君はミス・メフィストで、ここはメフィスト病院か。・・・・・いや、ハンター、だと、モヒカンあたりか」
 
「・・・・・・自分たちはせんべい屋だとでもいうおつもり?」
 
「いやいや、せいぜい地下鉄サムがいいところさ。ともあれ、理由はそんなもので、蒔いた種が期待した花なり実をつけなかったから抜き上げた、というだけのことさ」
 
「期待できる次の種も苗もいなかった、と」
 
「そこらへんが、司令代行と相談役の仕事だよ。ま、前司令も相当手伝ったらしいけどね」
 
「別れも愛の一つ・・・・とかなんとか言ってたけど、そういうことね。遺産もずいぶん残していってくれたけど」
 
 
実際は、もっとはるかにドロドロしたおどろおどろしい話なのだろうが、この男にかかるとせいぜい濃いめのコーヒー程度に受け入れられる。力んだ雑味は漉されて。業界人であればあるほど、暗い雲の上の世界に魅入られて、”力”についての面白くも何ともない話を長々と語るようになったりするのだけど、不思議とこの兄弟にはそれがない。明確な階級にはならないけど、この二人ももう業界内ではけっこうな顔になってきているのに。
 
真実に近ければ、物言いも簡素で済む、ということかもしれない。
 
 
とりあえず、知りたいことは、この体制が、崩れた上の一時的なものなのか、話をまとめた上でのそれなりに強固なものであるのか、ということ。物事に絶対ということはないが、己の属する組織がどこを目指しているのか、最低限、それくらいは理解しておかねば。
 
そう・・・
 
 
ル・ベルゼが回心したように、碇ゲンドウが回心していない保証は、どこにもない。
 
 
まあ、ないこともないが。自分の胸の内ひとつ・・・・・・・客観性に欠けすぎるけど。
ああ、あと、加持兄弟の目と、葛城ミサト。この三人が保証つけてくれる、か。
変心なんかしていたら、ミサトが間違いなくぶち殺しているでしょうし。微妙な話だからこそ余計に。ああ、それに、専門家のお墨付きもあるか。冬月元副司令の。間違いない。
 
自分一人の身であれば、情念だけで浮くも沈むもできるけど。
 
さすがにはじめからタヌキのドロ船だというのなら、考える。けど。
 
 
その点はあまり心配していない。どう考えても、碇司令・・・・ああ、代行もつけなきゃだめかしら・・・・と、冬月相談役・・・・こっちはばっちりはまるわね・・・・も、ドロ船に乗せる方で乗せられる方ではない。そんなフリして相手を焼き殺すくらいする。
 
 
心配せねばならんのは、乗組員の方か・・・・・・・・「子供」が増えたし。
 
 
すぐに成長する、とはいえ、それはさまざまなケースがあるし・・・・
 
 
 
「そういえば、”カツラギ寮”の方はうまくいってるのかしら」
 
 
「あー。誰が呼び始めたのか知らないけど、よく葛城が怒り出さないもんだなー」
 
「分かりやすさ優先でしょ。それとも、めぞんエヴァ、とかの方がよかったかしら」
 
「おいおい、張本人いましたよ。ま、ただの女子寮だと職員寮なのかどうかわからんしな・・・なんせ女の園のこと、うまいかどうか判断しようもないが、チルドレン、女子のパイロットが五人もいる重要施設だからな・・・他に適任がいないだろ・・・あ、でも」
 
「うちはダメだから。もう三人いるから」
即答。三人とはいえ、労力はあの渚君がいた頃とほとんど変わらない・・・・いや、ちょっと楽なくらいか。とにかく許容量オーバー。赤木家では絶対に無理。洞木さんでも無理。
 
「チャレンジしろとは言わないよ。ま、そっちもそっちで大変だろうし・・・予想もしなかった状態ではあるけどね」
 
作戦部長総代行とかいう、これまた謎な名称で出戻ってきた葛城ミサトであったが、再び、惣流アスカと碇シンジとで三人アジトを営むことはなく、女子パイロットを一カ所にまとめた生活拠点の管理人兼務となった。惣流アスカ、水上ミカリ、洞木ヒカリ、真希波・マリ・イラストリアス、式波ヒメカ。警備上の理由もあるが、政治的な理由もあり、さらに個人的な理由もあった。様々なことを勘案した結果、この女子五名はまとめておくことに決定された。ちなみに、綾波レイは、幽霊マンモス団地生活のまま。呼ぼうと言う声もなかったし、葛城ミサトにしても「キャパもたない」と蹴ったのかもしれない。
加持リョウジとイイ感じの新居でも建てる計画があったかもしれないが、こういうことになった。重要人物をまとめたからには、それをまとめる人物も必要となるわけだった。
 
それで、誰が呼んだか(犯人さきほど判明)、「カツラギ寮」というわけだ。
 
ちなみに、名目上の管理人であり、葛城ミサトが食事をつくったりするわけでは、ない。いろいろな意味で無理であるし。子供達の健康にもかかわる。その動向、関係性に目を光らせることが仕事、である。それ以上やらない方が無難だった。みんなが知っている。
 
 
ただ、その仕事が、かんたんなものではないことも、皆が承知している。
 
なにせ・・・・・・・・・洞木ヒカリをのぞいて、くせ者ぞろいときている。
 
 
「最後のVSは・・・」・・・腹に独自の目的をおさめているに違いない真希波マリ。
 
入門オア道場破り? 碇シンジをあやうく斬り殺しかけた式波ヒメカ。
 
「おねえさま」惣流アスカにべったりで可能な限りどこにいくにもついていく水上ミカリ
 
セカンドでありながら、第三の人格に目覚めた・・・実のところ、けっこう不安定な惣流アスカ
 
 
問題児、という簡単なレベルではない。が、それぞれ離しておけるものでもない。
 
 
市内に実家がある洞木ヒカリをペンペンとともに招集したのは、葛城ミサトのたっての希望だったとか。むろん、面子のやばい感じの揃い具合に鈴原トウジにして「ワイも入寮させてください!」などと命知らずなお約束セリフは吐けないでいた。
 
 
使徒殲滅はネルフの仕事、ではあるが・・・・・現状、それ以外それ以上を望むなら
 
 
葛城ミサトの任が厄介極まることを理解するゆえに、赤木リツコ博士は心配する。
表面だけみれば、偽装家族の次が女子寮の管理人だなんて、笑ってしまうような「設定」だけど。作戦部長総代行、という肩書きもしかり。手芸部部長にして爆走族の長のよう。
 
 
碇シンジを手放した・・・・・あまりにもあたりまえの結末なんだけど・・・・その胸から巣立っていった(ちなみに特に他意も比喩もない)ことの、虚脱感もあるだろう。
若いツバメが飛んでいっただけだろ、とか言う愚か者はコーヒーで茹でてしまおう。
 
 
でも、その点はリョウちゃんが埋めるかな。吊り橋効果どころでない修羅場続きだったみたいだし。彼には彼の、するべきことがある。こうなると、人のすべきこと、というのは、・・・・なんとも、おかしみがあるほどに、奇妙だ。と思う。これをいとしくおもうほどになれば・・・・自分も歳をとったのかな、と。
 
 
カツラギ寮がうまくいこうといくまいと、他に適任がいない。ミサトがするしかないのだ。
 
これには、代行役などいない。彼女しかいない。
 
 
 
そして、自分たちも自分たちの仕事に戻ろう。「コーヒー、ごっそさん」「じゃ、また」
 
 
「あ、そういえば最終戦はどうなるのかな?」
去りがけに、まるでスポーツ観戦のチケットを購入するかどうかのような軽さで
 
 
VSのことを、問うてきた。
 
 
まだ終わっていない。どころか、それは新たな、巨大な始まり。業界の最先端を飛び越えた他の世界を巻き込み融合する・・・・福音は告げられ、現れた新世紀の聖者は、一気に古い構図を塗り替えてしまう予兆に充ち満ちて・・・・・そのための力威は十分なほど。
 
 
あっけなく、そこで使徒使いが折られて終わり、という結末も予想されるが・・・・
 
 
実際、ネルフ総本部がここまで自由にしてやれた、というのは、それが大きい。
使徒使い、霧島マナの動向にパワーを傾けすぎて、こちらの制御にまわってこなかった。
VSの援護射撃での差し引きは、こうなると巨大なプラス、といえる。誰にとっては、とはいわないが。
 
 
その行く末を予想するのは、最重要任務の一つといえる。マギもフル稼働で未来演算しているが・・・・まあ、業界内の名のある電子頭脳たちは同じことをしているだろうけど。
 
 
人間が、こうして軽やかに聞き出そうというのは、けなげな機械たちはどう思うだろう?
 
けれど、自分にも絶対の予感があるのだ。予言者でもないくせに。絶対などと笑えても。
 
 
二つある。
 
 
言うなれば、A予感とB予感。もっと、それらしくいうならば、N予感とZ予感。
 
 
その二つのどちらかか、両方いっぺんにカタをつけようとするか。
 
 
 
「どうなっても・・・・・賞品が、最強の使徒、ってことは、たぶん、間違いない」
 
 

 
 
 
「・・・・王手」
 
 
静かに指された一手は、以前とは格段の重さと鋭さと厭らしさを秘めていた。
詰みに間違いない。一応、ざっと読んではみるが、間違いなく終わらされた。
 
 
「・・・・強くなったな、碇」
 
実務はともかく、将棋で引けを取ることはなかったはずだが、見違えるほどだった。
まあ、本当に昔と見違える姿ではあるのだが、今も車椅子であるし。
 
 
「しばらく、これしかできることがなかったので」
 
謙遜ではあるまい。体が動かなくても脳が動いてさえいれば、今後の実働計画を立てるのに余念がないよーな男だが、さすがに脳天をやられてそのあたりの脳働きができなかったのだろう。決まった能力の駒が、制限されたフィールドで栄枯盛衰する・・・・現実世界ではそうではないのを、その姿が証明している・・・といっても、この男には慣れているだろうが。今回は、ちょっとまずいところまで行きかけただけのことで。
 
副司令を辞し、相談役などに収まったところで、こちらも盤の研鑽といきたいところだが
 
 
「時計部隊は、動かないのだな」
 
やることは、変わらない。どころか密かに世界遺産ランドの管理も押しつけられた。
まあ、適任がいないのも分かるが。さすがに青葉君たちにも手に余るだろう。
この男の相手もしかり、か。
 
 
「ええ、あの部隊は揃わない。シンジはともかく、何を考えたかユイの元に迷い込んだ一機はもう、戻らない・・・・・本来の機能を果たすことは、ないでしょう」
 
「アレも希少な才能だというのにな・・・・・ユイ君の手元か・・・・・それは、もうダメダメにされているだろうな・・・」
 
「ええ。されているでしょう」
 
「時を手元に置きたがる、というのは・・・・・・どういう性癖なのだろうな」
 
「性癖、ですか」
 
「他者から植え付けられるわけでもなく、己で目覚めるもの、という意味においてな」
 
「そうなると、悟りの一環にも聞こえますが」
 
諭して諭されて、どうにかなる代物ではない、という理解は一致している。
 
「ともあれ、時計が動かないのであればそれでいい。都合が悪くなったからと言って、ぽんぽん逆行だの昔流しにされた日にはたまったものではない、スケジュールもヘチマもなくなる」
 
 
結局、仕事仕事、ということになるか。むろん、将棋でこの男に追い越された悔しさでそんなことを言っているわけではない。
 
 
「それで、シンジ君とレイのことだが」
 
ここでこんな話題を持ち出すのも、むろん、追い越された悔しさの腹いせにやっているわけではない。もちろんない。私は〜ネルフで〜一番〜誠実〜と言われた相談役〜。
職務の一環である!
 
 
「ぐっ」
 
血痰を呑んだような顔になる碇だが、これはあくまで仕事。息抜きの将棋ではない。
詰みで終わることもないのだ。フフフ・・・・・・
 
 

 
 
 
こうなると、葛城マンション、コンフォート17にいた時分から、幽霊マンモス団地一棟まるまる与えられたのも、これを見越した、ある意味当然な処置だったのかもしれない。
いろいろパーツが規格外だったとしても。
 
 
 
葛城ミサトたちと焼き肉屋で別れて、車で送ってもらった碇シンジ。
 
 
運転はもちろんハイヤーなどではなく、護衛がこなせる黒服のネルフ職員。
片眼が赤いワイルドな感じの中肉中背と太りじしのサングラスの二名。
車中では無言であるものの、超何か言いたげな感じであったけれど、こちらもそれどころではない。胸に風穴、とは言わないものの、やはり、あれだけ肉を食べても、もたれない。
車窓の外の夜だけ見ていた。そんな気分だったのだ。遠い波の音とかも聞こえる気が。
 
公衆電話に泣きそうな女の人がうずくまって、道行くひとに振り返られる幻をみた、気が。
 
 
団地の手前で降ろしてください、といったら、あっさり許可された。
 
団地内のこれまた子供の姿のない幽霊子供公園のブランコ、とか王道すぎる。少し、歩きたかっただけのこと。誰が待っているわけでも、ないのだし。
 
 
ちなみに、これはモノローグ、とかではないよ。ないですよ。ただの事実。
 
こんなこと独白しながら歩いてるなんて・・・・あまりに中学2年生すぎて。
 
 
 
 
「泣いてるの?碇君・・・」
 
それなのに、なぜか、綾波レイが、団地階段の踊り場で待っていた。
 
 
 
完全に不意打ち。感覚的には待ち伏せによる一撃必殺に近い。モロにみられた。
 
まだ他の位置なら、そんなことはなかった。狙った感じでこちらから見えないところで。
少なくとも、自室のドアの前までくれば顔のチェックくらいはしていただろうに!
なんで?踊り場?狙撃でもするつもりだったのか。いやいや。
 
「はあやなみさんっ!?」
 
確実にパニクッていた。棟を間違えたのかとも思ったが、たぶん間違いない。
「はあっ!?」と「あやなみさん」が合成されて発声されてしまった。何者だ。
 
 
目の前の人物は綾波レイに間違いないのだが、その行動はなんせ素早かった。
意表をつかれて碇シンジがクリビツテンギョウしているのを差し引いても。
 
 
すっ・・・と
 
 
白い指先で、涙をぬぐわれて・・・・・・それから、白いハンカチで
 
 
「ちーん・・・」
 
鼻をぬぐわれた。おそらく、おそらく、おそらくなのだが、鼻水も垂れていたのだろう。
 
 
母性的、というよりは、教科書的な静かな迷いのないアクション。少年のハートの微妙なところがミリミリと裂けてしまう。百歩ゆずって涙を拭われるのはいいとしても。
 
 
「あ、あわわ・・・・」
 
しかし、為す術がなかった。体は完全に硬直。ヘビに睨まれるカエルの気持ち。
ルビーを思わす赤い瞳。双眸鋼玉瞳。
上下関係が永遠に結婚、いやさ決定した瞬間だと思った。気絶したいがそれも出来ない。
笑ってなにもかにも誤魔化してしまいたい・・・・けれど、それも出来ない。
 
 
逃げられない・・・・・・・・・・・心の底から逃げ出したいが、逃げられない。
 
 
結局、「顔を、洗った方がいい・・・・」という綾波レイに手を引かれて、自分の部屋に。
 
 
なんの罰なのだろうか・・・・・・・こんな目にあうほど自分はひどいことを・・・・・
 
したような気もするし、とにかく抵抗する気が失せている。無血開城というより根こそぎ魂の奥まで吸血され果てたような。「さあ」洗面台の蛇口までひねってもらいました・・・。
 
 
もらいましたよ!どうだ!うらやましいだろう!・・・・・・・うう・・・・・・・
 
 
一体なにしにきたのだろう、彼女は・・・・・・・辛いときは、それを直視せず、原因について考えてみると少しは和らぐ、と聞いたことがある・・・・・・・しかし、辛すぎる。
 
 
むしろ傷口に塩を塗り込まれた、とかいうアレだろうか・・・・・・だから・・・・・
 
 
 
「大丈夫?」
 
淡々無表情なのはいつものことで、「は、はい・・・おかげさまで」意図は読めない。
当たり障りのない返答をするしかない。タオルだってわたしてもらえましたし・・・・
 
キレたい。ひたすらに逆ギレとかしたかった。この揺るがぬ赤い瞳に理屈の通らぬ感情を発露ってみたかった。・・・・・・しかし、不可能だった。分かり切っている。
 
世の中には、やっていいことと、わるいことがある。
 
綾波レイ相手に逆ギレるなど、後半部分のベストスリーに間違いなく入っている。
 
 
 
「と、ところで・・・・綾波さんは、どうして」
 
こんな時間に、あんなところにいたのか。あんな(僕が)地獄の一丁目に・・・・。
 
 
「心配していたから」
 
かりっと言われた。もう少し綾波レイが明るいキャラクターならば、からっと、というところだろうが、深読み無用の文字通りの意味で、という点は同じく。主語が欲しいけど。
 
 
提示された材料だけで判断すると、した、ではなく、していた、というところからすると、時間軸的に、今夜のことではなく、それ以前からの不安定要素に関して、であるから。
そして、彼女、綾波レイが自身でここまで寄って確認せねばならないこと・・・・・
 
「天逆能力ならもう安定してるから、僕が多少動揺したから、すぐにこの都市が凍りつくなんてことはないよ・・・・さすが綾波さんの」
 
 
「そう、だけど・・・・そうじゃない・・・・・」
 
 
「?」
 
いきなり歯切れが悪くなった。普通の相手なら、ここで逆転の目を探るところであるけど、相手が悪すぎるのでそれはやらない。出方を待つ。でなければ今度は何を抜かれるか。
 
 
 
「帰る・・・・・」
 
ぷい、と、気の迷いのせいか、そんな擬音が聞こえたような・・・・こちらに背を向けて綾波さんは玄関ドアの方へ。待って、というのも時空間的に、妙な話で。ここ僕の家だし。
 
 
「は、はあ、そうですか・・・・じゃあ」としか、言いようがない。顔も洗ったし、歯を磨いて寝ることにしようか・・・・などと考えていたら。
 
 
オトナの階段のーぼるー
君はいま、シンジレラさー
 
奇妙な男声合唱が聞こえてきた。丁度、綾波レイが玄関ドアを開けた瞬間。
 
なんというか、タイミング的に「サプライズハッピーインディペンデンスデー」のようなのを狙っていたのかも知れないが、知ったことではなかった。たぶん続きがあったのだろうに途絶えてしまったし。
 
 
 
空気が凍ったのは、べつだん、天逆能力が弱まったせいではない。
 
 
 
少女の赤い瞳に見つめられた男達・・・・・・青葉シゲル、日向マコト、鈴原トウジ、相田ケンスケ、ミカエル山田、火織ナギサ・・・・・・野郎達の顔が赤いのはもしやアルコールが入っていたせいではなかろうか、とも思ったが真偽のほどがつく前に。
 
 
「「「すんじれいしましたーーーー!!!」」」
 
おそらく、「すいません」と「しつれいしました」と「しんじすまん」が三体合体したのだろう謎方言ともに疾風の速さで、ドアを閉めて、消えた。 夢、かとも思った。
 
 
綾波さんの登場あたりから、夢だったら・・・・・せめて、あそこから夢なら・・・・
 
 
夢らしく・・・・・
 
 
「約束、していた?あの人達と」
 
 
綾波レイがこう言うのだから、現実なのだろう。ちょー現実。見間違いとかなしで。
 
 
「いや、特には」
 
心配して、様子を見に来てくれたのだろうことは、見当がつく。あのテンションが何故なのか不明だけど。こんな夜に、自分を心配して、ここまできてくれる人達がいる・・・・
 
 
これも、夢ではない。夢では、ない・・・現(うつつ)の・・そう思うと・・・・・
 
 
「碇君・・・・・また」
 
言われたけれど、さすがに二度目はない。ありませんよ。ない予定です。
 
 
体が動きませんけど。ま、まあ、そのあたりは根性で。せっかく戻りましたから。
 
 
 
「・・・・ちーん」
 
 
も、もちろん、この音は、一人暮らし記念に購入した仏壇に付属してたリンの音ですよ。
鼻なんかかませてもらってないんだからねっ。
 
・・・・・ああ、このあたりは夢だったらなあ・・・・・
 
 
せめて現の