誤報だったのか、と思うほどに、すぐ取り消しになった<使徒来襲>の報。
 
 
感知はされたのだが、すぐさま領域から離脱したのか、さらに上手く潜ることに成功したのか、使徒の反応は消失。武装要塞都市・第三新東京市の中枢たるネルフ総本部が不在を公的に判断したとなれば・・・・真実はどうあれ、巨大な社会機構はそのように作動を続ける。モードを変化させず、日常的な生産活動の続行。つまり、平和な日々の暮らしを。
 
 
出世魚に喩えて誉れにするべきか、改造手術を繰り返されたと嘆くべきか、いろいろと変態メタモルフォーゼなそれを経てきた特務機関ネルフ、そのものも使徒がちょっかい出してこないのならば、通常任務を続けることになる。つまり、使命を果たしつつ生計を立てるための仕事を。
 
 
わずかに感知された危険が、すぐさま解除される・・・・・・・
 
 
普通の秘密機関であれば、そんなものはこれより訪れる崩壊の危機フラグでしかない。
 
滅びの足音はさやかで、思い濁った耳にはそれを聞き取ることは出来ず・・・・
 
背後からぱっくりやられる恐怖のコント。世紀を越える定番であろう。
 
分かってはいるけれど、やめられない。人類史が続く限りあちこちで繰り広げられる。
 
 
だが、ネルフ総本家、いやさ、総本部は違った。辛酸レバーを舐めながら変身を積み重ねてきたのだ。勇者は成長し、魔王は変身する。何段階変身が可能であるかでラスボスの格が決まる。いまや、元総司令碇ゲンドウの予想を遙かに越えた恐ろしい魔界組織に変化していたのだ・・・・・
 
というのは大げさにしても、使徒の攻撃で<反転>したおかげでネルフに対する愛に充ち満ちているル・ベルゼ司令が無償の呪術協力を惜しまないおかげで、こと感知関係の能力は以前とはケタが違ってきていた。実質指揮者である副司令冬月コウゾウ氏も基本科学者であり、万能科学の砦、という触れ込みでもあったネルフの苦手分野(得意になりようもないが)背面をがっちり、まさしくATフィールドなみに守護しており、空から落ちてきた新素材生産能力に長ける第二支部をも取り込んでいることも考えれば資金面すらイケイケであり。まさに弱点らしい弱点のない無敵要塞ぶり。
人類最後の絶対防衛線にふさわしい、ふてぶてしさ何十ラウンドでもいけちゃうタフネスであった。
 
 
他の業界関係者にしてみれば、非常に面白くないところであるが、認めるほかない。
 
内部をかき回して崩壊に導こうとも、そういった裏暗いことの泰斗であるル氏の長が協賛しているのだから、手のつけようも口の挟みようもない。倍返し十倍返しの世界である。
 
 
氷漬けにされて、冷凍刑務所のごとく、世界から忘却されるはずだったのが・・・・
 
 
引き続き、世界はともかく、業界の中心は、ここ。司令が愛を叫んでいる。
 
蠅の羽音のようだった司令モノリスの作動音は、性根の変化によるものか防壁など機構的な問題だったのか、すっかり止んで、清澄な鐘の音のようになっている。変われば変わったものであるが、別に人の和でも絆でも回心でもなんでもなく、使徒にやられているだけなので人間の心的には微妙なところだが、それでいちいち罪悪感を覚えるような神経の者は少なくとも発令所にはいない。副司令ウインタームーン色に染まってきた、というべきか。
 
 
ともあれ、使徒という謎の存在を感知するのは、科学より魔術だのそちら方面の得意分野であるのは間違いなく。現在のネルフ総本部がそのように判断したのなら、まず間違いはない。裏をかかれるような間抜けなことは。ない。すぐに消え失せた微細な存在を感知してみせた、という点を評価すべきだろう。
 
 
何事にも、例外はあるとしても。
 
 
 
 
「・・・・・・・」
 
それを最速最近のソリッドポジションで聞いていた碇シンジは、ごろん、と寝返りを打った。テントの中であるが、寝袋というわけではなかった。マットを一枚敷いてその上に。
 
 
「ふう・・・・・・・」
 
白い煙を吹いた。指には煙草を挟んでいるわけではなく、ひたすらに息が冷たいのだ。
体温からして一度もないのだから。けれど、寒い、という感覚はない。多少、腹がゴロゴロする程度で。
 
 
「使徒ですかあ・・・・・・・・・」
 
彼方の南極を見ているかの遠い目。初号機ケージにも流れた<使徒来襲>の報を聞いても、立ち上がることもなかった。なにもする気が起きない。やるべきことは頭に浮かぶし、絶え間なくそれらは燃えるようにして神経を駆動させようとするのだけれど、すぐ火が消えるようにして冷め、体が動かない。食欲がないので差し入れ受けても食べられない。
 
それでどうして死にもしないのだから・・・・・・・・・
 
こんな地の底で光のエネルギーを受けて、というわけでもない。
 
少し前までは、三分間程度は、まだ動けていた。エヴァ初号機に乗って活動することも。
けれど、あの巨雪球ゴドムを呑んで以降か・・・・・なにかする気、しなければならないことも自覚しているけれど・・・・・・・・・それが、持続しない。すぐに消えてしまう。
 
 
初号機にも乗れないなら、ここにしてもしょうがない。学校や家に行ったら、本部に戻る時間でやる気が失せてしまうから、最速最短で搭乗できるここにいたけれど。限界。
周りの迷惑にもなるだろう。・・・・・・・なにより、不気味だろうし。
 
 
ケージよりさらに深くあるという氷雪の庭に移してくれるよう副司令やリツコさんに頼んだけど、ガンとして聞いてくれない。「明日起きてみたら、本部内が鍾乳洞みたいになってるかもしれませんよ」と脅かしても「ほお、そうかね」「それは興味深いわね」などと。
 
手元から離す気は全くないんだよ、とその目が。
 
 
父さんたちの苦境は聞いていた。ミサトさん、加持さん、アスカまで。父さん、というよりはそれに巻き込まれたミサトさん、加持さん、アスカの苦難というべきか。
 
 
それを、救いに行け、と言われなかった。
誰がどう考えても、これは三人の仕事ではなく、自分のやるべきことだ。
能力うんぬんは別として。言われれば、少しは今の体は動くだろうか。
 
 
少しは、熱をもつだろうか。
 
それを問うと、ふたりとも驚いていた。なにか不思議なことだろう?
 
 
「僕は、人間ですよね」
 
 
リツコさんにそう聞いた。
 
 
「人間、ではなくても、あなたは碇シンジ君。ミサトが・・・いえ、私がそう保証してあげる」
 
 
そう言われた。
 
 
「僕は、人間ですよね」
 
 
副司令にそう聞いた。
 
 
「君は、男だよ。母親似だと思っていたが、父親に似てきたな」
 
 
そう言われた。
 
 
疑問は晴れず熱は点らず。綾波さん好みのあのひと、というか、あの人達も、こんな心境だったのだろうか。いや、あの人達は三分間は毎回出番で働くわけだから、こんな気持ちになったりしないか。せめて、せめてあのひとたちのように・・・・・・!
 
と、誓ったりもするのだが、一瞬で、冷める。
 
 
「ふぅ・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
ため息。長いため息。差し入れのバナナに触れて、カイン、と凍った。たぶん釘が打てる。
 
 
ミサトさんなら「シンジくん!それでもあなたは人間よ!!」とか即座に断言してくれたんだろうけどなあ。根拠レスでも。まあ、トリックでもなんでもないのにこんなことできる人間なんかいないよねえ。整備の人達もいいかげん毎日バナナを差し入れするのやめてくれないかなあ。あとプリンとか。休憩の時間になったら回収にくるけど。あとお酒とかもやめてほしいなあ。それから冷凍からあげとか。
 
 
せっかく冷血親玉系にキャラクター変更したのに、皆さんぜんぜんドン引いてくれないし。
 
 
特に綾波さん。いちばん騙されそうなのに。なんですかあの強気。根気勝負になったら絶対に負けるから・・・・・あの度胸はどこから出てくるんでしょうかね。
 
こっちが絶対に手が出せないことを知っているならずるいけど、そうじゃないんだろうしなあ・・・・・綾波さんなら。本人の気合いか。
 
 
「に、しても・・・・・」
吐く息には全く熱はない。誰に遠慮する必要もない環境だけど。
 
こんなやる気のない不人間、地下に冷蔵しとこうとは思わないのかな・・・・・いや、ここも地下と言えば地下だけど。もっと深く。誰もいない凍える世界へ。
 
そこになにかある、と母さんが言ってたけど・・・・・なんだったかな・・・・・思い出そうすると、持続しない。
 
 
大人しく初号機もろとも氷の庭に埋葬されとくのがいいんだろうけど、その気力すらない。
 
ゴドムを少しづつ削り取っていく気力すら、持続しない・・・・考えてみれば、そもそも、それを続けられる保証もない。何かの拍子にコテンと、死んでしまえばそこまでだ。
綾波さんの慧眼だ。綾波さんに限ってただの天然とかその場の思いつきじゃないだろう。
一気食いしてそのまま宇宙にでも飛んでいけばよかったのか。災いをどこによけるか。
初号機の腹の中は別に四次元ポケットじゃないんだけどなあ・・・・・・・・・
 
 
 
「なにが足りない?なにがいらない?」
 
 
唱える。なかなか終わらない題目を。それが終わる頃には
 
 
 
思うことはいろいろとある。このゴドムの冷魂。逆流分の制御だけでも一生かかるかもしれないけれど、なんとか有効活用する道はないか、とか。思うのだけど、閃く前に気が失せる。
 
 
現れた使徒を倒すだけってわけにはいかない。やるべきことはたくさんある。
分かっていても、根気が続かない。たかだか三分間も。
 
 
「ああ・・・せめて・・・・・」
 
 
綾波さん好みの男になりたい・・・・・・・あの遠い星からやってきたスリーミニッツ・マンのような
 
 
誰も聞いていないと思って、好きなことをほざく碇シンジであった。