自分がなぜ、ここにいるのか
 
 
巨大な扉を閉じるようにもたれている綾波レイはよく分からなくなってきている。
 
 
赤い瞳と蒼い瞳の前に広がる白い世界。なまえのない銀鉄を抑えに行く前にひなゆきせが残してくれた冷気結界もだんだんとその効力を失いかけ、武装列車ブーンの六週間砲の吐き出すわずかな排熱だけでは全域占領を狙う這い寄る冷気に抗するべくもない・・・いかに特製の防寒着を纏おうと温血動物が熱も生産せず動きを停止させたままいてよい場所ではなかった。空色だった髪はすでに白く。もともと白かった肌はさらに白く。ただ前を見る瞳の色だけが。片目づつ赤と蒼。それもじわじわと、赤が蒼に変色して両目とも蒼に変わりつつある。呪いである。その者の本質を封じる呪いである。最上級の技術にして最下等の外法。第二東京で組織の上位者の意向に逆らった罰として綾波レイは呪いをかけられた。手始めに他者との交感道具、声を奪い、そして。やりすぎた目障りなその異能を封じ己らに従うように。
 
綾波隷。
 
悪夢の符合である。赤き瞳の輝きは綾波の法灯、血脈の断絶を防ぐための最後の本能さえ閉ざされては命を繋ぐこともできない。両目が完全に蒼く染まりきってしまえば、比喩でもなんでもなく人形がひとつ出来上がることになる。じわじわ・・・じわじわ・・・己の意志を侵されようとしているのだがなんの抵抗もせず赤い瞳はじっと見ている。蒼い瞳には既に意思が通っていない。
 
 
 
ここは操車場。それも廃棄された操車場で、雪に隠れてはいるがぼうぼうとススキが積まれた線路を覆っているような・・・野草園のような操車場。列車が入ることもない。
 
 
夏への扉は求める燃料によっていかようにも姿を変える幻の星。綾波レイの心象に応じてそのような姿をとったのだろう。扉を閉ざされて冷気に呼ばれた雪に白く塗りつぶされても寂しいのは変わりなく。猛吹雪に閉じこめられた駅舎があんなに騒がしいのに。
 
 
自分がなぜ、ここにいるのか
 
 
身体も心も白くなってゆく綾波レイはその問いに答えられる時間があとわずかになってきていることを知っている。身体と心が冷厳と告げるから。魂に、教えるから。
 
 
ほんのわずかだけ、身体をずらしておくれ
 
 
白い自分の身体が乞い願う。そうすれば、塞いでいた扉から夏の気配が滲みだし、こんな冷気から解放される。
 
 
ほんのわずかだけ、心をゆらしておくれ
 
 
白い自分の心が乞い願う。そうすれば、奪われゆく自らの魂を、取り戻す、抵抗することができる。術の力は圧倒的だが反抗もせずに沈黙のまま侵されるのは綾波の誇りが許さない。
 
 
それなのに、微動だに、しない。
 
こうして、扉を閉ざしたあと、綾波レイは動かず、ただ待つだけの白い愚者になった。
その手には天上切符がある。「絶対に手放さぬように」とひなゆきせの車掌に念をおされたもの。旅は終わったはずなのに。碇シンジを追い、その襟首をひっつかむ旅は。
 
 
(つ・・・・・)
 
枯れている。スノー、という言葉がある。航空管制官のような、神経の酷使と責任感の重圧があまりに長時間続くと頭の中が真っ白になりすべてのものごとを受動的にしか判断できなくなるり、パイロットに指示を与えるべきところを逆にコントロールされたり始めるようなとんでもなく衰弱した精神状態のことだが、現在の綾波レイはまさにそれである。
 
 
それでいて、まだ明日のボクサーのように白く燃えついていないつもりなのである。
当人は。もう一ラウンドやる気でいる。微動だにしないのは、体力と気力を温存している「つもり」なのだった。これで「ああ、任務完了」などとちら、とでも思ってしまえばそこで意識はブラックアウトすることをよくわきまえていた。水死体の方がまだ元気なような顔をして。四肢の隅から少しづつそれでも確実に冷気を注がれ続けて天上の保存食にでもなるつもりか。綾波レイは。ここから、碇シンジを地上へ、第三新東京市へ、ネルフへ、葛城ミサトたちをはじめとする彼を待っている人々のもとへ、送り返すつもりだった。
渚カヲルに会わせることなく。それを碇シンジがどれほど望んでいようと。
その夢を、断ち切る。すでに、零鳳初凰はないけれど。怒れる彼の雷で打たれようとも。
 
 
やるつもりであった。
 
 
そのために、ここまできたのだから。自分がなぜ、ここにいるのか。
 
すぐに答えられる自分は、わかりやすい女なのかもしれない。とても。
 
どこへいくのか、なんて問いには答えられないが、なぜここにいるのか、そんな話ならすぐにできる。過去の話だからだ。分かりやすい過去。全てがそうというわけではないが。
未来にはどの人間が立っているのか分からないが、過去に立っていた人間はすぐに分かる。
それらを用いて説明できるから、がぜんわかりやすくなる。
自分の例でいえば・・・・・あの碇一家と出会った頃から、分かりやすくなっていて。
特に、碇シンジ。彼と出会った時から、過去はひどく分かりやすくなる。
現在、死にかけの綾波レイではあるが、走馬燈ではないのでそこまで遡らない。
 
 
 

 
 
ニフの庭のことだ。凍結樹海を目的地にむけ雪だるま人力車で疾走していたら、突如、真っ正面から白い光がきた、ぶつかる、と思ったら、目の前に白い列車が現れて止まっていた。戦車があったから列車があっても・・・と一瞬、思ったがやはりおかしい。
おかしすぎる。
北極急行であったとしてもおかしすぎる。年中夏の日本にはサンタはこないのだ。
 
しかも、銀鉄「ひなゆきせ」などと。・・・・・・銀鉄、聞いた覚えがあった。
 
油断なく雪だるまの手綱を握っていたら、列車から車掌らしき女性が降りてきて。
 
「鈴原トウジさんからのお届け物ですよ。・・・・・・あなたが、綾波レイさん?」
 
意外な名前にしばしあっけにとられていると、
 
「あやうい照度ですね・・・・・しっかりとお持ちなさい」
小声でぼそっとなにかいうと、しっかりと天上切符を手渡された。その途端、背中からするりと抜け出しかけていた風船の棒のようなものがずいと押し戻されたような奇妙な感覚を覚えた。怪しさ満点であるのになぜか素直に言うことに従ってしまった。
今はその意味が分かっているが。
 
「あなたはまだ若い・・・ほんとうの幸福をさがすまでにそんなにムチャをしてはいけませんよ」
車掌さんはにこっと笑って「地上までお送りしましょうね。切符をお持ちですし、それくらいはいいでしょう。・・いろいろ賑やかな夜でしたが、悪いことよりもいいことの方が多く起こる夜になったはず。もう一眠りして、明日の朝を迎えてみればこのことは・・・・・」
 
なんと続くのだったか、自分はその前にそれを遮り、説明を求めた。恐るべきコトに、この赤い瞳の、綾波異能の全類探知能力にかけて、これが「夢」であると結論づけることが、できない。「幻」でも「トリック」でもそれは同じこと。この目の前の車掌の存在と白い列車ひなゆきせの存在、そして、手にした天上切符の感触・・・・。どうやってこんな列車がここにやってきたのか・・・・・理性は否定するのだ。無にほぼ等しい透明な幽霊。
 
 
杭が杖である、と告げられたときにすでに世界は変化していたのかもしれない。
 
 
自分が知っていた世界とは異なる。自分の内側にも雪が降っていたことに気づく。
 
 
車掌さんは迷惑そうな顔もみせず、知りうる限りの説明をしてくれた。なぜ、天上切符が自分の元へ届けられることになったのか、そこから始まり、終わりまで。星の世界と地上は鏡のように。あちらの終わりはこちらの始まり。鉾の屹立・・・・・・やはりあれだ。
主要十二銀鉄の引き込み、第二支部上の臨時駅、そこから人員を乗せた銀鉄の地上降下、なまえの未だついていない最新式の銀鉄だけが、そこで天上切符をもった乗客を乗せて、出発したと。その乗客の名は碇シンジ・・・・・・と、惣流アスカ。
 
「切符は一枚きりだったけど、もう一人の女の子のお客さまも特殊な形式ではあるけど・・・運賃は頂いているようね。試験車体にお客さまを乗せること自体が例外中の例外なのだけど・・・・・大丈夫?」
別に乗車方法の奇妙さについて考えたわけではない。そこに彼女がいるのが。
その事を聞いたときは目眩がした。いつも彼女が口ぐせのように言っているあの罵詈雑言ではないが・・・・・。ゆら。もし、目の前にいたら手を出さないか、自信がない。
 
 
・・・・・と思うが、耐える。耐えた。だからこそ、鈴原トウジは自分を指名したのだ。
彼女ではおそらく無理であろうから。碇シンジに近すぎるし、渚カヲルの名が出れば甘さが、一歩引かざるを得なくなるだろう。敵には勇ましいが、味方の誤りには裏切りには。
望まれるものが彼女と自分では異なる。人には役割というものがある。格がある。
破断しても、最初から壊れるようなものなど自分にはない、と思うなら。
あの刀のように。あの鉾のように。碇シンジが手渡さなかった切符がいま、ここにある。
自分の手の中に。
行き先も分かっている。
 
 
そして、銀鉄ひなゆきせに乗り、碇シンジたちの乗ったなまえのない銀鉄を追跡。
それを捕捉して渚カヲルに会う前に、光馬天使駅到着までに、地上に引き返させる・・・・・・・・それしかない、と計算して答えを弾くのは理性なのだから不思議だ。
 
 
同じ銀鉄に、いかにいまだ制式になっていないとはいえ同じ銀鉄を、その運行を妨害せよ、などというのは強制的に路線を引き込むより、タチが悪い。タクシーに乗って前の車を追ってくれ、というのとはわけが違う。向こうは先行していて、おまけに最新式だという。碇シンジらしく、実験機、試験機というわけだ。お似合いだがそれだけに性能はダンチで、運転手も機関士も銀鉄でも指折りの腕っこきなのだと。目的からすると、どこぞで追いついて捕まえて、碇シンジと惣流アスカ、乗客だけ移してもらってあとはその実験列車は好きにしてもらえばいいのだが・・・・・そうはいかないのだろう。
つまり、敵対せよと襲撃せよと騙し討ちせよと。
自分に何の権限があってこんな非道なことが言えるのか、綾波レイは思いながらも作戦部長と違って嘘がつけない。同じひとつところにいる者たちが争うのは・・・イヤだった。
 
 
天上切符を使ってゴリ押しはできるのだろう。そう命じて走らせることは碇シンジがやったように。それ自体は。やるだけ、やらせることだけは。やってみてダメでしたと。
追いつけませんでした捕まりませんでしたその姿を視認することさえできませんでしたと。言われても文句はいえないわけだ。
 
 
もともと、ひなゆきせがここにきたのは、自分を乗せるためではなくただ鈴原トウジに頼まれて切符を届けに来ただけの話で。まさかそんなムチャで極悪なことを言われるなどと夢にも思っていないだろう。雪兎は木の根に躓かない。
 
 
ただ光馬天使駅にいくだけならば・・・・・・もともとレリエルによると切符は碇シンジ用と自分用の二枚。それを使って銀鉄に乗ってようこそという話。なぜか知らないが彼らは自分たちを招いた。戦術的にいうならば、パイロットとエヴァを引き離すだけのことで非常に分かりやすい話なのだが。こんな行動が出来るならもう一度零号機に搭乗すべきじゃないかと自分の中で囁きがあるが届かない。身体を動かしているのは、もう自分でもよく把握していない理解しきれていないなにかだ。
 
 
 

 
 
かさ さく 
 
 
さく さく
 
 
音がした。雪を踏みながら近づき歩いてくる音が。もとより幻の星に雪に震える土着の生物などいない。靴を履いた人間の足音だ。それでも、目はその姿を捉えない。もう半分以上も蒼く変色した瞳は。首を動かして視界を広げようにも筋肉はこわばりきって作動してくれない。愚かのように真正面を見るだけ。姿が見えない。ならば幻聴と同じだ。
 
 
彼が来たなら、もっと足音に怒りがこもっているはずだ。
この足音は、淡々としすぎている。感情というものがない。
 
だからほんものではないのだ。そう思うと音は消えた。
 
 

 
 
「その瞳の色は・・・・・あなたの色ではないのに」
 
言葉に迷っていると、車掌さんにふとそんなことを言われた。全身に戦慄が走る。急いで全身を術式走査してみると、瞳に刻印、埋め込まれた呪いが発芽、”咲きはじめた”ようだった。赤い異能の力を吸いながら咲く蒼い瞳花。予想より遙かに早い・・・・・こっちの体力精神力が限界まで落ちて疲労の極で呪いへの抵抗力が低下したせいか、それとも本来、期限を読み間違えていたのか・・・・今さら上位組織に隷属することなど恐ろしくない。碇司令とともに、その世界を一時期、歩いてきたのだ。その日はいつか必ず来た。それが早いか遅いかの話。逃げる気もなかった。
嫌悪も無念も憎悪も悲しみもなにもない。声を奪われ能力を封じられようと。
呪いが自分をどこへ誘うのか、だいたいの見当もついている。
上位組織の命じるままいいように使役されようと。自分の半身は使徒だった。
元来、ここにいるはずのない。なぜ、ここにいるのか。
 
 
「乗りなさい」
なぜか車掌さんに命令形で言われた。銀鉄ひなゆきせに乗るように、と。
 
銀鉄ひなゆきせは銀鉄の中でも最も心根がやさしくて暖かいという評判はその時は知らない。この状況で地上に送ってもらってもしょうがない。このまま目的地までいき、そこで彼を待つことにする。話を聞けばもう完全に手遅れ。下手をすれば碇シンジだけでなく惣流アスカまで相手にしなければならなくなる。杭、または杖の正体を掴んでいた方がよい。だから、固辞した。誰のためかなんのためか、分かったふりをして。
 
 
「必ず追いつきます。だから、乗りなさい。あなたには、その資格があります」
 
 
車掌さんは言った。待つか進むか。「ただその切符は今夜で期限切れになります。選ぶのは一度だけです」
 
 
(でも・・・)声にならぬ声で返そうとした自分に。自分の望みに。
 
 
「これは、試練です。なまえのない銀鉄にも、あなたにも。それなら、いいのでしょう?」
 
やさしそうな顔してろくでもないことを言う。表情はあくまで澄み切って。列車を引き込まれた仕返しに代理戦争をやらかそうという顔ではない。呪いをかけられた自分への同情でもなく。ただ、自分の望みを受けてくれただけで。冷気のなか、温情が痛いほど。
 
 
「どちらにせよ、”もうあなたは銀鉄に乗るしかない”。自由の利く天上切符をもってか、予め袖に忍ばせていた片道切符を用いてか、それだけのこと」
 
それでもまだふんぎりのつかない自分に、車掌さんは告げた。なぜ、ここまで言ってくれるのか、分からなかった。それはあなたが冷凍蜜柑のようだから、と列車に乗ったあとで言われたけれど、意味はよく分からない。
 
 
手を引かれることはなく。列車に乗り込むのは自分の足。自分の意思、自分の選択。
笑顔で待っている車掌さんに向かって踏み出そうと、すると、ジグジグジグ!!蒼い瞳花が激痛を発して待ったをかけた。すでに半分死にかけている棺おけに片足つっこんでいる状態でなければ有無を言わさず従わされるほどの痛みであったが・・・・・ずずず・・・見えない棺おけを引きずったまま、進んだ。刻印者は杭と杖の行方の方こそお求めらしかった。が、・・・・・知ったことではない。”従うからこそ、従わないのだ”。そんなことも分からない上位組織の愚かさに憐憫すら感じる。下手なやり方・・・・・碇司令ならもっと上手にやるのに。能力を封じても動きは止められない。意思を奪いにかかっても遅い。
 
 
(おねがい・・・)
 
天上切符を車掌さんにむけて差し出す。思念は正直に目的を告げている。
 
 
「確かに、天上切符、拝見しました。地球発〜なまえのない銀鉄内碇シンジ様ゆき、銀鉄ひなゆきせ、ただいま発車いたします」
独特の節回しで、歌うように。雪国怪獣ウーっぽい雪男のポーターがやってきて抱え上げて降車口から乗せてくれた。(そういうことになったから・・・・ここまで、ありがとう)目だけでそう告げたが、雪だるま人力車はしっかり理解したらしく、来た道を戻っていった。
霧島教授に詳しい事情を伝えることもままならぬが・・・・・その余力もない。自分を保つだけで手一杯。それでも、碇君に追いつくことができるのか・・・・あの電撃の実行力はしんこうべで身に沁みている・・・・・いろいろと準備もしていたようだし、その彼に
 
 
「心配いらないの。そんな顔しないでいいの。女の子が最後に好きな男の子をおいかけるっていうのに、おいつけなかったら、なんの銀鉄なの。皆さん、いいわね!」
車掌さんが車内に号令する。職階というよりは人格によるものだろう、気合いのこもった響く返事があちこちからかえってきた。頼もしい、エヴァのケージを思わせる共闘感覚にふいに気が緩んだ。けど、ちょっと待って。今、車掌さんは列車中のスタッフに向けてなんて言った?あの時は列車に乗り込んだ興奮があって聞き逃したというか聞き流したけれど・・・・・・・
 
 
どうも、大いなる誤解があったのではないのか
 
 
乗務員が乗客の事情に深くつっこむことはないのだろうし、こっちのバックボーンのことなど速度を増すのになんの関係もないのだろうけど。にしても。
 
 
反論しようにも声が出ないのだ。・・・・・出なかったのだ。
 
 
冷凍蜜柑だのりんごあめだの、よく分からないことを言われるから座席についてからは、つとめて背骨関連について思考することにした。
 
 
 
車窓から外の光景を眺めながら
 
 
そこまでして、彼の邪魔をしようとするのはなぜか。彼には彼の選択があるはずだ。
それとも単に、人類最後の最強の福音を失わせたくないだけか。贖罪のつもりか。
 
 
絶対に赦さない、と思ったが、一体何を赦さないというのか。彼は彼らしく動いただけ。
もとより、自分に赦されなくとも彼はなんとも思うまい。身を縛する呪いが進行したためにかえって思考は自由になる。さらに。楓葉は霜を越えて紅になるというのに、笑う。おかしい。
 
 
ああ、今、気がついた。ただ自分は、自分も渚カヲルにまた会ってみたかったのだ。
 
 
とか。いろいろ考えていたのだ。手塚治虫のブラックジャックの中に「人生という名のSL」という一編があるが、確かに過去を思うにふさわしい環境だった。
 
 
鈴原君が妙なことを吹き込んだ・・・・・とか。それは余計なことであったかもしれない。そのおかげでこうやって列車に乗るという選択肢が増えたのだから。文句を言うところではない・・・・・彼が自分をこの状況で指名するくらい、信用していたことも。
 
 
先行するなまえのない銀鉄に追いつき追い越す算段は、かなり早い時期に出来た。
車掌さんによると彼らは「寄り道ばかりしている」らしく、元来、駅に停車する必要もない試験列車のくせに、目的地に向けて脇目もふらず一直線、どころか、あちこちでトラブルを起こしながら管理局に悲鳴をあげさせているのだと。「乗客が列車から落ちた」ことさえあるのだと。それを聞いたときはさすがにあっけにとられた。・・・・もう無茶苦茶だ。身内の恥を好んでさらす趣味は車掌さんにもないのだろうが、目的が「駅」ではなく、「人」であるのだから、そんな情報も偽りなく入ってくることになる。
 
 
そんな話の内に、ひなゆきせのスタッフ達ともうち解けて。乗客は自分一人。
なんだか気が咎めたが・・・・・・「たまにはこういうのもいい」と笑ってくれたから、呪いが進んでも平然としていられた。
 
 
「バブルクンド可動橋」という橋?をなまえのない銀鉄が使う、という時だけは少し悩んでいたようだが、銀鉄ひなゆきせは結局、余裕で「夏への扉」、なまえのない銀鉄が必ず燃料の補給に立ち寄る幻の星に先回りできた。足止めするには最適のポイント。
 
 
なまえのない銀鉄が決して遅かったのではない、走行距離にして計画通りの最短距離を走ったこちらの80倍は走っているのだと。それにコースの難度を考えると・・・・最新型に相応しい驚異的な速度だといえる、と。ひなゆきせの皆が感心し、呆れていた。
 
 
それでも勝ちは勝ち。勝負の意識もなかっただろうけれど、勝ちは勝ち。
リベンジ成功。ひなゆきせ乗務員たちの助勢を断り、1人で扉を閉めに向かう。
途中で、ここを根城にするという護線官ペトロから武装列車ブーンを借り受け、扉上空に待機させて万が一の砲台とする。向こうは最新式であり、どんな奥の手があるか分からない。そして、脅迫の手段でもある。ここで引き返すように、と。実力を持って迫るのだ。
 
 
彼に。
 
 
ここで待っていれば、必ずやってくる。扉を開きに。冷気さえ止めば、ひなゆきせはなまえのない銀鉄の敵ではない。現状の自分と同じく、碇シンジに敵わない。さすがに本気で怒っているだろう。絶対に赦さないだろう。望みを目前で潰そうという自分を。
 
 
自分は彼になにをもってきたのだ・・・・・
彼はなにかわすれものでもしていたのか・・・・・・
 
 
自分が、なぜここにいるのか・・・・・
 
 
綾波レイはよくわからなくなっている。
 
 
 
かさ さく
 
さく さく
 
 
また雪を踏む音。さきほどよりはっきりと聞こえた。感情が含まれていた分だけ音がべとつき、それで強く聞こえた。音の源も・・・・・
 
 
かさ さく
 
さく さく
 
 
扉の、裏側。自分がもたれている扉の裏側から、聞こえた。そこに、誰かいる。
感情を持った誰か。感情を顕わした誰か。その感情は・・・・・
とっくに凍結していたはずの身体が震え出す。どくん、心臓が忘れていた鼓動を。
 
 
 
「待ち遠しいねえ・・・・・」
 
 
その声がした。もしかして、ずっとそこにいたのか。いや、今そこに降りたのか。
 
 
「あまり遅いから・・・・・」
 
 
 
扉の裏から、自分の背後から気配が、動いた。それだけで、心象を写して蒼鉛の曇天だった空が切れて、光が射し込む。さく さく 動くたびに、雲は裂かれ光の量は増大していく。・・・・・そんなことがあっていいのか・・・・・こんなことが・・・・
 
 
 
「迎えにきちゃったよ、レイちゃん!!」
 
 
「むかえにきたよ・・・・綾波レイ。シンジ君のついでだけど」
 
 
曇天を一瞬で吹き飛ばす目も眩む光の翼装で決めた渚カヲルとレリエルが、そこにいた。